二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

7月のお便り

■7月31日「京都、愛宕千日詣り」です。■
120725_22.jpg山城・丹波国境の愛宕山山頂にある「愛宕神社:あたごじんじゃ」は、全国約900社の愛宕神社の総本社です。旧・称阿多古神社。通称「愛宕さん」と呼ばれ親しまれています。
 
大宝年間(701-704)に、修験道の祖・役小角と、白山の開祖・泰澄によって創建され、天応元年(781)慶俊僧都によって中興され、和気清麻呂に愛宕山に「愛宕大権現」を祀る白雲寺を建立したと伝わります。
 
120725_23.jpg本殿に「伊弉冉尊:いざなみのみこと」、「埴山姫神:はにやすひめのかみ」、「天熊人命:あめのくまひとのみこと」、「稚産霊神:わくむすひのかみ」、「豊受姫命:とようけひめのみこと」を祀ります。
 
古くより、比叡山と共に信仰を集め「火伏せ・防火」に霊験のある神社として知られ、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと伝わります。京都では、火を扱うところには必ずといっていいほど「火廼要慎:ひのようじん」のお札が張られています。
 
千日詣り:せんにちまいり」と

は、この日に参拝すると千日分の火伏・防火の御利益が得られるといわれ、江戸期以降から続く京都の夏の風物となっています。
 
110726_18.jpg正式名称は「千日通夜祭:せんにちつうやさい」。「今日愛宕に詣ずれば平日の千度に充たるといふて詣人群をなす。是を千日詣といふ。夏日炎暑を避んが為昨夜より登山するもの多し」と伝わります
 
7月31日午後9時から翌日午前2時にかけて「鎮火神事」が執り行われます。31日「夕御饌祭:ゆうみけさい」では、山伏による護摩焚き神事が行なわれます。
8月1日午前2時には「朝御饌祭:あさみけさい」が行なわれ、人長の舞奉奏、鎮火神事が執り行われます。 

愛宕神社
◇京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1
◇JR「保津峡」~
◇愛宕神社:
http://kyoto-atago.jp/
◇千日詣り:
http://kyoto-atago.jp/images/sentimairi4.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
当日は標高924mの山上の愛宕神社本殿、奥宮を目指す人の列が夜通し続きます。足元の悪い中での登拝です。くれぐれも気をつけて登拝しましょう。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月31日「芦ノ湖湖水祭」です。■
110726_16.jpg芦ノ湖:あしのこ」は、神奈川県足柄下郡箱根町にある箱根山のカルデラ湖。神山(かみやま)が約3千年前に水蒸気爆発と火砕流を起こした際に山の一部が大崩壊を起こす山体崩壊が発生して、誕生した県内最大の湖です。
 
湖水祭:こすいさい」は「箱根神社」(九頭龍神社)の例大祭における宵祭にあたります。奈良時代の天平宝字元(757)萬巻上人が「九頭の毒龍」を調伏し、湖の主、水の神として斎い鎮め奉り、龍神祭を始めたことに由来する「水恩感謝」の祭りです。清祓式(湖水の祓い)、湖水神事、九頭龍明神への御供などが執り行われます。
 
120725_24.jpg湖水神事は、神前に御供(三升三合三勺の赤飯)と、神酒を献じて祝詞を奏し、神楽を舞い、祈願をこめたのち、御供を唐櫃に納めて捧持し、行列を整えて湖畔へと向います。岸辺で小舟にのりかえ、御供船、楽船、お伴船の順で進発します。
 
箱根神社湖上の大鳥居前から先は、宮司が唯一人ゆく御供船のみが湖心に漕ぎ出してゆくという「神秘の神事」と呼ばれる特殊神事です。
 
関東総鎮守箱根大権現と尊崇される「箱根神社」は、芦ノ湖の東岸、駒ケ岳の南麓に鎮座し、交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い「運開きの神様」として信仰されます。
 
120725_25.jpg御祭神は「瓊瓊杵尊:ににぎのみこと」「木花咲耶姫命:このはなさくやひめのみこと」「彦火火出見尊:ひこほほでみのみこと」の三神を合わせて「箱根大神」として祀り、かつては「箱根権現」、「三所大権現」と称されました。
 
龍神湖水の祭りと、箱根神社鎮座の由来を物語る例大祭は、一体の祭礼として変わることなく斎行され、現在では「芦ノ湖夏祭りウィーク」として、7月31日から8月6日の一週間、数々の祭典行事が芦ノ湖全体で執り行われています。
 
箱根神社
◇神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
◇JR東海道線「小田原駅」または小田急線「箱根湯元駅」バス「元箱根」下車徒歩10分
◇公式Web
http://hakonejinja.or.jp/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
近年、「箱根神社」はパワースポットとして参詣者が増えています。土地や神社の謂れを知ってこそ、ご縁が結ばれてパワーが身に付くのです。
箱根神社に隣接する九頭竜神社には、数々の神話や足跡があります。参詣の際にはそこの歴史を知ることも大切です。更なる力が湧いてくることでしょう。
読者の皆様、まだまだ暑い日が続きます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月30日~8月1日「大阪、住吉祭」です。■
130722_20.jpg摂津国 (せっつのくに)一之宮「住吉大社」は、全国約2300社余の「住吉神社」の総本宮です。
 
伊邪那岐命:いざなぎのみこと」は、「火神」の出産で亡くなった妻「伊邪那美命:いざなみのみこと」を追い、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻るという望みは叶えられず、逆に穢れを受けてしまいました。
 
穢れを清めるため海に入って禊祓(みそぎはらい)した際に「底筒男命:そこつつのをのみこと」「中筒男命:なかつつのをのみこと」「表筒男命:うはつつのをのみこと」が生まれました。「住吉大神」は禊祓 (みそぎはらい) で出現されたので「禊祓の神」でもあります。住吉祭は大阪中を清める意義があり、古くから「おはらい」と呼ばれるほど、神道で最も大事な祓いを司る神なのです。
 
120725_20.jpg「住吉祭:すみよしまつり」は「夏越祓神事」です。華麗に着飾った夏越女、稚児らが茅の輪をくぐる儀式が行なわれます。五月殿で大祓式が執り行われたのち、一般市民も参加して本宮に参進しながら「茅の輪」をくぐること3度。
▼茅の輪をくぐる際に「住吉の夏越の祓する人は千年 (ちとせ) のよはひのぶといふなり」という和歌を口ずさみます。

第一本宮で祭典が行なわれ、無形文化財指定の熊野舞住吉踊りが披露されます。
また、住吉大神の御神霊(おみたま)をお遷した神輿が行列を仕立て、堺の宿院頓宮までお渡りする「神輿渡御」が行われます。 

住吉大社
◇公式HP:
http://www.sumiyoshitaisha.net/
◇大阪市住吉区住吉2丁目9-89
◇阪堺電気軌道阪堺線「住吉駅」または「住吉鳥居前駅」すぐ
◇南海本線「住吉大社駅」徒歩3分
◇南海高野線「住吉東駅」徒歩5分
◇阪神高速道路4号湾岸線「大浜出口」~


■7月31日「堺大魚夜市」です。■
120725_21.jpg堺大魚夜市:さかいおおうおよいち」とは、堺大浜公園とその周辺で毎年7月31日夜に行われる魚市のことです。堺の夏の風物詩として知られます。
 
住吉大社の夏祭り神輿堺宿院までの渡御の際、漁師が魚を持ち寄って神前に奉納したことに由来しています。一番の見どころは午後7時から行われる豪快な魚セリです。会場には夜店や企業のブース等も出展され、地域住民と密着した中世の堺港へタイムスリップしたような歴史的なお祭りです。  

魚市には、新鮮な海の幸を安く手に入れようと、たくさんの人が訪れます。ゆかた祭りやキャラクターショー、国際グローブ空手選手権大会、写真展などの催しなども行われ、1000店以上もの露店が立ち並び、毎年約20万人の人出で賑わいます。

堺市堺区の大浜公園
◇大阪府堺市堺区大浜北町4丁・5丁
◇南海線「堺駅」徒歩5分
◇堺大魚夜市:http://yoich.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
堺大魚夜市のオフィシャルサイトから転用:堺大魚夜市は、大阪府堺市堺区にある大浜公園で毎年7月31日に行われる魚市、祭の事です。鎌倉時代に始まったと言われ、およそ700年の歴史を誇る堺の夏の風物詩的行事となっております。

住吉祭りで穢れを祓って茅の輪をくぐり、堺大魚夜市のセリに参加するなど大阪らしい夏祭りです。お出かけの際には夜風に当たって、お風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月30日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
7月節の「一粒万倍日」です。暦の上では夏真っ盛りで、暑い日が続いています。今日の極上日に是非こころざしを立てましょう。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

110510_21.jpg

■7月30日(旧6月8日)「三隣亡」(さんりんぼう)■

もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。
また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■7月29日(29~31日)「相馬野馬追大祭」です。■
福島県南相馬市で行なわれる「相馬野馬追:そうまのまおい」は、千年以上の歴史を誇る伝統行事で、毎年7月第4土曜~月曜の3日間開催される「世界最大の馬のイベント」です。 

120709_49.jpg相馬氏の始祖・平将門(写真右)が関八州の武将を集めて下総国で軍事訓練を行なったのが起源で、野馬を放して、その馬を敵に見立てての訓練が行なわれました。
 
祭り初日、出陣式は「相馬中村神社」「相馬太田神社」「相馬小高神社」の各「妙見神社」で執り行われます。

 
出陣の準備が整うと大将が出陣を命じます。総大将お迎えの儀の後、宇多郷、北郷勢の一隊が雲雀ヶ原祭場地に向かいます。 馬場清めの儀式が行われ、古式馬具をつけた騎馬武者達による1周千mの宵乗り競馬が行なわれます。
 

120709_48.jpg


2日目、相馬小高神社(小高・標葉郷勢)、相馬中村神社(宇多・北郷勢)の順に総勢五百余騎が御本陣雲雀ヶ原の祭場地へと進みます。祭場地に到着すると神輿を本陣に安置し、式典が行なわれます。
 
甲冑競馬」の開始を告げる螺の音が鳴響くと、若武者たちは兜を脱ぎ、白鉢巻を締め、馬にまたがり、旗差物をなびかせて疾走。1周千m10頭立て10回行われます。
 
120711_51.jpg戦闘開始の合図が告げられると、騎馬武者達は馬を駆して雲雀ヶ原に格好の場を求めます。陣螺が鳴り終え、空中に炸裂した花火の中から二本の御神旗がゆっくりと舞い下りると、数百の騎馬は一斉にその旗の下に群がり、鞭を振りかざしての奪い合いが始まります。
 
御神旗をとった騎馬武者は、高々と旗を掲げながら、本陣山の羊腸の坂を一気に駆け上ります。人馬一体となって繰り広げる戦国絵巻はまさに勇壮華麗。
 
3日目に行なわれる「野馬懸」は、多くの馬の中から神の思し召しにかなう馬を捕らえて奉納する神事で、古式に沿ったこの行事は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
 
会場
◇福島県南相馬市原町区・雲雀ケ原祭場地・野馬追通り
◇JR常磐線「原ノ町駅」~2km、7月24日は雲雀ヶ原会場までシャトルバス運行
◇常磐自動車道「富岡IC」~約60km
 
問い合わせ
◇相馬野馬追執行委員会 0244-22-3064
◇公式wab:http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/index.htm
◇ポスター公式web:http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/poster.htm


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
東日本大震災で縮小を余儀なくされた相馬野馬追でした。
相馬三社・五郷騎馬会、日本中央競馬会等、関係者の協力を得て、亡くなられた方の鎮魂を込めた馬追か開催されました。
「相馬野馬追大祭」は馬術祭礼としては世界に類を見ない規模の祭礼です。

読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月29日「和歌山 粉河祭」です。■
120712_59.jpg紀州三大祭の一つ「粉河祭:こかわまつり」は、「粉河産土神社:こかわうぶずなじんじゃ」の祭礼です。
 
粉河産土神社は、旧粉河村の総鎮守であると同時に、粉河寺の鎮守で(寺の中の神社)歴史は古く粉河寺の開基:大伴孔子古の子の船主が、上丹生谷村の丹生神社を勧請し、延暦年間にこの場所に建立したのが始まりと伝わります。
 
120712_60.jpg丹生明神:にふみょうじん」とは、郷土の祖神「丹生都姫尊:にふつひめのみこと」のことで、天照大神の妹神にあたり、またの名を「稚日女尊:わかひるめのみこと」です。
 
宵祭には、とんかま通りを提燈に火を灯した「だんじり」が運行されます。本祭では、大伴孔子古の子、船主が奥州征伐に向かい賊徒を退治して凱旋した時の姿を伝える「渡御式」が執り行われます。馬に跨った武者姿の稚児や、袴をつけた行列が粉河産土神社を練り歩き、飾り付けされただんじりが行列に続きます。さながら凱旋時代絵巻です。
 
粉河寺
◇和歌山県紀の川市粉河2787
◇JR「粉河駅」徒歩15分
◇阪和道「和歌山IC」~国道24号経由40分
◇参考ブログ
http://www.kokawadera.org/

粉河産土神社 
◇参考ブログ
http://www16.plala.or.jp/keiji88/bunkazai/ubusuna.htm

■7月28~30日「宇佐神宮 夏越大祭」です。■
120712_63.jpg現在の大分、豊前国一之宮「宇佐神宮」は、全国約4万社ある八幡社の総本宮です。宇佐八幡、宇佐八幡宮とも。

八幡様は応神天皇の御神霊で、欽明天皇32年(501)初めて宇佐の地に御示顕になりました。神亀2年(725)聖武天皇の勅願により社殿を建立し、八幡神を祀ったのが宇佐神宮の始まりです。
 
御祭神は、応神天皇(一の御殿)・比売大神(二の御殿)・神功天皇(三の御殿)で八幡三神と呼ばれます。境内には仁徳天皇以下五柱「若宮五神」を祀る若宮神社など、末社として敷地内に多く存在します。

120712_62.jpg夏越大祭は、古く「御祓会」と呼ばれていましたが、今日の「夏越神事:なごしのしんじ」のことです。


三基の神輿は、上宮でのお祓いの後、本殿より三所のご神体が三基の神輿で境内の頓宮(とんぐう)までご神幸(移動すること)します
行列は、猿田彦を先頭に小学らによる美しい衣装の蝶・鳥・駒姿が前陣で、一文字笠に裃姿の供廻と続きます。後ろには、太鼓や笛を打鳴しながら、300余人がお供をします。


120712_61.jpg三基の神輿が先陣争いをすることから、「けんか祭」とも呼ばれています。神輿が頓宮に着くとご神体が仮殿に移され、「菅貫(すがぬき)神事」という解縄串(ときなわぐし)による古式の祓い神事がとり行われ、国家安泰・五穀豊穣・万民息災などの祈念されます。
三所のご神体は、頓宮で三日二夜ご滞在して、再び上宮本殿にご還幸されます。

