二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

6月のお便り

110510_21.jpg

■7月18日(旧閏5月25日)「三隣亡」(さんりんぼう)■

もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。
また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■6月30日「大祓え」「夏越祭」です。■
120609_31.jpg大祓え:おおはらえ」とは、宮中をはじめ全国の神社で一斉に行われる古式ゆかしい伝統的な祓えの神事で、6月と12月の晦日(みそか)に行われます。

日々の生活の中で知らず識らずのうちに犯した罪や穢れを、禊によって祓い清めるために行われます。罪穢災厄(つみけがれわざわい)を形代(かたしろ)に託して祓い却ります。

6月晦日の祓えを「夏越の祓え:なごしのはらえ」、12月晦日の祓えを「年越の祓え」といいます。

120611_25.jpg大宝律令(701)において正式に宮中行事となり、宮中では朱雀門の広場に親王、大臣以下在京の百官を集めて、大祓えの詞を読み上げて、万民の罪や穢れを祓いました。

応仁の乱の年から行われなくなっていましたが、江戸時代に復活し、宮中だけでなく全国の神社で執り行われています。

夏越の祓えでは、「茅の輪:ちのわ」をくぐって穢れを祓い、延命長寿無病息災を祈るという「茅の輪祭り」が行われます。

茅の輪くぐりの具体的な作法
120611_22.jpg1、先ず、茅の輪の前に立って軽く礼をします。
2、左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。
3、茅の輪の前で軽く礼をします。右足からまたいで輪をくぐり、右回りに回って元の位置に戻ります。
4、茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。
5、茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐります。
6、ご神前まで進みます。二拝二拍手一拝の作法でお詣りします。

◇◇◇◇ 編集後期 ◇◇◇◇
明日からは7月です。1~6月に被った罪穢災厄(つみけがれわざわい)、を茅の和くぐりと夏越の払えで、払い落としましょう。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月28日「貿易記念日」です。■
120609_30.jpg徳川幕府が300年にわたる鎖国政策を改め、米・英・仏・露・蘭の5カ国との「友好通商条約」に基づいて、横浜・長崎・函館の三港で自由貿易開始を許可する布告を出したのが、安政6年(1859)5月28日です。
 
これは新暦で6月28日にあたり、この日を記念して「貿易記念日」とし
ました。この日を中心に、全国各地で地域における貿易活動の活性化を図ることを目的に、毎年各種の記念行事が展開されています。


130615_26.jpg日本経済の安定成長国民生活向上のために、国際収支の均衡ある拡大や輸出入の増進が必要。企業だけでなく、国民全般が輸出入の重要性について認識を深めなければならないとして、昭和38年からこの記念日が設けられていいます。


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
海洋立国で小資源国である日本が著しい経済成長を遂げ経済大国になったのには、海外との貿易によるものです。機会が恵まれれば海外にどんどん出て行きましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月28日(旧閏5月5日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。月~日曜の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか・・・
筆者敬白

■6月26日~7月5日「十方暮れ入り」です。
110324_12.jpg十方暮れ:じっぽうぐれ・じゅっぽうぐれ」とは、干支を五行に配当したときに「上下互いに尅(こく)する」干支「甲申~癸巳」までの10日間のことをいいます。但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。
今回の十方暮れは月26~7月5日までです。

6月26
日 甲申=金尅木 
6月27日 乙酉=金尅木
6月28日 丙戌=火生土(間日)
6月29日 丁亥=水尅火 
6月30日 戊子=土尅水 
7月01日 己丑=土和土(間日)
7月02日 庚寅=金尅木 
7月03日 辛卯=金尅木 
7月04日 壬辰=土尅水 
7月05日 癸巳=水尅火


120712_64.jpg十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。四正(しせい)方位「東西南北」と、四隅(しぐう)方位「南東・南西・北西・北東」の八方位に「天地」を合わせた十方位のことです。または「十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に存在する世界の全部のことを示します。
 
この十方が「四方八方閉ざされた状態」を「十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。または「十方暗」「十方闇」ともいいます。
 
それにしても、やはり「とほうくれ」と読みたくなるほど、うまくいかなく「途方に暮れる」期間なのでしょう。十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。

 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「十方ぐれ」は発祥は定かではありませんが、五行説では干支の組み合わせから「相性の合わない日」とされています。
この時期、雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気
が続きます。転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。
これは、十方(方位八方向に上と下を合わせて十方)の気が塞がっていて、どんな困りごと、相談ごとも解決出来ない期間とされています。
せっかちさから、業を煮やして事を起こしても逆効果です。解決どころか反対に、こじらせて損失を招く恐れがあります。このような時期には、慌てずに「過ぎるを待つ」のが最大の解決方法です。
筆者敬白

 

■6月26日「国連憲章調印記念日」です。■
120609_29.jpg昭和19年(1944)9月、米英ソ中の四カ国代表がワシントン郊外のダンパートン・オークス会議で、戦後の世界平和を保つための原則・組織・活動方法を決めた「国連憲章の原」を決定しました。

「国際連合憲章・United Nations Charter」とは、国際連合の設立根拠となる条約です。

翌年昭和20年(1945)6月26日「サンフランシスコ会議」で51カ国が調印し、19章111か条の「国連憲章」が制定されました。
 
日本でもこれを記念して「国憲章調印記念日」としていますが、日本の国連加盟が認められたのは、昭和31年(1956)の12月18日です。
 
国際連合とは、世界の平和と経済・社会の発展のために協力することを誓った独立国が集まってできた機関であり、4つの重要な義務があります。

1、 全世界の平和を守ること。
2、 各国の間に友好関係を作り上げること。
3、 貧しい人々の生活条件を向上させ、飢えと病気と読み書きのできない状態を克服し、お互いの権利と自由の尊重を働きかけるように、共同で努力すること。
4、 各国がこれらの目的を達成するのを助けるための話し合いの場となること。

設立当初51カ国だった加盟国の数は、今では190カ国以上に増えています。今のところ、国連から脱退した国がない。というところが、国連のすごいところだといえるでしょう。但し、インドネシアが1965年、隣国マレーシアとの紛争を理由に一時国連を離れましたが、その翌年には再び国連に戻りました。

■6月24日「東京芝、愛宕神社 千日詣り」です。■
120611_21.jpg愛宕神社:あたごじんじゃ」は、山手線内にある愛宕山(天然の山、標高20m)の山頂にある神社で、京都の愛宕神社が総本社です。
 
主祭神は、「火産霊命:ほむすびのみこと」。「罔象女命:みずはのめのみこと」、「大山祇命:おおやまづみのみこと」、「日本武尊:やまとたけるのみこと」が配祀されます。慶長8年(1603)徳川家康の命により創建。また、徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩も祀ります。
 
130615_24.jpg◇千日詣り◇
6月23、24日は「千日詣り」、この日に社殿前にしつらえた「茅の輪をくぐり参拝すれば、「千日分の御利益がある」とされます。無病息災と商売繁盛をお祈りする茅の輪が設けられ、ほおずき市が立ちます。
 
◇ほおづき市◇
愛宕の千日詣りには、ほおづき市です。浅草のほうずき市が有名ですが、更に古く江戸時代から続いている市です。浅草の市も元々は愛宕から伝わりました。はじまりは江戸時代、神託によってほおずきが薬であると啓示受けて、家族や隣人に飲ませたところ、子どものカンの虫が治まり、夫人の癪(しゃく:胃痛)が治ったと伝わります。

120611_22.jpg愛宕信仰:あたごしんこう」とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥。火防の神に対する神道の信仰です。愛宕神社は、古くから修験道の道場となり、愛宕山に集まった修験者によって、江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められました。中世後期以降、愛宕の神は「火伏せに霊験のある神」として広く信仰されるようになりました。
 
日本全国で「愛宕」を社名につける神社は約1000社。愛宕の縁日は、地蔵と同じ毎月24日です。
 
愛宕神社
◇東京都港区愛宕1-5-3
◇JR「新橋駅」日比谷線「神谷町駅」、銀座線「虎ノ門駅」、都営三田線「御成門駅」
◇愛宕神社HP
http://www.atago-jinja.com/

茅の輪くぐりの具体的な作法※

1、先ず、茅の輪の前に立って軽く礼をします。
2、左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。
3、茅の輪の前で軽く礼をします。右足からまたいで輪をくぐり、右回りに回って元の位置に戻ります。
4、茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。
5、茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐります。
6、ご神前まで進みます。二拝二拍手一拝の作法でお詣りします。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
6月末日の大祓を「夏越の祓(なごしのはらえ)」です。
寺社仏閣では円形の「茅の輪」を敷地にに設置します。くぐると心身の罪穢れを祓い清め、病魔に負けないお力を頂けるとされているところから「茅の輪」をくぐる神事が、広く行われるようになりました。
由来は、その昔6月には梅雨など疫病が流行りやすく、飲み水や生ものには注意をするように促したことが始まりです。

この時期、各地で食中毒の報道が毎日のように載っています。いつの時代も疫病にはご注意の程!
読者の皆様、お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

■6月24日「清正公忌」です。■
120609_27.jpg加藤清正:かとうきよまさ」は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、肥後熊本藩初代藩主。
 
豊臣秀吉の家臣として仕え、各地を転戦して武功を挙げ、肥後北部を与えられました。秀吉没後は徳川家の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって「肥後熊本藩主」となりました。「賤ヶ岳七本槍:しずがたけ の しちほんやり」の一人。明治43年(1910)従三位を追贈されています。
 
永禄5年(1562)6月24日、尾張の土豪・加藤清忠の子として尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)に生まれました。父の清忠は、清正が幼い時に死去。母・伊都が秀吉の生母である大政所の妹であったことから、血縁関係にあった秀吉に仕えました。
 
120611_24.jpg加藤清正は一般に「智勇兼備の名将」として知られますが、同時に藤堂高虎と並ぶ「築城の名手」としても知られます。熊本城、名護屋城、蔚山倭城(ウルサンワジョウ:現在の韓国蔚山広域市)、江戸城、名古屋城など数々の城の築城に携わりました。
 
また、領内の治水事業にも意欲的に取り組んだ結果、熊本県内には現在も清正による遺構が多く存在します。このとき清正は莫大な人手をまかなうため、男女の別なく動員しましたが、きちんと給金を払い、必要以上の労役を課すことなく、農事に割く時間を確保した上でのことであったため、領民たちもよくこれに協力したといいます。
 
熱心な日蓮宗の信徒でもあり、領内に本妙寺をはじめとする日蓮宗の寺を数多く創設しています。
 
慶長16年(1611)6月24日、二条城における家康と豊臣秀頼との和解を斡旋した帰国途中の船内で発病し熊本で死去。享年50。清正の死から4年後の慶長20年(1615)家康によって豊臣家は滅ぼされました。
 
130615_25.jpgセロリは、セリ科の植物ですが、このセロリを日本に持ち込んだのは、加藤清正とされています。文禄・慶長の役の際に持ち帰りました。のち1800年頃にオランダ船により運ばれましたが、独特の強い香りのために普及しなかったのだとか。盛んに栽培されるようになったのは戦後、食生活が洋風化していってからのことです。セロリの異名の一つは「清正人参」です。
 
墓所
◇奉斎神社は熊本市本丸鎮座の加藤神社。
◇熊本市花園の本妙寺の浄池廟。
◇鶴岡市丸岡の天澤寺。
◇港区白金台の覚林寺に位牌。
◇大田区の大国院本門寺(池上本門寺)に供養塔など。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
加藤清正は文禄・慶長の役で朝鮮に出兵し、朝鮮国境の豆満江(トマンコウ)を越え満州の兀良哈(オランカイ)地に足を踏み入れました。蔚山倭城(現在の韓国蔚山広域市)など築城しました。
加藤清正ゆかりの地の日蓮宗寺院で供養祈祷が行われます。
筆者敬白

