二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

4月のお便り

■4月29日~5月5日「佐賀、有田陶器市」です。■
有田陶器市」は、月29日~5月5日まで開催されます。

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明治3年(1870)ドイツの化学者ゴットフリード・ワグネルは、西洋の知識を授けるため有田に滞在し、陶工たちは西洋の窯業知識に多くを学びました。その一つが石炭窯です。それまでは山の斜面に窯を築き、薪で焚く登り窯で焼成されていましたが、平地に石炭で焼くという日本で初めての試みが、ここ有田の地でなされました。これがきっかけとなって、明治後半からは日本の各地に石炭窯が広がっていきました。

また、有田で使う絵具の改良にも貢献。それまで有田焼に見られる藍色の文様は「呉須・ごす」と呼ばれる中国の天然鉱物を使っていましたが、工業的に製造された「コバルト」という絵具の使用法を教えました。これを用いると呉須よりも鮮やかな色が得られ、自由に濃淡が調節できました。しかも、呉須よりはるかに安い絵具でしたので数年で全国に広まりました。

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陶器市の歴史は、明治29年(1896)3月、香蘭社(明治7年設立の有田の磁器工場)社長・深川栄左衛門と、有田磁器窯業組合長・田代呈一の主催で、桂雲寺で開かれたのが始まりです。以来、年1回開かれ、昭和23年(1948)からは4月29日から5月5日の会期となりました。

現在の陶器市は、大正4年(1915)陶磁器品評会の時、協賛行事として開催されていた「蔵ざらえ大売出し」が陶器市の始まりです。初めはお遍路さん相手に窯元や商人が有田焼の半端物を売っていたものを、町青年会のリーダーを務めていた深川六助が陶磁店に呼びかけ、一斉に等外品の蔵ざらえ大売り出しを試みました。福引き券を発行したり、駅まで無料で荷物を運んでやるなどして盛り上げました。

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戦前は品評会が主でしたが、今では陶器市が盛んになり、現在の「有田陶器市」に発展しました。町内約4キロにわたって有田焼の店など約700軒が並び、日本全国から70万人を越える人が訪れる規模となっています。

開催地◇佐賀県西松浦郡有田町
◇陶器市の最寄り駅:JR九州、有田駅・上有田駅
◇期間中の臨時列車「有田陶器市号」や特急「有田陶器市みどり号」が運転
◇西九州自動車道、波佐見有田インターチェンジすぐ
◇公式HP
http://www.arita-toukiichi.or.jp/open.html

■4月29~5月7日「GW:ゴールデンウイーク」です。■
120410_54.jpgゴールデンウィーク:Golden Week」とは、日本で毎年4月末から5月初めにかけての祝日が多い「大型連休期間」のことです。「黄金週間:おうごんしゅうかん」と言われた時期もあります。GW(略)。

一般的に4月29日から5月7日までの期間になることが多く、直前や直後に休日の土曜日、日曜日がある場合は期間がやや長くなります。

この期間は、4月29日「昭和の日」、5月3日「憲法記念日」、5月4日「みどりの日」、5月5日「こどもの日」が国民の祝日であり、また5月1日が「メーデー」で休日になる企業も少なくないことから、この間の平日を休業にすることで、正月休みの次の長期連休になりました。

もともと「ゴールデンウィーク」の名は、映画会社の「大映」が名付けたものです。由来はGWの期間中は、正月やお盆の映画興行と同じくらいの興行の業績が良かったからです。昭和26年(1951)に名付けられました。いわゆる戦後の時代は、映画鑑賞や百貨店での買い物、周辺の行楽地へのハイキングなどの日帰り旅行が一般的な過ごし方でしたが、次第にGW期間の全体を利用した国内旅行や帰省が増え、ついには海外旅行が一般的になりました。

110428_12.jpgしかし、この時期の祝祭日の意義が顧みられなくなる感があることや、教育や勤労に影響が大きいとされ、様々な問題があるともいわれています。

4月からの新しい環境に適応出来ない事に起因する精神的な症状は、無気力、不安感、焦りなどの「うつ病」に似た症状が出ることで、5月の連休明けに起こる事が多いことから「五月病」といわれます。もともとは、厳しい受験競争を勝ち抜いて大学入学を果たした新入生が、その後、目標を失って無気力に陥ることを指したものです。

社会教育」とは、社会において行われる教育のことで、学校教育や家庭教育「以外」の教育のことです。主として青少年および成人に対して行われる組織的な教育活動のことをいいます。社会教育の施設として、公民館・図書館・博物館・美術館・体育施設・公園・児童遊園・視聴覚ライブラリーなどがあり、これらの施設を活用して、社会教育活動が行われます。

現在では「社会教育」に換えて「生涯学習」という場合も多く、近年の行政庁では社会教育を担当する部署名を「生涯学習課」と呼ぶことが多くなりました。4月29日~5月5日は「社会教育週間」となっています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年は来日する外国人観光客も、記録を始めてから最高になりそうです。また、GWに海外旅行に行く方々も増加傾向で、JTBによると近年のGWで最大の出国者数になりそうだそうです。
暖かくなったとはいえ季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月29日「京都、壬生狂言」です。■
120406_40.jpg律宗の寺院「壬生寺」は、正暦2年(991)三井寺の快賢僧都により創建され、小三井寺と呼ばれていました。正安2年、壬生寺中興の祖「円覚上人」が仏の教えを身振り手振りの無言劇に仕組んだ「壬生大念仏狂言」を創始して栄えたと伝わります。

新撰組ゆかりの寺でも知られます。本尊は「地蔵菩薩立像」(重文)。
 
壬生狂言壬生:きょうげん」は、鎌倉時代からの伝統行事で、壬生寺で行われる「壬生大念佛会」で演じられる狂言のこと。正しくは「壬生大念佛狂言」といいます。「壬生さんのカンデンデン」という愛称で親しまれ、重要無形民族文化財に指定されています。
 
130411_20.jpg円覚上人が、悪疫祓いの為に「鎮花(はなしずめ)の法会」を行ったことから始められたと伝わります。鎮花の法会は、京都に疫病が流行ると、悪魔が花びらに乗って飛散し、人々を悩ましていると信じられていたことから、疫霊の心を鎮めるために行われました。
 
念佛の真意と功徳を大衆にわかりやすく伝えるための手段として、法会に狂言が用いられました。身振り手振りの無言劇に「持斎融通念佛」(じさいゆうづうねんぶつ)を仕組んだものを披露します。
 
すべての演者が仮面を付け、鐘・太鼓・笛の囃子に合わせて、一切の台詞を用いずに演じられ、勧善懲悪・因果応報の理を教える宗教劇としての性格を表しています。
 
境内の専用舞台に於いて、炮烙割(ほうらくわり)の狂言によって幕を開けます。足の運びに合わせて「ガンデンガンデン」と単調なリズムの囃子が入ります。
 
120406_41.jpg狂言は、朝・昼・夜の勤行のうちの「昼の勤行」として御本尊:延命地蔵菩薩に奉納されるものです。最終日の夜の部をもって「結願」とします。

壬生狂言は演劇の面でも発展をとげています。壬生大念仏講によって伝承されている壬生狂言は、本来発祥の宗教劇からレパ-トリ-をひろげて現在では30番の演目があります。昭和51年には国の重要無形民俗文化財として、京都では第1番に指定をうけました。また、壬生狂言を演じる大念仏堂は、昭和55年に国の重要文化財に指定されました。

壬生寺
◇京都府京都市中京区坊城通仏光寺上ル
◇JR「京都駅」バス約20分「壬生寺道」下車
◇壬生寺Web:
http://www.mibudera.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
日本では、昭和の終わり頃まで文盲の方がいらっしゃいました。それはそれで幸せだったのかも知れません。文字を知り、コミュニケーションツールが発達したことで、あらぬ誤解や思惑が人の気持ちを惑わします。壬生狂言をご覧になることで、純粋な仏の教えに出会えることでしょう。
・・・請け売りのにわか説法でした。

4月29日から5月5日まで壬生狂言は期間中毎日演じられます。30の演目がある壬生狂言、どの演目が演じられるかお調べの上お出かけください。
読者の皆様、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月29日「昭和の日」「旧天長節」です。■
120410_49.jpg昭和の日」は、国民の祝日のひとつ。昭和天皇の誕生日です。定義・趣旨には「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とあります。

昭和64年(1989)1月7日、昭和天皇崩御により祝日法の「天皇誕生日」に係る項目の改正が行われ「みどりの日」という名称の祝日に改められました。後、国会での審議を経て平成19年(2007)から「昭和の日」と改まりました。「みどりの日」は5月4日に移動。

昭和天皇は、明治34年4月29日、大正天皇の第1男子として東宮御所にてご誕生されました。名は「裕仁(ひろひと)」。印は「若竹」。称号は「迪宮(みちみや)」。明治45年7月30日、

明治天皇の崩御により皇太子となられました。

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13年、久邇宮邦彦(くにのみやくによし)王の第1女子「良子(ながこ)女王」とご結婚。大正15年12月25日、大正天皇の崩御により、第124代天皇に即位。昭和3年、京都にて即位の礼と大嘗祭の大礼が執り行われました。


昭和64年1月7日、吹上御所において崩御。御歳87歳。歴代の天皇の中で在位期間が最も長く、また最も長寿でした。平成元年2月24日、新宿御苑にて大喪の礼が行われ、武蔵野陵墓地にて葬場殿の儀などが執り行われました。御陵名は、武蔵野陵(むさしののみささぎ)です。

120410_50.jpg国民の祝日制定以前は「天長節」と呼ばれる四大節の一つでした。天長節は奈良時代、光仁天皇の宝亀6年(775)9月の詔勅によって初めて行われ、その後中断していましたが明治元年に再興されました。

明治天皇の誕生日は9月22日(旧暦)でしたが、太陽暦採用後の明治6年以降は11月3日に変更されました。大正天皇の誕生日は8月31日、昭和天皇の誕生日は4月29日です。「天長節」に対し、皇后の誕生日を地久節」として祝っていましたが、現在は廃止されています。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
昭和の日になると昭和天皇を連想します。印象深いのが、やはり玉音放送で、現在でも語り継がれています。既に崩御されて四半世紀を経ていますが、激動の時代を生きた功績を一寸振り返ってみましょう。昭和史を振り返るには、九段にある「昭和館」や靖国神社に併設されている「遊就館」などが参考になります。
東京オリンピック、昭和恐慌、大阪万博、満州事変、大東亜戦争、高度経済成長、オイルショック、不動産バブルなどなど思い出すだけで何があったかわかるような近代史が続いています。

読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月29日「御嶽山大教 火渡祭」です。■
130411_22.jpg御嶽山:おんたけさん」は、長野県木曽郡木曽町王滝村と岐阜県下呂市の境目にある山で、木曽御嶽山御岳。標高3067m。日本百名山の一つ。古くから信仰の山として畏敬を集めてきた峰々は、いくつもの峰を連ねる連山で活火山です。


御嶽信仰の発祥は、古代の山岳崇拝の思想に遡ります。すなわち、神代の時代に山そのものを神とあがめて崇拝した古代人の原始宗教に端を発したものであり、その後、大和の役小角行者:やまとのえんのおづのぎょうじゃ(大峰山開闢神変大菩薩)を開祖とする修験道と結ばれ、奈良時代から鎌倉時代

にかけての修験道全盛期を経て、後に独自の御嶽信仰の形成に至ったとされています。


120410_44.jpg御嶽教の祭神は「大己貴命:おおなむちのみこと」、「国常立尊:くにとこたちのみこと」、「少彦名命:すくなひこなのみこと」を御嶽大神と称して祀ります。


「火渡祭」は、御嶽教の行のひとつで、「白蛇神社」で行われる「火渡り・刃渡り」は、5月3日正午からです。災難除けの鎮火祭という祝詞を上げ、陽木(杉、松、檜などの目出度い木)の薪、長さ2尺1寸36束を並べて燃やし、1時間ほどで燃え尽きたのち、まだ30㎝程に火の粉があがる上を、御嶽教の行者が素足で渡り歩きます。行者に続き一般参拝者も渡ることができます。
120410_43.jpgまた、高さ5m程の櫓を組み、はしごをかけ、刃渡り1m前後の脇差しを30㎝間隔に15本、刃を上に向けて木綿のロープで結び付け、それを素足で登りつめます。怪我一つしないのは精神統一を極めた神業だそうです。 

白蛇神社(松尾宇蛇神社)
◇上田市上田3139番地
◇JR長野新幹線・しなの鉄道「上田駅」下車~車8分
◇参考WEB:http://www.ne.jp/asahi/hakuja/jinja/NewFiles/newgosaijinphoto.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
毎年恒例の御嶽山火渡り祭です。御嶽教の行者が素足で火渡りする姿は全国に放映され、GW初期の風物詩になっています。HPの案内では、「5月3日およそ昼12時30分より火渡り行事、続いて刃渡り行事」とあります。観光をご予定の方は日時をご確認のうえお出かけください。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月29日「奥州日高火防祭」です。■
岩手県奥州市水沢区で行われる「日高火防祭:ひだかひぶせまつり」は、300年の歴史を持つ火防祈願の祭りです。

20160425_2.jpg日高神社の例祭は4月22日。かつては陰暦正月22日に行われ、当日は防火を祈る火防祭(ひぶせまつり)が併せて行われたが、火防祭は現在、実行委員会が主催し4月28、29日の祭礼になっています。

江戸時代、留守家17代の水沢城主宗景公が、少年時代伊達公の名代として江戸にあったとき、「江戸の華」といわれる火事の多いのに驚かれた。明暦3年(1657)の火事は、江戸の大半を焦土と化した大火災で、俗に振袖火事といわれ、この時の死亡者は10余万人を数えたと記録されています。火災の恐ろしさを肝に銘じ、江戸での任を終えて帰郷するや火防の対策に万全の策を講じました。

人智の不足不慮の羅災を、神仏の加護によって未然に防止しようとし、日高妙見社の日は「火」に、瑞山神社の瑞は「水」に通ずるとして、両社に祈願し始められたのがこの祭のはじめです。

19代村景公の時代、享保20年(1735)水沢の大火の後、藩主は佐々木佐五平という者を江戸に派遣し、町火消組の機構や操作を学ばせ、江戸のいろは組にならって6町に1つずつ組をおいて町火消組を創設したと伝わります。

120410_48.jpg火防祭りは京都祇園祭を模した華やかな祭りで、豪華絢爛に飾られた9基の囃屋台が市街地を練り歩きます。屋台の上には、20人程の幼女が雛人形の如く乗せられ、太鼓と三味線と笛の音に併せて調子を取ります。

辺りが夕闇に包まれる頃、JR水沢駅前を会場に屋台同士が仁義と礼をつくした「相打ち」と「揃い打ち」が行われます。7つの音曲からなる「日高囃子」は、岩手県の無形民俗文化財に指定されています。

