二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

3月のお便り

■3月31日「イースター(復活祭)」です。■
130306_26.jpg十字架にかけられたイエス・キリストは、死後3日目にしてよみがえったという。復活を祝う「復活祭:ふっかつさい」は、キリスト教の典礼暦における最も重要な祝い日です。正式には「御復活の大祝日」といい、「復活の主日」「イースター」とも言われます。
 
復活祭は、キリスト受難の聖金曜日から3日目の日曜日。春分の日のあとの満月の次の日曜日にあたり、太陽暦では3月23日から4月25日なでの間に行われます。
 
鶏卵の殻に鮮やかな彩色を施したり、美しい包装をしたゆで卵「イースター・エッグ:Easter egg」を飾る風習は古くより存在し、復活祭の休日もしくは春を祝う為に作られます。
 
120321_44.jpgこれは、ヒナが卵から生まれることを、イエスが墓から出て復活したことを結びつけたもの。また、冬が終わって草木に再び生命が甦る喜びを表したもの。卵は「イースター・バニー」が運んで来る(産む)ものとされています。近年は、卵をかたどったチョコレートも広く用いられています。
 
古来より豊穣の象徴であるウサギは、多産なので生命の象徴とし、跳ね回る様子が生命の躍動を表しているといわれます。イースター・エッグ同様、ウサギをかたどったチョコレートやパンが作られます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
平成25年の復活祭は3月31日です。東日本大震災から2年が過ぎました。被災地でイースター・エッグやウサギのパンが飾れる本物の「復活祭」になって欲しいものです。
筆者敬白

■3月30日~4月5日「奈良、薬師寺花会式」です。■
120312_41.jpg南都七大寺の一つ「薬師寺:やくしじ」は、興福寺(こうふくじ)とともに法相宗の大本山です。本尊は「薬師三尊」(薬師如来を中尊、日光菩薩・月光菩薩を左右脇侍の形式)。
 
天武天皇により発願、持統天皇により本尊開眼、文武天皇により飛鳥の地に堂が完成。後の平城遷都に伴い、現在の奈良市西ノ京町に移されました。
 
120312_42.jpg西国薬師四十九霊場1番。南都七大寺6番。神仏霊場巡拝の道第25番。平成10年(1998)古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録されています。
花会式:はなえしき」とは、修二会(しゅにえ)とも呼ばれる行事の一つで、奈良の大寺において「国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽」などを祈願する春の行事です。

梅・菊・百合・かきつばたなどの造花を本尊に供えるところから花会式と呼ばれ、春を告げる行事として人々に親しまれています。
毎年3月30日から4月5日にかけて、練行衆による「悔過法要」が行われ、最終日の夜「鬼追式」をもって結願とし、法会を締めくくります。

130306_24.jpg薬師寺
◇奈良県奈良市西ノ京町457
◇近鉄難波から京都から「大和西大寺」乗り換え「西ノ京駅」下車。
◇西名阪「郡山IC」から、第二阪奈道路から20分。
◇花会式Web:http://www.nara-yakushiji.com/contents/hanaesiki/index.html
◇公式Web:http://www.nara-yakushiji.com/


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
修二会は「国家繁、栄五穀豊穣、万民豊楽」の祈願です。
もう4月、季節の変わり目です。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月27~28日「東京、品川 千体荒神大祭」です。■
120316_50.jpg千躰荒神の名で知られる「龍吟山海雲寺:かいうんじ」は、鎌倉時代の建長3年(1251)僧不山(そうふざん)によって開基の臨済宗海安寺の末寺でしたが、のちに曹洞宗に改宗されました。

「千体荒神」の由来は、三百余年前の島原の乱「鍋島甲斐守直澄公」が鎮圧に出陣なさいました。道すがら肥前天草の荒神ヶ原に鎮座の荒神様に必勝祈願をなさって出馬したところ、甲斐守様の先頭に千余の神兵が現れました。

その行動は、荒神王と思はれるすさまじさに圧倒され、暴徒も鎮定しました。 その後に霊験あらたかとして海雲寺に引き継がれたものと伝わります。

真言は:おん けんばや けんばや そわか おん あら はしゃのう あきに びぎゃら うん そわか

荒神(こうじん)は、竈の神・火の神・水の神として知られ、火伏せ信仰の寺として多くの人が護符と荒神松を求めて参詣します。

120312_40.jpg

護符を頒布する祭礼は、江戸時代から続く春秋の例大祭。千躰荒神王がご開帳となり、家内安全、火災消除を祈願して大護摩修行が行われます。各家庭の台所に祀っているお宮を風呂敷に包んで持参し、護摩の火で清めてもらい、新しいお札を頂いて帰ります。その帰り道では決して寄り道をしてはいけないとされています。

境内や門前の旧東海道には、縁起物のお釜の形をした名物「窯オコシ」や、荒神松、くず餅などが売られる他、多くの露店が立並び多くの参拝者で賑わいます。

春は3月27~28日、秋は11月27~28日。

海雲寺
品川区南品川3-5-21
◇京浜急行「青物横丁駅」徒歩5分
◇品川千躰荒神王Web:http://www.sentaikoujin.com/index.html

◆◆◆◆参考:品川は◆◆◆◆ 
東京「品川:しながわ」といっても、品川という川があるわけではありません。もともと、目黒川の下流から河口付近一帯の地域を品川と言いました。

品川の名の由来は、目黒川の古名とする説と、上無川(神奈川の語源)に対して、下無川(しもなしかわ)が略されて品川になったとする説。高輪に対して品ヶ輪とした説などがあります。

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目黒川は北品川と南品川の間を流れ、現在は天王洲アイルの南側で東京湾に注いでいます。旧東海道から沖合いの殆どが近代以降の埋め立て地となっています。

江戸時代には、東海道、江戸口の一番目の宿場町「品川宿」として栄えました。江戸の港町としても栄え、上方へ向かう廻船が品川湊から出航しました。

また、日本初の鉄道が「品川-横浜(現在の桜木町駅)間」に敷設されたのは、明治4年(1872)6月のことで、これは「新橋-横浜間」に先立つ仮開業です。現在では東海道新幹線の停車駅になっています。

品川宿では千体荒神祭の他に、宿場祭り、虚空蔵尊祭、天王祭などが有名で、それぞれ大いに賑わいます。


■3月27、28日「利休忌」です。■
120306_66.jpg千家流茶道の開祖・千利休は、秀吉の命により、天正19年2月28日に自害しました。その1ヶ月後れを命日とし、表千家は27日、裏千家は28日に追善茶会を行っています。表千家、裏千家ともに利休像をかかげます。当主が茶を献じて社中門弟が茶事で供養します。調度はすべて利休の遺品が用いられます。

千利休(せんのりきゅう・せんりきゅう)は、中世末期、戦国時代、安土桃山時代の茶人。何も削るものがないところまで無駄を省き、緊張感を作り出すという「わび茶(草庵の茶)」の完成者として知られます。

和泉の国・堺の商家「魚屋(ととや)」の生まれ。家業は納屋衆(倉庫業)。幼名は与四郎、後に法名宗易(そうえき)、抛筌斎とも。幼少の頃より茶の湯に親しみ、17歳で北向道陳について茶道を習い始め、後に武野紹鴎に師事し、師とともに茶の湯の改革に取り組みました。堺の南宗寺に参禅し、その本山である京都郊外紫野の大徳寺とも親しく交わっていました。

120306_67.jpg16世紀末、茶の湯は貿易都市堺を中心に大いに流行しました。堺の有力商人たちは、名物とされる茶器を蒐集し、新たなスタイルの茶の湯を楽しみました。