■6月24日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「まんばい」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
二十四節気「夏至」に入って初めての一粒万倍日です。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■6月23日「沖縄慰霊の日」です。■
130615_21.jpg「慰霊の日」は、昭和20(1945)年6月23日に太平洋戦争末期の沖縄戦が終結したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日です。
 
1945年4月1日、アメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官・牛島満大将をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされています。
 
これは、民間人を巻き込んだ日本国内での最大規模の地上戦で、また日米最後の大規模戦闘となりました。
 
130615_22.jpg日本側の死者・行方不明者18万8千人、沖縄県出身者は12万2千人、そのうち9万4千人が民間人。負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者1万2千人、負傷者7万2千人。日本側の死者数は戸籍が焼失したり、一家全滅が少なくないなどの事情があり、実数はこれを大きく上回るものと思われます。
 
1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」によれば、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため」(条例第1条)6月23日を「慰霊の日」と定めています。
 
130615_23.jpg毎年、この日には糸満市摩文仁の「平和祈念公園」で沖縄県が主催する「沖縄全戦没者慰霊祭」が行なわれます。沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙祷が捧げられます。
 
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
日本人なら忘れてはいけない日です。
尊い犠牲の上に成り立っている今の日本を誇りあるものにしましょう。「一燈照隅、萬燈照国」国を明るくするのは一人一人の心がけからです。
まだ梅雨が空けない地域もありますが、これからは夏本番です。体調管理にはくれぐれも気をつけましょう。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月23日「オリンピックデー」です。■
120609_20.jpg古代オリンピックが始まったのは、紀元前9世紀頃のギリシア。オリンピックは、ギリシアを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事でした。全能の神・ゼウスをはじめ、多くの神々を崇めるための神域における体育や芸術の競技祭として行われていました。
 
考古学的な研究によれば、当時のギリシアにはオリンピア地方で行われていた「オリンピア祭典競技」のほかに、コリント地方の「イストミアン・ゲームズ」、ネメア地方の「ネメアン・ゲームズ」、デルフォイ地方の「ピシアン・ゲームズ」など、4大祭典競技として知られています。
 
世界平和を究極の目的とした近代オリンピックが始まったのは、古代オリンピックの火が途絶えて千五百年の時が流れた1892年。フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵は「ルネッサンス・オリンピック」と題する講演でオリンピック復興の構想を明らかに。
 
その理想は次第に世界中の国々の賛同を得て、1896年6月23日第1回大会がオリンピックの故郷ギリシアの「アテネ」で開催されました。
 
130615_20.gifオリンピック復興が決定し、国際オリンピック委員会(IOC)が創設したことを記念し、6月23日を「オリンピックデー」(英:Olympic day)と定められました。この日、各国の国内オリンピック委員会 (NOC)によって記念イベントが実施されます。
 
オリンピックが開催されるのは4年に1度。その理由には諸説あるものの、最も有力なのは「古代ギリシア人が太陰歴を使っていたから」という説。現代、一般的に使われている太陽暦の8年が、太陰暦の8年と3カ月にほぼ等しいことから、8年という周期は古代ギリシア人にとって重要な意味をもっていました。
 
暦を司るのは神官であり、8年ごとに祭典が開かれるようになり、そして半分の4年周期となりました。太陰暦では49カ月と50カ月間隔を交互にして開催されていたようです。


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
東京オリンピックの、もめにもめたロゴも決まり、すっかりオリンピックムードです。
東京都内では、老朽化した高速道路、駅舎、地下鉄設備など高度経済成長時代のインフラ再整備が各所で目立ちます。
ヨーロッパではイベント開催された場所で、テロが頻発しています。2020年の東京オリンピックでは円満なスポーツの祭典にしたいものです。

読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月23日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「まんばい」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
二十四節気「夏至」に入ってからの一粒万倍日です。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■6月23日(旧5月29日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年6月21日「夏至(げし)」です。◆
120528_71.jpg6月21日13時24分「夏至」です。旧暦5月、午の月の中気で、新暦6月21日頃。天文学的には太陽が黄経90度の点を通過するときをいいます。

太陽は赤道から最も北に離れ、北半球では南中高度が最も高くなります。この日、北半球では昼が最も長くなり、反対に夜が最も短くなります。

夏至は、夏季の真ん中にあり、ほとんどは梅雨の真っ盛りで、シトシト長雨が続きます。農家では田植えが繁忙を極めます。道端では菖蒲が咲き始め、半夏(はんげ)=からすびしゃくが葉を広げます。

「暦便覧」には「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり」と記されています。しかし実際には梅雨の真っ只中なので、昼は長くても日照時間は冬よりも短いことが多いようです。

夏至線は北回帰線ともいい、北緯23度27分を走る線のことです。北上してきた太陽は、夏至の日にこの線の真上を通過し、以後再び南下します。
◇天文学的にみる「昼」とは◇
120528_72.jpg地球は地軸を軌道面と垂直な方向から約23.4度傾いて、太陽のまわりを自転しながら公転しています。太陽は、天の赤道から約23.4度傾いた黄道上を1年かけて一周するように見え、太陽の赤緯が変化します。
 
夏至の頃、北半球では昼が最も長くなり、南半球では最も昼が短くなります。反対の冬至の頃には、この逆になるのです。なので、日本が冬至の日は、南半球は夏至ということです。
 
昼と夜の長さの変化は、高緯度地域になるほど大きくなり、太陽がまったく沈まず一日中昼となる「白夜」と、太陽がまったく昇らない一日中夜となる「極夜」が生じます。
冬至の日は、北極圏全域で極夜となり、南極圏全域で白夜となります。ちなみに、赤道では、昼夜の長さはほとんど変化しません。
 
また、日の出、日の入りの定義が「太陽の上端が地平線または水平線に重なった瞬間」であること、さらに地平線や水平線付近では、大気の影響で「太陽が実際よりも上」に見えることから、春分・秋分の日でも、昼と夜の長さは等しくならず、昼が少しだけ長くなります。
 
日の入りの最も遅いのは夏至から7日後で、最も早いのは冬至の15日前になります。

120528_73.jpg◆◆夏至の頃の花◆◆
ザクロ(石榴、柘榴、若榴) ザクロ科 ザクロ属、落葉小高木、果実のこと。原産地は、西南アジアや南ヨーロッパカルタゴなど北アフリカなどはっきりしません。庭木などの観賞用ほか、果実は食用にもなります。

古くエジプトからギリシア時代には、ヨーロッパに広く伝わったとされる。東方へは、武帝の頃、紀元前2世紀の伝来。日本には延長元年(923)に中国から渡来したらしい。

食べられるのは果実で生食できる。果汁をジュースとしたり清涼飲料水の原料とするほか、料理などに用いられる。
花言葉:優美、円熟した優美、優雅な美しさ

◆◆◆ 編 集 後 記 ◆◆◆
6月下旬、二十四節季「夏至」の頃は「梅雨」の最中です。7月に入って梅雨が明ければ本格的な夏です。
今年は、空梅雨で冷夏との予報です。冷房関連の家電品は売れ行きが良くないかもしれません。
この時期、体調を崩しいやすい季節です。体調管理にはくれぐれもご注意ください。
筆者敬白

■6月19~29日「小犯土(こづち)」です。
120502_60.jpg明日から小犯土です。小犯土は大犯土の7日間に8日目の間日を経たあと9~15日目の7日間を指します。この期間を犯土として前半を大犯土、後半を小犯土としました。

◇期間中慎む作業◇
「犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。
特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

110311_15.jpg◇木々の低調な時期◇
野山の木々にも活発な時期と低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐとせっかくの材木が早く腐ってしまいます。科学的な根拠の有無は別にして、経験的に林業の方や大工の方は犯土を尊重するそうです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
暦には科学的な根拠の薄い経験的なものも数多く残っています。根拠が薄くても暦に従って、トラブルや不慮の事故を防ぎましょう。大自然の法則には、まだまだ解明されていない自然現象も数多くあるのです。
読者の皆様、もうすぐ8月で暑さから体調を崩す方の多い時期です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月20日「京都、鞍馬寺 竹伐り会式」です。■
120528_69.jpg源義経「牛若丸」の幼少期(7~9歳)の修行地として知られる「鞍馬寺:くらまでら」は、奈良唐招堤寺の開祖「鑑真和上:がんじん」の高弟「鑑禎上人:がんてい」が、宝亀元年(770)この地に毘沙門天王を祀ったのが始まりと伝わります。


寛平年間、峯延上人が護摩の修行をしていると、北の峰から二匹の大蛇が現れて上人に襲いかかりました。上人はこれを退治し一匹を三段に斬捨てましたが、雌の蛇は仏法に従ったので許し、鞍馬の御香水を絶やさぬよう命じて放してやりました。そして、里人に神として祀られたという伝説があります。

110613_22.jpg竹伐り会式:たけきりえしき)は、この伝説に因んで行われる祭りで、豊作を占うことで有名。

本殿前に四本の竹が用意され、根のない太竹が「雄大蛇」、根のついた細い竹を「雌大蛇」に見立てます。法師たちが近江座と丹波座の東西に分かれて、昔を偲ばせる「弁慶かぶり」の僧兵たちが大竹を三段に切り落とし、堂内に駆け入る速さを競います。

東が早いと近江の勝ち、西が早いと丹波の勝ちとなり、それぞれ豊作になるとされています。

120528_70.jpg※牛若丸※
牛若はこの広い境内で修行に励み、さらに夜ごと天狗に剣術を学んだ伝わります。ここで父と慕った平清盛は、実は父の敵だと知るのは後のことです。
 
鞍馬寺
◇正式名称「松尾山金剛寿命院」
◇所在地/京都市左京区鞍馬
◇叡山電鉄「鞍馬」駅
◇鞍馬寺参考Web:http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku19.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
鞍馬寺は天台宗に属しましたが独立して、鞍馬弘教の総本山となっています。山号は鞍馬山。本尊は「尊天」として、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊
古神道などが色濃く残る鞍馬寺鞍馬弘教は神仏混交が色濃く残っています。この地域が山岳地帯にあることから修験道などの影響も見られます。境内中央にパワースポットがあり若い年齢層の訪問が多いと聞きます。
長雨の中、鞍馬へお出かけの際には、雨具を忘れずにおもちください。
きっといい気が採ってこれますよ。

筆者敬白

110510_21.jpg

■6月20日「三隣亡」(さんりんぼう)■

もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。
また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■6月19日「桜桃忌(太宰治の命日)」です。■
110617_19.jpg桜桃忌:おうとうき」とは、太宰治の命日です。「桜桃」は死の直前の名作の題名と、入水した季節からといわれています。

遺書を残して姿を消した太宰が発見されたのは、奇しくも彼の39才の誕生日にあたる昭和23年6月19日の朝。山崎富栄と共に玉川上水で入水したと見られる場所(玉川上水)から2キロの下流で遺体で発見され、この日が命日となりました。

太宰治の主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』がある。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに「新戯作派」、「無頼派」と称されていました。

生前の太宰治本人の希望から、三鷹の禅林寺に、尊敬していた森鴎外の墓と向かい合わせに建てられています。この日、禅林寺では「偲ぶ会」が行われます。

130530_33.jpg禅林寺
◇東京都三鷹市下連雀4-18-20
◇禅林寺公式HP:
http://www.zenrinji.jp/
◇太宰治名言集参考http://dazai.sakura.ne.jp/4.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
調べてみると、この日が命日だとお考えの方も多いでしょう。「桜桃忌」は正確には遺体発見の日で誕生日だったことが分りました。
実際に亡くなったのは13日か、遅くても14日未明であろうとされています。また遺作「桜桃」談義をする日からこの名が付けられたとの説もあります。
これを機会に太宰治の著書に触れてみましょう。
筆者敬白

