二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

7月9日「鴎外忌(森鴎外の命日)」です。

■7月9日「鴎外忌」です。■

kt15_30.jpg森鴎外:もりおうがい」は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、医学者、軍医、官僚。夏目漱石と並ぶ文豪です。本名は、林太郎(りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部卒。※鴎外=正しくは「鷗(U+9DD7)」


代々津和野藩主・亀井公の御典医をつとめる森家に、文久2年(1862)誕生。祖父と父は婿養子として迎えているため、久々の跡継ぎ誕生でした。

幼い頃より論語孟子オランダ語などを学び、藩校では四書五経を復読。当時の記録に「9歳で15歳相当の学力と推測」とあり、激動の明治維新に家族と周囲から将来を期待されていました。


110707_10.jpg廃藩置県等をきっかけに10歳で父と上京。官立医学校への入学に備えてドイツ語を習得するため、私塾の進文学社に通い、ドイツ人学者にドイツ語で反論して打ち負かすほど語学に堪能でした。著作ではドイツ語やフランス語などを多用しており、また中国古典からの引用も少なくありません。

大学卒業後は陸軍軍医、ドイツに4年間留学し、帰国後に訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表し、また自ら文芸雑誌「しがらみ草紙」を創刊して文筆活動に入ります。
その後、軍医総監となり一時期創作活動から遠ざかりますが、「スバル」創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「」などを執筆。「興津弥五右衛門の遺書」発表後は、「阿部一族」「高瀬舟」などの歴史小説、史伝「渋江抽斎」を書いています。
帝室博物館(現・東京国立博物館、奈良国立博物館、京都国立博物館)の総長、帝国美術院(現・日本芸術院)初代院長なども歴任しています。

140701_22.jpg大正9年(1920)に腎臓を病み、大正11年7月9日午前7時に死去。東京墨田区の向島弘福寺に埋葬。昭和2年(1927)三鷹市禅林寺に墓が移されました。津和野町永明寺に分骨の墓があります。毎年この日「鴎外忌」が行われます。

弘福寺
◇東京都墨田区向島5-3-2
禅林寺
◇東京都三鷹市下連雀4-18-20
◇禅林寺公式Web:http://www.zenrinji.jp/

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八木雲水プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
八木雲水
開運占卦気学祐気方位鑑定

「淮南子」(紀元前170年ごろ編纂)を信奉、陰陽家五行説、古神道、納音、暦を観ながら時の政権の為政者、経営者、リーダーの悩みや向かうべき方向を示唆している。 平成6年、畿内にて陰陽道、道教、妙見信仰を教学、「空」の存在を認識し先人の英知を得る。為政者、経営者へ経世在民を指導、信条の「ともに歩む」を基本に、激変する社会環境でこれからの進むべき道しるべを標榜している。

平成21年首相直轄諮問会議「経済政策諮問会議」メンバー、政策立案にも携わり「中小企業金融円滑化法」立案にコメントする。経済書籍、小説など著書15冊以上を出版、42歳で透析患者、55歳で腎臓移手術以来リハビリの成果で健康的な生活が出来るまでに回復した。 令和2年武漢肺炎(新型コロナウイルス)の慢性既往症ある知人が家族にも看取られないまま悲惨な最期を迎えたと知り、一刻も早いコロナ禍の終焉を願っている。

≪宗旨、所属≫臨済宗雲水、町田宗鳳禅師に師事、天河弁財天社たたら講構成員、祐気採りの会斎主

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