奥州市水沢区出身で厄年を迎える男女で構成する厄年連は、25歳厄年連、42歳厄年連の2団体が祭の前座を勤め、祭を一層盛り上げます。

日高火防祭実行委員会(水沢市商工労働課内)
◇観光サブサイト
http://www.city.oshu.iwate.jp/kanko/view.rbz?cd=1500
日高神社(日高妙見宮)
◇奥州市水沢区日高小路13
◇東北自動車道「水沢IC」車10分
◇東北新幹線「水沢江刺駅」車15分
◇在来線「水沢駅」徒歩1分
◇参考Web
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/iwate/ooshuusi/hidaka/hidaka.html

■4月29日~「米沢、上杉まつり」です。■
130411_23.jpg米沢上杉まつり」は、米沢に春の訪れを告げる祭りです。「上杉神社」と「松岬神社」の春の例大祭として始まりました。上杉神社は、松が岬公園(米沢城址)に位置し、藩祖・上杉謙信を祀ります。松岬神社は、上杉神社の摂社で、上杉鷹山公、上杉景勝公、直江兼続細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政を祀ります。

上杉謙信」(初名は長尾景虎)は、戦国時代における越後の大名。越後国三条長尾家より養子相続。天正6年(1578)越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祀られましたが、次代の上杉景勝(越後国上田長尾家より養子相続)が、会津藩を経て慶長6年(1601)米沢藩へ移封されたのに合わせて謙信の祠堂も米沢に遷されました。

5月2日の「武てい式」は、上杉謙信公が出陣の度に欠かさず行ったという軍の守護神を招く儀式で「武てい式保存会」によって忠実に再現されます。赤々と燃えるかがり火の中で「五沾水・ごてんすいの儀」「軍神勧請」などが約1時間にわたって執り行われます。

武てい式に先立ち、千勝院から行進、上杉家廟所を参拝し謙信公の御霊に出陣の報告を行います。その後、市内中心部に移動し、まちの広場にて押し前の鬨をあげ、武てい式会場へと向います。

120410_46.jpg5月3日は、上杉軍団行列と神輿渡御が市内の目抜き通りを練り歩く「上杉行列」が行われます。戦国史上最大の死闘といわれた上杉・武田両軍の激突、永禄4年の「川中島合戦」の再現は、上杉陣で武てい式、武田陣で三献の儀が執り行われたのちに行われます。

火縄銃の発砲、上杉謙信が単騎で武田軍に斬りこむ「三太刀七太刀」の名場面、全軍団による総がかりで、両軍合わせ約700名もの武者が入り乱れての戦闘シーンが行われます。会場の一部にはお土産付の有料桟敷席が設けられます。

昭和49年の模擬合戦は、日本テレビで初放映されて以来、マスコミの人気も高まってゴールデンウィークを飾る東北のまつりとして全国に知られるようになりました。

主催◇上杉まつり実行委員会
公式HP:
http://uesugi.yonezawa.info/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年は4月29日から5月3日開催とのインフォメーションです。開幕祭4月29日、武てい式5月2日、上杉軍団行列・川中島の合戦5月3日です。
観光にお出かけの際、GW期間中は日差しが強く紫外線が強いそうです。日焼け対策をなさってお出かけください。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月29日(旧4月4日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。
ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■4月28日「日蓮宗開宗会」です。■
120406_53.jpg日蓮宗:にちれんしゅう」とは、鎌倉時代中期の僧・日蓮上人によって興された仏教宗派で、法華宗とも称します。日蓮を宗祖とする諸宗派のうち「宗教法人日蓮宗」を指し、宗務院を池上本門寺(東京都大田区池上)、総本山を身延山久遠寺に置く57総、大、本山の連合宗派で、「釈迦本仏論と一致派」、「釈迦本仏論と勝劣派」、「宗祖本仏論と勝劣派」など教義の異なる諸門流を包含する日蓮系諸宗派中の最大宗派です。寺院数は5200ヶ寺、直系信徒は330万人。


日蓮宗は「日蓮正宗」の他、教義を異とする分派を含む場合があります。また日蓮宗と歴史的に関連が深く「南無妙法蓮華経」の題目を唱える新宗教系の信徒団体としては、立正佼成会、霊友会、佛所護念会教団などがあり、直系とは別にこれら信徒団体に在籍の400万世帯の信徒が存在します。


120406_54.jpg建長5年(1253)4月28日、日蓮が生まれ故郷の千葉県天津小湊の清澄において、いかなる凡夫にも「仏性」が秘められており「南無妙法蓮華経:なむみょうほうれんげきょう」と題目を唱えれば「仏性」が顕現するという思想を説き、「南無妙法蓮華経」の題目こそが末法の人々を救うことができる唯一の教えであると、法華経の弘通を宣言しました。

この日、日蓮宗では「開宗会」が行われます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
その昔、暦と格物(科学)に宗教は一体だったと考えると理解できます。暦がカレンダーになって農耕に役立ち、宗教が教育や政治に利用されて、生活に科学が活用されている時代です。

調べているうちに、いろいろな行事、催し、法会の情報を得ました。日蓮宗の方もそうではない方も開宗会を機会に、自然に生かされている事を実感し、この瞬間に感謝しましょう。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程

■4月27日~5月5日「十方暮れ」です。
110324_12.jpg十方暮れ:じっぽうぐれ・じゅっぽうぐれ」とは、干支を五行に配当したときに「上下互いに尅(こく)する」干支「甲申~癸巳」までの10日間のことをいいます。但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。
今回の十方暮れは4月27日~5月5日までです。

4月27
日 甲申=金尅木 
4月28日 乙酉=金尅木
4月29日 丙戌=火生土(間日)
4月30日 丁亥=水尅火 
5月06日 戊子=土尅水 
5月01日 己丑=土和土(間日)
5月02日 庚寅=金尅木 
5月03日 辛卯=金尅木 
5月04日 壬辰=土尅水 
5月05日 癸巳=水尅火


120712_64.jpg十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。四正(しせい)方位「東西南北」と、四隅(しぐう)方位「南東・南西・北西・北東」の八方位に「天地」を合わせた十方位のことです。または「十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に存在する世界の全部のことを示します。
 
この十方が「四方八方閉ざされた状態」を「十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。または「十方暗」「十方闇」ともいいます。
 
それにしても、やはり「とほうくれ」と読みたくなるほど、うまくいかなく「途方に暮れる」期間なのでしょう。十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「十方ぐれ」は発祥は定かではありませんが、五行説では干支の組み合わせから「相性の合わない日」とされています。
この時期、雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気
が続きます。転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。
これは、十方(方位八方向に上と下を合わせて十方)の気が塞がっていて、どんな困りごと、相談ごとも解決出来ない期間とされています。
せっかちさから、業を煮やして事を起こしても逆効果です。解決どころか反対に、こじらせて損失を招く恐れがあります。このような時期には、慌てずに「過ぎるを待つ」のが最大の解決方法です。
筆者敬白


■4月27日「和歌山川辺、道成寺 鐘供養」です。■
120406_51.jpg和歌山県最古の寺といわれる「天音山道成寺:てんのうざん どうじょうじ」は、大宝元年(701)の創建と伝わります。宗派は天台宗。
 
本尊に「千手観音」(国宝)を祀ります。能や歌舞伎、浄瑠璃の演目「安珍・清姫伝説:あんちん・きよひめでんせつ」で知られます。この伝説は平安中期に編纂された「大日本国法華験記」に登場します。


◆安珍・清姫伝説◆
伝説によれば、延長6年(928)奥州の僧・安珍が熊野参詣の旅の途中、

紀伊国牟婁郡真砂の里で宿を営む清重の家に泊ったところ、その娘・清姫に一目惚れされます。「ここに留まって婿になって下さい」という清姫に、安珍は「願掛けで熊野に行く途中なので帰路に夫婦になる」と約束して旅立ちました。


120406_52.jpgしかし、安珍は僧であるため、熊野でお勤めを果たしたのち、別の道を通って帰ろうとしました。清姫は安珍が戻らないので食事が喉を通らなくなり、病気になって死んでしまいました。
 
そして、死んだ清姫の部屋から一匹の蛇が走り出します。それは安珍の

ことを怨む尋常でない清姫の心が変じたもの。蛇は安珍が辿った後を追いかけて熊野まで行き、更に安珍の帰り道を見付け、潮見峠で安珍を見付けました。安珍は恐れて、川辺の道成寺まで逃げ込みます。
 
蛇は怨念と化して真っ赤に燃え上がりながら道成寺へと向かいます。安珍は道成寺の寺の者に事情を話して鐘の中にかくまってもらいました。しかし、蛇はその鐘を見付け、ぐるぐるに巻きつき、怨念の炎で鐘は赤く焼けていました。やがて蛇が去り、おそるおそる鐘をあげてみると、中には微かな灰だけが残っていました。あの蛇の炎で燃えてしまったに違いない、寺の者は若い僧の冥福を祈りました。


暫くして、住職のところに夜一匹の蛇が訪ねて来ました。それは安珍が
化したものでした。蛇は自分たちが夫婦になったこと、二人とも蛇の姿のままであることを語り、蛇の身は辛いので助けて欲しいと願いました。そこで住職は二人の為に法華経を読んであげました。すると二人は、法華経の功徳により「刀利天」に生まれ変わることができました。


110423_12.jpg※刀利天(とうりてん)とは、欲界の中の、天部の中の6つのランクの

うちの下から2番目の位置で、「帝釈天がいる世界」のことです。因みに、欲界とは「欲の世界」です。天人、天界の神々といえど、欲があるという世界。
 
道成寺鐘供養では、この二人の冥福を祈って盛大な「鐘供養」が行われます。会式では「ジャンジャカ踊り」が披露されます。
長さ25mの大蛇に姿を変えた清姫が、安珍を追い掛ける姿を再現するように行列が町を練り歩きます。川を渡り道成寺に到着すると、安珍が逃げ込んだ鐘に大蛇が巻きつき、口から真っ赤な火を吐き鐘を焼き尽くす様子が再現されます。

道成寺
◇和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
◇JRきのくに線「道成寺駅」徒歩7分
◇公式HP:
http://www.dojoji.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
道成寺のHPには「絵解き」とあって安珍、清姫の物語が紹介されています。1000年以上前の開宗では文字ではなく、文字の読めない人にも布教したようで、わかりや易が求められていたのでしょう。
男女の関係は1000年たっても変わりません。昨今、心当たりのある男性は道成寺鐘供養を折に、法華経のご利益で刀利天になりましょう(笑)
季節柄、日隔差の多い時期です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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■4月25日「三隣亡」(さんりんぼう)■

もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。
また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■4月25日「奈良、興福寺 文殊会」です。■
120406_50.jpg法相宗大本山「興福寺:こうふくじ」は、南都六宗の一つに数えられる寺院で、本尊は釈迦如来。南都七大寺2番。南円堂は西国三十三箇所第9番札所。東金堂は西国薬師四十九霊場4番。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。
 
天智8年(669)藤原鎌足夫人「鏡女王:かがみのおおきみ」が、夫の病気平癒を願って「釈迦三尊像」を本尊として建立した「山階寺」が起源と伝わります。後に、その子息の「藤原不比」等が、平城京左京の現在の地に移建し「興福寺」と名付けました。
 
130411_21.jpg東金堂は神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気平癒を願って造営されました。薬師如来坐像を本尊に、維摩居子坐像、文殊菩薩坐像日光・月光菩薩立像四天王立像十二神将立像が安置されます。「文殊菩薩坐像」は、古くから学問僧の祈願仏として信仰されました。
 
文殊会」は仏説文殊師利般涅槃経(もんじゅしりはつねはんきょ

う)...文殊菩薩を供養したいと思はば、文殊菩薩は貧窮孤独苦悩の衆生となって現れよう。貧者に施給するは、文殊菩薩を供養することになる。と、文殊菩薩をお祀りして、人々を救い教化し、孤児を養い育てることを祈願する法会でした。
 
法会の起源は「淳和天皇:じゅんなてんのう」(786~840)のとき、勤操、泰善等が畿内、飯をつつみ、菜を加えて、諸々の貧者に施す社会福祉的な善業を、公家と協力して行なったのに始まります。文殊会のほとんどは平安朝の末期に衰退してしまいましたが、興福寺では、江戸時代も後半享保年間にも文殊会が続いていました。
 
知恵、福徳、富貴の「菩薩の知恵」にあずかろうとする稚児の行列が、浄教寺から奉納された一字書の奉額車を引いて三条通りの坂道を東金堂に向けて練行します。 他に、書道展や茶会が催されます。
 
10423_10.jpg「文殊菩薩」正式には「文殊師利法王子菩薩摩訶薩」。サンスクリット語のManjusriの音写で、Manjuは美しい、魅力ある。Sriは繁栄、栄光王者の意で、妙吉祥尊、妙徳と訳されます。その絶大な「智慧」を象微して、獅子に乗る姿で表されます。
 
2009年、東京国立博物館等で開催された「国宝阿修羅展」の入場者数は世界一なのだそうです。2010年4月から「阿修羅ファンクラブ」の会員を募集しています。
 
興福寺
◇奈良市登大路町48
◇JR「奈良駅」徒歩15分
◇近鉄「奈良駅」5分
興福寺Web:
http://www.kohfukuji.com/


150504_20.jpg◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
数年前の東京国立博物館で展示された「阿修羅像」は、新しい仏像ファンを増やしました。阿修羅像には文字や写真では表現できない美しさがあるのでしょう。
東京での阿修羅像展示の際、国立博物館に出向いて拝観しましたが、あまりの人の多さで、ほんの少ししか拝観できませんでした。
上野では「阿修羅像」も客寄せパンダ状態だったといえます。

4月下旬です。暖かい日が続いていますが、この頃、寒の戻りがあります。
読者のみなさまお体ご自愛専一の程
筆者敬白

 

■4月23日「京都、松尾大社 神幸祭」です。■
120406_47.jpg日本第一醸造之神・京都最古の神社「松尾大社:まつおたいしゃ」は、式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。旧称松尾神社。

本社と、摂末社の四大神・衣手・三宮・宗像(市杵島姫命)・櫟谷(いちたに、奥津島姫命)・月読(月読尊)の各社を併せて「松尾七社」といいます。

平安遷都により皇城鎮護の神として崇敬されるようになり「賀茂の厳神」「松尾の猛神」として並び称されました。明治4年に松尾神社として官幣大社、昭和25年に「松尾大社」と改称。

本殿は大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建。以来皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永4年(1397)建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したもの。建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りは「松尾造り」と呼ばれます。

御祭神は「大山咋神:おおやまくいのかみ」、「中津島姫命:いちきしまひめのみこと」。渡来人の秦氏(はたうじ)は古代の氏族で、酒造の技術も日本に伝えたことから、中世(一般的に鎌倉・室町時代)以降は「酒造の神」としても信仰されるようになりました。開拓・治水・土木・建築・商業・文化・寿命・交通・安産の守護神。特に醸造祖神として崇敬されています。

120406_48.jpg「神幸祭」は、古くは松尾の国祭でした。明治時代には4月下卯日に出御、5月上酉日に還御となり、さらに昭和36年からは現在の4月20日以後の第一日曜日に出御、それから21日目の日曜日(5月)に還御となっています。