その頃、織田信長は将軍・足利義昭を京都から追放、室町幕府は崩壊。信長が天下統一に向けて、その勢力が隆盛を迎えつつあった時代、信長は茶の湯の流行に着目し、自身も数寄大名として茶の湯を嗜みました。

茶の湯を政略的に利用した信長の政治は「御茶湯御政道」ともいわれます。また「名物狩り」による茶器の蒐集に力を入れ、手柄を立てた家臣には恩賞として名物の茶器が与えられました。その結果、名器には一国一城と同等の価値付けがなされたのです。

130306_23.jpg利休は織田信長に茶頭として雇われ、後に豊臣秀吉に仕えました。秀吉の重い信任を受け、正親町天皇への禁中献茶に奉仕し、宮中参内するため居士号「利休」を勅賜されました。また、黄金の茶室の設計などを行いながら、草庵茶室の創出、楽茶碗の製作、竹の花入の使用を始めるなど、わび茶の完成へと向かっていきます。

秀吉の聚楽城内に屋敷を構え、聚楽第の築庭にも関わり、碌も三千石を賜わるなど、茶人としての名声の絶頂にありました。天下人の側近として、また天下一の茶の湯者として名を馳せた利休の生涯は、皮肉にもその天下人・秀吉との対立により幕を閉じることに。

天正19年閏1月24日、利休は徳川家康1人を茶会に招いています。これが記録に残る利休の生涯で最後の茶会となりました。翌2月13日、秀吉から堺へ追放令が出され、利休は堺へ蟄居となりました。

前田利家や、利休七哲のうち古田織部細川忠興ら大名である弟子たちが奔走しましたが助命は適わず。京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられます。雷鳴が轟き、霰が降る荒れた天候の中、利休は聚楽屋敷でその70年の生涯を閉じました。

切腹の際、弟子の大名たちが利休奪還を図る恐れがあるとして秀吉の軍勢が屋敷を取り囲んだとか。死後、利休の首は一条戻橋で梟首させられました。

辞世の句「人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛」

利休の高弟・山上宗二の記した「山上宗二記」や、利休百年忌の元禄3年(1690)に成立した「南方録」は、利休の茶の湯にふれた初期の史料として知られます。また、昭和15年(1940)利休350年忌には様々な利休に関する研究が著されました。
 
120306_68.jpg今日の茶の湯の流れは、その多くが利休に源を発しています。茶の湯が日本の代表的な文化の一つとして人々に受け入れられているのは、利休が大成した茶の湯を後世の人達がいかにして継承してきたかということも重要な要素ですが、利休は自身の「わび茶」にかなう道具を、専門の職人に命じて作らせています。
 
直接目に見る美しさではなく、その風情のなかに美的な境地や、心の充足を探求しようとする精神をもって見ることのできる美しさ、即ち「目」ではなく「心」で見る美しさが利休の「わび」なのです。

茶道の千家流には「千家表流」「千家裏流」「官休庵流」の3つがあります。
 
利休の孫である宗旦(そうたん)は、三男の宗左(そうさ)に家を譲って後庭に隠居所を作りました。この隠居所のあとを継いだのが宗旦の四男宗室(そうしつ)で、宗室は「裏千家」と称し、本家を「表千家」と呼ぶようになりました。

官休庵流(武者小路千家)は、宗旦の次男宗守がはじめたものです。京都の武者小路に茶室を置いたので、この名があります。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
表千家では3月27日、裏千家では3月28日に利休忌追善の茶会を催します。日本の伝統文化のルーツを振り返り、当時に思いを馳せることも心の栄養になることでしょう。不況感で先が見えない時世です。苦しい時にこそ歴史を振り返り、日々の喧騒に余裕を持ちもたいものです。
筆者敬白

3月24日「彼岸の明け」です。
120301_21.jpg彼岸:ひがん」とは暦上の雑節の一つです。春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことを指す場合もあります。

彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは日本独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。

彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越してすごし易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。

100915_5.jpg明日3月23日は彼岸の明けです。忙しくて墓参りを忘れていた方、これを機会に先祖に会いに墓参りをしましょう。つい忙しくて、後回しにしていませんか?「忙しい」という文字は「心」を「忘れる」と書きます。
まずは墓参に出向きましょう。辛いこと、困ったことなどこの局面をどう判断するだろうか。など、日頃声に出せないものを、墓の前で問いかけてみまると、祖先の叡智が沸いてくるものです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
お彼岸が明けると、3月末年度末がもうすぐです。年度末から新年度は何かと慌ただしい日が続きます。忙しさに心を失わないよう読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月25日「電気記念日」です。■
明治11年(1878)3月25日、日本で初めて電気が灯りました。

120306_69.jpgこの日、東京都中央区銀座木挽町で電信中央局の開設祝賀会が、虎ノ門の工部大学校(現在の東大工学部)ホールで開かれました。式場でイギリス人エアートン教授が「50個のアーク灯」を一斉に点灯させました。

エジソンが実用的な炭素電球「白熱灯」を発明したのは1879年のことです。その白熱灯が日本にも輸入され、明治19年(1879)には東京に電灯会社が生まれました。

120306_65.jpg電気の動力への利用は、明治23年(1890)11月、東京・浅草の凌雲閣(12階建て)のエレベーター用として、7馬力電気モーターに供給されたのが初めてです。明治28年2月には、京都伏見線電気鉄道が初めて営業運転を行いました。

昭和2年「日本電気協会」総会で、3月25日を「電気記念日」と制定しました。翌年の昭和3年から毎年、全国各地で記念行事が開催されています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今日では当たり前の「電気」ですが、東日本大震災時には東京都内でも輪番で停電を実施しました。停電して初めてありがたさを実感したものです。私たちは、日頃当たり前ものが無くなると、とたんに不自由さを覚えるものです。これを機会にいわゆる「当たり前」に気持ちを置いて感謝しましょう。
筆者敬白

■3月24日旧「二の午(にのうま)」です。■
120221_42.jpg天界より宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ:稲荷大神)が伊奈利山(稲荷山)に天降りて、三ヶ峰に初めて鎮座した「和銅4年(711)午の日」の祭りは、2月の最初の午の日を「初午」といい、次の午の日を「二の午」といって稲荷の縁日が行われます。

稲荷神は日本の神さまで、稲荷大明神ともいい「お稲荷さん」「お稲荷様」と呼ばれ親しまれています。

「稲荷信仰:いなりしんこう」は江戸時代に最も盛んでした。江戸に多いものとして「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」と数えられたように、江戸にはいたるところにお稲荷さんがありました。

有名な稲荷神社の他に旗本、大名などの武家屋敷には必ず稲荷祠があり、町家の裏庭や長屋にも守り神として祠がありました。

もともと、午の日は子供の祭りで、武家屋敷では近隣の町家の子供たちを招いて遊ぶことを許したり、団子や甘酒、鮨、菓子など振舞っていたようです。現在は産業全般の神として信仰されています。

120221_43.jpg稲荷神社の総本社は、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」です。また、神仏習合思想においては仏法における荼吉尼天(だきにてん)が本地仏とされ、その総本社は豊川稲荷(とよかわいなり)です。

「荼枳尼天:だきにてん・荼吉尼天」は仏教の神。荼吉尼は梵語のダーキニー(Dakini)を音訳したもので、もとはインドの女神でした。もともと農業の神でしたが、のちに「性や愛欲を司る神」とされ、さらには「人肉もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神」とされるようになりました。

ヒンドゥー教では、カーリーの眷属とされます。この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとしています。自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べるといわれています。