■6月18日「父の日」です。■
130530_32.jpg父の日」とは、父に感謝の意を表す日で、6月の第3日曜日とされています。
 
1910年アメリカで「母の日のように、父に感謝する日を」と、男手一つで育ててくれた父親に感謝するドット夫人の牧師教会嘆願から始まりました。アメリカでは、1972年から国民の祝日に制定されています。
 
父の日がアメリカと同じ6月の第3日曜日なのは、日本、カナダ、イギリス、フランスなど。リトアニアは6月の第1日曜日、オーストリアは6月の第2日曜日となっています。
 
タイでは国王の誕生日を。イタリア、スペインは3月19日の聖ヨゼフの日を。ドイツは5月のキリストの昇天祭を父の日にあてています。
 
110613_20.jpg台湾の父の日は8月8日。88の発音が「パパ」になるからだそうです。
韓国は5月8日で、両親の日としています。
スイスは母の日はありますが父の日ありません。また、父母どちらもない国もたくさんあるようです。
 
母の日の花「カーネーション」に対し、父の日の花は「バラ」です。ドット夫人が父親の墓前に白いバラを供えたことに由来します。
 
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
GW中の母の日に比べて父の日は歴史も浅く日本では梅雨時です。
白いバラの花の習慣も墓前に備えたことからの由来で、父の日に明るさはあまり感じられません。また
梅雨の真っ最中で、うっとうしい時節です。お祝い気分になれないのは筆者だけでしょうか。(笑)

震災以来、家族の「絆」がクローズアップされています。家の中でも父親の権威を保ちたいものです。
季節の変わり目です読者の皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月18日「海外移住の日」です。■
120528_66.jpg明治41年(1908)6月18日、ブラジル第1回移民として、日本からの初めての海外移住者158家族の781人を乗せて、神戸のメリケン波止場を出発した笠戸丸。50日もの日数をかけてブラジルのサントス港に到着したのがこの日です。

これを記念して、総理府(現在の内閣府)が昭和41年(1966)に制定。国際協力事業団移住事業部が実施。国民一般、特に青少年に海外に広く眼を向けさせ、海外移住に対する理解を深めることなどが目的となっています。

120528_67.jpgこの日を含む10日間は「メリケン波止場」で、国際協力事業団により催しが行われます。

メリケン波止場には「神戸港移民船乗船記念碑」が建てられています。神戸で人気の高いサンバは「ブラジル音楽」神戸市とブラジルの縁の深さがわかります。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ブラジル移民は既に4世の時代になっています。一時期は移民の送金が地方の家族を支えた時代もあったと聞きます。
好むと好まざるに関わらず、生活苦から異国に移民した日本人を忘れずに思い出す日にしてもらいたいものです。
季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月17日「伊勢神宮月次祭」です。■
120528_61.jpg月次祭:つきなみのまつり」とは、神道における祭礼の一つです。

伊勢神宮では6月・12月の月次祭と神嘗祭の3つの祭礼を三節祭(さんせつさい)、三時祭(さんじさい)と称しています。 
広い神域の中に千古の杉に囲まれた「伊勢神宮」は、神社本庁の本宗とされ、正式名称は「神宮」ですが、他の神宮と区別するために「伊勢神宮」と呼ばれます。「お伊勢」「お伊勢さん」と広く親しまれています。

神道の神社では別格とされており、格付けはされません。明治政府により「国家神道の頂点の神社」として位置付けられました。

皇大神宮:こうたいじんぐう」と呼ばれる「内宮:ないぐう」と、「豊受大神宮:とようけたいじんぐう」と呼ばれる「外宮:げぐう」からなり、別宮・摂社・末社・所管社をあわせた125社を「神宮125社」と呼びます。

110613_16.jpg御祭神は、内宮・皇大神宮に「天照大神」、御神体は「八咫鏡」(三種の神器の一つ)、相殿神に「天手力男神」「万幡豊秋津姫命」。外宮・豊受大神宮には「豊受大神」。相殿神に御伴神3座です。

伊勢神宮では6月と12月の「月次祭」と「神嘗祭」の3つの祭礼を「三節祭:さんせつさい」、「三時祭:さんじさい」と称して、五穀豊穣・国家安泰などを祈願する重要な儀式として執り行われます。
 
古く「延喜式」暦において毎月11日に行なわれていました。畿内(うちつくに)に祀られている304座の神に対し朝廷から幣帛(へいはく=衣服・武具。神酒などの捧げ物)が分け与えられていました。
 
伊勢神宮
◇三重県伊勢市
公式HP:
http://www.isejingu.or.jp/
◇内宮=近鉄「宇治山田駅」バス15分
◇内宮=<伊勢自動車道>伊勢インターまたは伊勢西インターより5分
◇外宮=JR・近鉄「伊勢市駅」徒歩5分
◇外宮=<伊勢自動車道>伊勢西インターより5分

■6月17日「奈良、率川百合祭」です。■
120528_63.jpg
率川神社:いさがわじんじゃ」は飛鳥時代、推古天皇元年(593)大三輪君白堤による勅命によってお祀りし奈良市最古の神社です。

御祭神の「
媛蹈韛五十鈴姫命:ひめたたらいすずひめのみこと」は、初代神武天皇の皇后様です。とてもご聡明で内助の功を立てられたと伝わります。全国の神社の中で皇后様を主祭神とした神社は数えるほどしかありません。


三棟の本殿左側には父神の狭井大神、右側には母神の玉櫛姫命、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようお姿で鎮座されています。

120528_64.jpg古事記
によれば、九州から大和に来た「神武天皇」は大和の娘「伊須気余理比売命:いすけよりひめのみこと)に出会います。この娘の住居の近くには、山百合草が咲き乱れ、この百合のように美しい娘は神武天皇と結ばれ、皇后に迎えられました。
 
百合伝説に基づいて「率川(いさがわ)神社」では、万葉の時代から「三枝祭:さいくさのまつり)が続いています。現代でも、6月17日に「笹百合の花」が奉納されます。笹百合は栽培が困難で、芽が出てから花が咲くまで5年もかかるそうです。
 
三棟並んだ本殿は、「父神・姫神・母神」で、子供を見守るように並んでいることから「子守明神」と呼ばれ、安産、育児、息災延命の神として崇敬されます。町名も本子守町となっています。
 
120528_62.jpg率川神社
◇奈良県奈良市子守町18
◇近鉄「奈良駅」徒歩5分、JR「奈良駅」徒歩15分
率川神社HP:http://www.isagawa-jinja.jp/izagawa.index.html.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
古事記による伝説がそのまま祭礼の謂れになっている歴史のある百合祭りは、日本の家族の原点になっているような祭礼です。太古の昔も、現代も両親の子供に対する愛情は変わりません。
梅雨の最中ですが、一部の地域で豪雨になる傾向です。
体調を崩しやすい時期です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月17日「興教大師誕生会」です。■
120528_60.jpg平安時代後期の真言宗の高僧「覚鑁:かくばん」は、真言宗中興の祖にして新義真言宗の始祖。諡号は、「興教大師:こうぎょうだいし」です。
 
興教大師は、念仏思潮を真言教学において理論化。西方極楽教主・阿弥陀如来とは、真言教主・大日如来という普門総徳の尊から派生した別徳の尊であるとしました。
 
真言宗の教典の中でも特に有名な「密厳院発露懺悔文:みつごんいんほつろさんげのもん」、空の思想を表した「月輪観:がちりんかん」の編者として有名です。
 
13歳で得度、出家した覚鑁は、古式な真言宗の伝法を35歳の若さで灌頂(かんじょう=正統な継承者とする為の儀式)し、弘法大師空海以来の才と称されました。
 
110613_17.jpg高野山での修行の後、根来山(ねごろさん)に「根来寺」を建立。瞑想法に力を注ぎ、密厳浄土への往生など、わかりやすい教えを説きました。
 
生誕の地に建てられた「誕生院」には、入滅された根来山より錐鑽身代不動明王の御尊霊を御本尊として迎え、弘法大師興教両大師尊像を安置しています。
 
誕生院
◇佐賀県鹿島市大字納富分2011
◇JR肥前「鹿島駅」バス10分
◇「武雄IC」~30分「嬉野IC」~20分
◇公式Web:http://www.tanjoin.net/

■6月16日「柏崎えんま市」です。■
120528_58.jpg300年余の伝統があると伝わる「えんま市」は、もともと柏崎市東本町にある「閻魔堂の馬市」だったものです。近隣農村部の田植え後の大きな楽しみでしたが、文政年間に露店が立ち並ぶ「閻魔堂の縁日」となり、毎年6月14~16日行われます。

えんま市」のはじまりは「馬市」で、現在のような見世物・露店の市と変わったのは文政年間(1818~1829頃)です。


規模が大きくなったのは、柏崎が交通の要所だった事と、全国を廻っている露天商人たちが一堂に会するのに6月15日前後という日取りが、とても都合が良かったことがはじまりと言われています。

110613_15.jpg季節はちょうど6月の衣替えの時期でもあり、えんま市で夏衣となってここから旅立ったことから、呉服市が立ち、田植えの終わった人たちの人気を呼びました。また当時の陣屋役人が、入り込んでくる博徒たちの丁半勝負を黙認したことも、この市が栄える要因になったと伝わります。

閻魔堂は戦国時代までは半田村にありました。旅人や浮浪者の宿に利用されていたようです。江戸中期には下町にあった馬市が閻魔堂の周辺に移り、今のような季節市にな
りました。

120528_59.jpg現在のお堂は土蔵造明治29年四代目篠田宗吉により建てられたものです。
 
祭礼には全国の露店業者が集い、現在では約700mの区間に500~600軒もの露店が立ち並びます。「村上大祭」「蒲原まつり」と並んで、新潟三大高市(たかまち)の一つとされます。
 
閻魔堂
◇新潟県柏崎市東本町2-7-40
◇柏崎市Web:
http://kisetsunootayori.com/mt/mt.cgi
◇閻魔堂参考Web:http://lib.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/kashiwazaki/bunkazai/enmadou/enmadou.html


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
門前市から発展したえんま市です。
江戸時代この付近の陣屋役人が、ご法度とされていた丁半賭博を黙認したことが盛んになった所以です。
今日の日本ではカジノが話題に上りますが、やっと議論が活発化しているカジノ構想も景気対策には悪いことではないのかもしれません。
旧暦では更
の頃で季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一のほど

筆者敬白

■6月15日「北海道神宮祭」です。■
130530_30.jpg北海道神宮例祭」は「札幌まつり」のことで、1世紀以上の歴史がある祭りです。山車や神輿など約1千人の行列が市内を練り歩きます。北海道神宮の他、中島公園内にも500店程の露店が並びます。
 
北海道神宮:ほっかいどうじんぐう」は、明治4年(1871)国幣小社に列せられ、翌年6月15日をもって例祭日とされました。
 
大国魂神:おおくにたまのかみ=北海道の国土の神」、「大那牟遅神:おおなむちのかみ=国土経営・開拓の神」、「少彦名神:すくなひこなのかみ=国土経営・医薬・酒造の神」、「明治天皇:めいじてんのう=近代日本の礎を築かれた天皇」の四柱の祭神を祀ります。
 
明治2年(1869)、当時「蝦夷地:えぞち」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に「北海道:ほっかいどう」と名付けられました。
 
130530_31.jpg明治2年9月1日、明治天皇の詔(みことのり=天皇のお言葉)により、東京にて「北海道鎮座神祭」を斎行、北海道の開拓・発展の守護神として、「大国魂神・大那牟遅神・少彦名神」の三柱が鎮斎されました。その御霊代(みたましろ=神様が宿った依代。鏡や剣等)は、東京から函館へ、そして札幌へと移されました。
 
