雑節・歴注・撰日
■4月22日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
4月節に入って「春の土用」の期間中です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。また、もうすぐGWです。期間中の計画はお早めに!
体調管理にはお気を付けください。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■4月20日(旧3月9日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。
※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■4月17日~「土用の入り」です。■
4月16日22時06分「土用の入り」です。
土用は雑節の一つで、太陽が黄経27度、117度、207度、297度にあるときと定義し、四季の変わり目に配されています。
今月は「辰:たつ」の土用月で「春の土用」です。季節の入れ替わりに配されているのが「土用」ですが、毎年4月16、17日~5月4、5日頃が「春の土用」です。
土用はあらゆるものを荒廃させ、死滅させる作用を持つとと同時に、新しいものを育む作用を持ちます。
命あるものは、腐敗、死滅して土に帰り、一方、新しい命は土の中に生じています。
すべてに「始まり」があって「旺:さかん」となり、そして終わります。
これが「生・旺・墓」の三合の理です。従って今回の土用は冬が終わる土用なので「冬の土用:冬が墓」だとしている暦もあります。一年の暦を通して「土用」では、「春の土用」によって「冬が消滅」し、「春の勢いが陰り」、「夏が生成」されます。特に、春の始め「2月」に生じた事柄は、「3月」に壮ん(旺)となり「4月」に終わりを迎え結果が出ます。今月中に終結しない事柄は、来月「5月」に再スタートし「7月」には結果を出す努力をすべき、ということになります。5月6日「立夏」となって暦の上では夏に入ります。
「時を得る者は昌え、時を失う者は亡ぶ」(時の運をうまく味方につけて追い風に乗る者は栄え、逆に追い風を見逃して向かい風に帆を揚げるようでは、苦難ばかりで、滅んでしまう。)タイミングがいいことを、時の氏神が味方をした。などと言い時を味方につけるとき、実力以上の成功に恵まれるということです。
土用の期間は「土の気」が盛ん(旺ん)になり「物を変化させる作用が最も働く期間」になります。土を動かすことは勿論ですが、造作、修繕、柱立、礎を置くこと、井戸掘り壁塗りなどよくないとされています。部屋の模様変えや押入れの整理も見送りましょう。
【土用心得】
土用の期間に入ると、抱えている問題は解決しないといわれています。土用に入る前に方向性を決め、解決しておく事が得策です。とはいっても、もの事が解決せず土用の期間に入ってしまったら、焦らずに先送りして現状を維持しましょう。
【土用の丑の日】
土用といえば「丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべますが、この蒲焼が普及したのは江戸時代のこと。江戸時代後期に、あの平賀源内が鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けしない」と宣伝。大いに流行しました。万葉集にも鰻が登場しますが、この頃には単に焼いていたようです。
◆今回の「土用の丑の日」は4月16日(木)です。「土用の二の丑」は4月28日(火)です。■「鰻」(うなぎ)の語源は、「胸黄」(むなぎ)から由来。鰻の調理方法は、東京では切腹をイメージするというので腹を切るのを嫌い、背剥きにします。大阪では腹剥きです。また、焼き方も異なっています。
大阪では鰻のことを「う」といいます。そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んでマブシて食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したものです。
【土用の間日】
春の土用の「間日」は、巳・午・酉の日で、文殊菩薩のはからいで、土公神一族すべてが清涼山に集められ、土用の期間中でもこの日ばかりは土を動かしても祟りがありません。
【土用の明け】
春の土用が明けるのは5月6日「立夏」です。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今回は春の土用です。土用の期間は、なんとなく上手くいかない期間です。
「運」の良し悪しは、誰にでも当てはまりますが、「運気」は自然界の影響を受けながら巡っていまから、大自然の法則を知って、自然の恩恵を活用しましょう。
暦を詠むことは一部には大自然の叡智を身につけることなのです。
土用の時期は季節の変わり目です。
体調を崩しやすいので、健康管理には十分注意しましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆◆ 土用の作用と三合の理 ◆◆==============◆ ◆季節の入れ替わりにに配置されるのが「土用」です。
土用は年に4回あります。春の土用・夏の土用・秋の土用・冬の土用の4回で、木気・火気・金気・水気の「墓気」に当たるところが「土用」です。この期間は各季節の替えによって18日と6時間が「土用の期間」です。
期間中は中央に位置する「五黄土気」と連なることで万物を腐らせる作用があります。
◆土用はあらゆるものを荒廃させ、腐らせ、死滅させる作用を持つとと同時に、新しいものを育む作用を持ちます。命あるものは、腐敗、死滅して土に帰り、一方、新しい命は土の中より生じています。
すべてに始めがあって「壮ん:さかん」となり、そして終わります。これが「生・旺・墓」の三合の理ですが、土用の期間中の月は「墓」にあたりますので、今月は物事が終結し、完了したり結果が出る月といえます。
◆「三合の理」を「土用」に当てはめると
春の土用 木墓気、11月亥に生、翌3月卯に旺、7月未に墓
夏の土用 火墓気、2月寅に生、6月午に旺、10月戌に墓
秋の土用 金墓気、5月巳に生、9月酉に旺、翌1月丑に墓
冬の土用 水墓気、8月申に生、12月子に旺、翌4月辰に墓
となります。これを「生・旺・墓の三合の理」に当てはめると・・・・
◇(春:東)前年「亥:11月」に生じた事柄は「卯:翌3月」に壮(旺)かんになり、「未:7月」に墓を迎え「春の土用」になり結果が出ます。(木局三合)
◇(夏:南)「寅:2月」に生じた事柄は、「午:6月」に壮(旺)んとなり「戌:10月」に墓を迎え「夏の土用」となり結果が出ます。(火局三合)
◇(秋:西)「巳:5月」に生じた事柄は「酉:9月」に壮(旺)んとなり「寅:翌1月」墓を迎え「秋の土用」となり結果が出ます。(金局三合)
◇(冬:北)「申:8月」に生じた事柄は「子:12月」に壮(旺)んとなり「辰:翌4月」墓を迎え「冬の土用」となり結果が出ます。(水局三合)
今月中に終結しない事柄でも、土用明けの来月には一定の終了を迎え、新しい息吹になっていきます。
■4月16日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。
※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。
江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。
このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。
三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。
・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日
建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。
また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
■4月15日~「天一天上(てんいちてんじょう)」です。■
「天一天上:てんいちてんじょう」とは、陰陽道の歴注で癸巳~戊申の16日間をいいます。
「天一神:てんいちじん」という方角神が天上界に出かけてしまい、期間中は佳日とされています。天一天上の間は天一神の祟りがなく方角の禁忌(悪い方位)はなくなるので、どこに出掛けるにも良しとされました。このことが、縁起を担ぐ相場師に利用されたと伝わります。
かわりに期間中は日遊神が地上に降りて家の中に留まります。屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、自宅は清潔にしておかなければなりません。
天一神は方角神のひとつで、中神(なかがみ)ともいい、地星の霊で荒神です。天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを「物忌み」といいます。その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「方違え」をします。
「天一神の遊
行日」
■乙卯から5日間...卯(東)
■庚申から6日間...巽(南東)
■丙寅から5日間...午(南)
■辛未から6日間...坤(南西)
■丁丑から5日間...酉(西)
■壬午から6日間...乾(北西)
■戊子から5日間...子(北)
■己酉から6日間...艮(北東) この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
人間が大自然を怖れて、自然と共に生きている時代に、経験的に感じ取った歴注です。
今となっては迷信や神話の域だと見過ごされしまう暦の一つです。
その昔情報処理が発達していなかった頃、日遊神の祟りからのがれるために掃除するところから転じて、株や相場にとって、天一天上は相場を見直す時期とされていました。
入梅前5月節の「天一天上」です。季節は二十四節気「小満」「芒種」の頃で一年間で最も過ごしやすい季節です。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■4月14日(旧3月3日)「旧ひな祭」です。■
「上巳:じょうし」は五節句※の一つで、旧暦3月3日の称。上巳とは、旧暦3月の「上旬の巳(み)の日」のこと。元巳(げんし)ともいいます。
古来中国の三国時代「魏(ぎ):220~265」以来3月3日を上巳とし、この日、川で身を清め不浄を祓う習慣がありました。
日本には平安時代に取り入れられ、宮中では「曲水の宴」を張り、祓えを行うようになりました。やがて宴はすたれましたが、上巳は「巳の日の祓(はらえ)」として貴族の間に定着していきました。これを「上巳の祓」といいます。
「形代・かたしろ」(人の形をした紙の人形)を作って、これに穢れ(けがれ)を移し、川や海に流して不浄を祓います。日本各地に残る「流し雛」の風習の原型です。