眷属仏に対する様々な菩薩などを指す語として用いられ、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆などを指す。

伏見稲荷大社
◇京都市伏見区深草藪之内町68
◇公式Web
http://inari.jp/

豊川稲荷(圓福山豊川閣妙厳寺)
◇愛知県豊川市豊川町1
◇公式Web
http://toyokawainari.jp/

■3月23日~「天一天上(てんいちてんじょう)」です。■
天一天上:てんいちてんじょう」とは、陰陽道の歴注で癸巳~戊申の16日間をいいます。 今回は3月28日~4月12日にあたります。
 
110404_20.jpg天一神:てんいちじん」という方角神が天上界に出かけてしまい、期間中は佳日とされています。天一天上の間は天一神の祟りがなく方角の禁忌(悪い方位)はなくなるので、どこに出掛けるにも良しとされました。このことが、縁起を担ぐ相場師に利用されたと伝わります。

かわりに期間中は日遊神が地上に降りて家の中に留まります。屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、自宅は清潔にしておかなければなりません。 

130306_25.jpg天一神は方角神のひとつで、中神(なかがみ)ともいい、地星の霊荒神です。天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。
 
天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを「物忌み」といいます。その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「方違え」をします。
 
「天一神の遊行日」
■乙卯から5日間...卯(東)
■庚申から6日間...巽(南東)
■丙寅から5日間...午(南)
■辛未から6日間...坤(南西)
■丁丑から5日間...酉(西)
■壬午から6日間...乾(北西)
■戊子から5日間...子(北)
■己酉から6日間...艮(北東)
 
この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
人間が大自然を怖れて、自然と共に生きている時代に、経験的に感じ取った歴注です。今となっては迷信や神話の域だと見過ごされしまう暦です。その昔情報処理が発達していなかった頃、日遊神の祟りからのがれるために掃除にするところから転じて、株や相場にとって、天一天上は相場を見直す時期とされていました。
寒い日が続いた3月でしたが天一天上が明けると4月中旬です。春の息吹からGWの話題を耳にします。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

3月21日「彼岸中日」です。
120304_50.jpg彼岸:ひがん」とは暦上の雑節の一つです。春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の

中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことを指す場合もあります。

彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。

春分の日は、お彼岸の中日です。暦の上では「真西」に沈む太陽は、「極楽の東門」に入ると伝えられています。この日の太陽を拝むと、十万億土を隔てた「極楽浄土」の東門を拝むことになります。この極楽が最も近くなる日が「彼岸の中日」と考えられているのです。

この日に故人の霊を供養すると、迷わず極楽浄土に成仏できるといわれていて、死者の冥福を祈り、仏供養、おはぎ(ぼたもち)、草餅、五目ずし、稲荷ずしなどを作ってお墓参りをします。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは日本独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。

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お彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎやすくなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」という言うように、寒さも峠を越して温和な気候になります。彼岸の中日にも増して「弘法大師」に関連した行事が多いのは、空海の入定が3月21日だったためでしょう。

「平等院」の庭と建物は「極楽浄土」を表し「浄土庭園」と呼ばれます。鳳凰堂の前を流れる宇治川は「彼岸の河」に見立てられ、「来世(彼岸)西方浄土(鳳凰堂)」と「現世(此岸)宇治川の対岸」という仮想の世界が現されています。彼岸の中日夕刻には鳳凰堂の中央背後(西方)に日が沈みます。

ちなみに「平等院鳳凰堂」は国宝に指定されています。十円銅貨の平等院鳳凰堂、一万円札の鳳凰図は、鳳凰堂の屋根の鳳凰をデザインしたものです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
お彼岸の中日です。これを機会に
墓参に出向きましょう。辛いこと、困ったことや、この局面をどう判断するだろうか。など声に出せないものを、墓前で問いかけてみましょう。祖先の叡智が心に届くことでしょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月22日「奈良、法隆寺 お会式」です。■
120306_60.jpg聖徳宗の総本山「法隆寺:ほうりゅうじ」は、日本仏教興隆の祖・聖徳太子が創建した寺院です。別名「斑鳩寺:いかるがでら」とも。

用明天皇が自らの病気平癒を祈って、寺と仏像を造ることを誓願。しかし、その実現を見ないままに崩御しました。推古天皇と聖徳太子が遺願を引き継ぎ、推古15年(607)に、寺とその本尊「薬師如来:やくしにょらい」を造られたと伝わります。

金堂、五重塔などがある「西院」と、夢殿などのある「東院」に分かれ、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群です。

飛鳥時代の姿を現在に伝える法隆寺の建築物群は、法起寺とともに「法隆寺地域の仏教建造物」として、1993年ユネスコ世界文化遺産に登
録されました。

110316_15.jpgお会式:おえしき」は、夢殿が建立された後の天平20年(748)頃に始まり、毎年3月22~24日に行われます。これは、聖徳太子の命日法要で、その遺徳をたたえ、供養します。

毎年行われる聖霊院の法要を「小会式」と呼び、聖霊院で行なわれますが、10年に1度、大講堂で「大会式」が行なわれ、独特の供物が捧げられます。雅楽の流れる中、寺僧たちが「訓迦陀:くんかだ」と呼ばれる仏の徳をたたえる「声明:しょうみょう」を唱え、太子の徳を讃嘆します。

120304_57.jpg◇◇◇聖徳太子◇◇◇
聖徳太子」は、用明天皇の第二皇子。母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。本名は「厩戸:うまやど」で、厩戸の前で出産したことによるとの説と、生誕地の付近の厩戸という地名から名付けられたという説があります。

別名「豊聡耳:とよさとみみ」、「上宮王:かみつみやおう」とも。古事記では「上宮之厩戸豊聡耳命」と表記されます。日本書紀では「厩戸皇子」のほかに「豊耳聡聖徳」「豊聡耳法大王」「法主王」と表記多数。

聖徳太子という名は平安時代から広く用いられ、一般的な呼称となりましたが、後世に付けられた尊称(追号)であるという理由から、近年では「厩戸王:うまやどおう」の呼び方に変更しているものもあります。

法隆寺
◇奈良県斑鳩町法隆寺山内1-1 
◇JR「法隆寺駅」徒歩20分、バス「法隆寺門前」
◇JR「王寺駅」バス「法隆寺前」
法隆寺Web:
http://www.horyuji.or.jp/index.htm
法隆寺お会式web:http://www.horyuji.or.jp/oeshiki.htm
聖徳太子参考ブログ:http://www.asuka-tobira.com/syotokutaishi/shotokutaishi.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
奈良県といえばぬるキャラの代表格「せんと君」に代表される平城京遷都1300年祭が平成22年に大々的に開催されました。現在でも法隆寺近くには1300年祭のなごりが見受けられます。お会式を機会に歴史に触れてみましょう。
「春分」を過ぎ、暖かさを感じます。季節の変わり目です。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月22日「NHK放送記念日」です。■
130306_20.jpgこの3月22日のNHK放送記念日は、大正14年(1925)3月22日にNHK(当時東京放送局)がラジオの仮放送を始めたのを記念し、昭和13年に制定されたものです。

東京放送局は電機メーカーや新聞社などが共同で設立した社団法人で、初代の総裁は東京市長や逓信大臣・満州鉄道総裁などとしても知られる後藤新平でした。当時同様の動きが東京・大阪・名古屋にもあり、JOAK=東京放送局、JOBK=大阪放送局、JOCK=名古屋放送局、とそれぞれコールサインが決められていました。