明治3年(1870)5月に仮社殿を建立。現在の鎮座地に社殿が建立されたのは明治4年(1871)。「札幌神社」と名付けられました。昭和39年(1964)「明治天皇」を加えてお祀りし、社名も「北海道神宮」と改称しました。
 
120528_56.jpg現在の社殿は、昭和49年(1974)放火にて焼失の後、昭和53年(1978)に復興されたもの。約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれています。
 
北海道神宮
◇札幌市中央区宮ヶ丘474
◇JR「札幌駅」~地下鉄「円山公園駅」徒歩15分
◇JR「札幌駅」~タクシー15分
◇道央自動車道「新川IC」~宮の森方面へ
◇札樽自動車道「札幌西IC」から宮の森方面へ
◇公式HP:
http://www.hokkaidojingu.or.jp/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
本州では早くも梅雨ですが、北海道には梅雨がないと言われます。近年の気象の変化で北海道にも梅雨が発生しています。温暖化がもたらす気象の変化でしょうか。
筆者敬白

■6月15日「弘法大師誕生会」です。■
120528_57.jpg平安時代初期の僧「空海:くうかい」は、弘法大師(こうぼうだいし)の名で知られます。
 
空海は真言宗の開祖で、日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)とともに、奈良仏教から平安仏教へと日本仏教が転換していく流れの劈頭に位置。中国から真言密教をもたらしました。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆の一人に数えられます。
 
110613_14.jpg讃岐国多度郡屏風浦の豪族・佐伯直田公(さえきあたいたぎみ)と、玉依御前の子・真魚(まお)として生まれました。空海が誕生したとされる6月15日は、中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日で、空海は「不空の生まれ変わり」と伝わります。
 
弘法大師誕生の地に、自ら建立した寺として全国に知られる「善通寺」では、この日を祝って「お大師さまの徳を讃え百種類の供物を供える法会」が執り行われます。善通寺は、四国霊場八十八ヶ所の第七十五番札所として多くの参拝者が訪れます。
 
善通寺
◇香川県善通寺市善通寺町3-3-1
◇JR「善通寺駅」徒歩20分
◇「善通寺IC」10分
◇善通寺HP
http://www.zentsuji.com/

■6月15日(旧5月21日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。
経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■6月14日「大阪、住吉大社 御田植神事」です。■
120528_53.jpg摂津国(せっつのくに)一の宮「住吉大社:すみよしたいしゃ」は、全国に約2300社余ある住吉神社の総本宮です。
 
御祭神は「底筒男命:そこつつのをのみこと」、「中筒男命:なかつつのをのみこと」、「表筒男命:うはつつのをのみこと」、「息長足姫命(神功皇后):おきながたらしひめのみこと」。神功皇后摂政11年(211)、この地に鎮斎したと伝わります。
 
伊邪那岐命:いざなぎのみこと」は、火神の出産で亡くなった妻「伊邪那美命:いざなみのみこと」を追い、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ることは出来ず、地上へ帰ることになりました。そして、その身には穢れを受けてしまいました。その穢れを祓い清める為に、海に入って禊祓いをした時に生まれたのが、ここに祀られる祭神3柱です。
 
第14代仲哀天皇の妻「神功皇后」は、新羅に出兵する際、住吉大神の守護を受けました。新羅遠征では、大いに国内の平定が出来たため、住吉大神を祀り、自身も息長足姫命として祀られました。
 
創建は、実際の年代では、干支二運(120年)を繰り下げて5世紀初頭と推測されます。大和政権の玄関口「難波」に鎮座し、遣唐使を始め体陸との渡航を護る「海の神」として称えられてきました。
 
120528_54.jpg第一本宮から第三本宮まで縦に、第四本宮は第三本宮の横に並ぶ「縦並び」の建築配置は珍しく、住吉大社だけの配置です。あたかも大海原をゆく船団のように立ち並び、「三社の縦に進むは魚鱗の備え 一社のひらくは鶴翼の構えあり よって八陣の法をあらわす」とも言い伝えられています。
 
御本殿は、神社建築史上最古の様式の「住吉造り」。鳥居は貫の両端が柱から外に出ない「住吉鳥居」で、「角鳥居」とも呼ばれます。

御田植神事は、神功皇后が御田を作らせたのが始まりで、母なる大地に植付けられる苗には、穀霊が宿るものと考えられていました。音楽を奏で、歌を歌い、舞を演じるのは、田や苗に宿る穀霊の力を増すためです。五穀の豊穣を祈る儀式です。
 
120528_55.jpg植女や稚児らの行事に関わる人は、祓いを受け身を清め、行列を整えて御田へ向かいます。御神水を御田の四隅に注ぎ清め、早苗の授受が行われます。舞台では舞や踊りが繰り広げられます。

稲作の始まりとともに、「田んぼの神さま」を祭る田植え行事は、全国各地で行われています。なかでも、住吉大社御田植神事では、儀式を略することなく、当時と同じ格式を守り、華やかで盛大に執り行われ、重要無形民俗文化財に指定されています。

住吉大社
大阪市住吉区住吉2丁目9-98
◇南海本線「住吉大社駅」徒歩3分
◇阪神高速15号堺線「玉出」出口より
◇住吉大社Web:
http://www.sumiyoshitaisha.net/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
東日本大震災の平成23年住吉大社は、鎮座1800年記念大祭でした。住吉大社は神功皇后摂政11年辛卯歳(211)にこの住吉の地に鎮座以来、平成23年をもって1800年となります。記念大祭をご斎行し奉祝行事を執り行いました。

6月14日に御田植神事です。
暦の上では6月10日が入梅でした。一部の地域に集中した雨が降るようです。お出かけの際には雨具の用意を忘れずになさって下さい。
読者の皆様、季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

 

■6月12日~6月18日「大犯土(おおつち)」です。■
◇犯土の期間◇
120502_60.jpg大犯土:おおつち」は選日の一つで庚午(かのえ うま)の日~丙子(ひのえ ね)の日までの7日間(6月12日~6月18日)をいいます。
8日目の丁丑(ひのと うし:6月19日)の日を差し障り無い「犯土間日:つちまび」を置きます。
9日目の戊寅(つちのえ とら)の日から甲申(きのえ さる)の7日間(6月20日~6月26日)を「小犯土:こづち」としています。

◇犯土期間中慎む作業◇
犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

木々の活動低調期◇

110311_12.jpg野山の木々にも活発な時期と低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、樹木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐとせっかくの材木が早く腐ってしまいます。
科学的な根拠の有無は別にして、林業や大工の方は暦の犯土を経験的に重要視しています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
現代社会では暦の「大犯土」「小犯土」は、科学的な根拠のない迷信だと、軽んじられています。
近年は暦に従って生業を営むことが難しい時代になってきました。経験的に積み上げられた大自然の法則を、経験や感覚的に生かしてきた暦を一寸振り返ってみましょう。
家屋など木や土の関わりを生業にしている方や、工務店、建築業・林業の方は、工事など日程を調整して不慮の事故を未然に防ぎましょう。
読者の皆様、これから夏です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月12日一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「まんばい」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
6月に入って昨日が入梅でした。6月21日には暦の上では「夏至」です。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■6月11日「入梅:にゅうばい」です。■
130530_29.jpg6月11日02時06分「入梅」です。入梅(にゅうばい)とは、雑節のひとつで「梅雨の季節に入る日」を指します。

「つゆいり」「ついり」とも言い、暦の上では太陽が黄経80度の点を通過した日を指します。

夏至を中心に約30~40日間「梅雨期」に入りますが、実際の「梅雨入り」とは関係なく、「入梅」は暦の上でのことで、毎年一定ではありません。

現在は、気象庁本庁、管区気象台、地方中枢観測所の観測及び予報に基づいて「梅雨入り」を発表していますが、「梅雨入り宣言」をいつ発表するか迷っていることでも判断のむずかしさがわかります。

120519_24.jpg旧暦では、梅雨入りを5月節「芒種(ぼうしゅ)の後の壬の日(みずのえのひ)」とし、梅雨明けを「小暑(しょうしょ)の後の壬の日」とする、としていました。
しかし、南北に長い日本では、年や地方によって違いが出てしまいます。農家にとって梅雨入りを知ることは、田植えの日取りを決めるのに大変重要なことでしたので、暦の上では「
暦日」すなわち基準日として設けられました。

北海道では梅雨がありません。梅雨に似た悪天候が2週間ほど続く時期もあり、これを北海道の旧地名を使い「蝦夷梅雨(えぞつゆ)」と呼び、蝦夷梅雨期間中の肌寒い気候を特に「リラ冷え」と呼んでいます。

入梅の語源は、梅の実が熟する頃に雨季に入ることから。またこの頃は湿度が高く、カビが生え易くなることから「
黴雨:ばいう」と言われ、ここから「梅雨:ばいう」に変化したともいわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
暦の上では6月10~11日ごろです。雷が天を覆い尽くすと、梅雨が明けで夏本番ですとコメントしたいところですが、 その後も冷夏との予報です。日本は亜熱帯になってしまったのでしょうか。

毎年のことですが、学校給食やナマ物の食中毒が報道されています。食べのものの痛みやすい時期です。特に調理を生業にする方はくれぐれも注意しましょう。 

朝晩は冷え込む事があります。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月11日「己巳(つちのとみ)」です。■
120417_62.jpg「己巳:つちのと・み、き・し」は、干支十干と十二支)の組み合わせ60のうちの6番目で弁財天を祭る日とされています。「巳待:みまち」ともいいます。

五行説で、十干「:つちのと、き」は「陰の土」、十二支「:み、し」は「陰の火」で、相生(火生土)でとなり相性のいい日です。

「巳」は「」をあてています。蛇は弁財天の使いであると考えられていたことから、福徳賦与の神である弁財天を祀るようになりました。


「弁財天」
は、宝冠を被り青衣をつけた美しい女神で、左手に弓・刀・斧・絹索を、右手に箭・三鈷戟・独鈷杵・輪を持つものもあり、ヴィーナ(琵琶に似た楽器)を弾じます。


121225_27.jpg安芸の宮島
大和の天川近江の竹生島相模の江ノ島陸前の金華山五弁天と称します。
鎌倉の「銭洗弁天」(正式には宇賀福神社)では、境内奥の洞窟内の湧き水で銭を洗うと、数倍になって返ってくるとされています。

日本各地に存在する「弁天島」は、弁才天信仰に由来する島名です。海難避けや豊漁を祈願する漁師たちの守り神として、日本各地の沿岸の小島に祀られてきました。

七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして信仰されている七柱の神です。
◆≪恵比寿:えびすさま≫商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、大魚守護の神様
「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。七福神の中で日本が由来の神様。
◆≪大黒天:だいこくてん、だいこくさま≫五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛の神様
ヒンドゥー教のシヴァ神と、日本古来の大国主命の習合です。その後「大黒柱」と現されるように、食物や財福を司る神となりました。
◆≪毘沙門天:びしゃもんてん≫武道成就、降魔厄除、家内安全、夫婦和合の神様
ヒンドゥー教のクベーラ神。仏教の神のヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり、日本では毘沙門天と呼ばれます。
◆≪弁才天:べんざいてん、べさいてん、べんてんさま≫恋愛成就、学徳成就、諸芸上達、福徳施与の神様
七福神の中の紅一点。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されます。
◆≪福禄寿:ふくろくじゅさま≫財運招福、延命長寿、立身出世、招徳人望の神様
道教の宋の道士、または、道教の神で南極星の化身の老子である「寿老人」の別名または同一神とされます。
◆≪寿老人:じゅろうじん≫幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様
道教の神で南極星の化身の老子。
◆≪布袋:ほていさま、ほていそん≫千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛の神様
唐の末期、明州に実在したと伝わる仏教の僧です。

