二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

6月18日(旧5月5日)「旧端午」です。

■6月18日(旧歴5月5日)「旧端午」です。■
180528_39.jpg端午(たんご)は五節句の一つで旧暦5月5日のことで、男子の節句とされています。旧暦では「午(うま)の月は5月」にあたります。この「午の月」の「最初の午の日」のことを「端午:たんご」といいました。
 
また、端午は「午:ご」は「五:ご」と同じ音です。これは、毎月上旬の5日の意も含まれていて「午月の初めの5の日」のことを指します、 

これを「節句」として祝っていたものが、のちに「5が重なる5日」が端午の節句の日になりました。同じように、奇数の「月と日」が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっています。
 
◆端午の始まり◆
端午の習慣は、3世紀の中国で始まったとされています。中国ではこの日「邪気を祓い健康を祈願する日」とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬(よもぎ)で作った人形を家の戸口に飾ったり、菖蒲酒を飲んだりして邪気を祓う行事が行われます。
 
蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていて、現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るしたり菖蒲湯に入る風習が残っています。
 
◆端午の伝来◆
日本には平安時代に伝わり、貴族の間から次第に民間へと普及していきました。菖蒲や蓬を軒に吊るしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いをします。男子のいる家では、鯉のぼりを立て、甲冑・刀・武者人形を飾り、子供の成長を祝うようになったのは、江戸時代以降のことです。

120417_55.jpg端午の日に「・ちまき」や「柏餅・かしわもち」を食べる風習は、中国戦国時代の楚の愛国詩人「屈原」の命日(5月5日)に彼を慕う人々が、汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したことが始まり。また、屈原の亡骸を魚が食らわないようにしたものが「ちまき」の由来とされます。

柏餅」を食べる風習は日本独自のもの。柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」という縁起物として広まりました。また、中国では現在も屈原を助ける為に船を出したことに因んで「龍船節」の祝いとして、手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われます。

◆さつき忌み◆
日本では古くから5月を「悪月:あしげつ」と称して物忌み月でした。田植えの頃に、早乙女が家に籠って身を清め、田の神を迎え祀るといった神事があり、これを「さつき忌み」と呼んでいました。
 
田植えをする早乙女とは、若い女性のことです。若い女性が穢れを祓い身を清めたのですから、「端午」はもともと女性の節句だったものです。宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から「薬玉」(くすだま=薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜りました。
 
5月の節句は、日本古来の「さつき忌み」と、中国から伝来した「端午の節句」が一緒になったものです。
 
120419_57.jpgやがて武家社会に入り「菖蒲」と「尚武」が同音であることなどから、雛節句と対照的に男子の節句となっていきました。立身出世を願い、鯉のぼりや武者人形など、武勇を表すものを飾るようになりました。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今日は旧暦5月5日で「旧端午」です。次の日には暦の上で「入梅」です。
天気予報では今年は暑い夏にになるかも知れないとの予報です。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
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