この時期に放送局が相次いでラジオ局が産声をあげたのは大正12年(1923)の関東大震災の反省からです。震災当時、多くの根もない噂が飛び交い、そのために朝鮮系の人たちが襲撃されて命を落としたりという事件が多数起きました。そこで、何時にでもいち早くに国民に正しい情報を伝えるメディアが望まれたのでした。

関東大震災の復興に東京市長として尽力した後藤新平は、特にこのラジオ放送の事業に乗り気であったと伝わります。

130306_21.jpgNHK(現日本放送協会)は、大正14年(1925)3月1日に開局し、22日午前9時30分、東京芝浦にあった東京高等工芸学校に設けられた仮設スタジオから「JOAK。こちらは東京放送であります。こんにちただいまより放送を開始いたします。」という京田武男アナウンサーによる第一声が流れました。これが日本におけるラジオ放送の始まりです。

開設当時の受信契約者数は5455人。当時ラジオを置いた商店の前は、毎日のように人が群がりました。

放送記念日は、その後昭和18年(1943)に制定されました。この日、放送文化の発達に貢献した個人に対して「放送文化賞」が贈られます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
平成23年の東日本大震災の時にはメディアが発達していたのですが、津波に関する意識が低下していたので多数の犠牲者を出しました。メディアの発達と供に歴史的な教訓が教育に生かされることが重要なようです。
季節の変わり目です。読者の皆様お体ご自愛専一の程

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◆二十四節気◆平成26年3月21日「春分(しゅんぶん)」です。◆
3月20日1時57分「春分」です。旧暦2月、卯(う)の月の中気で、天文学的には太陽が黄経0度「春分点」を通過するときをいいます。

春分を境に昼がだんだん長くなり、気温も上昇していきます。この時期から「暑さ寒さも彼岸まで」といい春の訪れを感じられます。これは「冬の寒さは春分頃まで、夏の暑さは秋分頃までには和らぎ、凌ぎやすくなる」という意です。また、暦便覧「日天の中を行て昼夜等分の時なり」と記されているとおり、春分では太陽は真東から昇って真西に沈み、昼夜の長さがほぼ同じになります。

実際には、昼の方が夜よりも長いのです。春分の日の昼の長さは平均12時間7分夜の長さは平均11時間53分です。そして、実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は春分の4日程度前になります。

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春分の日◇
この日、国民の祝日「春分の日」となっています。「自然をたたえ、生物を慈しむ」との趣旨です。春分の日は、春の彼岸の中日にあたり、第二次大戦前は「春季皇霊祭:しゅんきこうれいさい」といっていました。

◇春季皇霊祭◇

「春季皇霊祭」とは、もと祝祭日の中の大祭日の一つで、毎年、春分の日に宮中の皇霊殿で行われる皇室の大祭で、天皇自ら歴代の天皇・皇后・皇族などの皇祖の神霊を祀る儀式です。春の春季皇霊祭、秋の秋季皇霊祭がそれぞれ春分の日、秋分の日です。

平安時代の中期以降は、京都御所の清涼殿・御黒戸の間において仏式で執り行われていました。しかし、明治の神仏分離令により、神式による祭儀に変更されました。「古事記」「日本書紀」などに、皇室による先祖を祀る祭儀が行われていたと記録されています。

■「七十二候」■
初候◆雀始巣(すずめ はじめて すくう)
   春の気ますます盛んとなり、雀が巣を作り構え始める時節。
次候◆桜始開(さくら はじめて ひらく)
   本格的な春となり、ようやく桜の花が咲き始める時節。
末候◆雷乃発声(らい すなわち こえを はっす)
   遠くで雷音が聞こえる時節。

◆◆◆◆春分点とは◆◆◆◆
111219_15.gif春分点は、天球上で黄道と赤道が交わる2つの交点のうち、太陽が赤道の南から北へ向かって横切る点のこと。この点が黄経0度で、赤経・黄経の原点となります。歳差により毎年わずかずつ移動し、20世紀末ごろに水瓶座に入ったといわれています。

黄道」とは、天球上における「太陽の道」のこと。黄道は、赤道に対して23.4度傾いています。地球の公転面の垂線に対する地軸の傾きによるものです。

黄道と赤道の交点を「分点」といい、黄道が南から北へ交わることを「春分点」といい、黄道が北から南へ交わることを「秋分点」といいます。秋分点での黄経は、180度です。

天の赤道」とは、地球上の赤道を天球に延長させた大円のことです。恒星や惑星の位置を決める基準となります。ちなみに「月の通り道」は「白道」といいます。

◆◆春分の頃の花◆◆
すいせん(水仙)、彼岸花科・すいせん属、
開花時期は12/15頃~翌4/20頃

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日本水仙、房咲き水仙など、早咲きものは正月前にはすでに咲き出して いる。3月中旬頃から咲き出すものは花がひとまわり大きいものが多い。ラッパ水仙や口紅水仙などの遅咲き系は、3月から4月頃に開花。地中海沿岸原産。平安末期に中国から渡来した。

漢名の「水仙」を音読みして「すいせん」になった。中国古典から「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という。きれいな花の姿と芳香がまるで「仙人」のようなところから命名された。

日本水仙が最もポピュラー。別名「雪中花(せっちゅうか)」、雪の中でも春の訪れを告げる花から。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
つい大雪の報道が続いた中での春分です、桜の開花予想が報道されています。今年早く開花するそで、開花予想が報道されると、寒い日でも春らしさを感じます。
同時に花粉の飛散時期でもあり、平成26年は花粉の飛散が多いそうで、中国大陸からの「PM2.5」粒子の飛来と同時期になり、花粉症は悪化傾向との報道です。報道を思い起こしても「今年は花粉が少なめ」との報道は、近年覚えがありません。とはいえ早めの対策を怠らないようになさってください。今年もマスクが離せませんね。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月21日「春分の日」「旧春季皇霊祭」です。■
130302_24.jpg春分の日」は、昭和23年に制定された国民の祝日の一つで「自然をたたえ、生物を慈しむ日」との趣旨です。旧暦2月の中気で、お彼岸の中日です


春分の日は、春の彼岸の中日にあたり、第二次大戦前は「春季皇霊祭:しゅんきこうれいさい」といっていました。

春季皇霊祭」とは、もと祝祭日の中の大祭日の一つでした。毎年、春分の日に宮中の皇霊殿で行われる皇室の大祭で、天皇自ら歴代の天皇・皇后・皇族などの皇祖の神霊を祀る儀式です。

平安時代の中期以降は、京都御所の清涼殿・御黒戸の間において仏式で執り行われていました。その後、明治の神仏分離政策により、神式による祭儀に変更されました。

古くは「古事記」「日本書紀」などに、皇室による先祖を祀る祭儀が行われていたとあります。

春分の日は、お彼岸の中日です。暦の上では「真西」に沈む太陽は、「極楽の東門」に入ると伝えられています。この日の太陽を拝むと、十万億土を隔てた「極楽浄土」の東門を拝むことになります。この極楽が最も近くなる日が「彼岸の中日」と考えられているのです。

120304_53.jpgこの日に故人の霊を供養すると、迷わず極楽浄土に成仏できるといわれていて、死者の冥福を祈り、仏供養、おはぎ(ぼたもち)、草餅、五目ずし、稲荷ずしなどを作ってお墓参りをします。