130218_20.jpg
暦注や暦に起因する様々な行事は、中国から渡ってきたものが主ですが、「
庚申待」「甲子待」と同類でも、「己巳」は日本独自のものです。

◇◇◇ 編集後記 ◇◇◇
もうすぐ二十四節気「夏至」です。
現代の社会では、己巳や庚申などは迷信扱いです。
暦の謂れを振り返ってみることも、せちがない現代での心の余裕といえます。 

まだまだジメジメした梅雨の余韻が残る日もありますが、これからが夏本番です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月11日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「まんばい」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
今日から暦の上では「梅雨」です。暦の上では6月5日二十四節気「芒種」から6月節ですから今回の、「一粒万倍日」は6月節ということになります。
暦の上では6月11日が入梅です。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■6月10~11日「チャグチャグ馬コ」です。■

120518_43.jpg古くから馬産地として知られる岩手県。江戸時代以前は主として軍馬や騎馬として使われていましたが、寛政年間(1789年頃)から農耕用として農民が家族同様の愛情を注いで飼うようになり、人と馬がひとつ屋根の下で暮らす南部曲り家が造られました。

こうした愛馬精神から生まれたのが馬の神を祀る「駒形(蒼前)神社」。蒼前神社の縁日は、端午の節句(旧暦5月5日)に開かれていましたが、この時期は田植え前の重労働が続くので、この日だけは仕事を休んで神社の境内で過ごすという風習が生まれました。
 
120518_44.jpgチャグチャグ馬コ:ちゃぐちゃぐうまっこ」とは、毎年6月に行われる「蒼前様」を信仰とするお祭のことで、100頭ほどの馬が滝沢村の蒼前神社から盛岡市の八幡宮までの15㎞の道のりを行進するお祭です。
 馬の艶やかな飾り付けとたくさんの鈴が特徴で、歩くたびに「チャグチャグ」と鳴る鈴の音が名称の由来といわれています。
 
馬の飾りは、大名行列に使われた「小荷駄装束」に端を発するといわれ、色とりどりの装束に身を包んだ馬が行進する様は圧巻です。
 
滝沢村の鬼越蒼前神社には、江戸時代から近在近郊の農家の人が何百何千という馬を引き連れてお参りに来ていました。これが、チャグチャグ馬コの起源。南部は「南部駒」という名称で、馬の大産地です。
 110607_12.jpg農繁期と重なるため、昭和33年から新暦の6月15日に行われるようになりました。国の無形民俗文化財指定。馬の鈴の音が環境省の「残したい日本の音風景100選」に認定されました。
 
民謡チャグチャグ馬コは、昭和45(1970)年の岩手国体のためにつくられた新民謡で、元唄は花巻市大迫町の「ちょっとぎま」といわれています。

滝沢村観光協会
◇岩手県滝沢村鵜飼字中鵜飼55
◇問い合わせ:TEL 019-684-2111
◇滝沢村Web:
http://www.vill.takizawa.iwate.jp/01chag

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
チャグチャグ馬コは、岩手県の名物祭礼です。「チャグチャグ馬コ」この頃、例年岩手県では入梅前の観光シーズンで、観光にはとてもいい季節なのですが、梅雨入りが早いと残念ながら雨に見舞われるかもしれません。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月10日「時の記念日」です。■
120528_50.jpg時の記念日」は、大正9年(1920)日本人にも「欧米並みに時間を尊重する意識を持つように」という趣旨で「時間を尊重・厳守し、生活の改善・合理化などを図る」のを目的として、生活改善同盟会によって制定されました。
 
日本書紀によると、天智天皇10年(671)4月25日(現在の6月10日)天智天皇が、宮中に「漏刻:ろうこく」を設置し、人々に時刻を知らせたと書かれています。
 
漏刻とは「水時計」のことで、日時計より正確な時刻を測ることが出来ます。この水時計の水の量を見て、鐘や太鼓を鳴らして時刻を知らせていました。
 
110607_10.jpgこの日、東京時計組合の主催による「時計感謝祭」が行われ、神田明神で古い時計のお焚き上げ供養が行われます。この日は「時間の大切さをかみしめる日」。時計は「斗鶴」「斗景」「自鳴鐘」などども書きます。
 
東経135度「日本標準時子午線」が通る明石市では、時の記念日の記念式典が行われます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
時の記念日に振り返ってみると、人間は100歳まで生きても3万6500日です。皆さん既にどのくらい経過しましたか。半分に以上過ぎている方も、まだまだの時がある方も、残りの時間という名の人生を大切にしましょう。

梅雨時で季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月10~11日「東京、鳥越神社 例大祭」です。■
110613_10.jpg鳥越神社:とりごえじんじゃ」は、孝徳天皇白雉2年(651)日本武尊を祀って「白鳥神社」と称したのに始まると伝わります。日本武尊(やまとたけるのみこと)、天児屋根命
あめのこやねのみこと)、徳川家康を祀っています。
名前の由来は、八幡太郎義家公奥州平定の折り、この地を通ったが、名もしらぬ鳥が川を越えるのを見て浅瀬を知り、軍勢はやすやすと大川(隅田川)を渡ることが出来たということから「鳥超神社」となりました。
 
120519_20.jpg
大祭に出る千貫神輿は、東京一の重さが有ると言われています。御神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や、手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩きます。夜まつりになると、提灯をつけた元祖提灯神輿は、高張り提灯に囲まれ宮入りします。

 

鳥越神社
◇東京都台東区鳥越2-4-1
◇JR「浅草橋」徒歩8分
◇都営地下鉄「蔵前橋」徒歩5分
◇鳥越えまつり:
http://hix05.com/maturi/torigoe/torigoe00.html

120519_21.jpg◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今年は千貫神輿も出るようで盛大なお祭りになるようです。
5月下旬から6月に入ると、浅草神社の三社、下谷、五条天神、湯島天満宮など東京の下町の祭礼が続きます。日枝神社の山王祭が明けると関東地方ではまもなく梅雨です。
これから梅雨本番になるのでしょう。食品が傷みやすい時期です。生ものにはくれぐれもご注意をなさってください。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

110510_21.jpg

■6月8日「三隣亡」(さんりんぼう)です。■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

■6月7~17日「東京、日枝神社 山王祭」です。■
110613_12.jpg武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が「山王宮」を祀りました。文明10年(1478)太田道灌公が江戸の地に築城するにあたり、鎮護の神として「川越山王社」を勧請し、江戸の町の繁栄の礎を築きました。

天正18年(1590)徳川家康公が江戸城を居城とするに至り、城内鎮
守の社、徳川歴朝の産神として、また江戸市民からは江戸郷の総氏神、江戸の産神として崇敬されました。


二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀されました。

120528_52.jpg御祭神は「大山咋神:おほやまくひのかみ」。相殿に「国常立神:くにのとこたちのかみ」、「伊弉冉神:いざなみのかみ」、「足仲彦尊:たらしなかつひこの

みこと」を祀ります。

山王祭」は、徳川時代に江戸城内に入御した神輿を三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭り」として盛大をきわめ、京都の祇園、大阪の天満まつりとともに日本三大祭りに数えられています。

日枝神社
◇東京都千代田区永田町2-10-5
◇地下鉄千代田線「国会議事堂前駅」徒歩5分
◇地下鉄銀座線・南北線「溜池山王駅」徒歩3分
◇日枝神社Web:
http://www.hiejinja.net/index.html

120528_51.jpg◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
山王祭は15日の例祭奉幣を中心に、14日鎮火祭、8日の神幸大祭は2年に一度はです。献茶式で山王祭は終了です。
江戸下町の夏祭りは湯島天満宮、五条天神、浅草三社祭り、など数々あり、日枝の山王祭で一区切りです。6月下旬から寺社仏閣は夏越えの大払いの頃になります。

◆◆大払い「茅の輪くぐり」◆◆
全国の寺社仏閣ではそろそろ6月末の大祓のための茅の輪が設置され始めています。参考までに日枝神社「山王祭」webの一部を掲載します。
「茅の輪」をくぐり、罪穢・災厄を祓い、延命長寿と無病息災を 祈ります。7月の大暑を迎える為の大切な神事です。山王祭では知らず識らずのうちに犯した罪や穢を祓い清める山王御祓並鎮火祭が執り行われます。
大祓は、六月と十二月に宮中をはじめ全国神社で、いっせいに行われる古式床しい伝統的な神事で、私達の日々の生活の中で、知らず識らずのうちに犯した罪や穢を祓い清めて、清く明るく正しい神ながらの人間生来の姿に立ち返るために行う祓の神事です。
どうぞこの夏越大祓神事に御参列の上、己の罪穢を人形(ひとがた)に託して祓い却り、清々しい気持で夏をお迎えください。
今年も節電で暑い夏になりそうです。今のうちに体力をつけて夏を乗り越えましょう。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月7日(旧5月13日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■6月6日「甲子」です。■
甲子:かし・かっし・きのえね」とは、甲子待ち・甲子祭の略称。子祭ともいいます。

110906_19.jpg五行説で「甲」は陽の木、「子」は陽の水で五行相生して吉となり、よい組み合わせです。また十干十二支(じゅっかんじゅうにし)の組み合わせ60種のうちの「1番」で、目出度い日とされています。

この日、甲子待ちと称して子の刻(午後11時~午前1時)まで起きて、大豆・黒豆・二股大根を食膳に供え、大黒天を祀ります。子(ね)を、ねずみと結びつけ、ねずみを大黒天の使いであるとみなして、子の日に祀るようになりました。

甲子(きのえね)・庚申(こうしん)・己巳(つちのとみ)は、江戸時代に商家で盛んに行われました。現在でも各地に行事として残っています。

甲子は、日では60日で循環し巡り、年では60年で循環し巡ります。中国では甲子の年は政治上の変革があるとされ、甲子革命が説かれたりしました。日本でも甲子の年には、元号の改元が議論されたりしました。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
社会では始まりや一番目は、お目出度いとされています。「甲子」も干支の1番目で、決断、改革、転居、方針転換、新規チャレンジ、入学、新しい仲間などにチャンスがあります。
夏に入り小暑前の「甲子」です。新しいことを始める時で、個人でも、決断、改革、転居、方針転換、新規チャレンジ、入学、新しい仲間などにチャンスがあります。
梅雨に入って南から梅雨明けの声が聞こえてきます。夏への季節の変わり目です。

読者の皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年6月5日「芒種(ぼうしゅ)」です。◆

140524_23.jpg6月5日20時37分「芒種」です。旧暦5月、午(うま)の月の正節で新暦6月5~6日頃。天文学的には太陽が黄経75度の点を通過するときをいいます。

芒種(ぼうしゅ)とは、稲や麦など「:のぎ」のある穀物を植え付ける季節の意です。芒の付いた実は「もみ」のことです。暦便覧には「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」と記されています。

梅雨入り前、雨が絶え間なく降り続き、、種まき・田植えの開始期にあたります。農家は田植えの準備などで多忙を極めます。 

芒種の6日後頃が「入梅」となります。梅の実が熟する頃。雨が降り、カビが生える、うっとうしい季節でもあります。カマキリが現れ始め、梅の実が黄ばみ始めます。

◇◇◇五月雨(さみだれ)◇◇◇
陰暦5月(現在の6月)に降る雨のことで、梅雨入りの前から梅雨に降る長雨のことです。また日が差さないほど厚い曇が垂れ込めている状態の雲を「五月雨雲」と呼んで、曇天の代名詞でした。

