二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

5月のお便り

■5月31日「世界禁煙デー」です。■
140524_20.jpg世界禁煙デー(World No-Tobacco Day)は、WHO(世界保健機関)が制定した、世界的に禁煙を推進するための日です。

世界保健機関が設立40周年を迎える1988年4月7日を「第1回世界禁煙デー」と定めめました。以後、世界禁煙デーを毎年5月31日とすることが定められ、翌年1989年から、この日に実施されています。

趣旨(厚生労働省HP):たばこが健康に悪影響を与えることは明らかであり、禁煙はがん、循環器病等の生活習慣病を予防する上で重要である。
「健康日本21(第二次)」やがん対策基本計画の目標でもある「未成年者の喫煙をなくす」ためには、喫煙による健康影響を認識させることが重要である。また、「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」に基づく第2回締約国会議において、「たばこの煙にさらされることからの保護に関するガイドライン」が採択され、我が国においても、平成22年2月に、基本的な方向性として、公共の場は原則として全面禁煙であるべき等を記した通知を発出し、平成24年度においては、受動喫煙防止対策の徹底について通知を発出したところである。

今年度は、たばこを減らすことで命を守ることを目的として、「2020年、スモークフリーの国を目指して ~東京オリンピック・パラリンピックへ向けて~」を禁煙週間のテーマとし、禁煙及び受動喫煙防止の普及啓発を積極的に行うものである。

世界禁煙デーの趣旨は、たばこが健康に悪影響を与えることは明らかであり、禁煙は、がんや循環器病等の生活習慣病を予防する上でとても重要です。といった点を強調しています。

健康日本21」や、がん対策基本計画の目標でもある「未成年者の喫煙をなくす」ためには、喫煙による健康に対する影響を啓蒙することがとても重要だ。としています。

120507_29.jpgまた、「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」に基づく第2回締約国会議において、「たばこの煙にさらされることからの保護に関するガイドライン」が採択されました。日本でも平成22年2月からこれからの方向性として、公共の場は原則として全面的に禁煙であるべきといった啓蒙活動始めています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
喫煙者には肩身の狭い時代になってきました。病院の待合室、家庭はおろか、職場、飲食店でも分煙や禁煙のムードが広がっています。
東京オリンピックを迎えるに当たり、受動喫煙を防ぐために、飲食店内を禁煙にする法案の調整が与党で審議されています。心ない議員の「がん患者は働かなければいい」といった発言も報道されました。にわかに禁煙推進のムードです。
最近では禁煙治療が健康保険対象になるケースもあり、この日を機会に禁煙にチャレンジしてみましょう。
筆者敬白  

■5月30日(旧歴5月5日)「旧端午」です。■
120417_54.jpg端午(たんご)は五節句の一つで旧暦5月5日のことで、男子の節句とされています。旧暦では「午(うま)の月は5月」にあたります。この「午の月」の「最初の午の日」のことを「端午:たんご」といいました。
 
また、端午は「午:ご」は「五:ご」と同じ音です。これは、毎月上旬の5日の意も含まれていて「午月の初めの5の日」のことを指します、 

これを「節句」として祝っていたものが、のちに「5が重なる5日」が端午の節句の日になりました。同じように、奇数の「月と日」が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっています。
 
◆端午の始まり◆
端午の習慣は、3世紀の中国で始まったとされています。中国ではこの日「邪気を祓い健康を祈願する日」とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬(よもぎ)で作った人形を家の戸口に飾ったり、菖蒲酒を飲んだりして邪気を祓う行事が行われます。
 
蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていて、現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るしたり菖蒲湯に入る風習が残っています。
 
◆端午の伝来◆
日本には平安時代に伝わり、貴族の間から次第に民間へと普及していきました。菖蒲や蓬を軒に吊るしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いをします。男子のいる家では、鯉のぼりを立て、甲冑・刀・武者人形を飾り、子供の成長を祝うようになったのは、江戸時代以降のことです。

120417_55.jpg端午の日に「・ちまき」や「柏餅・かしわもち」を食べる風習は、中国戦国時代の楚の愛国詩人「屈原」の命日(5月5日)に彼を慕う人々が、汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したことが始まり。また、屈原の亡骸を魚が食らわないようにしたものが「ちまき」の由来とされます。

柏餅」を食べる風習は日本独自のもの。柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」という縁起物として広まりました。また、中国では現在も屈原を助ける為に船を出したことに因んで「龍船節」の祝いとして、手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われます。

◆さつき忌み◆
日本では古くから5月を「悪月:あしげつ」と称して物忌み月でした。田植えの頃に、早乙女が家に籠って身を清め、田の神を迎え祀るといった神事があり、これを「さつき忌み」と呼んでいました。
 
田植えをする早乙女とは、若い女性のことです。若い女性が穢れを祓い身を清めたのですから、「端午」はもともと女性の節句だったものです。宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から「薬玉」(くすだま=薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜りました。
 
5月の節句は、日本古来の「さつき忌み」と、中国から伝来した「端午の節句」が一緒になったものです。
 
120419_57.jpgやがて武家社会に入り「菖蒲」と「尚武」が同音であることなどから、雛節句と対照的に男子の節句となっていきました。立身出世を願い、鯉のぼりや武者人形など、武勇を表すものを飾るようになりました。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今日は旧暦5月5日で「旧端午」です。次の日には暦の上で「入梅」です。
天気予報では今年は暑い夏にになるかも知れないとの予報です。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月30日(旧5月5日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■5月29日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
5月節の「一粒万倍日」です。暦の上では間もなく二十四節気「小満」で、過ごしやすい日が続いています。体調管理の難しい季節です。
時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■5月28日「横浜善光寺身代り不動明王祭」です。■ 140519_21.jpg
横浜善光寺(よこはまぜんこうじ)は、横浜市港南区にあり、横浜市営日野公園墓地に隣接しています。
曹洞宗の寺院で山号は成寿山(せいじゅざん)。信州善光寺の全国善光寺会に参加。 昭和44年、黒田白純(大田原市光真寺三十六世)を開山に招じ、村岡満義の開基によって創建されました。
釈迦牟尼仏(釈迦如来)を御本尊とし、不動殿には大日如来身代り不動明王が鎮座しています。
参禅会・書道会・写経会、仏典研究会等を主催していて、横浜善光寺留学僧育英会では海外留学僧の育成に尽力しています。

140519_22.jpg不動明王は大日如来の化身といわれ、大日大聖不動明王あるいは不動金剛明王無動尊とも呼ばれます。 「一切の人々を救うまではここを動かじ」という仏さまのお心を表現し、釈尊が「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹下に座した時、襲来する魔類を降魔の印を結び降伏せしめたという伝記があり、その際の釈尊の内証を表現した姿であるともいわれています。

五大明王の筆頭として、激しく燃え盛る炎「迦楼羅炎:かるらえん」を背後にし、右手には「降魔の剣:利剣/正しい仏教の智慧で迷いや邪悪な心を断ち切りる」、左手には「綱:羂索/悪い心をしばり善心をおこさせる」をもち、足下の「磐石:ばんじゃく」は、迷いのない安定した不動の心を現します。
また矜羯羅(こんがら)や制咤迦(せいたか)の二童子を初めとした八大童子などを脇侍としています。 

140519_23.jpg
横浜善光寺のお不動様は、波切不動(なきりふどう)尊のお姿の立像です。「水難除け」は基より「諸災消除」「諸願成就」を叶えてくださるため、「身代り不動明王」としてお祀りしています。

横浜善光寺不動殿では、8の付く縁日に御祈祷を致します。
特に5月28日は不動明王大祭です。「諸災消除」「諸願成就」「身代り不動明王」の御祈祷にお出かけください。

御真言
ノウマクサンマンダ バザラ ダンセンダ マカロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

昭和になってからの開基で、比較的新しい御不動さまです。近年甚大なご利益があったとの評判もあり、今の時代に合っているのかもしれません。
5月28日の御祈祷に参列されては如何でしょう。
何か感じるものがある方はご縁があるのかもしれません。
季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程

■5月28日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
暦の上では二十四節気「小満」で、6月の「芒種」頃が最も過ごしやすい季節です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月28日「福岡、筥崎宮 さつき大祭」です。■
120507_50.jpg筑前一の宮「筥崎宮:はこざきぐう」は、「筥崎八幡宮」とも呼ばれ、「応神天皇:おうじんてんのう=八幡大神」を主祭神とし、「神功皇后:じんぐうこうごう=応神天皇の母」と「玉依姫命:たまよりひめのみこと=海の神・神武天皇の母」を配祀する式内社です。宇佐八幡宮石清水両八幡宮とともに日本三大八幡宮の一つ。
 
120507_51.jpg延喜21年(921)醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に社殿を建立。延長元年(923)筑前大分宮(穂波宮)より遷座したと伝わります。創建後は「祈りの場」として朝野を問わず篤い崇敬を集め、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
 
蒙古襲来の折り神風が吹いて未曾有の困難に打ち勝ったことから「厄除・勝運」の神としても有名です。後世では足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉などが参詣し八幡大神の御神徳を仰ぎました。
 
120507_26.jpg江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬篤く、明治18年(1885)官幣中社に、大正3年(1914)には官幣大社に社格を進め、全国から崇敬を集めます。「玉取祭」や「放生会」などの大祭が行なわれ広く親しまれています。
 
さつき祭」は、日露戦争日本海海戦に勝利したのを記念した祭りで、毎年5月27、28日に行われます。
 
筥崎宮
◇福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
◇市営地下鉄「箱崎宮前駅」すぐ
◇JR鹿児島本線「箱崎駅」徒歩10分
◇公式HP:
http://www.hakozakigu.or.jp/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
公式Webから/5月27日は、日本海海戦記念日です。戦前ではこの日を「海軍記念日」として祝日にしていました。
さつき祭りにあたり、日本海海戦の偉業を追憶し、わが国の隆昌と世界平和を祈念するとともに、健全な海洋思想の普及向上を期する目的で「日本海海戦記念大会」の奉祝行事を執り行います。海戦における数多くの彼我戦没者勇士の御霊をはじめ、産業・貿易・漁業の目覚ましい発展に伴い、その陰で尊い犠牲となられた、海洋殉難者の慰霊式も併せて行っております。また28日は氏子敬老祭を行います。

筆者敬白

■5月27日「小田原、道了尊大祭」です。■
120507_22.jpg曹洞宗大雄山「最乗寺:さいじょうじ」の本尊は、「釈迦牟尼仏:しゃかむにぶつ」。脇侍仏として、文殊菩薩普賢菩薩を奉安します。開創以来6百年の歴史を持つ関東の霊場として知られます。

開山の「了庵慧明禅師:りょうあんえみょうぜんじ」※2は、相模国大住郡糟谷の庄(現在の伊勢原市)に生まれました。地頭の職にあった了庵は、戦国乱世の虚しさを感じ、鎌倉の不聞禅師に就て出家。能登總持寺、永沢寺、近江總寧寺、越前龍泉寺、能登妙高庵寺など通幻禅師の後席すべてに住持し、大本山總持寺に輪往。50才半ばで相模国に帰り、曽我の里に「竺土庵」を結びます。

ある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟を掴んで足柄の山中に飛び、大松の枝に掛けるという奇端を現じました。この啓示によって山中に大寺を建立し、應永元年(1394)啓示を受けた足柄の山中に大寺を建て、大雄山と号しました。

大雄山最乗寺の守護「道了大薩埵:どうりょうだいさった」※1は、大和金峰山、奈良大峰山、熊野三山に修行した行者で、相模房道了尊者として知られます。大雄山開山の折り了庵禅師のもとに参じて土木の業に従事。約1年で大事業を完遂し、その力量は500人分にあたるとか。  

120507_23.jpg了庵禅師は「十一面観世音菩薩の化身」であるとされ篤く信仰されています。祈祷会や禅学会などの他、正月・5月・9月には大祭が行なわれます。

※1/道了大薩埵曹洞宗の僧「了庵慧明」が最乗寺を開創すると、慧明の弟子であった道了はその怪力により寺の創建に助け、師の没後からは寺門守護と衆生救済を誓って天狗となったと伝えられる。その後、最乗寺の守護神として祀られることになった。

※2/了庵慧明禅師
曹洞宗の僧で了庵派、俗姓は藤原氏。臨済宗に学び曹洞宗に改宗。通幻のあとを嗣いで総持寺、永沢寺などの住職となり、応永1(1394)年箱根明神岳の東麓に大雄山最乗寺を開く。

大雄山最乗寺
◇神奈川県南足柄市大雄町1157
◇伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山駅」バス10分
◇東名高速道路「大井松田IC」20分
道了尊HP
http://www.daiyuuzan.or.jp/history/index.html
公式HP
http://www.daiyuuzan.or.jp/index.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
天狗信仰のある大雄山最乗寺で、寺門守護になって天狗になった道了の大祭です。
正月・五月・九月は大祭の月にあり、27・28日の両日には、多くの方々が参拝に訪れます。今回の5月大祭では、古則にのっとった御点前を頂く「禅院茶礼:ぜんいんされい」が行われます。
もうすぐ梅雨、季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月25日「東京、湯島天神祭」です。■
120507_53.jpg湯島天満宮:ゆしまてんまんぐう」は、雄略天皇の御宇2年(458)勅命により創建と伝わります。
 
通称は「湯島天神:ゆしまてんじん」、旧称「湯島神社:ゆしまじんじゃ」。旧社格は府社。現在は神社本庁の別表神社。平成12年(2000)3月31日「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称。関東地方の天神様としては最も古い歴史を有します。
 
110516_15.jpg天之手力雄命:あめのたぢからをのみこと」を祀っていましたが、正平10年(1355)郷民が「菅原道真公」を慕って文道の大祖と崇め合祀して「天満宮」となりました。文明3年(1478)太田道灌(おおたどうかん)がこれを再建、天正18年(1595)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に崇敬篤く、翌19年に豊島郡湯島郷の内五石の朱印地を寄進されました。
 
天神祭:てんじんまつり」と呼ばれる例大祭では、神輿渡御・白梅太鼓奉納の他、江戸里神楽・生花展・盆栽展などが開かれ、露店も夜遅くまで賑わいます。
 
湯島天満宮
◇東京都文京区湯島3-30-1
◇地下鉄千代田線「湯島駅」徒歩2分、銀座線「上野広小路」徒歩5分
◇都営地下鉄
大江戸線「上野御徒町」徒歩5分
◇JR山手線「御徒町駅」徒歩5分
◇公式web:
http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm


■5月25日「東京上野、五条天神祭」■
120507_19.jpg五条天神社:ごじょうてんじんじゃ」は、古来より医薬、禁厭(きんえん=まじない)の神として信仰されます。第12代景行天皇時代、日本武尊が東夷征伐の折り、上野忍が岡を通った際に「薬祖神」(祭神2柱)の加護に感謝し祀ったのが始まりです。
 