出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回廻った(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し松尾・桂の里を通って、桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦されます。

松尾大社
◇京都市西京区嵐山宮町3
◇JR「京都駅」~バス「松尾大社前」下車。
◇阪急嵐山線「松尾駅」下車
◇松尾大社HP
http://www.matsunoo.or.jp/index-1/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
境内の「亀の井」は地下水脈をくみ出したものです。
醸造を生業にする蔵元では、「亀の井」の水を加えると、お酒が腐らないと伝わり、全国の蔵元から水をいただきに訪れるそうです。
近年では、パワースポットとして若い世代にも「亀の井」が注目されています。
もともと、病気平癒祈願の薬用水として広まりました。
汲みに行くと器の中に砂や小石が見られます。
布きれなどを取水口に巻いて取水するのが慣れている人の知恵のようです。

季節の変わり目です。皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月23日~「京都、伏見稲荷祭・神幸祭・還幸祭」です。■
120406_42.jpg全国にある稲荷神社の総本山とされる「伏見稲荷大社:ふしみいなりたいしゃ」には、1300年以上の歴史があります。稲荷山の麓に本殿を置き、稲荷山全体を神域としています。崇敬者が祈りと感謝の念を、奥社参道に鳥居の奉納をもって表した信仰「千本鳥居」は、今日の名所になっています。

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稲荷祭は、伏見稲荷大社の年中祭事のうち最大の祭礼で、稲荷大神が年に一度氏子区域を巡幸して、広く御神徳を垂れ給う祭儀です。4月20日に行われた「神幸祭」で御旅所(油小路九条上ル)に遷された神璽を迎えるのが「還幸祭」で、神璽が遷された5基の神輿を中心とした渡御列が御旅所から本社に向かいます。還幸祭は5月上旬です。

古式ゆかしい衣装に身を包んだ供奉者など、数百名の華やかな行列は、美しく飾られた30台程のトラックに乗って約2時間、京都市内の氏子区域を巡幸します。本社に到着したのち本殿で還幸祭が行われます。

伏見稲荷大社
◇京都市伏見区深草薮之内町68番地
◇京阪「伏見稲荷駅」徒歩5分
◇公式Web:
http://inari.jp/
◇神幸祭:http://inari.jp/c_sairei/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

もうすぐゴールデンウイークです。
今年はアジア圏からの観光客も増加傾向で、訪日外国人数は記録更新しました。
政府方針で訪日外国人観光客数を4000万人にするとの目標を打出します田。

日ごろ暖かさを感じ、過ごしやすい時期です。
この頃は雷を伴った雨の降りやすい時節柄、にわか雨に遭って、お風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月21日~4月27日「小犯土(こづち)」です。
120502_60.jpg明日から小犯土です。小犯土は大犯土の7日間に8日目の間日を経たあと9~15日目の7日間を指します。この期間を犯土として前半を大犯土、後半を小犯土としました。

◇期間中慎む作業◇
「犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。
特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

◇木々の低調な時期◇
120817_30.jpg野山の木々にも活発な時期と、低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐと、せっかくの材木が早く腐ってしまいます。科学的な根拠の有無は別にして、経験的に林業の方や大工の方は犯土を尊重するそうです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
暦には科学的な根拠の薄い経験的なものも数多く残っています。根拠が薄くても暦に従って、トラブルや不慮の事故を防ぎましょう。大自然の法則には、まだまだ解明されていない自然現象も数多くあるのです。
「小犯土」が明けて次の
二十四節季は「立夏」で、梅雨前の過ごしやすい時期です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

土用といえば「土用の丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべます。

110730_13.jpg蒲焼が普及したのは江戸時代のことです。江戸時代後期に、あの平賀源内が鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けせず夏バテしない」と江戸中に宣伝したところ大変流行しました。

また、万葉集にも鰻が登場しますが、この頃は蒲焼きではなく単にに焼いて食べていたようです。

今回の土用の丑の日は4月20日(木)
で二の丑は5月2日(火)です。

「鰻:うなぎ」の語源は「胸黄:むなぎ」から。鰻の調理方法は、東京では「切腹」をイメージするというので腹を切るのを嫌い、背剥きにします。大阪では腹剥きです。また、焼き方も異なっています。

大阪では鰻のことを「う」といいます。そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んでマブシて食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したものです。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
春から夏にかけての「土用の丑の日」です。やはり季節は違っても滋養には鰻です。今年は風邪が強く、花粉の飛散が多い季節になりました。今年は良い医薬品が開発されたそうです。早めに対策しましょう。
季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月22日「靖国神社 春祭」です。■
130406_25.jpg靖国神社:やすくにじんじゃ」は、明治2年(1869)明治天皇の命によって、戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建されました。

後に、嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが、軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を合わせ祀ることになりました。

現在では、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際し、国を守るために尊い生命を捧げた246万6千余柱の神霊が、身分、勲功、男女の別なく、すべて「祖国に殉じられた尊い神霊」(靖国の大神)として祀られています。

初めは「東京招魂社:とうきょうしょうこんしゃ」と呼ばれました。明治天皇が初めて招魂社に参拝の折に「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」と詠まれた御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建されたものです。

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明治12年に「靖国神社」と改称。東京の九段にあることから単に「九段」や「九

段下」とも呼ばれます。東京都知事認証の単立宗教法人

靖国神社本殿の祀られる祭神は、日本が関係した国内外の事変や戦争において、天皇、朝廷、政府側の立場で日本を守護するために命を捧げた戦役者です。慰霊・顕彰・崇敬などを目的として祀っています。

例大祭」は、明治2年の御創立以来春秋2回斎行されています。最も重要な祭事とされる「春季例大祭」は、4月21~23日までの3日間、盛大に執り行われます。

期間中は、清祓・当日祭・第二日祭・直会(なおらい)の諸祭典があり、4月21日午後3時からの「清祓」をもって始まります。「清祓」は祭典の準備を完了し、清めの祓いをする儀式です。

22日「当日祭」は、全国から集った遺族・戦友・崇敬者をはじめ、各界代表者が多数参列のもと、午前10時、南部宮司以下の神職が御本殿に進み、生前に「みたま」たちがお召し上りになっていた御饌、御酒や海の幸、山の幸等の神饌をお供えし、楽を奏し、祝詞を奏上して、思いも新たに戦歿者の「みたま」を慰め、平和を祈念します。

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この日、午前10時半過ぎには天皇陛下の勅使がおいでになり、天皇陛下よりの御幣物を供え、御祭文を奏して御参拝されます。

23日午前10時から前日と同様に「第二日祭」が執り行われます。午後6時、祭典を無事奉仕出来たことに感謝する「直会」をもって、春季例大祭の諸祭典が終了します。

昇殿参拝
21日:午前8時~午後2時
22・23日:午前11時30分~午後3時

靖国神社
◇東京都千代田区九段北3丁目1番1号
◇JR「市ヶ谷」徒歩10分
◇公式HP:
http://www.yasukuni.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
昨年からの生前退位が有識者によって議論が大詰めを迎えています。ご年齢から日々の業務はなかなか難しくなっているご様子を拝察すると、早い退位が望まれます。
筆者敬白

■4月22日「滋賀、多賀大社 古例大祭」です。■
120406_44.jpg滋賀県犬上郡多賀町に鎮座の「多賀大社:たがたいしゃ」は、ご祭神に「伊邪那岐大神:いざなぎのおおかみ」、「伊邪那美大神:いざなみのおおかみ」を祀る神社で、古くより「お多賀さん」と呼ばれ、親しまれています。
 
古事記によれば「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」とあり、神代の昔に伊邪那岐大神は本社東方の杉坂山に降臨し、麓の栗栖の里で休んだのち、多賀に鎮まったと伝わります。
 
奈良・平安時代には公家の信仰篤く、鎌倉から江戸時代にかけては武家からの信仰も集めました。
 
明応3年(1494)「天台宗の不動院」が建立され、その後、観音院・般若院・成就院の坊人たちの活発な布教により、多賀信仰が全国各地に広まりました。
 
大正3年「皇祖天照大御神」の親神にあること、崇敬が全国に及ぶ事から官幣大社に列格されています。
 
130406_24.jpgお伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」この唄からも「伊邪那岐大神」「伊邪那美大神」がお伊勢様の祭神「皇祖天照大御神」の親神だということです。
 
毎年4月22日には「古例大祭多賀まつり)」が行われます。神輿や行列、騎馬が繰り出す渡神事です。8月3~5日には万灯祭が行われます。
 
莚命長寿の神」「縁結びの神」として信仰を集めるお多賀さん。境内には寿命石の史跡があり、延命利益のあるとされる「お多賀杓子」も販売されています。
 
多賀大社
◇滋賀県犬上郡多賀町多賀604
◇名神高速「彦根IC」車約15分
◇公式Web:
http://www.tagataisya.or.jp/
◇多賀まつり:http://www.tagataisya.or.jp/info/koreitaisai/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
多賀まつりはさながら歴史絵巻の様相です。祭りの見物客も次々繰り出す行列を見ているだけで壮観さを感じます。
お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」一度は出向いてみましょう。
多賀まつりが終わると、来週にはゴールデンウイークに入ります。
筆者敬白

■4月22日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

120125_15.jpg一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
今月末はゴールデンウイーク、季節は春から夏への変わり目です。
お風邪などお召しにならないように、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月21日「天赦日(てんしゃび)」です。
天赦日:てんしゃにち・てんしゃび」とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「最高の恩赦日」「極上の大吉日」です。

歴に「万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜と祝日と祭日と大安が重なった最良の日と言えます。この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。

130223_23.jpg◆天赦日は1年に5~6日有ります。◆
立春から立夏の前日までの「戊寅の日」
立夏から立秋の前日までの「甲午の日」
立秋から立冬の前日までの「戊申の日」
立冬から立春の前日までの「甲子の日」

天赦日はとにかく「何事にもよい日」とされています。
特に
創業、設立、開店、購入、結婚、婚約、建前、出産、転居、入学、和解、面接、採用、人事、新規企画、契約、約束、出発、男女の営み、などには良い日です。 
今回の天赦日は立春から立夏の前日までの「戊寅の日」にあたり、次の天赦日は平成29年5月7日です。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本年2回目の「天赦日」です。今回の天赦日では、夏の前の事始めに最適な「天赦日」です。
新規開店転居転職など何をとっても良い日です。
これを機会に志を立てることで、大願成就する事でしょう。
筆者敬白

■4月21日(旧3月25日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年4月20日「穀雨(こくう)」です。◆
130406_21.jpg4月20日6時27分「穀雨」です。
旧暦3月、辰の月の中気で、新暦4月20日頃。天文学的には太陽が黄経30度の点を通過するときをいいます。

「穀雨:こくう」とは「百穀を潤す春雨」のことです。また、穀物の成長を助ける雨のことで、「暦便覧には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されています。
この頃は春雨のけむるがごとく降る日が多くなり、田畑を潤して穀物などの種子の生長を助けます。種まきの好機です。

雨が長引けばそれは「菜種梅雨:なたねつゆ」です。菜の花の咲く頃の長雨のことで、これを「春霖:しゅんりん」ともいいます。
穀雨の終わり頃に茶摘み唄に詠まれた「八十八夜」があります。

暦の上で春節、最後の二十四節気です。来月に入り5月5日「立夏」からいよいよ夏の到来です。

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■七十二候■
初候「葭始生」(よし はじめて しょうず)葦(あし)が芽を吹き始める。
◇水辺に葦※が芽を吹き出し始める時節。ヨシまたはアシ(葦、芦、蘆、葭)は、温帯から熱帯にかけての湿地帯に分布  ヨシという名は、「アシ」が「悪し」に通じるのを忌んで、逆の意味の「良し」と言い替えたのが定着したもの。関東では「アシ」、関西では「ヨシ」が一般的。
次候「霜止出苗」(しも やんで なえ いず)霜が終わり稲の苗が生長する。
◇ようやく霜も終わりの頃となり、苗代では稲の苗が生長する時節。
末候「牡丹華」(ぼたん はな さく)牡丹の花が咲く。
◇牡丹が大きな花を咲かせる時節。華く(はなさく)=花が咲く。

■穀雨の頃の花■
ボタン(牡丹) 学名:Paeonia suffruticosa
ボタン科ボタン属の落葉小低木。または、ボタンの総称。


原産地は中国西北部。薬用として利用されていたが、牡丹の花が「花の王」として愛好されるようになった。当時は「木芍薬」と呼ばれていた 。公的に制定した記録はみられないが、清国では1929年までは中国の国花であったとされる。
春牡丹:春牡丹は4~5月に開花する一般的な品種。
寒牡丹:春と秋に花をつける二季咲きの変種。通常は、春にできる蕾は摘み取り、

120321_55.jpg秋にできる蕾のみを残し10月下旬~1月に開花。
冬牡丹:春牡丹と同じ品種を1~2月に開花するよう、特に手間をかけて調整したもの。

根の樹皮部分は「牡丹皮(ぼたんぴ)」として大黄牡丹皮湯、六味地黄丸、八味丸など漢方薬の原料になる。薬効成分は、ペオノールで消炎・止血・鎮痛などに効く。

「立てば芍薬  座れば牡丹 歩く姿は百合の花」という美女の形容として使われる言葉がある。
花言葉は「王者の風格」

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
穀雨の時期、つい3週間前は花見で寒さの残る春でした。春の雨がこのま梅雨に入るのでは・・・
と思うような日が続きます。まさしく菜種梅雨(なたねつゆ)のような雨です。
暖かくて、いい陽気になってきましたが、風の強い日は寒さを感じます。薄着でお風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月19日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
4月節に入って「春の土用」の期間中です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。また、もうすぐGWです。期間中の計画はお早めに!
体調管理にはお気を付けください。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月18日「天理教、教祖誕生祭」です。■
120328_71.jpg天理教」は日本の新宗教の一つ。教祖・中山みきにより伝えられた親神天理王命を崇拝対象とする創唱宗教です。江戸時代末期に開かれた黒住教金光教と共に「日本三大新宗教」の一つに数えられています。
 
創唱宗教:そうしょうしゅうきょう」とは、宗教を発生形態で分類した場合に特別な一人またはグループの創唱者によって提唱された宗教のことで、日本の神道のように民間の習俗的な意識から自然発生的に生まれてきた「自然宗教」に対して用いられます。
 
寛政10年(1798)年4月18日、大和国山辺郡三昧田に天理教の教祖:前川みき誕生。13歳の時、現在の天理市三島町の中山家へ嫁ぎます。夫に仕え、家業に精を出し、近隣との交流にも模範的な婦人でした。
 
120328_70.jpg天保9年(1838)10月26日、中山みき(41歳)親神天理王命の啓示。啓示に従って親神の社と定まります。教祖の口を通して話される言葉は、親神の思し召しといわれています。
 
この世の真実を説き明かされたといわれる教祖の誕生を祝う祭典は、人類の故郷「ぢば」と呼ばれる奈良県天理市の天理教教会本部にて行われます。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
天理教には多数の崇敬者がいるようで、運勢暦や開運暦には天理教教祖誕生祭が掲載されています。江戸末期から明治時代に形成された新宗教で、近年盛んな新興宗教とは一線を画しているようです。
筆者敬白