上巳の祓は、江戸時代以降に「雛祭り」として急速に庶民の間にも広まり、後に上巳は3月3日の雛節句をさす言葉として使われるようになりました。
「雛祭り・ひなまつり」は、女の子のいる家庭で、雛人形やその調度品を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花などを供えて祭る行事です。「雛節句」「桃の節句」とも呼ばれ、女子の健やかな成長を願います。
雛まつりの起源は、京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ平安時代の「雛あそび」がその始まりとされています。やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代になると上巳は五節句の一つに定められ、庶民の人形遊びと節句が結び付いて行事となって発展しました。
雛人形もだんだんと華美になり、徳川幕府は「雛や調度品に金銀箔を用いないよう」御触書を出して戒めたほど。明治以降は次第に華やかになり、賑やかに行われるようになりました。
女の子が生まれて初めて迎える節句を「初節句」といって特に祝います。母親の実家から雛人形や調度品が贈られます。
「雛の膳」とは、雛祭りに際し、雛壇などに供えられる祝い膳のこと。欠かせないのが「桃の酒」と「白酒」です。桃の酒は桃の花を浸した酒で、3月3日に飲めば百病を除くといわれます。
桃は、古代中国では邪気を祓う「仙木」と考えられていましたので、桃の酒を飲む習慣が出来ていました。日本でも魔除けとして桃の木を用いることが多く、神符なども「桃符」と呼ばれることがあります。
桃の葉は、汗疹(あせも)やタダレに効き目があり、よく浴湯に入れてこれを「桃湯」といいました。葉の汁を飲むと魚の中毒を緩和するとして、古来より用いられていました。
桃の酒に「白酒」がそえられたのは、やはり紅白が目出度いとされたからとか。白酒は、みりんに蒸した米や麹を混ぜ合わせ熟成糖化させたもので、甘味が強く白く濁った酒です。または山川酒とも。
「菱餅」は、伸し餅を菱形に切ったもので、普通は紅白緑の三層です。赤の梔子(くちなし)は解毒剤、白は血圧低下剤、緑の蓬(よもぎ)は増血剤になっています。また、菱餅の形は心臓の形を表したとの説も。何気ない供え物の中にも、娘の長命を願う心が生きています。
※五節句※
五節句は、中国の暦で定められた季節の変わり目のことです。3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)のように奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、1月7日(人日)を五節句にしています。
五節句は明治6年に廃止されましたが、暦の上では年中行事のとして定着しています。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆旧暦の3月3日の方が桃の節句に季節が合っているように感じます。桃の節句、上巳の節句は子供の健康と成長を願う親の気持ちがにじみ出ています。
古今、地域が違っても子供の成長を願う親の気持ちには少しも変わりがないようです。
日に日に春を感じられるようになります。花粉の飛散が盛んになる時期でもあります。
皆様、お体ご自愛専一のほど
筆者敬白
■4月13日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は

暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。
4月節の一粒万倍日です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。4月は新年度で慌ただしい月です。体調管理にはお気を付けください。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■4月12日(旧3月1日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。
気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■4月10日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いて初夏のような日差しの日もあります。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■4月7日(旧2月26日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■4月6日~4月15日「十方暮れ」です。■
「十方暮れ:じっぽうぐれ・じゅっぽうぐれ」とは、干支を五行に配当したときに「上下互いに尅(こく)する」干支「甲申~癸巳」までの10日間のことをいいます。但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。
1日目 甲申=金尅木
2日目 乙酉=金尅木
3日目 丙戌=火生土(間日)
4日目 丁亥=水尅火
5日目 戊子=土尅水
6日目 己丑=土和土(間日)
7日目 庚寅=金尅木
8日目 辛卯=金尅木
9日目 壬辰=土尅水
最終日 癸巳=水尅火
十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。
正確には四正(しせい)方位「東西南北」と、四隅(しぐう)方位「南東・南西・北西・北東」の八方位に「天地:てんち」を合わせた十方位のことです。または「十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に存在する世界の全てのことを示します。そして十方が「四方八方閉ざされた状態」を「十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。または「十方暗」「十方闇」ともいいます。
それにしても、やはり「とほうくれ」と読みたくなるほど、うまくいかなく「途方に暮れる」期間なのでしょう。十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。
◇◇◇十方暮れ心得◇◇◇
「十方暮れ」は暦の上で発祥は定かではありませんが、五行説では相性の合わない日とされています。この時期、雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気が続きます。
転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。
なかなか進まないことに業を煮やして、一挙解決に向けて事を起こしても逆効果です。解決どころか反対にこじらせて損失を招く恐れがあります。十方暮れ期間中は、あわてずに「過ぎるを待つ」が最大の解決方法です
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
十方暮れは二十四節気「清明」「穀雨」の頃です。十方暮れの期間は手を尽くし、静かにじっと待つことも、問題解決です。静かにしていれば薄日が指すのがおのずと感じらるものです。
十方に暮れるとは、「人事を尽くして天命を待つ」の考え方を、暦に取り入れたのかもしれません。
皆様、「ないと思うな運と災難」、時節柄お身体ご自愛専一の程
筆者敬白
■4月4日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。
※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。
江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。
このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。
三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。
・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日
建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。
また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
■4月4日(旧2月午の日)「旧二の午(きゅうにのうま)」です。■
天界より宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ:稲荷大神)が伊奈利山(稲荷山)に天降りて、三ヶ峰に初めて鎮座した「和銅4年(711)午の日」の祭りは、2月の最初の午の日を「初午」といい、次の午の日を「二の午」といって稲荷の縁日が行われます。
稲荷神は日本の神さまで、稲荷大明神ともいい「お稲荷さん」「お稲荷様」と呼ばれ親しまれています。
「稲荷信仰:いなりしんこう」は江戸時代に最も盛んでした。江戸に多いものとして「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」と数えられたように、江戸にはいたるところにお稲荷さんがありました。
有名な稲荷神社の他に旗本、大名などの武家屋敷には必ず稲荷祠があり、町家の裏庭や長屋にも守り神として祠がありました。