◇◇◇五月晴れ(さつきばれ)◇◇◇
陰暦(旧暦)5月は新暦の6月です。旧暦での「五月晴れ」は、曇天の中のほんの少しのぞいた青空のことでした。それが明治3年改暦で新暦5月は「小満芒種」の良い気候が続く時節で、いつの間にか「五月晴れ」は雲ひとつ無い晴天を指すように変化しました。

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◆◆「七十二侯」◆◆
初候「螳螂生」(とうろう しょうず):螳螂が生まれ出る時節。
◇蟷螂(とうろう)=カマキリ。昆虫綱・カマキ
リ目(蟷螂目、Mantodea)に分類される昆虫の総称。前脚が鎌状に変化し、他の小動物を捕食する肉食性の昆虫。 
次候「腐草為蛍」(ふそう ほたる と なる:腐った草が蒸れ蛍になる。
◇腐った草が蒸れて蛍となる時節。この頃、腐った草などの下から、蛹(さなぎ)から孵化した蛍が夕闇を知り光を発し始めます。腐草(ふそう)=腐った草。 
末候「梅子黄」(うめの み きなり):梅の実が黄ばんで熟す時節。
◇梅子(ばいし)=梅の実。

110601_11.jpg◆◆「6月の花」◆◆
「紫陽花:あじさい」アジサイ属 雪の下科  開花時期:6月1日~7月15日頃。
「あじさい」は、青い花が集まって咲く「あずさい」が変化したもの。

紫陽花」は、唐の詩人・白居易が命名した別の紫の花のことで、あじさいの花のことではなかったのですが、平安時代の学者が「あじさい」にこの漢字を当て、その誤用が広まっってしまったのだそうです。中国では、「八仙花」「綉球花」などと呼ばれます。

日当たりと水はけの良い肥えた土を好みます。花の色は、紫・ピンク・青・白など。土壌が酸性なら青味が強く、アルカリ性なら赤味が強くなります。この色の付いている部分は実は「ガク」で、花は小さな点のようにガクに付いています。

日本特有の花木で、西洋アジサイは江戸末期に長崎のオランダ商館の医師シーボルトらがヨーロッパに持ち帰って改良した品種の逆輸入品種です。
花言葉は「辛抱強い愛情」「元気な女性優しい心」「謙虚」など。北鎌倉の「明月院」は、境内に多くのあじさいが植えられ「あじさい寺」として有名。(鎌倉市山ノ内)

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今年は芒種から数えて6日後の6月10日が暦の上の「入梅」です。
小満から芒種を経て入梅までは、気候が良くとても過ごしやすい日が続きます。 この過ごしやすい陽気を「小満芒種」といいます。
暦の上では「入梅」が空けると「夏至」で、いよいよ本格的な夏に入ります。

梅雨時は食品の痛みに注意が必要です。食肉など食品関係の方はこれからの季節、注意を要する時期です。
読者の皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月5日「熱田神宮祭」です。■
120518_37.jpg三種の神器の一つ「草薙神剣:くさなぎのみつるぎ」(天叢雲剣:あめのむらくものつるぎ)を御神体とする「熱田神宮:あつたじんぐう」の御祭神は「熱田大神:あつたのおおかみ」です。

相殿に「天照大神:あまてらすおおかみ」、「素盞鳴尊:すさのおのみこと」、「日本武尊:やまとたけるのみこと」、「宮簀媛命:みやすひめのみこと」、「建稲種命:たけいなだねのみこと」を祀ります。

熱田神宮の創始は、「草薙神剣」の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代、日本武尊は神剣を名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野で亡くなりました。尊のお妃である宮簀媛命は、神剣を熱田の地に祀りました。

120518_38.jpg伊勢の神宮に次ぐ、格別に尊いお宮として篤い崇敬を集め、延喜式名神大社・勅祭社に列せられ、「国家鎮護の神宮」として特別な取り扱いを受ける一方、「熱田さま」などと呼ばれ親しまれています。

境内外に、別宮一社、摂社十二社、末社三十一社があり、境内には、別宮一社、摂社八社、末社十八社。本宮と八剣宮・高蔵宮(高座結御子神社)・日破宮(日割御子神社)・氷上宮(氷上姉子神社)・源太夫社(上知我麻神社)・紀太夫社(下知我麻神社)は「熱田七社」と呼ばれ重要視されています。

120518_39.jpg神宮の恒例祭典、特殊神事のうち、最も重要な祭典が「例祭」です。祭典では宮司が祝詞を奏上し、天皇陛下より御差遣の勅使により御幣物の奉納、御祭文の奏上があり、皇室の弥栄・国の平安が祈念されます。

また、「熱田まつり」「尚武祭」とも称され、献灯巻わら・奉納花火・奉納武道・献茶・献花等の数々の行事が催されます。

熱田神宮
◇愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
◇名鉄・名古屋本線「神宮前駅」徒歩3分、地下鉄・名城線「神宮西駅」徒歩7分
◇公式Web
http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/

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◇◇三種の神器◇◇
八咫鏡(やたのかがみ):伊勢神宮の神体。天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あめのいわやと)に隠れたとき、伊斬許理度売命(いしこりどめのみこと)によって造られた。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ):熱田神宮の神体。須佐之男命(すさのおのみこと)が八俣の大蛇を退治した時に尾から出た太刀。後に日本武尊(やまとたけるのみこと)が敵の火攻めに遭った時、この剣を以て叢(くさむら)を切り開き難を逃れたことから「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とも。 源平合戦の最後壇ノ浦合戦で水没し今のものは順徳天皇即位の際に改めて奉じられたというのが一般的な説。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま):皇居の御所に安置。天照大神が天岩屋戸に隠れたとき、玉祖命(たまのおやのみこと)によって造られた。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
暦の上ではもう少しで梅雨です。中部地方では過ごし易い日々が続いています。熱田まつりは、名古屋の夏の訪れを告げる祭りとして親しまれています。

筆者敬白

■6月5日「鶴岡、大山犬祭」です。■ooyama.jpg
大山犬祭」は、庄内三大まつりの一つで、その昔、椙尾神社の裏山に棲む化け物(ムジナ)を退治した「めっけ犬」に由来する祭りで、300年の歴史があり、「からぐり山車」が繰り出すことで有名です。
 
椙尾神社:すぎのおじんじゃ」は、古伝によれば、最初積羽八重事代主と天津羽々命を祭神とし、尾浦城主武藤の創建と伝わります。主祭神の「事代主命」は、国土の開発、酒造、漁業の神とされます。
 
大山城主・下次右エ門実秀より寄進された石鳥居「四足鳥居」は、県の有形文化財となっています。
 
130530_26.jpg◇◇めっけ犬伝説◇◇

椙尾神社の裏手に高館山があります。この山には昔、怪物が二匹住んでいました。日ごろ、怪物たちは村や里に降りてきては田畑や村を荒らします。怪物をなだめるには、祭りの時期に娘を生贄に差し出さなければなりません。毎年生贄の娘をかごに乗せて奉納した後は、村人は帰らなければならないのです。

ここを通りかかった旅の六部(山岳修験者)は、村人に生贄の謂れを聞きました。六部は怪物の正体を見極めてやろうと、椙尾神社に身を潜めていました。すると夜半を過ぎた頃に生臭い風が吹き、東と西から怪物が二匹現れたのです。怪物は大入道姿でそれぞれ東の坊、西の坊と呼んでいました。怪物は籠から娘を引きずり出し、真っ二つに切ってしまったのです。

120518_34.jpg怪物はずっと「丹波のめっけ犬にはこのことを聞かせるな」と口ずさんでいました。二匹の大入道は隠れいている六道に気づかず、娘の頭のほうを東の坊が持ち、西の坊は足の方を持って、「また来年会おう」と言葉を交わすと、消えてしまいました。

六部は「めっけ犬とは、この怪物たちにとって恐ろしい天敵に違いない」と思い、さっそく丹波に赴き、めっけ犬探しに出かけました。一年が過ぎ、ようやくめっけ犬を探し出して戻ってきた頃は、次の年の祭りの日だったのです。

六部は村の衆にこのことを話し、籠にはめっけ犬を入れておいたのです。怪物たちが籠を開けたとたん、籠からは勢い良くめっけ犬が飛び出して、怪物に飛びかかり、激しい死闘がくり広げられました。めっけ犬はとても奮戦して、二匹の大入道をかみ殺しましたが、怪物が倒れるのを見届けるように、めっけ犬も力尽きてしまいます。

翌朝、村人が神社に行ってみると、倒れているめっけ犬の傍らには、ムジナが二匹死んでいました。これはきっと裏山に住むムジナが、大入道に化けたものだろうと語り合いました。村人は、命を掛けて闘っためっけ犬にとても感謝し、神社にめっけ犬像を作って手厚く葬って、村の守護として祀ったのです。

椙尾神社
◇山形県鶴岡市馬町字宮ノ腰169
◇参考Web:http://www.dewatabi.com/syounai/turuoka/masao.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
これは各地に見られるムジナ退治伝説です。今年は村に熊が降りてきて田畑を荒らす被害が報道されています。いつの時代も田畑を荒らす動物は悪者です。
筆者敬白

■6月5日「宇治、県神社祭」です。■
120518_31.jpg宇治の「県神社:あがたじんじゃ」は、神話に名高い「木花開耶姫命:このはなさくやひめのみこと」を祀ります。平等院の建立にあたり、鎮守社とされました。平等院の北に鎮座の「橋姫神社」が縁切りの神であるのに対し、南の県神社は縁結びの神として信仰されます。
 
毎年、6月5日の夜から6日未明にかけて行われる「県祭:あがたまつり」は、「暗闇祭り」とも呼ばれる闇夜の奇祭で、あかりをすべて消した真っ暗な夜中に、奉書紙を束ねて作った梵天を御輿にのせて練り歩きます。何をしてもかまわないという「無礼講の夜」として男女が盛り上がる祭りだったこともあるとか。
 
祭りは朝御饌の儀で始まり、続いて夕御饌の儀が行われ、神楽など
が舞われた後に梵天渡御が始まります。


110601_15.jpg梵天とは、1600枚もの奉書紙を短冊に切って束ねた御幣を青竹に挟みこんだもので、約1m程の球形。重さは50㎏超。氏子たちによって作られた梵天は、御輿に乗せられて宇治神社にある旅所で出番を待ちます。午後11時、境内や沿道の露店、町の明かりが一斉に消されます。暗闇の中をふれ太鼓、猿田彦の面、雌雄の獅子頭、鏡をつけた榊などが続き、いよいよ数十人の講社の人々にかつがれた梵天御輿が姿をあらわします。
 
御輿は本殿に到着後、渡御の儀が行われ、神霊が梵天へと移されます。そして再び旅所まで戻ります。この後、旅所の梵天は再び県神社に戻り、遷幸祭が行われますが、この行事が人目に触れることはありません。
 
県神社
◇京都府宇治市蓮華72
◇京阪「宇治駅」徒歩約7分/JR「宇治駅」徒歩約12分

■6月5日「世界環境デー」です。■

sekaikankyoday16.jpgのサムネール画像

6月5日は「環境の日」です。環境保全に対する関心を高め啓発活動を図る日として制定されました。1972年6月5日、スウェーデン・ストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念しています。

1972年12月5日に日本とセネガルの共同提案により国連総会で「世界環境デー」として制定されました。日本においては、平成5年の「環境基本法」の制定時に記念日として設けられています。

世界環境デー(World Environment Day)この1カ月間は、環境月間として、毎年、環境省や地方自治体、企業などによる環境セミナーや展示会などが開かれます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
近年では環境問題というと、山林の乱開発阻止や地下水の保護などが主な課題です。世界環境デーを機に美しい日本の自然を次の世代に残す努力がしましょう。
筆者敬白