「暑さ寒さも彼岸まで」
という言うように寒さも峠を越して温和な気候になります。
彼岸の中日にも増して「弘法大師」に関連した行事が多いのは、空海の入定が3月21日とされているためでしょう。また能登一宮の気多大神にて「おいで祭」が一週間にわたって開催されます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
皆様、春分の日はお彼岸の中日です。これを機会に墓参りをしましょう。「墓に布団は掛けられない」「親孝行したい時には親は無し」といいます。先祖に感謝して、生きている喜びを噛みしめましょう。必ず忘れていた何かに出会いますよ。
暖かくなってきましたが、朝夕は冷え込みます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月20日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

120125_15.jpg一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。もうすぐ4月、季節は春への変わり目です。
お風邪などお召しにならないように、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月20日「上野動物園開園記念日」です。■
130302_22.jpg昨年で130周年を迎えた「上野動物」は、明治15年(1882)3月20日に日本初の近代動物園として上野公園内に開園しました。また同じ日に東京国立博物館も開館しました。

上野動物園の正式名称は「東京都恩賜上野動物公園」です。恩賜(おんし)とは、天皇陛下や皇族などから贈られたの意。この土地はもともと宮内庁管理でしたが、戦前に東京市に贈られました。

上野公園は江戸時代、三代将軍・徳川家光の命により、天海僧正によって建立された「東叡山寛永寺」の境内跡でした。36万坪の静かな森で、大噴水のあたりは竹の台と呼ばれ、根本中堂を中心に多数の堂塔が点在していました。また、東照宮を始め徳川将軍家の霊廟等と共に東叡山は江戸第一の霊場でした。

幕末の慶應4年(1868)戊申戦争の彰義隊の戦いで上野の山の殆どが焼失。後に陸軍用地や病院建設予定地となりましたが、外国人医師のオランダ人が現地を見聞し、景観の良さから公園にするよう明治政府に進言。そして明治6年(1873)日本の公園第1号として一般公開に至りました。

動物園は、農務省の博物館(東京国立博物館)の付属施設として開設。明治19年に宮内省管轄。大正15年(1926)上野公園と共に、皇太子(昭和天皇)ご成婚記念として東京市に下賜されました。現在は東京都建設局が所管しています。

開園当時の面積は約1万坪で、クマ、サル、キツネ、タヌキ、水鳥、小鳥等の約40点でしたが、現在では敷地面積も14万㎡となり、ジャイアントパンダやスマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物を始め、国内外の動物園の協力を得て、野生動物の保護と繁殖にも取り組み、420種類以上の動物を飼育しています。

120304_56.jpg日中国交回復を記念して中国からジャイアントパンダが日本に贈られたのは、昭和47年(1972)のこと。ランラン(蘭蘭)とカンカン(康康)の一般公開初日(11月5日)夜明け前から1キロ以上もの行列が出来ました。この日の総入園者数は5万5672人。2時間半も並んで、パンダを見ることができたのはわずか1分間でした。

しばらく不在だったジャイアントパンダも、平成23年に新たな「リーリー、シンシン」がお目見えしました。上野動物園では、中国に更に数頭のパンダを要請していているようです。


上野動物園
◇東京都台東区上野公園9-83
◇JR、東京メトロ、京成電鉄「上野駅」徒歩5分
上野動物園ズーネット:
http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/
※3月20日開園記念日の入園料は無料です。

■3月18日「彼岸入り」~3月24日「彼岸の明け」です。■
120301_21.jpg彼岸:ひがん」とは、雑節の一つで、春は春分の日を挟んだ前後3日づつの計7日間秋は秋分の日を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会(ひがんえ)のことをいいます。

彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。彼岸の七日間にわたって行われる法要、法会のことを、彼岸会(ひがんえ)といい、諸寺では彼岸仏事が行われます。

彼岸には先祖の霊を供養し、墓参りが一般的ですが、これは日本独自の風習に仏事行事が結びついた日本独特のものです。昼と夜の長さが等しい「春分」「秋分」の日は「陽が真西に沈む」ことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。

遥か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが、彼岸の始まりです。中国伝来の念仏「心に極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変わることを願う」の意。日本には、大同1年(806)崇道天皇(早良親王)の慰霊が行われたのが始まりです。ここから法要を営み祖先を祀る行事へと変化していきました。

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彼岸の名称は、仏典の波羅蜜多(はらみつた)という梵語の漢訳「到彼岸」という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るという意味です。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸(しがん)」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸(ひがん)」といいます。

彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。

****牡丹餅、お萩****
彼岸の供物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は、米を炊いて軽くついてまとめ、餡で包んだもの。春は「牡丹の花」が咲くことにちなんで「牡丹餅」、秋は「萩の花」が咲くので「御萩」といいます。

120229_21.jpg文永8年(1271)「日蓮」(鎌倉時代の僧)は鎌倉幕府に対して「法華経を信じなければ、国難が続くであろう」と予言したため、平左衛門尉頼綱により佐渡流罪の名目で捕らえられ、鎌倉龍ノ口の刑場で処刑されることになってしまいました。

尼が「最後のご供養を」と、きな粉と胡麻をまぶした牡丹餅を作り、日蓮に献上しました。

処刑されかかったところ、辰巳(南東:巽)の方位より戌亥(北西:乾)の方位へ雷光響き渡り、刀が折れるという怪異が起こります。日蓮は難を免れ、佐渡に流罪となりました。後に赦免となって鎌倉へ戻り、布教活動を続けたと伝わります。

日蓮宗では「御難の餅」と呼んで胡麻の牡丹餅を供えます。「難除けぼたもち」「首つなぎ牡丹餅」とも呼ばれています。

◇◇◇◇編集後期◇◇◇◇
一説には「運がいい・悪い」はその人の徳が現れるそうです。日ごろの発言、行動が苦しいときの助けになります。平気で裏切ったり自分の我を通すと、思わぬしっぺ返しに遭うものです。苦難は先祖からの啓示だと思い、甘んじて請ける気持ちで受け入れると、先祖の徳が道を開きます。
お彼岸を機会に先祖供養とともに、常日頃から生きていることに感謝の気持ちを持ち続けましょう。

暖かさと寒さが交互にやってきます。暖かい日和の昼間は気持ちのいい季節になりました。油断から薄着をして、お風邪などお召しにならないようになさってください。
時節柄、皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

3月18日「社日」です。
110316_17.jpg社日:しゃにち」とは雑節の一つで、春分と秋分に最も近い「戊(つちのえ)の日」のことをいいます。春と秋の2回あり、春の社日を「春社:しゅんしゃ・はるしゃ」、秋の社日を「秋社:しゅうしゃ・あきしゃ」ともいいます。


「戊:つちのえ・ぼ」は「土」の意味があります。農家では春社は種蒔きの時期にあたり、秋社は収穫の時期にあたります。そのため社日は重要な節目の日とされるようになりました。

「社」は、生まれた土地の守護神である「産土神:うぶずながみ」のことです。この日、産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈り、秋には収穫のお礼参りをします。

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出雲地方では五角形の石柱に「社日」の記述が目立ちます。これは五角形を「五穀」や「五行」と解されていて土地からの恵みをあらわしたものです。 また、春の社日にお酒をのむと耳が良くなるという習いがあります。これを「治聾酒:じろうしゅ」といいますが、その名の酒があるのではなく、単に春社に飲むお酒をいいます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
3月11日は東日本大震災から丸3年が経過しました。原発事故で避難した方々も、「生まれ育った土地に帰りたい」と報道されます。震災で荒れ果てた土地でも「産土神」の地元です。未曾有の大震災で命を落とした方も多い中、生まれ育った土地、今日まで育まれた命に感謝たいものです。

読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月18~23日「石川、気多大社 おいで祭」です。■
130302_21.jpg能登国一宮「気多大社:けたたいしゃ」は、大己貴命(おほなむち=大国主神)を祀る旧国幣大社で、旧称「気多大神宮」。正式には「氣多大社」。本殿左右に若宮神社と白山神社があります。