もともと、午の日は子供の祭りで、武家屋敷では近隣の町家の子供たちを招いて遊ぶことを許したり、団子や甘酒、鮨、菓子など振舞っていたようです。現在は産業全般の神として信仰されています。
稲荷神社の総本社は、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」です。また、神仏習合思想においては仏法における荼吉尼天(だきにてん)が本地仏とされ、その総本社は豊川稲荷(とよかわいなり)です。
「荼枳尼天:だきにてん・荼吉尼天」は仏教の神。荼吉尼は梵語のダーキニー(Dakini)を音訳したもので、もとはインドの女神でした。もともと農業の神でしたが、のちに「性や愛欲を司る神」とされ、さらには「人肉もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神」とされるようになりました。
ヒンドゥー教では、カーリーの眷属※とされます。この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとしています。
自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べるといわれています。※眷属:仏に対する様々な菩薩などを指す語として用いられ、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆などを指す。
伏見稲荷大社
◇京都市伏見区深草藪之内町68
◇公式Web:http://inari.jp/
豊川稲荷(圓福山豊川閣妙厳寺)
◇愛知県豊川市豊川町1
◇公式Web:http://toyokawainari.jp/
■3月31日~4月6日「小犯土(こづち)」です。■
明日から小犯土です。小犯土は大犯土の7日間に8日目の間日を経たあと9~15日目の7日間を指します。この期間を犯土として前半を大犯土、後半を小犯土としました。
◇期間中慎む作業◇
「犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。
特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。
◇木々の低調な時期◇野山の木々にも活発な時期と、低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐと、せっかくの材木が早く腐ってしまいます。科学的な根拠の有無は別にして、経験的に林業の方や大工の方は犯土を尊重するそうです。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇暦には科学的な根拠の薄い経験的なものも数多く残っています。根拠が薄くても暦に従って、トラブルや不慮の事故を防ぎましょう。大自然の法則には、まだまだ解明されていない自然現象も数多くあるのです。
「小犯土」が明けて次の二十四節季は「穀雨」で、夏の前の季節でとても過ごしやすい時期です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月31日「天赦日(てんしゃび)」です。■
「天赦日:てんしゃにち・てんしゃび」とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「最高の恩赦日」「極上の大吉日」です。
暦に「万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜と祝日と祭日と大安が重なった最良の日と言えます。この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。 ◆天赦日は1年に5~6日有ります。◆
立春から立夏の前日までの「戊寅の日」
立夏から立秋の前日までの「甲午の日」
立秋から立冬の前日までの「戊申の日」
立冬から立春の前日までの「甲子の日」
天赦日はとにかく「何事にもよい日」とされています。
特に創業、設立、開店、購入、結婚、婚約、建前、出産、転居、入学、和解、面接、採用、人事、新規企画、契約、約束、出発、男女の営み、などには良い日です。
今回の天赦日は、立春から立夏の前日までの「戊寅の日」にあたり、次の天赦日は6月20日です。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本年3回目の「天赦日」です。今回の天赦日では、夏の前の事始めに最適な「天赦日」です。新規開店転居転職など何をとっても良い日です。
新年度初めての「天赦日」です。これを機会に志を立てることで、願いや志が成就する事でしょう。
筆者敬白
■3月31日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。
※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。
江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。
このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。
三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。
・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日
建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
■3月31日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
3月節に入って2週目です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。3月は年度替わりで慌ただしい月です。
体調管理にはお気を付けください。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月30日(旧2月18日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。
※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■3月26日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
3月節に入って「春分の日」を過ぎ後半です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。また、3月は年度替わりで慌ただしい月です。
体調管理にはお気を付けください。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月23日「彼岸の明け」です。■
「彼岸:ひがん」とは暦上の雑節の一つです。春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことを指す場合もあります。
彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは日本独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。
彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越してすごし易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。
明日3月24日は彼岸の明けです。忙しくて墓参りを忘れていた方、これを機会に先祖に会いに墓参りをしましょう。つい忙しくて、後回しにしていませんか?「忙しい」という文字は「心」を「忘れる」と書きます。
まずは墓参に出向きましょう。辛いこと、困ったことなどこの局面をどう判断するだろうか。など、日頃声に出せないものを、墓の前で問いかけてみまると、祖先の叡智が沸いてくるものです。◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
お彼岸が明けると、3月末で年度末がもうすぐです。年度末から新年度は何かと慌ただしい日が続きます。忙しさに心を失わないよう読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月23日~3月29日「大犯土(おおつち)」です。■
◇犯土の期間◇
「大犯土:おおつち」は選日の一つで庚午(かのえ うま)の日~丙子(ひのえ ね)の日までの7日間(3月23日~3月29日)をいいます。
8日目の丁丑(ひのと うし:3月30日)の日を差し障り無い「犯土間日:つちまび」を置きます。
9日目の戊寅(つちのえ とら)の日から甲申(きのえ さる)の7日間(3月31日~4月6日)を「小犯土:こづち」としています。
◇犯土期間中慎む作業◇「犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。
◇木々の活動低調期◇
野山の木々にも、活発な時期と低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、樹木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐとせっかくの材木が早く腐ってしまいます。
科学的な根拠の有無は別にして、林業や大工の方は暦の犯土を経験的に重要視しています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇ 現代社会では暦の「大犯土」「小犯土」は、科学的な根拠のない迷信だと、軽んじられています。
近年は暦に従って、生業を営むことが難しい時代になってきました。経験的に積み上げられた大自然の法則を、統計的に生かしてきた暦をほんの少し振り返ってみましょう。
家屋など木や土の関わりを生業にしている方や、工務店、建築業・林業の方は、工事など日程を調整して不慮の事故を未然に防ぎましょう。
読者の皆様、すっかり春ですが朝夕は冷える日もあります。
この時期、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月23日(旧2月午の日)「旧初午(きゅうはつうま)」です。■
天界より宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ:稲荷大神)が伊奈利山(稲荷山)に天降りて、三ヶ峰に初めて鎮座した「和銅4年(711)午の日」の祭りは、旧暦2月の最初の午の日を「旧初午(きゅうはつうま)」といい、次の旧暦2月の二の午の日を「旧二の午(きゅうにのうま)」といって稲荷の縁日が行われます。
稲荷神は日本の神さまで、稲荷大明神ともいい「お稲荷さん」「お稲荷様」と呼ばれ親しまれています。
「稲荷信仰:いなりしんこう」は江戸時代に最も盛んでした。江戸に多いものとして「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」と数えられたように、江戸にはいたるところにお稲荷さんがありました。
有名な稲荷神社の他に旗本、大名などの武家屋敷には必ず稲荷祠があり、町家の裏庭や長屋にも守り神として祠がありました。
もともと、午の日は子供の祭りで、武家屋敷では近隣の町家の子供たちを招いて遊ぶことを許したり、団子や甘酒、鮨、菓子など振舞っていたようです。現在は産業全般の神として信仰されています。
稲荷神社の総本社は、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」です。また、神仏習合思想においては仏法における荼吉尼天(だきにてん)が本地仏とされ、その総本社は豊川稲荷(とよかわいなり)です。
「荼枳尼天:だきにてん・荼吉尼天」は仏教の神。荼吉尼は梵語のダーキニー(Dakini)を音訳したもので、もとはインドの女神でした。もともと農業の神でしたが、のちに「性や愛欲を司る神」とされ、さらには「人肉もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神」とされるようになりました。