宇佐神宮
◇大分県宇佐市南宇佐2859
◇JR日豊本線「宇佐駅」バス9分
◇公式HP
http://www.usajinguu.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
夏越大祭は、古式による伝統の祓い神事が行われています。上宮から頓宮への行列は、衣装や蝶・鳥・駒などの姿がとても優雅で、観光客を古式の時代にいざないます。
300人からなるお供の笛や太鼓は、スケールの大きさを感じます。
お出かけの方は、防止に飲料水をお持ちになり、熱射病などくらぐれもご注意ください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月28日(旧6月6日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。
経験的に感じる暦の法則でしょうか?
筆者敬白

土用といえば「土用の丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべます。

110730_13.jpg蒲焼が普及したのは江戸時代のことです。江戸時代後期に、あの平賀源内が鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けせず夏バテしない」と江戸中に宣伝したところ大変流行しました。

また、万葉集にも鰻が登場しますが、この頃は蒲焼きではなく単にに焼いて食していたようです。

今回の土用の丑の日は7月25日(火)で二の丑は8月6日(日)です。

「鰻:うなぎ」の語源は「胸黄:むなぎ」から。鰻の調理方法は、東京では「切腹」をイメージするというので腹を切るのを嫌い、背剥きにします。大阪では腹剥きです。また、焼き方も異なっています。

大阪では鰻のことを「う」といいます。そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んでマブシて食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したものです。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
春~夏から秋に入る「土用」の期間中の「丑の日」です。やはり季節は違っても滋養には鰻です。
7月の土用が過ぎると「立秋」で、暑さから秋への
季節の変わり目です。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月27日「神奈川大山、阿夫利神社 夏季大祭」■
110724_18.jpg大山阿夫利神社:おおやまあふりじんじゃ」の創立は、今から2200余年以前の人皇第10代崇神天皇の御代と伝わります。
 
大山:おおやま」は、別名「雨降山:あふりやま」とも。式内社で、旧社格は県社(現、神社本庁の別表神社)。「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読みます。
 
天平勝宝4年(752)「良辯(りょうべん)大僧正」が入山し、神宮寺として「雨降山大山寺」が建立され、本尊に不動明王が祀られました。中世以降は、大山寺を拠点とする修験道(大山修験)が盛んとなり、源頼朝を始め北条氏、徳川氏などの武家の崇敬篤く、江戸時代には、参詣する講(大山講)が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣しました。
 
120712_56.jpg明治の神仏分離の際には、大山寺の勢力が強かった為、激しい廃仏毀釈が行なわれました。石尊大権現・大山寺の称を廃し、旧来の「阿夫利神社」に改称。明治6年に県社に列格。
 
大山の山嶺に三社を構える大山阿夫利神社は、本社に「大山祗大神:おおやまつみのかみ」を祀り、摂社奥社に「大雷神:おおいかつちのかみ」を、前社に「高オカミノ神:たかおかみのかみ」を祀ります。
 
大山は、古来よりたびたび神意が現れ「天狗の来住する神山」であるともいわれています。摂社の両社は、「大天狗」「小天狗」といわれていました。「底津磐根」(そこついわね=地の底)に鎮座し、「高天原」(たかまがはら=天上の神々の国)に千木高知り座して「天下の神蹟」と言われているのが、「大山石尊大権現:おおやませきそんだいごんげん」と称せられた本社の御霊体(祭神)です。
 
120712_57.jpg御神徳は、生活の資源は勿論のこと、海運・漁獲・農産・商工業などに霊験あらたか。さらにまたの名を、「酒解神:さかわけのかみ」といい、酒造の祖神としても崇敬されています。また、大山は古来より雨乞いの聖地とされ、深く信仰されてきました。
 
毎年7月27日に行なわれる「夏季大祭」は、大山阿夫利神社で行なわれる大祭と合わせて8月17日まで「大山祭」が行なわれます。
 
大山阿夫利神社
◇神奈川県伊勢原市大山355
◇小田急線「伊勢原駅」大山ケーブル駅行バス30分
◇東名「厚木IC」「中井IC」約30分
◇小田急厚木道路「伊勢原IC」約20分
◇公式HP
http://www.afuri.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
明治の神仏分離令によって、理不尽な処遇を受けたとあります。仏教による法力が強かったのでしょう。全国各地の宗教法人の中に「権現様」を祀り、仏教色の強い神社が間々あります。神仏混交を繰り返してきた日本の古来からの歴史の片鱗を感じます。
残暑が厳しい季節です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月25~27日「大阪天満宮 天神祭」です。■
120712_51.jpg天神祭」とは、全国の天満宮や天神社で行なわれる祭のこと。祭神の菅原道真の命日に因んだ縁日で、25日前後に行われます。天神祭の中では「大阪天満宮」を中心として大阪で行われる天神祭が有名です。
 
大阪天満天神祭は、京都祇園祭東京神田祭とともに、日本三大祭の一つとして知られます。
 
菅原道真は、学者として名高い文章博士是善卿の子として、承和12年(845)6月25日、京都の菅原院で生まれ、学者として、政治家として、大きな業績を残しました。
 
延喜元年(901)菅原道真は、藤原時平の策略により九州太宰府へ配転(右大臣から大宰権師に左遷)させられます。摂津中島の大将軍社に旅路の無事を祈願した後、太宰府に向かいましたが、2年後の延喜3年(903)に生涯を閉じました。
 
120712_52.jpgその約50年後の天暦3年(949)大将軍社の前に突然7本の松が生え、これが毎夜に霊光を放ったと言われます。このことが都に伝わり、村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが大阪天満宮の始まり。
 
天暦5年(951)社頭の浜から神鉾を流し、流れ着いた浜に斎場を設け、禊を行いました。その折、神領民や崇敬者が船を仕立てて奉迎したのが天神祭の始まりとされ、一千年の歴史を誇っています。
 
御祭神は「菅原道真」配「野見宿禰命」、「手力雄命」、「猿田彦命」、「蛭子命」で、摂社に、大将軍社「八衢比古命、八衢比賣神、久那斗神、意富迦牟豆美神」。摂社十二社「吉備聖霊、早良親王、藤夫人、伊予親王、火雷神、火産霊神、埴山比売神、天吉葛神、川菜神、藤原廣満霊、橘逸勢霊、文太夫霊」を祀ります。
 
7月24日「宵宮:よいのみや」では、本殿にて宵宮祭が行われた後、白木の神鉾を手に神童や供奉人など約200人の行列が天満宮の表門を出発し、旧若松町浜の斎場へ向かいます。
 
120712_50.jpg穢れを神鉾に託して川に流す「鉾流し神事」は、夏越祓い神事の後、斎船で堂島川に漕ぎ出し、船上から神童の手によって流され、天神祭の無事と安全の祈願が行われます。神鉾の流れ着いた地を、その年の御旅所と定め、御神霊を遷座します。
 
25日「本宮」御祭神の渡御。神霊移御、陸渡御、船渡御、奉納花火。大川に繰り広げられる水上祭や花火大会は、夏の大阪名物のひとつになっています。
 
大阪天満宮
◇大阪市北区天神葉橋2-1-8
◇JR東西線「大阪天満宮駅」徒歩5分
◇環状線「北浜」10分
公式HP
http://www.tenjinsan.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆
24日は天満宮前夜祭です。前夜祭イベントを書き出しました。
●清祓式/本式に則ったお祓い。来場者の皆様と共に記念します。
●催し太鼓/天神祭の花形「からうす」は迫力満点。
●地車囃子/天神祭と言えばこのお囃子。「龍おどり」は必見です。
●獅子舞/子供たちによる伝統獅子舞。「四つ竹」「傘踊り」など。
●天神祭囃子踊り/天神祭囃子に乗って、祭好き踊り好きの輪がひろがります。
●OBPかがり火/祭のムードをより一層盛り上げます。
■7月25日「徳島天神祭」です。■
120712_53.jpg眉のごと雲居に見ゆる阿波の山 かけて漕ぐ舟とまり知らずも」万葉の歌人・船王によって万葉集にも詠まれた眉山は徳島市のシンボルです。どの方向から見ても「女性の眉」のような姿をしていることから「眉山」(びざん)と呼ばれます。頂上からは、紀伊水道に面した徳島平野が一望できます。
 
眉山のふもと「眉山天神社」は、菅原道真公を祀る神社で、学問の神様、商売繁昌、また交通安全、家内安全の神様として厚く信仰されます。
 
120712_54.jpgもともと「潮音寺」の鎮守として、瑞巌寺の一顎和尚が甲州「恵林寺」から携えて来た高さ六寸の渡唐「天神木像」を祀ったのが始まり。文化六年(1809)現社地に社を創建し、神像を祀りました。
 
旧藩主・蜂須賀公の代々が保護し、文教の神として尊崇した由緒ある社です。
 
120712_55.jpg4才の時に詠んだ「美しや紅の色なる梅の花、あこが顔にもつけたくぞある」は有名。道真公は、太宰府にあって、天を怨まず、人を憤らず、必ず冤罪の晴れる日を信じて、至誠一貫の生活を続けました。万代の師として長く後生の人々より尊崇され、「学問の神様」として神徳高きは、この人格の然らしむところです。
 
毎年7月25日に行われる「天神祭」は、徳島の夏まつりの中心行事として盛大に執り行われます。
 
徳島眉山天神社
◇徳島県徳島市眉山町天神山1
◇JR「徳島駅」5分

■7月29日~8月9日「八専(はっせん)」です。

120210_23.jpg

暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。同じ気が重なることを「専一」と言いい、それが8日あることから「八専」と呼びます。八専の期間には同気の重ならない日が4日あり、これを「八専期間中の間日(まび)」と呼びます。


《日にち》  《干支》 《五行》  《コメント》
月24日       壬子 =水水、 ←水の気が重なる
25日     癸丑 =水土、 間日(まび)
26日     甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
27日       乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
28日     丙辰 =火土、 間日(まび)
29日     丁巳 火火、 ←火の気が重なる
30日     戊午 =土火、 間日(まび)
31日     己未=土土、 ←土の気が重なる
8月01日   庚申 =金金、←土の気が重なる
02日     辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
03日     壬戌 =水土、 間日(まび)
04日       癸亥 =水水、 ←水の気が重なる

 
間日(まび):
このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。

110620_19.jpg
八専の期間は「天干てんかん」と「地支:ちし」が同じ気なので、気が偏って良い事はますます良く、悪いことは更に悪く傾きやすくなります。これは、振幅の激しい期間で、準備を怠らなかった人には良い結果が、場当たり的な対応をした人にはそれなりの結果が訪れます。

古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。他にはギャンブルなど、努力が伴わない行動は避けましょう。


※淮南子
=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書

「八専」はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。

今回の八専の期間は7月24日~8月4日です。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
8月の八専は終わると、暦の上では「処暑」です。蒸し暑い残暑が終わり、心なしか晴れやかになります。
この時期、新しい計画やプランを立てるなどして、八専の作用を存分に活用すれば、八専の象意で成就していきます。いわゆる、「事始め」前の「準備期間が「八専」と言えます。

難しい問題や逆境にある方が、ここで一大決心をすると、大自然が味方になって、良い作用が発現した例を数多く聞き及びます。

八専の期間が終わると二十四節気「立秋」です。今年の夏は九州地方をはじめ各地で水害が報告されたとしです。八専の期間中は雨の多い時期だとされています。

まだまだ暑い夏です。時節柄お体ご自愛専一の程 

筆者敬白

■7月24日「地蔵ぼん」です。
120709_44.jpg地蔵盆」は、地蔵菩薩の縁日(24日)のことで、もともと「地蔵会:じぞうえ」「地蔵祭:じぞうさい」と呼ばれていましたが、24日は裏盆にあたることから、盂蘭盆に因んで地蔵盆と呼ばれるようになりました。

地蔵盆は、寺の中に祀られている地蔵菩薩を対象とはしていません。道祖神信仰と結び付いた路傍や街角(辻)のお地蔵様が対象となっています。

地蔵菩薩は中近世以降、子供の守り神として信仰されるようになりました。地蔵のある町内ではこの日、地蔵の像を洗い清め、新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付け、地蔵の前に集って灯籠を立てたり、お供え物をして祀ります。

120709_45.jpg子供たちは供養の菓子や手料理などを振舞われます。お地蔵さん巡りをして、お接待を受けることも。僧による読経が行われるところもあります。数珠繰り(じゅずくり)は、直径2~3mの大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順に回す儀式です。

◇ ◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇ ◇
関東地方のほか、北陸や東北では、旧暦8月13~16日にお盆を行事を行っています。地蔵盆も旧暦で8月24日です。新興住宅地と旧家の重なっている地域では、7月盆と旧盆の8月盆が連続していて、僧侶の忙しい時期です。
お盆の時期に往生される方も多く、葬儀が連続することがあるそうです。「坊主丸儲け」などと悪口を言っていたら、知人の僧侶から、この時期「此岸」からのお迎えが多く、不安定な方は、そのまま引かれてしますそうです。この時期しっかりとした気持ちで過ごしましょう。

梅雨明が明けると、暑い日が続きます。体調を崩さないように気をつけてお過ごしください。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月24日「大田原、大田山地蔵尊 夏大祭」です。■
120709_47.jpg大田原城藩主の大田原氏菩提寺である「光真寺」は、天文14年(1545)大田原備前守資清公の創建。資清の兄、麟道和尚が開山第一世です。

春の大祭では、歴代の大田原氏歴代藩主供養の墓前祭がしめやかに営まれまれます。

法要の後、13代資清公が大田原城築城の祝いの席上にて舞ったとされる、栃木県指定無形文化財「城鍬舞」が奉納されます。

大祭二日目、境内では「福原餅つき唄」が披露され、大臼でつきあがった餅は春大祭の参拝者に配られます。

120209_19.jpg真光寺
◇栃木県大田原市山の手2-11-14
◇真光寺HP
http://koshinji.jp/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
新幹線が開通して、便利な世の中ですが、隣家・地域ぐるみのお付き合いも希薄な時代になってきました。便利さと引き換えに、郷土の文化が少しづつと忘れられていく中で、大田山地蔵尊は古くからの伝統が脈々と息づいている祭礼です。
境内の大黒天堂には大黒天が祀られていて全国から甲子大黒天参拝者が訪れます。春祭りに続いて夏祭りの掲載です。
時節柄、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月24日「河童忌」です。■
河童忌:かっぱき」とは、芥川龍之介の命日で、最晩年の作の小説「河童」に因んで付けられたもの。俳号の「我鬼」から「我鬼忌:がきき」とも。
 
120709_46.jpg東京市京橋区入船の牛乳屋の長男として生まれ、生後7ヶ月頃に母が発狂したため、母の実家「芥川家」に預けられ、母の死後に芥川家の養子になります。
 
