二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

7月23日「宇和島、和霊祭」です。

■7月23日「宇和島、和霊祭」です。■

kt15_11.jpg和霊神社:われいじんじゃ」は、宇和島藩初代藩主・伊達秀宗の家老で、政敵の陰謀で無念の死を遂げた「山家清兵衛公頼」を主祭神とする神社で、公頼の霊を鎮めるため、承応2年(1653)に建立されました。

現在は、海上守護神として信仰を集め、地元では「和霊さま」の名で親しまれています。旧社格は県社。

公頼は伊達政宗の家臣でしたが、元和元年(1615)政宗の長男・秀宗が宇和島に移封されるのに従い、その家老として藩政を支えました。

120709_42.jpg当時の宇和島は領主の悪政により疲弊していましたが、公頼は租税軽減や産業振興を行って効果を上げました。しかし、元和6年、藩主秀宗は公頼を嫉妬する藩士の讒言(ざんげん=偽り)を信じ、公頼とその息子らを殺害させてしまいました。

この宇和島藩のお家騒動「和霊騒動」は、歌舞伎「宇和島騒動」にも取り上げられています。

和霊神社は入母屋造りの荘厳な造りの本殿と、石造りでは日本一といわれる高さ12m余の大鳥居で名高く、毎年7月23・24日に行われる「和霊大祭」は、大漁・豊作を祈願する祭りで、「四国三大夏祭り」の一つに数えられています。

110719_19.jpg同時に「宇和島牛鬼祭り」が開催されます。宇和島の町を牛鬼が練り歩き、夜には花火が打ち上げられるなどして賑わいます。松明に照らされた須賀川に、山車に次いで神輿が走り込み、若者たちが竹の天辺に付けられた御幣を奪い合う「走り込み」は見ものです。

◆◆宇和島騒動◆◆
宇和島藩は、慶長19年(1614)に伊達政宗の庶長子伊達秀宗が伊予に10万石を与えられて成立した藩です。政宗は秀宗に「五十七騎」と呼ばれる家臣を重臣として藩を運営させた。その中で「山家清兵衛公頼」が実質的に藩政を執りました。宇和島藩は豊臣時代から領主が頻繁に入れ替わったため、領内は疲弊し財政難でした。そこで、秀宗は父伊達政宗から6万両を借り財政難を乗り切りました。しかし、返済は寛永12年(1635)まで続き、宇和島藩にとって負担でした。


120709_43.jpgまた、元和5年(1619)には大坂城の石垣修復普請を請け負ったことから藩の運営を巡り、山家清兵衛と桜田玄蕃元親が対立を起こす。しかし、山家清兵衛が父伊達政宗から信任が厚かったことから、秀宗は清兵衛を疎んじ桜田玄蕃を重用し、清兵衛は失脚する。


翌元和6年(1620)6月29日深夜、山家邸が襲撃され、山家一族は皆殺しにされた。秀宗の命により桜田玄蕃が襲撃した伝わっています。秀宗はこの事件を幕府にも、政宗にも報告しなかったのです。これに怒った政宗は、五十七騎の一人、桑折左衛門を通じて秀宗を詰問して謹慎を命じ、幕府に宇和島藩の改易(
現職者の任を解き新任者を補任すること)を嘆願しました。

慌てた秀宗は幕府や政宗に釈明の使者を出したり、妻の実家である彦根藩に仲介を依頼した。宇和島藩は改易を免れましたが、これにより宇和島伊達家は本家と気まずい仲になります。

事件から数年で、桜田玄蕃をはじめとする山家清兵衛の政敵達が不慮の事故で相次いで死亡し、秀宗も病床に伏す。このことを「清兵衛が怨霊となり怨みを晴らしているのだ」と噂になり、秀宗は清兵衛邸跡に和霊神社を創建し、清兵衛の霊を慰めました。

和霊神社

◇愛媛県宇和島市和霊町1451番地
◇JR「宇和島駅」徒歩10分
◇参考ブログ:
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/ehime/uwajima/warei_warei/warei.html


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
疲弊した藩政を立て直そうとした山家清兵衛公頼の寝所を襲い、蚊帳の四方を切って動けなくなった山家清兵衛公頼を惨殺した藩士が、後に不慮の事故や原因不明の病気で亡くなっていきます。
これが山家清兵衛公頼の無念が、政敵の原因不明の事故や突然死の原因だと恐れられたところから、山家清兵衛公頼といった実在の藩士が、主祭神になっています。
伊達藩に縁のある筆者としては山家公の無念が伝わります。和霊祭にお出かけの方は謂れを知ってからお出かけください。酷暑が続いていますので、
熱射病対策をしてお出かけください。

皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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八木雲水プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
八木雲水
開運占卦気学祐気方位鑑定

「淮南子」(紀元前170年ごろ編纂)を信奉、陰陽家五行説、古神道、納音、暦を観ながら時の政権の為政者、経営者、リーダーの悩みや向かうべき方向を示唆している。 平成6年、畿内にて陰陽道、道教、妙見信仰を教学、「空」の存在を認識し先人の英知を得る。為政者、経営者へ経世在民を指導、信条の「ともに歩む」を基本に、激変する社会環境でこれからの進むべき道しるべを標榜している。

平成21年首相直轄諮問会議「経済政策諮問会議」メンバー、政策立案にも携わり「中小企業金融円滑化法」立案にコメントする。経済書籍、小説など著書15冊以上を出版、42歳で透析患者、55歳で腎臓移手術以来リハビリの成果で健康的な生活が出来るまでに回復した。 令和2年武漢肺炎(新型コロナウイルス)の慢性既往症ある知人が家族にも看取られないまま悲惨な最期を迎えたと知り、一刻も早いコロナ禍の終焉を願っている。

≪宗旨、所属≫臨済宗雲水、町田宗鳳禅師に師事、天河弁財天社たたら講構成員、祐気採りの会斎主

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