二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

9月のお便り

■9月30日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
9月節に入って30日が5回目の「一粒万倍日」です。暦の上では、秋分を過ぎ、秋の気配が漂ってきました。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月29日「曹洞宗両祖忌」です。■
110920_20.jpg曹洞宗の開祖道元:どうげん」は、鎌倉時代の禅僧。日本に歯磨洗面、食事の際の作法や掃除の習慣を広めたことで知られます。
 
4歳にして漢詩を、7歳の時には「春秋左氏伝」を、9歳で「倶舎論」を読んだという稀に見る才能を現した道元でしたが、8歳の時に母を亡くします。世の無常を感じた道元は、次第に仏教に惹かれ、13歳で比叡山延暦寺の良顕(母方の叔父)を訪ね、翌年に出家し仏門に入ります。このとき「仏法房道元」と改名。
 
ところが、比叡山での修行中に大きな疑問を抱き、比叡山を降ります。真の仏法を学ぶため、貞応2年(1223)、宋に渡って諸山を巡り、曹洞宗天童山の如浄禅師のもとに参じ入門します。ここで修行中「只管打坐しかんたざ=ただ一心に座る」★を極め、印可を受けます。
 
帰国後、建仁寺で「普勧坐禅儀」を著します。後に、京都深草の安養院にて「正法眼蔵」の第一巻となる「弁道話」を著し、これは開宗宣言とも言われます。
 
天福元年(1233)深草に興聖寺を建立。道元34歳。只管打坐の仏法を実践する道場には、人々が次第に集まり、僧団も拡大していきました。
 
比叡山の迫害を受け続けた道元は、寛元元年(1243)波多野義重の招きで、越前志比庄に移転します。寛元2年(1244)修行道場「大佛寺」を開きます。翌々年「永平寺」※に改められました。
 
建長5年(1253)病床で「正法眼蔵」最後の巻八大人覚」を著し、弟子の孤雲懐奘(こうんえじょう)に永平寺を譲り、療養のため京へ向かいます。
 
同年8月28日、俗弟子の屋敷・京都高辻西洞院で死去。享年54歳。死因は瘍とされています。

120915_21.jpg永平寺」は、本尊を釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏とする曹洞宗大本山で、山号を吉祥山と称す出家参禅の道場で、永平とは「永久和平」の意。
 
室町時代「曹洞宗第1道場」の勅額を得て、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。33万平方mの広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司、修行の中心となる「七堂伽藍」など、70余棟の建物は、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれ、静かに佇んでいます。約150名の雲水たちは、荘厳な雰囲気の中で、道元が定めた厳しい作法により禅の修行を営んでいます。
 
大本山「總持寺」※を開かれた曹洞宗の母と称される太祖常済大師(瑩山禅師)は、正中2年(1325)8月15日に、石川県羽咋市の永光寺にて、58歳で示寂されました。
 
道元禅師、瑩山禅師両祖大師の示寂された両日を、近代に入って太陽暦に換算したところ、不思議なことに、いずれも9月29日となりました。この日「両祖大師のご命日」として、「両祖忌」と定めました。
 
曹洞宗のお寺では、この日、道元禅師と瑩山禅師の両祖の御遺徳を偲び、報恩感謝の法要を営みます。


 
「少欲知足:しょうよくちそく」=足るを知る。貧しいことが善でもありません。豊かなことが悪でもありません。貧富にかかわらず貪欲の心が起こるとき、人は美しい心を失います。仏心とは足ることを知る心のことです。(道元禅師のメッセージより)
 
「無価大宝:むげたいほう」=人の価値は、地位や財産や職業に関係ありません。知識や能力だけで人を評価すると、過ちを招きます。知識を生かす心に行いこそ大切。人の価値は心と行いから生ずるのです。


「只管打坐:しんかんだざ」=ただひたすら一心に座る。世間では「目的のない行為」は存在しないというのが通説ですが、何も求めない生き方。今は、今しかない。そして今を切にに生きる。そこから将来が生じてくるのです。座禅の心得から、生き方の心得を示しています。

永平寺
◇福井県吉田郡永平寺志比5-15
◇えちぜん鉄道「永平寺口駅」~バス「永平寺門前」
◇北陸自動車道「福井北IC」~国道416号約5km
◇参考ブログ
http://www.mitene.or.jp/~katumin/

総持寺
◇神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
◇JR京浜東北線、鶴見駅西口より徒歩(約7分)
◇京浜急行線、京急鶴見駅より徒歩(約10分)
◇公式HP
http://sojiji.jp/index.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
地震発生から3年半、原発事故当時の吉田所長は、精根尽きて現場から離れ、ほどなく他界しました。当初は髪の毛も黒々していて生気に満ち溢れていましたが、白髪が混じりで疲れた姿は、仕事の熾烈さを感じます。危険な業務にも果敢に取り組む姿勢は、どこか仏心を感じざるを得ませんでした。
読者の皆様、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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■9月29日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。


江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」などど言われます。迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

9月25日「彼岸の明け」です。
彼岸:ひがん」とは暦上の雑節の一つです。春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことを指す場合もあります。

120914_28.jpg彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは日本独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。

彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
明日は彼岸の明けです。忙しくて墓参りを忘れていた方、これを機会に
墓参に出向きましょう。忙しくてと言って後回しにしていませんか?「忙しい」という文字は「心」を「亡くなる」と書くのです。
まずは行動を起こしましょう。辛いこと、困ったことなどこの局面をどう判断するだろうか。など、日頃声に出せないものを、墓前で問いかけてみましょう。祖先の叡智が沸いて心に届くことでしょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月27日~10月8日「八専(はっせん)」です。

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暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。同じ気が重なることを「専一」と言いい、それが8日あることから「八専」と呼びます。八専の期間には同気の重ならない日が4日あり、これを「八専期間中の間日(まび)」と呼びます。

《日にち》  《干支》 《五行》  《コメント》

月27日   壬子 =水水、 ←水の気が重なる
28日    癸丑 =水土、 間日(まび)
29日    甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
30日    乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
10日01日 丙辰 =火土、 間日(まび)
02日
   丁巳 火火、 ←火の気が重なる
03日    戊午 =土火、 間日(まび)
04日    己未=土土、 ←土の気が重なる
05日    庚申 =金金、←土の気が重なる
06日    辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
07日    壬戌 =水土、 間日(まび)
08日      癸亥 =水水、 ←水の気が重なる
 
間日(まび):
このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。

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八専の期間は「天干てんかん」と「地支:ちし」が同じ気なので、気が偏って良い事はますます良く、悪いことは更に悪く傾きやすくなります。これは、振幅の激しい期間で、準備を怠らなかった人には良い結果が、場当たり的な対応をした人にはそれなりの結果が訪れます。

古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。他にはギャンブルなど、努力が伴わない行動は避けましょう。


※淮南子
=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書

八専はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。

今回の八専の期間は10月13日~10月24日です。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今回は9~10月の八専です。台風シーズンもそろそろ終わりかけです。今回の「八専」が終ると、10月に入り暦の上では二十四節気「寒露」です。10月は秋の行事が立て続けです。
これを機会に新しい計画を立てるなど、八専の作用を存分に活用すれば、物事が確実に成就していきます。いわゆる準備、事始めの期間が「八専」の期間と言えます。
今のところ逆境にある方が、ここで一大決心をすると、大自然が味方になって、良い作用が発現した例を数多く聞き及びます。
寒暖差が激しい時期で、体力を消耗していて、油断から体調を崩しやすい時期です。 
時節柄お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

■9月27日「小田原、道了尊大祭」です。■
110922_10.jpg曹洞宗大雄山最乗寺「道了尊:どうりょうそん」は、本尊に釈迦牟尼仏、脇侍仏に文殊菩薩・普賢菩薩を奉安する、全国に4千余の門流をもつ寺院です。


曹洞宗では福井県の永平寺横浜市鶴見の総持寺に次ぐ大寺院で、600年の歴史をもつ関東の霊場として知られます。開山は、相模国生まれ藤原姓の「了庵慧明禅師:りょうあんえみょうぜんじ」戦国乱世に虚しさを感じて出家し能登総持寺、丹波永沢寺、近江総寧寺、越前龍泉寺、能登妙高庵寺などに住持したのち、大本山総持寺に輪住。


120915_20.jpg50歳を過ぎて相模国に帰った了庵慧明禅師は、曽我の里に庵を結びます。應永元年(1394)啓示を受けた足柄の山中に大寺を建て、大雄山と号しました。


大雄山最乗寺の守護「道了大薩た」(どうりょうだいさった)は、大和金峰山、奈良大峰山、熊野三山に修行した行者で、相模房道了尊者として知られます。大雄山開山のおり、了庵禅師のもとに参じて土木の業に従事。約1年で大事業を完遂し、その力量は500人分にあたるとか。


了庵禅師は「十一面観世音菩薩の化身」であるとされ篤く信仰されています。祈祷
会や禅学会などの他、正月・5月・9月には大祭が行なわれます。


大雄山最乗寺
◇神奈川県南足柄市大雄町1157
◇伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山駅」バス10分
◇東名高速道路「大井松田IC」20分
◇道了尊:http://www.daiyuuzan.or.jp/history/index.html
◇参考HP:http://www.daiyuuzan.or.jp/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
曹洞宗の中で永平寺、総持寺に次ぐ大寺院で、大祭が年に3回あります。
季節の変わり目です。お出かけの際には、お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■9月26日「和歌山、日前・国懸祭」です。■
120914_26.jpg紀伊国一之宮「日前宮:にちぜんぐう」は、「日前神宮:ひのくま」と「国縣神宮:くにかかす」の両神宮の総称で、同一境内に座す二社の大社のことです。出雲大社と並び、日本最古の神社とされる和歌山県と三重県南部を含む広大な聖域です。
 
神武天皇二年、名草郡毛見郷濱の宮に鎮座の後、垂仁天皇十六年に現在の和歌山市秋月の地に遷りました。日前神宮は「日像鏡:ひがたのかがみ」を御神体として「日前大神:ひのくまのおおかみ」を奉祀し、國懸神宮は「日矛鏡:ひぼこのかがみ」を御神体として「國懸大神:くにかかすのおおかみ」を奉祀しています。
 
御祭神は両宮ともに太陽神天照大神」で、その御名が日前大神、國懸大神として祀られ、太陽の恩恵を生きとし生けるすべてのものに与え、人々の縁を結び、生活の基本を守るというご神徳があり、広く篤く信仰されています。
 
120914_27.jpg神代、天照大神が天の岩窟に姿を隠した際に「思兼命:おもいかねのみこと」の議に従い、種々の供物を供え、天照大神の御心を慰めようと、「石凝姥命:いしこりどめのみこと」を治工とし、天香山(あめのかぐやま)から採取した銅を用いて、天照大神の御鏡(みかがみ)を鋳造しました。
 
初めに鋳造された天照大御神の御鏡「前霊:さきみたま」を「日前國懸両神宮の御神体」として、後に鋳造された御鏡を「伊勢の神宮の御神体」として奉祀されたと日本書紀に記されています。
 
このことから「天照大神」(太陽神=日神)の前霊を祀るという意味で「日前」の名がつきました。
 
130909_24.jpg両神宮の祭神が「三種の神器」に次ぐ「宝鏡」とされたため、伊勢神宮に次いで朝廷からの崇敬も篤く、延喜の制には両社とも明神大社に列し、祈年・月次・相嘗・新嘗の祭祀には天皇から幣帛(御供)を賜るほどでした。
 
毎年9月の例大祭では、両宮の大神ゆかりの日をお祝いし、日々のご神徳に感謝し、人々の平和・国家安泰・五穀豊穣を祈念します。
 
日前宮・国懸宮
◇和歌山県和歌山市秋月365
◇JR「和歌山駅」~貴志川線「日前宮駅」徒歩1分
◇阪和道「和歌山IC」国道24号~市街方面へ5分
◇公式HP
http://www10.ocn.ne.jp/~hinokuma/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇

7月から竜巻や集中豪雨が西日本頻発しました。今年は台風の当たり年で東北、北海道にも大きな被害が出ました。二百十日~二百二十日、八朔など暦の上で台風の多いとされる時期に、上陸した台風が続いて暦通りの年でした。

伊勢神宮と並ぶ歴史を持つ日前神宮、国縣神宮です。鎮座は和歌山市内ですから、是非参拝にお出かけください。
筆者敬白

■9月26日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

9月22日「彼岸中日」です。
彼岸:ひがん」とは暦上の雑節の一つです。春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことを指す場合もあります。

100915_5.jpg彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。

秋分の日は、お彼岸の中日です。暦の上では「真西」に沈む太陽は、「極楽の東門」に入ると伝えられています。この日の太陽を拝むと、十万億土を隔てた「極楽浄土」の東門を拝むことになります。この極楽が最も近くなる日が「彼岸の中日」と考えられているのです。

この日に故人の霊を供養すると、迷わず極楽浄土に成仏できるといわれていて、死者の冥福を祈り、仏供養、おはぎ(ぼたもち)、草餅、五目ずし、稲荷ずしなどを作ってお墓参りをします。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは日本独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。

お彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎやすくなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」という言うように、寒さも峠を越して温和な気候になります。


「平等院」
の庭と建物は「極楽浄土」を表し「浄土庭園」と呼ばれます。鳳凰堂の前を流れる宇治川は「彼岸の河」に見立てられ、「来世(彼岸)西方浄土(鳳凰堂)」と「現世(此岸)宇治川の対岸」という仮想の世界が現されています。彼岸の中日夕刻には鳳凰堂の中央背後(西方)に日が沈みます。

ちなみに「平等院鳳凰堂」は国宝に指定されています。十円銅貨の平等院鳳凰堂、一万円札の鳳凰図は、鳳凰堂の屋根の鳳凰をデザインしたものです。

120304_50.jpg◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
お彼岸の中日です。これを機会に
墓参に出向きましょう。
辛いこと、困ったことや、この局面をどう判断するだろうか。など声に出せないものを、墓前で問いかけてみましょう。祖先の叡智が心に届くことでしょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月23日「天赦日(てんしゃび)」です。■
「天赦日:てんしゃにち・てんしゃび」とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「最高の恩赦日」「極上の大吉日」です。
 暦中第一の吉日。すべてを赦してもらえる年に5~6回の良き日です。


歴に「
万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜と祝日と祭日と大安が重なった最良の日と言えます。この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。 

130223_23.jpg◆天赦日は1年に5~6日有ります。◆
立春から立夏の前日までの「戊寅の日」
立夏から立秋の前日までの「甲午の日」
立秋から立冬の前日までの「戊申の日」
立冬から立春の前日までの「甲子の日」

天赦日はとにかく「何事にもよい日」とされています。特に
創業、設立、開店、購入、結婚、婚約、建前、出産、転居、入学、和解、面接、採用、人事、新規企画、契約、約束、出発、男女のいとなみ、などには良い日です。 今回の天赦日は立秋から立冬の前日までの「戊申の日」にあたり、次の天赦日は平成27年12月14日
です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本年5回目の「天赦日」です。今回の天赦日では、立秋から立冬までの「天赦日」で、心無いことをしてしまった方、すべてを許してもらえる良き日で、「事始め」にも良く、新規開店、転居転職など何をとっても良い日です。これを機会に志を立てることで、新しい事にチャレンジすることもいいでしょう。
筆者敬白

■9月23日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」の中で今日の一粒万倍日は「天赦日」と重なっていて特別です。見過ごされ過ごされやすい歴注の中でこの日だけは特に認識しましょう。
この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月23日「川柳忌」です。■
110920_19.jpg川柳の祖「柄井川柳:からいせんりゅう」は、享保3年(1718)生まれ。江戸時代中期の前句付の点者です。柄井家は代々江戸浅草の竜宝寺門前町の名主の家系。通称は八右衛門、無名庵川柳と号しました。
 
点者:てんじゃ」とは、連歌・俳諧・川柳などで、作品の優劣を判じて評点を加える人のこと。判者。また、宮中歌会始めに選の決裁に当たる人のことをいいます。
 
江戸の町では「前句付:まえくづけ」という言葉遊びが流行しました。前句付とは、前の句(お題)に、次の句を付けるというもので、古く連歌の稽古吟として行われていました。それに懸賞が付いたことから大流行しました。
 
120914_24.jpg前句」(お題)は「切りたくもあり切りたくもなし」に、付けを「盗人を捕らえてみれば我が子なり」のようにです。
 
川柳は雑俳の一つで、川柳と言われるようになったのは明治になってからのこと。柄井川柳の名は、15代脇屋川柳まで受け継がれました。
 
寛政2年(1790)没。73歳。平成元年が200回忌でした。龍宝寺では、毎年法要と献句、句会などが行われます。
 
天台宗龍宝寺
◇東京都台東区蔵前4-36(通称・川柳寺)
◇参考HP
http://www.doctor-senryu.com/01_museum/ryuhouzi/senryu-ki0.html
◇川柳忌の歴史http://www.doctor-senryu.com/01_museum/ryuhouzi/senryu-ki.html

■9月23日「社日」です。■
社日:しゃにち」とは雑節の一つで、春分と秋分に最も近い「戊(つちのえ)の日」のことをいいます。春と秋の2回あり、春の社日を「春社:しゅんしゃ・はるしゃ」、秋の社日を「秋社:しゅうしゃ・あきしゃ」ともいいます。

110316_17.jpg「戊:つちのえ・ぼ」は「土」の意。農家では春社は種蒔きの時期にあたり、秋社は収穫の時期にあたります。そのため社日は重要な節目の日とされるようになりました。
 
「社」は、生まれた土地の守護神である「産土神:うぶずながみ」のこと。この日、産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈り、秋には収穫のお礼参りをします。

出雲地方では五角形の石柱に「社日」の記述が目立ちます。これは五角形を「五穀」や「五行」と解されていて土地からの恵みをあらわしたものです。 また、春の社日にお酒をのむと耳が良くなるという習いがあります。これを「治聾酒:じろうしゅ」といいますが、その名の酒があるのではなく、単に春社に飲むお酒をいいます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
秋の「社日」です。
生まれた土地の守護神である「産土神:うぶずながみ」のことです。普通に育まれた命に感謝たいものです。

読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

◆二十四節気◆平成28年9月22日「秋分(しゅうぶん)」です。

110920_15.jpg9月22日23時21分「秋分」です。旧暦8月「酉」(とり)の月の中気で、新暦9月22~23日頃。天文学的には、太陽が黄経180度の「秋分点」を通過するときをいいます。
 
秋分点とは、黄道と赤道が交わる点のうち、赤道の北から南へ向かって太陽が横切る点のこと。この日、太陽は真東から昇り、真西に沈みます。昼と夜の長さがほぼ等しいと言われていますが、実際には秋分から3日後です。「暦便覧」では「陰陽の中分なれば也」と説明しています。
 
北の方から冬篭りの準備を始める頃です。残暑の名残も感じられますが、秋分を過ぎると日に日に肌寒さを感じます。北のほうから紅葉の便りが伝えられるようになり、もみじの色づきが始まります。例年北海道では大雪山の初冠雪が観測される時期です。


また、この日は「彼岸の中日」にあたります。彼岸の名称は、仏典の「波羅蜜多:はらみつた」という梵語の漢訳「到彼岸:とうひがん」という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るの意。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸:しがん」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸:ひがん」といいます。
 
お彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。

120914_21.jpg■「七十二候」■
初候「雷乃声収」(らいすなわちこえをおさむ)
  ◇雷乃ち(すなわち)声を収む。雷が鳴り響かなくなる時節。
次候「蟄虫坏戸」(ちゅっちゅうこをはいす)
  ◇蟄虫(ちっちゅう)戸を坏(とざ)す。土中の虫が土で穴の隙間を塞ぐ時節。坏(つき)=ふさぐ。
末候「水始涸」(みずはじめてかる)
  ◇水始めて涸(か)る。※水田の水を干しはじめ、収穫に備える時節。涸る(こる)=水が尽きる。

◆◆◆◆秋分点とは◆◆◆◆
111219_15.gif▼秋分点とは、天球上で黄道と赤道が交わる2つの交点のうち、太陽が赤道の南から北へ向かって横切る点のことです。この点が黄経0度で、赤経・黄経の原点となります。
ところが歳差(自転している物体の回転軸が、円をえがくように振れる現象)により毎年わずかずつ移動し、20世紀末ごろに水瓶座に入ったといわれています。
▼「黄道」とは、天球上における「太陽の道」のことです。黄道は赤道に対して23.4度傾いています。地球の公転面の垂線に対する地軸の傾きによるものです。
▼黄道と赤道の交点を「分点」といい、黄道が南から北へ交わることを「春分点」といい、黄道が北から南へ交わることを「秋分点」といいます。秋分点での黄経は、180度です。

天の赤道」とは、地球上の赤道を天球に延長させた大円のことです。恒星や惑星の位置を決める基準となります。ちなみに「月の通り道」は「白道」といいます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
季節は少しづつ秋に向かっています。外路地の広葉樹が幾分か幾分か色づき始め、 すこしづつ落ち葉の気配です。
秋分の「昼と夜の長さが等しい」に掛けて、均衡を失っている今の社会ですが、これを機会に陰陽のバランスを取り戻して頂きたいものです。
読者の皆様、猛暑でも朝晩は冷え込みます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月22日「秋分の日」、旧秋季皇霊祭です。■ 
130909_21.jpg秋分の日」は、国民の祝日の一つ。祝日法では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨としています。暦の上の「秋分」と国民の祝日「秋分の日」を区別しています。 

秋分の日は、秋のお彼岸の最中で「彼岸の中日」にあたります。「昼と夜の長さが等しい」といわれますが、実際には昼の方が長いです。 

戦前は「秋季皇霊祭:しゅうきこうれいさい」といいました。毎年、秋分の日に宮中の皇霊殿で行われる皇室の大祭のことで、歴代の天皇・皇后・皇族など、皇祖の神霊を祀る儀式が行われました。 

戦後には、「秋分の日」と改名して、庶民が先祖を祀る日となりました。 

120914_23.jpg秋季皇霊祭◇皇室による先祖を祀る祭儀は、「古事記」「日本書紀」などに皇祖の御霊を祀ったとあります。平安時代中期以降、京都御所の清涼殿・御黒戸の間において仏式で執り行われていました。しかし、明治の神仏分離令により、神式による祭儀に変更されました。 

この日、皇霊殿前庭では宮内庁職員により「東遊:あずまあそび、東舞」の儀が執り行われます。 

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆ 
大東亜戦争前までは秋分は、秋季皇霊祭として大自然のバランスを尊んでいました。私達は当たり前に明日が来る。9月の次は10月。といった至極当然なことを祭りとして感謝を表わしていたのです。近年のゲリラ豪雨や竜巻など気象変動は、自然が何かを訴えているのかもしれません。
人の心と社会のバランスが崩れている現在、今一度大自然のバランスを認識し、陰陽を司りながらバランスの取れた社会にしたいものです。 
季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

■9月21~30日「秋の全国交通安全運動」です。■
130909_20.jpg今年も「秋の全国交通安全運動」が、9月21日~30日迄の10日間、実施されます。また9月30日は「交通事故死ゼロを目指す日」です。
この運動は、広く国民に交通安全思想の普及・浸透を図り、交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践を習慣付けるとともに、国民自身による道路交通環境の改善に向けた取組を推進することにより、交通事故防止の徹底を図ることを目的としています。