以来、1890余年の間「東の大洗磯崎神社」(茨城)「西の少彦名」(大阪)とともに「三薬祖神」の一つとして敬われてきました。また、「江戸三大天神」(亀戸天神社・谷保天神社)の一つにも数えられています。
 
120507_20.jpg因みに、谷保天神(谷保天満宮=東京都国立市)は、郊外にあるので参詣途中で日が暮れてしまうとか。なので「野暮天神」といわれ、野暮天の語源となったといわれています。
 
大己貴命:おおなむちのみこと」と「少彦名命:すくなひこなのみこと」の祭神2柱は、兄弟の緑を結び、疫病や耕病に苦しむ人々に製薬と治療の方法を授けたことから医薬の祖神として信仰されました。
 
江戸時代初期、当時の神職の瀬川屋敷内に「歌道の租」として祀られ、菅原道真が後に合祀されたとされ「下谷天満宮:したやてんまんぐう」といわれていました。瀬川屋敷は後に「五条天神社門前町」となり、社殿は大正13年に現在地へ移りました。
 
120507_21.jpg五条天神では、節分に「うけらの神事」という古式ゆかしい独特の豆まきを行います。天神祭では、神楽の奉納・神輿渡御など。大道芸が見られるのも上野公園ならではです。上野の杜を本神輿と女神輿が渡御します。
 
日本橋にある「東京薬事協会」ビル屋上には、分霊を祀る薬祖神社があり、例祭・医薬祭などが行われています。
 
五条天神社
◇東京都台東区上野公園4-17
◇JR・営団地下鉄・京成電鉄「上野駅」徒歩7分
◇公式Web:http://www.gojotenjinja.jp/gojotenjin.html
 
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
5月の江戸の祭りといえば「三社祭り」「神田祭り」が有名です。上野の五条天神祭、湯島天神祭は、梅雨入り前の祭礼で、天候に恵まれないこともあります。
季節の変わり目です。お出かけの際には、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月25日「鶴岡、化けもの祭」です。■
130509_22.jpg化物祭:ばけものまつり」は、「鶴岡天満宮:つるおかてんまんぐう」の「天神祭」のことで、毎年5月24~27日に行なわれます。
 
この祭は、鶴岡天満宮の御祭神「菅原道真公」を祭るお祭りでしたが、その昔、道真公が九州大宰府に配流されることが決まったとき、道真公を慕う人達が藤原時平らに幅かって、姿を変え顔を隠して会いに行き、密かに酒を酌み交わし、別れを惜しんだという言い伝えによるものです。
 
130509_23.jpg化け物」とは、編み笠をかぶり、目から下は手ぬぐいで隠して、派手な模様の長襦袢に角帯を締め、尻をからげて手に徳利と杯を持つという姿で、見ただけでは男か女か分からない状態の様子のこと。
 
この格好をした化け物たちが、問答無用とばかりに道行く人に酒を勧め振る舞います。化け物は決して口をきいてはならず。口をきかずに祭りに3年参加し続けると願いが叶うのだとか。
 
130509_24.jpg天満宮では天狗舞が奉納され、道真公や手踊りのパレードが市内を練り歩くなど様々な催しが行われます。
 
鶴岡天満宮
◇山形県鶴岡市神明町3-40
◇JR「鶴岡駅」バス10分
◇「鶴岡IC」車10分
◇鶴岡天満宮:
http://www.liberty-it.net/turuoka/


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
この時期天満宮や、天神様の祭礼が続きます。
菅原道真が政敵に敗れて、太宰府に赴任することが決まった頃が祭礼の云われです。
距離は離れていても、菅原道真の啓徳を被った人達が、感謝を祭礼で残したものが数多く見受けられます。施した公徳の大きさが伺えます。

筆者敬白

■5月25日~6月5日「八専(はっせん)」です。

120210_23.jpg

暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。

《日にち》 《干支》 《五行》  《コメント》
月25日 壬子 =水水、 ←水の気が重なる
26日    癸丑 =水土、 間日(まび)
27日   甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
28日    乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
29日    丙辰 =火土、 間日(まび)
30日
   丁巳 火火、 ←火の気が重なる
31日    戊午 =土火、 間日(まび)
6月01日    己未=土土、 ←土の気が重なる
02日    庚申 =金金、←土の気が重なる
03日    辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
04日    壬戌 =水土、 間日(まび)
05日     癸亥 =水水、 ←水の気が重なる
 
間日:このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。


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八専の期間は「天干てんかん」と「地支:ちし」が同じ気なので、気が偏って良い事はますます良く、悪いことは更に悪く傾きやすくなります。これは、振幅の激しい期間で、準備を怠らなかった人には良い結果が、場当たり的な対応をした人にはそれなりの結果が訪れます。

古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。他にはギャンブルなど、努力が伴わない行動は避けましょう。


※淮南子
=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書

八専はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
5~6月の八専です。次の日は芒種でいよいよ夏本番です。今回の八専が終ると、暦の上では梅雨の最中です。これを機会に新しい計画を立てるなど、八専の作用を存分に活用すれば、梅雨明けには物事が確実に成就していきます。八専はいわゆる準備、事始めの期間なのです。

現在、逆境の方が、ここで一大決心をすると、大自然が見方になって、良い作用が発現した例を数多く聞きます。

つい油断から体調を崩しやすい時期です。 時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月24日「神戸、湊川神社 楠公祭」■
120507_13.jpg湊川神社:みなとがわじんじゃ」は、楠木正成(別名=大楠公)を祀る神社で、地元では「楠公(なんこう)さん」と呼ばれ親しまれています。
建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社。

「楠木正成:くすのきまさしげ」は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて河内に本拠地をおいた武将で、鎌倉幕府からは悪党と呼ばれていました。
後醍醐天皇に応じて挙兵し、鎌倉幕府倒幕に貢献します。
建武の新政後の
足利尊氏の反乱で、九州から京都に向かう尊氏を摂津国湊川の地で迎え打ち、新田義貞らとともに戦うも、延元1年(建武3年)(1336)5月25日(新暦7月12日)に敗退し湊川で自害しました。

 
120507_14.jpg墓は長らく荒廃していましたが、元禄5年(1692)になって徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立。
以来、水戸学者らによって楠木正成は理想の勤皇家として崇敬され、幕末には維新志士らによって祭祀されるようになりました。
 
慶応3年(1867)尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ、明治元年(1868)それを受けて明治天皇は「大楠公の忠義を後世に伝えよ」と、神社を創建するよう命じ、明治2年(1869)墓所・殉節地が定められ、明治5年(1872)湊川川神社が創建されました。
 
120507_15.jpg楠公祭:なんこうさい」は、楠木正成の命日に行われます。
武者行列は、今から600年以上も昔、建武中興に功績を残した大楠公が、隠岐から御還幸の後醍醐天皇を神戸の地で迎え、京都へ先導した晴れやかな姿を偲んで行われます。
 
湊川神社
◇兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1
◇JR神戸線「神戸駅」徒歩7分。
◇湊川神社:
http://www.minatogawajinja.or.jp/
◇楠公祭解説:http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/25528557.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇

非常時には大義を尊重し個よりも、公を優先させなければ早期復興・解決はありません。
思い起こされるのは原発事故後、50人の技術者が命の危険も振り返らず、復旧に専念した事実は記憶に新しいでしょう。韓国でのフェリー事故対策で、海上警察の緩慢ぶりが報道されます。
楠公祭にあたり「大楠公の忠義を後世に伝えよ」とある明治大帝の趣意を一寸ふり返りましょう。

皆様、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

110510_21.jpg

■5月24日「三隣亡(さんりんぼう)」です。■
もともと三隣亡は、保呂風日(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六輝※とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

※六輝仏滅、大安、赤口、先勝、先負、友引のこと。江戸時代に庶民に流行、その後すたれるが、第二次大戦後のカレンダーに掲載されたことから現在のように一般的になる。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。
・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
筆者敬白

■5月23日(旧4月28日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年5月21日「小満(しょうまん)」です。◆syouman.jpg

5月21日05時31分「小満:しょうまん」です。旧暦4月、巳の月の中気で、立夏から15日目にあたります。

5月20~21日頃。天文学的には、太陽が黄経60度の点を通過するときをいいます。


万物が次第に成長して一定の大きさの達し、満ち始めるという意味から「小満」といわれます。
暦便覧」には「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されています。
また一説には「小満」とは昨年秋にまいた麦の穂がつく頃で、「ほっと一安心して、もう少して満足する」といった云われもあります。

麦畑の穂が成長して緑黄色に色づき、山野の植物は花を散らして実を結びます。
田では苗を植える準備を始め、蚕が桑を盛んに食べ始めます。
この頃紅花が咲きほこり、日々ようやく暑さが加わり始める季節です。

GW明けの西日本では、蛍が姿を見せはじめ、小満を境に「走り梅雨」が始まる年もあります。
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◆小満芒種◆沖縄編
梅雨は南から始まり、九州や沖縄では梅雨入りを小満芒種(すーまんぼーすー)とも呼びます。
◆小満芒種◆東日本編
関東から東では、小満から芒種までの梅雨入り前(今年は5月下旬~6月中旬)が一年で最も過ごしやすい季節です。
薄暑(うっすらと汗をかく)の時期で、5月の南風「薫風」と併せて入梅前の過ごしやすい季節の例えです。

この頃から梅雨になる年が多く、降水量は「台風シーズン」とこれからの「梅雨時」との二つのピークがあります。豪雪地帯の日本海側一部の地域を除いて、これからを雨季と呼んでいい時期です。

■■「七十二候」■■
初候「蚕起食桑」(かいこ おこって くわを くらう):蚕が桑を盛んに食べ始める。
蚕が桑の葉を盛んに食べ始める時節。
次候「紅花栄」(こうか さかう):紅花が盛んに咲く。
紅花(べにばな)の紅黄色の頭花が盛んに咲く時節。
末候「麦秋至」(ばくしゅう いたる):麦が熟し麦秋となる。
麦が熟して畑一面が黄金色になる時節。初夏の爽やかな好季節。
麦秋=陰暦4月に異称。

◆◆小満の頃の花◆◆
☆ツツジ(躑躅)☆ツツジとはツツジ科の植物、ツツジ属の植物の総称。

140519_02.jpgドウダンツツジのようにツツジ科に属さない植物もツツジと呼ばれるものがある。
また、古くから、ツツジ属のツツジもサツキ、シャクナゲとを分けて呼んでいて、学術的な分類とは一致しない。長寿な樹木もあり、最も樹齢の古い古木は、800年を超え1,000年に及ぶと推定されている。

ツツジ属の植物は、4月から5月の春先にかけて先端が五裂している花を枝先につける。咲いた花を採ると、花片の下から蜜を吸うことができ、戦時中は子供たちの甘みとなっていた。一部レンゲツツジには毒があり、注意しなければならない。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
その昔、株式市場や商品相場を生業にする方々の間では、「素人の小満過ごし」と言われていました。安心しているうちに、タイミングを見過ごさないように戒めた言葉です。
小満から芒種の時期、気候の良さから緊張感がなくなり安心てしまって、相場に限らず商売のタイミングを、みすみす逃す事に警鐘をならしています。それほど良い気候が続いて、のほほんとしてしまいます。
6月には梅雨にはいります。
季節の変わり目、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月19~21日「東京、浅草 三社祭」です。■
110511_11.jpg三社祭:さんじゃまつり」とは、毎年5月に行われる「浅草神社」の例祭です。
浅草神社は、通称「三社様:さんじゃさま」、「三社権現:さんじゃごんげん」と呼ばれます。

<三社権現>
草創に関わった文化人の土師真中知(はじのまなかち)・檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)兄弟を主祭神として祀り、この三人の霊をもって「三社権現」と称します。のちに東照宮(徳川家康)、大国主命を合祀しました。

その昔、3月中旬に祭が行われ、丑・卯・巳・未・酉・亥の年には「本祭」が行われていました。正和元年(1312)「三社の神話」に基づき、船祭「舟渡御」が始められたと伝わります。平成24年で700回を迎えます。

<三社の神話>
120502_65.jpg推古天皇36年(628)檜前浜成・武成の兄弟が、宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかりました。
地元の文化人だった土師真中知に相談したところ、これは観音像であると教えられ、漁師の二人は毎日観音像に祈念するようになりました。
その後、土師真中知は剃髪して僧となり自宅を寺としました。これが現在の「浅草寺」の始まりです。
土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが起源としています。

<江戸時代:観音祭・浅草祭>
江戸時代には「浅草寺:せんそうじ」と一体に祭が行われ「観音祭」「浅草祭」と呼ばれていました。祭礼の中心は、氏子山車の行列だったようです。

120502_64.jpg早朝、山車を中心とする祭礼行列は浅草見附の御門外に集合し、御倉前から諏訪町、並木町と並んで仲見世から境内に入り、観音堂に安置された神輿の前に参詣、各々芸能を演じ、随身門(二天門)を出て帰宅しました。これを終えて神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場まで担ぎます。そこから船に乗せ、浅草川を漕いで上がり、駒形から上陸して浅草神社に担ぎ帰ったと伝えられています。

<明治時代:三社祭>
明治5年から5月17~18日に祭礼を行うようになり、氏子各町に神輿の渡御を行うようになりました。
現在では、交通事情や情勢の変化で両日の執行が不可能となり、昭和38年から17・18日に近い金曜日に神輿霊入れが行われ、土曜日に連合渡御、第三日曜日に本社神輿渡御を行っています。
毎年150万人程の人出で賑わいます。

浅草神社
◇東京都台東区浅草2-3-1
◇地下鉄浅草線・地下鉄銀座線・東武伊勢崎線「浅草駅」徒歩7分
◇公式Web:
http://www.asakusajinja.jp/  
◇三社祭公式(日程)Web
http://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/nittei.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今年には本社神輿渡御も企画されていて勇壮な江戸の祭りが催されます。
また、2年に一度の江戸の三大祭の一つ「神田祭り」の祭礼もあり、江戸の町はにぎやかな5月になりそうです。
江戸では三社祭りが終わると、もうすぐ梅雨にはいります。季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月21日「真宗本派、親鸞聖人誕生会」です。■
120507_10.jpg鎌倉時代初期の日本の僧「親鸞:しんらん」は、浄土真宗の開祖で「親鸞聖人:しんらんしょうにん」と尊称されます。

浄土宗の開祖「法然:ほうねん」を師と仰ぎ、生涯に渡り「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、それを高めることに力を注ぎました。

承安3年(1173)4月1日京都生まれ。現在の法界寺(真言宗醍醐派別格本山)、日野誕生院(浄土真宗本願寺派)付近(京都市伏見区日野)にて、皇太后宮の大進・日野有範の長男として誕生。母は、清和源氏の八幡太郎義家の孫娘・吉光女とされます。幼名は「松若磨」「松若丸」。

120507_11.jpg出家後「叡山」(比叡山延暦寺)に登り、天台宗の僧として不断念仏の修行を20年に渡り積みますが、自力修行の限界を感じるようになり下山。聖徳太子の建立とされる「六角堂」(京都市中京区)へ百日参籠し、95日目の暁、夢中に聖徳太子が示現され偈句を得ます。