芥川家は、代々徳川家に仕え、茶の湯を担うお数寄屋坊主の家です。龍之介という名前は、辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことに由来するそう。
 
作品の多くは短編で、羅生門・鼻・芋粥・藪の中・地獄変・歯車など今昔物語集や宇治拾遺物語などの古典を題材としたものが多いですが、西洋の文学を和訳したものも存在します。蜘蛛の糸・杜子春など児童向けの作品も書かれ、俳句にも興味を持ち、漢文にも通じていました。また、アフォリズム(箴言(しんげん))の制作も得意としていました。
 
120711_50.jpg唯ぼんやりした不安」を理由に、昭和2年7月24日、多量の睡眠薬を服用して現世に別れを告げます。
 
死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」を設けました。芥川賞直木賞と並ぶ文学賞です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
芥川龍之介賞の遺書は、妻・文、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙があります。自殺の動機として「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」は一般的にも有名です。
死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、上野に出かけていて留守であった。犀星は「もし私が外出しなかったら、芥川君の話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。

年間自殺者3万人時代の現代、
芥川流にいう「ぼんやりした不安」は現代にこそ蔓延しているといえます。編集後記は筆者の単なる推量にすぎません。
筆者敬白

■7月23日「宇和島、和霊祭」です。■
120709_42.jpg和霊神社:われいじんじゃ」は、宇和島藩初代藩主・伊達秀宗の家老で、政敵の陰謀で無念の死を遂げた「山家清兵衛公頼」を主祭神とする神社で、公頼の霊を鎮めるため、承応2年(1653)に建立されました。

現在は、海上守護神として信仰を集め、地元では「和霊さま」の名で親しまれています。旧社格は県社。

公頼は伊達政宗の家臣でしたが、元和元年(1615)政宗の長男・秀宗が宇和島に移封されるのに従い、その家老として藩政を支えました。

110719_19.jpg当時の宇和島は領主の悪政により疲弊していましたが、公頼は租税軽減や産業振興を行って効果を上げました。しかし、元和6年、藩主秀宗は公頼を嫉妬する藩士の讒言(ざんげん=偽り)を信じ、公頼とその息子らを殺害させてしまいました。

この宇和島藩のお家騒動「和霊騒動」は、歌舞伎「宇和島騒動」にも取り上げられています。

120709_43.jpg和霊神社は入母屋造りの荘厳な造りの本殿と、石造りでは日本一といわれる高さ12m余の大鳥居で名高く、毎年7月23・24日に行われる「和霊大祭」は、大漁・豊作を祈願する祭りで、「四国三大夏祭り」の一つに数えられています。

同時に「宇和島牛鬼祭り」が開催されます。宇和島の町を牛鬼が練り歩き、夜には花火が打ち上げられるなどして賑わいます。松明に照らされた須賀川に、山車に次いで神輿が走り込み、若者たちが竹の天辺に付けられた御幣を奪い合う「走り込み」は見ものです。

◆◆宇和島騒動◆◆
宇和島藩は、慶長19年(1614)に伊達政宗の庶長子伊達秀宗が伊予に10万石を与えられて成立した藩です。政宗は秀宗に「五十七騎」と呼ばれる家臣を重臣として藩を運営させた。その中で「山家清兵衛公頼」が実質的に藩政を執りました。宇和島藩は豊臣時代から領主が頻繁に入れ替わったため、領内は疲弊し財政難でした。そこで、秀宗は父伊達政宗から6万両を借り財政難を乗り切りました。しかし、返済は寛永12年(1635)まで続き、宇和島藩にとって負担でした。


また、元和5年(1619)には大坂城の石垣修復普請を請け負ったことから藩の運営を巡り、山家清兵衛と桜田玄蕃元親が対立を起こす。しかし、山家清兵衛が父伊達政宗から信任が厚かったことから、秀宗は清兵衛を疎んじ桜田玄蕃を重用し、清兵衛は失脚する。


翌元和6年(1620)6月29日深夜、山家邸が襲撃され、山家一族は皆殺しにされた。秀宗の命により桜田玄蕃が襲撃した伝わっています。秀宗はこの事件を幕府にも、政宗にも報告しなかったのです。これに怒った政宗は、五十七騎の一人、桑折左衛門を通じて秀宗を詰問して謹慎を命じ、幕府に宇和島藩の改易(
現職者の任を解き新任者を補任すること)を嘆願しました。

慌てた秀宗は幕府や政宗に釈明の使者を出したり、妻の実家である彦根藩に仲介を依頼した。宇和島藩は改易を免れましたが、これにより宇和島伊達家は本家と気まずい仲になります。

事件から数年で、桜田玄蕃をはじめとする山家清兵衛の政敵達が不慮の事故で相次いで死亡し、秀宗も病床に伏す。このことを「清兵衛が怨霊となり怨みを晴らしているのだ」と噂になり、秀宗は清兵衛邸跡に和霊神社を創建し、清兵衛の霊を慰めました。

和霊神社

◇愛媛県宇和島市和霊町1451番地
◇JR「宇和島駅」徒歩10分
◇参考ブログ:
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/ehime/uwajima/warei_warei/warei.html


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
疲弊した藩政を立て直そうとした山家清兵衛公頼の寝所を襲い、蚊帳の四方を切って動けなくなった山家清兵衛公頼を惨殺した藩士が、後に不慮の事故や原因不明の病気で亡くなっていきます。
これが山家清兵衛公頼の無念が、政敵の原因不明の事故や突然死の原因だと恐れられたところから、山家清兵衛公頼といった実在の藩士が、主祭神になっています。
伊達藩に縁のある筆者としては山家公の無念が伝わります。和霊祭にお出かけの方は謂れを知ってからお出かけください。酷暑が続いていますので、
熱射病対策をしてお出かけください。

皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月22日「敦賀、気比神宮 総参祭」です。■
120709_37.jpg北陸の総鎮守・越前一の宮「気比神宮:けひじんぐう」は、大宝2年(702)の建立と伝わる祭神七座の延喜式内大社で、「伊奢沙別神:いざさわけ」に八幡の神々を祀った貴重な神社のひとつで、「けいさん」と呼ばれ親しまれています。
 
昭和20年、敦賀大空襲で大鳥居だけを残して焼けてしまいましたが、戦後の「和の大造営」によって再建されました。御祭神は、伊奢沙別神・仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・應神天皇・玉妃命・武内宿禰命
 
総参祭:そうのまいりのまつり」は、年に一度、7月22日に御祭神「仲哀天皇」が、后の「神功皇后」を祀る常宮神社まで海を渡って逢いに行くという、敦賀湾の海を舞台に執り行われる神渡り神事です。
 
120709_38.jpg気比大神の御用漁師とされる敦賀湾の漁業家が、和船に分乗して神宮丸の曵行を奉仕。供奉船も随い上下総て神事に加わることから「総参:そうのまいり」といわれます。曵行を一度奉仕すれば3年の豊漁に恵まれるといわれ、この日敦賀湾は禁漁日とされます。

国道8号線に面して立つ大鳥居は、高さ約11m、柱間約7.5mは国の重要文化財に指定され、木造の鳥居としては、奈良の春日大社・広島の厳島神社とともに日本三大鳥居のひとつになっています。
 
120709_39.jpg海には航海安全と水産漁業の隆昌、陸には産業発展と衣食住の平穏に霊験著しく、篤く信仰されています。気比は「キビ」とも読まれ、御食国の豊穣と大漁祈願が御神徳にあることから、穀類の黍(きび)から出た言葉が所以のようです。
 
敦賀湾に面して立ち並ぶ気比神宮の神苑「気比の松原」は、日本三大松原のひとつです。
 
気比神宮
◇福井県敦賀市曙町11-68
◇JR北陸本線「敦賀駅」徒歩15分
◇北陸自動車道「敦賀IC」車10分
◇公式HP
http://kehijingu.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
総参祭は海上中心の祭礼です。
北陸道総鎮守の気比神宮は、敦賀大空襲で大鳥居以外は消失しました。現在の本殿は、昭和の大造営で造営されたものです。
文化的な遺産を後世に残すことは、ソフト面はおろかハード面のメンテナンスも必要です。
皆様一度気比神宮の大鳥居をご覧になってください。
季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆写敬白

■7月22日「中伏(ちゅうぶく)」です。■
120712_58.jpg初伏:しょふく」・「中伏:ちゅうふく」・「末伏:まっぷく」の3つを総称して「三伏:さんぷく」といいます。陰陽五行説に基づく選日で、日本最古の「具注歴」にも記載された暦注です。

夏至以降、第3回目の「庚の日」を「初伏」、4回目の庚の日を「中伏」、立秋以降の第1回目の庚の日を「末伏」とする方法が一般的です。
 
また、夏至以降の第3.4.5の庚の日をそれぞれとする方法、さらに6月節小暑後の第1.2.3をそれぞれとする方法があります。いずれも、起算日が庚の日ならばその日を第1日目とします。

五行説で「:かのえ」は「金の兄」で「金性」です。夏は「火性」が盛んですから、金は火に伏せられて(火尅金)この日を「凶」すなわち善くない日とするのです。

この日は、種蒔き・療養・遠行・婚姻・男女の和合などは慎むべき日とされています。

110721_16.jpg新暦では、7月中旬から8月上旬にかけて三伏が入ります。この頃は酷暑期にあたるため「三伏の候」「三伏の猛暑」などと手紙の前文に書かれるなど、酷暑の候を表す言葉として現在も用いられています。

韓国では、この時期を「三伏暑:さんぼつ」と呼んでいます。韓国では日本での「土用の鰻」同様、犬肉や参鶏湯を食べる風習があります。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
7月下旬に入ると疲労が溜まり、体力が落ちる時期です。「三伏の日」には滋養のあるものを食しましょう。
まもなく8月、暦の上では二十四節気「大暑」で、まだまだ残暑厳しい時期です。暴飲暴食で体力が落ちることがないよう体調管理を心がけましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月22日(19~23日)関東一の祇園「熊谷うちわ祭」です。■
120709_34.jpg熊谷うちわ祭」は、熊谷市の八坂神社の例大祭です。京都八坂神社の祇園まつりが、夏祭りとして全国に広がったものの一つで、「関東一の祇園祭」と称されています。
 
平安時代「エキリ」と呼ばれる伝染病が流行しました。疫病退散の祈願を行った「祇園御霊会」が祇園祭の起こりで、文禄年間に京都の八坂神社を熊谷に勧請、その後、愛宕神社に合祀されました。
 
赤いものが厄除けになるという理由で、江戸時代には祭の最中には買い物客に赤飯を振るまう習わしがありました。
 
赤飯振舞熊谷の名物です。あるとき、泉屋横町の泉州という料亭が、手間の掛かる赤飯の代わりに、江戸・伊場仙から買い入れた「渋うちわ」を客に振る舞ったところ評判になり、どの商店でも赤飯の代わりにうちわを出すようになったのだとか。これが「うちわ祭り」と称される所以です。
 
120709_35.jpg当時のうちわは生活必需品で、3銭の買い物にも5銭のうちわを振る舞いました。時代の流れにつれ、疫病退散の祭から、いつしか五穀豊穣・商売繁盛の祭へとかわっていきました。現在でも商店の広告の入ったうちわが振舞われています。
 
渡御祭に始まり、2日目には絢爛豪華な12台の山車・屋台が熊谷囃子とともに巡行。うちわ祭りの見せどころは壮大な叩き合いです。山車屋台が集結し、太鼓を響かせます。最終日の「っ合わせ叩き合い」は、訪れた人々を魅了します。
 
開催場所
◇埼玉県熊谷市「お祭り広場」他
◇JR高崎線「熊谷駅」徒歩10分
◇公式Web:
http://uchiwamatsuri.com/home.html
 
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
埼玉県熊谷市鎌倉町の愛宕八坂神社の例大祭です。疫病退散祈願の京都の祇園祭りの原型をとどめた関東一の祇園祭と称されています。
公式Webによると毎年19日~23日に斎行され、特に21日の山車巡行叩き合い、22日山車曳っ合せ叩合いが見どころです。
祭礼の際、見物の観光客が熱射病になるケースが報道されています。お出かけの際には、体調を整えてお出かけください。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月22日(旧5月29日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。
経験的に感じる暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■7月21日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

120125_15.jpg一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
夏から秋への「土用」の最中で、早くも暦の上では秋の気配です。建前、決断、契約、旅立ち、の他に手習い、開店、事始めには最適の日です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月20~27日「山口、祇園祭」です。■
120709_30.jpg山口祇園祭:やまぐちぎおんさい」は、山口市で京を模した街づくりを行なっていた大内弘世が、応安2年(1369)に京都から勧請建立した「祇園社」(現:八坂神社)の祭で、京の祇園祭を手本として行なわれます。
 
現在の本殿は、永正17年(1520)に大内義興が再建したもの。社殿は山口大神宮境内に築かれたものでしたが、明治元年(1868)この地に移築されました。
 
120709_31.jpg蛙股は束の一種で、この蛙股は形が優美であることや、他に類例の少ない珍しい図柄、花や果物、雲などが彫刻されているということで注目されます。
 
60年の伝統を持つ「山口祇園祭」では、初日に御神幸が行なわれます。扇の舞、鈴の舞の2部からなる「浦安の舞」と、鷺に見立てた頭と羽をつけて舞う「鷺の舞神事」が奉納され、神輿や祇園囃子をのせた山車が八坂神社から御旅所まで練り歩きます。
 
110716_19.jpg中日の24日には、総勢1500人にも及ぶ「総踊り」、最終日の27
日には、御還幸が行なわれます。

 
八坂神社
山口県山口市上竪小路
◇JR山口線「山口駅」10分
◇参考ブログ
http://www.mapple.net/spots/G03500050701.htm


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
祇園社は現在の八坂神社の旧称です。元々「祇園社」「祇園感神院」「祇園天神社」などと称されましたが、明治の神仏分離令により「八坂神社」と改められました。地元では通称「祇園さん」と呼ばれています。

山口の祇園祭に限らず、全国の祇園祭はどこも勇壮な山車が見ものです。このように祇園信仰は全国に浸透していました。原型をとどめた山口祇園祭は御神幸に始まり御還幸で終了します。

今年の九州、九州地方は大雨が続いて、土砂災害の危険が報道されています。今年は猛暑、帽子の用意と水分補給を心がけて熱射病の対策をして、山口祇園祭に出かけください。
筆者敬白

■7月19日~8月6日「土用」です。■
110716_20.jpg7月19日20時51分「土用」です。
土用は雑節の一つで、太陽が黄経27度、117度、207度、297度にある時と定義され、四季の変わり目に配されています。
 
今月は坤方位「未月」土用の月です。夏の季節から秋の季節に入れ替わる期間を「夏の土用」といいます。

三合の理・春の例では「亥月:11月より生じて」、「卯月:翌3月で勢い旺となり」、「未月:7月で墓を迎えて暮れて行く様」とあります。
 
◇(春:東)前年「亥:11月」に生じた事柄は「卯:翌3月」に壮(旺)かんになり、「未:7月」に墓を迎え「春の土用」になり結果が出ます。(木局三合)