■4月18日は「発明の日」です。■
160414_20.jpg発明の日(はつめいのひ)は、明治18年(1885)4月18日に、現在の特許法の前身である「専売特許条例」が初代特許庁長官を務めた「高橋是清」らによって公布されたことを記念して、特許、意匠、商標などの産業財産権制度の普及・啓発を図ることを目的として昭和29年(1954)に制定された記念日です。毎年4月18日。

この日を中心に、特許庁や経済産業省によって様々なイベントが開催されます。
また、発明の日を含む1週間は、「科学技術週間」です。

160414_21.jpgアメリカの第16代大統領、エブラハム・リンカーンは、大統領に就任する前年の1859年(日本では安政年間)の演説で、
「特許法は、発明者に一定期間、独占権を補償することによって、天才の火に利益という油を注いだ」
と述べています。特許制度に支えられた産業を礎として、20世紀にアメリカは大いなる繁栄を遂げました。

 日本においても、明治18年(1885)に特許制度が導入されてから、多くの発明者や研究者の方々が知恵を絞って研究を行い、特許を生み出し、私たちの生活を便利にしてきました。
特許制度は、日本人の技術を支え経済成長をもたらす重要な役割を果たしてきました。(特許庁HP)

「発明の日」を機に、未来を拓く産業財産権制度の重要性について、みなさんも考えてみませんか。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

これを機会に20~30年前の生活様式を振り返ってみて、数々のイノベーションを振り返ってみましょう。
筆者敬白

■4月17日~「土用」です。■
120404_30.jpg4月17日04時47分「土用の入り」です。
土用は雑節の一つで、太陽が黄経27度、117度、207度、297度にあるときと定義し、四季の変わり目
配されています。

今月は「辰:たつ」の土用月で「春の土用」です。季節の入れ替わりに配されているのが「土用」ですが、毎年4月16、17日~5月4、5日頃が「春の土用」です。
 
土用はあらゆるものを荒廃させ、死滅させる作用を持つとと同時に、新しいものを育む作用を持ちます。
命あるものは、腐敗、死滅して土に帰り、一方、新しい命は土の中に生じています。
すべてに「始まり」があって「旺:さかん」となり、そして終わります。
これが「生・旺・墓」の三合の理です。従って今回の土用は冬が終わる土用なので「冬の土用:冬が墓」だとしている暦もあります。

一年の暦を通して「土用」では、「春の土用」によって「冬が消滅」し、「春の勢いが陰り」、「夏が生成」されます。特に、春の始め「2月」に生じた事柄は、「3月」に壮ん(旺)となり「4月」に終わりを迎え結果が出ます。
今月中に終結しない事柄は、来月「5月」に再スタートし「7月」には結果を出す努力をすべき、ということになります。5月6日「立夏」となって暦の上では夏に入ります。


「時を得る者は昌え、時を失う者は亡ぶ」(時の運をうまく味方につけて追い風に乗る者は栄え、逆に追い風を見逃して向かい風に帆を揚げるようでは、苦難ばかりで、滅んでしまう。)タイミングがいいことを、時の氏神が味方をした。などと言い時を味方につけるとき、実力以上の成功に恵まれるということです。 

土用の期間は「土の気」が盛ん(旺ん)になり「物を変化させる作用が最も働く期間」になります。土を動かすことは勿論ですが、造作、修繕、柱立、礎を置くこと、井戸掘り壁塗りなどよくないとされています。部屋の模様変えや押入れの整理も見送りましょう。

130406_20.jpg【土用心得】
土用の期間に入ると、抱えている問題は解決しないといわれています。土用に入る前に方向性を決め、解決しておく事が得策です。とはいっても、もの事が解決せず土用の期間に入ってしまったら、焦らずに先送りして現状を維持しましょう。

【土用の丑の日】
土用といえば「丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべますが、この蒲焼が普及したのは江戸時代のこと。江戸時代後期に、あの平賀源内が鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けしない」と宣伝。大いに流行しました。万葉集にも鰻が登場しますが、この頃には単に焼いていたようです。

今回の「土用の丑の日」は4月20日(木)です。「土用の二の丑」は5月2日です。

■「鰻」(うなぎ)の語源は、「胸黄」(むなぎ)から由来。鰻の調理方法は、東京では切腹をイメージするというので腹を切るのを嫌い、背剥きにします。大阪では腹剥きです。また、焼き方も異なっています。

大阪では鰻のことを「う」といいます。そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んでマブシて食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したものです。

120328_79.jpg【土用の間日】
春の土用の「間日」は、巳・午・酉の日で、文殊菩薩のはからいで、土公神一族すべてが清涼山に集められ、土用の期間中でもこの日ばかりは土を動かしても祟りがありません。

【土用の明け】
春の土用が明けるのは5月5日「立夏」です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今回は春の土用です。土用の期間は、なんとなく上手くいかない期間です。
「運」の良し悪しは、誰にでも当てはまりますが、「運気」は自然界の影響を受けながら巡っていまから、大自然の法則を知って、自然の恩恵を活用しましょう。
暦を詠むことは一部には大自然の叡智を身につけることなのです。
土用の時期は季節の変わり目です。
体調を崩しやすいので、健康管理には十分注意しましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月17~23「科学技術週間」です。■

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科学技術週間は、平成28年4月17日(月)~4月23日(日)で実に59回を数えます。

日本の科学技術の振興を図り、科学技術について広く理解と関心を深めるための週間です。昭和35年制定、発明の日を含む一週間で、昭和50年から現在の日程になりました。

科学技術省の「科学技術週間推進要綱」によると、科学技術イノベーションを経済的、社会的に価値あるものとしていくためには、広く発信し対話や情報提供を進めることにより、理解と支持と信頼を得ることが大切だとしています。

120328_77.jpg一方で、東日本大震災を受けて、科学技術の可能性とリスクに関する情報共有など、科学技術と社会との関わりについて再構築していくことが要請されている。と加えられています。

今年の標語 「なぜ?からはじまるわくわくが すてきな未来をつくるんだ!」

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
例年だとお花見の季節です。今年は全国的に早く開花ようですが、どんなに科学技術が発展しても、桜の開花時期など、自然の摂理は変えられないものです。敬う気持ちを大切にしましょう。

季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月16日「イースター(復活祭)」です。■
130306_26.jpg十字架にかけられたイエス・キリストは、死後3日目にしてよみがえったという。復活を祝う「復活祭:ふっかつさい」は、キリスト教の典礼暦における最も重要な祝い日です。正式には「御復活の大祝日」といい、「復活の主日」「イースター」とも言われます。
 
復活祭は、キリスト受難の聖金曜日から3日目の日曜日。春分の日のあとの満月の次の日曜日にあたり、太陽暦では3月23日から4月25日なでの間に行われます。
 
鶏卵の殻に鮮やかな彩色を施したり、美しい包装をしたゆで卵「イースター・エッグ:Easter egg」を飾る風習は古くより存在し、復活祭の休日もしくは春を祝う為に作られます。
 
120321_44.jpgこれは、ヒナが卵から生まれることを、イエスが墓から出て復活したことを結びつけたもの。また、冬が終わって草木に再び生命が甦る喜びを表したもの。卵は「イースター・バニー」が運んで来る(産む)ものとされています。近年は、卵をかたどったチョコレートも広く用いられています。
 
古来より豊穣の象徴であるウサギは、多産なので生命の象徴とし、跳ね回る様子が生命の躍動を表しているといわれます。イースター・エッグ同様、ウサギをかたどったチョコレートやパンが作られます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
イースター(復活祭)はキリスト教会でも東方教会と西方教会で日にちがまちまちです。平成25年このブログでは西方教会での3月31日を採用しました。平成26年は西方教会、東方教会とも4月20日をイースターにしています。平成29年は4月16日を採用しました。

筆者敬白

■4月16日「京都、松尾大社 中酉大祭」です。■
120328_74.jpg日本第一醸造之神・京都最古の神社「松尾大社」は、式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。旧称松尾神社です。
 
本社と、摂末社の四大神・衣手・三宮・宗像(市杵島姫命)・櫟谷(いちたに、奥津島姫命)・月読(月読尊)の各社を併せて「松尾七社」といいます。

平安遷都により皇城鎮護の神として崇敬されるようになり「賀茂の厳神」「松尾の猛神」と並び称されて、崇敬いよいよ加わるに至ります。明治4年に松尾神社として官幣大社に列格し、終戦後は国家管理の廃止により、昭和25年に「松尾大社」と改称しました。

本殿は大宝元年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建。以来皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永4年(1397)建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したもの。建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りは「松尾造り」と呼ばれます。

120328_75.jpg御祭神は「大山咋神:おおやまくいのかみ」、「中津島姫命:いちきしまひめのみこと」。渡来人の秦氏が、酒造の技術も伝えたことから、中世(一般的に鎌倉・室町時代)以降は酒造の神としても信仰されるようになりました。

境内の「亀の井」の水を酒の元水に混ぜると酒が腐らないという伝えが広まり、全国の酒造・醸造業者が酒水に混ぜる風習が生まれました。全国の酒造業者から奉納された酒樽が拝殿横に並べられています。

「中酉祭:ちゅうゆうさい」とは、酒造りの祭で、「醸造感謝祭」とも呼ばれ、酉の日に酒造りを終えるという習わしから生まれた祭りです。

120404_41.jpg※亀の井:お酒の神様として名高い松尾大社の「亀の井」は本殿の右奥にあります。ご神水は石の亀口からチョロチョロと流れ出ています。
この霊水が湧き出た時に、松尾大神が
「この水は諸病を治し寿命を延ばす」と仰ったと伝わります。
この水をお酒に加えると腐らないとされていて、酒造の蔵元からも汲みに来ています。

松尾大社
◇京都府京都市西京区嵐山宮町3
◇阪急嵐山線「松尾駅」徒歩3分
◇JR「京都駅」バス「松尾大社前」下車すぐ
◇公式Web:
http://www.matsunoo.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
中酉祭はお酒のお祭りです。例年だとこの頃京都では花見のシーズンなのですが、今年は桜の開花が早めでした。残念ながら「お酒の祭り」に「花見」とは行きませんでした。
ほろ酔い加減で夜桜見物、夜露にあたってお風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月15日「高山山王祭」です。■
120328_80.jpg高山山王祭は岐阜県高山市城山に鎮座する「日枝神社:ひえじんじゃ」(山王さま)の春季例祭です。別名、飛騨山王宮日枝神社、祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)です。

永治元年(1141)、飛騨国三仏寺城主である飛騨守平時輔(ひだのかみたいらのときすけ)が、狩りに出かけたところ、一匹の老狼を仕留めようと矢を射たが獲物は見当たらず、矢は大杉に深くつき立っていました。時輔は「大山咋神が、お使いである老狼を救われたものであろう」と神の力を感じ、鎮護神として近江国より日吉大神を勧請し、日枝神社としたと伝わります。この時の大杉が、日枝神社の大杉です。

養和元年(1181)、戦乱によって三仏寺城は落城し、日枝神社も焼失しました。御神体は無事であり、慶長10年(1605)、日枝神社を高山城の鎮護神とし、現在地へ移転し「山王権現宮」と呼ばれていました。明治2年(1869)、神仏分離令により「日枝神社」に改称。現在の本殿は昭和13年(1938)再建です。

120328_81.jpg高山祭りは「日本三大美祭として名高い祭りです。高山祭りは春の「山王祭り」と、秋の「八幡祭り」の総称を指します。「春の山王祭り」は、例年4月の14日・15日に開催され、12台の屋台が引き揃えられます。4月14日の夜には、「曳き別れ」と呼ばれる夜まつりがあります。

夜祭りは各屋台に提灯をつけ「高い山から」の曳き別れ歌をうたいながら、所定の町内を1巡して、夜闇にゆれどよめく灯りのさまは、観客をファンタジックな世界へと誘い込みます。

15日は「本楽祭」で祭は最高潮に達します。午前から御旅所前広場をはじめ所定の場所に曳き揃えられた12台の屋台のうち、「三番叟」、「龍神台」、「石橋台」の3台はからくり人形の技を披露します。

ご分霊は正午に出発、前日の行列に屋台の台名旗を立てた代車を合せて、氏子中を進行後、本社に還御、即時還御祭を執行して、拝殿にて千秋楽曳き払いとなります。

130403_24.jpgまた、「秋の八幡祭りは、例年10月の9日・10日に開催され、11台の屋台が曳き揃えられます。10月9日の夜には、宵まつり(夜のまつり)が開催されます。

日本三大美祭:高山祭(春・秋)、京都祇園祭、秩父夜祭

日枝神社

◇岐阜県高山市城山156
◇高山本線高山駅より徒歩25分
◇「日枝神社前」バス停下車、徒歩5分
◇参考Web
http://www7a.biglobe.ne.jp/~fujii/hiejinzya.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
屋台と呼ばれる山車が見事な春の山王祭です。見どころは夜祭です。提灯をつけた屋台が、ゆらゆらとどよめく灯りはとても幻想的です。
4月中旬で暖かい日が続きます。お出かけの際には、夜露にあたってお風邪などお召しにならないよう、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月13日~4月19日「大犯土(おおつち)」です。■
◇犯土の期間◇
120502_60.jpg大犯土:おおつち」は選日の一つで庚午(かのえ うま)の日~丙子(ひのえ ね)の日までの7日間(4月13日~4月19日)をいいます。
8日目の丁丑(ひのと うし:4月20日)の日を差し障り無い「犯土間日:つちまび」を置きます。
9日目の戊寅(つちのえ とら)の日から甲申(きのえ さる)の7日間(4月21日~4月27日)を「小犯土:こづち」としています。

◇犯土期間中慎む作業◇
犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

木々の活動低調期◇

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野山の木々にも、活発な時期と低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、樹木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐとせっかくの材木が早く腐ってしまいます。
科学的な根拠の有無は別にして、林業や大工の方は暦の犯土を経験的に重要視しています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
現代社会では暦の「大犯土」「小犯土」は、科学的な根拠のない迷信だと、軽んじられています。
近年は暦に従って、生業を営むことが難しい時代になってきました。経験的に積み上げられた大自然の法則を、統計的に生かしてきた暦をほんの少し振り返ってみましょう。
家屋など木や土の関わりを生業にしている方や、工務店、建築業・林業の方は、工事など日程を調整して不慮の事故を未然に防ぎましょう。
読者の皆様、すっかり春ですが朝夕は冷える日もあります。
この時期、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

4月13日(旧3月17日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。
ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

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■4月13日「三隣亡」(さんりんぼう)■

もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。
また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■4月13日「京都、嵯峨虚空蔵十三詣り」です。■
120328_84.jpg十三詣り」は、陰暦3月13日、数え13歳になった子供が虚空蔵菩薩に詣出て、丈夫で福徳に恵まれた大人になることが出来るよう祈願する風習です。現在は月遅れの新暦4月13日に行われます。