夢告に従い、夜明けに東山吉水の法然の草庵を訪ね、岡崎の地(左京区岡崎東天王町)に草庵を結び、百日にわたり法然の元へ通い聴聞。「専修念仏」の教えに触れ、入門を決意します。「綽空:しゃっくう」の名を与えられ、研鑽を積み、しだいに法然に高く評価されるようになります。

建永2年(1207)2月、興福寺の訴えにより専修念仏の停止と、4名を死罪、法然、親鸞ら8名が流罪となります(承元の法難)。この時、法然と親鸞は僧籍を剥奪されます。法然は「藤井元彦」の俗名を、親鸞は「藤井善信:けふじいよしざね」を与えられます。法然は、土佐国へ、親鸞は越後国府に配流されました。親鸞は「善信」の名を俗名に使われた事から、「愚禿釋親鸞:ぐとくしゃくしんらん」と名乗り、非僧非俗の生活を開始。以降も僧を名乗ることはありませんでした。

苦難に満ちた生涯を通して、ひたすら生まれた意義と生きる喜びを尋ねた親鸞は、法然上人に出遇って念仏の教えに帰し、如来の本願に生き、自らの生涯を賭けて、帰すべき生の大地を「浄土真宗」として顕揚されました。

120507_12.jpg三帰依文(さんきえもん)に「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」と教えられています。自らの生のもつ真の意義を明らかにできないのが人間...といい、自己の生の真実に目覚めたつことが真の誕生...と説きます。如来の本願に帰して生きる新しい生の誕生を語り伝えています。
この日、真宗の寺院では御誕生会が行なわれます。

◇法界寺(ほうかいじ)
◇藤原氏一門の貴族・日野家の菩提寺。
※定朝作(仏師)・伝阿弥陀如来像(国宝)
◇名所旧跡めぐりブログ:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/hokai-ji.htm

◇日野誕生院(ひのたんじょういん)
◇京都府京都市伏見区日野西大道町19
◇JR「六地蔵駅」徒歩25分
◇名所旧跡めぐりブログ:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/hino-tanjyo-in.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
親鸞聖人の誕生会を機会に「生きる」ことの意味ほんの少しだけ考えてみましょう。大震災や天災が続き、生に対する喜びを素直に表現する方が増えたように感じます。「人として生まれたご恩徳」を喜びたいものです。
季節の変わり目です。暖かくなったとはいえ、朝夕は冷え込みます。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月19~21日「伊豆下田 黒船祭」です。■kurofunematuri2016.jpg永7年(1854)もとは風待ち港だった下田に、ペリー提督率いる米国海軍が日米和親条約を携えて来航。これにより徳川幕府の鎖国政策に終止符が打たれ、近代日本の幕開けとなりました。

毎年5月中旬の金曜日から日曜日に行われる「黒船祭」は、下田開港に尽くした内外の先賢の功績を後世に伝え、また国際親善に貢献するため、昭和9年に始まりました。毎年、米国の協力のもとに開催されます。


120502_69.jpgペリー艦隊来航記念碑献花式、米海軍第7艦隊音楽隊演奏会、航空自衛隊・海上保安庁航空機祝賀飛行など、記念式典や墓前祭が行われます。


日米和親条約附録下田条約の舞台となった了仙寺では当時の再現劇、ペリーロードや商店街ではおもしろ茶屋や大道芸、懐かしい小物を勢えた開国市、パレード、海上花火大会などのイベントが行われます。

「黒船」とは、大型の西洋式航洋船のこと。近世の日本で用いられた語で、江戸時代末期にかけて日本に来航した船を指す歴史用語として用いられます。特に、浦賀沖に来航したアメリカ合衆国のマシュー・ペリー率いるアメリカ海軍艦隊の事を指します。

kurofune.jpg当時の欧米の船は「タール」で船体を黒色に塗っていたため、船体が黒く黒船と呼ばれました。

●5月19日(金)
・20:15~20:45(予定) 海上花火大会(下田港周辺)
※駐車は道の駅「開国下田みなと」も ご利用ください。
20:00~21:00は進入禁止となります。
●5月20日(土)
・11:30~12:30(予定) 記念公式パレード (旧町内)
●5月21日(日)
・11:00~12:00(予定) にぎわいパレード (旧町内)

開催地
◇静岡県下田市
◇お問い合わせ:下田観光協会
◇公式Web
http://shimoda-city.info/kurofune.html

■5月20日「福井、三国祭」です。■
120502_74.jpg三国祭:みくにまつり」は、北陸三大祭の一つで、毎年5月19日から21日にかけて行われます。神輿2基神宝棒持行列、武者行列、武者人形山車6基が町中に繰り出し、町並みには700軒の露店が立ち並びます。

250年の歴史がある三国祭は、元禄10年(1697)大門町記録から始まっています。宝暦3年(1753)神功皇后の山車が作られた記録が残っていますが、これが現在の武者人形の起源です。

120502_75.jpg旧暦4月「申の日」を祭礼日として継承されてきた三国祭は、新暦採用後の明治6年に「毎年5月20日」と定められました。神仏分離以前の伝統を守り伝えられてきた祭は、他にあまり例を見ない行事です。奉仕者は毎年700人を超え、この日町全体が休日になります。

三國神社:みくにじんじゃ」は、天文9年(1540)湊の住人・坂津清兵衛が、高柳村より流れて来た御神体を拾い上げ、正智院に納めたところから始まります。「正智院」は後に「桜谷神社」と改められ、明治5年には水門宮の御神体・継体天皇を合祀し、明治18年に「三國神社」と改称されました。御祭神は「大山咋命:おおやまくいのかみ、おほやまくひのかみ」、「継体天皇:けいたいてんのう」です。


110516_12.jpg三国祭の天気は、約1ヶ月前に行われる「雄島祭:おしままつり」が晴れなら「晴れ」と言い伝えられています。雄島祭は雄島の大湊神社の祭礼のひとつで、三国町の安島地区の祭礼りです。

三國神社
◇福井県坂井市三国町山王6-2-80
◇三国神社HP:
 http://www.mikunijinja.jp/
◇JR北陸本線「芦原温泉駅」三国町行きバス20分
◇北陸自動車道「金津IC」三国東尋坊方面へ
◇三国祭り
http://www.mikuni-minato.jp/matsuri/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
例大祭が19日、山車神興巡行が20日、後日祭が21日に開催されるようです。20日の山車神興巡行は勇壮で見事な巡行です。さすが北陸三大祭りだけに壮観さがあります。梅雨前のとてもいい季節です。三国祭を機会に是非お出かけ下さい。
もうすぐ梅雨です。季節の変わり目なので、読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月20日「奈良、興福寺 薪能」です。■
110510_20.jpg法相宗大本山「興福寺:こうふくじ」は、南都六宗の一つに数えられる寺院で、本尊は釈迦如来。南都七大寺2番。南円堂は西国三十三箇所第9番札所。東金堂は西国薬師四十九霊場4番。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。
 
天智8年(669)藤原鎌足夫人「鏡女王:かがみのおおきみ」が、夫の病気平癒を願って釈迦三尊像を本尊として祀り、建立した「山階寺:やましなでら」が起源と伝わります。後に、その子息の藤原不比等が平城京左京の現在の地に移建し「興福寺」と名付けました。
 
東金堂」は神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気平癒を願って造営されました。薬師如来坐像を本尊に、維摩居子坐像、文殊菩薩坐像日光・月光菩薩立像四天王立像、十二神将立像が安置されています。「文殊菩薩坐像」は、古くから学問僧の祈願仏として信仰されました。
 
120430_35.jpg薪能:たきぎのう」とは、主として夏場の夜間に能楽堂もしくは野外に設置された能舞台の周囲に篝火を焚き、その中で演じられる能のこと。「薪の宴の能」の意です。
 
薪能は、神事、仏事の神聖な儀式です。起源は平安時代中期に、興福寺で催されたものがはじまりと伝わります。このことから興福寺で行われる薪能には「御」の字があてがわれ「薪御能:たきぎおのう」と呼ばれています。

興福寺
◇奈良市登大路町48
◇JR「奈良駅」徒歩15分
◇近鉄「奈良駅」5分
興福寺HP:http://www.kohfukuji.com/
興福寺薪能:http://www.kohfukuji.com/event/festival/07.html
チケット購入:http://www.kohfukuji.com/event/detail.cgi?event_seq=00000005

■5月20日「酒田祭」です。■
sakata2016.png

内三大祭りの1つ「酒田祭:さかたまつり」は、「上日枝神社」と「下日枝神社」の例祭で、毎年5月19日から21日まで、酒田市を中心に行われます。シンボルにもなっている巨大な獅子頭と山車が、市内中心部を練り歩きます。

この祭は江戸時代から続く祭りで、古くは「山王祭:さんのうまつり」と呼ばれました。明治末頃に電線が設置されるまでは、とてもに背の高い山車が練り歩くことで有名でしたが、昭和51年(1976)酒田市に大火が起こり、その後の復興を機に名称を「酒田祭」に改めました。

110516_11.jpg上日枝神社」は、貞観17年(875)近江国坂本鎮座山王宮(日吉大社)を勧請し、酒田港に神幸して袖の浦に御旅所を構え鎮座。後、御城内(亀ヶ崎城)に奉遷。寛永13年(1636)より現在地に位置。通称「上の山王さん」として親しまれています。

下日枝神社」は、酒田の産土神、酒田まつり(山王祭)の主神。山王の杜の豊かな緑に囲まれた随神門、社殿などの素晴らしい規模と細工を誇ります。通称「下の山王さん」と呼ばれ親しまれています。

開催地
◇山形県酒田市中町周辺
問合先
◇酒田観光物産協会:
http://www.sakata-kankou.gr.jp/
◇JR「酒田駅」バス7分
◇山形道「酒田IC」すぐ


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
見どころは5月20日13時~山車巡行です酒田市内を中心に巡航します。お出かけになる祭には観光協会にお問い合わせ下さい。
この頃、東北地方はつつじの開花時期で、つつじの外路地などとても和やかな街並みを見ることが出来ます。
もうすぐ梅雨の時期です。入梅前に復興を成し遂げつつある東北観光は如何でしょうか。
筆者敬白

■5月19日「奈良、唐招提寺 団扇まき」です。■
120502_70.jpg律宗総本山「唐招提寺:とうしょうだいじ」は、南都六宗の一つ。「律宗:りっしゅう」は、戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派です。
 
中国では、正式な僧となるためには「戒律」を修めなければなりません。そのため、古くから研究が行われ、唐代には南山律宗を開いた「道宣:どうせん」(596~667)が「戒律学」を大成し、その孫弟子である「鑑真:がんじん」は、留学僧の要請で日本に律を伝えたとされています。
 
鑑真」(688~763)は、唐の揚州江陽県に生まれ、14歳で出家し、律宗・天台宗を学びます。四分律に基づく南山律宗の継承者で、4万人以上の人々に授戒を行ったとされています。
 
東大寺に戒壇を開き、5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜され、天平宝字3年(759)戒律を学ぶための修行道場を開き、「唐律招提」と名付けられて鑑真和上の私寺として始まりました。
 
120502_71.jpgある暑い夏の日のこと、鎌倉時代の唐招提寺中興の祖「大悲菩薩覚盛上人:だいひぼさつかくじょうしょうにん」が大勢の弟子を前に講義をしていると、蚊が飛んできて上人の頬を刺そうとしたので、弟子の一人が蚊を追い払おうとしたところ、覚盛上人はそれを制し「蚊に血を与えるのも菩薩行である」といって戒めました。
 
戒行清廉なるその徳をたたえ「せめて団扇で蚊を払って差し上げよう」と、教えを受けた法華寺の尼僧たちが、覚盛上人の遺徳を偲んで「うちわ」を作り、霊前に供えるようになりました。このうちわを上人にゆかりの深い人々に授けたのが「うちわまき」の始まりとされています。
 
120502_72.jpg上人の忌日に執り行われる「中興忌梵網会:ちゅうこうきぼんもうえ」の法要を行った後、境内の舎利殿から千五百本のうちわがまかれます。参詣人は競ってこれを拾い、厄除けのお守りにします。
 
雷難、火難、豊作、病気、安産、産児の健康等、諸願意の如くならずということなし」と伝わります。
 
唐招提寺
◇奈良県奈良市五条町13-46
◇JR「奈良駅」~「六条山行」バス17分「唐招提寺」下車すぐ
公式Web:
http://www.toshodaiji.jp/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
蚊に血を与えるのも菩薩行・・・私たち凡人にはそのまでの達観出来ないかも知れません。とはいっても殺戮を正当化されては世の中、殺伐としてしまいます。平成の現代こそ鑑真のような精神が必要でしょう。日本はこの精神があったから、世界に認められたのです。残念なことに、いつの間にか隣人他人を構わない社会になってしまいました。

鑑真が生きていたらさぞかし嘆くことでしょう。私たちの周辺だけども菩薩行を実践しましょう。
一説には、唐招提寺のうちわで煽いだら目が見えるようになった。癌が小さくなったといった逸話もあるそうです。読者の皆様、迷信と決めつけずお出かけになってみてはいかがでしょう。
お出かけの際には、お風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月18日「国際親善デー」です。
120502_66.jpg国際善意デー」とは、国際紛争平和的処理条約や陸戦の法規慣例に関する条約などが締結されたことを記念する日。国際善意デーとも。

明治32年(1899)のこの日、ロシア皇帝・ニコライ2世の提唱により、オランダのハーグで日本を含む26カ国が集まり、第1回万国平和会議が開かれ、「国際紛争平和的処理条約」、「陸戦の法規慣例に関する条約」などが結ばれました。

この行事は第一次世界大戦で中断していましたが、1922年にイギリスのウェールズの児童達の呼びかけで復活しました。日本では昭和6年(1931)から行われています。

120502_67.jpg財団法人「国際親善協会」では、世界各地において日本の伝統的な文化・芸能・芸術・スポーツなどを紹介し、開催地域との友好親善や相互理解を図るための「JAPAN WEEK 」を開催しています。

お問い合わせ
◇財団法人・国際親善協会
◇東京都文京区湯島1-9-4
◇国際親善協会Web
http://www.iffjapan.or.jp/

■5月17日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

120125_15.jpg一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
ゴールデンウイークも終わり、季節は梅雨への変わり目です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月17日「日光東照宮 春季例大祭」です。■
120430_56.jpg日光東照宮:にっこうとうしょうぐう」は、元和3年(1617)に創建された神社です。江戸幕府初代将軍「徳川家康」を神格化した「東照大権現」を祀り、相殿には豊臣秀吉公・源頼朝卿を祀ります。
 
「徳川家康」は、天文11年(1542)12月26日、三河国岡崎城(愛知県岡崎市)に誕生。幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定、幕藩体制を確立。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め、産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。
 