大己貴命が出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち、守護神として鎮まったと伝わります。崇神天皇のときに社殿が造営されました。

奈良時代には「北陸の大社」として京にも名が伝わり、万葉集に越中国司として赴任した大伴家持が参詣した際「之乎路から直超え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」と詠んだ歌があります。

前田利家をはじめ、歴代の藩主が崇敬し、社領三百五十石を寄進。祈願祈祷はもとより、しばしば社殿の造営がされました。(本殿、拝殿、神門、摂社白山神社、神庫、随身門など)加賀藩の保護した社叢には「奥宮」が鎮座し、「入らずの森」と呼ばれる聖域となっています。

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おいで祭」とは、「平国祭」のことです。「寒さも気多のおいでまで」といわれ、神が民衆の中においでになり一体となる能登の春祭りのことをいいます。

石川県七尾市の所口にある「気多本宮」(能登生國玉比古神社)へ渡御する神幸祭で、3月18日から23日までの6日間行なわれます。神輿は羽咋・鹿島郡内の二市五町を回り、長い行列が早春の能登路を巡行します。

気多大社
◇石川県羽咋市寺家町ク1
◇JR七尾線「羽咋駅」~バス
◇北陸自動車道~能登有料道路「柳田IC」10分
気多大社HP:http://www.keta.jp/honden/


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
石川県能登の春祭りです。「暑さ寒さも彼岸まで」ならぬ「寒さも気多のおいでまで」とはローカル色豊かなコメントです。ちなみに3月18日は「春の彼岸の入り」です。
おいで祭りの期間中に「春分」を迎えます。平成26年本格的な春はこれからです。
季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月16日「西宮、広田神社 例祭」です。■
130227_21.jpg廣田神社:ひろたじんじゃ」は、兵庫県第一の古社。式内社で旧社格は官幣大社。朝廷より篤い崇敬を受け、延喜式神名帳では名神大社に列し、22社の1社とされました。


主祭神に「天照大神荒魂あまてらすおおみかみのあらみたま」、「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと」を祀り、脇殿に住吉大神・八幡大神・武御名方大神・高皇産霊神を祀ります。

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廣田神社は 「伊勢大神宮御同体」の兵庫県下第一の御社格御由緒の大社として崇敬を集め、中世には「西宮参拝」と称して国家の神事を司った神祇官の歴代長官や公家・五山の僧侶たちがこぞって参詣ました。
今日でも当時の
物語や和歌・今様・漢詩など、その足跡を感じられます。

例祭は「ためしのみまつり」とも呼ばれ、年間750におよぶ廣田神社の祭典の中で、大田植や探湯神事とともに最重の祭典です。詩吟最大会派の吟道哲山流宗家の奉詠や三曲(尺八・琴)が奉納されます。


現代ではスポーツ、学業、受験の神様として篤く信仰され、毎年、阪神タイガースが必勝祈願に参拝することで有名です。

120225_15.jpg廣田神社
◇兵庫県西宮市大社町7番7号
◇阪急神戸線「西宮北口駅」バス
◇JR神戸線「西宮駅」バス
◇廣田神社公式Web
http://www.hirotahonsya.or.jp/


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
兵庫県や阪神地区では盛大な廣田神社例祭です。
祭礼にお出掛けの際には時節柄、お風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月15日「京都、嵯峨釈迦堂 お松明」です。■
120225_12.jpg嵯峨釈迦堂:さがしゃかどう」の名で知られる「清涼寺:せいりょうじ」は、浄土宗の寺院で、中世以来「融通念仏の道場」としても知られます。宗派は華厳宗、後に浄土宗。本尊は、釈迦如来

開基は東大寺出身の僧「奝然:ちょうねん」で、開山は弟子の「盛算:じょうさん」。現在の本堂は、元禄14年(1701)徳川五代将軍網吉、その母、桂昌院、大阪の豪商泉屋(後の住友)吉左衛門らの発起により再建されたもの。本堂内には本尊「釈迦如来立像」及び「地蔵菩薩立像」を安置します。

毎年3月15日に行われる嵯峨野に長く伝わる壮大な火祭り「お松明」は、「雪の果て涅槃」と昔から伝わる「嵯峨釈迦堂の涅槃会」の儀式で、京都の行事の中でも最も古い行事のひとつです。春を告げる年中行事「大文字」と「鞍馬の火祭り」と合わせて「京の三大火祭り」ともいわれます。

120225_13.jpg三本の大松明は、高さ21丈、20丈、19丈。赤松と藤蔓で作られ、それぞれが稲の早稲、奥手、標準を表しており、その燃え具合によって、その年の稲作の傾向を占います。日が暮れる頃、お堂では涅槃会の法要が営まれ、8時半に点火、豪壮な火柱が立ち上ります。これは、釈迦を荼毘にふした様にあやかっているのだそう。

境内には露店が並び、狂言堂では伝統の嵯峨狂言が行われます。本堂内には、三国伝来の御本尊や涅槃図などを拝むことが出来ます。涅槃図は、釈迦が横たわっていられる回りを弟子、天部、王様から動物達に至るまでが取り囲み嘆き悲しんでいるの図です。

清涼寺
◇京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
◇京都市営バス「嵯峨釈迦堂前」徒歩2分
◇参考Web:http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/saga-seiryouji.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
スケジュール
10時   護摩木厄除祈願・詠歌献納 大念仏講
11時   大松明立柱式
15時   護摩木厄除祈願・「おみくじ」高張提灯の高低をきめる
18時30分 涅槃会大法要
20時   お松明式おねり〔西門→山門→本堂前〕
20時30分 大松明に点火
21時30分 終了
「お松明」の見どころは20時30分の大松明でしょう。その炎上する様は、壮観で神秘的で一言では表わしにくいものがあります。お松明の炎に
はとても深い安心感が感じられます。
お出かけの際には、夜露で冷えることがあります。厚着をして冷やさないようにしましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
があります。

■3月15日(旧2月15日)旧「涅槃会(ねはんえ)」です。■
120204_13.jpg旧「涅槃会:ねはんえ」は、釈迦入滅の新暦2月15日に行われる法会で、平成25年の今年は3月26日(旧暦2月15日)涅槃講や涅槃忌とも称します。涅槃図を掲げ、遺教経を読誦して釈尊の遺徳を追慕奉賛します。推古天皇のとき、奈良の元興寺で行われたのが最初といわれています。

「涅槃:ねはん」とは「ニルヴァーナ」の訳語で、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉でしたが、この場合には「釈迦が亡くなったの意」で用いられています。実際に釈尊が入滅された月日は不明ですが、南伝仏教(上座部仏教)では「ヴァイシャーカ月の満月の日」(ウェーサーカ祭)と定められています。

「ヴァイシャーカ月」が「インドの暦」では「第2の月」であることから、2月15日と定められたものです。

◆北枕のゆえん◆
「涅槃図:ねはんず」
とは、釈迦が娑羅双樹の下で涅槃に入った際の「頭を北にして西を向き右脇を下にした姿」で臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部獣畜虫類などまでが嘆き悲しむさまを描いたもの。仏涅槃図(ぶつねはんず)ともいいます。これが後に、一般の人が亡くなった時に「北枕」とされる謂れです。

「娑羅双樹:さらそうじゅ・しゃらそうじゅ」は、インド原産の常緑高木。「菩提樹」「無憂樹」と並ぶ仏教聖木の一つ。「沙羅双樹」とも記し、他に「サラノキ」「シャラノキ」とも呼ばれます。