全国交通安全運動の基本
秋の交通安全運動では、次代を担う子供のかけがえのない命を社会全体で交通事故から守ることが重要であるにもかかわらず、通学中の児童が死傷する交通事故が発生するなど、依然として道路において子供が危険にさらされていること、また、高齢者の交通事故死者数が交通事故死者数全体の半数以上を占め、その減少が強く求められていることから、これらの交通事故情勢に的確に対処するため、「子供と高齢者の交通事故防止」を運動の基本とする。

○全国重点
秋口における日没時間の急激な早まりとともに、例年、夕暮れ時や夜間には、重大事故につながるおそれのある交通事故が多発し、歩行中・自転車乗用中の死亡事故が増加すること、
また、自動車乗車中における後部座席シートベルトの着
用率やチャイルドシートの使用率がいまだ低調であること、
さらに、重大事故の
原因となる飲酒運転による悲惨な交通事故が依然として後を絶たないことなどから、次の3点を全国重点とする。

(1) 夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止(特に、反射材用品等の着用の推進及び自転車前照灯の点灯の徹底)
(2) 後部座席を含めた全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
(3) 飲酒運転の根絶

○地域重点
都道府県の交通対策協議会等は、上記2の全国重点のほか、地域の交通事故実態等に即して必要があるときは、地域の重点を定める。

◆主催
○内閣府、警察庁、総務省、法務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、防衛省、都道府県、市区町村
○自動車検査独立行政法人、独立行政法人自動車事故対策機構、独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構
○自動車安全運転センター、軽自動車検査協会、(財)全日本交通安全協会、(財)日本道路交通情報センター、(社)全日本指定自動車教習所協会連合会、(一社)全国二輪車安全普及協会、(一社)日本自動車連盟、(公社)日本バス協会、(公社)全日本トラック協会、(一社)全国ハイヤー・タクシー連合会


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
交通標語、「確かめてまた確かめてはい横断」「注意1秒怪我一生」「飲むなら乗るな、乗るなら飲むな」などすぐに思い浮かびます。交通安全は社会に浸透しています。
変わり種では「あせりは禁物 あさりは海産物」
新栄原自治体「とびだすな しんだらおしまい けっこんできない」出典知らず「スピード違反10,000円 佐渡わかめ800円」相川警察署

交通安全運動は社会では一般的になっています。ドライバーの皆さん、先ずは安全運転です。
筆者敬白

■9月20日「神奈川、寒川神社 例祭」です。■
120627_34.jpg相模国一宮「寒川神社:さむかわじんじゃ」は式内社で旧社格は国幣中社。延喜式神名帳では「相模国高座郡寒川神社」と記載され、大社に列しています。現在は神社本庁傘下の別表神社。
 
創祀年代は不明。雄略天皇(456~)の代に奉幣、また神亀4年(727)社殿建立と伝わります。源頼朝、北條義時、武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰を受け、千五百年余の歴史を有します。
 
相模川の河口から約7キロ遡った左岸の低台地上に鎮座。古代には相模湾がこの辺りまで入り込んでおり、神社からさらに8キロ上流の海老名市国分付近に相模国府があったものと考えられています。
 
関八州の守り神として、また江戸の正裏鬼門を護る社として、全国唯一の「方位除」「八方除」の守護神として信仰されています。
 
110920_11.jpg平安京が遷都された四神相応の地の「四神相応」とは、都が「東方を司る青龍(せいりゅう)」「西方を司る白虎(びゃっこ)」「南方を司る朱雀(すじゃく)」「北方を司る玄武(げんぶ)」の四神の方位と正しく向き合い地相的に良い関係であることを示しています。
 
陰陽五行説や陰陽道によれば「天の動きは地上にも影響を与え、星々に凶相が現れれば、方位をも左右する」と。「方角の良し悪しで事の成否が決まる」とされ、特に「東北は鬼が出入りする」とされて何事につけ忌み嫌いました。京都御所の鬼門にあたる「猿が辻」の築地塀は、L字型に隅をへこませて鬼門除けが施されています。
 
人が行動するとき、その行動には必ず方向があり、方位があります。この方向・方位に対して、何か目に見えない力、法則性を研究したのが「方位学」です。その時々に「良い方角(吉方)」と「悪い方角(凶方)」があり、それがどういう方角であるかを見極め、失敗のおそれの少ない「良い方角」を選んで、健康で幸せな人生を過ごす手助けとすることです。
 
120713_30.jpg八方除」とは、家相、地相、方位、日柄等からくるすべての悪事災難を取除くこと。あわただしい現代社会では、住居、方角、運勢などの吉凶を判断したとしても、支配している法則に従って行動することはなかなか難しいもの。大難は小難、小難は無難に過ごせるよう八方除の祈願に多くの参拝者が訪れます。
 
例祭」は、寒川大明神の日頃の御神徳に感謝する祭で、氏子崇敬者が多数参列し斎行されます。境内では、献花、献茶、奉納演芸等の神賑行事が行われます。
 
寒川神社
◇神奈川県寒川町宮山3916
◇JR相模線「宮山駅」徒歩5分
◇東名「厚木IC」15分
◇寒川神社HP
http://samukawajinjya.jp/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
四神相応、八卦、方位を生活の中に取り入れている方は、是非、寒川神社例祭に参加なさって下さい。数年前から、寒川祭に参加した方の生活様式が、徐々に変割っていくのを見かけます。何らかの啓示があるのでしょうか。
例祭に限らず方位の採れるタイミングで一度は祐気採りにお出かけください。
あと10日で10月です。熱射病などで治療を受けた方も例年より多いとの報道です。夏バテが出始める時期です。

皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月20日「空の日」です。■
120910_30.jpg空の日」とは、元「航空の日」のことです。明治43年(1910)12月19日、徳川大尉(アンリ・ファルマン機)、日野大尉(グラーデ単葉機)が、代々木練兵場に於いて、日本初の動力飛行を行い成功しました。その距離約300m明治44年、所沢に日本初の飛行場が完成しました。
 
翌年9月20日、山田猪三郎が開発した「山田式飛行船」は、滞空時間1時間の東京上空一周飛行に成功しました。これを記念し、昭和15年(1940)9月20日「航空の日」と決め、以来終戦まで各種の飛行事が行われました。
 
一時中断していましたが、戦後の昭和28年(1953)に運輸省と日本航空協会が復活させ、平成4年(1992)に「空の日」と改称されました。めざましい発展を遂げている日本の航空産業は、社会に欠かせない公共交通機関の一つとなっています。
 
110920_10.jpg国土交通省航空局では、航空の発展に尽力された航空功労者に対して表彰を行う記念式典が開催されます。また、9月20~30日を「空の旬間」とし、全国の空港等で管制塔見学会や航空教室などのイベントが行われます。

◇空の日ネット
http://www.soranohi.net/
◇国土交通省航空局HP:http://www.mlit.go.jp/koku/03_information/02_sora/index.html

9月19日「彼岸入り」です。
彼岸:ひがん」とは暦上の雑節の一つです。春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことを指す場合もあります。

100915_5.jpg彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。

彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。

***彼岸伝来***
遥か彼方の「極楽浄土」に思いを馳せたのが、彼岸の始まりです。中国伝来の念仏「心に極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変わることを願う」の意で、日本には、大同1年(806)崇道天皇(早良親王)の慰霊が行われたのが始まりです。法要を営み祖先を祀る行事へと変化していきました。


***此岸(しがん)と彼岸(ひがん)***
彼岸の名称は、仏典の「波羅蜜多:はらみつた」という梵語の漢訳「到彼岸:とうひがん」という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るの意です。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸:しがん」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸:ひがん」といいます。
 
***四方・八方・十方世界***
仏教では「四方:しほう」=東西南北と、「四維:しい」=南東・南西・北西・北東の八方位に、上下を加えた十方世界(じっぽうせかい)を説き、そこに諸仏の浄土を描く十方浄土を観念します。「浄土」は仏の住む処で、成仏する為に精進する「菩薩の世界」です。

法華経では「この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ず」と説きます。この世で生きながら、心が清浄であれば、それが清浄の土であるという。毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)(奈良東大寺)の蓮華蔵世界です。

★東方浄土=薬師如来
★南方浄土=釈迦如来
★西方浄土=阿弥陀如来
★北方浄土=弥靭菩薩


病のため出家した藤原道長は、九体の阿弥陀如来像を安置した京都の無量寿院にて、仏像の手から延びる五色の糸を握り締め、西方浄土の極楽往生を信じつつ臨終しました。この姿から仏教信仰と方位観との具体的な結合がみてとれます。

100916_1.jpg後に、道長の子の藤原頼道が天喜元年(1053)建立の宇治・平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)には、阿弥陀如来像が安置され「極楽いぶかしくば宇治の御堂をうやまへ」と云われました。
 
平等院の庭と建物は極楽浄土を表し「浄土庭園」と呼ばれます。

鳳凰堂の前を流れる宇治川は「彼岸の河」に見立てられ、「来世(彼岸)西方浄土(鳳凰堂)」と「現世(此岸)宇治川の対岸」という仮想の世界が現されています。彼岸の中日夕刻には鳳凰堂の中央背後(西方)に日が沈みます。
ちなみに平等院鳳凰堂は国宝に指定されています。一万円札の鳳凰図は、鳳凰堂の屋根の鳳凰をデザインしたものです。

120910_29.jpg***ほたもち・おはぎ***
彼岸の供物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は、米を炊いて軽くついてまとめ、餡で包んだもの。春は「牡丹の花」が咲くことにちなんで「牡丹餅」、秋は「萩の花」が咲くので「御萩」と呼びます。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
お彼岸を機会に先祖の墓参に出向きましょう。無心の愛で育ててくれた両親・祖父母なら、この局面をどう判断するだろうか。など、日頃声に出せないものを、墓前で問いかけてみましょう。亡き先祖の声がきっと心に届くことでしょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月19日「敬老の日」です。■
110915_12.jpg敬老の日」は国民の祝日の一つで「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨として制定されました。
 
現在の兵庫県多可町八千代区
(多可郡野間谷村)安清市が昭和22年(1947)に提唱した「としよりの日」が始まりであるとされる説が有力です。
野間谷村では、「
老人を大切にし、年寄りの知恵借りて村作りをしよう」と、9月15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていました。

他には「
聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日」といった説や「欽明天皇が養老乃瀧に御幸した日」が発祥したとする説もあります。

もともと
敬老の日は9月15日でしたが、祝日法改正(ハッピーマンデー制度)により、9月の第3月曜日になりました。今では9月15日が老人の日、15~21日老人週間です。

この日、おじいさんやおばあさんの長寿を願い、ありがとうの感謝の気持ちを届けます。各地で敬老にちなんだ行事が催されます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
9月15日だった敬老の日がハッピーマンデー制度によって9月第3月曜日になる際、高齢者団体から反対意見が続出したため、それまで「敬老の日」だった9月15日を「老人の日」としました。
祝日の成り立ちや意味、法律で定められた趣旨など知ることも余裕の一つかもしれません。

まだまだ厳しい残暑が続いています。夏バテなど出やすい時期です。
みな様お体ご専一自愛専一の程
筆者敬白

■9月19日「子規忌」です。■
110915_10.jpg正岡子規:まさおかしき」は、俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に活躍した俳人で、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした明治時代を代表する文学者の一人です。
 
慶応3年(1867)9月17日、伊予国温泉郷藤原新町(現在の愛媛県松山市花園町)の松山藩士:正岡常尚の長男として生まれました。母は、藩の儒者:大原観山の娘です。
 
明治6年(1873)大原観山から漢書の読みを習い始め、明治11年(1878)に初めて漢詩を作ります。明治16年(1883)上京。翌年、東京大学予備門へ入学。この時の同級に、夏目漱石・山田美妙などが居ます。子規と号したのはその6年後。子規とは「時鳥(ほととぎす)の異名」で、23歳で喀血した時、鳴いて血を吐くという時鳥からとったものです。
 