ヒンドゥー教では、カーリーの眷属※とされます。この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとしています。自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べるといわれています。
※眷属:仏に対する様々な菩薩などを指す語として用いられ、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆などを指す。
■3月20日「彼岸の中日」です。■
「彼岸:ひがん」とは暦上の雑節の一つです。春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことを指す場合もあります。
彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。
春分の日は、お彼岸の中日です。暦の上では「真西」に沈む太陽は、「極楽の東門」に入ると伝えられています。この日の太陽を拝むと、十万億土を隔てた「極楽浄土」の東門を拝むことになります。この極楽が最も近くなる日が「彼岸の中日」と考えられているのです。
この日に故人の霊を供養すると、迷わず極楽浄土に成仏できるといわれていて、死者の冥福を祈り、仏供養、おはぎ(ぼたもち)、草餅、五目ずし、稲荷ずしなどを作ってお墓参りをします。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは日本独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。
お彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎやすくなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」という言うように、寒さも峠を越して温和な気候になります。彼岸の中日にも増して「弘法大師」に関連した行事が多いのは、空海の入定が3月21日だったためでしょう。
「平等院」の庭と建物は「極楽浄土」を表し「浄土庭園」と呼ばれます。鳳凰堂の前を流れる宇治川は「彼岸の河」に見立てられ、「来世(彼岸)西方浄土(鳳凰堂)」と「現世(此岸)宇治川の対岸」という仮想の世界が現されています。彼岸の中日夕刻には鳳凰堂の中央背後(西方)に日が沈みます。
ちなみに「平等院鳳凰堂」は国宝に指定されています。十円銅貨の平等院鳳凰堂、一万円札の鳳凰図は、鳳凰堂の屋根の鳳凰をデザインしたものです。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
お彼岸の中日です。これを機会に墓参に出向きましょう。辛いこと、困ったことや、先祖や親ならこの局面をどう打開するだろうか。声には出せないことを、墓前で問いかけてみましょう。
祖先の叡智が心に届くことでしょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月22日「己巳(つちのとみ)」です。■
「己巳:つちのと・み、き・し」は、干支(十干と十二支)の組み合わせ60のうちの6番目で弁財天を祭る日とされています。「巳待:みまち」ともいいます。 五行説で、十干「己:つちのと、き」は「陰の土」、十二支「巳:み、し」は「陰の火」で、相生(火生土)でとなり相性のいい日です。
「巳」は「蛇」をあてています。蛇は弁財天の使いであると考えられていたことから、福徳賦与の神である弁財天を祀るようになりました。
「弁財天」は、宝冠を被り青衣をつけた美しい女神で、左手に弓・刀・斧・絹索を、右手に箭・三鈷戟・独鈷杵・輪を持つものもあり、ヴィーナ(琵琶に似た楽器)を弾じます。〇安芸の宮島、
〇大和の天川、
〇近江の竹生島、
〇相模の江ノ島、
〇陸前の金華山を「五弁天」と称します。
鎌倉の「銭洗弁天」(正式には宇賀福神社)では、境内奥の洞窟内の湧き水で銭を洗うと、数倍になって返ってくるとされています。
日本各地に存在する「弁天島」は、弁才天信仰に由来する島名です。海難避けや豊漁を祈願する漁師たちの守り神として、日本各地の沿岸の小島に祀られてきました。
■七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして信仰されている七柱の神です。
◆≪恵比寿:えびすさま≫商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、大魚守護の神様
「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。七福神の中で日本が由来の神様。◆≪大黒天:だいこくてん、だいこくさま≫五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛の神様
ヒンドゥー教のシヴァ神と、日本古来の大国主命の習合です。その後「大黒柱」と現されるように、食物や財福を司る神となりました。
◆≪毘沙門天:びしゃもんてん≫武道成就、降魔厄除、家内安全、夫婦和合の神様
ヒンドゥー教のクベーラ神。仏教の神のヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり、日本では毘沙門天と呼ばれます。
◆≪弁才天:べんざいてん、べさいてん、べんてんさま≫恋愛成就、学徳成就、諸芸上達、福徳施与の神様
七福神の中の紅一点。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されます。
◆≪福禄寿:ふくろくじゅさま≫財運招福、延命長寿、立身出世、招徳人望の神様
道教の宋の道士、または、道教の神で南極星の化身の老子である「寿老人」の別名または同一神とされます。
◆≪寿老人:じゅろうじん≫幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様
道教の神で南極星の化身の老子。
◆≪布袋:ほていさま、ほていそん≫千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛の神様
唐の末期、明州に実在したと伝わる仏教の僧です。
暦注や暦に起因する様々な行事は、中国から渡ってきたものが主ですが、「庚申待」「甲子待」と同類でも、「己巳」は日本独自のものです。
◇◇◇ 編集後記 ◇◇◇
4月節の二十四節気「立春」です。暦の上では夏に近づいています。現代の社会では、経験的な習慣の己巳や庚申などは単なる迷信と同じ扱いです。
暦の謂れを振り返ってみることも、せちがない現代での心の余裕といえます。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月22日(旧3月10日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。
気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。
経験的に感じる暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■3月21日「社日」です。■
「社日:しゃにち」とは雑節の一つで、春分と秋分に最も近い「戊(つちのえ)の日」のことをいいます。春と秋の2回あり、春の社日を「春社:しゅんしゃ・はるしゃ」、秋の社日を「秋社:しゅうしゃ・あきしゃ」ともいいます。
「戊:つちのえ・ぼ」は「土」の意味があります。農家では春社は種蒔きの時期にあたり、秋社は収穫の時期にあたります。そのため社日は重要な節目の日とされるようになりました。

「社」は、生まれた土地の守護神である「産土神:うぶずながみ」のことです。この日、産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈り、秋には収穫のお礼参りをします。
出雲地方では五角形の石柱に「社日」の記述が目立ちます。これは五角形を「五穀」や「五行」と解されていて土地からの恵みをあらわしたものです。 また、春の社日にお酒をのむと耳が良くなるという習いがあります。これを「治聾酒:じろうしゅ」といいますが、その名の酒があるのではなく、単に春社に飲むお酒をいいます。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
震災、地震、地滑りなどで、避難した方々も、「生まれ育った土地に帰りたい」と口にします。
災害で荒れ果てた土地でも「産土神」の地元です。未曾有の大震災で命を落とした方も多い中、生まれ育った土地、今日まで育まれた命に感謝たいものです。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月20日(旧2月8日)「旧こと始め」「旧針供養」です。■
「こと始め」とは、その年の事の始まり行事のことで、陰暦2月8日に行われていたものです。平成29年は太陽暦の3月5日が旧暦の2月8にあたります。
「針供養」とは、折れた針を供養し、裁縫の上達を願う行事です。関東では一般に2月8日に行われます。両日とも「事八日(ことようか)」(こと始め・こと納め)にあたっており、昔から様々な行事が行われてきましたが、それが江戸など都市では針供養に変わったものと考えられます。
この日は、針の使用を謹んで針仕事を休み、古針(折れた縫い針や曲がった縫い針)を、豆腐やこんにゃく、あるいは餅に刺して、神社で供養したり、川へ流したりするのが一般的でした。豆腐やこんにゃくなどに針を刺す理由は、柔らかいもので針に楽をしてもらい、今までの針の労に感謝するのです。もともと中国で行われていた針供養に似た行事が、日本に伝わったもので、事始め・事納め・女の守護神である淡島信仰※などと混合して出来上がったものが針供養であるといわれます。この日、芋、大根、焼豆腐、あずき、にんじんなどの煮物料理を食べる、俗にいう「いとこ煮」や「六質汁」は、こうした縁起からきたものだそうです。
また、豆腐のように色白の美人になるようにとか、柔らかい気持ちになれるようにとか、まめに働くことが大事(だいず)としたのだとか。豆腐は刺されても痛いと言わないから、女性が我慢強いことを願ったからなどともいわれます。
和歌山の淡島神社では、その年に使って折れた針を集めておき、淡島堂(あわしまどう)へ納め、縫裁の上達を祈ります。祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)を祀ります。少彦名命は、医薬の神様です。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
針供養は関東では2月8日、関西では12月8日に行うところが多く、古く、事始めと事納めを一緒にして「事八日:ことようか」と呼ばれていました。
東京浅草寺境内の淡島堂の祭神は女神で、技芸裁縫の神です。
浅草寺HP/諸堂案内(淡島道):http://www.senso-ji.jp/guide/awashimado.html
※淡島信仰、淡島神:淡島神は、女性特有の婦人病治癒や安産・子授け、裁縫の上達、人形供養をはじめ、良縁・健康維持など女性に関する効験ありとされる信仰。
江戸時代には淡島願人と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった。関東地方では3月3日淡島講を催す地域がある。
発祥は住吉明神の妃が婦人病のため淡島の地に流され治癒したとされる。
■3月19日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
3月節も中旬です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。3月は年度替わりで慌ただしい月です。体調管理にはお気を付けください。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月19日(旧3月1日)「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。
※保呂風日:とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。
江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。
このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六輝※とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。
※六輝:仏滅、大安、赤口、先勝、先負、友引のこと。江戸時代に庶民に流行、その後すたれるが、第二次大戦後のカレンダーに掲載されたことから現在のように一般的になる。
三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。
・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
筆者敬白
■3月16日「八専(はっせん)」終了です。■
暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。同じ気が重なることを「専一」と言いい、それが8日あることから「八専」と呼びます。八専の期間には同気の重ならない日が4日あり、これを「八専期間中の間日(まび)」と呼びます。
1日目/壬子 =水水、 ←水の気が重なる
2日目/癸丑 =水土、 間日(まび)
3日目/甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
4日目/乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
5日目/丙辰 =火土、 間日(まび)
6日目/=火火、 ←火の気が重なる
7日目/戊午 =土火、 間日(まび)
8日目/己未=土土、 ←土の気が重なる
9日目/庚申 =金金、←土の気が重なる
10日目/辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
11日目/壬戌 =水土、 間日(まび)
12日目/癸亥 =水水、 ←水の気が重なる
間日(まび):このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。
古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」※には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。他にはギャンブルなど、努力が伴わない行動は避けましょう。
※淮南子=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書
「八専」はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水」八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
「八専」は準備期間と言い換えられます。これを機会に新しい計画を立てるなど、八専の作用を存分に活用すれば、物事が確実に成就していきます。いわゆる「準備」、「計画」、「事始め」、の期間が「八専」と言えます。
今のところ逆境にある方が、ここで一大決心をすると、大自然が味方になって、良い作用が発現した例を数多く聞き及びます。
体調を崩しやすい時期です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月17日「彼岸入り」~3月23日「彼岸の明け」です。■
「彼岸:ひがん」とは、雑節の一つで、春は春分の日を挟んだ前後3日づつの計7日間、秋は秋分の日を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会(ひがんえ)のことをいいます。
彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。彼岸の七日間にわたって行われる法要、法会のことを、彼岸会(ひがんえ)といい、諸寺では彼岸仏事が行われます。
彼岸には先祖の霊を供養し、墓参りが一般的ですが、これは日本独自の風習に仏事行事が結びついた日本独特のものです。昼と夜の長さが等しい「春分」「秋分」の日は「陽が真西に沈む」ことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。
遥か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが、彼岸の始まりです。中国伝来の念仏「心に極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変わることを願う」の意。日本には、大同1年(806)崇道天皇(早良親王)の慰霊が行われたのが始まりです。ここから法要を営み祖先を祀る行事へと変化していきました。
彼岸の名称は、仏典の波羅蜜多(はらみつた)という梵語の漢訳「到彼岸」という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るという意味です。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸(しがん)」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸(ひがん)」といいます。
彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。
****牡丹餅、お萩****
彼岸の供物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は、米を炊いて軽くついてまとめ、餡で包んだもの。春は「牡丹の花」が咲くことにちなんで「牡丹餅」、秋は「萩の花」が咲くので「御萩」といいます。 文永8年(1271)「日蓮」(鎌倉時代の僧)は鎌倉幕府に対して「法華経を信じなければ、国難が続くであろう」と予言したため、平左衛門尉頼綱により佐渡流罪の名目で捕らえられ、鎌倉龍ノ口の刑場で処刑されることになってしまいました。
尼が「最後のご供養を」と、きな粉と胡麻をまぶした牡丹餅を作り、日蓮に献上しました。
処刑されかかったところ、辰巳(南東:巽)の方位より戌亥(北西:乾)の方位へ雷光響き渡り、刀が折れるという怪異が起こります。日蓮は難を免れ、佐渡に流罪となりました。後に赦免となって鎌倉へ戻り、布教活動を続けたと伝わります。
日蓮宗では「御難の餅」と呼んで胡麻の牡丹餅を供えます。「難除けぼたもち」「首つなぎ牡丹餅」とも呼ばれています。
◇◇◇◇編集後期◇◇◇◇
一説には「運がいい・悪い」はその人の徳が現れるそうです。
日ごろの発言、行動が苦しいときの助けになります。平気で裏切ったり自分の我を通すと、思わぬしっぺ返しに遭うものです。
苦難は先祖からの啓示だと思い、甘んじて請ける気持ちで受け入れると、先祖の徳が道を開きます。
お彼岸を機会に先祖供養とともに、常日頃から生きていることに感謝の気持ちを持ち続けましょう。
暖かさと寒さが交互にやってきます。
暖かい日和の昼間は気持ちのいい季節になりました。油断から薄着をして、お風邪などお召しにならないようになさってください。
時節柄、皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月17日「甲子(きのえね)」です。■
「甲子:かし・かっし・きのえね」とは、甲子待ち・甲子祭の略称。子祭ともいいます。五行説で「甲」は陽の木、「子」は陽の水で五行相生して吉となり、よい組み合わせです。また十干十二支(じゅっかんじゅうにし)の組み合わせ60種のうちの「1番」で、目出度い日とされています。
この日、甲子待ちと称して子の刻(午後11時~午前1時)まで起きて、大豆・黒豆・二股大根を食膳に供え、大黒天を祀ります。子(ね)を、ねずみと結びつけ、ねずみを大黒天の使いであるとみなして、子の日に祀るようになりました。甲子(きのえね)・庚申(こうしん)・己巳(つちのとみ)は、江戸時代に商家で盛んに行われました。現在でも各地に行事として残っています。
甲子は、日では60日で循環し巡り、年では60年で循環し巡ります。中国では甲子の年は政治上の変革があるとされ、甲子革命が説かれたりしました。日本でも甲子の年には、元号の改元が議論されたりしました。
また、甲子の年に政変が多く起こり、年号が変わることがあります。
今年に入り2回目の「甲子」です。もうすぐ4月です。計画はお早めに!
読者の皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月14日(旧2月2日)「二日灸」です。■
「二日灸:ふつかきゅう」とは、旧暦2月2日に据える「お灸」のことです。もともとは、年が明けて初めて据える灸のことをいいました。2月と8月の年2回としているところが一般的です。旧暦8月2日には 「灸」をすえて悪病災難除けをする習慣があります。
俳句の季語に使われていることから二日灸は一般的な風習だったようです。または「春の灸」とも。もともと節句の一種だったという説と、中国の「天灸」から来ているという説があります。