「時を得る者は昌え、時を失う者は亡ぶ」(時の運をうまく味方につけて追い風に乗る者は栄え、逆に追い風を見逃して向かい風に帆を揚げるようでは、苦難ばかりで、滅んでしまう。)タイミングがいいことを、時の氏神が味方をした。などと言い時を味方につけるとき、実力以上の成功に恵まれるということです。 

万物は「木火土金水:もくかどごんすい」の「五気の消長」によって生成する。と陰陽五行思想で説いています。土用の期間は「土の気」が盛んになり「物を変化させる作用が最も働く期間」ということになります。土を動かすことは勿論ですが、造作、修繕、柱立、礎を置くこと、井戸掘りなど、良くないとされます。部屋の模様変えや押入れの整理も見送りましょう。
 
【土用心得】
土用の期間に入ると、抱えている問題は解決しないといわれています。土用に入る前に方向性を決め、解決しておく事が得策です。とはいっても、もの事が解決せず土用の期間に入ってしまったら、焦らずに成り行きを見守るゆとりを持ちましょう。

【土用の丑の日】
120709_60.jpg土用といえば「丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべますが、この蒲焼が普及したのは江戸時代のこと。江戸時代後期に、あの平賀源内が鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けしない」と宣伝。大いに流行しました。万葉集にも鰻が登場しますが、この頃には単に焼いていたようです。

今回の「土用の丑の日」は7月25日(火)です。「二の丑」は8月6日(日)です。

■「鰻」(うなぎ)の語源は、「胸黄:むなぎ」から由来。鰻の調理方法は、東京では切腹をイメージするというので腹を切るのを嫌い、背剥きにします。大阪では腹剥きです。また、焼き方も異なっています。

大阪では鰻のことを「う」といいます。そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んでマブシて食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したものです。

120328_79.jpg【土用の間日】
夏の土用の「間日」は、巳・午・酉の日で、7月21日・22日・25日、8月2日・3日・6日にあたります。文殊菩薩のはからいで、土公神一族すべてが清涼山に集められ、土用の期間中でもこの日ばかりは土を動かしても祟りがありません。

【土用の明け】
夏の土用が明けるのは8月7日「立秋」です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今回は夏の土用です。土用の期間は、なんとなく上手くいかない期間とされていましたが、今までの結論が出る期間とも受け取れます。「運」の良し悪しは、生活していれば誰にでも当てはまりますが、「運気」は自然界の影響を受けているので、大自然の法則を知って、自然の恩恵を最大限活用しましょう。暦を詠むことは一部には大自然の叡智を身につけることなのです。

7月後半夏本番です。クーラーをかけ過ぎて、夏風邪をお召しにならないよう、健康管理には十分注意しましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■■7月13日「ぼん迎え火」です。■
100709_1.jpg迎え火」とは、麻の茎を乾燥させた麻幹(おがら)を松明(たいまつ)のように立てて火をつけたもの。先祖の霊が迷わずに帰って来られるように、道しるべとなります。

外から内に入るように火をまたぐと、先祖の霊を迎え入れたという意味に。火を焚くかわりに、軒先に電気提灯を下げる場合もあります。

■■7月15日「ぼん」「盂蘭盆」です。■
盂蘭盆:うらぼん」とは、旧暦7月15日を中心に行われる先祖の霊を祀る仏事のこと。仏教用語。省略して「おぼん」「」ともいいます。

7月13日の夕方の「迎え火」に始まり、16日の「送り火」に終わります。先祖の霊を自宅に迎え、父母の恩を謝し、種々の供物を死者の霊にお供えして、お経をあげ、冥福を祈ります。

盂蘭盆とは、梵語で「倒懸(とうけん=さかさづり)の苦を救う」の意。あの世で非常な苦しみを受けている死者を供養し、救うという。サンスクリット語で「ウラバンナ」の音写語です。

一般的に「盆」は、供物を載せる容器の「おぼん」を意味し、「ぼん」ということから、盆になったという説もあります。いずれにせよ盆の行事は、正月の行事と同様に祖霊祭の意味を持ち、大変重要なものです。

釈迦の弟子に目連という人がいました。その母の死後、餓鬼道に堕ちて痩せ衰えているのを、心眼によって見透し、助けようとしたが出来ません。釈迦の教えを乞うと「目連の一人の力ではいかんともしがたい。7月15日に衆僧に供養し、その功徳によって母を餓鬼道から救いなさい。」と命じられたと、盂蘭盆経にあります。

盂蘭盆経は、父母恩重経や善悪因果経などと共に中国で成立した偽経と考えられています。本来は安居の終わった日に、人々が衆僧に飲食などの供養をした行事でした。これが転じ、様々な伝説が付加されたのでしょう。

インドから中国を経て、日本には飛鳥時代に伝わりました。推古天皇14年(606)に飛鳥の法隆寺で行われたのが初めで、聖武天皇の天平5年(733)から宮中の仏事となりました。奈良平安時代には、毎年7月15日に行われ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」をあわせて行うようになりました。

「施餓鬼会:せがきえ」とは、死後に餓鬼道(がきどう)に堕ちた衆生の為に飲食を布施し、その霊を供養すること。同時に、無縁仏となって成仏できずに俗世を彷徨う餓鬼にも施します。

100709_2.jpg古来、日本では初春と初秋の満月の日に魂祭が行われていました。魂祭とは、祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事です。初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて「正月」の祭事となり、初秋のものが「盂蘭盆」と習合して、仏教の行事として行われるようになったといわれています。

盆の13日は、先祖代々の墓に参ります。夕方には門口で「迎え火」といって苧殻(おがら)をたき、精霊を迎え入れます。14日や15日は僧侶を招いてお経をあげてもらいます。このことを棚経(たなぎょう)といいます。供物を供える棚「精霊棚」の前で経を読むことから、そういわれます。16日の夜は「送り火」をたき、精霊を送ります。
※苧殻とは、皮を剥いだ麻の茎の部分。麻殻。

盆には「素麺、瓜、茄子、西瓜、ほうずき、梨、葡萄」などが供えられます。瓜や茄子で作った牛馬の飾りは、あの世とこの世を行き来するための乗り物。精霊馬(しょうろうま)と呼ばれ、これに精霊を載せて迎え、送るという意味です。

盆の一般的行事には、盆踊りがあります。本来精霊を迎えて慰め、送り出す目的のものです。念仏踊りに小町踊りや伊勢踊りの要素が加わったもので、阿波踊りも盆踊りのひとつです。また、灯篭流し精霊流しも盆の行事のひとつです。お盆の行事は、地方や宗派によって形態が異なります。全国的には月遅れの盆・旧盆の8月15日に行う地方がもっぱらですが、東京では新暦7月15日に行われるところが多いです。また、旧暦7月15日にあたる日に行うところもあります。


亡くなった人が49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を「初盆:はつぼん」または「新盆:にいぼん」と呼びます。亡くなっても、まだ世俗のものを多く身に付けていたり、供養してもらえない人の霊も一緒に連れて帰ることがあるので、特に手厚く供養します。


100709_3.jpg
■■7月16日「ぼん送り火」です。■

盆送り火」「精霊送り」お盆の最後の日。先祖の霊が無事にあの世へ戻れるよう、海や川に供え物や舟を流したり、送り火を焚いて送り出します。

京都の「五山送り火」も精霊送りのひとつ。盆の期間に集団で行われる「盆踊り」は精霊を迎える、死者を供養する、霊を送り出すなどのための仏教行事です。
  
************============************
◇◇お盆の過し方◇◇(7月または8月)
◆7日「七日盆」◆
お墓を磨いたり、掃除をしたりします。
◆12日「草の市」◆
花やロウソクなどを買って、迎え盆の準備をします。
◆13日「迎え盆」「迎え火」◆
お迎えした先祖の霊は、仏壇ではなく「盆棚」(精霊棚)に祀ります。仏壇の前や縁側などに盆棚を作り、墓参りに行き、玄関に迎え火を焚いて、霊を迎えます。
◆15日「盆」「藪入り」◆
休みをもらって、お盆や正月に帰省することを藪入り(やぶいり)といいます。家族揃ってゆったり過ごしたり、親戚の盆棚へお参りに行ったりします。
◆16日「盆送り火」「精霊送り」◆
お盆の最後の日。先祖の霊が無事にあの世へ戻れるよう、海や川に供え物や舟を流したり、送り火を焚いて送り出します。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
静かに先祖の霊を迎えるといった雰囲気になりそうなお盆です。7月はともかく来月の旧盆には帰省、旅行などお盆休みを利用した計画されていることでしょう。

お盆の時期、是非先祖に対し思いを馳せて、墓参などにお出かけ下さい。現代は混沌とした世の中です。「このままでいいのだろうか」と墓前にて、お伺いを立てるのも一つの供養です。

父ならどうするだろうか、母ならどうするだろうか。皆さんの体には、先祖の経験が受け継がれているのですから、必ずタイムリーな回答が脳裏をよぎるはずです。お盆のこの時期ぜひ墓参にお出かけ下さい。

筆者敬白

■7月18日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■7月17日「海の日」です。■uminohi2016.jpg
海の日」は以前「海の記念日」と呼ばれていました。海の記念日は、明治3年(1876)明治天皇の東北地方巡幸の際、灯台巡視用の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちなみ、昭和16年(1941)に逓信大臣の提唱により制定されました。

その後、平成7年(1995)7月20日が「海の日」となり、平成15年(2003)年のハッピーマンデー制度により、7月の第3月曜になりました。 国民の祝日に関する法律では、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としています。世界の国々の中で「海の日」を祝日としている国はなんと唯一日本だけなのです。

130709_28.jpg海の日が制定されてから7月20日~7月31日までの12日間を「海の旬間(じゅんかん)」としていましたが、平成15年(2003)以降は、海の日の三連休化に伴い、月間化して「海」に対する理解と認識を高めてもらうために、7月1日から31日までを「海の月間」と定めたました。国土交通省海事局、地方公共団体、海事関係団体らが、「海フェスタ」を始め、全国各地で行われる海に関する各種様々なイベントの紹介、活動をしています。

明治丸はその後、東京商船学校(現東京海洋大学)の練習船として使用され、現在は東京海洋大学越中島キャンパスに保存されています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

海の日が祭日に指定されハッピーマンデー制度で、第3月曜になりました。土曜日を含めて3連休の方も多いことでしょう。「小暑を過ぎた」これからの時期、本格的な猛暑の季節になります。
体調管理を怠りなくお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月17日「京都、八坂神社 祇園祭」です。■
120627_39.jpg八坂神社:やさかじんじゃ」は、日本全国約2300社ある「素戔嗚尊:スサノオ」を祭神とする神社の総本社です。
 
元々「祇園社」「祇園感神院」「祇園天神社」などと称されましたが、明治の神仏分離令により「八坂神社」と改められました。通称「祇園さん」と呼ばれています。
 
日本三大祭のひとつ「祇園祭」は、千百年の伝統がある八坂神社の祭礼で、古くは「祇園御霊会:ぎおんごりょうえ」と呼ばれました。
 
この祭りは、祇園神(牛頭天王・スサノオ)を祀る「祇園神社」に奉納される祭礼のこと。祭神が同じ「天王祭」も同一のものに分類されます。祭神の性格から、その多くは7月から8月にかけて「疫病退散・厄除け」を祈願して行われる夏祭りで、総本社である京都の八坂神社(祇園社)の祇園祭りを始めとして、日本各地で行われます。
 
110714_13.jpg祇園信仰:ぎおんしんこう」は、「牛頭天王:ごずてんのう」ス

サノオに対する神仏習合の信仰です。明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰となっています。「牛頭天王」は、元々インドの神で仏教の神。祇園精舎(ぎおんそうじゃ=釈迦が説法を行なった寺院)の守護神でした。
 
これが日本に伝わる前に中国で道教の影響を受け、日本ではさらに神道の神であるスサノオと習合。牛頭天王もスサノオも「行疫神(=疫病をはやらせる神)」とされていたためです。本地仏は薬師如来
 
平家物語」の冒頭で「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」と詠われている所から、特に日本ではよく知られています。また、京都の有名な花街である「祇園」は、祇園社と称した八坂神社の門前町であることからその名が付きました。
 
120627_40.jpg貞観11年(869)京の都を始め全国に疫病が流行した折、平安京の広大な庭園である神泉苑に当時の国の数66カ国に因んで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り災厄の祓いを祈ったことに始まります。
 
素戔嗚尊が南海に旅をされた時、「蘇民将来:そみんしょうらい」は一夜の宿と食事を提供し、素戔嗚尊を厚くもてなしました。この真心を喜ばれた素戔嗚尊は、「後の世に疫病が起こらば、蘇民将来の子孫と言いて腰に茅の輪をつけたる人は免れなん」と約束しました。
 
これに因んで、祇園祭では「蘇民将来之子孫也」の護符を身に付けて奉仕します。夏越祓では、参拝者にこの護符を授けます。祭りでは「厄除粽」が頒布されます。
 
祭りは7月1日「吉符入り」に始まり、31日「疫神社夏越祓」まで、1ヶ月にわたり神事や行事が執り行われます。

八坂神社
◇京都府京都市東山区祇園町北側625番地
◇JR「京都駅」バス20分
◇京阪「四条駅」徒歩5分
◇公式HP:
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
歴史に残る疫病で、たくさんの死者が出た時期がありました。夏越の祓い(6月末)の折り、寺社仏閣では「茅の輪くぐり」催されます。夏越の祓いの茅の輪くぐりは、スサノオ伝説が由来です。
祇園祭は京都に限らず八坂、スサノオにゆかりのある地域で夏祭りとして残っています。祇園祭りは山口、小倉、佐原など各地で、原型をとどめている祭礼です。
暑さのため熱射病になる方が増えています。お出かけの際には水分補給、帽子を忘れないようにしましょう。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月17日「仙台、塩竈みなと祭」です。■
120627_31.jpg塩竈みなと祭:しおがまみなとまつり」は、厳島神社の「管絃祭」、貴船神社の「貴船まつり」とあわせて「日本三大船祭り」とされています。
 
毎年7月第3月曜日(海の日)に行なわれている祭りは、港町として栄える塩竈の経済発展と、戦後の疲弊した市民の元気回復を祈願して昭和23年(1948)から始まりました。
 
東北鎮護・陸奥国一宮「塩竈神社」は、全国にある塩竈神社(又は塩釜神社と表記)の総本社で、主祭神に「塩土老翁神:しおつちおじのかみ」を祀り、「武甕槌命:たけみかづちのかみ」「経津主神:ふつぬしのかみ」を祀ります。明治時代に、式内社の「志波彦神社:しわひこじんじゃ」が境内に遷座。
 