「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあわず」「をととひのへちまの水も取らざりき」という辞世の句(人が死に際に詠む句)から、子規の忌日を「糸瓜忌:へちまき」といいます。別号から「獺祭忌:だっさいき」とも。
 
120910_27.jpg糸瓜水(へちま)は古来、咳止めに用いていました。をととい(一昨日)は十五夜で、中秋名月の夜に採った糸瓜水は効き目がいいといわれていて、それを採らなかったことを残念に思い言ったものです。
 
結核を患っていた子規、明治34年(1902)9月19日、36歳という若さでこの世を去りました。
 
日本に野球が入って来た頃、熱心に打ち込んでいました。文学を通じて野球の普及に貢献したことから、平成14年(2002)「野球殿堂入り」を果たしています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
子規忌は故人を偲ぶといった思いからお彼岸もあって掲載しました。
子規の深い死生感文学は現代にこそ必要でしょう。電子出版化されてPCやモバイルで読める日もうすぐでしょう。
読者の皆様、季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月19日「岩手、水沢駒形祭」です。■
120910_28.jpg陸中一ノ宮「駒形神社:こまがたじんじゃ」は、古く関東毛野一族が崇敬の赤城の神を祀り、上野平野を支配していた上毛野国と下毛野国のうち、下毛野氏は「日光二荒山神社」を創建され、勢力を北方に伸ばした上毛野氏が、高峰に「駒形大神」を祀ったのが始まりです。
 
陸奥国胆沢城を創建した征夷大将軍:坂上田村麻呂の崇敬たいへん篤く、源頼義・義家父子の武運祈願成就した事実を知るにつけ、奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤くありました。分社は東北各県より関東に亘り、その数は百余社に及んでいます。
 
110915_11.jpg毎年9月19日、一年の加護の感謝とともに、陸奥国の繁栄と幸福、五穀豊穣、国土安泰、産業開発、交通安全を祈念する例祭が行われます。毎年5月3日と9月19日の年2回、本尊の御扉が開かれます。
 
御祭神は、源頼義・義家父子の武運祈願成就(こまがたのおおかみ)、六神に天照大神・天之常立尊・国之狭槌尊・吾勝尊・置瀬尊・彦火火出見尊が祀られています。
 
駒形神社
◇岩手県奥州市水沢区中上野町1-83
◇JR「水沢駅」徒歩10分「水沢江刺駅」車15分
◇東北道「水沢IC」15分
◇公式HP
http://www.rnac.ne.jp/~komagata/

■9月18日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
9月節の「一粒万倍日」、暦の上では、秋分近くです。残暑の中にも秋の気配が漂ってきました。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■8月18日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■9月17、18日「岸和田だんじり祭」です。■
120910_23.jpg岸和田だんじり祭り」は、元禄16年(1703)岸和田藩主:岡部長泰公が京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米・麦・豆・粟・ヒエなどの五穀豊穣を祈願したのが始まりと伝わる約300年の歴史と伝統を誇るお祭りです。
 
地車:だんじり」とは、白木造りの大きな山車のこと。忠臣蔵などの精緻な彫刻が施された山車は、揃いの法被姿の若者達に曳かれ、お囃子連中を乗せて城下町を駆け回ります。行列の途中、他の山車に合うと、競い合いや衝突になることもあり「けんか祭り」「血祭り」とも呼ばれる所以です。
 
地車が辻々を勢いよく直角に曲がる「やりまわし」は、ブレーキの役目をする左右の前テコと、舵を取る後テコのタイミングが難しく腕の見せどころで、一番の見どころ。日が暮れると提灯を灯し、昼間の勢いとは逆にゆっくりと練り歩く雅やかさが魅力です。
 
120910_24.jpg地車が宮入りする「岸城神社」は、南北朝時代に京都八坂神社を勧し、五穀豊穣を祈願する神明社を築き、産土大神として祀ったのが始まりです。後に、岸和田城主が素戔嗚尊を沼村より城内へ移し、八幡大神とともに祀り、牛頭天王社、八幡大菩薩社と呼ばれ、篤く信仰されました。

 
寛永年間には城主:松平康重公が境内に春日社、愛宕社、菅原社を建立し、寛永17年(1640)岡部宣勝公が城主となり、万治4年(1661)社殿を修改築するに至り、本殿と拝殿は、明治29年(1896)に旧岸和田藩民と氏子によって建てられました。
 
110909_20.jpg岸和田城が「千亀利(ちぎり)城」と呼ばれたことに因んで、縁結びの
神としての参詣が多く、厄除け、安産の神としても信仰を集めています。昭和36年御鎮座600年祭が執り行われ、昨年平成23年は御鎮座650年祭が執り行われました。

 
だんじり祭りの圧巻は、岸和田祭宮入り「こなから坂」を駆け上がるだんじりの姿はとても圧巻です。
 
岸城神社
◇大阪府岸和田市岸城町11-30
◇南海本線「岸和田駅」徒歩8分「蛸地蔵駅」徒歩6分
◇岸城神社参考ブログ
http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/kishigi.htm
◇だんじり祭り公式http://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
勇壮な祭りで知られる「岸和田だんじり祭り」です。夏の終わりに「だんじり」といったイメージのお祭りです。また、公式HPには曲がり角での見物に関する注意事項が出ていたり、怪我人が出ないようにといった配慮が感じます。
まだまだ残暑厳しい時期です。お出かけの際にはには、熱射病と怪我にご注意下さい。
季節変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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■9月17日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。


江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」などど言われます。迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■9月16日「鎌倉、鶴岡八幡宮やぶさめ」です。■
120910_25.jpg流鏑馬:やぶさめ」とは、もともと奈良時代の宮廷を中心とする貴族で流行していた、相撲、鷹狩、競馬、騎射などの日本古来のスポーツの一種です。
 
武家時代に入り、武士の鍛練方法として行われた馬術と弓術とを組み合わせて競技にしたもので、特に鎌倉幕府の奨励により盛んに競われるようになり、神社に奉納されるようになりました。
 
鶴岡八幡宮では毎年9月14~16日までの3日間、例大祭が行われます。文治3年(1187)8月15日に放生会に際し、源頼朝公が流鏑馬を始められたと伝わります。鎌倉武士の狩装束に身を包んだ射手が馬に乗り、約250mの馬場を3ヶ所の板的を鏑矢で射ながら駆け抜けます。今年は江戸時代の軽装束をまとった射手も予定されています。
 
110909_19.jpg例大祭は、14日・浜降り式に始まり、宵宮祭、15日・神幸祭、16日・「流鏑馬神事」・放生会・祖霊社例祭が執り行われます。神前に供えた鈴虫を自然に放す鈴虫放生会では、雅楽の演奏と巫女による神楽を
舞います。
 
鶴岡八幡宮
◇神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
◇JR「鎌倉駅」・江ノ電「鎌倉駅」徒歩10分
◇横浜横須賀道路「朝比奈IC」より5km
◇鶴岡八幡HP
http://www.hachimangu.or.jp/
◇流鏑馬神事http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/event/EventData/turuoka_yabusame.html

 

■9月15日「十五夜」です。■
110905_19.jpg十五夜:じゅうごや」とは、旧暦15日の夜のことで、「三五(さんご)の夕べ」「満月の夜」のこと。「中秋の名月の夜」のことを指し、それを鑑賞する日です。
 
「中秋:ちゅうしゅう」は、旧暦8月15日の呼び方です。旧暦では、7月・8月・9月を「秋」とし、7月を「初秋」、8月を「仲秋」、9月を「晩秋」と呼ぶことに由来します。中秋15日の満月の日を、特に「八月節」「中秋節」といいました。
 
※「仲秋」=旧暦8月のこと。
※「中秋」=旧暦8月15日のこと。
 
昔は月の満ち欠けによっておおよその月日を知り、農事を行っていました。十五夜の満月の夜は、祭儀の行なわれる大切な節目でした。
 
お月見・名月などとも呼ばれ、月下に酒宴を張り、詩歌を詠じ、祭壇を設けてすすきを飾り、月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、神酒を供えて月を眺めて楽しみました。
 
日本では古くから、望(満月)を拝する信仰があり、満月は豊饒のシンボルで、月光には神霊が宿っていると信じられてきたのです。
 
中国では唐の時代から行われ、日本には平安時代に伝わり、宮中や貴族の間に取り入れられ、観月の宴が盛んに催されてきました。後に武士や町民へと伝わり、農民の間では農耕行事と結びつき、収穫の感謝祭としての意味も持ちました。里芋など芋類の収穫儀礼であることから「いも名月」とも呼ばれます。
 
120915_22.jpg「月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月」、十五夜の満月が最も素晴らしいとして鑑賞されるのは、秋になると空気が乾燥して月が鮮やかに見えることから特にもて囃されています。冬の月も鮮やかに見えますが、鑑賞するには寒すぎます。
 
せっかくの十五夜が曇りで月見が出来ないことも...。そこで十五夜前日の月見を「待宵月」、16日の月見を「十六夜月」、17日の月見を「立待月」、20日の月見を「寝待月」などど呼んで、名月を惜しみました。
 
十五夜の夜だけは他人の畑の作物を盗んでもいいのだとか...。お月見の供物を子ども達が盗んでもよいなどというおおらかな風習がありました。
 
秋田県に伝わる「片足御免」(他人の敷地に片足踏み込んで取るぐらいなら公認)とか、長崎五島の「まんだかな」などがそうですが、最近は悪習としてすたれました。
 
  「十五夜お月さん」 作詞:野口雨情 作曲:本居長世
 
♪十五夜お月さんご機嫌さん 婆やはお暇(いとま)とりました
 
♪十五夜お月さん妹は 田舎へ貰(も)られて ゆきました
 
♪十五夜お月さん母(かか)さんに も一度わたしは逢ひたいな 
 
お母さんが亡くなってしまはれたので、小さい妹は遠い田舎へ貰われて行ってしまったし、婆やもお暇をとって国へ帰ってしまってからは、自分一人がその後に残されたという淋しさを唱ったものです。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年は暦の上で「秋のお彼岸」の前の「十五夜」です。
十五夜の頃になると朝夕には涼しさを感じます。お月見を企画して月に見とれて、夜風邪などお召しにならないようになさってください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月15日「京都、石清水八幡宮祭」です。■
120910_22.jpg石清水八幡宮は、宇佐八幡宮(大分)、筥崎宮(福岡)とともに「日本三大八幡宮」の一つに数えられています。通称「男山八幡宮」。社格は明神二十二社の上七社の一つで、旧社格は官幣大社です。
 
本殿他、建造物9棟が国の重要文化財指定。本社は、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟とされています。
 
御祭神は、中御前に「誉田別命」(ほんだわけのみこと=応神天皇)、西御前に「比咩大神」(ひめおおかみ=宗像三女神)、東御前に「息長帯姫命」(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)の三神を祀り「八幡大神」と総称します。
 
男山」は、京都の裏鬼門にあたり、桂川、宇治川、木津川の3つの川の合流点を挟んで「天王山」と対峙する交通の要所で、政治的にも重要な拠点です。
 
清和天皇即位翌年の貞観元年(859)夏、弘法大師空海の弟子で南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受けました。翌年、清和天皇の命により社殿を建立し創建とします。
 
110909_18.jpg石清水」の社名は、もともと男山に鎮座していた石清水山寺に由来。京都の表鬼門「比叡山延暦寺」と対峙して、京都の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として皇室・朝廷より篤い信仰を受けました。また、源氏、足利氏、徳川氏、今川氏、武田氏など、多くの清和源氏が氏神として信仰したことから、神・弓矢の神・必勝の神として崇敬されました。
 
現代では、松下電器産業創業者で経営の神様とも称された松下幸之助が深く信仰したほか、厄除開運、必勝、商売繁盛、家内安全などの御利益を願って全国から参拝者が訪れます。
 
石清水祭」は、貞観5年(863)旧暦8月15日に八幡大神が男山の裾を流れる放生川のほとりに魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願ったのが始まりです。勅祭として斎行されたのは天暦2年(948)のこと。国家の安寧と国民の幸福が祈願されました。
 