「天灸:てんきゅう」は、子供のおでこに「×」や「+」の印を書いて、無病息災を願った呪い(まじない)です。灸と言えばその昔の「お仕置き」の定番でしたが、日本の二日灸もこの日に灸を据えれば「悪病災難に遭わずに元気に過ごせる」という縁起を担いだ呪いでした。
◇鍼灸治療伝来の起源◇
鍼灸治療の起源は古く、中国の殷王朝・周王朝(紀元前1500~700年)時代の黄帝とその家臣が、幾多の問答をしながら薬理の集積を編述した、といわれる医学原典が世界最古の黄帝内経書の素問と霊枢で、この原典の霊枢編には鍼灸が詳しく記されています。
日本には仏教とともに伝えられ、飛鳥時代の欽明天皇の時、中国・呉の国から薬書・明堂図などの鍼灸医書が渡来しました。以来、明治維新までは医学の中枢を担っていました。
◇貝原益軒の養生訓◇江戸時代の儒学者「貝原益軒:かいばらえきけん」の教育書「養生訓:ようじょうくん」には「脾胃(ひい=胃腸)が弱く食が滞りやすい人は毎年2月・8月に灸をするとよい」と書かれています。
その理由は「脾胃が虚弱で食べ物が滞りやすく、またよく下痢をする人は、これは陽気が不足しているからである。こうした人は特に灸がよい。火気をもって土気を補うと、脾胃の陽気が発生して循環がよくなり、食も停滞しないで食欲も盛んになって元気が増える」と。
また、灸を据える位置については「天枢・水分・脾兪・腰眼・三里・京門・章門・天枢」が効果的と書かれています。
◇芭蕉の三里、三里のツボは胃のツボ◇
松尾芭蕉が旅に出るとき「三里の経穴(ツボ)」に灸を据えたことは「奥の細道」にも書かれています。「ももひきの破れをつづり、傘の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて...」と。三里に灸の痕がない者とは旅をするな、ともいわれていました。
江戸時代には養生のためにお灸を据えるのは常識でした。足三里は胃のツボで、消化器の働きの調節や血液成分への好影響、呼吸機能の増大、免疫機能の活性化、内分泌系や自律神経系への影響など広範囲に渡る効用があります。