130320_20.jpg二葉柿科。学名・Shorea robustarobusta=大形の、頑丈な、の意。幹高は30mにも達し、春に白い花を咲かせ、ジャスミンティーにも似た香りを放ちます。北インドからネパールに分布する植物で、高地などに生える高木。

釈迦入滅のとき、臥床の四辺にあったという「4双8本の沙羅樹」は、時じくの花を咲かせたのち、たちまちに枯れて白色に変じ、さながら鶴の羽根のごとくであったという。

日本の気候には適していないので、温室以外ではまず見かけません。温暖な地域の仏教寺院には植えられているようです。日本では「夏椿:なつつばき」のことを沙羅双樹として扱うことがあるそうです。

「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理(ことわり)をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし」平家物語の冒頭ですが、ここでの沙羅双樹は、おそらく夏椿でしょう。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
2月15日には「祇園精舎の鐘の音・・・・」平家物語の冒頭を暗唱したのは中学時代だっただろうかと、つい昨日のような錯覚を楽しみながら春の足音を感じています。
3月入り暖かい日もあります。とはいえまだまだ寒い日が続きます。毎年涅槃会の時期から月が変わると春のお彼岸だなと感じます。本格的な春の訪れを感じる日々です。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月15日「近江八幡、左義長祭」です。■
130227_22.jpg「日牟禮八幡宮:ひむれはちまんぐう」は、八幡山の南麓に建つ旧八幡町の総社で、近江商人の信仰を集めていました。成務天皇元年(131)第13代・成務天皇が高穴穂の宮に即位の折、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神(地主神)を祀ったのが始まりとされます。

御祭神は「譽田別尊:ほむだわけのみこと=人皇第十五代應神天皇の御神霊」、「息長足姫尊:おきながたらしひめのみこと」、「應神天皇の御母君」攝政の宮として統治された「神功皇后」の御神霊、「比賣神:ひめがみ」、「田心姫命:たごりひめのみこと」、「湍津姫神:たぎつひめのみこと」、「市杵嶋姫命:いちきしまひめのみこと」の御神霊。この三姫神は「玉依姫」とも称します。

天正18年(1590)豊臣秀次公が法華峰に八幡城を築城。上下の八幡宮を

麓の「比牟礼社」に合祀。後八幡城は廃城となりましたが、城下町は商人の町として発展し近江商人を育て、守護神として崇敬を集めることとなりました。江戸初期に海外貿易で活躍した西村太郎右衛門の寄進「安南渡海船額」(重文)が納められます。

近江八幡の左義長」は、日牟礼八幡宮の二大火祭の一つで、奉納行事として八幡開町以来の城下町66ケ町の氏子により執り行われる習わしです。

120225_17.jpgもともと、安土城下で行われていたもので、城主であった織田信長自らも踊り出たと伝わります。織田信長亡き後、八幡城下に移住してきた人々が4月に行われていた八幡祭に参加を申し入れたが断られたために、これに対して安土で行われていた左義長ま

つりを始めたことが起源とされているとも。

平安時代、宮中では正月に「打毬:だきゅう」という遊びがありました。毬杖(ぎっちょう)毬打(ぎちょう)と呼ばれる道具を使用しますが、この打毬で破損した毬杖を、清涼殿の東庭で青竹を束ね立てたものに結び、さらに扇子や短冊などを吊るして、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼きます。

「打毬」は大陸伝来の遊びで、紅白の毬を先がヘラになった毬杖で掬って自分の組の毬門に早く投げ入れた方を勝ちとするポロ競技に似たものです。

120225_16.jpg毬杖を3つ結んだことから、書物には「三毬杖」「三鞠打」「三木張」「散鬼打」などと記され、しだいに「左義長」と呼ばれるようになったと考えられます。

近江八幡左義長祭は、昭和33年(1958)「滋賀県無形民俗文化財」に指定され、平成4年(1992)には「国選択無形民俗文化財」に選定されました。

日牟禮八幡宮
◇滋賀県近江八幡市宮内町257
◇近江近鉄「近江八幡駅」よりバス
◇公式Web:http://www5d.biglobe.ne.jp/~him8man/
観光協会HP:http://www.omi8.com/maturi/sagicho.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
左義長は現代では減りつつある火祭りです。その昔織田信長が踊り出た逸話があり、安土時代には盛大な祭りだった様子が伺えます。近江八幡左義長は無形文化財になっていて松明に点火のタイミングが見どころです。。
3月に入っても雪がちらつく寒い日があります。油断せずお出かけの際には暖かくなさってください。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月15日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
3月節に入って4日目です。暦の上では本格的な春で、暖かい日が続いています。3月は年度替わりで慌ただしい月です。体調管理にはお気を付けください。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月14~23日「十方暮れ入り」です。
110324_12.jpg十方暮れ:じっぽうぐれ・じゅっぽうぐれ」とは、干支を五行に配当したときに「上下互いに尅(こく)する」干支「甲申~癸巳」までの10日間のことをいいます。但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。
今回の十方暮れは月14~23日までです。

3月14
日 甲申=金尅木 
3月15日 乙酉=金尅木
3月16日 丙戌=火生土(間日)
3月17日 丁亥=水尅火 
3月18日 戊子=土尅水 
3月19日 己丑=土和土(間日)
3月20日 庚寅=金尅木 
3月21日 辛卯=金尅木 
3月22日 壬辰=土尅水 
3月23日 癸巳=水尅火


120712_64.jpg十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。四正(しせい)方位「東西南北」と、四隅(しぐう)方位「南東・南西・北西・北東」の八方位に「天地」を合わせた十方位のことです。または「十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に存在する世界の全部のことを示します。
 
この十方が「四方八方閉ざされた状態」を「十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。または「十方暗」「十方闇」ともいいます。
 
それにしても、やはり「とほうくれ」と読みたくなるほど、うまくいかなく「途方に暮れる」期間なのでしょう。十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「十方ぐれ」は発祥は定かではありませんが、五行説では干支の組み合わせから「相性の合わない日」とされています。
この時期、雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気
が続きます。転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。
これは、十方(方位八方向に上と下を合わせて十方)の気が塞がっていて、どんな困りごと、相談ごとも解決出来ない期間とされています。
せっかちさから、業を煮やして事を起こしても逆効果です。解決どころか反対に、こじらせて損失を招く恐れがあります。このような時期には、慌てずに「過ぎるを待つ」のが最大の解決方法です。
筆者敬白

 

3月13日「奈良、春日大社祭」です。■
120225_10.jpg春日大社:かすがたいしゃ」は、奈良公園内にある神社で、名神大社式内社、二十二社の一社、旧社格は官幣大社。全国の春日神社の総本社です。
 
春日大社は「平城京の守護」の為に創建されました。本殿向って右から、第一殿に茨城県の鹿島神宮から迎えた「武甕槌命:たけみかづちのみこと」、第二殿に千葉県の香取神宮から迎えた「経津主命:ふつぬしのみこと」、第三殿に「天児屋根命:あめのこやねのみこと」、第四殿に「比売神:ひめがみ」は大阪府枚岡神社から、それぞれ春日の地に迎えて祀られています。
 
四神をもって藤原氏の氏神とされ、「春日神」と総称されます。また、武甕槌命が白鹿に乗ってやって来たとされることから、鹿が神使とされています。

120225_11.jpg春日大社祭は嘉祥2年(849)に始まったと伝えられ、明治19年の旧儀再興で例祭日が3月13日に定められた例大祭です。明治維新以前は年2回、2月と11月の申の日(さるのひ)が祭祀日だったことから申祭(さるまつり)とも呼ばれていました。日本三大勅祭の一つです。