勅祭」とは、天皇陛下のお使いである勅使が直々に天皇からの供物を供えに参向される祭典のこと。全国8万社在る神社の中で、勅祭が行なわれる神社は16社です。
 
石清水祭は、「葵祭」の名で親しまれる「賀茂祭」(京都)「春日祭」(奈良)とともに「三大勅祭」の一つに数えられています。
 
石清水八幡宮
◇京都府八幡市八幡高坊30
◇京阪電車「八幡市駅」ケーブル約3分「男山山上駅」徒歩5分
◇公式HP
http://www.iwashimizu.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
経営の神様と呼ばれた「松下幸之助」が、深く信奉した岩清水八幡宮例祭です。石清水祭りのクライマックスは、真夜中、松明や提灯の灯りだけを頼りに八幡大神をお乗せした御鳳輦(ごほうれん)が、、約500名の神人と呼ばれるお供の列を従え、男山山上の御本殿から山麓の頓宮へとお下りになる「神幸行列」、早朝空が徐々に明けゆく静寂の中粛々と斎行される「奉幣の儀」。これらはまさに平安絵巻から飛び出してきたかのような、尚典雅の優雅さを現代に伝え、文化と歴史を目の当たりにする〝動く古典〟として貴重な文化財といえるでしょう 。
 
とHPにコメントがあります。平安絵巻が高尚典雅の風と表現される、「動く古典」を一見したいものです。
お出かけの際には、昼間が暑くても9月の夕暮れはやや冷えるものです。
夜風などでお風邪をお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月15日「老人の日」15~21日「老人週間」です。■
110915_13.jpg9月15日「老人の日」15~21日「老人週間」です。国民の間に老人の福祉への関心と理解を深めるとともに、老人が自らの生活の向上に努める意欲を促すという二つの目的のために設けられています。
 
国はその趣旨に相応しい事業を実施するよう努めるものとし、国および地方公共団体は、老人の団体その他の者によってその趣旨に相応しい行事が実施されるよう奨励しなければなりません。

◇老人の日、表現の歴史◇
▼昭和22年(1947)兵庫県多可郡野間谷村で行われた敬老行事が始まりといわれます。
▼昭和25年(1950)には9月15日を「としよりの日」にする運動が開始されました。その後「としより」という表現に異議が起こりました。
▼昭和38年(1963)老人福祉法が改正されて、9月15日を法的に定めた「老人の日」と改められ、「老人を敬い慰め、励ますとともに、老人福祉に対する国民的理解を促進し、老人自身もまたその立場を自覚し、新しい社会建設に参加する」こと目的とする様々な敬老行事が催されました。
▼昭和41年(1966)敬老の日」と改められ、国民の祝日に追加されました。 これは「老人」も語感が悪いことから、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨として「敬老」と表現されました。
▼平成13年(2001)老人福祉法の改正により、9月15日を「老人の日」この日より1週間を「老人週間」と定められました。
▼平成15年(2003)から「敬老の日」は、祝日法の改正(ハッピーマンデー)により、9月第3月曜日になっています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
記憶に新しい事柄として、お年寄りが既に亡くなっているにもかかわらず、親族が届出を出さず、そのまま年金を受け取っているケースがありました。アベノミックスで景気低迷から脱出する傾向です。このまま続くことを願っています。
生命はつないでくれた祖父母、先祖がいたからこそ、今の自分自身があるのです。これから「老人週間」、来週には「敬老の日」には高齢者を敬いましょう。
筆者敬白

■9月12~18日「福岡、筥崎宮 放生会」です。■
120824_32.jpg放生会:ほうじょうえ」とは、仏教の戒律「殺生戒」を基に行われる殺生を戒める宗教儀式です。日本では収穫祭や感謝祭の意味も合わせて、春と秋に全国の寺院や八幡社で行われます。捕らえられた魚や貝、鳥や動物などを殺さないで川や池、山林に放ちます。インドでは釈迦存世の時から行われていたと伝わります。
 
特に「筥崎宮の放生会」は、博多三大祭の一つに数えられ、秋の行事として盛大に行われます。筥崎宮(はこざきぐう)は、筥崎八幡宮とも呼ばれ、応神天皇を主祭神とし、神功皇后玉依姫命を配祀する式内社で、日本三大八幡宮の一つです。
 
120824_33.jpg天台宗の開祖「智顗(ちぎ)/天台大師・智者大師とも」は、漁民が雑魚を捨てている様子を見てそれを憐れみ、自分の持ち物を売って金に換え、魚を買い取って放生池に放したことが始まりとされ、法華経を最上の経典とする天台宗の寺院で行われる仏教儀式となりました。
 
120824_34.jpg神仏混淆の時代、放生会は神事でした。養老4年(720)宇佐神宮で行われたのが日本の放生会の始まりとされています。京都岩清水八幡宮でも行われる放生会は岩清水祭とも呼ばれ、9月15日に行われます。
 
筥崎宮
◇福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
◇市営地下鉄「箱崎宮前駅」すぐ
◇JR鹿児島本線「箱崎駅」徒歩10分
◇公式HP:
http://www.hakozakigu.or.jp/


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
筥崎宮(箱崎宮)といえば、楼門の扁額に「敵国降伏」の文字が刻まれています。これは元寇の頃の名残です。記録によると筥崎宮が元寇対策基地だったようです。
このような歴史を持つ筥崎宮が、殺生を戒める放生会を斎行しているところが、日本人の文化といえるでしょう。

夜風など引かないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

120910_21.jpg

世界の法の日は昭和36年(1961)東京で開催されたアジアの会議で、「世界の法の日」が提唱されました。「法による世界平和に関するアジア会議」です。法の支配を国際社会で確立することによって、世界の平和を実現しようという趣旨で開催されました。

これを受けて、昭和40年(1965)9月13日からワシントンで開催された「法による世界平和に関する第2回世界大会」で、この日を「世界の法の日」とすることが宣言されました。「法の支配」への貢献という点では、アジア
発の貴重な例です。

当時の国際社会は、冷戦下のもとで、法の支配を重視することに重要な意義が見出されたのです。しかし冷戦終了後に訪れた、アメリカの一人勝ちの国際社会のもとでは、国連憲章をはじめとする法による支配でなく、「国益による支配」を優先する風潮が目立ちます。

120910_20.jpg21世紀の国際社会を、国際法によって支配
する社会にするためにはそれぞれの国や市民が自ら努力することが、改めて大きな課題となっています。

振り返れば第二次世界大戦から冷戦時代を経て、大国の国益優先の国際社会から、国際法が支配する社会が暴力の連鎖を断ち切る唯一の方法と言えるでしょう。


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
日本国内では、憲法改正の機運が高まっています。また東シナ海や尖閣諸島周辺では権益をめぐって国際紛争の火種になっているように感じます。
法の日にあたって国際紛争については国内法の限界があるように感じます。憲法は足かせばかりではなく国民の生命、財産を守る法律であって欲しいと思うものです。

■9月11日「東京、芝大神宮 しょうが市・だらだら祭り」です。■
120824_29.jpg伊勢神宮の御祭神「天照大神」「豊受大神」を主祭神として祀る「芝大神宮:しばだいじんぐう」は、寛弘2年(1005)の創建。一時期、准勅祭社とされた東京十社のうちの1社で、旧社格は府社。
 
武蔵国日比谷郷に鎮座していたことから「日比谷神明」(日比谷神明宮)、また、飯倉御厨(後の武蔵国飯倉庄)に鎮座していたことから、「飯倉神明」(飯倉神明宮)、さらに、芝の地に住民が居留して後「芝神明」(芝神明宮)と称されるに至りました。
 
鎌倉時代には源頼朝、江戸時代には徳川幕府の篤い信仰と保護下に置かれ、江戸の産土神として庶民の信仰を集め「関東のお伊勢さま」として崇敬されました。
 
120824_30.jpg相殿に源頼朝公、徳川家康公を祀り、末社には出雲社・大国主命(おおくにぬしのみこと)、三島社・事代主命(ことしろぬしのみこと)、金刀比羅社・大物主命(おおものぬしのみこと)、熊野社・伊弉冉命(いざなみのみこと)など、16社の祭神を合祀し、稲荷社も祀られています。
 
芝大神宮例大祭は、10日・宮出し奉仕から始まり、14日・狂言、15日・宵宮、16日・大祭祭儀・神輿渡御・伊勢音頭保存会行列・呈茶席・太鼓、17日・敬老祭・踊り大会・中国太極拳、18日・崇敬婦人部参拝式・清水詩吟会など、16~17日は縁日が行われます。

この祭は、関東のお伊勢さまとして全国から参拝者が集まり、開催期間が11日間にも渡ることから「芝神明のだらだら祭り」とも呼ばれます。
 
120824_31.jpg名物「しょうが市」は、御鎮座の頃の周辺は生姜畑だったことから境内や参道で盛んに販売されたのが始まりです。生姜には毒消し効果があります。江戸時代の軍学者・由井正雪(ゆいしょうせつ)が徳川幕府に謀叛を起こし、玉川上水に毒を流したその時、たまたま上水道の上流で老女が生姜を洗っていたために江戸は助かった、という伝説から、大変な人気になりました。
 
神社で授与される生妻は「御膳生姜」と呼ばれ、厄除け縁起物として人気があり、食せぱ風邪をひかないと言われています。また、芝大神宮は「め組の喧嘩」の舞台として知られます。
 
芝大神宮
◇東京都港区芝大門1-12-7
◇都営地下鉄三田線「御成門駅」
◇浅草線・大江戸線「大門駅」
◇JR山手線「浜松町駅」徒歩5分
◇公式Web
http://www.shibadaijingu.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
芝大神宮例大祭、別称「だらだら祭り」での「しょうが市」は、これから秋が深まり風邪の引きやすい時期に備えて、生姜の持つ殺菌作用で、風邪の予防をしようといって神事です。秋雨前線による秋の長雨から、風邪を引く人が多くなると、示唆しているようです。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月11日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
9月節の「一粒万倍日」です。暦の上では残暑ももうすぐ納まりそうな気配がします。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月10日「二百二十日」です。■
110905_16.jpg「二百二十日:にひゃくはつか」は、雑節の一つで、立春から数えて220日目の日のことです。
 
二百十日(にひゃくとおか)と同じ意味を持ち、徳川幕府の暦編纂係り「渋川春海」が載せたものです。「八朔」・「二百十日」同様に台風の襲来を警戒を促す暦注です。昔から「八朔:はっさく」や「二百十日:にひゃくとうか」とともに「三大厄日」として恐れられてきました。
 
厄日とは、俗にいう「荒れ日」のことで、天候の悪い日の意です。台風が襲来すれば、稲は倒れて水に浸かったり、花が吹き飛ばされてしまい米が実らなくなります。農家にとっては凶作に見舞われる厄日とされます。
 
120811_31.jpg二百十日は徳川幕府の暦編纂係であった渋川春海が、品川の漁師から教わって作ったものだとか。渋川春海は釣り好きで、二百十日の日にも品川の沖に舟を出そうとしました。
 
その時、老漁師が海上の一点を指して「今日は立春から数えて210日目に当たるが、私の50年来の経験によれば、このような日は午後から海は大荒れになるから、釣りに出るのはよした方がいい」と言ったという。果たしてその日は大暴風雨になりました。
 
春海はこの気象現象を長らく研究し、貞享暦(1684)を編纂したときから記載したと伝わります。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
二百十日・二百二十日の台風の来襲は、商いの信用にも例えられています。決済期間210日や220日の手形を「タイフー手形」「風手形」などと言って嫌がります。
これは、豊作になって収穫ができる。または、台風襲来で稲穂が吹き飛ばされて、収穫が出来なくなってしまう。このように、どちらの可能性もあり、商売上、長期間の信用が続かないといった意味です。
9月に入り朝夕は冷え込むようになりました。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月10日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしていました。
ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。
気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■9月9日「重陽」です。■
120824_22.jpg重陽ちょうよう」とは五節句のひとつ。旧暦9月9日の節会のことで、「菊の節句」「九月節句」ともいいます。