元和2年(1616)4月17日駿府で死去。遺骸は駿河国久能山(久能山東照宮)へ葬られましたが、翌年、下野国日光へ改葬されました。同年4月に社殿が完成し、朝廷から「東照大権現」の神号と正一位の位階を受け、奥院に遷座されました。
 
家康が日光に祀られることになったのは、本人の遺言「八州の鎮守」から。日本全土の平和の守り神として不動の北極星の位置から徳川幕府の安泰と恒久平和を守ろうとしたのです。
 
120430_57.jpg「日光東照宮」は、陰陽道に強い影響を受け、本殿前に建てられた「陽明門」と、その前の鳥居を中心に結んだ上空に「北極星」が来るように造られています。その線を真南に行けば江戸へ着くとか。
 
主要な建物を結ぶと北斗七星の配置になるよう設計され、陽明門の前が「日本一運気の強い場所」と言われています。「日暮らしの門」と呼ばれるのは一つ一つ精緻な彫刻を眺めていると日が暮れてしまうことからつけられた名前。「日光を見るまで結構というな」という言葉は、東照宮の爛漫たる建築を洒落ているそう。
 
東照宮の「神厩舎」は、日本の神社建築史上初めて境内に建てられたものです。始めは、徳川家康公が関ヶ原の合戦に乗馬された馬が奉納されました。猿は馬を病気から守るとされ、長押の上には青雲の志を抱いて天を仰ぐ猿の彫刻が刻まれています。8面に渡って猿の一生を描きながら「人の生き方」を説いています。
 
見ざる言わざる聞かざる」の三匹の猿は、実は神厩舎の8枚の彫刻の1枚。「幼少期には、悪事を見ない、言わない、聞かないのが良い」という教えです。
 
名匠、左甚五郎の手になる有名な彫り物「眠り猫」は、家康を守るために寝ていると見せかけ、いつでも飛びかかれる姿勢と言われていますが、その裏側には雀が遊ぶ姿が彫られ、猫は爪も見せずにのんびり寝ており、雀も安心して遊んでいます。猫も寝るほどの平和を表しているのだそうです。
 
120430_58.jpg5月17・18日、例大祭が行われます。17日、御本社に於いて、宮司以下神職、徳川御宗家、産子会役員、来賓多数参列のもと「例祭」が行われます。午後からは小笠原流による「神事流鏑馬:やぶさめ」が奉納され、夕刻には神輿三基二荒山神社に渡御、両社神職奉仕によって「宵成祭:よいなりさい」が行われます。
 
18日、神輿渡御祭百物揃千人武者行列:ひゃくものぞろいせんにんむしゃぎょうれつ」が行われます。神輿を中心に鎧武者など53種類1200余名の奉仕により御旅所(おたびしょ)へ向かいます。御旅所では、「三品立七五膳:さんぼんだてななじゅうごぜん」の特殊な神饌(しんせん)が供えられ、宮司祝詞奏上・八乙女神楽・東遊が奉奏されます。
 
日光へ続く「日光杉並木街道」は、江戸の昔、20年をかけて日光街道にそって杉を植林し、日光へ向かう旅人を楽しませました。現在でも街道沿いに37km続き、「世界一長い杉並木」としてギネスブックでも紹介されています。樹齢は古いもので370年余、高さ30~40m、幹周り7m以上、全部で1万3000本。
 
日光東照宮
◇栃木県日光市山内2301
◇JR日光線「日光駅」バス「神橋」下車徒歩8分
◇公式Web:http://www.toshogu.jp/
◇日光観光協会Web:http://www.nikko-jp.org/perfect/toshogu/index.html


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
流鏑馬や千人武者行列がが名物の春季大祭です。観光の目玉、流鏑馬神事や百物揃千人武者は今年は例年通り開催され、期間中日光は観光客でいっぱいになります。5月でも日光は標高が高いため、気温がやや低く日が沈むと急に寒さが増します。上着一枚多くご用意をお忘れなく。
季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月16日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
5月節の「一粒万倍日」です。暦の上では初夏で、暖かい日が続いています。体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月15日「沖縄本土復帰記念日」です。■

okinawakitte.jpg

次世界大戦の終結後の昭和26年(1951)、日本はアメリカの占領から開放されましたが、沖縄は日本から切り離されアメリカの統治下に入りました。

通貨はドルに切り替えられ、沖縄を出る時にはパスポートを必要としました。アメリカに統治され続けていた沖縄は、昭和46年(1971)に結ばれた「沖縄返還協定」により、翌年の昭和47年(1972)5月15日午前零時をもって、アメリカ合衆国から日本へ返還されました。


返還後の課題は多く、日本政府側は「本土並み」の復帰を目指しましたが、実際には30以上の米軍基地や弾薬庫、演習場などが残され、沖縄本土の約20%が米軍基地に占められ、ベトナム、中東などの戦役の拠点として引き続き使用されているのです。宜野湾市市街地にある普天間基地の移転計画も進展していないのが事実です。

130506_21.jpg沖縄は国内唯一の地上戦が繰り広げられたところです。戦争で取られた領土が戻ってきたことは本当に稀なことで大変嬉しいことですが、戦争が終わっても沖縄の地理的な条件の良さがアメリカ軍の拠点として使用されることになってしまいました。


沖縄県は、日本の最南端に位置し、九州と台湾のほぼ中間にあります。東西約1000km、南北約400kmにわたる約160の島々からなる日本唯一の島しょ県です。年間の平均気温は22.7度。サンゴ礁に囲まれた海と、独特の生態系を持った森が特徴的です。

130506_22.jpg沖縄」と言うのは「オキ・ナ・ハ」と言う三つの言葉から構成されています。「オキ=海の沖」「ナ=魚」「ハ=場」の意。つまり「沖にある漁場」が語源とされています。

慰霊の日(いれいのひ)は、沖縄県が制定している記念日で、日付は6月23日です。昭和20(1945)年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
忘れてはいけない歴史が刻まれている沖縄の返還で、太平洋戦争(大東亜戦争)は終わったとコメントした佐藤栄作首相の言葉が思い出されます。
原稿を書いているときに、鹿児島県の西表市の島が、沖縄の米軍基地移転の候補地の一つだったといった噂のような情報が持ち込まれました。おかしなことに所有者の会社は、ありえない容疑で国権の査察を受けたのです。どうやら日本国内には、沖縄の基地を移転させたくない勢力があるようで、佐藤首相の志が霞んでしまします。
東京でももうすぐ梅雨、季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月15日「京都 葵祭」です。■
京都の三大祭の一つ「葵祭」は、賀茂御祖神社(下鴨神社)と、賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、正式には「賀茂祭」で、本来は陰暦4月の酉の日に行なわれる例祭でした。現代では5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれる例祭で、石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいいます。

 

120502_63.jpg庶民の祭りである「祇園祭」に対して、賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる「貴族の祭」となりました。石清水八幡宮の南祭に対して北祭とも呼ばれます。平安時代「祭」といえば「賀茂祭」のことをさしました。

120430_53.jpg祭では、葵の花を飾った平安後期の装束での行列が有名。勅使から斎王代まで、平安時代の貴族を再現し、京都御所から下鴨神社を経由して上賀茂神社まで8キロの道のりを約500名が行列します。

源氏物語には「葵の上」と「六条御息所」が見物の場所争いをしたとあります。現代では、この雅な行列を一目見ようと人々の壮絶な場所取り合戦が繰り広げられます。

下鴨神社
◇公式Webhttp://www.shimogamo-jinja.or.jp/index.html
上賀茂神社
◇公式Webhttp://www.kamigamojinja.jp/
葵祭り巡航
◇京都御所出発10:30→堺町御門→丸太町通→河原町通
◇下鴨神社到着11:40
◇社頭の義・出発14:20→下鴨本通→洛北高校前→北大路通→北大路橋→賀茂川堤
◇上賀茂神社到着15:30
◇葵祭り協会Web
http://www.kyokanko.or.jp/3dai/aoi.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「葵祭」は京都三大祭りの一つです。 この祭の見どころは路頭の儀(行列)で、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発する。総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車二台、輿1台の風雅な王朝行列は平安時代にいざないます。
絶好の祭り日和です。是非お出かけ下さい。もうすぐ梅雨です。季節の変わり目です。
お体ご自愛専一の程
筆者敬白

5月15日(旧4月20日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■5月14日「母の日」です。■
120430_40.jpg母の日」は、日頃の苦労の多い母への感謝をあらわす日です。日本やアメリカでは5月の第2日曜日にお祝いをします。ちなみにスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日です。

母の日の発祥はアメリカ。教会学校の教師アンナ・ジャービスが、母の命日に亡き母を偲ぶ会を催し、白いカーネーションを霊前に手向け、教友に贈りました。

母を想う気持ちを大切にしよう」と、国中で祝うことを友人達に提案し、参加した生徒と母親の全員に、彼女の母親が好きだった赤いカーネーションを贈りました。これが、赤いカーネーション母の日のシンボルになった所以です。その後、アメリカ議会の決議を得て、5月の第2日曜日を母の日と定め、母の徳を讃えることになりました。

日本では戦前、香淳皇后の誕生日である3月6日の地久節(※)を母の日とし、婦人会などを中心に様々な行事が行われていました。しかし、戦後はアメリカの例に倣って5月第2日曜日に行われるようになりました。

120430_41.jpg5月5日こどもの日、唱歌こいのぼり「屋根より高い鯉のぼり~大きい真鯉はおとうさん~小さい緋鯉は子供たち~おもしろそうに泳いでる」さて、おかあさんが登場しませんけど、祝日法では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに母に感謝する」とあります。こどもの日も「母の日」であるのです。

母の日にはやはりカーネーションなどを贈るのが一般的ですが、最近ではバラ、ガーベラなども好んで贈られるようです。何を贈ったら一番喜ばれる?それは、いつまでも元気でという願いを込めた一言「ありがとう」でしょう。

※地久節※
戦前の祝日の一つ。天皇の誕生日「天長節」に対して、皇后の誕生日を「地久節:ちきゅうせつ」といいます。国の祝祭日として定められることはありませんでしたが、戦前女学校などでは休日として祝いました。昭和6年(1931)大日本連合婦人会の結成とともに、地久節が母の日に定められ、昭和戦前期を通じて祝われました。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今年は5月第2日曜日が「母の日」です。
母の日にこそ「お母さん」に心から感謝をしましょう。
既にいらっしゃらない方は、母に日を機会に墓参をお勧めします。
楽しかったGWもあっという間に終わってしまい5月も中旬です。
これから小満、芒種と一年でとてもいい季節ですが、来月には梅雨、季節の変わり目です。
暖かさから薄着などして、お風邪を召さないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月14日「出雲大社例祭」です。■
110510_15.jpg出雲国一宮「出雲大社:いずもたいしゃ」は、式内社(名神大)で旧社格は官幣大社。近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社で、古来より「国中第一之霊神」として称えられ、その本殿は「天下無双之大廈」と評されました。

神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われます。正式名称は「いずもおおやしろ」ですが、一般には「いずもたいしゃ」と読まれます。

八雲立つ出雲の国が神の国、神話の国として知られる出雲大社の御祭神「大国主大神:おおくにぬしのおおかみ」は「天の下造らしし大神」と呼ばれ、古くから「だいこくさま」として親しまれています。
 
大国主大神は、福の神、平和の神、縁結びの神、農耕の神、医薬の神として崇められています。縁結びとは単に男女の仲を結ぶことだけでなく、人間が立派に成長するよう、社会が明るく楽しいものであるよう、すべてのものが幸福であるようにと、お互いの生成のためのつながりが結ばれることです。

120430_45.jpg御本殿は「大社造り」と呼ばれる日本最古の神社様式の木造建築で、国宝に指定されています。高さは8丈(約24m)で、神社としては破格の大きさですが、かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には16丈(48m)、上古には32丈(96m)であったと伝わります。八雲山を背景にした姿には、逞しい生命力を感じさせます。
 
5月14日、天皇陛下の勅使を迎えて例祭が執り行われます。勅使をお迎えする祭典を「勅祭」(ちょくさい)といいますが、勅祭にお仕えできるのは、伊勢神宮をはじめとする由緒正しき十数社に限られます。

現在の例祭にあたる大祭は、古く「三月会:さんがつえ」と称され、旧暦の3月1日より3日までの3日間、盛大に厳かに執り行われていました。三月会は出雲大社で最も重儀な祭典としてお仕えされます。

例祭前夜、参籠潔斎を行なった宮司以下祀職たちは正服を身に付け祭事を行います。海、川、山、野の神饌が神前へ供えられ、宮司が祝詞を奏せられ、天皇陛下の勅使が御本殿へと参進されます。天皇陛下より御幣物が宮司へと伝達され、御本殿奥の大国主大神の前に供えられます。勅使より御祭文が奏せられます。

5月13日前夜祭
5月14日的射祭・例祭・二之祭・神輿渡御・三之祭・出雲屋敷感謝大祭。
期間中の行事は流鏑馬神事・田植舞・出雲大社茶会・伊勢太神楽・獅子舞など。華道展、絵画展、書道展の他、15~16日は骨董市が開かれます。

出雲大社
◇島根県出雲市大社町杵築東195
◇一畑電車「出雲大社前駅」徒歩7分
◇JR山陰本線「出雲市駅」バス25分
出雲大社HP:
http://www.izumooyashiro.or.jp/
出雲大社例大祭詳細:http://www.izumooyashiro.or.jp/reisai23.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
出雲大社では5月13~15日までの例大祭です。今回の例大祭に限らず、お伊勢参り同様、出雲大社には是非一度お出かけください。
5月に入り日中は寒い日暖かい日が交互に続いて、体調管理が難しい時期です。本州最北端の弘前城公園では桜が満開だと便りだと思えば、沖縄では梅雨入り間近です。うっとうしい梅雨が近づいてきます。梅雨時には食中毒など「五黄土気」の作用にご注意を!
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月14日「奈良、当麻寺練供養」です。■
120430_46.jpg当麻寺・當麻寺:たいまでら」は、奈良県葛城市にある飛鳥時代創建の寺院で、寺号は禅林寺、山号は二上山。創建時の本尊は「弥勒仏」、現在の本尊は、「当麻曼荼羅:たいままんだら」。
 
西方極楽浄土の様子を表わした「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる「中将姫伝説」で知られる古寺で、宗派は「高野山真言宗中将姫伝説」と「浄土宗」の並立となっています。
 
新西国三十三箇所11番、関西花の寺二十五霊場21番(西南院)、仏塔古寺十八尊第8番(西南院)、大和十三仏霊場6番(中之坊)、大和七福八宝めぐり(中之坊)、法然上人二十五霊跡第9番(奥院)。
 
開基は、聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされますが、草創については明らかではありません。毎年5月14日に行われる「練供養会式:ねりくようえしき」の行事は、当麻曼荼羅と中将姫に関わるものです。
 
120430_47.jpg日本で初めて極楽浄土の思想を説き「往生要集」を書いた「源信(恵心僧都)」は、天台宗僧侶で、大和国葛城郡當麻郷の出身と伝わります。阿弥陀如来を念じ、生きながら接 したいと願い、横川の華台院で阿弥陀仏迎接会を始めましたが、これが「二十五菩薩練供養」※の始まりと言われています。
 