13日は虚空蔵の縁日に当り、13歳はこれに因んだ行事。13歳が元服の儀と重なり、人生の転機として、通過礼儀として大切にされてきました。関西では、七五三行事よりも盛んに行われます。

嵯峨の虚空蔵さん」で知られる嵯峨嵐山「法輪寺」は、名勝嵐山の中腹に位置する寺院で、山号は智福山。宗派は真言宗五智教団に属します。奥州会津の柳津円蔵寺、伊勢の朝熊山の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」の一つで、古くは、今昔物語集、枕草子、平家物語などにその名が記され、知恵、芸事の上達、丑寅年生まれの守り本尊として信仰を集めます。

虚空蔵は、福徳と智恵を授けて下さることから「知恵詣り」や「智恵もらい」とも言います。また、初めて巡る厄年であることから、厄除けの意も含みます。

参拝の始め、半紙に自分が大切にしている漢字一文字を毛筆でしたためます。
例)命・心・美・雅など。虚空蔵菩薩に供え祈祷を受け、お守りと供物が授与されます。帰宅後は親に感謝を述べ、家族で供物を頂き、成長を祝います。

120328_85.jpg参詣から帰る途中に後ろを振り返ると、せっかく授かった智恵を返さなければいけないと言われ、渡月橋を渡り終えるまでは後ろを振り向かないのが習し。それによって空海が飛躍的に記憶力を増大させたと伝わります。

桜の満開の季節、着飾った子供達で賑わいます。現在では中学入学の祝いとして定着しています。親戚縁者に紅白饅頭等で内祝いをします。男子は紋服に袴、女子は模様紋附に丸帯を正装とします。女子はこの時はじめて化粧をして貰います。

難波より  十三まゐり 十三里 もらひにのほる 智恵もさまざま

法輪寺
◇京都府京都市西京区嵐山虚空蔵山町68
◇JR「京都駅」バス「嵐山バス停」下車すぐ
◇京福電鉄「嵐山駅」より南へ500m
◇虚空蔵法綸寺HP:
http://www2.ocn.ne.jp/~horinji/index.html


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
親はいつの時代も、子供の成長と将来の幸せを願っています。
近年幼い子供2人を置き去りにして、餓死させた母親が禁固30年の刑になりました。稀なケースだと、特別扱いしてはいけません。ストレスから子供を虐待する親も少なくありません。

平成の世の中、どこかが間違った方向に進んでいるのだと感じます。普通の神経では当たり前に生きられない今の社会が、問題のない社会だとは決していえません。子供の健やかな成長を皆がが願っている社会にしたいものです。

季節の変わり目です。皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月12~15日「大津、日吉大社 山王祭」です。■
110409_11.jpg日吉大社」は、比叡山の麓に鎮座し、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、日本全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。

西本宮と東本宮を中心に40万㎡の境内を持ちます。猿を神の使いとして崇拝することで知られ、俗に「山王権現」とも呼ばれます。

平安京遷都の際には、この地が都(京都)の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社でした。また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。


130403_23.jpg湖国三大祭りの一つとして知られる「山王祭」は、五穀豊穣を祈る日吉大社の例祭です。湖国に春を呼ぶ勇壮な神輿祭りで、1300年の歴史があります。
 
比叡山延暦寺僧兵が朝廷に強訴する時にかつぎ出したのが、ここの神輿で「北嶺(ほくれい)の神輿振り」として歴史上にも有名。祭りでは、12日夜「午の神事」が執り行われ、奥宮八王子山の2基の神輿が担ぎ下ろされ東本宮に安置されます。

13日には十禅寺など四社の神輿が宵宮場に移され、烏帽子と鎧に身を固めた稚児や甲冑を身につけた武者らによる華やかな「花渡り式」が行われ、稚児の花笠が奉納されます。
 
夜には勇壮な宵宮落しが行われます。松明の火に照らされた神社前の産屋で、神輿を持ち上げて振り落とすのですが、この神輿4基は男神と女神に分かれ、その所作は若宮誕生の産みの苦しみを表現しているのだとか...。

120328_83.jpg振り落とされた4基の神輿を西本宮まで競って担ぎ上げ、当夜の行事を終えます。14日は「申の神事」が行われ、7基の神輿が山道を下り、下坂本の七本柳まで渡御。そこで神輿は船に乗せられて船渡御となり、唐崎沖まで渡り粟津の御供を奉納。そして神輿船は比叡辻の若宮港に上陸し、日吉大社に帰って大祭を終えます。
 
翌15日には祭りが終わったことを神に報告する「酉の神事」が営まれます。七社の神輿は重要文化財に指定されています。

日吉大社
◇滋賀県大津市坂本5-1-1
◇京阪石坂線「坂本駅」徒歩10分。
◇JR湖西線「比叡山坂本駅」
◇日吉大社公式webhttp://hiyoshitaisha.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
日吉大社の山王祭は勇ましい祭として知られていて、4月12~15日間の神事、祭礼です。

4月に入り暖かくなって来ました。中には朝晩冷える日もあります。油断からお風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月12日「世界宇宙飛行の日」■
130323_21.jpg世界宇宙飛行の日」は、1961年4月12日、世界初の人を乗せた人工衛星「ヴォストーク1号」が、ソ連によって打ち上げられたことを記念する記念日のことです。

人類で初めて有人宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン少佐の「地球は青かった!」との第一声は歴史に残る名言です。

ロケットが発明されたのは現在の中国とされ、11世紀頃の中国の文書に「火矢」という名前で登場します。13世紀の蒙古襲来の時にモンゴル軍が武器として大砲やロケット弾を使用していて、日本は苦戦しました。この時日本でも真似してロケットを試作したのではないかとも伝わります。その後16世紀ごろには、製造技術が確立して「龍勢」と呼ばれていたと記録があります。

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1963年世界で初めて宇宙に行って「帰ってきた」女性宇宙飛行士テレシコワは「私はカモメ」と言いました。他にはアポロ11号で人類の月への第一歩を記したアームストロングの言葉は「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな跳躍だ」との発言は有名です。

アームストロングは後にイスラム教に改宗して修行者に。また、アポロ14号に乗ったミッチェルは超能力研究所を設立、アポロ15号に乗ったジム・アーウィンは神の伝道師になります。日本人として初めて1990年に宇宙を飛んだTBSの秋山豊寛氏は、その後TV局を辞めて福島県で農業をやっているのだそうです。

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古くから天には神の存在が言われていますが、宇宙から戻ってきた宇宙飛行士達のその後を見ると、やはり宇宙で神の存在を感じたのかも知れません。

◆◆◆◆編修後記◆◆◆◆
人類の歴史の中で祈念すべき日と考えて、「季節のお便り」らしからぬ記念日を掲載しました。
東日本大震災や東電福島原発事故は
私たちが知りえる科学は、決して万能ではないのです。万が一の時の対処のし方を常日頃から心がけましょう。「備えよ常に」の精神です。

暖かな日が続き4月も中旬です。GWの情報も増えてきました。寒の戻りもあります。
油断してお風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月12日「己巳(つちのとみ)」です。■
120417_62.jpg「己巳:つちのと・み、き・し」は、干支十干と十二支)の組み合わせ60のうちの6番目で弁財天を祭る日とされています。「巳待:みまち」ともいいます。

五行説で、十干「:つちのと、き」は「陰の土」、十二支「:み、し」は「陰の火」で、相生(火生土)でとなり相性のいい日です。

「巳」は「」をあてています。蛇は弁財天の使いであると考えられていたことから、福徳賦与の神である弁財天を祀るようになりました。


「弁財天」
は、宝冠を被り青衣をつけた美しい女神で、左手に弓・刀・斧・絹索を、右手に箭・三鈷戟・独鈷杵・輪を持つものもあり、ヴィーナ(琵琶に似た楽器)を弾じます。


121225_27.jpg〇安芸の宮島

大和の天川
近江の竹生島
相模の江ノ島
陸前の金華山
五弁天と称します。

鎌倉の「銭洗弁天」(正式には宇賀福神社)では、境内奥の洞窟内の湧き水で銭を洗うと、数倍になって返ってくるとされています。

日本各地に存在する「弁天島」は、弁才天信仰に由来する島名です。海難避けや豊漁を祈願する漁師たちの守り神として、日本各地の沿岸の小島に祀られてきました。

七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして信仰されている七柱の神です。
◆≪恵比寿:えびすさま≫商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、大魚守護の神様
「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。七福神の中で日本が由来の神様。
◆≪大黒天:だいこくてん、だいこくさま≫五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛の神様
ヒンドゥー教のシヴァ神と、日本古来の大国主命の習合です。その後「大黒柱」と現されるように、食物や財福を司る神となりました。
◆≪毘沙門天:びしゃもんてん≫武道成就、降魔厄除、家内安全、夫婦和合の神様
ヒンドゥー教のクベーラ神。仏教の神のヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり、日本では毘沙門天と呼ばれます。
◆≪弁才天:べんざいてん、べさいてん、べんてんさま≫恋愛成就、学徳成就、諸芸上達、福徳施与の神様
七福神の中の紅一点。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されます。
◆≪福禄寿:ふくろくじゅさま≫財運招福、延命長寿、立身出世、招徳人望の神様
道教の宋の道士、または、道教の神で南極星の化身の老子である「寿老人」の別名または同一神とされます。
◆≪寿老人:じゅろうじん≫幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様
道教の神で南極星の化身の老子。
◆≪布袋:ほていさま、ほていそん≫千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛の神様
唐の末期、明州に実在したと伝わる仏教の僧です。

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暦注や暦に起因する様々な行事は、中国から渡ってきたものが主ですが、「
庚申待」「甲子待」と同類でも、「己巳」は日本独自のものです。

◇◇◇ 編集後記 ◇◇◇
4月下旬には二十四節気「穀雨」です。暦の上では夏に近づいています。現代の社会では、経験的な習慣の己巳や庚申などは単なる迷信と同じ扱いです。
暦の謂れを振り返ってみることも、せちがない現代での心の余裕といえます。 

皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月11日メートル法公布記念日です。■
150405_22.jpg大正10年(1921)4月11日、改正「度量衡法」が公布されたことを記念する日本の記念日です。

 大正10年に
度量衡法が公布されても、あまり日常には普及せず、メートル法が完全に実施されたのは昭和34年(1959)からで、尺貫法を用いないように決められたのは、昭和41年(1966)3月31日以後です。

古来から、物の単位というのは商業や工業の産地や同業組合などで定められていたものでした。国が形成されるようになると、一定の単位を使うよう義務づけて、取引の利便性を図るようになっていきました。

150405_23.jpg1789年フランス革命(江戸時代11代徳川家斉)
では革命政府が「週」を廃止して10日1旬の制度を導入したり、時計や角度の「60進法を廃止して10進法」に改めたり、改革を始めます。長さの単位も世界で使えるようにと地球の1周の長さの4千万分の1として「メートル」という単位を作りました。ナポレオンが登場すると10日1旬すぐに廃止してしまいますし、時計や角度の10進法も生活リズムに合わず消滅します。

 但し、メートルだけはほんとうに世界的に普及することになります。そして1875年(明治8年)国際条約で全世界の単位をメートル法に統一することが決まりました。

150405_24.jpg日本も明治19年(1886)にこの条約に加入します。 日本では「尺貫法」とメートル法の併用が続いていましたが、
昭和41年の改正「計量法」により、尺貫法による定規や升などの製造販売が禁止され、メートル法に一本化されました。

 それでも「一升瓶」を「1.8リットル入り」とし「1坪当たり50万円」を「3.3平方メートル当たり50万円」と言ったりするなど、「尺貫法」は現代でも生活に密着した所では使用されています。

作家の永六輔さんなどは尺貫法の復活を求めて自作の尺定規を売って回ったりして活動をしていました。各方面からの声に押されて現在はこの規制は若干緩和されています。
 
メートル法に反対していたのはイギリス・アメリカの「ヤード・ポンド」地域で、その影響で飛行機の高度などはごく最近までフィートでしたしゴルフではヤードが使用されています。

アメリカでメートル法移行が始まったのはほんの数年前からです。
   
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
メートルがフランス革命からの単位だとは知りませんでした。単位にはいろいろな歴史があるようで、探究するのも心のゆとりかもしれません。
筆者は尺貫法の方が生活基盤に合っているように思います。真珠の業者が使っている「もんめ」など使いやすい単位だと聞き及びます。
筆者敬白 

■4月10日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は

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暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
4月節最初の一粒万倍日です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。4月は新年度で慌ただしい月です。体調管理にはお気を付けください。時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■4月10日「京都 平野神社 桜花祭」■
120321_48.jpg平野神社」は、延暦13年(794)桓武天皇による平安遷都にともなって奈良平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を平野の地に遷座したことに始まります。式内社(名神大)で、旧社格は官幣大社。

本殿は4つの社殿が2つに結合された平野造または、比翼春日造と呼ばれる独特な造りで、重要文化財に指定されています。祭神4柱は、第一殿に「今木神」(染織・手芸・衣の神)、第二殿に「久度神」(竈・台所・食事の神)、第三殿に「古開神」(斉火の神)、第四殿に「比売神」(光仁天皇の皇后である高野新笠のこととされる)が祀られます。「今木」は百済からの渡来人の祭神です。

120321_49.jpg平野神社は「北野の梅、平野の桜」と言われる桜の名所で、境内にある約50種4百本の桜は、3月下旬から5月上旬頃まで楽しめます。中でも「平野の夜桜」は有名です。

寛和元年(985)4月10日、時の花山天皇によって臨時の勅祭が遣わされたことが始まりです。「幾世の春を床しく匂えよ」と仰せられ、舞楽「東遊」や競べ馬などが催されました。世に「北山御幸」というのは、この平野の臨時の勅祭のことです。桜花祭は午前の神事に続き、午後は騎馬や織姫達の神幸列が地域に繰り出します。行列はさながら時代絵巻で地域の町内を練り歩きます。

平野神社
◇京都府京都市北区平野宮本町1/075-461-4450
◇JR「京都駅」中央口バス「衣笠校前」下車すぐ
◇公式HP:http://www.asahi-net.or.jp/~cr8y-httr/hirano/index.htm

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今年は例年より、開花が一週間ほど早いようです。
夜桜に興じてお風邪などお召しにならないように、皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月9~17日「長浜曳山祭」です。■
120321_50.jpg長浜「曳山祭」は、日本三大山車祭の一つ。長浜八幡宮の祭りとして、4月13日から16日の4日間を中心に行われます。準備期間から含めると約3ヵ月にも及び、長浜を代表する年中行事となっています。国の重要無形民族文化財に指定され、毎年全国から数万人の観光客を集めています。

長浜八幡宮は主祭神に「誉田別命」(ホンダワケノミコト=応神天皇)、「足仲彦尊」(タラシナカツヒコノミコト=仲哀天皇)、「息長足姫命」(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)を祀ります。社格は県社。