◇重陽の意味◇
陰陽思想や易での「偶数=陰(いん)」「奇数=陽(よう)」から、奇数の極みは「9」であり、9月9日は陽(よう)が二つ重なることから「重陽:ちょうよう」といい、大変めでたい日、節句とされました。また「重九:ちょうく」ともいいます。

◇菊の露を飲んで不老不死◇
重陽は邪気を祓い長寿を願う節会として、菊を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わしました。この日の前夜「菊の被綿:きせわた」といって、まだつぼみの菊の花に綿をかぶせ、菊の香りと夜露を染み込ませて、宮中の女官たちが身体を撫でて拭う習慣がありました。
 
120824_23.jpgこれは「菊の露を飲んで不老不死になった」という童話の一節から。枕草子や紫式部日記の中から、菊の風習をうかがうことができます。中国では、菊の花には不老長寿の効果がある薬としての信仰があり、鑑賞用としてより先に、薬用として栽培されていました。皇室の紋章ともなっている菊のルーツは、薬用として中国から伝わりました。
またこの日、丘に登って「茱萸:しゅゆ=かわはじかみ」の実がついた枝を、頭に飾って邪気を祓うという習慣もありました。

◇重陽の節句◇ 
古く唐代の重陽は、2~3日間にわたって祝われました。これは李白の「九月十日即事」からもうかがい知ることができます。
 
日本には平安初期に伝わり「観菊の宴」という宮中儀礼となりました。「重陽の宴」「菊見の宴」とも。天皇をはじめ貴族が京都御所の紫宸殿に集まり、杯に菊の花を浮かべた菊酒を酌み交わし、群臣に詩歌を作らせたりして穢れを祓い長寿を願いました。
 
重陽の節句は江戸時代には、五節句の中で最も公的な行事となり、武家では、菊の花を酒に漬して飲み祝いました。
 
◇庶民の重陽◇
120824_24.jpg旧暦の9月9日は、現在では10月にあたります。ちょうど田畑の秋の収穫の頃で、農山村や庶民の間では「栗の節句」とも呼ばれて「栗飯」などで節句を祝いました。 

江戸時代には盛んに行われていた「重陽の節句」が、現代では忘れられているのは、9月では菊が咲く頃ではないことが主な原因なのかも知れません。
 
■五節句とは、年中行事を行う中で重要とされた日(節目)のことです。
正月7日=人日(じんじつ)
3月3日=上巳(じょうし)
5月5日=端午(たんご)
7月7日=七夕(しちせき)
9月9日=重陽(ちょうよう)


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
重陽と菊は切り離せません。重陽と菊のように、季節の草花を重ね合わせた暦は「八朔」などがあります。明治に新暦が採用になって暦と季節がずれて廃れていく節会や撰日など、季節柄意味が伝わらないものが数多くあります。
日々暦の意味を知りましょう。世知辛い世の中で、今日という日の意味を知る心のゆとりが欲しいものです。
新暦9月9日が「重陽の節句」なので掲載しましたが、旧歴の重陽は全国的に菊の花が咲くころで重陽の宴や伝説と一致します。
お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月9日「多賀大社 九月古例祭」です。■
120824_26.jpg多賀大社:たがたいしゃ」は式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。古くから「お多賀さん」として親しまれています。「お多賀杓子」と称したお守り(杓子)を授ける慣わしがあります。
 
明応3年(1494)「神宮寺」として不動院を建立。中・近世には「伊勢」「熊野」とともに庶民の参詣で賑わいました。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡も。

120824_27.jpg神宮寺:じんぐうじ」とは、日本において神仏習合思想に基づいて神社を実質的に運営していた仏教寺院のこと。明治までは「神仏混合」と言って大方の神社境内にはお寺がありました。

「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大御神が、伊邪那岐命、伊邪那美命両神の御子であることを指します。古くより延命長寿・縁結びの神として全国的な信仰を集め、豊臣秀吉(羽柴秀吉)が厚く崇敬されました。

120824_28.jpg御祭神は「伊邪那岐大神:いざなぎのおおかみ」、「伊邪那美大神:いざなみのおおかみ」。

明治4年(1871)県社兼郷社、明治18年(1885)官幣中社に、大正3年(1914)官幣大社に昇格。昭和22年「多賀神社」から「多賀大社」に改称しました。


「九月古例祭:くがつこれいさい」は、秋の古例まつりで、豊作感謝のお祭りが行なわれます。

多賀大社
◇滋賀県犬上郡多賀町多賀604
◇近江鉄道「多賀大社前駅」徒歩12分
◇JR琵琶湖線「彦根駅」バス10分
◇名神高速「彦根IC」~
◇公式Web
http://www.tagataisya.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
4月の多賀まつりは、さながら歴史絵巻の様相です。祭りの見物客も次々繰り出す行列を見ているだけで壮観さを感じます。9月は重陽の節句に斎行される「九月古例祭」が執り行われます。
「九月古例祭」は4月の古例大祭に次ぐお祭りです。青年二人による豊凶を占う「古知古知(こちこち)相撲」が執り行われます。
9月に入り台風来襲の季節です。台風が近づくと大気が不安定になって、落雷の恐れもあり、近年死者も出ています。お出かけの際には、天気予報をご確認下さい。
筆者敬白

■9月9日「救急の日」です。■
120824_25.jpg毎年9月9日は「救急の日」です。昭和57年(1982)に救急医療及び救急業務に対する国民の正しい理解と認識を深めて、救急医療関係者の意識の高揚を図ることを目的とし「救急医療週間」とともに「救急の日」が定められました。
 
9月9日の9(きゅう)9(きゅう)の語呂合わせで毎年9月9日を「救急の日」とし、この日を含む1週間を「救急医療週間」として、全国各地において応急手当の講習会を中心とした、救急に関するさまざまな行事が実施されています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
9月9日が救急の日というのは語呂あわせです。記念日なのでデータから、救急の姿を見てみましょう。
総務省のデータによると、日本中どこかの救急車が6,15秒に1回の割合で出動している計算になります。救急搬送人員は日本人の実に27人に1人が、1年以内に救急車を利用したことがある計算になります。

事故には日頃からご注意を、健康は心がけからです。
皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月8日「太田、呑竜開山忌」です。■
120824_20.jpg呑竜:どんりゅう」は、戦国時代から江戸時代前期にかけての浄土宗の僧です。字は故信、源蓮社然誉。武蔵国埼玉郡に生まれました。
 
幼くして故郷の林西寺の岌弁(きゅうべん)に師事して出家し、その後、江戸の芝増上寺で修学。後に武蔵国八王子の大善寺の3世となって浄土宗檀林(=浄土宗僧侶の養成所)の基礎固めを行いました。
 
慶長18年(1613)徳川家康が先祖とする新田義重を祀るために呑龍を招聘し、上野国太田に大光院が建立され呑竜はその開山となりました。
 
110905_14.jpg元和2年(1616)、孝心のため国禁を犯した子をかくまい、幕府から譴責されましたが、5年後に赦免されました。また、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、これらの子どもを7歳まで弟子として引き取り養育しました。このことから「子育て呑龍」と呼ばれ慕われました。
 
大光院の山号は義重山。正式名称は義重山大光院新田寺。通称「子育て呑龍:こそだてどんりゅう」「呑龍様」「呑龍さま」などと呼ばれ親しまれ、現在でも多くの親子連れが参拝に訪れます。
 
120824_21.jpg境内には、上人の手植と伝えられる「臥龍の松」があります。関東菊花大会の開催地としてもよく知られ、群馬七福神の弁財天となっています。
 
大光院
◇群馬県太田市金山町37-8
◇東武鉄道「太田駅」徒歩20分
◇北関東自動車道「太田桐生IC」約10分
◇東北自動車道「館林IC」約40分
◇HP:
http://www.daikoin.com/daikoin.html

■9月8日~9月23日「天一天上(てんいちてんじょう)」です。■
天一天上:てんいちてんじょう」とは、陰陽道の歴注で癸巳~戊申の16日間をいいます。 今回は9月8日~9月23日にあたります。
 
110404_20.jpg天一神:てんいちじん」という方角神が天上界に出かけてしまい、期間中は佳日とされています。天一天上の間は天一神の祟りがなく方角の禁忌(悪い方位)はなくなるので、どこに出掛けるにも良しとされました。このことが、縁起を担ぐ相場師に利用されたと伝わります。

かわりに期間中は日遊神が地上に降りて家の中に留まります。屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、自宅は清潔にしておかなければなりません。 

130306_25.jpg天一神は方角神のひとつで、中神(なかがみ)ともいい、地星の霊荒神です。天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。
 
天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを「物忌み」といいます。その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「方違え」をします。
 
「天一神の遊行日」
■乙卯から5日間...卯(東)
■庚申から6日間...巽(南東)
■丙寅から5日間...午(南)
■辛未から6日間...坤(南西)
■丁丑から5日間...酉(西)
■壬午から6日間...乾(北西)
■戊子から5日間...子(北)
■己酉から6日間...艮(北東)
 
この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
天一天上は大自然を怖れ敬って、自然と共に生きている時代に、経験的に感じ取った歴注です。今となっては迷信や神話の域だと見過ごされしまう暦です。
その昔、
情報処理が発達していなかった頃、日遊神の祟りからのがれるために部屋を掃除するところから転じて、株や相場師にとって、天一天上は相場を見直す頃とされていました。
9月後半の天一天上が明ける頃、22日は
二十四節気「秋分」です。北のほうから紅葉の便りが待たれる頃で、朝晩が冷え込む様になりました。

皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

◆二十四節気◆平成28年9月7日「白露(はくろ)」です。◆
9月7日13時51分「白露」です。旧暦8月、酉(とり)の月の正節で、天文学的には太陽が黄経165度の点を通過するときをいいます。新暦9月7日か8日頃。「秋分」前の15日目にあたります。

100901_5.jpg白露とは「しらつゆ」の意です。
二十四節気による四季の区分では、秋の中旬「仲秋:ちゅうしゅう」にあたります。暦便覧には「陰気やうやく重りて、露こごりて白色となれば也」とあります。

陰陽五行説によると、「秋」は金の五時で方位は西、色は白です。 白露の時期とは、秋雨の時期を表わす「露」と五行説での秋色の「白」で白露です。また白は無色なので秋の風を特に「色無き風・金風」と呼びます。

秋気も本格的になりはじめ、大気が冷えて野草にしらつゆが宿り、秋を感じさせます。鶺鴒(せきれい)が鳴き始め、燕(つばめ)が去って行きます。

≪鶺鴒≫
セキレイ=セキレイ科。羽色が鮮やかで、嘴が長い鳥。キセキレイ、セグロセキレイ、ハクセキレイの三種。全長20cm前後の半分は尾。スズメよりやや大きく、ムクドリよりやや小さめで細身です。
 
体は黒白、又は黄と黒色で、尾羽を上下に振りながら歩くのが特徴。山地の川・海岸・水田などの水辺に住み、昆虫などを捕食します。

≪燕≫
ツバメ=スズメ目ツバメ科。全長約17cm。背が黒く、赤いノドと額を持つ。飛行する昆虫を空中で捕食します。日本には3月下旬~4月上旬に飛来。繁殖期には「チュビチュビチュビチュルルルル」というさえずり声で鳴きます。

民家の軒先など人が住む賑やかな環境に、泥と枯草で巣を作ります。これは、天敵であるカラスやスズメが近寄りにくいからだそう。穀物を食べず、水稲栽培で発生する害虫を主食とするため、益鳥として古くから大切に扱われてきました。ツバメを殺したり、巣や雛に悪戯をする事を慣習的に禁じていました。