塩土老翁神」は、塩竈明神(しおがまみょうじん)とも。海や塩の神で、釣り針を失くして悲嘆に暮れる山幸彦を導いたり、神武東征の折りには「東に良い土地がある」と言ったことから、神武天皇は東征を決意したと伝わります。航海安全・交通安全の神徳を持つとされています。
 
120627_32.jpg平安時代初期、嵯峨天皇の御代には厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。奈良時代国府と鎮守府を兼ねた「多賀城」の精神的支えとなって信仰されました。武家社会では平泉の藤原氏、鎌倉幕府の留守職・伊沢氏、特に伊達氏の崇敬厚く、歴代藩主は大神主として務めました。現在の社殿は、伊達家四代・綱村公~五代・吉村公に渡り9年の歳月をかけて、宝永元年(1704)に竣工されたものです。
 
鹽竈神社境内の「シオガマザクラ」という重要な桜の一種は、毎年メディアに取り上げられるほど有名。
 
120627_33.jpgメインイベントは「神輿海上渡御:みこしかいじょうとぎょ」で、鹽竈神社と志波彦神社より神輿を繰り出し、市内を練り歩いた後に、塩竈港に待つ「龍鳳丸」「鳳凰丸」の二隻の御座船に乗り入れて海上を巡幸します。
 
海上では百隻を超える漁船が大漁旗を掲げて御座船を追随。太鼓や笛などを鳴らしながら囃します。市内では「よしこの鹽竈」「塩竈甚句」などのパレードや、花火大会も行なわれます。
 
塩竈明神◇宮城県塩竈市一森山1番1号
◇JR仙石線「本塩釜駅」徒歩15分。
◇JR東北本線「塩釜駅」タクシー10分。
◇三陸自動車道「利府中IC・仙台港北IC」車5分
◇HP:
http://www.shiogamajinja.jp/

問い合わせ
◇塩竈みなと祭協賛会 022-364-1165
◇参考HP:
http://www.miyagi-kankou.or.jp/wom/o-4095


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
塩釜市は東日本大震災のひどい被災地です。被災した平成23年も小規模ながらみなと祭りを開催しました。被災した塩釜港は既に復旧していて、今年は沢山の僚船が海上をパレードする壮観な「みなと祭」を見られそうです。
東日本では空梅雨の今年ですが、どうやら夏は猛暑のようです。
お出かけの際には、熱射病対策に帽子と水分を忘れずにお持ちください。

皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月17日「茅ヶ崎、寒川神社 浜降祭」です。■ 
130709_23.jpg相模国一の宮「寒川神社」は、雄略天皇(456~479)の時代に奉幣され、神亀4年に社殿建立と伝えられています。延喜式神名帳によれば、相模国十三社のうち唯一の名神大社とされています。
 
源頼朝、北条義時、武田信玄等の武将や、徳川代々の篤い信仰を受け、千五百年余の歴史を有し、霊験あらたかな古社です。
 
御祭神は「寒川比古命:さむかわひこのみこと」「寒川比女命:さむかわひめのみこと」で、「寒川大明神」と称します。
 
130709_24.jpg古くより関八州の守り神として、また江戸の正裏鬼門を護る社として、地相・家相・方位・日柄・厄年などに由来するすべての禍事や災難を取り除き、家業繁栄・福徳円満な日々をもたらす全国唯一の方位除・八方除の守護神として信仰されます。
 
毎年7月15日に行われていた「浜降祭」は7月の第三月曜日(海の日)に変更されました。茅ヶ崎海岸南湖の浜に、寒川神社の神輿を筆頭に、寒川地区、茅ヶ崎地区の神輿約40基が乱舞します。神輿が海に入り、海水で清められることから「みそぎ神事」とも呼ばれ、毎年十数万人の人出で賑わいます。
 
120713_30.jpg寒川神社
◇神奈川県高座郡寒川町宮山3916
◇JR「宮山駅」徒歩5分
◇「平塚IC」~国道129号経由
◇寒川神社HP:http://samukawajinjya.jp/index.html
◇浜隆祭解説:
http://samukawajinjya.jp/info/in05_08.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
5月の国府祭の神輿が海上に流されて、7月に茅ヶ崎に流れ着いたところから、寒川神社に限らず近隣の神社も参加する「みそぎ神事」とされています。
今年は6月から西日本では大雨が続き、各地で大荒れの天候が続きました。海の日に斎行される降浜祭は天候に恵まれてほしいものです。
筆写敬白

■■7月16日「賽日」「やぶ入り」「えんま詣り」です。■■
130709_25.jpg◇賽日・えんま詣り◇
賽日:さいにち」とは、「藪入り:やぶいり」にあたり、閻魔(えんま)に参詣する日のこと。「閻魔詣り」「十王詣」とも言います。

閻魔王の賽日は「地獄の獄卒も仕事を休み、地獄の釜の蓋もゆるむ日」とされる日。亡者達も責苦を逃れ骨休みになるとされました。奉公人の「薮入り」の日にもあたるので、人々が多く閻魔詣でに行きました。この日、寺院では参詣者に閻魔堂を開帳し「十王図」や「地獄相変図」を拝観させます。

◇十 王◇
十王」とは、人が死後に亡者となって行く冥土で、亡者の罪を裁く十人の王の総称。秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王。閻魔はその中の一王です。


エンマは梵語で「手綱」「制御」「禁止」などの意。閻魔は、人類最初の死者で、その為、大変苦労して天国(極楽)を発見し、そこの王となりました。のちに、そこへ多くの死者がやって来ます。しかし、中には悪い人もいました。そこで冥界に来た死者を裁き、悪い人を地獄へ収容するようになったのだそうです。

◇六 道◇
人の死後、初七日から七日ごとに上の最初の王から順に裁かれ、三十五日目には、最も重要な「六道」(=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の何処に生まれ変わるかを閻魔王が決定します。

130709_26.jpg◇やぶ入り◇
薮入り:やぶいり」とは、正月(15日の小正月を済ませた後)と、7月16日の年2回、奉公人が休暇をもらって実家に帰ることをいいます。

昔は、商家の息子達は口減らしも兼ねて、また商売の修行のために奉公に出ました。家内の工業としては、くず繭の糸紡ぎぐらいで、勤め人になるのは官員になるぐらいでしたので、小学校卒業や高等小学校卒で丁稚(でっち)に出たものです。

正月元日には奉公人も新年を祝いますが、2日から初荷や初売りなどで仕事をする慣わしであるため、奉公人は休みがありません。15日の小正月を済ますと、少々の給金や小遣いを貰い、真新しい着物を身に着けて、主人からの土産を持って実家に帰ります。

両親は、普段の奉公先の苦労を労い、出来るだけのご馳走を作り、休養を取らせます。兄弟姉妹が多い家では「薮入り」に家族が集まって、男も女も子供に帰ったものです。奉公人だけでなく、嫁に出た娘が夫とともに里帰りし、畑仕事の手伝いをするところもあります。

120627_38.jpg薮入りの語義については定説はありません。「藪」というのは「草深い」の意で、都会から草深い村落に帰る意味とか。ひとりぼっちで行き所のない奉公人や、里の遠いところのものが「藪林:そうりん」に入って遊んだのが始まりなどとも伝わります。帰るあてのない者は、藪に入っているほかないからなどとも。

正月と盆の16日は、山の神があたりを歩くので、それに会わぬよう、山仕事も休んで家に籠もっているもの、とされているところもあります。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
平成の現代では丁稚・奉公の習慣が消えつつあります。いつの時代もよい職場 と、よい先輩に恵まれることが大切ですね。
時代は変わっても職場の雰囲気や仕事に対する情熱は、次の世代に伝えて行きたいものです。
暑さ厳しい7月後半です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月16日「京都、松尾大社 御田祭」です。■
110714_11.jpg日本第一醸造之神京都最古の神社「松尾大社」は、式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。旧称松尾神社

本社と、摂末社の四大神・衣手・三宮・宗像(市杵島姫命)・櫟谷(いちたに、奥津島姫命)・月読(月読尊)の各社を併せて「松尾七社」といいます。

平安遷都により皇城鎮護の神として崇敬されるようになり「賀茂の厳神」「松尾の猛神」と並び称されて、崇敬いよいよ加わるに至ります。明治4年に松尾神社として官幣大社に列格し、終戦後は国家管理の廃止により昭和25年に「松尾大社」と改称。

本殿は大宝元年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建。以来皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永4年(1397)建造にかかり、天文11年(1542)大修理を施したもの。建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りは「松尾造り」と呼ばれます。

御祭神は「大山咋神:おおやまくいのかみ」、「中津島姫命:いちきしまひめのみこと」。大山咋神(はたうじ)は古代の氏族で、酒造の技術も日本に伝えたことから、中世(一般的に鎌倉・室町時代)以降は酒造の神としても信仰されるようになりました。

開拓・治水・土木・建築・商業・文化・寿命・交通・安産の守護神。特に醸造祖神として崇敬されています。

120627_30.jpg御田祭」は、室町時代から続く田植えの神事です。毎年7月第3日曜日に行なわれます。植女の姿は、紗を張った「かいばり」(内掛け)を着て、金銀で飾られた花笠をかぶり、紅白ちりめんのたすきを掛け、額には葵の形を白粉をつけ髪に垂らして花櫛を挿し元結を水引で結んでいたとされています。

3人の植女が壮夫と腰元を従え、本殿の祭儀に参列、神職から早苗を受け斎庭に出て、壮夫の肩に乗り先駆の素袍二人と鍬持ち二人、その他を従えて拝殿を3周します。その後、持っていた苗を撤布すると、見物人たちは競ってこれを取って持ち帰り、田の虫除けにしたと伝わります。

松尾大社
◇京都府京都市西京区嵐山宮町3
◇阪急嵐山線「松尾駅」徒歩3分
◇JR「京都駅」バス
案内HP
http://www.matsunoo.or.jp/index-1/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
松尾大社はお酒の神様として有名です。御田祭は各地で開催される春から夏にかけての祭礼です。松尾大社のお田植え祭は時期が遅い祭礼といえます。
一説には日本古来の米、赤米は成長が早く田植え時期が遅かったらしいといった説と、梅雨が明けないと田植えが出来なかったといった説があります。どちらにしても古くから日本人と稲作は、深い関係にあることがわかります。
近年では食物に感謝をしない方が増えてきました。感謝をしてこそ御飯です。食べるだけなら単なる餌でしょう。松尾大社御田祭を機会に、毎日の食事が出来ることに感謝しましょう。
暑さ厳しい折、体調管理にご注意なさってください。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月15日「山形、出羽三山 花祭」です。■
110714_2.jpg出羽三山」とは、出羽国(でわのくに)羽黒山・月山・湯殿山の3つの山の総称です。

今から4千年前、都から第32代崇峻天皇の皇子「蜂子皇子」は、霊鳥に導かれて出羽山に登られました。難行苦行の末、推古天皇元年(593)「伊氏波神」を山上に鎮座。「出羽三山神社」が建てられました。

出羽三山神社:でわさんやまじんじゃ」は、月山頂上に「月山神社」、羽黒山頂に「出羽神社:いでわじんじゃ」、湯殿山の中腹に「湯殿山神社」が鎮座され、これを合わせて出羽三山神社と呼んでいます。

出羽三山神社の御祭神は、月読命・伊氏波神・稲倉魂命・大己貴命・少彦名命・大山祇命。摂社:五十猛神社・大年神社・厳島神社・蜂子神社・天有社。他、広大な境内には百一末社と呼ばれる神々の社に八百万の神々が祀られています。

120627_29.jpg皇子の修行の道は、後に「羽黒派古修験道」として発展し、出羽三山信仰の根本になっています。太古より今なお神々の息吹に深く包まれる三山は、山岳信仰・修験の霊場として名高く、人々の篤い信仰を集めています。

花祭り」は、毎年7月15日に行われる出羽三山神社の例大祭で、五穀豊穣・家内安全を祈願する祭り。

三山(月山神社・出羽神社・湯殿山神社)の神輿が、鏡池の周りを練り歩き、稲の花を模った造花をつけた梵天が神輿行列に加わります。神前に供えられた花は、魔除け・豊作のお守りと言われ、霊験あらたかとされる献灯の花を参拝者が奪い合い、祭りは最高潮に達します。

出羽三山神社
◇山形県東田川郡羽黒町大字手向字手向7
◇JR羽越本線「鶴岡駅」バス
◇公式HP
http://www.dewasanzan.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
電気やガスなどが無かった頃には、ろうそくと囲炉裏でした。自然と共に生きるエコ生活だったのでしょう。今年の夏も節電が、福島原発事故以来の夏の習慣になっています。
7月15日は新暦のお盆の中日です。この時期、古神道、陰陽道を基本にした修験の祭礼が各地で催されます。
今年は猛暑との予報です。節電で更に暑い夏になりそうです。お出かけになる方は、水分補給と熱射病予防に帽子を忘れずにお持ち下さい。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月15日「勤労青少年の日」です。■
130720_1.jpg毎年7月第3土曜日は「勤労青少年の日」です。
働く若者の福祉の向上について、広く国民の関心と理解を深めるとともに、働く若者が日本の未来を担う社会人、職業人として成長しようとする意欲を高めるために設けられました。

「その国の未来を見んとすれば、その国の若者を見よ」と言われるように、若者は社会の宝であり未来です。若者を取り巻く環境は依然として厳しい状況が続いています。さらに心配なのが、少子高齢化によって若者自体が社会の少数派となり若者への関心や支援の意識が低くなっているという社会的風潮があります。私たちは「社界全体で若者を守り、育てる」という意識に立ち戻り、若者に本当に必要なサポートとは何かについて考え、出来ることから実行することが求められています。

「勤労青少年の日」は勤労青少年福祉法第5条によって、毎年7月の第3土曜日と定められています。 

平成29年、勤労青少年の標語:『 創造と 知恵が育てる 夢の種 』

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
近隣諸国が景気のあおりを受けている中、日本は景気がが僅かながら浮揚し、近年は学卒者の就職事情も好転しています。
このまま安定した景気の中、雇用の安定を保って欲しいものです。
季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月14~16日「小倉祇園太鼓」です。■
120709_32.jpg小倉祇園太鼓:こくらぎおんだいこ」は、福岡県北九州市小倉北区で行なわれる祭で、毎年7月に行なわれます。「祇園社の祭り」のひとつで、福岡県内では「博多祇園山笠」「戸畑祇園大山笠」とともに「福岡県の三大祇園祭」と称されています。

豊前小倉藩初代藩主「細川忠興」の「小倉城」築城に伴い、祇園祭が発祥です。当初は博多と同様の山笠の祭りでしたが、明治時代に現在の太鼓を打ち鳴らす祭りへと変化しました。