■6月4~10日「危険物安全週間」です。■kiknbutu_2016.jpgのサムネール画像危険物安全週間(きけんぶつあんぜんしゅうかん)は、平成2年1月19日(1990)に消防庁により制定されました。毎年6月第2週目の日曜~土曜までの1週間です。この期間各種催しが実施されます。これは夏を迎え気温が上がり、危険物の自然発火による火災が多くなる6月初旬に、事故の危険性を広く啓蒙し安全対策を啓発します。

危険物安全週間とは、今日の日本国内では、
石油類をはじめ幅広く利用され、国民生活に深く浸透しています。危険物の家庭や事業所における自主保安体制の確立を広く呼びかけるとともに、危険物に対する意識の高揚と啓発を図る週間とされています。

130530_22.jpgこの期間には総務省消防庁、地方自治体、危険物安全協会など関連団体の協力を得て、講演会や研修会の開催、標語の募集、ポスターやパンフレットの配布に各種消防訓練の実施など、趣旨にふさわしい内容の行事が実施されます。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
危険物火災の恐ろしさを世に知らしめたのは、昭和39(1964)年7月14日に発生した(株)宝組勝島倉庫爆発火災です。ドラム缶に野積みにしてあった危険物から発火して爆発、更に30メートル離れたところ貯蔵してあった発火物に誘爆され2回目の大爆発が発生しました。夜空に100メートルを超える巨大な火柱が噴き上がり、原爆を思わせるような不気味なキノコ雲が出来たと記録されています。
火の用心にはくれぐれもご注意を
筆者敬白

■6月4日~「歯の衛生週間」です。■heisei2016.jpg


厚生労働省、文部科学省、日本歯科医師会が昭和33年(1958)から実施しています。 昭和3年(1928)から昭和13年まで日本歯科医師会が、「6(む)4(し)」にちなんで6月4日に「虫歯予防デー」を実施していました。

昭和14~16年まで「護歯日」、昭和17年には「健民ムシ歯予防運動」としていました。昭和18~22年までは中止されていましたが、やがて昭和24年、これを復活させる形で「口腔衛生週間」が制定されました。

昭和27年(1952)に「口腔衛生強調運動」、昭和31年(1956)に再度「口腔衛生週間」に名称を変更し、昭和33年(1958)から現在の「歯の衛生週間」になりました。

歯の衛生に関する正しい知識を国民に対して普及啓発するとともに、歯科疾患の予防処置の徹底を図り、併せてその早期発見、早期治療を励行することにより歯の寿命を延ばし、国民の健康の保持増進を寄与することを目的としています。

平成25年度(2013)から「歯と口の健康週間」になりました。平成23年8月の「歯科口腔保健の推進に関する法律」の施行によって、歯だけではなく口腔全体の健康を増進していくことを目的に、名称を変更しました。

■6月4日「伝教大師忌」です。■
120518_28.jpg日本の天台宗を開いた平安時代の僧「最澄:さいちょう」は、近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れました。俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。諡号:伝教大師

12歳で「近江国分寺」に入り、行表の弟子となりました。14歳で最澄と改名。19歳で東大寺で具足戒を受け、比叡山に登り大蔵経を読破。

当時の仏教は「国を護る」のが主な目的でした。僧は寺院外での活動を制限され、一般の人々に仏教の教えを説くことは禁止されていました。

奈良時代の仏教の考え方は「仏性は特定の人しか持つ事が出来ない」とされていました。仏性とは、人が生まれながらに持つ「仏となる能力」のことです。

最澄は、この考え方に疑問を持ち、「仏教の本来の姿は、一切衆生を救うことにあるはず」と考え、そして、比叡山に篭もって、様々な経典を読み研究します。

ここで「すべての人間の仏性は平等であり、人は誰でも仏になれる」という天台宗の考えに出会います。

804年、門弟の義真を通訳に連れ、空海と同じく九州を出発。天台山に登り「天台教学」を学びます。805年、帰国した最澄は、比叡山で天台宗の教えを広め、翌年の806年「天台宗」が正式に認められます。

120518_29.jpg天台宗では「法華経:ほけきょう」を最高の聖典とし、「仏を信じれば、誰でも仏になれる」と教えています。この考え方を「大乗仏教:だいじょうぶっきょう」といいます。
四宗兼学」として、法華経・大乗仏教の戒律・禅・密教の4つを柱としています。
正式な僧になるためには、試験に合格し、戒律を授かることが必要です。戒律を授かる施設のことを「戒壇」といいます。当時は、戒壇は東大寺にあり、最澄はそこで戒律を受けています。

822年、病死。桓武天皇時代の年号「延暦」から「延暦寺」と改名。(※年号由来の寺名を持つ寺院は格式が高い)この後、延暦寺は仏教の学問の中心となり、後の時代に活躍した多くの僧は、この延暦寺で学んでいます。866年、朝廷より「伝教大師」という尊称がおくられました。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
もうすぐ梅雨で、明ければ本格的な夏です。伝教大師忌を機会に先祖の墓参をお勧めします。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

 

■6月2~4日「金沢、加賀百万石祭」です。■
120518_26.jpg金沢百万石まつり」は、加賀藩の藩祖「前田利家」が、天正11年(1583)6月14日、金沢城に入城した日を記念して始められたお祭りです。金沢城は、当時は尾山城といいました。

尾山神社での「封国祭」に合わせて、大正12年から昭和20年まで「金沢市祭」として行われてきました。利家を祀る尾山神社の例祭を中心に、加賀獅子舞や奉納相撲などが行われていましいたが、戦争により中断。昭和26年に「百万石まつり」として復活し、現在では市民総出の祭りとなっています。

120518_27.jpg呼び物の「百万石行列」は、石川門を出た大名・奴・少年武者・婦女風俗などの行列が約5㎞の道のりを歩きます

。加賀鳶の妙技や加賀獅子舞も披露されます。

尾山神社:おやまじんじゃ」の創建は1873年旧社格は、別格官幣社。境内摂社に歴代藩主を祀った金谷神社があります。神門は重要文化財指定。例祭は利家の命日である4月27日。


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尾山神社
◇石川県金沢市尾山町11-1
◇JR「金沢駅」バス約5分
◇公式HP:
http://100mangoku.net/
◇尾山神社HP:http://www.oyama-jinja.or.jp/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
祭礼もさることながら、金沢市民総出の祭礼です。尾山神社の神事よりの大名行列、ミスコンなどの周辺イベントにも目が向きます。
梅雨前の観光にはいい時期です。北陸地方は夜半から冷え込みますので、お出かけの際には一枚余分にお持ちください。
お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月2~4日「広島、とうかさん大祭」です。■
120518_24.jpgとうかさん」とは、日蓮宗の福昌山慈善院「圓隆寺」の鎮守の稲荷大明神の例大祭のことです。

元和5年(1619)浅野長晟(あさのながあきら)が、國前寺十七世慈善院日音上人を招聘して創建しました。昭和20年(1945)戦時下にもかかわらず「とうかさん」が開かれました。8月6日の原爆投下により隆寺が全壊焼失し、昭和21年(1946)再興。境内に祭られる「稲荷大明神:とうかだいみょうじん」は、稲荷(いなり)を音読みで「とうか」と読んだのが「とうかさん」の起源です。

120518_25.jpgとうかさん祭り」は、広島三大寺院祭りの一つで、毎年6月の第1金曜日から3日間行われます。その年の「浴衣の着初めの日」とする祭りとして有名です。

歴史は古く、390余年の歴史を誇ります。住吉神社の「住吉神社祭り(すみよしさん)」、胡子神社の「えびす講(えべっさん)」と並んで広島の三大祭りの一つに数えられています。毎年多くの人出で賑う、広島の夏を代表するお祭りです。


とうかさん祭りtoukasan2016.png
◇広島県広島市中区三川町8-12
◇JR山陽本線「広島駅」徒歩20分
とうかさん公式HP:
http://www.toukasan.jp/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
「とうかさん」は東日本大震災でも、縮小せず例年通り開催しました。

また、とうかさんは大東亜戦争中も、休まず開催されたと記録にあります。

広島大学の町田宗鳳先生は、東京から広島を浄化するんだと数年前に赴任されました。しばらくして先生は「広島は既に浄化されている。恨みも因縁も無い。本当に澄んでいる」と話していました。恨んで報復するより、許すことの崇高な精神性を話されていました。とうかさんのご利益でしょうか。

とうかさんに、お出かけの際には、ゆかたと団扇を持ってお出かけください。
筆者敬白

■6月2日「横浜開港記念日」です。■

yokohamakaikousai2016.jpg

日米修好通商条約」の締結により、長崎港とともに横浜港が開港されました。当初安政6年(1859)7月4日に、神奈川・長崎・函館を開港することになっていました。この日はアメリカの独立記念日にあたります。

次の「日蘭条約」もこれを踏襲しましたが、続く「日露条約」で7月1日とされ、「日英条約」もそれに従うかたちになりました。結局アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5カ国すべてに対して、陽暦7月1日(現在の6月2日)に開港されることになりました。

110528_11.jpgもともとは、神奈川が開港の候補地とされていましたが、東海道沿いで外国人とのトラブルが予想されたため、当時は辺鄙(へんぴ)で取り締ま

りし易い横浜の地が選ばれました。横浜は水深も十分あって、港として優れていたため、開港後は急速に発展しました。

開港1周年にあたる万延元年の6月2日、洲干弁財天で祭礼(厳島神社)が挙行され、山車や手踊りで開港を祝ったのが「開港記念日」の始まりです。毎年この日を中心に「横浜みなと祭り」が行われます。

洲干弁財天は昭和43年区画整理に伴い移転 

開催地
◇臨海パーク、みなとみらい21地区、山下地区、新港地区、その他周辺


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
九州など西の方から梅雨入りの便りが聞こえてきます。鬱陶しい季節ですが、梅雨が明けると本格的な夏です。今から夏の電力事情は心配されています。反対にエルニーニョの影響で冷夏との予報もあります。ともあれ夏バテなさらないように、今のうちから体力をつけましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月2日「庚申(こうしん)」です。■
110225_17.jpg「庚申:かのえさる・こうしん」は、「庚申待ち:こうしんまち」、「宵庚申:よいごうしん」、「庚申祭:こうしんさい」などを総称していう言葉。干支の組み合わせ57番目。八専の9番目。年に6~7回あります。

五行説では「庚:かのえ・こう」は「陽の金」、「申:さる・しん」も「陽の金」性であることから、この日は「金気」が重なって天地に充満して冷ややかになり、人心が冷酷になり易いとされます。

昔は「天地万物の気、庚申の日に変革される」と思われていて、最も重要な忌日でした。
また、庚申に続く「辛酉:かのととり・しんゆう」も金が重なる日で、さらに陰の金が重なるので冷ややかさを一層増すというのです。

このことから「庚申」「辛酉」の年はおおいに忌(い)まわれ、政治的変革が起こることを防ぐために2年続けて改元が行われることもありました。<例>万延元年(1860)文久元年(1861)など。

120811_30.jpg「庚申」はもともと中国の道教の伝説からきた禁忌(きんき)です。人間の体内には「三尸(さんし)の虫」が、頭と腹と足にいて、いつもその人の悪行を監視しています。60日ごとに巡る庚申の夜、人間の睡眠中を伺って体外に抜け出し、天に昇って天帝にその悪事を報告するという。そして、人間の命を短くするのです。

これをさせないために、庚申の晩は神々を祀り、酒盛りなどをして夜を徹しました。村の中心をなす家に集まり、祭祀をしたあとに会食を行いました。

禁忌(きんき):習慣的に禁止したり避けたりしていることそのものを指す。またはタブー

日本に伝わったのは、古く朱雀天皇の天慶2年(939)、または、文徳天皇のときに、智証大師が持ってきたものと伝わります。「枕草子」にも庚申待ちの話が登場します。江戸時代に入って民間で盛んに行われるようになり現在でも各地に「庚申塔」が残されています。