足三里に灸を据えることを「健康灸」というそうです。三里のツボは、膝蓋骨の下端から骨度法で三寸のところ。膝関節の皿の直下にできるくぼみに人さし指を添え、人さし指・中指・薬指・小指を揃えた指幅4本分下がったところです。
「3」という数字は「天・地・人」「上・中・下」などのように「総て」を表し、「里」とは「理」のことで「整理する」「筋道を立てて治める」の意です。三里というツボの名前は「身体全体(三)を調える(里)」からきています。
◇直接灸はプロの技「伊吹もぐさ」◇
現代でも、症状によっては「灸」を施します。しかし、灸は熱くて痕が残るのが欠点。そこで、熱さを緩和するための「間接灸」が流行しているようです。但し、灸は「直接灸」のほうが効果があるらしく、直接灸でも痕を残さずに据えるのがプロの技だとか。
灸に使う「もぐさ」は、蓬(よもぎ)の別名。灸に使う蓬の葉を乾燥して綿状にしたものを「艾」(もぐさ)と表記しています。滋賀県・伊吹山麓で採れる「伊吹もぐさ」が有名。
◇もぐさ屋・亀屋左京、番頭・福助◇「もぐさ屋・亀屋佐京」に、江戸後期の頃、「福助」と言う名の番頭がいました。その番頭・福助は、大きな頭と背の低い身体に裃(かみしも)の礼装をして、深々とお辞儀する「伏見人形」で知られます。福助足袋の登録商標「福助」のモデル。
番頭・福助は正直一途で、感謝の心を常に忘れず、いつも顧客に真心で接したため、商は大いに繁盛しました。伏見の人形屋がこの話を聞き「福を招く縁起物」として売りだすと、これが大流行し、どの商店の店先にも飾られるようになったのです。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
これから春に向かって体が緩む時期に入ります。寒い冬の間に硬くなった体をお灸で緩めましょう。体の奥から疲労が取れて新しい息吹きが湧き上がってきます。
寒暖のある日が続きます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月14日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
暦の上では、二十四節気「啓蟄」です。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月14日(旧2月2日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■3月13日「庚申(こうしん)」です。■
「庚申:かのえさる・こうしん」は、「庚申待ち:こうしんまち」、「宵庚申:よいごうしん」、「庚申祭:こうしんさい」などを総称していう言葉。干支の組み合わせ57番目。八専の9番目。年に6~7回あります。五行説では「庚:かのえ・こう」は「陽の金」、「申:さる・しん」も「陽の金」性であることから、この日は「金気」が重なって天地に充満して冷ややかになり、人心が冷酷になり易いとされます。
昔は「天地万物の気、庚申の日に変革される」と思われていて、最も重要な忌日でした。
また、庚申に続く「辛酉:かのととり・しんゆう」も金が重なる日で、さらに陰の金が重なるので冷ややかさを一層増すというのです。このことから「庚申」「辛酉」の年はおおいに忌(い)まわれ、政治的変革が起こることを防ぐために2年続けて改元が行われることもありました。<例>万延元年(1860)文久元年(1861)など。
「庚申」はもともと中国の道教の伝説からきた禁忌(きんき)※です。人間の体内には「三尸(さんし)の虫」が、頭と腹と足にいて、いつもその人の悪行を監視しています。60日ごとに巡る庚申の夜、人間の睡眠中を伺って体外に抜け出し、天に昇って天帝にその悪事を報告するという。そして、人間の命を短くするのです。
これをさせないために、庚申の晩は神々を祀り、酒盛りなどをして夜を徹しました。村の中心をなす家に集まり、祭祀をしたあとに会食を行いました。
※禁忌(きんき):習慣的に禁止したり避けたりしていることそのものを指す。またはタブー日本に伝わったのは、古く朱雀天皇の天慶2年(939)、または、文徳天皇のときに、智証大師が持ってきたものと伝わります。「枕草子」にも庚申待ちの話が登場します。江戸時代に入って民間で盛んに行われるようになり現在でも各地に「庚申塔」が残されています。
仏教では、庚申の本尊を「青面金剛:しょうめんこんごう」および「帝釈天:たいしゃくてん」に、神道では「猿田彦神:さるたひこのかみ=天狗さま」に結び付けています。
旧暦の月で選日を行うため、庚申の日は1年に5~7回あることになります。7回あるのを「七庚申」といって非常に喜びました。このことから庚申待ちの夜は「七色の菓子」を供えたり、七度線香をあげ、七回真言のお題目を唱えたりするようになりました。
また、申と猿が結び付いたことから、猿を庚申様の使いに見立て「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿信仰:山王信仰」にもなっていきました。

さらに、申と「去る」が結び付いて、この日は結婚を忌む風習もありました。この夜に出来た子供は泥棒になるとか。この夜は男女の和合をしてはいけないなどとも言い伝えられています。
庚申の日は「帝釈天の縁日」になっています。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
商品相場や株の世界では「庚申の逆張り」「庚申の曲がり角」などと縁起を担いでいます。 予想の出来ない動きになるということです。 残念ながら、庚申は現代社会では迷信の域にはいってしまった暦日です。日々の戒めに謂われを振り返ってみることも余裕の一つです。
皆様、これから季節の変わり目で体調を崩し易い頃です。くれぐれも油断から体調を崩さないよう、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月10日(旧1月27日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■3月7日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
3月に入って上旬の一粒万倍日です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続きます。
3月は年度替わりで企業の決算や入学、新旧、卒業など、慌ただしい月なのに、コロナワクチン接種、緊急事態宣言の解除、夏には一年遅れのオリンピックなど慌ただしい3月です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月5日~3月16日「八専(はっせん)」です。■
暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。同じ気が重なることを「専一」と言いい、それが8日あることから「八専」と呼びます。八専の期間には同気の重ならない日が4日あり、これを「八専期間中の間日(まび)」と呼びます。
1日目/壬子 =水水、 ←水の気が重なる
2日目/癸丑 =水土、 間日(まび)
3日目/甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
4日目/乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
5日目/丙辰 =火土、 間日(まび)
6日目/丁巳=火火、 ←火の気が重なる
7日目/戊午 =土火、 間日(まび)
8日目/己未=土土、 ←土の気が重なる
9日目/庚申 =金金、←土の気が重なる
10日目/辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
11日目/壬戌 =水土、 間日(まび)
12日目/癸亥 =水水、 ←水の気が重なる
間日(まび):このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。
古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」※には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入っ
※淮南子=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年:写真中央)が、学者を集めて編纂させた思想書
「八専」はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水」八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今回の「八専」が終ると、もうすぐ4月節二十四節気「清明」です。余裕ができるこの機会に新しい計画を立てるなど、八専の作用を存分に活用すれば、物事が確実に成就していきます。いわゆる「準備」、「事始め」の期間が「八専」と言えます。
難しい問題や逆境にある方が、ここで一大決心をすると、大自然が味方になって、良い作用が発現した例を数多く聞き及びます。
今年は桜の開花が早く、春の訪れが早くなったような天気予報でしたが、寒の戻りもあったり、朝晩は冷え込む日があり体調を崩しやすい時期です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■3月4日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。
※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。
江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。
このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。
三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。
・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日
建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
■3月3日「上巳」「ひな祭」「桃の節句」です。■
「上巳:じょうし」は五節句※の一つで、旧暦3月3日の称。上巳とは、旧暦3月の「上旬の巳(み)の日」のこと。元巳(げんし)ともいいます。
古来中国の三国時代「魏(ぎ):220~265」以来3月3日を上巳とし、この日、川で身を清め不浄を祓う習慣がありました。
日本には平安時代に取り入れられ、宮中では「曲水の宴」を張り、祓えを行うようになりました。やがて宴はすたれましたが、上巳は「巳の日の祓(はらえ)」として貴族の間に定着していきました。これを「上巳の祓」といいます。
「形代・かたしろ」(人の形をした紙の人形)を作って、これに穢れ(けがれ)を移し、川や海に流して不浄を祓います。日本各地に残る「流し雛」の風習の原型です。