帰巣性があり、前年と同じ巣に帰り、修繕して利用したり、巣が無い場合はその付近の別の個体の巣や前年営巣した付近に巣を作ります。順調にいけば2回の子育てをし、9月~10月にかけて東南アジアに渡ります。


100901_2.jpg◆◆ 七十二侯 ◆◆
◆初候「草露白」(そうろ しろし):草に降りた露が白く光る。
 ◇草に降りた露が白く光って見える時節。
◆次候「鶺鴒鳴」(せきれい なく):鶺鴒が鳴き始める。
 ◇小川や沼などの水辺で鶺鴒が鳴き始める時節。
◆末候「玄鳥去」(げんちょう さる):燕が南へ帰って行く。
 ◇つばめが南へ帰っていく時節。玄鳥(げんちょう)=つばめの異称。乙鳥(いつちょう)。また、鶴の異称。
 
◆◆ 9月の花 ◆◆
◇彼岸花(ひがんばな)曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
彼岸花科。学名:Lycoris(リコリス)。ギリシャ神話の海の女神の名前「Lycoris」のこと。 原産地中国 
開花時期は9月15~末日頃。秋の彼岸の頃に、突然茎が伸びてきて、鮮やかな色の花を咲かせ、数日で花が終わって茎だけなります。
 
花のあと葉が伸びてきますが、冬と春を越して夏近くなると消えてしまいます。ですから花と葉を同時に見ることは出来ません。葉のあるときには花はなく、花のときには葉がないことから、韓国では「サンチョ(相思華)」と呼ばれます。「花は葉を思い、葉は花を思う」の意。
 
別名の曼珠沙華は「天上の花」の意。目出度い事が起こる兆しに、赤い花が天から降るという経典に由来。
花言葉は「情熱」「悲しい思い出」「独立」「再会」「あきらめ」など。

◇金木犀(きんもくせい)(Fragrant olive)
着犀(もくせい)科。学名:オスマンサス。語源は、ギリシャ語の「osme(香り)+ anthos(花)」原産地は中国南部。
 
開花時期9月下旬~10月10日頃。花が咲いている間、強い香りを放ち、春の沈丁花(じんちょうげ)、夏の梔子(くちなし)に並びます。開花のあと、風雨があるとあっけなく散ってしまいます。
 
中国名「丹桂」。丹=橙色、桂=モクセイ類のこと。日本には江戸時代初期に渡来。静岡県の県の木になっています。
花言葉は「謙遜」「真実」「陶酔」「初恋」など。
 
◇水引(みずひき:写真右)
120817_28.jpg蓼(たで)科。学名:Polygonum filiforme 語源はギリシャ語の「polys(多い)+ gonu(節)」から。茎の節が膨らんで関節のように見えることに由来。

開花時期は8月5日頃~10中旬。上から見ると赤く見え、下から見ると白く見える花を、紅白の水引に見立てたもの。日陰に生えます。葉は時折変わった斑が入ったもの(ふいり)が見られます。
「水引草」(みずひきそう)。
花言葉は「感謝の気持ち」など。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「白露」から9月節です。この時期、例年大風が多く
八朔・二百十日・二百二十日などは、風雨の被害で収穫が影響が出ないようにと、暦にて用心を促しています。
暑い夏の年には台風の上陸が多く、今年は台風10号のように一般的な進路とは違う動きをする台風などが発生し、台風の多い年になりそうです。
夏バテの出る時期で二日灸もこの頃です。体調管理には充分気を配りましょう。
繰り返し読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月4日「敦賀、気比神宮祭」です。■
120817_25.jpg北陸の総鎮守・越前一の宮「気比神宮:けひじんぐう」は、大宝2年(702)の建立と伝わる祭神七座の延喜式内大社で、伊奢沙別神に八幡の神々を祀った貴重な神社の一つ。旧称「気比神社」「笥飯宮」とも。「けいさん」とも呼ばれます。旧社格は官幣大社。
 
昭和20年「敦賀大空襲」で大鳥居だけを残して焼失しましたが、昭和60年以降「昭和の大造営」により再建されました。
 
120817_26.jpg御祭神は「伊奢沙別命:いざさわけのみこと」で、別名「気比大神」。ほか「帯中津彦命(仲哀天皇)」「息長帯姫命(神功皇后)」「日本武尊」「應神天皇」「玉妃命」「武内宿禰命」を祀ります。
 
気比神宮例大祭」(2日~15日)は、2日宵宮祭、3日神幸祭、4日例大祭、5~10日後祭、15日の月次祭まで、市民総参加で賑わう長祭りで、北陸の歴史的年中行事として知られます。
 
120817_27.jpg国道8号線に面して立つ大鳥居は、高さ約11m、柱間約7.5m。国の重要文化財に指定され、木造の鳥居としては、奈良の春日大社広島の厳島神社とともに「日本三大鳥居」の一つとなっています。

海には航海安全と水産漁業の隆昌、陸には産業発展と衣食住の平穏に霊験著しく、篤く信仰されています。気比は「キビ」とも読まれ、御食国の豊穣と大漁祈願が御神徳にあることから、穀類の黍(きび)から出た言葉が所以のようです。

敦賀湾に面して立ち並ぶ気比神宮の神苑「気比の松原」は、「日本三大松原」※のひとつです。

気比神宮
◇福井県敦賀市曙町11-68
◇JR「敦賀駅」徒歩15分
◇北陸自動車道「敦賀IC」10分
◇公式HP
http://kehijingu.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
日本三大松原は異説など有りますが、以下の4松原が候補といわれています。
気比の松原(福井県)、
虹の松原(佐賀県)、
三保の松原(静岡県)、
舞子の松原(兵庫県)
それぞれが見事な松原として観光名所になっています。海岸の松原は日本の風物詩なのかもしれません。
筆者敬白

■9月3日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
9月節の「一粒万倍日」です。暦の上では、もうすぐ「白露」「十五夜」で、秋の気配が漂ってきました。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月2日「二日灸」です。■
110225_18.jpg「二日灸:ふつかきゅう」とは、旧暦8月2日と2月2日に据える「お灸」のことです。もともとは、年が明けて初めて据える灸のことをいいました。
2月と8月の年2回としているところが一般的です。旧暦8月2日には 「灸」をすえて悪病災難除けをする習慣があります。

俳句の季語に使われていることから二日灸は一般的な風習だったようです。または「春の灸」とも。もともと節句の一種だったという説と、中国の「天灸」から来ているという説があります。

「天灸:てんきゅう」は、子供のおでこに「×」や「+」の印を書いて、無病息災を願った呪い(まじない)です。灸と言えばその昔の「お仕置き」の定番でしたが、日本の二日灸もこの日に灸を据えれば「悪病災難に遭わずに元気に過ごせる」という縁起を担いだ呪いでした。

◇鍼灸治療伝来の起源◇
鍼灸治療の起源は古く、中国の殷王朝・周王朝(紀元前1500~700年)時代の黄帝とその家臣が、幾多の問答をしながら薬理の集積を編述した、といわれる医学原典が世界最古の黄帝内経書の素問と霊枢で、この原典の霊枢編には鍼灸が詳しく記されています。

日本には仏教とともに伝えられ、飛鳥時代の欽明天皇の時、中国・呉の国から薬書・明堂図などの鍼灸医書が渡来しました。以来、明治維新までは医学の中枢を担っていました。

◇貝原益軒の養生訓◇
1323_23.jpg江戸時代の儒学者「貝原益軒:かいばらえきけん」の教育書「養生訓:ようじょうくん」には「脾胃(ひい=胃腸)が弱く食が滞りやすい人は毎年2月・8月に灸をするとよい」と書かれています。

その理由は「脾胃が虚弱で食べ物が滞りやすく、またよく下痢をする人は、これは陽気が不足しているからである。こうした人は特に灸がよい。火気をもって土気を補うと、脾胃の陽気が発生して循環がよくなり、食も停滞しないで食欲も盛んになって元気が増える」と。

130227_20.jpg

また、灸を据える位置については「天枢・水分・脾兪・腰眼・三里・京門・章門・天枢」が効果的と書かれています。
 
◇芭蕉の三里、三里のツボは胃のツボ◇
松尾芭蕉が旅に出るとき「三里の経穴(ツボ)」に灸を据えたことは「奥の細道」にも書かれています。「ももひきの破れをつづり、傘の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて...」と。三里に灸の痕がない者とは旅をするな、ともいわれていました。

江戸時代には養生のためにお灸を据えるのは常識でした。足三里は胃のツボで、消化器の働きの調節や血液成分への好影響、呼吸機能の増大、免疫機能の活性化、内分泌系や自律神経系への影響など広範囲に渡る効用があります。

足三里に灸を据えることを「健康灸」というそうです。三里のツボは、膝蓋骨の下端から骨度法で三寸のところ。膝関節の皿の直下にできるくぼみに人さし指を添え、人さし指・中指・薬指・小指を揃えた指幅4本分下がったところです。

「3」という数字は「天・地・人」「上・中・下」などのように「総て」を表し、「里」とは「理」のことで「整理する」「筋道を立てて治める」の意です。三里というツボの名前は「身体全体(三)を調える(里)」からきています。

◇直接灸はプロの技「伊吹もぐさ」◇
現代でも、症状によっては「灸」を施します。しかし、灸は熱くて痕が残るのが欠点。そこで、熱さを緩和するための「間接灸」が流行しているようです。但し、灸は「直接灸」のほうが効果があるらしく、直接灸でも痕を残さずに据えるのがプロの技だとか。

灸に使う「もぐさ」は、蓬(よもぎ)の別名。灸に使う蓬の葉を乾燥して綿状にしたものを「艾」(もぐさ)と表記しています。滋賀県・伊吹山麓で採れる「伊吹もぐさ」が有名。

◇もぐさ屋・亀屋左京、番頭・福助◇
100209_15.jpg「もぐさ屋・亀屋佐京」に、江戸後期の頃、「福助」と言う名の番頭がいました。その番頭・福助は、大きな頭と背の低い身体に裃(かみしも)の礼装をして、深々とお辞儀する「伏見人形」で知られます。福助足袋の登録商標「福助」のモデル。

番頭・福助は正直一途で、感謝の心を常に忘れず、いつも顧客に真心で接したため、商は大いに繁盛しました。伏見の人形屋がこの話を聞き「福を招く縁起物」として売りだすと、これが大流行し、どの商店の店先にも飾られるようになったのです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
これから秋に向かって夏バテが体に出るころです。酷暑で落ちた体力をお灸で緩めましょう。体の奥から疲労が取れて新しい息吹きが湧き上がってきます。
季節の変わり目で日格差のある日が続きます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月1~3日「富山、おわら風の盆」です。■
120817_22.jpgおわら風の盆:おわらかぜのぼん」は、富山県中南部の岐阜県に接する越中八尾(やつお)の民謡行事で、歴史は古く元禄の頃。庶民の生活の実態を、面白可笑しく表現しながら町を練り歩いたことが始まりと伝わります。
 
おわら」とは大笑いのことです。また、豊穣を祝うことから「大藁:おおわら」が語源。五穀豊穣と永世の繁栄を祈り、台風などの風水害を治める祭礼で、二百十日の初秋の風が吹く頃の、9月1~3日にかけて三日三晩踊り続けます。
 
おわら風の盆で知られる「聞名寺:もんみょうじ」は、浄土真宗の古刹。八尾の町は、聞名寺の門前町として栄えました。正応3年(1290)本願寺第三世覚如上人が北陸巡行の際に建立。
 
120817_23.jpg聞名寺「融通念仏縁起」には、中世の八尾地域の念仏信仰が示されています。商家所有の町建ての文書が役人から返還された祝いに、三日間町民が歌い踊りながら町を練り歩いたのが起源とか。これが、盂蘭盆行事となり、さらに「風の盆」に移っていきました。
 
