二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

4月7日「法然上人誕生会」です。

■4月7日「法然上人誕生会」です。■
法然上人:ほうねんしょうにん」は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧侶で浄土宗の開祖。真宗七高僧の第七祖。円光大師、「法然」は房号で諱は源空。幼名は勢至丸。

120318_22.jpg長承2年(1133)4月7日、美作国久米南条稲岡庄(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国(うるまときくに)と、母・秦氏君との間に誕生。夫婦には子供がなかったので観音様に一心込めて子の授からんことを願い、やがて四月七日玉のような男の子を賜ります。誕生の時、空から二流の白幡が舞い降りて屋敷内の椋の木の梢にかかり7日の後に飛び去ったと伝わります。二幡の椋誕生椋と呼ばれます。

保延7年(1141)9歳の時、漆間家は突然、明石源内武者・定明の夜襲を受け父を失いますが、仇として定明を追う事を戒めたうえに「仏道を歩み安らぎの世を求めよ」との父の遺言によって仇討ちを断念。母の弟・観覚得業上人に引き取られ、15歳の時に比叡山の皇円について得度。比叡山黒谷の叡空に師事し「法然房源空」と名乗ります。18歳の頃には多くの経典を読破し、優秀な学僧として将来を嘱望されます。

承安5年(1175)43歳の時に善導の「観無量寿経疏(観経疏)」によって専修念仏に進み、比叡山を下って東山吉水に住み、念仏の教えを弘めました。この年を浄土宗の立教開宗の年としています。文治2年(1186)大原勝林院聖浄二門を論じ(大原問答)、建久9年(1198)「選択本願念仏集(選択集)」著。

法然は特に中国の善導の思想を重視しました。それは「極楽浄土への往生を一心に願い、常に念仏をしていれば、必ず阿弥陀仏がその者を救ってくれる」という思想でした。その教えは、そのわかりやすさから多くの人々の帰依を受けることになります。既成の仏教教団にとっては非常に危険な思想でもありました。その為、法然は弟子たち共に激しい弾圧を受けます。

120318_23.jpg元久元年(1204)比叡山の僧徒は専修念仏の停止を迫り蜂起したので、法然は「七箇条制誡」を草して門弟190名の署名を添えて延暦寺に送りましたが、興福寺の奏状により念仏停止の断が下されました。

建永2年(承元元年・1207)法然は還俗され、藤井元彦の名前で土佐国(讃岐国)流罪となりました。この「建永の法難」では、二人の弟子が死罪になり、法然及び数人の弟子が各地に流罪になりましたが、結果的に浄土系仏教を全国に広めることになりました。

4年後の建暦元年(1211)赦免になり帰京。翌年1月25日死去。享年80歳。1月23日に源智の願いに応じて遺言書「一枚起請文」を記しています。

法然の門下に、證空・源智・弁長・幸西・親鸞・長西らがいます。俗人の帰依者、庇護者として、九条(藤原)兼実、熊谷直実、宇都宮頼綱らが著名。
 
誕生寺
◇岡山県久米郡久米南町誕生寺里方八〇八
◇誕生寺Web:
http://www.d3.dion.ne.jp/~tanjoji/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
誕生寺の公式Webによると、『日本三大練供養の一つ「会式法要」とあります。この法要は古く室町時代から始められ、本格的には元禄時代より奉修されてまいりました。
正式名称は「法然上人ご両親追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」お会式の法会に御縁を結ばれますと、厄病魔は去り、やがて臨終の暁には無苦大往生が得られると、全国から沢山の方々がご参詣されます。』
とあります。
4月に入り季節も過ごしやすい頃です。花見に興じて夜風にあたってお風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

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八木雲水プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
八木雲水
開運占卦気学祐気方位鑑定

「淮南子」(紀元前170年ごろ編纂)を信奉、陰陽家五行説、古神道、納音、暦を観ながら時の政権の為政者、経営者、リーダーの悩みや向かうべき方向を示唆している。 平成6年、畿内にて陰陽道、道教、妙見信仰を教学、「空」の存在を認識し先人の英知を得る。為政者、経営者へ経世在民を指導、信条の「ともに歩む」を基本に、激変する社会環境でこれからの進むべき道しるべを標榜している。

平成21年首相直轄諮問会議「経済政策諮問会議」メンバー、政策立案にも携わり「中小企業金融円滑化法」立案にコメントする。経済書籍、小説など著書15冊以上を出版、42歳で透析患者、55歳で腎臓移手術以来リハビリの成果で健康的な生活が出来るまでに回復した。 令和2年武漢肺炎(新型コロナウイルス)の慢性既往症ある知人が家族にも看取られないまま悲惨な最期を迎えたと知り、一刻も早いコロナ禍の終焉を願っている。

≪宗旨、所属≫臨済宗雲水、町田宗鳳禅師に師事、天河弁財天社たたら講構成員、祐気採りの会斎主

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