120709_33.jpg山車の前後に一つずつ太鼓をのせ、打ち手4人が「ジャンガラ」と呼ぶ鉦にあわせて両面から打ち、合いの手は「ヤッサ、ヤレヤレ」と声をかけます。太鼓を打ち鳴らしながら町内を練り歩く勇壮な祭です。その独特な発展をした祇園太鼓は、昭和33年、県指定無形民族文化財に指定されました。

年配の方は記憶にある小説の富島松五郎伝が、映画「無法松の一生」として全国的に有名になりました。

祇園太鼓の開催は7月第3土曜日をはさむ前後3日間です。小倉祗園太鼓競演大会は土曜日の16~19時、小倉城大手門前で行なわれます。

開催地
◇小倉北区小倉都心一帯
◇JR「小倉駅」より

■7月14日「熊野、那智大社 扇祭」です。■
130709_20.jpg那智の火祭:なちのひまつり」は、正式には「扇会式:おうぎえしき」といいます。「扇祭:おうぎまつり」とも。毎年7月14日に行われる「熊野那智大社」の例大祭のことで、豪壮な松明の燃え盛る御火の神事から「火祭り」と名付けられました。

この祭は、御遷宮御鎮座を偲ぶ神事、神霊を振い起す神事、万物の生成発展を祈る神事です。

別宮「飛瀧神社:ひろうじんじゃ」の参道で行われる御火神事で使われる大松明の重さは約50㎏、桧の割板を桶のように輪締めにしたもので、12体奉製されます。

130709_21.jpg

祭の主体「扇神輿」は、幅1m、長さ6m程の細長い框(かまち)に、赤緞子(どんす)を張り、金地に朱の日の丸を描いた扇を組み合わせ、9ヶ所に計32本、白銅鏡八面、それに「光」「蝶の鬚」「緑松」「桧扇の花」などを飾り付けます。それは「那智の大瀧」を表しています。

神武天皇が熊野灘から那智の海岸「にしきうら」に上陸されたとき、那智の山に光が輝くのを見て、この大瀧をさぐり当てたとか。これを神として祀り、その御守護のもと、八咫烏の導きによって無事大和へ入ったと伝わります。

命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、熊野に住む人々も神武天皇御東征以前からすでに神として奉祀されていたとも伝わります。つまり、滝自体が御神体です。古代よりこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大國主命)を祀り、また、親神である「夫須美神」(伊弉冉尊)が祀られます。

120627_28.jpg全国から沢山の人々が熊野を目指すさまは「蟻の熊野詣」と言われるほど。皇室の尊崇厚く、延喜7年(907)宇多上皇の御幸をはじめ、後白河法皇は34回、後鳥羽上皇は29回もご参詣の旅を重ねられたほどです。また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたという記録が残っています。


熊野」という地名は「隈の処」という語源から。ここは奥深い処「神秘の漂う処」という。「クマ」は「カミ」と同じ語で「神の野」に通じる地名ということにもなります。その「神の里」に詣で、漂う霊気にひたり、神々の恵みを得ようと、古代から多くの人々が熊野、那智山へ参詣されています。

熊野那智大社
◇和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
◇JR紀勢本線「紀勢勝浦」バス30分
熊野那智大社
http://www.kumanonachitaisha.or.jp/

 

■7月14~16日「佐原の大祭」です。■
120705_50.jpg佐原の大祭は「佐原祇園祭」で、千葉県香取市(旧佐原市)で行われる祭りです。本宿地域の守護
神を祀る「本宿八坂神社」の祇園祭り「本宿祭」が佐原の大祭です。

祇園祭:ぎおんまつり、ぎおんさい」は、祇園神「素戔鳴命:すさのおのみこと」を祀る「祇園神社」に奉納される祭礼です。「祇園会」「祇園御霊会」とも。貞観11年(869)疫病退散を祈願して御霊会を行ったのが起源とされています。

120627_24.jpg佐原の大祭」夏祭りと秋祭りは、国の指定重要無形民俗文化財です。関東三大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有します。日本三大囃子「佐原囃子」の音を町中に響かせながら、小江戸と呼ばれる町並み(国の選定重要伝統的建造物群保存地区)の中を巡行するさまは江戸時代の情景を彷彿とさせます。

130709_22.jpg山車は総欅造りの本体に、関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には江戸や明治期の名人形師によって制作された大人形などが乗せられます。毎年30万人を超える人出で賑わいます。

八坂神社
◇千葉県香取市佐原イ
◇JR成田線「佐原駅」徒歩15分
◇参考HP:
http://www.sawara.com/tera/yasaka/yasaka.htm
◇文化庁Web:http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=302&item_id=767

■7月14日(旧閏5月21日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。
経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■7月13日「東京、靖国神社 みたま祭」です。■
110707_21.jpg靖国神社:やすくにじんじゃ」は、日本が関係した戦争に於いて、朝廷や
政府側で戦没した軍属らを含む軍人を、祭神として祀る神社です。靖国神社は神社本庁には属していない東京都知事認証の単立神社(単立宗教法人)です。

明治2年(1869)「東京招魂社:とうきょうしょうこんしゃ」として創建されましたが、明治10年の西南戦争をきっかけに「神社」として定まりました。

明治初期には、多くの内乱が起こりました。その原因は、徴兵令地租改正条例にあるといわれています。内乱の中で最も規模が大きく、内乱の最後となったのは、西郷隆盛率いる旧薩摩藩の士族達が起こした「西南の役」。この内乱の原因になったのは「廃刀令」で、国民皆兵を原則とした徴兵令によって、軍人・武士としての「士族達の特権」が奪たからです。
 
120627_21.jpg西郷隆盛達が鹿児島から熊本城へ向かった軍勢は、およそ1万5千。対し迎え撃つ新政府軍は、6万8千余名にも及びました。

東京招魂社は、明治12年6月4日「別格官弊社」に加えられ、「靖国神社」と改称しました。西南戦争を経て、国家的統一を確かなものにするために、命を落とした新政府の兵隊たちの霊を合祀しました。この時から招魂社は「国を靖(安)んずる場」靖国神社へと変わっていったのです。それからちょうど10年後の明治22年2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。

靖国神社は、「吾以靖国也」(吾以つて国を靖んずるなり)を典拠として明治天皇が命名したものです。

120627_22.jpg盆の行事に因んで始まった「みたままつり」は、7月13~16日に行われます。この期間中は午前6時~午後10時まで参拝可能。盆踊りや軒を連ねる夜店の光景も、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年多くの参拝者で賑わいます。

境内には大小の提灯が並び、各界名士の揮毫による懸雪洞(かけぼんぼり)が掲げられます。本殿では、英霊(えいれい=優れた働きをした人の死霊に対して敬意を込めて使う言葉)を慰める祭儀が執り行われます。また、日本舞踊・能などの奉納行事が行われます。

靖国神社
◇東京都千代田区九段北3-1-1
◇地下鉄「九段下駅」徒歩5分
◇靖国神社公式Web:
http://www.yasukuni.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
夏になると何かと物議をかもし出す靖国神社です。集団的自衛権論議で靖国問題が取りざたされています。また、近年では昭和天皇が「先の大戦」と称していた「大東亜戦争」の、英霊に敬意を表するような機会はまずありません。7月の「みたま祭り」を機会に英霊や戦没者を顧みましょう。
今日から新暦でのお盆に入ります。戦没者に限らず先祖の功績を振り返るときです。
今年も節電で蒸し暑い日が続きます。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月12日「初伏(しょふく)」です。■

120627_41.jpg初伏:しょふく」・「中伏:ちゅうふく」・「末伏:まっぷく」の3つを総称して「三伏:さんぷく」といいます。陰陽五行説に基づく選日で、日本最古の「具注歴」にも記載された暦注です。

夏至以降、第3回目の「庚の日」を「初伏」、4回目の庚の日を「中伏」、立秋以降の第1回目の庚の日を「末伏」とする方法が一般的です。

また、夏至以降の第3.4.5の庚の日をそれぞれとする方法、さらに6月節小暑後の第1.2.3をそれぞれとする方法があります。いずれも、起算日が庚の日ならばその日を第1日目とします。

五行説で「:かのえ」は「金の兄」で「金性」です。夏は「火性」が盛んですから、金は火に伏せられて(火尅金)この日を「凶」すなわち善くない日とするのです。

この日は、種蒔き・療養・遠行・婚姻・男女の和合などは慎むべき日とされています。

110711_2.jpg新暦では、7月中旬から8月上旬にかけて三伏が入ります。この頃

は酷暑期にあたるため「三伏の候」「三伏の猛暑」などと手紙の前文に書かれるなど、酷暑の候を表す言葉として現在も用いられています。


韓国では、この時期を「三伏暑:さんぼつ」と呼んでいます。韓国では日本での「土用の鰻」同様、犬肉や参鶏湯を食べる風習があります。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
次週7月19日からは「夏の土用」で、丑の日は7月30日です。今年は鰻が少なく高騰しそうな報道です。そこにきて、クーラー設定温度は今年も28度で、体力を消耗する暑い夏です。暴飲暴食で体力が落ちないように、やや高価でも鰻を食して、滋養強壮に心がけましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月12日「福島、伊佐須美神社 お田植祭」です。■
120625_35.jpg会津の総鎮守「伊佐須美神社:いさすみじんじゃ」の主祭神は、「伊弉諾尊:イザナギ」「伊弉冉尊:イザナミ」「大毘古命:おおびこのみこと」「建沼河別命:たけぬなかわわけのみこと」です。

崇神天皇10年(紀元前88年)※四道将軍・大毘古命と建沼河別命の親子は、蝦夷を平定するため北陸道と東海道に派遣されました。出会った土地を「会津」と名付け、天津嶽山頂に国土開拓の祖神として「諾冉二神」を祀ったのが起源と伝わります。
 
120625_36.jpg四道将軍(しどうしょうぐん)=日本書紀に登場する皇族(王族)の将軍のこと。「おおびこのみこと」「たけぬなかわわけのみこと」「きびつひこのみこと」「たんばみちぬしのみこと」の4人。それぞれ、北陸、東海、西道、丹波に派遣されました。「教えを受けない者があれば、兵を挙げて伐つように」と、将軍の印綬を授けられました。

伊佐須美神社は嗣喉、移転を繰り返し、欽明天皇13年(552)に現在地に遷座。「大毘古命」「建沼河別命」を合祀したとされています。境内には、東北一の広さを誇る「あやめ苑」があり、約150種10万株のあやめを見ることが出来ます。

120625_37.jpg

田植祭」は、五穀豊穣を祈願する神事ののち、水に恵まれ無事田植えができたことを感謝し、豊かな秋の実りが得られますようにと祈願する祭りです。この日は「農休み」といって、田植えだけではなく、畑も含め、春の仕付けを無事すませたことに感謝するとともに、忙しく働き疲れた体を休める日でもありました。

伊佐須美神社
◇福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377
◇JR「会津高田駅」徒歩15分
参考HP:
http://www.aizu-reichi.gr.jp/isasumi/saiji.html


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
蒸し暑い日が続きます。水分補給が熱射病の回避につながると報道されています。健康管理にはくれぐれもご注意をなさって下さい。
筆者敬白

■7月12日「大阪、生国魂神社夏祭」です。■
120625_33.jpg生國魂神社:いくくにたまじんじゃ」は、生島大神・足島大神を主祭神とし、相殿に大物主大神を祀ります。式内社。旧社格は官幣大社。難波大社(なにわのおおやしろ)とも。地元では「いくたまさん:生玉さん」と呼ばれ、親しまれています。

神武東征の折、難波津に上陸した神武天皇は、国土の神である「生島神」「足島神」を現在の大阪城付近に祀ったのが始まりと伝わります。当初より、大八州の神霊として、国魂(くにたま)信仰の本宗と仰がれています。

120625_34.jpg国魂(くにたま)=神道の観念の一つ。国(令制国)または、国土そのものを神格化したもの。

宮中では「生島巫:いくしまのみかんなぎ」によって祀られ、歴代の天皇即位の際に「国家の祭祀」として二神を祀る「八十島祭」が行われました。

生玉夏祭」は、大阪三大夏祭の一つとして知られます。7月11・12日、神輿、獅子舞、枕太鼓などが、生国魂神社から大阪城、お旅所に巡行します。大阪の繁栄を祈願する祭りです。

110707_16.jpg※大阪三大夏祭り:天王寺区、生国魂神社の「夏祭り」、北区、大阪天満宮の
「天神祭」、住吉区にある住吉大社の「住吉祭」が大阪三大夏祭りです。また一説には愛染堂 勝鬘院の「愛染まつり」を加えます。


生国魂神社
◇大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
◇近鉄「上本町」徒歩3分
◇参考HP:http://www12.plala.or.jp/HOUJI/jinja-1/newpage208.htm

 

■7月11日「草市」です。■
110707_20.jpgお盆が近づくと関東各地では、お盆に使う飾り物や盆踊りの用品を売る市が立ちます。古くは13日早朝(迎え盆の朝)が盛んでしたが、次第に12日の夜が賑わうようになりました。地域によっては盆市、花市とも。
 
盆提灯、灯籠、花茣蓙、経木、蓮の花や、飾り物の牛馬用に苧殻・なす・きゅうり、果物など。盆花用の禊萩・桔梗・女郎花・萩・ほおずきも並びます。

120625_32.jpg

12日の夜は、秋の草や花が市に並び、その光景が昔の武蔵野の風情を思い出すことから、いつしか「草の市」と呼ばれるようになりました。
 
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
最近では、日々の忙しなさから、お盆を簡略化する方々も多いようです。お盆は先祖の霊を慰める大切な行事です。
子育てや仕事、学業などに忙しくても、今日生きていることに感謝してお盆の時期、命のつながっている
先祖に手を合わせましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月9日「東京、浅草観音 ほおずき市」です。■
120625_30.jpg東京都内最古の寺院、金龍山「浅草寺:せんそうじ」の本尊は聖観世音菩薩。もともと天台宗に属していましたが、戦後独立して聖観音の総本山となりました。
 
ほおずき市」は、古くから朝顔市とともに夏の風物詩として下町の人々に親しまれてきました。由来は、源頼朝が奥州征伐の帰り、浅草で軍勢を休ませ、日射病で倒れた兵士にほおずきの実を食べさせて元気づけた、という言い伝えによるものです。
 
浅草寺http://www.senso-ji.jp/
◇東京都台東区浅草2-3-1
◇都営浅草線・銀座線・東武鉄道「浅草駅」徒歩7分

■7月10日「東京、浅草観音 四万六千日」です。■
120625_31.jpg東京都内最古の寺院、金龍山「浅草寺:せんそうじ」の本尊は聖観世音菩薩。もともと天台宗に属していましたが、戦後独立して聖観音の総本山となりました。
 
四万六千日」は、浅草寺の縁日で、「千日詣:せんにちもうで」「千日参:せんにちまいり」とも。この日に参拝すれば、四万六千日参詣したのと同じ御利益や功徳があるといわれます。京都の清水観音で初めて行われ、その後全国に伝わりました。浅草寺の他に、護国寺、愛宕神社の千日詣が有名です。