平安時代後期・延久元年(1069)源義家からの発願をうけた後、三条天皇の勅により石清水八幡宮より御分霊を迎え鎮座され創建されたと伝わります。それよりこの地は「八幡の庄」と称えられ、庄内十一郷の産土の神として深く崇敬されました。当時の社頭は、三千石、一山七十三坊と伝えられ、本宮の石清水八幡宮を凌ぐ勢いであったといわれます。

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祭りは天正年間(1573~1591)に始まると伝わります。羽柴秀吉(豊臣秀吉)が長浜城に封ぜられたとき、この地で男子を得た喜びに城下町の町民に砂金を与えました。町民はこれを基金に12台の曳山を造り、八幡宮の祭りに曳き回したのが始まりです。

明和・安永年間(1764~1780)の頃より文化・文政年間(1804~1829)にかけて、生糸や緬、蚊帳などの生産地として栄えた資力を生かし、祭りも華やかとなって各曳山も装飾を加えて、美を競うようになりました。

長浜八幡宮
◇滋賀県長浜市宮前町13-55
◇JR琵琶湖線「長浜駅」徒歩15分
公式web:
http://www.biwa.ne.jp/~hatimang/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
開催日時が長山八幡宮のWebでは9日~15日で曳山祭は15日と記述があります。お出かけの際には日時をお確かめになってお出かけ下さい。
季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月9日「京都 今宮神社 やすらい祭」■
120318_33.jpg正暦5年(994)創建と伝わる「今宮神社」の社格は旧府社で、主祭神に「大己貴命:おおなむちのみこと」、「事代主命:ことしろぬしのみこと」、「奇稲田姫命:くしいなだひめのみこと」の3柱の神を祀ります。疫神社には「素盞嗚尊:すさのおのみこと」を祀り、「紫野神社」ともいいます。

平安京で疫病が流行り、これを鎮めるため御霊会が行われ、船岡山に創建された疫病鎮護の神社が起こりと伝わります。明治29年に本社殿を焼失しましたが、6年後の35年に再建し、西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めています。

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やすらい祭り」は、御霊会を現代に伝える行事として毎年4月の第2日曜日に行われます。「太秦の牛祭」・「鞍馬の火祭」とともに「京都三奇祭」の一つに数えられています。やすらいは「夜須礼祭」、「安良居祭」とも記され、花とともに飛び散ろうとする疫神を鎮めるために行われた「鎮花祭」と、御霊信仰に基づく「御霊会」とが結びついて生まれた花の祭りです。

やすらいの花や」と囃しながら町内を練り歩き、今宮神社に参ります。行列が掲げる風流傘と呼ばれる「花傘の中に入ると厄を逃れる」との言い伝えから、皆競って花傘の中に入るのが習わしとなっています。

神社境内には、手のひらで軽く三度叩いて持ち上げると重くなり、次に願いを込めて三度撫でて持ち上げ、軽くなっていれば願いが叶うという「阿呆賢(あほけん)さん」と呼ばれる「」があります。

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門前に並ぶ和菓子屋では、名物「あぶり餅」が売られます。あぶり餅とは、きな粉をまぶした小さなお餅を竹串に刺して炭火であぶった後、白味噌の甘だれをかけた餅菓子です。疫病が蔓延した頃には、あぶり餅を人々に振舞ったとも。

あぶり餅に使われる竹串に、今宮神社に奉納された斎串(いぐし)を用い、病気平癒や厄除けの御利益があると伝えられています。
 
今宮神社
◇京都府京都市北区紫野今宮町21
◇公式Web:http://imamiyajinja.org/top/index.html
◇参考Web:http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/03/019/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今宮神社Webから「半年の罪穢れを人形に依せて流す行事が行なわれてきました。厄疫を鎮めるやすらい祭が行なわれ、鎮疫に現れる鬼の装束を模した人形をやすらい人形と言い、社頭にて随時授与しております」
今宮神社は古来から疫病や息災除けを祈願し、特にやすらい祭は健康祈願の祭礼で、京都三大奇祭です。お出かけの際には風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月9日「笠間稲荷 春季例大祭」です。■
120321_46.jpg「笠間稲荷神社」の旧社格は村社、現在は神社本庁の別表神社。この地には胡桃(くるみ)の密林があり、そこに神様が祀られていたことから「胡桃下稲荷:くるみがしたいなり」、江戸時代の藩主の一族・門三郎の深い信仰心により人々に功徳を施したことから「紋三郎稲荷:もんざぶろういなり」とも呼ばれます。

御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)の間の御子の「宇迦之御魂命:うかのみたまのみこと」(正一位の最高位の神)。第36代宇迦之御魂命の御代、白雉2年(651)の創建。1350余年の歴史を有する由緒ある神社で、日本三大稲荷のひとつです。

110404_22.jpg4月9日は笠間稲荷神社創建の日とされ「例大祭」が行われます。午前11時、正装した宮司以下神職、献幣使、献香、献茶を奉仕する各宗匠、氏子総代、全国よりの招待者が、雅楽を奏でる伶人等を先導に参進し、お米、お酒、海の幸、山の幸などを大神さまに供え、皇室の弥栄国家の繁栄世界の平和を祈るとともに氏子、崇敬者、国民の幸福を祈願します。

また、茨城県下醸造元からの銘酒奉納による献酒祭も執り行なわれます。境内では、銘酒ラベル展をはじめ、池坊、古流・小原流の献花の展示、江戸千家・表千家・裏千家など各流派の野点が行われます。

120321_47.jpg本殿は江戸末期の建築で国の重要文化財、境内にある「藤樹」は2株からなり、1本の八重藤は花が葡萄の実のように集合して咲く珍しい種類です。ともに樹齢4百年の県の天然記念物に指定されています。

笠間稲荷神社
◇茨城県笠間市笠間1
◇JR水戸線「笠間駅」バス5分「友部IC」から10分「水戸IC」から20分
公式HP:
http://www.kasama.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

境内の藤樹は樹齢400年に及ぶもので、内1本の八重藤は花が葡萄の実のように集合して咲く珍しい種類です。藤棚はGWの頃が見ごろです。
読者の皆様、4月に入り暖かくなったとはいえ、朝夕は冷え込む日もあります。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月8日「神道修成派大祭」です。■
120318_26.jpg正式名称は「宗教法人・神道修成派」。御祭神に造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)を祀り、伊邪那岐神・天照大御神・天神地祇八百万の神々を総じて修成大神と奉稱。

教祖・新田邦光は、徳島県美馬郡脇町拝原で誕生。幼少より文武両道を研鑽し、19歳頃から諸国を巡遊しました。勤王の志士として粟田宮・岩倉具視・梅田雲浜・橋本左内らと交遊しました。
嘉永元年(1848)20歳の時、布教伝道の志を立て、安政年間には京都聖護院村で門人の教化を開始。

明治維新の後、政治の渦中に巻き込まれ、武州忍城に幽閉され、幽閉中に宗教的回心に達し、赦免の後、修成道の教法によって教導に専念。明治2年(1869)「修理固成光華明彩」の教法によって開教。

明治6年「修成講社」の創立を許可され、明治9年(1876)一派特立が許可されました。以来「神道修成派」の教団名を用いています。

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「修理固成光華明彩」を八字の御称号と申し、常に心に念じ口に唱えます。造化三神の御神勅「修理固成」は、森羅万象を立派に完成するのみならず、特に自己の心魂を正しくすることであり、さらに天照大御神の公明正大な御神徳「光華明彩」を体して修成道に励み、幸福な人生、社会を築くことを目指しています。

毎年4月初旬には大祭が執り行われます。

神道修成派
◇東京都杉並区松庵3-15-12
◇公式Webhttp://www6.ocn.ne.jp/~kyoutyou/

■4月8日「潅仏会」「花まつり」■
120321_45.jpg潅仏会:かんぶつえ」とは、旧暦4月8日、釈迦の誕生を祝して行われる法会のことです。仏生会浴仏会などとも呼ばれます。昭和に入ってから「花まつり」という名称が一般的で、関東では4月8日、関西では5月8日にそれぞれ行われます。

寺院で行われる潅仏会では、花を飾った御堂(花御堂)をつくり、浴仏盆と呼ばれる水盆に誕生仏を安置し、竹の柄杓で甘茶を注いでお参りします。

甘茶をかけるのは、釈迦様が誕生の時に、九つの竜が天から清浄の水を注ぎ、産湯に使わせたという言い伝えからです。正式には五香水と呼ばれる五種類の香水を用います。

誕生仏とは、釈迦誕生の仏像のことで「天上天下唯我独尊」といって、手は天を差し、もう一方の手は地を指す姿です。

参拝者はこの甘茶を竹筒に入れて持ち帰ります。これで墨をすり「虫」の一文字か「昔より卯月八日は吉日よ神さけ虫を成敗ぞする」と書いた紙を便所に張るという。そうすれば、蛆が生じないとされていました。明治の頃までは、竹筒を提げて甘茶をもらいに来る子供達で賑わい、門前には竹筒を売る店が並んだそうです。

潅仏会はインドから中国を経て日本へ伝わりました。かつてインドでは、この日を聖日とし、釈迦の童形を飾って楽を奏で、香華を焚き、香水で沐浴潅洗する潅仏の式が行われていました。中国でも盛んに行われ、日本では推古天皇の時代から行われていました。

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潅仏会を花祭りというようになったのは、明治34年から。戦前は稚児行列・舞踊・礼讃の歌などが披露され、子供中心の祭礼でした。日比谷公園の花祭りなどが代表的です。

一方、もともと日本には4月8日に登山し、花摘みや花見をして神を迎える風習がありました。長い竹の先に、石楠花(しゅくなげ)や躑躅(つつじ)などの花束をつけて庭に立てたりしました。また、この日は山の神や田の神を祀る行事もあり、豊作を祈願するのが本来の花祭りの姿だったことが伺えます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
花祭りは敬虔な仏教徒の簡易的な催しに変化しています。もともとの山岳信仰に五穀豊穣祈願する催しと、釈迦誕生祭とが一緒になったものです。伝えられている主な行事は明治時代に入ってからのものが多く、平成の今日に至っています。

今年の花祭りには、東日本大震災、原発事故収束のメドがたって欲しいのもです。いまだに避難所暮らしの方や、仮設住宅暮らしの方には先の見えない日々が続いていることでしょう。花祭りを機会に早期収束を祈願したいものです。
筆者敬白

■4月7日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

120125_15.jpg一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
今月末はゴールデンウイーク、季節は春から夏への変わり目です。
お風邪などお召しにならないように、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月7日「法然上人誕生会」です。■
法然上人:ほうねんしょうにん」は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧侶で浄土宗の開祖。真宗七高僧の第七祖。円光大師、「法然」は房号で諱は源空。幼名は勢至丸。

120318_22.jpg長承2年(1133)4月7日、美作国久米南条稲岡庄(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国(うるまときくに)と、母・秦氏君との間に誕生。夫婦には子供がなかったので観音様に一心込めて子の授からんことを願い、やがて四月七日玉のような男の子を賜ります。誕生の時、空から二流の白幡が舞い降りて屋敷内の椋の木の梢にかかり7日の後に飛び去ったと伝わります。二幡の椋誕生椋と呼ばれます。

保延7年(1141)9歳の時、漆間家は突然、明石源内武者・定明の夜襲を受け父を失いますが、仇として定明を追う事を戒めたうえに「仏道を歩み安らぎの世を求めよ」との父の遺言によって仇討ちを断念。母の弟・観覚得業上人に引き取られ、15歳の時に比叡山の皇円について得度。比叡山黒谷の叡空に師事し「法然房源空」と名乗ります。18歳の頃には多くの経典を読破し、優秀な学僧として将来を嘱望されます。

承安5年(1175)43歳の時に善導の「観無量寿経疏(観経疏)」によって専修念仏に進み、比叡山を下って東山吉水に住み、念仏の教えを弘めました。この年を浄土宗の立教開宗の年としています。文治2年(1186)大原勝林院聖浄二門を論じ(大原問答)、建久9年(1198)「選択本願念仏集(選択集)」著。

法然は特に中国の善導の思想を重視しました。それは「極楽浄土への往生を一心に願い、常に念仏をしていれば、必ず阿弥陀仏がその者を救ってくれる」という思想でした。その教えは、そのわかりやすさから多くの人々の帰依を受けることになります。既成の仏教教団にとっては非常に危険な思想でもありました。その為、法然は弟子たち共に激しい弾圧を受けます。

120318_23.jpg元久元年(1204)比叡山の僧徒は専修念仏の停止を迫り蜂起したので、法然は「七箇条制誡」を草して門弟190名の署名を添えて延暦寺に送りましたが、興福寺の奏状により念仏停止の断が下されました。

建永2年(承元元年・1207)法然は還俗され、藤井元彦の名前で土佐国(讃岐国)流罪となりました。この「建永の法難」では、二人の弟子が死罪になり、法然及び数人の弟子が各地に流罪になりましたが、結果的に浄土系仏教を全国に広めることになりました。

4年後の建暦元年(1211)赦免になり帰京。翌年1月25日死去。享年80歳。1月23日に源智の願いに応じて遺言書「一枚起請文」を記しています。

法然の門下に、證空・源智・弁長・幸西・親鸞・長西らがいます。俗人の帰依者、庇護者として、九条(藤原)兼実、熊谷直実、宇都宮頼綱らが著名。
 
誕生寺
◇岡山県久米郡久米南町誕生寺里方八〇八
◇誕生寺Web:
http://www.d3.dion.ne.jp/~tanjoji/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
誕生寺の公式Webによると、『日本三大練供養の一つ「会式法要」とあります。この法要は古く室町時代から始められ、本格的には元禄時代より奉修されてまいりました。
正式名称は「法然上人ご両親追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」お会式の法会に御縁を結ばれますと、厄病魔は去り、やがて臨終の暁には無苦大往生が得られると、全国から沢山の方々がご参詣されます。』
とあります。
4月に入り季節も過ごしやすい頃です。花見に興じて夜風にあたってお風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月6~15日「春の全国交通安全運動」です。■
150504_28.jpg例年だと4月6~15日が「春の全国交通安全運動」が実施されます。
なお、運動実施期間中の
4月10(日)は交通事故死ゼロを目指す日です。

平成29年の全国交通安全運動は――

・自転車の安全利用の推進
(とくに自転車安全利用五則の周知徹底)
・全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
・飲酒運転の根絶
(地域の交通事故実態等に則して、地域の重点が定められることがあります)
このように交通事故防止の徹底を図ることを目的としています。


150504_29.jpg平成29年春は、特に「子供と高齢者の交通事故防止~事故にあわない、おこさない~」を運動の基本とし、自転車の安全利用の推進(特に、自転車安全利用五則の周知徹底)、全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底、飲酒運転の根絶を全国重点として、普及啓発活動を全国各地で一斉に行います。

また、みなさん一人一人が交通安全について考え、行動し、悲惨な交通死亡事故を無くしていきましょう。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
4月になると黄色い通学帽をかぶって学校前の横断歩道を手を挙げて渡る通学児童の姿が目立つようになります。
近年では上級生と一緒に一列になって通学する通学班が目立ちます。
朝の通勤時間に通学することから、春の交通安全運動は、地域ぐるみで子供を事故に巻き込まないように啓蒙しています。
お子さんをお持ちのご父兄の方はミドリのおばさんならぬ、交通補助員を経験した方も数多くいらっしゃるでしょう。