當麻寺の練供養は、源信・寛印によって寛弘2年(1005)に始められました。中将姫がこの當麻寺で現身のまま往生されたという伝承を再現して演じるのがこの練供養です。本堂(曼荼羅堂)から娑婆堂に架けれた100m程の来迎橋を、僧が娑婆堂に赴き、中将姫の像に勤行。後、面を被って装束に身をかためた二十五菩薩が娑婆堂に赴く。そのあと観音菩薩(すくい仏)、勢至菩薩(おがみ仏)、普賢菩薩と続く。帰りは観音菩薩を先頭に、蓮座に中将姫像を載せ、練りながら入堂します。国の無形民俗文化財指定
 
現在各地で行われているほとんどの練供養は、この當麻寺の練供養に根源を求めることができます。
 
※阿弥陀如来とともに来迎する「二十五菩薩」とは、観世音、勢至、薬王、薬上、普賢、法自在王、獅子吼、陀羅尼、虚空蔵、徳蔵、宝蔵、金光蔵、金剛蔵、光明王、山海慧、華厳王、衆宝王、月光王、日照王、三昧王、定自在王、大自在王、白象王、大威徳王、無辺身の各菩薩です。

※※中将姫伝説※※
中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母を失い、継母に育てられました。しかし、継母から嫌われ、ひばり山に捨てられてしまいました。
120502_62.jpg
その後、父と再会し一度は都に戻りましたが、姫の願いにより当麻寺に入り、称讃浄土経の一千巻の写経を達成し、十七歳で中将法如として仏門に入り曼荼羅(諸仏の悟りの境地を描いた絵図)を織ることを決意し、百駄の蓮茎を集めて蓮糸を繰り、これを井戸に浸すと糸は五色に染まりました。

そしてその蓮糸を、一夜にして一丈五尺(約4m四方)もの蓮糸曼荼羅を織り上げました。姫が二十九歳の春、雲間から一丈の光明とともに、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、姫は、西方極楽浄土へ向かわれたと伝えられています。

当麻寺
◇奈良県葛城市當麻1263
◇当麻寺HP:
http://www.taimadera.org/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
当麻寺といえば「中将姫さまのおはなし」が有名です。義母を恨まずに写経を続けることで、仏心に目覚めるといった物語です。現代社会でも通じる
リアリティーがあります。
中将姫伝説は、いつの時代でも、人間の浅はかな行動に警鐘をならしているのでしょう。
ともあれ、読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月13日「大津、三井寺 千団子祭」です。■
120430_54.jpg天台寺門宗の総本山「園城寺:おんじょうじ」は、一般に「三井寺:みいでら」と呼ばれます。山号は長等山(ながらさん)と称し、開基は大友与多王、本尊は弥勒菩薩。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚によって天台別院として中興されました。
 
高野山明王院の「赤不動」、青蓮院の「青不動」とともに「日本三不動」の一つである「黄不動」で著名な寺院で、観音堂は西国三十三箇所観音霊場の第14番札所。近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも有名です。
 
園城:おんじょう」という寺号は、飛鳥時代の皇族・大友与多王(よたのおおきみ)が、自分の「荘園城邑」(田畑屋敷のこと)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて、天武天皇が名付けたものと伝わります。
 「三井寺:みいでら」の通称は、この寺に涌く霊泉が、天智・天武・持統の三代の天皇の産湯として使われたことから「御井:みい」の寺と言われていたものが転じたものです。
 
120430_55.jpg「千団子祭:せんだごさい」は、三井寺の守護神「鬼子母神」の祭礼です。千個の団子を供えることから「千団子祭り」と呼ばれ、600年以上続く伝統的な祭礼として大津の人々に親しまれています。
 「鬼子母神:きしもじん・きしもしん」は、従来、人間の児を奪い食する悪鬼でしたが、釈尊がこれを聞き、母神の子を鉢で隠したところ、狂髪、啼哭して悲しみました。「千人もの子供がいてさえ、その中の一人でもいなくなれば悲しむのに、人間の子供を奪って食べれば、その子の親はどんなに悲しむことだろう」釈尊が慈愛を垂れたところ、鬼子母神は深く懺悔して仏法を守護し、子供のない人には子供を授け、病気を癒し、一切の障碍から子供を守ることを誓いました。以後、善女神になったといわれています。


 110511_10.jpg柘榴:ざくろ」は鬼子母神の供養として供えられ、子供の無事成長、無事安産を祈願します。放生池では亀の放生が行われます。
 
三井寺
◇滋賀県大津市園城寺町246
◇JR東海道本線(琵琶湖線)「大津駅」バス三井寺
◇名神高速道路「大津IC」湖岸道路経由約10分
◇三井寺HP:
http://www.shiga-miidera.or.jp/
◇千団子祭:http://www.shiga-miidera.or.jp/ae/05.htm


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
時代は違っても子を思う親の気持ちには、古今変わりがありません。三井寺千団子祭を機会に鬼子母神の母心に触れましょう。
皆様、もうすぐ梅雨、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月13日「大垣まつり」です。■
120430_36.jpg360年余の伝統を誇る「大垣まつり」は、大垣八幡神社の例大祭です。「大垣八幡神社」後醍醐天皇の時代、建武元年(1334)東大寺鎮守だった南都梨原宮、手向山八幡宮から大垣市藤江町に勧誘しました。

宝徳3年6月(1451)遮那院条済が大垣市外側町に遷座、大垣町及び近傍十八郷の総社と称しました。
天文15年(1546)には、斉藤道三の兵火により全焼しましたが、慶長5年(1600)頃、ほど無く再建されました。
その後、慶長11年(1606)大垣城主石川康道政俊の刀奉納、13年(1608)幣殿、拝殿、舞殿が建てられました。

大垣まつりの軕(やま)の起源は、慶安元年(1648)に大垣城下町の総氏神であった大垣八幡神社が、藩主戸田氏鉄公により整備された折、氏子が神輿3社を寄付し、10の町が10両のやまを造って曳回したのが始まりといわれています。

120430_37.jpg延宝7年(1679)、藩主戸田氏西(うじあき)公から、「神楽やま」「大黒やま」「恵比須やま」のいわゆる三両やまを賜り、それを機に10か町は、やまの飾りつけに趣向を凝らしていきました。

濃尾震災や大東亜戦争によって多くの「やま」を失いますが、その後、修復や復元、購入したなどにより再建が進められ、平成24年に残る2両となっていたやまが復元されました。
以後は
全13両やまが勢揃いし、華麗な元禄絵巻を繰り広げます。

大垣八幡神社
◇岐阜県大垣市西外側町1-1
◇公式Web:http://ogaki80003.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
大垣まつりは一昨年から「やま」と呼ばれる山車が70年ぶりに揃いました。
4月には全13両のやま特別曳揃えがあります。

岐阜県ではこの時期、岐阜市の「鵜匠」、「大垣まつり」と観光行事が目白押しです。
お出かけの際にはお風邪などお召しにならないように、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月12日「看護の日」です。■
120430_38.jpg5月12日は看護の日です。別名、「ナイチンゲールの日」とも呼ばれます。毎年5月12日を含む週の日曜~土曜までが「看護週間」です。

看護の日のメインテーマは「看護の心をみんなの心に」。気軽に看護にふれていただける楽しい行事が、全国各地で行われます。 「看護の日」制定の趣旨21世紀の高齢社会を支えていくためには、看護の心、ケアの心、助け合いの心を、私たち一人一人が分かち合うことが必要だとしています。

こうした心を、老若男女を問わず誰もが育むきっかけとなるよう、「看護の日」が平成2年(1990)に制定されました。市民・有識者による「看護の日の制定を願う会」の積極的な働きかけが制定のきっかけでした

130503_27.jpg看護の日は、近代看護を築いた「フローレンス・ナイチンゲール」の誕生日である5月12日にちなみ制定されました。国際看護師協会(本部:ジュネーブ)では1965年から、この日を「国際看護師の日」に定めています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
日本では高齢化が進んでいて、先進国初の高齢化社会になります。
一人ひとりがケアの心を持てば、お年を召された方でも住みよい社会になることでしょう。
筆者敬白

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■5月12日「三隣亡」(さんりんぼう)■

もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。
また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■5月11日「長良川鵜飼開き」です。■
1300年の歴史と伝統を誇る「長良川の鵜飼」は、5月11日~10月15日の間、毎夜行われます。

110510_11.jpg長良川の鵜は、野生で生息している海鵜を飼い慣らし、2~3年にわたって訓練を行ったもの。宮内庁に属する長良川の鵜匠は、代々続く世襲制により技を受け継いでいます。鵜匠は鵜と共に生活を送りながら、鵜飼の季節には伝統装束を身に纏って漁を行います。

名水百選に選定されている清流長良川で長良川鵜飼は行われています。暗闇の中、赤々と燃えるかがり火を川面に映し、鵜匠と鵜が一体となって繰り広げる古典漁法「鵜飼」は、現在を忘れ千古の昔にタイムスリップしたような幽玄の世界へと誘います。

古くから時の権力者たちに保護されてきました。織田信長は「鵜匠」という地位を与え鵜飼を保護しました。徳川家康はたびたび岐阜を訪れ鵜飼を見物、手厚く保護しました。

120430_34.jpg古風な伝統衣装は、かつて宮中行事であった頃の面影が残り、歴史の古さを物語っています。夜7時頃からかがり火の炎に照らされながら、川面の上を鵜舟が狩り下ると、鵜は鵜匠の巧みな手綱さばきに導かれて次々と水に潜って鮎を捕らえます。

6隻の鵜舟が横一列に並び、鵜匠が「ホウホウ」と声を掛けながら鮎を浅瀬に追い込み、一斉に獲る鵜飼のクライマックス「総がらみ」はまさに壮観。この期間、鵜飼観覧船が出て鵜飼の様子が見られます。

開催地
◇岐阜市湊町1-2
◇JR東海道本線・名鉄「岐阜駅」バス
◇東海北陸自動車道「各務原IC」車20分
◇開催期間:5月11日~10月15日、
※但し、中秋の名月の日と増水等で鵜飼ができない日は中止になります。
◇岐阜市鵜飼観覧船事務所Web:http://www.ukai-gifucity.jp/ukai/GUJW0100.asp
◇岐阜市観光協会Web:
http://www.gifucvb.or.jp/sightseeing/ukai.php

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
TVで報道される伝統衣装で、風情のある鵜飼を一度は見に行きたいものです。
鵜飼開きは歴史と季節を感じさせる伝統行事で、観光目的で約5か月間開催されています。
夕方から観光船に載っての鵜飼見物は絶好の夕涼みです。是非お出かけください。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月10~16日「愛鳥週間」です。■
150504_27.jpg野鳥週間は、野鳥を通して自然保護の大切さを知り、広めていく週間です。

愛鳥週間(バードウィーク)は昭和25年からこの期間になりました。野鳥とは、自然の中で自由に飛び回る鳥を愛でるということです。 愛鳥週間では、鳥をとりまく生態系を含めて守っていこうという「愛鳥思想」を普及するため、定められた一週間です。 

もともと愛鳥週間は、アメリカで毎年4月10日に「植樹祭」が行われていました。ペンシルバニア州の教育長をしていたバブコック氏が、植樹祭と結びつけて小鳥を守ろうと「バードデー」を考えたのがはじまりで、1894年(明治27)5月4日に行われました。

120430_33.jpg日本では、昭和22(1947)年4月10日、第1回バードデーが実施され、昭和25(1950)年からは5月10日~16日までを愛鳥週間(バードウィーク)としました。

5月になり鳥の活動が活発になり、目にふれる機会も多くなるこの時期、鳥を通して自然保護の大切さを広げる週間です。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇

数年前発生した鳥インフルエンザが人間に感染して死者が出たと報道がありました。WHOの国境を越えた対策のおかげで最近は報道を聞きません。効果があったのかどうか諸説ありますが、広がらないようにする対策が項を為したと言えるでしょう。
筆者敬白

■5月10日「笠間稲荷 お田植祭」です。■
130503_25.jpg日本三大稲荷の一つ「笠間稲荷神社:かさまいなりたいしゃ」の創建は、白雉2年(651)第36代孝徳天皇の御代です。御祭神に祀られる「宇迦之御魂神:うかのみたまのかみ」は、正一位という最高の位をもつ神様です。
 
5月10日、御神饌田において、古式ゆかしい「御田植祭」が行われます。その年の豊穣を祈願するとともに、稲荷大神に毎日御供えする御米(みけ)を栽培する稲苗の植付けの神事です。
 
120512_90.jpg御神饌田の広さは正方形約300坪。四方の中央に「素木鳥居:しらきとりい」、周囲に「竹矢来:たけやらい」を巡らせます。正面に「祭場」を設営、右前には「舞殿」が設けられます。
 
舞殿に於いて巫女、氏子らによる神楽舞「稲荷舞」、迦陵頻(かりょうびん)」が奉奏されます。次いで、早朝神前にお供えし祓清められた早苗が宮司より配られ、太鼓三打を合図に田植が始まります。地元の中学生らが「御田植祭歌」(折口信夫作詞、兼常清佐作曲)を奉唱されます。

笠間稲荷神社
◇茨城県笠間市笠間1
◇JR水戸線「笠間駅」徒歩20分。
◇北関東自動車道「友部IC」~国道355号約15分
◇笠間稲荷HP:
http://www.kasama.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
境内の藤樹は樹齢400年に及ぶもので、中の1本の八重藤は、花が葡萄の実のように集合して咲く珍しい種類です。GWの今頃が見ごろです。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月8日「世界赤十字デー」です。■
120417_60.jpgジュネーブ条約加盟の明治19年11月15日を記念して「赤十字デー」としていましたが、昭和23年以降は赤十字の創始者アンリー・ジュナンの誕生日(5月8日)にちなんで「世界赤十字デー」と変更されました。

赤十字のマークは、ジュナンの祖国であるスイスの国旗の赤と白を反転させたものです。十字のマークは、東洋では「福徳」を、西洋では「仁義」を意味するといわれています。

120417_61.jpg赤十字は「人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性」という7つの普遍的な原則のもと、世界最大のネットワークを駆使し行動する人道機関です。国境、宗教、人種を超えて、人の命の尊厳を守るため、様々な人道的活動を推進しています。

創始者ジュナンは人道支援や負傷者の看護だけではなく、地球上から戦争をなくそうと決心したのですが、現在その願いは実現からはほど遠い状態で、まったく成就していません。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
災害時の赤十字による人道救援活動は、寄付・救護など、災害の度に率先しているにも関わらず、目立たない赤十字の活動の謂れを振り返ってみましょう。
季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月7日「東京、下谷神社 例大祭」です。■
120502_61.jpg下谷神社は、聖武天皇、天平2年(730)上野忍ヶ岡の地に「大年神:おおとしのかみ」「日本武尊:やまとたけるのみこと」の二神をお祀したのが創めであると伝わります。