上巳の祓は、江戸時代以降に「雛祭り」として急速に庶民の間にも広まり、後に上巳は3月3日の雛節句をさす言葉として使われるようになりました。
「雛祭り・ひなまつり」は、女の子のいる家庭で、雛人形やその調度品を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花などを供えて祭る行事です。「雛節句」「桃
の節句」とも呼ばれ、女子の健やかな成長を願います。
雛まつりの起源は、京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ平安時代の「雛あそび」がその始まりとされています。やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代になると上巳は五節句の一つに定められ、庶民の人形遊びと節句が結び付いて行事となって発展しました。
雛人形もだんだんと華美になり、徳川幕府は「雛や調度品に金銀箔を用いないよう」御触書を出して戒めたほど。明治以降は次第に華やかになり、賑やかに行われるようになりました。
女の子が生まれて初めて迎える節句を「初節句」といって特に祝います。母親の実家から雛人形や調度品が贈られます。
「雛の膳」とは、雛祭りに際し、雛壇などに供えられる祝い膳のこと。欠かせないのが「桃の酒」と「白酒」です。桃の酒は桃の花を浸した酒で、3月3日に飲めば百病を除くといわれます。
桃は、古代中国では邪気を祓う「仙木」と考えられていましたので、桃の酒を飲む習慣が出来ていました。日本でも魔除けとして桃の木を用いることが多く、神符なども「桃符」と呼ばれることがあります。
桃の葉は、汗疹(あせも)やタダレに効き目があり、よく浴湯に入れてこれを「桃湯」といいました。葉の汁を飲むと魚の中毒を緩和するとして、古来より用いられていました。
桃の酒に「白酒」がそえられたのは、やはり紅白が目出度いとされたからとか。白酒は、みりんに蒸した米や麹を混ぜ合わせ熟成糖化させたもので、甘味が強く白く濁った酒です。または山川酒とも。
「菱餅」は、伸し餅を菱形に切ったもので、普通は紅白緑の三層です。赤の梔子(くちなし)は解毒剤、白は血圧低下剤、緑の蓬(よもぎ)は増血剤になっています。また、菱餅の形は心臓の形を表したとの説も。何気ない供え物の中にも、娘の長命を願う心が生きています。
※五節句※
五節句は、中国の暦で定められた季節の変わり目のことです。3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)のように奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、1月7日(人日)を五節句にしています。
五節句は明治6年に廃止されましたが、暦の上では年中行事のとして定着しています。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆早くもカレンダーの上では3月です。上巳は子供の健康と成長を願う親の気持ちがにじみ出ています。古今、地域が違っても子供の成長を願う親の気持ちには変わりがないようです。
3月5日には節変わりで「啓蟄」です。日に日に春を感じられるようになります。
筆者敬白
■3月3日(旧1月20日)「旧二十日正月」です。■
「二十日正月:はつかしょうがつ」とは、正月の終わりとなる節目の日。この日をもって正月行事は終了とします。正月祝いの納めとして仕事を休む「物忌み」の日。
正月にお迎えしていた山の神さま、田畑の神さまがお帰りになる日と考えられていました。神さまがお帰りになるので前夜の十九日晩には、尾頭付きのお膳や、小豆御飯をお供えする地方もあります。
この日には正月の飾り物などは外して、正月行事を締めくくる日とされています。世知辛い現代では、20日まで正月の習慣はすっかり無くなっています。
京阪神地方では、正月に用いた鰤(ぶり)の骨や頭を二十日の間、酒粕の中に入れておき、この日に取り出して、牛蒡(ごぼう)や大根、大豆などと一緒に煮て食べます。このことから「骨正月」「頭正月」と呼びます。
東日本では「棚探し」、岐阜県では「フセ正月」、石川県では「乞食正月」、岩手県では「二十日ワッパカ」といって、正月のご馳走や餅などを食べ尽くす風習があります。◆暦の上では十一日に行われることの多い「鏡開き」ですが、江戸時代の初期の頃、この日が鏡開きの日でした。
この日は武家の象徴である、鎧兜・具足に供えた餅をお雑煮にして食しました。これを「具足開き」と呼んで祝いました。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
正月七日の「七草」、十一日、十五日と「正月終い」の行事はそれぞれですが、正月終いの行事もこの二十日正月でいよいよお開きです。旧暦でも同じ流れです。
既に今年の目標を立て日々精進している皆様はさて置き、いまだ正月気分の抜けていない方は1月20日に今年の目標を立てて邁進してください。
三日坊主にならないような目標が大切です。今年こそはと毎年志を立てても、挫折の連続だと嘆いている貴方、それこそ「今年こそは」と志を高く持ちましょう。太陽暦では正月ではありませんが、今から目標を立てることも余裕の一つです。
筆者敬白
■3月2日(旧1月19日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。
※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■2月27日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
今回の「一粒万倍日」の前々日は「雨水」でした。春の息吹tが感じられる、縁起のいい日です。何かを始めるにはとても良い日です。
体調管理の難しい季節です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■2月26日(旧1月15日)「旧小正月」「旧小豆がゆ」です。■
「小正月」は元日を「大正月」と呼ぶのに対する俗称で、近畿地方では「女正月」ともいいます。
月の満ち欠けを日付の基準にした「旧暦」では、1年の最初の満月の日「旧暦1月15日」が正月でした。
しかし、新暦が採用されてからは、1月1日を1年の初日としました。そこから「元日を大正月」「15日を小正月」と呼ぶようになったのです。

大正月の「門松」に対して、小正月には「餅花や削り花」などを飾ります。餅花とは、餅を薄くのばして丸く平たく切って彩色したもの。削り花とは、神仏などに供える飾り棒のことです。「花正月」とも呼びます。
◇小豆がゆ◇
小正月の朝、五穀豊穣を願う農耕儀礼のひとつとして「小豆がゆ」を食す習わしがあります。
古く「土佐日記」や「枕草子」などにも、小豆粥を食べたことが記されています。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「小正月は」旧暦から新暦を採用してからの慣習で、明治以降の暦に載りました。皆様、旧暦の小正月の今日、小豆がゆを食して枕草子の時代に思いをはせましょう。
暦を詠みその日の生活習慣から歴史を感じることも文化人なりの余裕のひとつです。
筆者敬白
■2月22日(旧2月2日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。
※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■2月22日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。「天赦日」「甲子」と重なりますから特に良い日でしょう。◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今日は「一粒万倍日」です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
暦の上では二十四節気「立春」が過ぎ、寒さの中にも春の気配を感じる日々です。2月後半の梅まつりや椿まつりなど春の花にまつわる祭礼が続きます。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白



暦は時代とともに解釈や内容が変化していきます。 「七草」などは暦が生活に密着している証です。
■2月15日「二の午(にのうま)」です。■
天界より宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ:稲荷大神)が伊奈利山(稲荷山)に天降りて、三ヶ峰に初めて鎮座した「和銅4年(711)午の日」の祭りは、2月の最初の午の日を「初午」といい、次の午の日を「二の午」といって稲荷の縁日が行われます。
稲荷神は日本の神さまで、稲荷大明神ともいい「お稲荷さん」「お稲荷様」と呼ばれ親しまれています。
「稲荷信仰:いなりしんこう」は江戸時代に最も盛んでした。江戸に多いものとして「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」と数えられたように、江戸にはいたるところにお稲荷さんがありました。

有名な稲荷神社の他に旗本、大名などの武家屋敷には必ず稲荷祠があり、町家の裏庭や長屋にも守り神として祠がありました。
もともと、午の日は子供の祭りで、武家屋敷では近隣の町家の子供たちを招いて遊ぶことを許したり、団子や甘酒、鮨、菓子など振舞っていたようです。現在は産業全般の神として信仰されています。
稲荷神社の総本社は、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」です。また、神仏習合思想においては仏法における荼吉尼天(だきにてん)が本地仏とされ、その総本社は豊川稲荷(とよかわいなり)です。
「荼枳尼天:だきにてん・荼吉尼天」は仏教の神。荼吉尼は梵語のダーキニー(Dakini)を音訳したもので、もとはインドの女神でした。もともと農業の神でしたが、のちに「性や愛欲を司る神」とされ、さらには「人肉もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神」とされるようになりました。
ヒンドゥー教では、カーリーの眷属※とされます。この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとしています。
自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べるといわれています。※眷属:仏に対する様々な菩薩などを指す語として用いられ、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆などを指す。
伏見稲荷大社
◇京都市伏見区深草藪之内町68
◇公式Web:http://inari.jp/
豊川稲荷(圓福山豊川閣妙厳寺)
◇愛知県豊川市豊川町1
◇公式Web:http://toyokawainari.jp/
■2月15日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
頻繁にある割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。ひと月に数回あります。
早くも「立春」を過ぎ、寒さの中にも春の足音が聞こえてきます。
季節は春への変わり目です。コロナはもとより風邪などお召しにならないように、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

そのかわり、この期間中は日遊神が地上に降りて家の中に留まります。屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、清潔にしておかなければなりません。
天一神は方角神のひとつで、中神(なかがみ)ともいい、地星の霊で荒神です。天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。

「天一神の遊行日」
■乙卯から5日間...卯(東)
■庚申から6日間...巽(南東)
■丙寅から5日間...午(南)
■辛未から6日間...坤(南西)
■丁丑から5日間...酉(西)
■壬午から6日間...乾(北西)
■戊子から5日間...子(北)
■己酉から6日間...艮(北東)
この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。