推古天皇36年(628)3月18日未明、宮戸川(現・隅田川)に投網漁をしていた漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の網に一体の仏像がかかりました。それを拝した兄弟の主人・豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、観音像を奉安して礼拝供養に勤めました。

大化元年(645)勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立し、夢告にて本尊は秘仏と定められ、武蔵国の観音信仰の中心地となりました。

平安時代初期の天安元年(857)延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)の巡拝により伽藍の整備と「お前立ち」(秘仏の代わりに拝するための像)を造りました。

120627_20.jpg雷門」「仁王門」は、天慶5年(942)安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に創建したと伝わます。

江戸時代後半には、境内に商店や芝居小屋が設けられ、大道芸人が集まるという庶民の娯楽的役割も果たしていました。明治初期には境内が公園地に指定され、表参道に「仲見世」が整備されました。

浅草寺は観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」などと称されます。都内では唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)です。また、浅草寺は「あさくさでら」と親しまれています。江戸三十三箇所観音霊場札所1番です。

四万六千日の縁日に合わせて「ほおずき市」が立ちます。境内にはヨシズ張りの露店が軒を連ね、ほおずき、金魚、風鈴などが売られ、風情ある光景が見られます。
ほおずき市は、古くから朝顔市とともに夏の風物詩として下町の人々に親しまれてきました。
由来は、源頼朝が奥州征伐の帰り、浅草で軍勢を休ませ、日射病で倒れた兵士にほおずきの実を食べさせて元気づけた、という言い伝えによるものです。
 
浅草寺http://www.senso-ji.jp/
◇東京都台東区浅草2-3-1
◇都営浅草線・銀座線・東武鉄道「浅草駅」徒歩7分

◇ ◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇ ◇
東京の夏の風物詩、浅草寺ほおずき市と浅草観音の縁日、千日詣です。この季節になると下町でも浴衣や甚平姿をよく見かけます。ほおずき市、縁日で市が立つと夏本番を感じさせます。
体調管理が難しい時期です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
 

■7月9日「鴎外忌」です。■
110707_10.jpg森鴎外:もりおうがい」は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、医学者、軍医、官僚。夏目漱石と並ぶ文豪です。本名は、林太郎(りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部卒。※鴎外=正しくは「鷗(U+9DD7)」


代々津和野藩主・亀井公の御典医をつとめる森家に、文久2年(1862)誕生。祖父と父は婿養子として迎えているため、久々の跡継ぎ誕生でした。

幼い頃より論語孟子オランダ語などを学び、藩校では四書五経を復読。当時の記録に「9歳で15歳相当の学力と推測」とあり、激動の明治維新に家族と周囲から将来を期待されていました。


廃藩置県等をきっかけに10歳で父と上京。官立医学校への入学に備えてドイツ語を習得するため、私塾の進文学社に通い、ドイツ人学者にドイツ語で反論して打ち負かすほど語学に堪能でした。著作ではドイツ語やフランス語などを多用しており、また中国古典からの引用も少なくありません。

140701_22.jpg大学卒業後は陸軍軍医、ドイツに4年間留学し、帰国後に訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表し、また自ら文芸雑誌「しがらみ草紙」を創刊して文筆活動に入ります。
その後、軍医総監となり一時期創作活動から遠ざかりますが、「スバル」創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「」などを執筆。「興津弥五右衛門の遺書」発表後は、「阿部一族」「高瀬舟」などの歴史小説、史伝「渋江抽斎」を書いています。
帝室博物館(現・東京国立博物館、奈良国立博物館、京都国立博物館)の総長、帝国美術院(現・日本芸術院)初代院長なども歴任しています。

大正9年(1920)に腎臓を病み、大正11年7月9日午前7時に死去。東京墨田区の向島弘福寺に埋葬。昭和2年(1927)三鷹市禅林寺に墓が移されました。津和野町永明寺に分骨の墓があります。毎年この日「鴎外忌」が行われます。

弘福寺
◇東京都墨田区向島5-3-2
禅林寺
◇東京都三鷹市下連雀4-18-20
◇禅林寺公式Web:http://www.zenrinji.jp/

■7月9日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

120125_15.jpg一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
年に4~5回しかない「天赦日」と重なる「一粒万倍日」は、特に良い歴注です。建前、決断、契約、旅立ち、の他に手習い、開店、事始めには最適の日です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月7日「成田不動尊 祇園会」です。■
120625_27.jpg成田山新勝寺:なりたさん しんしょうじ」は、天慶3年(940)寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)によって開山された「真言宗智山派の大本山」です。

弘法大師が自ら敬刻開眼された「ご尊像」を本尊とし、大師が奉修された真言密教の護摩法の正系を伝えています。

寛朝大僧正は、朱雀天皇より「平将門の乱平定」の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された不動明王を奉持。難波の津の港(現・大阪府)より海を渡って東上、尾垂ヶ浜(現・千葉県山武郡横芝光町)に上陸し、更に陸路を成田の地に至り、「平和祈願の護摩」を奉修して成満しました。

110705_2.jpg大任を果たした大僧正は都へ帰ろうとしましたが、不思議なことにご尊像は動かず、「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」との霊告が起こります。これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与。東国鎮護の霊場「成田山」が開山されました。

祇園会:ぎおんえ」は、奥之院に祀られる本尊「不動明王」の本地仏である「大日如来」に、五穀豊穣、万民豊楽をはじめ諸願成就を祈願する成田山奥之院の祭礼です。300年の伝統がある夏祭で「成田祇園祭」とも称さます。大日如来の御輿を先頭に、山車や屋台などが華やかに巡行します。

120625_28.jpgお不動さま」は「大日如来の化身」です。煩悩や迷いを鎮め、障り、災難を払うために恐ろしい姿をしています。またどんな所へでも出向き、すべての人を救済するため「奴僕:ぬぼく」の姿を示しています。

右手には、悟りを開くための智慧を表す「利剣」を持ち、心のあらゆる迷いを断ち切ります。左手に持つ「:なわ」は、仏教の教えに背く人を膝元に引き付けて、正しい教えの道に導くためです。

成田山新勝寺
◇千葉県成田市成田1
◇JR成田線・京成「成田駅」徒歩10分
◇公式Web:
http://www.naritasan.or.jp/
◇祇園会Web
http://www.naritasan.or.jp/naritasan%20gione.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
新勝寺の夏祭りです。祇園祭りが新勝寺で祇園会として300年もの間、受け継がれているのには神仏習合の時代のなごりでしょう。
山車も神輿も他の神事にそっくりです。暑さが本格的になって来ていますが、観光にはよい時期です。
これから、むし暑さも本番です。
夏風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程

筆者敬白

■7月7日「奈良、吉野蛙とび」です。■
吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は、古くは「金峯山:きんぷせん」と称する修験道の聖域でした。

120625_25.jpg7世紀後半、この金峯山に役行者(えんのぎょうじゃ)神変大菩薩が修行に入り、「本尊・金剛蔵王大権現」を得ました。この姿を桜に刻み、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と、山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀したことが金峯山寺の開創と伝わります。

「蛙とび」とは、仏罰を受けた男がカエルの姿に変えられ、改心して人間の姿に戻るまで再現した行事です。

130627_23.jpg◇蛙飛び物語り◇
金峯山蔵王権現の修験道神力を侮った男が、大鷲にさらわれ山麓の断崖絶壁に置き去りにされて震えていました。見咎めた高僧が絶壁から降り易いようにと、男を蛙の姿に変えたところ無事に救われ、最後には導師の授戒によって、無事に人間の姿に戻ったという「蛙飛び」伝説に基づいた行事です。

金峯山寺
◇奈良県吉野町吉野山
◇近鉄吉野線「吉野駅」ロープウェイ「吉野山駅」徒歩10分
◇公式Web
http://www.kinpusen.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
金峯山寺で7月7日に行われる「蛙飛び」は大青蛙を乗せた太鼓台が蔵王堂へ練り込み、法要の後、蛙飛びの作法が行われます。

Webには見物した人のコメントなどが多数掲載されていて、天気が良ければ観光には好い季節です。
これからが夏です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年7月7日「小暑(しょうしょ)」です。◆
130627_22.jpg7月7日06時51分「小暑」です。旧暦6月、未(ひつじ)の月の正節で、新暦7月7日頃。天文学的には、太陽が黄経105度の点を通過するときをいいます。

梅雨明けが近づき、暑さが本格的になる頃で、「暦便覧」には「大暑来れる前なればなり」とあります。

夏至を境に日足は徐々に短くなりますが、日々それほど実感できません。夏の太陽が照り付けて、暑さは日増しに加わってきます。

小暑の日から「暑気」に入ります。小暑から立秋までの間が「暑中」で「暑中見舞い」はこの期間に送ります。

梅雨明け前の集中豪雨に見舞われることも多いので、注意が必要です。蓮の花が咲き始め、鷹の子が巣立ちの準備を始め、が鳴き始めます。

120609_41.jpg◇◇ 七 夕 ◇◇
古く中国から伝来した暦注です。
当時は女の子が縫い物やお習字の上達をご祈願したお祭で、平安時代には宮廷行事でした。
七夕祭りの行事が広がったのは江戸時代です。穢れ(けがれ)を祓う信仰と結びついたものが現在の七夕の原型で、短冊に短歌や願い事を書く習慣は文字が上達するようにと願うものです。

◆◆「七十二侯」◆◆
初候温風至」(おんぷう いたる):暖かい風が吹いて来る。
◇暑い風が吹いて来る時節。 
次候蓮始開」(はす はじめて はなさく)
◇蓮の花が開き始める時節。 
末候鷹乃学習」(たか すなわち がくしゅうす)
◇鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える時節。

120609_42.jpg ◆◆「7月の花」◆◆
☆「朝顔」あさがお
開花時期は7月1日~10月10日頃。

原産は中国で、平安時代に日本に渡来しました。朝のうちだけ開花するので「朝顔」と呼ばれますが、日陰に咲くものは夕方まで咲き続けることもあります。

古代中国では高価な薬として牛と取引されたほどです。漢名を「牽牛」とする所以です。漢方では現在でも種子を下剤や利尿剤として使われています。

花言葉は「愛情」「平静」「結束」「短い愛」「はかない恋」など。

-----------------------------------------------
☆「半夏生」はんげしょう
Saururus の語源は、ギリシャ語の「sauros(トカゲ)+ oura(尾)」。トカゲの尾のような穂状の花を咲かせます。半夏生の頃になると、葉がペンキを塗ったかのように白くなることからそう呼ばれます。

花の時期に葉が白くなるのは、虫を誘うためで、夏が終われば葉はもとの緑色に戻ります。

「半化粧」「片白草」とも呼ばれます。開花時期は、7月1日~20日頃。山の水辺に群生することが多いですが、都会でも時々植えられてるのを見かけます。

------------------------------------------------
☆「鬼灯」ほおづき
花びらは五角形で、開花時期は6~7月。

オレンジ色の実の中に、オレンジ色の球体があり、これが本当の実です。「ほおつき」(頬突き)は、子供が口に入れて鳴らす頬の様子から名前がつきました。「鬼燈」「酸漿」とも書きます。
花言葉は「心の平安」「不思議」「自然美」「いつわり」。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
暦の上では今日から7月節です。
梅雨明け宣言が九州や沖縄から次第に北上してきました。今年は冷夏とも猛暑とも言われますが、近年の気象の変化は予報が過去のデータからだけでは難しいく、温暖化の影響なのかもしれません。

今日は7月7日「七夕」です。これから本格的な夏がやってきます。悪性の風邪が流行るとの注意喚起もあり体調を崩すと長引くようです。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月7日「七夕(たなばた)」です。■
120625_22.jpg七夕:たなばた・しちせき」は、五節句のひとつで、7月7日の称。旧暦7月7日の夜のことをいいます。七夕祭、星祭。日本、中国、越南(ベトナム)、朝鮮、台湾などにおける節供、節日になっています。
日本では、明治改暦以降は7月7日、または月遅れの8月7日に七夕祭りが行われます。

中国暦においては7月は秋の最初の月「孟秋:もうしゅう」で、7日は上弦の月となります。初春=孟春、初夏=孟夏、初秋=孟秋、初冬=孟冬。七夕は、秋の季語となります。

120625_23.jpg七夕の行事にはいくつかの流れがあり、それらが複合して七夕の習慣が出来上がったと考えられています。古くは「棚機」と書きました。一般的に「七夕:しちせき」を「たなばた」と発音するのはその名残です。もともと中国の行事で、日本には奈良時代に伝わり、日本の「機織津女:たなばたつめ」の伝説と習合して生まれました。

◆七夕の起源(1)◆
◇お盆・乞巧奠の習合◇
日本古来の豊作を祖霊に祈る祭礼の「盆・ぼん」に中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う「乞巧奠・きこうでん」などが習合したものと考えられています。もともと盆の行事の一部が独立した行事になったのもで、笹には「精霊(祖先の霊)」が宿るといいます。

◇「棚機津女の伝説」(古事記)◇
120625_24.jpg棚機津女の伝説は、村の災厄を除いてもらうため水辺で神の衣を織り、神の一夜妻となるため機屋で神の降臨を待つ棚機津女という巫女(みこ)の伝説です。

この伝説と乞巧奠の行事が結びつき、奈良時代に宮廷や貴族の行事になり、やがて民間にも普及し、女子が裁縫の上達を祈る星祭の行事として続いてきました。

笹竹を立て、五色の短冊に詩歌を書いたりして、習字や裁縫など手習い事の上達を願う習俗は、寺子屋が普及した江戸時代になってからのことです。


◆七夕の起源(2)◆
もう一つの流れは、7月の盆の先祖祭の前に、穢れを祓い清める行事。なので、七夕の日には水浴を大切な行事とした所が多く、髪を洗ったり、子供や牛馬に水浴びをさせたり、墓掃除をしたり、井戸をさらったりする風が残されています。水浴びを「ねむり流し」「ねぶた流し」ともいいました。

青森で行われる「ねぶた祭り」も、本来は穢れを水に流す「禊の行事」でした。ねぶた(ねぷた)は「眠たさ」のことで、睡魔を追い払う行事です。秋田の「竿灯」も七夕祭の一つです。


■■「織女・夏彦、七夕物語」■■
昔、中国の漢水のほとりに、織女(しょくじょ)という機織の上手な美しい娘が住んでいました。織女は天帝の自慢の娘でした。天帝は、娘が年頃になったので、農耕に熱心な夏彦を婿に迎えてやりました。

ところが、夫婦となった二人は夫婦生活が楽しく、織女は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなってしまいます。怒った天帝は夏彦を漢水の対岸へ追放してしまいました。