大年神:おおとしがみ」は天照皇大神の弟「素盞雄尊:すさのおのみこと」の子です。五穀を主宰し厚く産業を守護し給い、「倉稲魂命:うかのみまたまのみこと」と共にひろく「お稲荷様」として祀られています。
日本武尊:やまとたけるのみこと」は景行天皇の皇子で智仁勇を兼備え、諸国を平定しその威は四方にとどろきました。

天慶3年(940)藤原秀郷が朝敵「平将門」追討の祈願に立ち寄りました。後に平定し、神徳に感謝し社殿を造営したと伝わります。

120430_44.jpg寛永4年上野寛永寺を建立することになり移転。昔から「正一位下谷稲荷社」と称していたので、この付近を稲荷町というようになりました。明治に入り「下谷神社」と改称。その後、関東大震災のため、ほとんど焼失してしまい、社殿造営の工事を起し、昭和9年完成しました。

この付近は、大東亜戦争当時の東京大空襲の災禍に遭いましたが、何と社殿全建物にまったく損害がありませんでした。この奇跡は、今日までご神徳だと伝わります。


「下谷神社大祭」下町で一番早い夏祭りとされています。千年以上の歴史を持ち、本社神輿の渡御がある「本祭り」と町会神輿の渡御だけの「陰祭り」が隔年に執り行われています。

120430_42.jpg5月10日の日曜には「千貫神輿」と呼ばれている本社神輿が氏子29ヶ町の若衆延べ6千人によって朝6時15分より夕方6時半まで担がれ、氏子区域を練り歩きます。
また下町独特の露天商の数も多く、期間中は130軒余が出展し祭りを盛り上げます。

下谷神社は寛政10年(1798)に江戸で初めて「寄席」が行われ、境内は「寄席発祥の地」とされています。また拝殿天井図「龍」は、「横山大観」画伯筆

下谷神社
◇東京都台東区東上野3丁目29-8
◇JR上野駅浅草口徒歩5分
◇地下鉄銀座線「稲荷町」すぐ
◇公式Web
http://members2.jcom.home.ne.jp/shitayajinja/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
JP上野駅から浅草通りから入ったところにある「下谷神社」の例大祭です。
東側には東京スカイツリーがそびえ、新しい観光名所になるかもしれません。
例大祭を機会に下町の勢いのある神輿見物と洒落こんでみましょう。
季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月7日「天赦日(てんしゃび)」です。■
天赦日:てんしゃにち・てんしゃび」とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「最高の恩赦日」「極上の大吉日」です。

 歴に「万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜と祝日と祭日と大安が重なった最良の日と言えます。
この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。

130223_23.jpg◆天赦日は1年に5~6日有ります。◆
立春から立夏の前日までの「戊寅の日」
立夏から立秋の前日までの「甲午の日」
立秋から立冬の前日までの「戊申の日」
立冬から立春の前日までの「甲子の日」

天赦日はとにかく「何事にもよい日」とされています。
特に創業、設立、開店、購入、結婚、婚約、建前、出産、転居、入学、和解、面接、採用、人事、新規企画、契約、約束、出発、男女の営み、などには良い日です。
 今回の天赦日は、立夏から立秋の前日までの「甲午の日」にあたり、次の天赦日は平成27年10月17日です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

本年3回目の「天赦日」で、梅雨前の事始めに最適な「天赦日」といえます。
新規開店転居転職など何をとっても良い日です。

これを機会に志を立てることで、大願成就する事でしょう。
筆者敬白

■5月7日(旧4月12日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■5月6日~「天一天上(てんいちてんじょう)」です。■
天一天上:てんいちてんじょう」とは、陰陽道の歴注で癸巳~戊申の16日間をいいます。 今回は5月6日~5月21日にあたります。
 
110404_20.jpg天一神:てんいちじん」という方角神が天上界に出かけてしまい、期間中は佳日とされています。天一天上の間は天一神の祟りがなく方角の禁忌(悪い方位)はなくなるので、どこに出掛けるにも良しとされました。このことが、縁起を担ぐ相場師に利用されたと伝わります。

かわりに期間中は日遊神が地上に降りて家の中に留まります。屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、自宅は清潔にしておかなければなりません。 

130306_25.jpg天一神は方角神のひとつで、中神(なかがみ)ともいい、地星の霊荒神です。天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。
 
天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを「物忌み」といいます。その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「方違え」をします。
 
「天一神の遊行日」
■乙卯から5日間...卯(東)
■庚申から6日間...巽(南東)
■丙寅から5日間...午(南)
■辛未から6日間...坤(南西)
■丁丑から5日間...酉(西)
■壬午から6日間...乾(北西)
■戊子から5日間...子(北)
■己酉から6日間...艮(北東)
 
この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
人間が大自然を怖れて、自然と共に生きている時代に、経験的に感じ取った歴注です。
今となっては迷信や神話の域だと見過ごされしまう暦の一つです。
その昔
情報処理が発達していなかった頃、日遊神の祟りからのがれるために掃除するところから転じて、株や相場にとって、天一天上は相場を見直す時期とされていました。
梅雨時の天一天上です。明けると6月で、南から梅雨が明けてきます。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年5月5日「立夏(りっか)」です。◆sougen-thumb-250x187-2427.jpg

月5日16時31分「立夏」です。

旧暦4月、巳(み)の月の正節で、新暦5月5日~6日頃。
天文学的には太陽が黄経45度の点を通過するときを指します。
旧暦では3月15日~4月15日の間のどこかになります。 

立夏は、春分と夏至の中間にあたります。
昼夜の長さを基準に季節を区分すると、立夏から立秋の前日までが「夏」となります。

暦便覧には立夏を「夏の立つがゆへなり」と記されています。立夏は「夏立つ」「夏来る」などとともに夏の代表的な季語になっています。

春ようやく褪せて、山野に新緑が目立ち始め、吹く風は爽やかになり、いよいよ夏の気配を感じられる頃。ほととぎすが忍び音※で鳴く頃で、蛙も鳴き始め、ミミズが地上に這い出て、竹の子が芽を出します。
※小声での初鳴きのこと

ゴールデンウィークの終盤で、歳時記の上では立夏といっても、体感的にはいまだ春の感じがします

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◆◆「七十二侯」◆◆
◆初候「蛙始鳴」(かえる はじめて なく):蛙が鳴き始める
 ◇雨蛙が鳴き、産卵を始める時節。
◆次候「蚯蚓出」(きゅういん いずる):蚯蚓が地上に這出る
 ◇蚯蚓が地上に這い出る時節。蚯蚓(きゅういん)=ミミズ。目もなく手足もない紐状の動物。名の由来は「目 見ず」から。多くは陸上の土壌中に生息。
◆末候「竹笋生」(ちくかん しょうず):筍が生えて来る
 ◇タケノコが生えて来る時節。タケノコ=若い竹の幹の部分。食用としては、日に当たったものほどアクが強いため、土から顔を出す前に掘るのが望ましい。

◆◆「5月の花」◆◆
◆「文目」(あやめ) あやめ科 アヤメ属 
学名:Iris sanguinea ギリシャ語で「虹」の意。開花時期:5月1日~5月20日頃。
 
剣形の葉が整列して生える様子から「文目・あやめ」(筋道、模様の意)と呼ばれます。花弁の中央に網目模様があり、葉は細くて長い。「綾目」とも書く。よく「菖蒲」と書いて「あやめ」といいますが、菖蒲とは別種で、湿地ではなく乾いた土地に生えます。「いずれ文目か杜若(かきつばた)」とは、区別できないことの例え。
花言葉は、「良き便り」「吉報」「愛」「優しい心」「メッセージ」「希望」など。


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◆「杜若」(かきつばた) あやめ科 アヤメ属
学名:Iris laevigata 開花時期:5月5日~月末

 
花は紫、青紫、白。その昔、花の汁で布を染めていました。これを「書き付け花」といい、「かきつばた」と変化したもの。水中に生えます。葉は幅広で長い。「燕子花」とも。万葉の頃には「垣津幡」「加古都幡多」などと書いていました。
花言葉は、「妖艶」「幸運が来る」「美人の眠り」など。
 
◆「菖蒲」(しょうぶ) 里芋科 ショウブ属
学名:Acorus calamus var. angustatus。「美しくない花」の意。漢名の「菖蒲」を音読みしたもの。

沼や川などの水辺に群生し、初夏にうす茶色の花を咲かせます。葉の途中に花穂をつけ、見た目には空中に浮いているようにみえます。端午の節句(5月5日)に菖蒲の葉を風呂に入れる習慣があります。薬効と香りによって邪気を祓います。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今年の夏は晴天の日に突然前ぶれもなく雨が降る「狐の嫁入り」に出会う方もいるでしょう。入道雲が出来やすい夏独特の天気です。
二十四節気「立夏」で暦の上では「土用」が明けます。これまで溜まっていた諸問題の解決に奔走するのはこれからです。
季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■5月5日「端午」です。■
120417_54.jpg端午(たんご)五節句の一つで旧暦5月5日のことで、男子の節句とされています。

旧暦では「午(うま)の月は5月」にあたります。この「午の月」の「最初の午の日」のことを「端午:たんご」といいました。  

また、端午は「午:ご」は「五:ご」と同じ音です。これは、毎月上旬の5日の意も含まれていて「午月の初めの5の日」のことを指します。

これを「節句」として祝っていたものが、のちに「5が重なる5日」が端午の節句の日になりました。
同じように、奇数の「月と日」が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっています。  

◆端午の始まり◆

端午の習慣は、3世紀の中国で始まったとされています。中国ではこの日「邪気を祓い健康を祈願する日」とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬(よもぎ)で作った人形を家の戸口に飾ったり、菖蒲酒を飲んだりして邪気を祓う行事が行われます。
蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていて、現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るしたり菖蒲湯に入る風習が残っています。  

◆端午の伝来◆

日本には平安時代に伝わり貴族の間から次第に民間へと普及していきました。菖蒲や蓬を軒に吊るしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いをします。
男子のいる家では、鯉のぼりを立て、甲冑・刀・武者人形を飾り、子供の成長を祝うようになったのは、江戸時代以降のことです。 120419_57.jpg
端午の日に「粽・ちまき」や「柏餅・かしわもち」を食べる風習は、中国戦国時代の楚の愛国詩人「屈原」の命日(5月5日)に屈原を慕う人々が、汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したことが始まり。
また、屈原の亡骸を魚が食らわないようにしたものが「ちまき」の由来とされます。
 「柏餅」を食べる風習は日本独自のもの。柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」という縁起物として広まりました。
中国では現在も屈原を助ける為に船を出したことに因んで「龍船節」の祝いとして、手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われます。

◆さつき忌み◆

日本では古くから5月を「悪月:あしげつ」と称して物忌み月でした。
田植えの頃に、早乙女が家に籠って身を清め、田の神を迎え祀るといった神事があり、これを「さつき忌み」と呼んでいました。  
田植えをする早乙女とは、若い女性のことです。若い女性が穢れを祓い身を清めたのですから、「端午」はもともと女性の節句だったものです。
宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から「薬玉」(くすだま=薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜りました。  
5月の節句は、日本古来の「さつき忌み」と、中国から伝来した「端午の節句」が一緒になったものです。  
やがて武家社会に入り「菖蒲」と「尚武」が同音であることなどから、雛節句と対照的に男子の節句となっていきました。
立身出世を願い、鯉のぼりや武者人形など、武勇を表すものを飾るようになりました。

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■5月5日「こどもの日」■ 
平成の現在5月5日は「こどもの日」として国民の祝日になっています。
「こどもの日」は、祝日法ではこどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを制定の趣旨としています。
 「こどもの日」は、男子の健やかな成長を祝い、祈る日本の風習で、五節句の一つとして「端午の節句」とも呼ばれます。
そもそも旧暦5月5日に祝われたものが、今日の日本では新暦5月5日に行われています。旧暦や月遅れの6月5日に行われる地域もあります。 

鎌倉時代頃から「菖蒲:しょうぶ」が「尚武:しょうぶ」と同じ読みであることや、菖蒲の葉が「剣」の形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされました。 鎧、兜、刀、武者人形や金太郎を模した「五月人形」などを飾り、庭前には「鯉幟:こいのぼり」を立てるのが典型的な祝い方です。
鎧兜には男子の身体を守るの意が込められています。こいのぼりを立てるのは、男子の立身出世を祈願しています。
こいのぼりは「5色の吹き流し」「3匹(あるいはそれ以上の)鯉」から。吹き流しの5色は「五行説」に由来します。  

◆「鯉幟・こいのぼり」◆
120417_56.jpg
鯉幟とは、端午の節句(旧暦5月5日)
までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世を願って庭先に飾られたものが始まりです。
風になびかせる吹流しを、鯉の形に模して作ったもので、始めは紙や布に鯉の絵を描いて幟(のぼり)にしていましたので「皐幟:さつきのぼり」とも呼ばれます。

菖蒲と尚武を掛けてこの日を大切にする風習は、江戸時代には幕府の重要な式日となりました。
城には、たくさんの幟、刀、兜などを飾り、盛大に祝いました。
中国の古くからの伝説で、中国の大河「黄河」の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうとしましたが、鯉だけが登りきり、鯉は姿を変え「竜」になることが出来たと伝えられています。
鯉の滝登りに因んで、我が子の立身出世を願い、また男子の生まれたことを天に伝え、加護を願うという意味が込められています。

本来は真鯉(黒い鯉)のみを飾りますが、明治の頃から緋鯉(ひごい)と対で飾るようになりました。
昭和時代からは子鯉(青い鯉)を添えた家族を表すものが主流となっています。
竿の先端には、籠玉や回転球を。その下に矢車を付け吹流し、真鯉、緋鯉、子鯉の順番に並べます。

吹流しには「五色吹流し」と「雲竜吹流し」があります。
雲竜吹流しは、鯉が滝を登りきって竜になった姿で、家紋を入れた吹流しもあります。 五色吹流しの「五色」は、五行思想の五色からきています。
東=緑、南=赤、中央=黄、西=白、北=黒。因みに、七夕の時の「五色の短冊」も同じ意味合いです。

■5月5日「神奈川、国府祭」です。■
110502_14.jpg国府祭:こうのまち」は、相模の六社が集う祭りで、国家安泰・五穀豊穣・諸産業の繁栄を祈念する相模国最大の祭典国府祭です。別名、天下祭とも。1千年以上の歴史を有し、県の無形民俗文化財に指定されています。毎年5月5日に開催されます。

大化の改新以前、今の大磯町より東に「相武」(さがむ)、西に「磯長」(しなが)という国がありました。その二つの国を合併して「相模国」が成立したと伝わります。

120419_58.jpg大化改新以後、地方には国々が再編成され、新たに赴任した国司は、その国の有力大社を参拝して回る制度がありました。しかし、国司の巡拝は大変な日数と費用、人員を要するため、時代が経つにつれ巡拝する神社の御分霊を国府近くの神社に祀るならわしが起こりました。これが「総社」の起源です。そして、国司は総社に神拝し、国内安泰の祈願所としました。