筆者敬白

■4月7日世界保健デーです。■
150405_20.jpg世界保健デーは、世界保健機関(WHO)が設立された昭和23年(1948)4月7日を記念して制定されたものです。
毎年、世界的に影響を及ぼしている保健課題の1つに焦点をあてたグローバルなキャンペーンが展開されます。

世界保健デーのテーマは毎年変わり、世界的に重要であり課題性のある事項に焦点を当てて、健康に関心を高め対策行動への契機とするために設定されます。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇

目立たない活動のように感じられますが、衛生観念が私たちの社会に根付いているのは、WHOのような地道な活動があったからにほかなりません。
一昨年、中国で映像が流失した期限切れ鶏肉の偽装販売は、社会に大きな衝撃を与えました。ネットでは危ない食品が日常的に出回るようになりました。外国産の原材料を使った加工食品は問題があるようです。
今こそ、食の安全が一層求められていると感じます。
筆者敬白

■4月7日「甲子(きのえね)」です。■
甲子:かし・かっし・きのえね」とは、甲子待ち・甲子祭の略称。子祭ともいいます。

110906_19.jpg五行説で「甲」は陽の木、「子」は陽の水で五行相生して吉となり、よい組み合わせです。また十干十二支(じゅっかんじゅうにし)の組み合わせ60種のうちの「1番」で、目出度い日とされています。

この日、甲子待ちと称して子の刻(午後11時~午前1時)まで起きて、大豆・黒豆・二股大根を食膳に供え、大黒天を祀ります。子(ね)を、ねずみと結びつけ、ねずみを大黒天の使いであるとみなして、子の日に祀るようになりました。

甲子(きのえね)・庚申(こうしん)・己巳(つちのとみ)は、江戸時代に商家で盛んに行われました。現在でも各地に行事として残っています。

甲子は、日では60日で循環し巡り、年では60年で循環し巡ります。中国では甲子の年は政治上の変革があるとされ、甲子革命が説かれたりしました。日本でも甲子の年には、元号の改元が議論されたりしました。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
社会では始まりや一番目は、お目出度いとされています。「甲子」も干支の1番目で、決断、改革、転居、方針転換、新規チャレンジ、入学、新しい仲間などにチャンスがあります。
また、甲子の年に政変が多く起こり、
年号が変わることがあります。

今年に入り2回目の「甲子」です。もうすぐ5月でGWです。計画はお早めに!
読者の皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月5日(旧3月9日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。
ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年4月4日「清明(せいめい)」です。◆

140331_20.jpg
4月4日23時17分「清明」です。旧暦3月、辰(たつ)の月の正節で、春分から15日目にあたります。天文学的には、太陽が黄経15度の点を通過するときをいいます。

清明は「清浄明潔」の略。「万物ここに至って皆潔斎なり」と称し、春先の清らかで生き生きした様を云ったものです。春気玲瓏(れいろう)にして、桜や草木の花が咲き始め、万物に清朗の気が溢れてきます。

暦便覧
では「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」とあり、草花の芽が出る頃とあります。また、招福歴では「万春の陽気満つ、桜花開くとき」と此芽を桜花としています。七福神と桜花の相性がいいからかもしれません。

沖縄では、清明祭(ウシーミー)という墓参の行事が行われます。墓前に一族縁者が集まり、お酒やお茶、お重に詰められた料理を供え、そのお下がりをいただくのがしきたりになっています。もとは、中国から伝わった風習ですが、沖縄の習俗として定着しています。

中国の「清明節」では、祖先の墓を参り、墓掃除をする日とされ「掃墓節」が一般的です。また、春を迎えて郊外を散策する日であり「踏青節」などとも呼ばれます。

清明前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までに詰まれた茶葉を「雨前茶」、穀雨以降の茶葉を「雨後茶」といいます。清明節に近い時期に摘む茶葉は、特に香りと甘みがあり、高級茶葉の扱いをされます。

◆◆「七十二侯」◆◆
初候「玄鳥至」(げんちょう いたる:つばめ きたる)
◇玄鳥(つばめ)が毎年いつものように南からやって来る時節。玄鳥=つばめの異称。
次候「鴻雁北」(こうがん きたす)
◇雁が北へ渡って行く時節。鴻雁=渡り鳥のがん(鴻鴈)北する=北方へいく、かえるの意。
末候「虹始見」(にじ はじめて あらわる)
◇雨の後に虹が出始める時節。

110331_18.jpg◆◆「4月の花」◆◆
「桜」さくら Japanese cherry 薔薇(ばら)科 サクラ属 原産国日本
学名:Prunus × yedoensis(染井吉野)/Prunus lannesiana var. speciosa(大島桜)/Prunus jamasakura (山桜)

開花時期 4月1~10日頃 気象庁が発表する全国の桜の開花前線予想は、1日の平均気温が10度を越えたら「開花」とし、実際の開花宣言は各地の標本木の花の咲きぐあいをもとになされます。開花宣言から1週間ぐらいあとが見ごろです。

日本の桜の8割以上が、うすピンク色の花を付ける「染井吉野・そめいよしの」です。白花でよく見かけるのは「大島桜・おおしまざくら」。桜が満開で素晴らしい眺めのことを「桜花爛漫・おうからんまん」といいます。

120312_51.jpg桜の霊「木之花咲耶姫:このはなさくやひめ」が、最初の桜のタネを富士山から撒き、「さくやひめ」の名から「さくら」になったと伝わります。「この花(桜)のように美しい姫」の例え。

江戸時代、江戸駒込の染井村から植栽が始められました。はじめは見事な桜の代名詞として「吉野桜」と呼ばれましたが、誕生地の「染井」の名を加えて「染井吉野」と呼ばれるようになりました。

山桜は、花が咲くのと葉が出てくるのがほぼ同時で、葉が茶色いのが特徴ですが、5月を過ぎると緑色の葉になります。桜餅・さくらもち」に使われるのは、大島桜の葉。若葉を塩漬けにし、クマリンの香りを引き出すことで、独特の香りと塩味が出ます。これは防腐剤の役目。

サクランボ」は、西洋桜などにしか実りません。ソメイヨシノ(染井吉野)などの桜にも5月頃に赤い実がなりますが、サクランボより小さくて固いものです。日本の国花「」は、山桜のことです。他には「」。染井吉野は東京都の花、富士桜は山梨県の県花です。

花言葉「優れた美人」「純潔」「精神美」「淡泊」「優美」など。 山桜=「あなたにほほえむ」

小野小町/「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」古今集・百人一首

◆◆◆お花見◆◆◆
花見とは、桜の花を観賞する為にお弁当やお酒を持参で山野へ出掛ける行事のことです。元々は、3月3日「上巳の節句」と同様の性質で、祓えのために山野へ出掛ける宗教的な儀式のひとつでした。

期日も3月3日または4日と決められており、「花見の勧進」などという行事が行われていました。多くは4月8日を花見の日としていたようで、この日を「春の祭礼の日」とする社寺が多いことでもわかります。

奈良・平安時代には、花を見て歌を詠んだり、踊りに浮かれたりという楽しみがありました。宮中では、連日花の宴が持たれ、歌を詠み、酒を酌み交わしていました。この時代に花を詠んだ歌が、数多く残っていることでもわかります。

江戸時代になると、花見は庶民にも広がり、江戸中期元禄時代には盛んに花見が行われるようになりました。かくして江戸は「花のお江戸」となったのです。

東京で桜の名所といえば、上野公園・新宿御苑・千鳥ヶ淵(皇居)・隅田公園・飛鳥山・小金井公園・井の頭公園・荒川堤・向島・江戸川・明治神宮・靖國神社などです。

日本の桜の開花時期は、3月中旬から6月中旬にかけて各地で桜が楽しめます。桜前線(気象用語)では、毎日、桜の見所を報じてくれます。

130320_22.jpg花見には、花見団子桜餅がつきものです。花見団子は、赤・白・緑の三色団子を串に刺したもの。桜餅は、食紅で桜色に染めた餅を桜の葉で包んだものです。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
気象庁のお花見前線によると、東京では3月下旬が見ごろです。
例年よりも5~7日ほど早い開花で、皇居の千鳥が淵のライトアップは3月28日~4月6日です。今年も夜桜を観られることを嬉しく思います。
毎年のことですが、石神井公園や上野公園などマナーの悪さから、公園の近隣の住人に迷惑をかけたり、急性アルコール中毒にかかって緊急搬送されています。
節度を持ってエコ花見を心がけましょう。
思い出せば、35年前に新入社員の初仕事は、花見の場所取りで午前中が雨、夕方から曇りになってライトアップされた事を思い出します。

夜風は身体に毒です。夜桜見物でお風邪などお召しになりませんようにお体ご自愛の程
筆者敬白

■4月4日「奈良 竜田大社祭」■
130403_20.jpg「天御柱命:あめのみはしらのみこと」、「志那都比古命:しなつひこのみこと」、「国御柱命:くにのみはしらのみこと」、「志那都比売命:しなつひめのみこと」を祀る「竜田大社」(たつたたいしゃ)は、風力主宰・五穀豊穣の神で、古来より朝廷の崇敬篤い名神大社です。
 
竜田風神は、日本書紀に「説天武四年、風神を竜田の立野に祠るらし」とあります。摂社に「竜田比古」「竜田比売」を祀ります。
 
110404_15.jpg<白髪の老人の伝説>
聖徳太子が16歳の時(589)、飛鳥から来られて法隆寺建立の地を平群川(龍田川)に沿って探しておられました。この折りに、白髪の老人が現れ「ここから東、ほど近いところに斑鳩の里がある。そここそ仏法興隆の聖地である。われ守護神となろう」とお告げがあった。この老人こそ龍田明神の化身でした。

130404_21.jpg例祭は4月4日。前日に滝津瀬川で梁を張り魚を取ります。それを岩瀬の森の川神に神饌を供え奉告をします。そのあと荷桶に入れて本社に担ぎ帰り4日奉献の後にもとの河に放魚する。これが滝祭りです。7月4日は風鎮祭。
 
竜田大社
◇生駒郡三郷町立野南1-29-1
◇JR・近鉄「王寺駅」より奈良行バス「竜田神社前」徒歩約1分
龍田神社:
http://www.genbu.net/data/yamato/tatuta2_title.htm

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
竜田神社の歴史を書いていると、数々の逸話がある神社です。それだけ歴史があるようです。運輸関連、風の神、など古来よりの官幣大社だったなごりから、各地の方々の崇敬をあつめています。
魚業を中心とした祭礼はとても他に類似のものがない珍しいものです。この付近には昔から豊かな河川があった証です。
季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月3日「隠元禅師 忌」です。■
120312_49.jpg日本三禅宗の一つ「黄檗宗:おうばくしゅう」の開祖として知られる「隠元隆琦:いんげんりゅうき」は、福建省福州府生まれの僧。俗名は、林曽炳。特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師。尊称は、真空大師、華光大師。

福建省の黄檗山萬福寺の住職だった隠元は、承応3年(1654)63歳の時に、弟子30人余を伴って渡朝。当時、日本では禅宗が衰退していました。それを案じた興福寺(長崎)の三代目唐僧・逸然(いつねん)と唐寺の檀家たちは、高名な隠元禅師による新たな禅宗の伝来を願い、来日を懇願する書状を数回にわたり送り届けたのでした。隠元は日本への渡海を決心し、弟子をはじめ仏師、絵師などの職人らも引き連れて来日しました。

日本の僧侶の質問に丁寧に答え、座禅の教えを広めた隠元は、当初3年で帰国の予定でしたが、長崎滞在から1年後、徳川四代将軍・家綱に日本にとどまるように言われて永住を決意しました。後水尾法皇、徳川四代・家綱の崇敬を得て、京都宇治に9万坪の寺地を賜り、寛文元年(1661)黄檗宗の総本山として故郷の寺と同じ名の黄檗山(おうばくさん)萬福寺を創建しました。81才で亡くなるまで幅広く慕われました。

110326_14.jpg独特の威儀を持ち、念仏禅を特徴とする「明朝禅」を日本に伝え、当時の禅宗界に多大な影響を与え、臨済、曹洞二宗の復興運動にも大きな影響を与えました。また、建築や書画など明の文化をもたらし、大きな影響を与えました。他、煎茶普茶料理(ふちゃりょうり=中国僧の精進料理)を伝えるなどの功績を残しています。 日本における煎茶道の開祖ともされます。

現代、日常的な野菜となっている「インゲン豆」は、隠元が普茶料理の材料として持ち込んだのが普及したもの。タンパク質の補給源として採用されていました。原産は中南米。他に、孟宗竹(もうそうちく)、スイカ、レンコンなどをもたらしたと伝わります。この日4月3日は「インゲンの日」にもなっています。

萬福寺では、開山祥忌法要が執り行われます。

隠元禅師といえば普茶料理(ふちゃりょうり)です。
以下はホームページを引用

130320_21.jpg『本宗の開祖 隠元禅師が中国から伝えた精進料理です。「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味を示すところから生まれた言葉です。
中国文化の香りがし、
日本の山野に生まれた自然の産物を調理し、すべての衆が佛恩に応え報いるための料理です。席に上下の隔たりなく一卓に四人が座して和気藹藹のうちに料理を残さず食するのが普茶の作法です。禅宗では「五観の偈(ごかんのげ)」※という厳しい戒律もあることも忘れてはいけないことです。素朴、幽遠な禅味のある三百数十年の伝統と風味をご賞味ください。』

とあります。

※【五観の偈】
 一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
 二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。
 三には心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
 四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
 五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。

【解 説】
 一つ目には、この食事が調うまでの多くの人々の働きに思いをいたします。
 二つ目には、この食事を頂くにあたって自分の行いが相応しいものであるかどうかを反省します。
 三つ目には、心を正しく保ち過った行いを避けるために、貪りの心を持たないことを誓います。
 四つ目には、この食事を、身体を養い力を得るための良薬として頂きます。
 五つ目には、この食事を、仏様の教えを正しく成し遂げるために頂きます。

萬福寺
◇京都府宇治市五ヶ庄三番割34
◇JR奈良線・京阪宇治線「黄檗駅」徒歩5分
◇京滋バイパス「東IC」出口から京都市内方面約5分
◇萬福寺HP:
http://www.obakusan.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
健康を保つ為に健康な食材を使うといった、今では当たり前の食文化を伝えた隠元禅師忌を機会に素材に対して感謝したいところです。
筆者敬白

■4月3日「庚申(こうしん)」です。■
110225_17.jpg「庚申:かのえさる・こうしん」は、「庚申待ち:こうしんまち」、「宵庚申:よいごうしん」、「庚申祭:こうしんさい」などを総称していう言葉。干支の組み合わせ57番目。八専の9番目。年に6~7回あります。