120212_15.jpg仏教では、庚申の本尊を「青面金剛:しょうめんこんごう」および「帝釈天:たいしゃくてん」に、神道では「猿田彦神:さるたひこのかみ=天狗さま」に結び付けています。

旧暦の月で選日を行うため、庚申の日は1年に5~7回あることになります。7回あるのを「七庚申」といって非常に喜びました。このことから庚申待ちの夜は「七色の菓子」を供えたり、七度線香をあげ、七回真言のお題目を唱えたりするようになりました。

また、申と猿が結び付いたことから、猿を庚申様の使いに見立て「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿信仰山王信仰」にもなっていきました。

さらに、申と「去る」が結び付いて、この日は結婚を忌む風習もありました。この夜に出来た子供は泥棒になるとか。この夜は男女の和合をしてはいけないなどとも言い伝えられています。

庚申の日は「帝釈天の縁日」になっています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
商品相場や株の世界では「庚申の逆張り」「庚申の曲がり角」などと縁起を担いでいます。
庚申の日まで良くても、その後はわからないとし、干支の上で金気と申が重なって予想の出来ない動きになるということです。
残念ながら、庚申は現代社会では迷信の域にはいってしまった暦日です。日々の戒めに謂われを振り返ってみることも日々の余裕の一つです。

今年の夏は暑くなりそうで電力不足の夏になりそうです。震災時のエコの精神を忘れないようにしたいところです。
もうすぐ7月です。梅雨が明けて晴れやかな気分になって、油断から体調を崩さないよう、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■6月1日「万国郵便連合加盟記念日」です。■ kitte.jpg
明治10(1877)年2月19日、日本が郵便の国際機関・万国郵便連合(UPU)に加盟しました。

万国郵便連合は、加盟国間の郵便業務を調整し、国際郵便制度をつかさどります。 最も古い国際連合の専門機関の一つで、明治7(1874)年10月9日、国際郵便条約によって設立されました。本部はスイス・ベルン

万国郵便連合ができたのは同じ年の明治7(1874)年で、日本は独立国としては世界で23番目に加盟し、アジアでは最初に加盟しましたが 戦前に一度脱退し、昭和23(1948)年6月1日に再加盟した経緯から6月1日が万国郵便連合加盟記念日とされています。

■6月1日「電波の日」です。■

6月1日、電波の日(でんぱのひ)とは、電波の利用が日本国民一般に開放されたことを記念する日本の記念日です。

昭和25(1950)年6月1日に電波三法(電波法・放送法・電波監理委員会設置法 )が施行されたことにちなみ、国民に対して電波利用に関する知識を普及啓発させる目的で、 昭和26(1951)年に電波監理委員会が電波記念日として制定しました。

昭和60(1985)年の電気通信自由化を機会に「テレコム旬間」を設け、のちに6月15日から1か月間を「情報通信月間」とし情報通信の普及・振興を図る諸行事をとり行うようになった。
毎年6月1日には、電波行政への協力者や通信技術の発達・向上に貢献した功労者を表彰する「電波の日・情報通信月間記念式典」が開かれます。

■6月1日「写真の日」です。■
 
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公益社団法人日本写真協会昭和26(1951)年に、梅本貞雄らの「写真の日制定委員会」を開き、6月1日を「写真の日」と制定し今日に至っています。

日本に写真が渡来したのは嘉永(1848~1854)年間で、最初にダゲレオタイプ(銀板写真)の撮影が成功したのは、安政4(1857)年9月17日に、薩摩藩士の市来四郎、宇宿彦右衛門らが藩主島津斉彬を撮影したもので、現在鹿児島の尚古集成館に保存されています。
平成11(1999)年4月、島津斉彬を撮影した銀板写真が写真初の重要文化財の指定を受けました。

■6月1日「気象記念日 」です。■
 
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気象記念日(きしょうきねんび)
は、毎年6月1日に気象庁が実施している記念日です。

明治8(1875)年6月1日、東京・赤坂葵町に日本初の気象台である東京気象台(現在の気象庁)が設置され、東京で気象と地震の観測が開始されたことを記念し中央気象台(現在の気象庁)が昭和17(1942)年に制定しました。

121年前の明治17年6月1日、記念すべき最初の天気予報は「全国一般、風ノ向キハ定マリ無シ。 天気ハ変ワリ易シ。但シ雨天勝チ」というものでした。これでは日常生活には役立たちません。

当時に比べて天気予報は驚くほど進歩しました。これは気象学の著しい発展、宇宙からの観測やパソコンでの解析など、科学の発展によるものであるといえます。


■6月1日「鮎解禁日」です。■

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6月1日は鮎釣りの解禁日です。アユ(鮎)は、キュウリウオ目、アユ科に分類される魚。川と海を回遊する魚で、日本では代表的な川釣りの対象魚であり、重要な食用魚です。水産資源確保のために11月~5月は禁漁となっています


成魚の全長は30cmに達しますが、地域差や個体差があり、10cmほどで性成熟するものも。若魚は全身が灰緑色で背鰭が黒、胸びれの後方に大きな黄色の楕円形斑が一つあります。秋に性成熟すると、橙色と黒の婚姻色が発現します。口は大きく目の下まで裂け、唇は柔らかい。歯は丸く、櫛のような構造。

アユの成魚は、川で生活して川で産卵しますが、仔稚魚は一時的に海で生活します。このような回遊は「両側回遊・りょうそくかいゆう」と呼ばれます。但し、琵琶湖などに生息する湖沼陸封型(コアユ)は、海の代わりに湖を利用します。

9月~2月頃、親のアユは川の下流に降りて砂や小石の多い浅瀬で集団で産卵。孵化した仔魚は、全長約6mmで卵黄嚢を持つ。仔魚は数日のうちに海あるいは河口域に流下し、そこでプランクトンを捕食して成長。

全長約10mm程度から砂浜海岸や河口域の浅所に集まります。この頃から既にスイカやウリに似た香りがあり、この独特の香りは、アユの体内の不飽和脂肪酸が酵素によって分解された時の匂いで、アユ体内の脂肪酸は餌飼料の影響を受けることから、育ち方によって香りが異なることに。水質の綺麗な中流域では、夏季には鮎の密度が高いと、川原が鮎の芳香で満たされる事があります。

120518_21.jpg全長35mm程度まで成長すると稚魚になります。稚魚は翌年4月~5月頃に5~10cm程度に成長し、川を遡上しますが、この頃から体に色が付いて、歯の形が岩の上のケイソウ類を食べるのに適した櫛のような形に変化。川の上流から中流域にたどり着いた幼魚は、水生昆虫なども食べますが、石に付着するケイソウ類を主食とするようになります。アユが岩石表面の藻類をこそげ取ると岩の上に紡錘形の独特の食べ痕が残ります。これを「はみあと(食み痕)」といいます。アユは藻類を食べるためにしばしば岩石に頭をこすりつけるような動作を行うので他の魚と区別が出来ます。

多くの若魚は群れをつくりますが、特に体が大きくなった若魚は、餌が多い場所を独占して縄張りを作るようになります。この縄張り内に入った他の個体には、体当たりなどの激しい攻撃を加えます。この性質を利用してアユを釣り上げるのを「友釣り」といいます。

夏の頃、若魚では灰緑色だった体色が、秋に性成熟すると「さびあゆ」と呼ばれる橙と黒の独特の婚姻色へ変化します。成魚は産卵のため下流域への降河を開始するが、この行動を示すものを指して「落ちあゆ」という呼称も。産卵を終えたアユは1年間の短い一生を終えます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
主な鮎解禁河川情報
6月1日解禁:相模川、多摩川、鬼怒川、那珂川他
※西日本は6月1日~15日頃の解禁が多い
※東北、北海道は7月1日解禁の河川が多い

暦の上では6月11日はずの入梅ですが、5月中に真夏日が数回ありました。昨年は例年よりも早い入梅でした。
暦の上では数日後です。ジメジメした季節に入ります。
雑菌が増える時期ですから食中毒にはご注意をなさって下さい。

筆者敬白

6月1日「更衣(ころもがえ)」です。

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更衣:ころもがえ」とは、気候に合わせて衣服を着替える習慣のことです。「衣替え」「衣更え」ともいいます。


更衣は、平安時代以降に宮中の行事として定着しました。旧暦4月1日には冬装束から夏装束に、10月1日には夏装束から冬装束に替えました。当時は四季に 応じた衣装がなく、下着などで調節していました。


江戸時代になると、4月1日から「袷小袖:あわせこそで」、5月1日から「一重帷子麻布:ひとえかたびらあさぬの」、9月9日から「綿入小袖:わたいれこそで」などと幕府が定めていました。


こうして4月1日になると綿入れを脱ぎ、袷に替え、人々は身も心も軽くなったとか...。「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む珍しい姓は、この事から来ています。

新潟県や長野県の一部では、6月1日を「衣脱ぎ朔日:きぬぎついたち」といって、新たに夏服を着て神詣でをする日としていました。また、岩手県では「剥け節句」と呼んで、蛇が皮を脱ぐ日だとしました。そしてこの日は、鬼の骨と呼 ばれる干し餅を食べて歯固めをしました。また、蛇が皮を脱ぐので桑畑に行って はならないとされました。

現在でも6月1日になると、中学校や高等学校などでは夏服に衣替をしているところも多いようです。戦前は警察官や役所も学生と一緒に衣替えをしました。


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
この時期天気のいい日の昼間は汗ばむ陽気です。雨が降ると急激に冷え込んで着るものの選択に苦労します。
今年は参議院選挙の年で、参議院も更衣といっていいでしょう。

寒暖の差が激しいのでお風邪などお召にならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

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このページよりも下に掲載してある6月の「暦」
平成28年6月(去年)のものです。

平成29年(今年)になってからの、祭礼や行事は
旧暦を採用しいるケースもあり、
去年とは月や日が変わることがあります。

平成29年の「暦」は、
祭礼や行事の2~4日前には
季節お便り」として掲載します。
是非そちらをご覧下さい。

お楽しみに。
筆者敬白

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■5月25日~6月5日「八専(はっせん)」です。

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暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。

《日にち》 《干支》 《五行》  《コメント》
月25日 壬子 =水水、 ←水の気が重なる
26日    癸丑 =水土、 間日(まび)
27日   甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
28日    乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
29日    丙辰 =火土、 間日(まび)
30日
   丁巳 火火、 ←火の気が重なる
31日    戊午 =土火、 間日(まび)
6月01日    己未=土土、 ←土の気が重なる
02日    庚申 =金金、←土の気が重なる
03日    辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
04日    壬戌 =水土、 間日(まび)
05日     癸亥 =水水、 ←水の気が重なる
 
間日:このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。


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八専の期間は「天干てんかん」と「地支:ちし」が同じ気なので、気が偏って良い事はますます良く、悪いことは更に悪く傾きやすくなります。これは、振幅の激しい期間で、準備を怠らなかった人には良い結果が、場当たり的な対応をした人にはそれなりの結果が訪れます。

古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。他にはギャンブルなど、努力が伴わない行動は避けましょう。


※淮南子
=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書

八専はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
5~6月の八専です。次の日は芒種でいよいよ夏本番です。今回の八専が終ると、暦の上では梅雨の最中です。これを機会に新しい計画を立てるなど、八専の作用を存分に活用すれば、梅雨明けには物事が確実に成就していきます。八専はいわゆる準備、事始めの期間なのです。

現在、逆境の方が、ここで一大決心をすると、大自然が見方になって、良い作用が発現した例を数多く聞きます。

つい油断から体調を崩しやすい時期です。 時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
著書の紹介はこちらから。

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