また、越中八尾は「生糸繭の名産地」として有名でした。生糸の産地の多くは、強い風が吹く土地です。養蚕には蚕室の環境に風の通しが必要です。また、桑の害虫を吹き飛ばすのに都合が良いからとか。風は、稲作農業にとっては困りものであっても、養蚕業にとってはなくてはならないものだったのです。
 
養蚕地域では繁忙期がお盆と重なるため、お盆の時期を前後にずらしていました。風の盆は「八朔にずらされた盆」とも。風害を恐れた稲作農民達による「風鎮め」の念仏踊りが踊られた後に、風のおかげで盛んになった生糸産業の町人たちが「おわら」を踊ります。
 
120817_24.jpg八尾は坂が多い町、道幅が狭いのが特色です。細い路地から聞こえてくる「越中おわら節」、三味線や太鼓に哀調を帯びた胡弓の音色が町を包み込みます。民謡に胡弓が入るのはめずらしく、悲しげな響きが独特の味わいをもたらしています。
 
揃いの浴衣に白足袋の女舞い、編笠の間からほんの少し顔を覗かせながら町流しをする早乙女の姿は、優美です。男性の踊り手は股引に法被姿、これらの衣装は大変に高価な素材で作られるそうで、雨天の場合は中止となります。現在でも格子戸や土塀造りの家々が立ち並ぶ、門前町として栄えた人口約2万人の町は、この3日間で延べ25万人の人出で賑わいます。
 
開催地
◇富山県富山市八尾町
◇JR「富山駅」八尾行きバス40分
◇JR高山本線「越中八尾駅」すぐ
◇運営委員会Web
http://www.yatsuo.net/kazenobon/  

聞名寺
◇富山市八尾町今町
◇JR「富山駅」八尾行バス40分
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■9月2日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしていました。
ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。
気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

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■9月2日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。


江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」などど言われます。迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■9月1日「旧八朔(はっさく)」です。■
八朔:はっさく」とは、旧暦8月1日のことで、「八」は「8月」、「朔」は「ついたち」の意。
 
110728_6.jpg農家では、その年に取り入れた新しい稲などを、主家や恩人、知人に贈る風習がありました。のちに町家でも流行し、この日に上下貴賎それぞれ贈り物をするようになりました。
 
田実の祝い:たのみのいわい」「田の実の節句」ともいい、田の実とは稲の実りのことを意味し、これを祝うことから起こったといわれています。もともとは神への供物でしたが、「田の実」に「頼み」をかけて、頼み合っている人に恩を感謝するのだとか。
 
鎌倉後期より武家社会にもこの風習が取り入れられ、江戸時代には徳川家康の江戸城入城が「天正18年8月朔日」だったことから、幕府の重要な式日となり、正月に次ぐ祝日とされ、特に重んじていました。
 
明治改暦後は、新暦8月1日または月遅れ9月1日になりました。平成24年9月16日は旧暦の8月1日で「八朔」です。
 
110801_19.jpg農家では「八朔の苦餅」や「八朔の泣きまんじゅう」といって、ぼたもちを食して祝いました。この日以降、下男下女の夜なべが始まり、辛い日々が待ち受けていました。
 
江戸の遊里吉原では、この日は紋日となっていて、遊女達は白無垢の小袖を着て客席に出たり、おいらん道中を行ったりしました。京都祇園では芸妓や舞妓が盛装し、お師匠さんや出入りの茶屋などへ挨拶に回ります。
 
また「八朔」は、8月1日頃に吹く強い風のこともいい、農家にとって二百十日・二百二十日とともに「厄日」(三大厄日)として、収穫前の稲の大敵として恐れられていました。
 
因みに、みかんの一品種「八朔・はっさく」は、1860年頃、広島県の寺の境内で偶然に発見された品種で、当時の住職が「八朔には食べられる」と言ったことから、八朔という名前がつきました。
 

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
旧暦の8月1日(平成28年は9月1日)が八朔です。
この時期は風が強く台風の上陸が多い頃とされています。
今年は台風の多い年ですでに北海道に3つ台風が上陸しました。
暦の上では二百十日~二百二十日~八朔の時期が台風の時期です。季節の便りを書いていると旧暦のほうが自然環境に適合しているのがわかります。

皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■9月1日「防災の日」「関東大震災記念日」です。■
140828_20.jpg大正12年(1923)9月1日午前11時58分44秒、伊豆大島付近、相模湾北西部の相模トラフ(北緯35.1度・東経139.5度)を震源とする海溝型大地震が発生しました。
 
マグニチュード7.9、震度6の大地震は関東地方を襲い、地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、東京では150ケ所以上から火災が起こりました。折りしも能登半島付近の台風により、関東地方全域では暴風域、東京では火災旋風を引き起こしながら、なんと3日間に渡って燃え広がりました。因みに、地震以後も気象観測を続けた東京の中央気象台によれば、9月1日の21時頃から異常な高温を観測、翌2日未明には最高気温46.4度を観測しました。
 
110829_12.jpg地震と火災の混乱の中、水も電気も止まって大混乱の末、23万人もの死傷者が出てしまいました。焼損面積は、東京ドームに換算すると約1400倍の広さになるそうです。この地震による死者不明者は14万2807名、家屋全半壊25万4千件余、山岳部では山崩れが多数発生し、沿岸部では津波が発生しました。
 
地震そのものが原因と思われる死者は2千名ほどで、ほとんどは火災による死者です。津波による被害は、太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で高さ10m以上の津波が記録されました。山崩れ、崖崩れ、それに伴なう土石流による家屋の流失、埋没の被害は、神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生。列車が駅舎とホームもろとも土石流により海中に転落し、百人以上の死者を出しました。

120817_21.jpg震災の被害の大きさから、一時は遷都も検討されたそうで、遷都の候補地には姫路や京城(ソウル)などが挙げられていました。
 
防災の日」は、関東大震災を教訓として防災意識を高めるために、昭和35年(1960)に制定されました。この頃に台風の襲来があることも制定の理由の一つです。制定の前年には、被害が大きかった伊勢湾台風が襲来しています。

140828_21.jpgこの日「関東大震災記念日」として、被服廠跡(現在東京都横網町公園)東京都慰霊堂では、毎年2回(春季-3月10日、秋季-9月1日)慰霊大法要が行われています。
(写真右下)など、各被災地で慰霊祭が行われます。

 
いざという時に備え、避難場所の確認や非常持ち出し袋の用意をしておきましょう。両手が使えるリュックサックなどに「飲料水・携帯ラジオ・衣類・履物・食料品・マッチやライター・貴重品・懐中電灯・ロウソク・救急セット・筆記用具・雨具(防寒)・チリ紙など」を入れて、目に付きやすい所に置いておきます。
 
災害直後に持ち出しが出来なくても、後々に使用できるように、簡易ガスこんろ・固形燃料・水やインスタント食品のストックがあるといいでしょう。
 
火災に備えては、消化器・三角消化バケツ・風呂の汲み置きなど。避難や救出に備えては、斧・ハンマー・スコップ・バール・防水シート・のこぎり等。
 
地震の時、家具や電化製品の転倒や落下物による被害は意外と多いもの。この機会に今一度点検してみましょう。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
私たちは、科学技術の進歩で、自然を克服したと勘違いしたのかもしてません。
人間は自然の中の生き物です。科学技術が進んでも、自然との調和を忘れてはいけません。
東日本大震災の地震や津波、近年のゲリラ豪雨や竜巻は、言葉を発しない地球からの警告だったのかもしれません。
夏から秋への季節の変わり目です。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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このページよりも下に掲載してある9月の「暦」
平成27年9月(去年)のものです。

平成28年(今年)になってからの、祭礼や行事は
旧暦を採用しいるケースもあり、
去年とは月や日が変わることがあります。

平成28年の「暦」は、
祭礼や行事の2~4日前には
季節お便り」として掲載します。
是非そちらをご覧下さい。

お楽しみに。
筆者敬白

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■8月30日~「十方暮れ入り」です。
110324_12.jpg十方暮れ:じっぽうぐれ・じゅっぽうぐれ」とは、干支を五行に配当したときに「上下互いに尅(こく)する」干支「甲申~癸巳」までの10日間のことをいいます。
但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。 

今回の十方暮れは8月30日~9月8日までです。

8月30日 甲申=金尅木 
8月31日 乙酉=金尅木
9月01日 丙戌=火生土(間日)
9月02日 丁亥=水尅火 
9月03日 戊子=土尅水 
9月04日 己丑=土和土(間日)
9月05日 庚寅=金尅木 
9月06日 辛卯=金尅木 
9月07日 壬辰=土尅水 
9月08日 癸巳=水尅火


120712_64.jpg十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。四正(しせい)方位「東西南北」と、四隅(しぐう)方位「南東・南西・北西・北東」の八方位に「天地」を合わせた十方位のことです。または「十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に存在する世界の全部のことを示します。
 
この十方が「四方八方閉ざされた状態」を「十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。または「十方暗」「十方闇」ともいいます。
 
それにしても、やはり「とほうくれ」と読みたくなるほど、うまくいかなく「途方に暮れる」期間なのでしょう。十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「十方ぐれ」は発祥は定かではありませんが、五行説では干支の組み合わせから「相性の合わない日」とされています。この時期、雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気
が続きます。転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。
これは、十方(方位八方向に上と下を合わせて十方)の気が塞がっていて、何の相談ごとも解決出来ない期間とされています。

せっかちさから、業を煮やして事を起こしても逆効果です。解決どころか反対に、こじらせて損失を招く恐れがあります。このような時期には、慌てずに「過ぎるを待つ」のが最大の解決方法です。
筆者敬白

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■9月23日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。


江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」などど言われます。迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。

 

■9月6日「京都、旧地蔵ぼん」です。■
120813_29.jpg地蔵盆:じぞうぼん」とは、地蔵菩薩の縁日のことで、または地蔵祭、夏休みの最後の行事として主に滋賀、京都、大阪などの関西各地域で盛んに行われています。
 
もともと「地蔵会:じぞうえ」、「地蔵祭」と呼ばれていましたが、8月24日が裏盆(※)で、盂蘭盆にちなんで「地蔵盆」と呼ばれるようになりました。
 
正確には、地蔵盆は、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角の辻に立つ地蔵(お地蔵様)が対象です。寺院の中に祀られている地蔵菩薩を対象としてはいませんが、いつしか混交して同一視されるようになりました。
 
120813_28.jpg「地蔵菩薩」は中近世以降、子供の守り神として信仰されました。「地蔵菩薩」は、親よりも先に亡くなった子供が賽の河原(さいのかわら=親不孝の報いで苦を受ける場)で苦しんでいるのを救うという。
 
お地蔵さまのある町内ではこの日、お地蔵さまを洗い清め、新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付け、お地蔵さまの前に集って灯籠を立てたり、お供え物をして祀ります。
 
京都では、子供が生まれるとその子の名前を書いた提灯を奉納する風習があります。女の子は赤い提灯、男の子は白い提灯で、その子が地蔵盆に参加しているあいだ毎年飾ります。
 
120709_45.jpg子供たちは供養の菓子や手料理などを
振舞われます。お地蔵さん巡りをして、お接待を受けることも。僧による読経が行われるところもあります。「数珠繰り:じゅずくり」(右写真)又は「数珠回し」は、直径2~3mの大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順に回す儀式です。


盂蘭盆の終わりのことを「裏盆」といいます。お盆とは13日~16日。7月盆、8月盆とありますが、お盆の終わりと言えば16日です。裏盆の時期も16日、20日、24日、27日など地域ごとにまちまちです。


◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
地蔵盆は西日本では盛んです。道祖神やお地蔵様が比較的少ない関東や東北では、それほど盛んではないようです。地域や習慣は違っても、子供の成長を願う親心に古今東西変わりはないようです。
近年、親が子供を虐待する報道を、耳にするようになりました。慈愛の心をもって子供に接してもらいたいものです。
筆者敬白

八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
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