国司は総社に御分霊を納めてもらうために、各神社に神輿を以て国府に集まるようお願いしました。これが「国府祭」の始まりとされています。

「相模国六社」は、①一之宮「寒川神社」、②二之宮「川勾神社」、③三之宮「比々多神社」、④四之宮「前鳥神社」、⑤「平塚八幡宮」、⑥「総社六所神社」

この六大社から神輿が出て「神揃山」に集まります。神輿が鎮まると祝詞が奏上されます。有力神社はそれぞれの地域の有力豪族の氏神でもあります。この祭りは、中央から派遣された国司が、地方豪族との交流を図る政治的色彩があったと思われます。祭りの後は盛大な宴会が催されたそう。

相模だけに残るこの神事は、鎌倉幕府の所在国として特別の保護が与えられ、弘安5年(1282)には、将軍の命により祭りが行われるようになっていました。以後、小田原北条氏、江戸徳川氏も先例に倣い、篤くこの祭りを保護しました。

130503_22.jpg国府祭の圧巻は「座問答」という神事。相武最大の神社が寒川神社、磯長最大の神社が川匂(かわわ)神社で、合体後の相模の一之宮をどちらにするかで論争が起こりました。

三之宮の比々多神社の宮司が前鳥神社と平塚八幡宮と相談し、「いづれ明年まで」という言葉で仲裁し、なんとか収まりましたが、このいきさつが「座問答」として後世に伝えられました。律令制が成立する前後の状況を今に伝える貴重なものとして、重要無形民俗文化財に指定されています。

◇国府祭Web:http://www.net-plaza.org/ko-matsuri/index.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
律令制度以前からの歴史のある祭礼です。圧巻の座問答はTV中継されるなど珍しい神事です。
お出掛けなさる皆様、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月5日「府中、くらやみ祭」です。■
130503_23.jpg大国魂神社:おおくにたまじんじゃ」の御祭神は「大国魂大神:おおくにたまのおおかみ」です。

「大国魂大神」は「素盞鳴尊:すさのおのみこと」の御子神で、武蔵の国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医療禁厭等の方法を教えられ、この国土を天孫・瓊々杵尊(ににぎのみこと)に奉り、出雲の杵築の大社に鎮座された神です。

景行天皇41年(111)5月5日、大神の託宣によって創立。「出雲臣天穂日命:いずものおみあめのほひのみこと」の後裔が、武蔵国造(くにのみやつこ)に任ぜられました。
 
大化の改新(645)のとき「武蔵の国府」をこの地に置き、武蔵国内の祭務を総轄する政治・経済・文化の中心地として栄えました。その武蔵国の総社が大國魂神社です。
 
総社にはその国内を代表する神社のご祭神も合わせ祀られました。本殿の両脇に「六所」(ろくしょ)=小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神を奉祀し「六所宮」と称します。
 
「武蔵の国」とは、現在の東京都のほぼ全域、埼玉県のほぼ全域、川崎市と横浜市の大部分に広がっていました。「武蔵総社六所宮」とも呼ばれ、大國魂神社の崇敬者は関東一円に亘ります。
 
120417_59.jpg政治」を「まつりごと」と呼ぶように、古代の政治は神との関わりが深くありました。関東三大奇祭の一つ「くらやみ祭」は、武蔵国の五穀豊穣と国土安穏を祈る「国府祭」が起源。国府の役人による最も重要な政治的行事だったと考えられます。
 
江戸時代に甲州街道の宿場町として栄え、現在のような大祭が行われるようにまりました。その昔は毎年、例大祭のたびに各神社から大國魂神社まで、神輿を担いでこられたそうです。
 
八基の神輿は古式の行列を整え、消燈して闇夜に神幸します。これが「暗闇祭:くらやみまつり」といわれる所以です。
 
昭和37年迄は、午後11時過ぎから宿場の明かりをすべて消してひっそりと神輿出御が行われていましたが、現在では神輿の渡御は夕刻に改められています。
 
日本最大(2.5mの刳り貫き胴)の大太鼓は「御先祓太鼓」と呼ばれます。神輿(神様)が通る道を大きな音(音霊)によって魔を追い払います。
 
5日午後4時、号砲三発の花火を合図に本殿より神輿が出され、天棒・中棒・外棒が取り付けられた後、門外で担ぎ手に渡され、御旅所へ向かいます。
 
一之宮(小野神社:東京都多摩市)、二之宮(小河神社:東京都あきる野市)、三之宮(氷川神社:さいたま市大宮区)、四之宮(秩父神社:埼玉県秩父市)、五之宮(金鑚神社:埼玉県児玉郡神川町)、六之宮(杉山神社:横浜市緑区)、御本社(総社、大國魂神社)、御霊宮の八基の神輿は、御先祓太鼓を先頭に、6つの太鼓によって清められた道を渡御します。この太鼓の音は、その昔は新宿まで聞こえたそうです。
 
◆大祭諸行事及び神事◆
150504_25.jpg4月30日:品川海上禊祓式(汐汲み・お浜降り)=神職及び所役が東京湾の品川沖に出て、手や口を海水で清め、汐水を樽に入れて、大國魂神社に持ち帰ります。
 
5月1日:祈晴祭=祭り期間中の安全とともに、雨が降らないよう祈る神事が執り行われます。
2日:御鏡磨式=神輿に付ける鏡を8枚、塩で磨き清めます。磨いた後、本殿に納めます。
3日:競馬式(こまくらべ)・山車の競演。
4日:御綱祭・萬燈大会。
5日:道清め・太鼓送り込み・宮乃神社奉幣・御饌催促の儀・動座祭・威儀物授与・御霊遷の儀・神輿渡御・坪の宮奉幣・野口仮屋の儀・やぶさめの儀。
6日:おかえり・鎮座祭(神霊をお神輿からご本殿にお移しする)で終わります。
 
この例大祭は、2010年、東京都指定無形民俗文化財に指定されました。表参道にあたる「馬場大門欅並木」(ばばだいもん けやきなみき)は、国の天然記念物に指定されています。
 
大国魂神社
◇東京都府中市宮町3-1
◇京王線「府中駅」徒歩3分
◇大国魂神社HP
http://www.ookunitamajinja.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
震災の年、「武蔵府中くらやみ祭」は神事のみでしたが、本年は例年通り3日の競馬式・山車の競演、4日の御綱祭・萬燈大会は、今年は例年通り実行されます。夜間の奇祭です。京王電鉄府中駅から近いので是非一見の価値はありますよ。
季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月5日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

土用といえば「土用の丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべます。

110719_18.jpg蒲焼が普及したのは江戸時代のことです。江戸時代後期に、あの平賀源内が鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けせず夏バテしない」と江戸中に宣伝したところ大変流行しました。

また、万葉集にも鰻が登場しますが、この頃は蒲焼きではなく単にに焼いて食べていたようです。

今回の土用の丑の日は4月20日(木)で二の丑は5月2日(火)です。

「鰻:うなぎ」の語源は「胸黄:むなぎ」から。鰻の調理方法は、東京では「切腹」をイメージするというので腹を切るのを嫌い、背剥きにします。大阪では腹剥きです。また、焼き方も異なっています。

大阪では鰻のことを「う」といいます。そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んでマブシて食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したものです。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
春から夏にかけての「土用の丑の日」で、明日は「二の丑」です。この季節は滋養に鰻を食して、冬に向けて体力を蓄えましょう。油断から風邪をこじらせて、寝込むことの無いようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月4日「みどりの日」です。■ 120419_60.jpg
「みどりの日」国民の祝日のひとつです。
昭和天皇の誕生日である4月29日は、国民の祝日「天皇誕生日」でしたが、昭和64年天皇崩御により、天皇誕生日は今上天皇の誕生日である12月23日に改められました。 

しかし、ゴールデンウィークを構成する祝日を廃止することによる国民生活への影響が懸念されたことから、4月29日を「天皇誕生日」から「みどりの日」と改めた上でそのまま祝日になりました。
その後、平成19年からみどりの日は日付を5月4日に移動、4月29日は「昭和の日」と改めて祝日として存続させることになりました。 

「みどりの日」の名前の由来は、昭和天皇は植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことから「緑」にちなんだ名がふさわしいということから。
祝日法では、「自然にしたしむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを法定の趣旨としています。 130423_23.jpg
この日、国公立公園の無料開放を行うほか、地方公共団体や一般の協力を得て、国民が自然に親しむ為の各種行事等が行われます。 

参考Web「昭和の日」旧天長節です:http://www.kisetsunootayori.com/04/23-04-29-1.html   

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
昭和天皇の崩御から、4月29日は天皇誕生日⇒みどりの日⇒昭和の日と名称が変わり、一時使っていた「みどりの日」を5月4日に移動して「昭和天皇を偲ぶ日」と謂れを取って設定した祝日が5月4日「みどりの日」です。 
この日はGWの中日です。しっかり休んで鋭気を養いましょう。
GWが明けると暦の上では立夏、夏の始まりです。 
時節柄、お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

■5月4日(3~6日)「飛騨の大祭 水無神社例祭」です。■

120417_42.jpg飛騨国一宮として歴史も古い「水無神社:みなしじんじゃ」の祭神は、御歳大神・天火明命・応神天皇・神武天皇などあわせて16柱で「水無大神:みなしのおおかみ」と総称します。
 
式内社で、飛騨国一宮の総社。延喜式では小社に列格し、飛騨国の一宮であるとともに総社を兼ねました。鎌倉時代には「水無大菩薩」と称しました。
 
社名の「水無」は「みなし」、「すいむ」、「みずなし」とも読み、水主の意味です。

水無神社の南西に位置する「位山」は、南に流れる水は飛騨川となり太平洋へ、北に流れる水は神通川となって日本海へと流れる分水嶺で、神代より表裏日本の分水嶺である「位山」に鎮座し、水主、水分の神として崇められ、農耕・殖産祖神・交通守護の神として崇敬されます。
 
120417_43.jpg境内に黒馬が祀ってあり、伝承によると、昔この地方で夜な夜な稲を食い荒らす馬がいるので、村人が待ち伏せ後をついて行くと、馬は水無神社の境内に入って行き黒い彫り物に変わりました。

そこで村人は彫り物の黒馬の目を抜いたところ、それから馬は現われなくなったそうです。
この「黒馬」は飛騨出身の名工、左甚五郎幼少の頃の作と伝わります。見事な彫り物にこそ伝わる伝説です。


120419_52.jpg5月の例祭では、神代踊りや闘鶏楽、獅子舞が奉納され、水無神社とお旅山の間を5百余人の行列が練り歩きます。参拝者には「どぶろく」が振舞われます。

水無神社
◇岐阜県高山市一之宮町5323番地
◇JR高山本線「飛騨一ノ宮駅」徒歩5分
◇参考Web
http://www.flow-stock.com/jisya-cyubu/minashi.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
明治7年~10年まで、島崎藤村の父、島崎正樹が水無神社の宮司をつとめていたそうです。その父をモデルに、小説:『夜明け前』の主人公(青山半蔵)は描かれました

また、近くの臥龍公園内には、幹枝の形が龍の臥した姿に似ていることから「臥龍桜」と名付けられた桜がそびえます。国指定天然記念物で、幾度の枯死状態から桜を想う人々の心によって、たくましく復活した樹齢1100年の大樹です。

水無神社界隈には多数の名所があります。この時期、臥龍桜は見事な花をつけていることでしょう。
時節柄、土地柄、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月4日「豊川稲荷、春季大祭」です。■
120417_51.jpg豊川稲荷:とよかわいなり」は、伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社と並ぶ日本三大稲荷の1つで、商売繁盛の善神として有名。曹洞宗の寺院で、正式寺号は「円福山豊川閣妙厳寺:みょうごんじ」

稲荷は鎮守として祀られる「荼吉尼天:だきにてん」のことで、本尊は千手観音です。「荼吉尼天」が稲穂を荷い、白い狐にまたがっている姿から「豊川稲荷」が通称として広まりました。

120417_52.jpg鎌倉時代、東海義易禅師の師・寒厳義尹禅師(かんがんぎいんぜんじ)が「宋」にわたった折、荼吉尼天の加護を受け、後に鎮守として祀られるようになりました。

今川義元、織田信長、豊臣秀吉、大岡越前守忠相、渡辺崋山などの武人、文人達の篤い信仰を受け、庶民の間では商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。年間数百万人の参拝者が訪れます。

稲荷神社」としては京都の「伏見稲荷大社」を総本山としていますが、「豊川稲荷」は神社ではなく寺院です。信仰対象は稲荷にあるものの、伏見稲荷とは同一ではありません。また俗説に「平八狐」を祀っているとした説もあります。

120419_56.jpg豊川稲荷といえば「稲荷寿司発祥の地」です。豊川稲荷周辺の蕎麦屋など飲食店が稲荷詣での参詣者にと工夫したと伝わります。近年公開された「平成狸合戦ぽんぽこ」(スタジオジブリ)に出てくる「平八狐」(鈴木平八郎の化身)を祀っているとしても有名になりました。徳川吉宗が将軍になる前のお家騒動「狐の戦い」に出てくるのが平八狐との説もあります。

「春季大祭」は、別名「豊年祈願祭」ともいわれ、勇壮な御輿渡御や美しく着飾った稚児行列などのほか、ステージでは大正琴や和太鼓の演奏、境内では飲食の無料接待もあります。
また、同日に表参道商店街では「いなり楽市」が開催されており、軒下戸板市やストリートパフォーマンス、名物ちんどん屋行列など、楽しい催しがたくさんあります。

豊川稲荷
◇愛知県豊川市豊川町1
◇JR飯田線「豊川駅」徒歩5分
◇名鉄豊川線「豊川稲荷駅」徒歩5分
◇東名高速「豊川IC」から国道151号
◇公式Webhttp://toyokawainari.jp/inariframe1.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
豊川稲荷は寺院で、伏見稲荷は神社です。なかなか区別は付きづらいものです。豊川稲荷はたぬき、きつねにまつわる言い伝えが数多く残っています。当時の人たちの自然や動物
に対する畏怖の念が、信仰になりました。日本独特の自然観が根底にあり、大切にしたいものです。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月4日「七尾青柏祭」です。■
120419_55.jpg青柏祭:あおかしわまつり」は、七尾市の大地主神社(山王神社)の祭禮で、毎年5月4日に行われる例祭です。天元5年(982)老朽化した山王社を再建し4月申の日に盛大な祭典を行ったのが起源です。

神社では柏祭奉幣の儀式が執り行われます。神饌を「青柏の葉に盛る」ことより「あおかしわ祭り」と呼び「せいはくさい」ともいわれます。秋の11月15日には、青柏祭との対の祭禮で「赤良柏祭:あからがしわまつり」が執り行われます。