毎日泣き続ける織女を可愛そうに思った天帝は、年に一度、7月7日だけ、夏彦が逢いに来ることを許しました。その日が来ると、夏彦は漢水を渡って織女に逢いに行きました。

しかし、7月7日に雨が降ると漢水の水かさが増し、川を渡る事が出来ません。二人を哀れんで無数のカササギがやってきて、橋を掛けてくれるのでした。

※カササギ=烏科の雑食。全体は黒色で胴は白色、尾が長いのが特徴です。唐津、伊万里を除く佐賀県全域と福岡県の一部が、生息地として天然記念物に指定されています。

110705_1.jpgこの物語の「織姫星」「織女星」は「こと座(琴座)」の一等星「ベガ」に、「夏彦星」「彦星」は牽牛星わし座の「アルタイル」に、「漢水」は「天の川」に移して考えられるようになりました。一等星ベガは他の一等星とともに夏の第三角形を形成します。

7月7日は梅雨の時期なので雨の日が多く、七夕に降る雨を「酒涙雨・さいるいう」といい、織姫と彦星が流す涙と伝えられています。

祭りは7月6日の夜、つまり7月7日早朝に行われます。殆どの神事は「夜明けの晩」=午前1時に行われるのが常です。午前1時頃には天頂付近に主要な星々が上り、天の川・牽牛星・織女星が最も見ごろになる時間帯です。

短冊に願い事を書き、葉竹に飾ることが一般的で、この風習は江戸時代から始まったもので日本独特のものです。因みに織姫と彦星が願いを叶えてくれるわけではありません。短冊に書く願い事は「手習い事の上達祈願」が本当です。

五色の短冊」は、陰陽五行説の五色で、青・赤・黄・白・黒の5色です。中国では短冊ではなく、五色の糸を吊るします。海の近くでは、短冊を飾った笹を7月6日に飾り、翌7日に海に流すなどの風習もあります
130627_21.jpg
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
東日本大震災で「東北三大祭り:七夕・竿灯・ねぷた」が脚光を浴びました。以後は三大祭りが拡張して「東北六魂祭り」を改め「東北絆まつり」として互いに励ましあっています。

思い起こせば明治維新のとき、徳川幕府に忠誠を尽くし、奥州同盟と称して新政府に叛旗翻していた東北の各藩は、東日本大震災でまた一致団結しました。
明治維新当時、新政府は当時の会津藩を他藩の見せしめの為に、完膚なきまで叩き潰し、幼少の子孫まで自害に追い込みました。後世に伝わる「白虎隊」です。
奇しくも事故のあった福島原発が会津藩のある福島県とは何かの因果怨念でしょうか。

体調管理の難しい時期です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月6~8日「東京、入谷朝顔市」です。■
110702_2.jpg入谷の鬼子母神」で知られる真源寺の境内。ここに朝顔市が立ち、東京下町の夏の風物詩となっています。

「真源寺」は法華宗本門流の寺院で、鬼子母神を祀、下谷七福神江戸三大鬼子母神の一つとして有名です。「おそれ入谷(恐れ入りや)の鬼子母神」という狂歌の洒落もあり、

「びっくり下谷の広徳寺」「おそれ入谷の鬼子母神」「情け有馬の水天宮」「何だ神田の大明神」

とかけ言葉が江戸時代より口伝で伝わります。

江戸時代後期頃から、真源寺のある入谷界隈では
朝顔栽培がとても盛んでした。明治に入り入谷界隈の栽培農家数十件が軒を連ねて出来栄えを披露しました。これが、鬼子母神のある入谷の朝顔市の起源と伝わります。


120625_20.jpg朝顔のシーズンになると、当時の入谷界隈には朝顔を見物しに、多くの人でごった返したと記録が残ります。朝顔は観賞用として栽培されてされていたので、そのまま商品として販売されていました。

その後、宅地化が進み、大正2年には最後の栽培農家が廃業してしまい、一時朝顔市は廃れてしまいましたが、昭和25年下谷観光連盟と台東区の援助によって復活し、現在では七夕前後の3日間、早朝から深夜まで開催され、夏の風物詩として定着しています。

真源寺
◇東京都台東区下谷1ー12-16
◇東京メトロ日比谷線「入谷」徒歩2分
◇参考Web:http://www.tokyoguide.net/spot/39/


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
朝顔市は鬼子母神の真源寺境内で今年も7月6~8日開催されます。暦の行事というよりは地域行事です。
皆様もお住まいの地域ごとに残っている習慣、行事の謂れを知って次の世代につないでいきましょう。
7月の風物詩といえば七夕ですが、江戸下町では朝顔市です。
朝顔市では江戸風鈴や金魚すくいの出店もあり、暑い中一服の涼しさを感じることが出来ます。近くには「東京スカイツリー」も近くで見られます。
是非お出かけください。
体調管理の難しい季節です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月6日「天赦日(てんしゃび)」です。■
「天赦日:てんしゃにち・てんしゃび」とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「最高の恩赦日」「極上の大吉日」です。
暦中第一の吉日。すべてを赦してもらえる年に5~6回の良き日です。


歴に「
万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜と祝日と祭日と大安が重なった最良の日と言えます。この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。 

130223_23.jpg◆天赦日は1年に5~6日有ります。◆
立春から立夏の前日までの「戊寅の日」
立夏から立秋の前日までの「甲午の日」
立秋から立冬の前日までの「戊申の日」
立冬から立春の前日までの「甲子の日」

天赦日はとにかく「何事にもよい日」とされています。特に
創業、設立、開店、購入、結婚、婚約、建前、出産、転居、入学、和解、面接、採用、人事、新規企画、契約、約束、出発、男女のいとなみ、などには良い日です。 
今回の天赦日は立夏から立秋の前日までの「甲午の日」にあたります。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本年3回目の「天赦日」です。今回の天赦日では、立夏から立秋までの土用の期間中の「天赦日」です。すべてを許してもらえる良き日で、「事始め」にも良く、新規開店転居転職など何をとっても良い日です。これを機会に志を立てることで、新しい事にチャレンジすることもいいでしょう。しかも7月節一粒万倍日が重なります。極上の日と言えます。
筆者敬白

■7月6日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
7月にの「一粒万倍日」です。明日が節替わりの「小暑」です。

暦の上では梅雨明けの頃、まだ不安定な天気が続いています。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月6日(旧閏5月13日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、
ひと月に3~4回ある「不成就日」を、現代の日曜と同様、休日にしたようです。

気のせいか、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいいと感じがします。
経験的に感じる暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■7月5日~「天一天上(てんいちてんじょう)」です。■
天一天上:てんいちてんじょう」とは、陰陽道の歴注で癸巳~戊申の16日間をいいます。 今回は7月5日~7月20日にあたります。
 
110404_20.jpg天一神:てんいちじん」という方角神が天上界に出かけてしまい、期間中は佳日とされています。天一天上の間は天一神の祟りがなく方角の禁忌(悪い方位)はなくなるので、どこに出掛けるにも良しとされました。このことが、縁起を担ぐ相場師に利用されたと伝わります。

かわりに期間中は日遊神が地上に降りて家の中に留まります。屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、自宅は清潔にしておかなければなりません。 

130306_25.jpg天一神は方角神のひとつで、中神(なかがみ)ともいい、地星の霊荒神です。天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。
 
天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを「物忌み」といいます。その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「方違え」をします。
 
「天一神の遊行日」
■乙卯から5日間...卯(東)
■庚申から6日間...巽(南東)
■丙寅から5日間...午(南)
■辛未から6日間...坤(南西)
■丁丑から5日間...酉(西)
■壬午から6日間...乾(北西)
■戊子から5日間...子(北)
■己酉から6日間...艮(北東)
 
この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
人間が大自然を怖れて、自然と共に生きている時代に、経験的に感じ取った歴注です。今となっては迷信や神話の域だと見過ごされしまう暦です。
その昔
情報処理が発達していなかった頃、日遊神の祟りからのがれるために掃除するところから転じて、株や相場にとって、天一天上は相場を見直す時期とされていました。
梅雨明け間近かの天一天上です。明けると夏から秋への土用に入ります。

読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月5日「栄西禅師忌」です。■
120613_24.jpg明菴栄西:みんなんえいさい」は、日本の臨済宗の開祖。建仁寺の開山。天台密教葉上流の開祖でもあります。また、中国から「茶種」を持ち帰って、日本において栽培を奨励し、喫茶の習慣を普及した事はあまりにも有名。諡は「千光国師」、「葉上(ようじょう)房」とも。

永治元年(1141)吉備津宮(現在の岡山県岡山市、吉備津神社)の権禰宜賀陽貞遠の子として誕生。8歳で「倶舎論」「婆沙論」を読んだと伝わります。
 
「倶舎論」とは、インドの仏教論書「阿毘達磨倶舎論:あびだつまくしゃろん」、「婆沙論」=仏教の注釈書の1つ「阿毘達磨大毘婆沙論:あびだつまだいびばしゃろん」のことです。

14歳で「比叡山延暦寺」にて出家得度。若き栄西は、仏教の源である宋へ渡り、大陸の仏教正法を学んで日本仏教の誤りを正したいと強い願いをもっていたようです。以後、延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで「天台宗」の教学と「密教」を学びます。行法に優れ、自分の坊号を冠した「葉上流」を興します。

曹洞宗の開祖「道元」は、栄西とは孫弟子の関係。道元は栄西を非常に尊敬していました。日本最古の禅寺「聖福寺」は、建文6年(1195)栄西が宋より帰国した際に創建されました。

◇喫茶養生記◇
120625_21.jpg栄西」は日本に茶の生産を広め薬効を記した「喫茶養生記」承元5年(1211)に著します。この書物は茶の薬効から栽培適地、製法が記されています。

お茶の効能について記した最古の記述は、鎌倉時代の記録書として有名な「吾妻鏡」。建保2年2月の条に、将軍実朝が宿酔(二日酔い)の際、栄西禅師から茶とともにこの書を献ぜられ、試したところたちまち治癒されたと伝えられています。このことによって、上流階級の間で茶がもてはやされました。

栄西は、建保3年(1215)7月、寿福寺にて享年75歳で病没しました。来たる平成26年(2014)は栄西禅師八百年大遠諱の年に当たります。建仁寺では禅の礎を築いた栄西禅師への感謝と、絶えることのない禅の未来を願い「開山栄西禅師八百年大遠諱法要」を厳修するとあります。

110702_1.jpg建仁寺開山忌
◇ 京阪「祇園四条駅」徒歩 7分
◇ 阪急「河原町駅」徒歩10分
◇建仁寺HPhttp://www.kenninji.jp/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
臨済宗の開祖、京都の建仁寺開山した栄西は中国の宋からお茶の効能と製法を持ち帰ります。仏教正法を唱える栄西はひどい中傷と迫害を受けたとあります。現代の日本でも、このような迫害は相変わらず続いています。
読者の皆様、栄西のようにくじけない心を持ちましょう。日々の喧噪の中でも、こころ穏やかな臨済宗の開祖栄西がその実、激高する激しい方だったとはつゆも感じません。
心の中に熱い信念を持ちましょう。
筆者敬白

■7月5日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

120125_15.jpg一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
季節は過ごしやすいとされる「小暑」の頃で、梅雨から夏への変わり目です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月4日「米国独立記念日」です。■
120613_23.jpgIndependence Day」1776年にアメリカ独立宣言が公布されたことを記念し、毎年7月4日をアメリカ独立記念日と定めました。

もともとアメリカは、スペイン・フランス・イギリスなどヨーロッパの列強国の植民地でした。イギリスの貿易会社が余った紅茶を高値でアメリカに売りつけようとしたことがキッカケで独立することになったのだそうです。

アメリカが正式に独立を勝ち取ったのは、独立宣言から7年後のパリ条約によってイギリスから正式な独立を果たしました。独立した13の州は星条旗の紅白13本のストライプで表現されています。

110629_2.jpgアメリカの名前の由来は、イタリアの探検家「アメリゴ・ベスプッチ」の名前からです。

この日、アメリカ合衆国では祝日になっていて、単に「Fouth of July」といい、各地で花火やパレードなどのイベントが行われます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
イギリスなど先進国列強からの独立が「真の独立」ではなくて、その土地に住んでいたネイティブアメリカンを分け隔てなく受け入れてこそ、本当の独立と呼べるのでしょう。アメリカの本当の独立はまだまだ程遠いようです。
早くも7月です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■7月2日「半夏生(はんげしょう)」です。■
120609_38.jpg7月2日0
時57分「半夏生:はんげしょう」です。半夏生とは、雑節のひとつです。太陽が黄経100度を通過したときで、夏至から数えで11日目にあたります。


半夏生は梅雨の終わりの頃にあたり、農家はこの日までに田植えを済ませ、このあとは田植えをしないという風習があります。「半夏生前なら半作とれる」という言い伝えは、半夏生の前なら平年の半分までは収穫できるという教えです。


「半夏:はんげ」の語源は、仏教用語で90日間を現わす「夏安居:げあんご」の中間で45日目のことです。
また、「半夏」は、畑地に生える「烏柄杓:からすびしゃく」という多年草の毒草のことで、葉が名前の通り「半分白くなって化粧の様=半化粧」になります。この草が生える時期ということで、「半夏生」とも言います。
 
140701_03.jpg半夏生の球根は、生薬として鎮嘔薬・鎮吐薬に用いられます。茎は漢方薬として悪阻などに用いられます。

半夏生の頃には「天から毒気が降る」といい伝えられ、毒気を防ぐために井戸に蓋をしたりしました。また、「地が陰毒を含んで毒草を生じる」という言い伝えがあり、竹の子・蕨・野菜を食べることや、種を撒いてはいけないという風習が残っています。
 
この頃に降る雨を「半夏雨:はんげあめ」といい、大雨になるのが特徴です。
 
◆お中元◆
お中元の習慣はもともと中国にその起源があります。1月15日が「上元」、7月15日が「中元」、10月15日が「下元」といい、合わせて「三元」と言って貴重な品々を捧げて『贖罪:しょくざい』をする日でした。
これが日本に伝わって縁故者・目上の人・恩人などに贈り物をして感謝を表わす日に変化しました。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
半夏生の時期には「天から毒が・・・」との言い伝えは、東日本大震災で特に福島県では現実のものになりました。

商いを生業にしている方にとって「半夏生」は梅雨明けを意味しています。農業従事者にとっては田植えの目安です。 相場をなさっている方の話では、半夏生の時期には「梅雨枯れ」といい長続きがしないという意味や「市前」(浅草のほおずき市のことらしい)仕込み時期との意味があるようです。

どうやら半夏生の時期には、相場でも社会でも仕込み時です。また半夏生までに決めないと目標は成就しないらしいく、暦では折り目正しくすることを示唆しています。

今年は、6月の入梅がハッキリしません。夏は冷夏、猛暑両方の予報で近年の気象状況の変化は、今までのデータでは予測できないのかもしれません。

梅雨明けのこの時期、体調管理が難しい時節柄です。

読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
著書の紹介はこちらから。

2017年7月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31