もうすぐ二十四節気「雨水」です。天一天上は日常ではあまり気にされない歴注です。暦の中には、現代では見過ごされしまう日や、発祥がわからないものが数多くあります。天一天上もその一つかもしれません。
現代のようにPCが発達していなかった頃、商品相場の世界で「天一天上」はよい日として知られていました。携わる人の経験的なデータだと言えます。これを勘というのかもしれません。
寒い日が続いています。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■2月14日(旧1月3日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。
※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

一般の人達にとっては「年神:としがみ=歳神」が来臨するのを祝う「神迎え:かみむかえ」としての大切な行事でした。それぞれの家々には様々な祝い方があり、神社仏閣に初詣に行ったり、晴れ着をつけ屠蘇をいただき、御節料理や雑煮で祝ったりしてきました。
※「旦」は「朝」の意。元日の朝の時間帯を「元旦」と呼ぶのが正しい。「正月」は「1年の初めの月」をいいますが、新年の祝いや行事をも指します。1月を正月と呼ぶのは、「正」が年の初め、年の改まるの意に由来します。そもそも「正月」は「盂蘭盆」と対応するもので、半年ごとに先祖の魂を迎えて祀る性質の行事でした。現在でも年頭墓参の行事が残っている地域もあります。
仏教の影響が大きくなるにつれ、盂蘭盆は先祖の供養など仏教的行事の意味合いが濃くなっていきました。正月は神祭りとしての意味合いが強くなり、年神様を迎え新年の豊作を祈る月として、年神の祭りとして性格づけられるようになっていきました。
◆正月とは◆
正月1・2・3日を「三が日」、これは現代でも一般的です。
元日~7日までを「大正月」または「松の内」といいます。
1月7日は「七日正月=七草の節句」、七草粥を食します。
15日は「小正月:しょうしょうがつ=二番正月」、
20日は「二十日正月:はつかしょうがつ=骨正月」と呼ばれ、それぞれを祝う風があります。
一般に正月の終わりは20日とされています。「新年」とは新しい年・1年のはじめをいいます。暦法によって様々ですが、太陽暦では冬至を過ぎた頃に設定され、旧暦(太陰太陽歴)では立春の頃としています。
「元日節会:がんにちのせちえ」は、朝廷の年中行事の一つ。正月1日、朝賀のあと天皇が文武百官を大極殿・豊楽院(紫宸殿)・豊明殿などに招いて、行った年始の宴会のことです。奈良時代の初めには行われ、明治維新までの1200年間も続いた行事です。天皇が豊明殿に出御されます。
はじめに諸司奏と称する諸国の豊作の吉兆を天皇に申し上げる儀式が行われ、中務省が七曜暦※を奉ります。
※七曜暦:「七曜具注暦」のことで七曜(日月火水木金土)が記入された暦。
次に、宮内省が「氷様:ひのためし」と「腹赤贄:はらあかにえ」を奉ります。氷様は、氷室に納めた氷を取り出してその厚さを天皇に申し上げる儀式で、氷が厚いほど目出度いとされました。腹赤とは鱒(ます)のことで、食いかけの鱒を順に取り伝え食べる儀式です。
後に、皇族・各将・各省大臣・各国大使などが饗座につき、三献の義、奏楽などが行われます。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆旧暦では正月でも既に2月で、正月気分もすっかり抜けています。もうすぐ節分で立春です。旧暦を採用しているアジア各国ではこの時期に正月休みが多く、日本への観光客が増える時期に寒い季節で、インフルエンザや風邪が流行しています。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■2月11日(旧12月30日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。
※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白
■2月10日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。
2月の一粒万倍日です。二十四節気「立春」で、これから徐々に春になっていきます。
通勤電車の中でマスクをしている方や咳をしている方をお見受けします。体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■2月8日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。
※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。
江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。
このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。
三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。
・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日
建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
■2月5日~2月14日「十方暮れ」入りです。■
「十方暮れ:じっぽうぐれ・じゅっぽうぐれ」とは、干支を五行に配当したときに「上下互いに尅(こく)する」干支「甲申~癸巳」までの10日間のことをいいます。但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。
1日目 甲申=金尅木
2日目 乙酉=金尅木
3日目 丙戌=火生土(間日)
4日目 丁亥=水尅火
5日目 戊子=土尅水
6日目 己丑=土和土(間日)
7日目 庚寅=金尅木
8日目 辛卯=金尅木
9日目 壬辰=土尅水
最終日 癸巳=水尅火
十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。
正確には四正(しせい)方位「東西南北」と、四隅(しぐう)方位「南東・南西・北西・北東」の八方位に「天地:てんち」を合わせた十方位のことです。または「十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に存在する世界の全てのことを示します。
そして十方が「四方八方閉ざされた状態」を「十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。または「十方暗」「十方闇」ともいいます。
それにしても、やはり「とほうくれ」と読みたくなるほど、うまくいかなく「途方に暮れる」期間なのでしょう。十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。
◇◇◇十方暮れ心得◇◇◇「十方暮れ」は暦の上で発祥は定かではありませんが、五行説では相性の合わない日とされています。この時期、雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気が続きます。
転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。
なかなか進まないことに業を煮やして、一挙解決に向けて事を起こしても逆効果です。解決どころか反対にこじらせて損失を招く恐れがあります。十方暮れ期間中は、あわてずに「過ぎるを待つ」が最大の解決方法です
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
十方暮れは二十四節気「雨水」前です。十方暮れの期間は手を尽くし、静かにじっと待つことも、問題解決です。静かにしていれば薄日が指すのがおのずと感じらるものです。
十方に暮れるとは、「人事を尽くして天命を待つ」の考え方を、暦に取り入れたのかもしれません。
皆様、「ないと思うな運と災難」、時節柄お身体ご自愛専一の程
筆者敬白
■2月3日「初午(はつうま)」です。■
天界より宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ:稲荷大神)が伊奈利山(稲荷山)に天降りて、三ヶ峰に初めて鎮座した「和銅4年(711)午の日」の祭りは、2月の最初のを午の日を「初午(はつうま)」といい、次の午の日を「二の午(にのうま)」といって稲荷の縁日が行われます。
稲荷神は日本の神さまで、稲荷大明神ともいい「お稲荷さん」「お稲荷様」と呼ばれ親しまれています。

「稲荷信仰:いなりしんこう」は江戸時代に最も盛んでした。江戸に多いものとして「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」と数えられたように、江戸にはいたるところにお稲荷さんがありました。
有名な稲荷神社の他に旗本、大名などの武家屋敷には必ず稲荷祠があり、町家の裏庭や長屋にも守り神として祠がありました。
もともと、午の日は子供の祭りで、武家屋敷では近隣の町家の子供たちを招いて遊ぶことを許したり、団子や甘酒、鮨、菓子など振舞っていたようです。現在は産業全般の神として信仰されています。稲荷神社の総本社は、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」です。また、神仏習合思想においては仏法における荼吉尼天(だきにてん)が本地仏とされ、その総本社は豊川稲荷(とよかわいなり)です。
「荼枳尼天:だきにてん・荼吉尼天」は仏教の神。荼吉尼は梵語のダーキニー(Dakini)を音訳したもので、もとはインドの女神でした。もともと農業の神でしたが、のちに「性や愛欲を司る神」とされ、さらには「人肉もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神」とされるようになりました。

ヒンドゥー教では、カーリーの眷属※とされます。この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとしています。
自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べるといわれています。
※眷属:仏に対する様々な菩薩などを指す語として用いられ、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆などを指す。
■2月3日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
「一粒万倍日:いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。
宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。
「一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。
但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。
現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。
一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。
・正月...丑と午の日 ・2月...酉と寅の日 ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日 ・5月...巳と午の日 ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日 ・8月...卯と申の日 ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
2月に入り立春です。暦の上では春にはいります。暖かい日が続きます。
中国では春節で人の往来が多くたくさんの観光客が来日して、何かと慌ただしい月ですが、今年のコロナの影響で閑散とした立春です。気候が安定していることから、気も安定していて諸事、取り組みしやすい時節柄です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■2月3日(旧12月22日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。
宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。
文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。
不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白