参道に張られた注連縄を太刀で切り放つ儀式が執り行なわれると、これにより神社の神事から氏子たちの「でか山の祭り」となります。

能登半島七尾に受け継がれる巨大曳山「でか山」は、室町時代この祭禮に奉納された曳山が起源高さ12m、重さ20tの日本一巨大な曳山は「でかい(大きい)山」から「でか山」と呼ばれます。七尾市街地を町並みぎりぎりに曳き廻し、夜通し曳かれて明け方には大地主神社に納められます。(重要無形民俗文化財指定)

120417_50.jpg「大地主神社:おおとこぬしじんじゃ」は、奈良時代に能登国守の守護神として、近江国・比叡山の東麓に鎮座の山王社「日吉神社」の分霊を勧請して創建されました。室町時代には、能登國七尾城主・畠山氏が御祈祷所として崇拝。現在では「山王さん」と呼ばれ、地元の氏神様として親しまれています。

御祭神に、日吉山王社の「大山咋神:オオヤマクイノカミ」、祇園牛頭天王社(八坂神社)の「素盞鳴尊:スサノオノミコト」、「伊許保止命:イコホトノミコト」を祀ります。神社紋は「丸に三柏」と「五瓜に唐花」の2つ。祭禮の際、青柏祭や赤良柏祭には丸に三柏、祇園祭には五瓜に唐花の各紋が用いられます。

大地主神社
石川県七尾市山王町1-13
◇JR西日本「七尾駅」、
◇のと鉄道七尾線「七尾駅」
青柏祭(観光協会HP)http://www.nanaoh.net/c73.html

大地主神社参考HP:http://www10.ocn.ne.jp/~miyakoya/dekayama6/dekayama6.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
GWも後半になりました。天気には恵ましたが、一部では風の被害や寒の戻りもあり、さながら、春から夏への季節の変わり目を実感するGWです。
読者の皆様、夏への季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月4日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
何をやっても最適な日ですから暦を活用して一日の運気を盛り上げて迎え入れてください。
5月節に入って中旬に差し掛かります。暦の上では夏節で、暑い日もあります。時たま荒れた天気の日もありますので、体調管理にはお気を付けください。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月3~4日「博多どんたく 港まつり」です。■
150504_24.jpg博多を代表する祭りの一つ「博多どんたく港まつり」は、毎年5月3日と4日に開催される動員数200万人を超える国内最大級の祭りです。
 
京都で室町時代に盛んに行われた年頭に福を祝って行う芸事「松囃子:まつばやし」の習慣が、博多にも伝播し博多松囃子として形成発展したのが始まりと伝わります。
 
福禄寿・恵比須・大黒天の「三福神」と「稚児」が松囃子に、趣向を凝らした出で立ちの「通りもん」の構成が、現在のどんたくの原型でです。

江戸時代の博多松囃子は、福岡城へ福岡藩の藩主を表敬するため正月15日に年賀行事として行われていました。明治維新後、明治5年までは、福岡知藩事・黒田長知有栖川宮熾仁親王に年始の表敬を行いました。
 
しかし、金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわないという理由で、明治5年11月に福岡県からの通達で「山笠」や「盆踊り」とともに正月の「松囃子」は禁止されてしまいました。
 
明治時代以降の「松囃子」「どんたく」は、紀元節の祝賀に、明治20年代からは鎮魂祭(招魂祭)に、日露戦争勝利の祝賀会や大正天皇や昭和天皇の即位など、国の祝事に参加していましたが、昭和13年には、戦前の松囃子どんたくは中止となりました。
 
120417_46.jpg大東亜戦争終結後の昭和21年(1946)5月に、「博多復興祭」として空襲被災後の瓦礫の中で子供山笠とともに松囃子どんたくが復活。肩衣を紙で作り、馬はハリボテを首から胸に下げ、三味線、太鼓などは戦災を免れたところから借り集めて、博多どんたくの囃子を瓦礫の町に響かせながら練り歩いたことが、復興へ大きな勇気を与えました。
 
翌年には福岡商工会議所が中心となって、戦後初めてのどんたくが開催されました。3台の花電車に16か所の仮設舞台など現在のどんたくの形式の誕生です。
 
昭和37年(1962)には「福岡市民の祭り振興会」が結成され、どんたくは「博多どんたく港まつり」改称。市民祭りとして広く一般市民から参加者を募り、博多にとらわれず福岡市全体の祭りとして定着し、山陽新幹線が博多まで延伸した昭和50年(1975)には、市外県外からの見物客が増大しました。
 
「どんたく」は、オランダ語で「日曜日」を表す語、「Zondag・ゾンターク」が訛った言葉です。明治政府制定の祝日を指す言葉として明治4年から政府が広めた言葉であるとも。主として「四大節」を指していました。
 
120419_59.jpg現在でもよく使われる「半どん」も「半分どんたく」という意味で、これが各地に広がったものです。現在では「どんたく」と言えば「博多どんたく」を示す言葉として定着しています。
 
祭りでは「どんたく隊」と呼ばれる様々なグループが演舞を披露します。どんたく隊は各種団体や企業、学校、他都市からの観光PR団体、そして有志の集まり等により構成されます。企業のどんたく隊は団結力を高めるなどとして新人社員教育に活用されています。
 
踊りのときに拍子木や鳴子ではなく「しゃもじ」をよく用いますが、これは食事の用意をしていた商家のおかみさんが、どんたくの囃子につられて外に飛び出し、手にあったしゃもじを叩いて囃子に加わったのが始まりとか...。
 
羽織を裏返して着る「肩裏:すらせ」は、粋な着こなしとしてどんたくで目にします。これに「かるさん袴」を合わせ、背に「預かり笹」を挿し、頭には「頭巾」あるいは博多にわかの「にわか面」を付けるのがポピュラーな出で立ちです。
 
松囃子の通りもん(行列)を迎える側は、お祝儀の「1束1本・いっそくいっぽん」を用意します。半紙1束と白扇1本のことで、三方に乗せて渡します。

博多どんたく開催地
◇福岡県福岡市博多区・中央区一帯
◇JR「博多駅」すぐ
参考HP:
http://www.fukunet.or.jp/dontaku/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
日本人なら、知らない人がいないほど有名な「博多どんたく」です。2日間にわたり昼夜盛大なパレードなどが続く地域挙げての大祭です。季節柄GW最中でこれから梅雨に入る前です。是非お出かけになって勢いを感じてください。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月3日「憲法記念日」です。■
120419_61.jpg憲法記念日」は、国民の祝日のひとつ。祝日法では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」のを法定の趣旨としています。

「日本国憲法」は、第二次世界大戦における大日本帝国の敗戦後に「大日本帝国憲法」の改正手続を経て、昭和21年(1946))11月3日に公布され、昭和22年(1947)5月3日に施行されました。これを記念し、昭和23年(1948)に制定。

日本国憲法は、施行されてから現在まで一度も改正されたことはありません。そ

の為、日本国憲法の原本の漢字表記は当用漢字以前の旧漢字体です。4段からなる前文と、11章103箇条の本文で構成され、その骨子は主権在民・戦争放棄・基本的人権などで、他に類を見ない平和憲法となっています。

110429_12.jpg※度々議論される第9条※
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。※前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
現政権は時代に合った憲法制定に向け、改憲に動いているようです。
憲法記念日の今日5月3日、敗戦して占領下で制定された日本国憲法施行のいきさつを少しだけ振り返ってみましょう。

読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月2日「しものせき海峡まつり、先帝祭」です。■
150504_23.jpgしものせき海峡まつり」は、下関の歴史を今に伝える祭りです。

今から800年の昔、平氏は源義経を総大将とする源氏の軍に敗れ、幼い(数え8歳)安徳天皇は二位尼(平時子)とともに壇ノ浦に入水しました。大将平宗盛も捕らえられ、平氏は滅亡しました。これらの歴史的事実を基にした歴史情緒豊かな祭りです

壇ノ浦に入水した安徳天皇を祀る「赤間神社」では、5月2日の命日に「先帝祭」が執り行われます。
 
2日「御陵前祭」安徳天皇御陵での神事に始まり、平家一門追悼祭には全国平家会が参列し、供養のための琵琶演奏が行われます。安徳帝正装参拝では、安徳帝・武将・女官など当時の装束が再現されます。
 
3日「先帝祭:せんていさい」「上臈道中:じょうろうどうちゅう」及び「上臈参拝」。源平武者行列や八丁浜(はっちょはま)総踊りが行われます。
 
120417_40.jpg下関市の繁栄は、往古以来この先帝祭に在ると伝わります。由来は、壇之浦に平家滅亡の際、中島四郎大夫正則という武士郎党を率いて、赤間関西端王城山に籠り、再興を謀りましたが、機運は遂に至りません。漁業を営みながら、例年「先帝祭御命日」には、威儀を正して参拝を続けました。

また、多くの女官達は、赤間関在住の有志に助けられました。山野の花を手折っては、港に泊る船人に売って生計を立てながら、同じく「先帝御命」には年毎に閼伽を汲み、香花を手向けて礼拝を続けました。これが「上臈参拝」の起源で、以来連綿と絶えることなく続けられました。
 
120417_41.jpg官女に警固や稚児が従い、上臈に禿の随う美しい列立は、平安の昔に宮中で行われた「五節舞姫」の形に倣っています。「外八文字道中」は壮観です。無形文化財にしていされ西日本唯一の行事と称えらています。
 
赤間神宮」は、安徳天皇を祀るほか、壇の浦合戦に亡びた平家一門の武将を祀るもので「七盛塚」とも呼ばれます。「耳なし芳一」の伝説が有名です。

赤間神宮
◇山口県下関市阿弥陀寺町4ー1
◇公式Web:
http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/

4日は「巌流島フェスティバル」が行われます。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地で知られる巌流島。現在は「海上公園」として整備され、船で誰でも渡ることが出来ます。但し、上陸人数または乗船人数に限りがあるため、上陸乗船制限をする場合もあり。ここでは、決闘の寸劇が行われます。

下関海峡祭開催地
◇山口県下関市
◇JR東海道・山陽新幹線「下関駅」
◇中国自動車道・関門橋「下関IC」関門国道トンネル~(中国自動車道終点=吹田JCTから540㎞)
◇主催者HP:
http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/time_l/kaikyo_fes/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
GWは天候に恵まれるようで、絶好の観光日和です。天候が悪いと見られない巌流島船舶による海上パレードは見ものです。先帝祭の上臈参拝の花魁道中はこれまた、見ごたえがある時代絵巻です。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月2日「八十八夜」です。■
120417_34.jpg八十八夜」は、立春から数えて八十八日目にあたる日本独特の暦日で、5月初旬頃にあたります。明暦2年(1656)伊勢神宮刊行の伊勢暦に始めて記載されました。

八十八夜の別れ霜」「八十八夜の毒」「九十九夜の泣き霜」などという言い伝えのあるように、遅霜が降りる時期です。ほかには「八十八夜の忘れ霜」「さつき寒」とも言い、急に気温が下がって霜が降り 農作物や果樹に思いがけぬ被害を与えることを警戒しました。

霜なくて曇る八十八夜かな  正岡子規


120417_35.jpgお茶の葉は、一度「霜」に当たると駄目になってしまうので、霜を防ぐために藁(わら)をひきます。種蒔き、茶摘、養蚕などで忙しい農家にとって、せっかくの新芽を霜にやられてしまう「遅霜」が最も怖く、作物に与える害は大きいので、これに注意するよう暦に記載されるようになりました。

また、農家で「八十八夜の針たけ」とは、この頃に稲の苗がちょうど縫い針の丈くらいの大きさになることからです。

お茶の歴史は1200年。初夏に見られる茶摘みの光景を歌った歌「茶摘み」(童謡、文部省唱歌)にあるように、茶摘が盛んになります。

茶の産地、京都府宇治市静岡県掛川市東山などでは、昔ながら茶摘みかすり姿の女性たちが、茶畑で茶摘みの実演を行います。一番茶は二番茶以降のお茶よりも、うまみのもとであるテアニンなどの成分を豊富に含んでいます。八十八夜に摘まれた茶の葉は、古来より不老長寿の縁起物の新茶とされています。

120417_36.jpg【茶摘み】
1、夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘じゃないか あかねだすきに菅の笠
2、日和(ひより)つづきの今日このごろを 心のどかに摘みつつ歌ふ 摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
5月初旬の八十八夜は新茶の時期です。今年の新茶を煎じてのむと寿命が延びるとの言い伝えもあり是非お試しください。
暖かい日が続きよい季節です。日没後は急に冷え込みます。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■5月2日「奈良、東大寺 聖武祭」です。■
120417_37.jpg華厳宗大本山「東大寺」は「金光明四天王護国之寺:こんこうみょうしてんのうごこくのてら」とも。奈良時代聖武天皇が国力を尽くして建立した寺です。

奈良の大仏さまとして知られる「盧舎那仏:るしゃなぶつ」を本尊とし、大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、菩提僊那を「四聖:ししょう」と呼んでいます。

この「盧舎那大仏造顕」という国を挙げての難事業は「若し朕が時に造り了るを得ざるあらば来世に於て身を改めて猶作らん」と述べ、自らを「三宝(あるいはみほとけ)の奴(やっこ)と仕えまつる天皇(すめらみこと)」と称しました。華厳経の教理が明らかにされて、始めて聖武天皇の熱意と信仰心が伝わり、これが原動力となって可能になったとも伝わります。
 
聖武祭」とは、天平勝宝8年(756)56歳で崩御された聖武天皇の御忌法要です。午前中、天皇殿で論議法要が執り行われます。
 
120417_38.jpg午後からは式衆、稚児等の練行列が行なわれます。行列は奈良県新公会堂を出発し、南大門を経て参道を大仏殿に向かいます。先駈(さきがけ)、道楽(みちがく)を奏でる楽人、稚児、物詣女(ものもうでおんな)、小野小町(日本舞踊社中)、ミス奈良・聖武講役員、僧兵、会奉行、式衆(東大寺本山末寺の僧侶、伴侍、傘もち)、華厳宗管長、侍僧等、約3百人の行列です。
 
120419_51.jpg大仏殿到着後「聖武天皇慶讃法要」が行われ、鏡池水上舞楽台では、春日大社古楽保存会による舞楽が奉納されます。

翌3日には、東大寺一山の僧侶が聖武天皇を祀る佐保御陵に参拝。大仏殿では献茶式が行われます。献茶式が終わると、大仏殿東回廊の施茶席で抹茶がふるまわれます。参拝者用約4千人分用意されるそうです。

東大寺
◇奈良市雑司町406-1
◇JR・近鉄「奈良駅」バス約8分
東大寺公式HP:
http://www.todaiji.or.jp/index.html
聖武天皇祭HP:http://www.todaiji.or.jp/contents/function/04syoumuki.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
5月2日の聖武天皇御忌から5月3日の山陵祭へと一連の行事が続きます。
見どころの5月2日「練行列行列」は、午後1時頃から始まります。なかなか見ごたえのある時代絵巻です。
緑のきれいな季節です。日が沈むと急に寒くなることもあります。薄着でお風邪など引かないよう、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
著書の紹介はこちらから。

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