五行説では「庚:かのえ・こう」は「陽の金」、「申:さる・しん」も「陽の金」性であることから、この日は「金気」が重なって天地に充満して冷ややかになり、人心が冷酷になり易いとされます。

昔は「天地万物の気、庚申の日に変革される」と思われていて、最も重要な忌日でした。
また、庚申に続く「辛酉:かのととり・しんゆう」も金が重なる日で、さらに陰の金が重なるので冷ややかさを一層増すというのです。

このことから「庚申」「辛酉」の年はおおいに忌(い)まわれ、政治的変革が起こることを防ぐために2年続けて改元が行われることもありました。<例>万延元年(1860)文久元年(1861)など。

120811_30.jpg「庚申」はもともと中国の道教の伝説からきた禁忌(きんき)です。人間の体内には「三尸(さんし)の虫」が、頭と腹と足にいて、いつもその人の悪行を監視しています。60日ごとに巡る庚申の夜、人間の睡眠中を伺って体外に抜け出し、天に昇って天帝にその悪事を報告するという。そして、人間の命を短くするのです。

これをさせないために、庚申の晩は神々を祀り、酒盛りなどをして夜を徹しました。村の中心をなす家に集まり、祭祀をしたあとに会食を行いました。

禁忌(きんき):習慣的に禁止したり避けたりしていることそのものを指す。またはタブー

日本に伝わったのは、古く朱雀天皇の天慶2年(939)、または、文徳天皇のときに、智証大師が持ってきたものと伝わります。「枕草子」にも庚申待ちの話が登場します。江戸時代に入って民間で盛んに行われるようになり現在でも各地に「庚申塔」が残されています。

120212_15.jpg仏教では、庚申の本尊を「青面金剛:しょうめんこんごう」および「帝釈天:たいしゃくてん」に、神道では「猿田彦神:さるたひこのかみ=天狗さま」に結び付けています。

旧暦の月で選日を行うため、庚申の日は1年に5~7回あることになります。7回あるのを「七庚申」といって非常に喜びました。このことから庚申待ちの夜は「七色の菓子」を供えたり、七度線香をあげ、七回真言のお題目を唱えたりするようになりました。

また、申と猿が結び付いたことから、猿を庚申様の使いに見立て「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿信仰山王信仰」にもなっていきました。

さらに、申と「去る」が結び付いて、この日は結婚を忌む風習もありました。この夜に出来た子供は泥棒になるとか。この夜は男女の和合をしてはいけないなどとも言い伝えられています。

庚申の日は「帝釈天の縁日」になっています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
商品相場や株の世界では「庚申の逆張り」「庚申の曲がり角」などと縁起を担いでいます。 予想の出来ない動きになるということです。 残念ながら、庚申は現代社会では迷信の域にはいってしまった暦日です。日々の戒めに謂われを振り返ってみることも余裕の一つです。 
皆様、季節の変わり目で体調を崩し易い頃です。くれぐれも油断から体調を崩さないよう、お体ご自愛専一の程 

筆者敬白

■4月2日「佐原、香取神宮 御田植祭」です。■
120318_24.jpg下総国一宮「香取神宮」の旧社格は官幣大社。日本全国に約400社ある香取神社の総本社です。御祭神は「経津主大神:ふつぬしのおおかみ」で、又の御名「伊波比主命:いはひぬしのみこと」といいます。

神武天皇18年(紀元前643)の創建。平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、延喜式神名帳によると「伊勢神宮」「鹿島神宮」「香取神宮」の3社だけで、鹿島神宮・香取神宮とともに蝦夷に対する大和朝廷の前線基地でした。関東地方を中心に全国に分社の「香取神社」があります。

経津主大神は、出雲の国譲りの神話に出ている神様です。はるか昔「天照大神」(伊勢神宮・内宮の祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い乱れていました。大御神は八百万神に相談すると、「天穂日命:あめのほひのみこと」がすぐれた神であるということで遣わされましたが、出雲国の「大国主神:おおくにぬしのかみ」に従ってしまったので、次に「天稚彦:あめのわかひこ」が遣わされました。

天稚彦もまた忠誠の心なく「顯國玉神:うつしくにたまのかみ」の娘の「下照姫:したてるひめ」を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。大御神が「八百万神」に慎重に相談させると、神々が口を揃えて「経津主神」こそふさわしいと申し上げ、そこへ「武甕槌大神:たけみかづちのかみ=鹿島神宮の祭神」が申し出られたので、共に出雲に派遣されることになりました。

経津主・武甕槌の二神は、出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて「十握剣:とつかのつるぎ」を抜いて逆さに突き立て武威を示されると、大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、「平国の広矛:くにむけのひろほこ」を受け取り、二神は日本の国を平定して大御神の元へ復命されました。

120318_25.jpg香取神宮の御田植祭は、伊勢神宮大阪住吉大社とならび「日本三大御田植祭」の一つに数えられています。風水害なく無事に田植えを終え、秋の五穀豊穣を祈願するお祭りです。

初日の耕田式、翌日の田植式と2日間にわたって行われ、耕田式では拝殿の前庭において鎌・鍬・鋤・牛を使っての田植え前の田を耕す風景を模した儀式が行われ、舞女の田舞の歌や早乙女手代の田植え歌が奏されます。

田植式では8人の稚児大華傘の下で参列し、地元の少女たち12名による田舞が奉納されます。神職等が参道を進み、神田へ向かい、実際に田植えの儀式が行われます。早乙女手代が田植え歌を唄いながら苗を植える姿は、昔の稲作風景を伝えるほのぼのとしたもの。この時期は例年桜の見頃となり、境内は桜に包まれ、祭りに一層の彩りを添えます。

香取神宮
◇千葉県香取市香取1697
◇JR成田線「佐原駅」から香取行きバス終点
香取神宮Web:
http://www.katori-jingu.or.jp/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
日本三大御田植祭は千葉の香取神社、大阪の住吉大社、、伊勢神宮です。一説には志摩の伊雑宮も含まれます。お田植え祭はどれも春先の桜の時期でいい季節柄です。最近では古来からの稲作風景を再現する催しが一般的です。
暦の上では清明を迎え、観光にはとてもよい季節です。ぜひ御田植え祭り見物にお出かけください。日本のルーツを見る思いですよ。
日が沈んで夜になると冷え込みます。お風邪など召さないように一枚多めに着込んでお出かけください。

読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月2日「日光、輪王寺 強飯式」です。
強飯式:ごうはんしき」とは、日光山に古くから伝わる儀式で「強飯頂戴の儀」のことです。

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日光山は神仏習合の霊山として開かれ、山伏の山岳修行が盛んになり、行者達がご本尊に供えた「お供物」を持ち帰って里の人々に分け与えたことが始まりと伝わります。

日光山は、天皇の皇子を「輪王寺の宮」として迎えた「鎮護国家の道場」として知られます。江戸時代には、十万石以上の大名でなければ頂戴人を勤めることは許されませんでした。徳川将軍家の名代や全国の名だたる大名たちが強飯頂戴人に名を連ねました。

「強飯式」の儀式全体は、「三天合行供・採灯大護摩供」「強飯頂戴の儀」「がらまき」の3部から成り立っています。

始まりの儀式では、僧侶・山伏・頂戴人が三仏堂に入堂。お堂の全ての扉が閉じられ、壇上に灯された1本の蝋燭で明かりをとります。「三天合行供」の読経とともに、「採灯大護摩供」の炎が上がります。

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次いで頂戴人の方々が壇上に並び「強飯頂戴の儀」が始まります。御神酒・祈願文・強飯・菜膳・金甲・供養の順で進められます。大鉢に盛られた飯一人分は何と3升!75杯、残さず食べろ!」と山伏たちが責め立てます。これが「日光責め」と呼ばれる所以です。

最後に、「がらまき」です。強飯頂戴の儀を無事に済ませた「頂戴人」たちが、授かった福徳を「自分だけのものとせず、他の人にも分ける」という仏教えに従い、縁起物や玩具の品々を本堂回廊から一般参拝者へ向けて一斉に撒きます。この「がらまき」で強飯式の総仕上げです。

日光山「輪王寺」
◇栃木県日光市山内2300
◇JR・東武「日光駅」バス10分
◇輪王寺公式HP:
http://www.rinnoji.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
飽食といわれて久しい今日です。スーパーには海外からの輸入食品が並んでいます。強飯式を機に日本の農業、食文化について振り返って見ましょう。食事の前に「いただきます」、食後に「ごちそうさまでした」と感謝の気持ちを込める日本の食文化を世界中に広げたいものです。
季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月1日「岐阜、伊奈波祭」です。■
120318_28.jpg美濃国三宮「伊奈波神社:いなばじんじゃ」の旧社格は国幣小社。式内社「美濃国厚見郡・物部神社」に縁のある神社です。壬申の乱(じんしんのらん)の際、天武天皇が戦勝を祈願したと伝わります。

垂仁天皇の第一皇子「五十瓊敷入彦命:いにしきいりひこのみこと」を主祭神に祀り、妃の「淳熨斗媛命:ぬのしひめのみこと」、母の「日葉酢媛命:ひばすひめのみこと」、外祖父の「彦多都彦命:ひこたつひこのみこと」、臣下の「物部十千根命:もののべのとちねのみこと」を配祀します。これらの神を「伊奈波大神」と総称します。

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主祭神「五十瓊敷入彦命:いにしきいりひこのみこと」は、第11代「垂仁天皇」の長男で、第12代「代景行天皇」の兄で古事記、日本書紀にも登場します。父親だった「垂仁天皇」から弓矢を賜り武事を治めたと伝わります。河内、大和、摂津、美濃など諸国に開拓された池や溝の数は、実に800にも達し、このため産業は盛んになり農事は豊かになって、天下は泰平であったと記されています。更に茅渟の川上宮にて剣1千を作り、これを石上神宮に納めて有事に備えていました。現在での内政、土木、軍事などあらゆる面で手腕を発揮したといえます。

天文8年(1539)斎藤道三稲葉山に稲葉山城を築城する際に現在地に遷座。この地にあった物部神社を合祀し、稲葉山城の鎮守としました。以降も岐阜の総産土神として篤い崇敬を受け、明治6年に県社に列格。昭和14年に国幣小社に昇格。

「伊奈波祭」は伊奈波神社の例祭で、岐阜市内の「金神社」「橿森神社」を始め市内の多くの神社の例祭と共同で行われ、商工祭の「道三まつり」も同期間に行われるため、岐阜市内は祭りムード一色になります。この期間に岐阜市内で行われる全ての祭りを総して「岐阜まつり」と呼びます。御神幸、山車奉曳、打上花火など、全市をあげてのお祭でたくさんの人出で賑わいます。

130403_22.jpg申の乱(じんしんのらん)天武天皇元年(672):歴史上古代最大の内乱、天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。反乱者である「大海人皇子」が勝利するという、例の少ない内乱であった。

伊奈波神社
◇岐阜県岐阜市伊奈波通1-1
◇JR「岐阜駅」、名鉄「新岐阜駅」バス約15分
◇伊奈波神社公式Web
http://www.inabasan.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
伊奈波神社といえば2月の「手筒煙火奉納祭」が有名です。4月の第1週のの岐阜まつり、伊奈波神社の例大祭が重なります。見どころは商会主催の「道三まつり」の鉄砲隊衣装は戦国の時代絵巻で当時を偲ばせます。
お花見、観光とお出かけにはいい季節になりました。お出かけの際にはお風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■4月1日「親鸞聖人誕生会」です。■
120312_46.jpg鎌倉時代初期の日本の僧「親鸞:しんらん」は、浄土真宗の開祖で「親鸞聖人:しんらんしょうにん」と尊称されます。

浄土宗の開祖「法然:ほうねん」を師と仰ぎ、生涯に渡り「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、それを高めることに力を注ぎました。

承安3年(1173)4月1日京都生まれ。現在の法界寺(真言宗醍醐派別格本山)、日野誕生院(浄土真宗本願寺派)付近(京都市伏見区日野)にて、皇太后宮の大進・日野有範の長男として誕生。母は、清和源氏の八幡太郎義家の孫娘・吉光女とされます。幼名は「松若磨」「松若丸」。

出家後「叡山」(比叡山延暦寺)に登り、天台宗の僧として不断念仏の修行を20年に渡り積みますが、自力修行の限界を感じるようになり下山。聖徳太子の建立とされる「六角堂」(京都市中京区)へ百日参籠し、95日目の暁、夢中に聖徳太子が示現され偈句を得ます。

夢告に従い、夜明けに東山吉水の法然の草庵を訪ね、岡崎の地(左京区岡崎東天王町)に草庵を結び、百日に亘り法然の元へ通い聴聞。「専修念仏」の教えに触れ、入門を決意します。「綽空:しゃっくう」の名を与えられ、研鑽を積み、しだいに法然に高く評価されるようになります。

建永2年(1207)2月、興福寺の訴えにより専修念仏の停止と、4名を死罪、法然、親鸞ら8名が流罪となります(承元の法難)。この時、法然と親鸞は僧籍を剥奪されます。法然は「藤井元彦」の俗名を、親鸞は「藤井善信:ふじいよしざね」を与えられます。法然は、土佐国へ、親鸞は越後国府に配流されました。親鸞は「善信」の名を俗名に使われた事から、「愚禿釋親鸞:ぐとくしゃくしんらん」と名乗り、非僧非俗の生活を開始。以降も僧を名乗ることはありませんでした。

苦難に満ちた生涯を通して、ひたすら生まれた意義と生きる喜びを尋ねた親鸞は、法然上人に出遇って念仏の教えに帰し、如来の本願に生き、自らの生涯を賭けて、帰すべき生の大地を「浄土真宗」として顕揚されました。

三帰依文(さんきえもん)に「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」と教えられています。自らの生のもつ真の意義を明らかにできないのが人間...といい、自己の生の真実に目覚めたつことが真の誕生...と説きます。如来の本願に帰して生きる新しい生の誕生を語り伝えています。

この日、真宗の寺院では御誕生会が行なわれます。

◇東本願寺(ひがしほんがんじ)
◇京都市下京区烏丸通七条上る
◇JR「京都駅」徒歩7分 
◇公式HP:
http://www.higashihonganji.or.jp/

◇法界寺(ほうかいじ)
◇藤原氏一門の貴族・日野家の菩提寺。
※定朝作(仏師)・伝阿弥陀如来像(国宝)
◇名所旧跡めぐりブログ:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/hokai-ji.htm

◇日野誕生院(ひのたんじょういん)
◇京都府京都市伏見区日野西大道町19
◇JR「六地蔵駅」徒歩25分
◇名所旧跡めぐりブログ:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/hino-tanjyo-in.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
現代は、死という悲しみや不安を感じながらも、日々の生活に埋没し、現世に「生」を受けた意味さえも問わず「生きる」ことに深い喜びを感じる人は、少ないのかもしれません。
この世に生を受けたということは、何ものにも比べることのできない、比べる必要のない尊いもの。「人として生まれたご恩徳」を喜びたいものです。

季節の変わり目です。暖かくなったとはいえ、朝夕は冷え込みます。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
著書の紹介はこちらから。

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