※勅祭(ちょくさい):天皇使者(勅使)が派遣されて執行される神社の祭祀のことです。特に勅使派遣が定例になっている神社を勅祭社と呼びます。
日本三大勅祭:春日祭(春日大社)、 葵祭(上・下賀茂神社)、 石清水祭(石清水八幡宮)

春日大社
◇奈良県奈良市春日野町160
◇JR・近鉄「奈良駅」バス約11分
◇春日大社公式Web
http://www.kasugataisha.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
春日大社の例大祭を調べていると、明治維新で祭祀が中断された歴史があるようです。歴史の転換点には、今までの文化・習慣が否定された史実を見つめましょう。新しいものが流行ると、それまでのものが中断や廃止に追い込まれる文化は、どこか未熟さを感じます。どのようなものであれ、次の世代に引き継ぐ努力を欠かさない歴史感が大切です。

2月下旬の天気予報によると、今年は花粉の飛散が多いそうです。西日本では中国大陸から大気汚染物質「PM2.5」の飛来が問題になっています。早めに汚染物質、花粉対策をしましょう。
3月の中旬、季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月12日「宮城岩沼、竹駒神社 初午祭」です。■
130302_20.jpg「竹駒神社:たけこまじんじゃ」は、別名「竹駒稲荷」(旧称:武隈明神・たけくまみょうじん)。旧社格は県社。戦後は神社本庁の別表神社となりました。また、日本三大稲荷※の一つとされることがあります。

祭神に衣食住の守護神「倉稲魂神:うかのみたま」を主祭神として祀り、相殿に「保食神:うけもち」、「稚産霊神:わくむすひ」を祀ります。

仁明天皇の承和9年(842)小野篁卿陸奥国守として着任の際、東北開拓、産業開発の大神として「伏見稲荷」を勧請して創建したと伝わります。古くより平泉藤原三代、仙台藩主・伊達家歴代の尊崇篤く、特に大衆を慈しまれる社として崇められます。

120212_14.jpg初午祭」は、2月の最初の午の日から7日間行なわれる稲荷社の縁日で、竹駒神社では旧暦の2月初午を採用していて、大勢の参拝客で毎年賑わいます。

また、五穀豊饒、商売繁盛、家内安全を祈

願する竹駒神社は、陸奥国一宮「鹽竈神社:しおがまじんじゃ」と一、二を争うほど初詣参拝者が訪れることで知られます。

「初午大祭」、一番の見どころは、期間中の日曜日に行われる「神輿渡御」と「竹駒奴の行列」です。三十数名で揃いの半纏に身を包んだ「竹駒奴」の練り歩き、「毛槍投げ受け」の妙技は見逃せません。華麗な歴史絵巻のような「大名行列」の再現は見物客を江戸時代に誘います。

120212-13.jpg※日本三大稲荷は「伏見稲荷」、「豊川稲荷」に「竹駒神社」とされていますが、
稲荷信仰事典によると、京都の「伏見稲荷大社」、佐賀の「祐徳稲荷神社」、愛知の「豊川稲荷」との説もあります。
他にも、日本各地にある稲荷社5か所ほどが、「三大稲荷」を標榜しています。どの稲荷社も、地域の稲荷信仰の要社で拠り所です。


竹駒神社
◇宮城県岩沼市稲荷町1-1
◇JR東北線「岩沼駅」徒歩11分
岩沼市HP:http://www.city.iwanuma.miyagi.jp/kakuka/030200/030201/takekomajinnjya.html
◇宮城県観光連盟:http://miyagi-kankou.or.jp/wom/o-3542

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
平成23年は東日本大震災の後の3月16日が「初午祭」でした。地震の影響は数基の灯篭が倒れるなど本殿は大事には至りませんでしたが、初午祭は中止になりました。竹駒神社の初午祭には、被災者供養の意が込められた特別な祭礼になっています。

今日から春のお彼岸です。まだ寒い日が続きます。読者のみなさま、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

東日本大地震、災害お見舞い

131026_27.jpg今年も3月11日を迎えました。東日本大地震発生から本日で3年が経ちました。地震のあとに発生した大津波によって沿岸部が被災する映像は脳裏を離れません。岩手県、宮城県、仙台市、福島県ほか太平洋側各地でお住まいの方、甚大な被害にあわれた方も数多くいらっしゃるでしょう。一年が経っても自宅に戻れず仮設住宅や他府県での生活を余儀なくされています。

地震当日は遠方の日本海側地域や東京ほか関東でも電話回線のパンクや交通混乱、ライフラインの損傷で甚大な被害が生じました。東京都内では多数の帰宅困難者が職場や施設に泊まったり、数時間かけて歩いて帰宅した方々が整然と歩く姿は、海外から驚嘆されました。

東日本大震災で、お亡くなりになった方々は1万9000人にも及びます。心からご冥福を祈ります。また、皆様のご家族、お住まい、職場が被災された方々には一日も早い復活をお祈りしています。

131026_28.jpgのちに明らかになった福島原子力発電所の事故、は日本経済を混乱に陥れました。情報を正確に報道しなかった為に、被害はいまだに拡がり原発事故終息の見込みが立っていません。全国的な節電ブームはエコとして定着しエコ商品、燃費のいい車など次々発表されています。被災地では地場産業が被災し、復興の目処が立たず、街ごと移転するような地域もあります。

一日も早く復旧、復興することを心からお祈りしています。何かお困りの方、被災された方々には出来る限り支援・協力させいただきたい所存です。私どもに何なりとお申し付てください。

筆者、八木宏之 拝

[2014.03.12]

■3月12日「奈良、東大寺二月堂 お水取り」です。■
130223_22.jpg「二月堂お水取り」は、3月1日より14日間に行われる渡っておこなわれる修二会(しゅにえ)の中の行事のひとつです。

天平勝宝4年(752)二月堂開祖「実忠和尚:じっちゅうかしょう」が、笠置山に参籠して、夢の中で十一面観音悔過(けか)の行法を拝み、これを人間界に移して行おうとしたのが祭の始めと伝わります。

1日から14日までの夜、梵鐘を合図に大きな籠松明(かごたいまつ)が練行衆によって、二月堂の廻廊で振り回されます。これを「おたいまつ」といいます。群集は争ってこの松明から出る火の粉を浴び、厄除けの呪いとします。

110308_11.jpg12日の行事の最後は「韃陀(だったん)の行法」。重さ8キロの籠松明が内陣を激しく巡り、床板に投げつけられる荒行です。

13日の午前1時半過ぎから、呪師以下練行衆が井戸に下り、香水(こうずい)を汲み取って十一面観音に供えます。これを「お水取り」といいます。

東大寺
◇奈良県奈良市雑司町406-1
◇JR・近鉄「奈良駅」バス「大仏殿春日大社前」徒歩5分
 
東大寺公式Web
http://www.todaiji.or.jp/
公式HP二月堂:
http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance6.html
修二会お水取り:http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie3.html
修二会のブログ:http://www.kisetsunootayori.com/01/24-03-01-1.html


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
3月1日「修二会」にも書きました。再掲載します。
1、二月堂本堂(舞台も含む)は三脚の使用はできません。また、お百度を回っておられる信者さんにカメラを向けたり、巡礼の邪魔をしないよう、ご協力のほどよろしくお願い致します。
2、24時間参拝可能ですが、夜間は本堂正面で騒いだりしないようご注意下さい。
有数の観光地ですが、観光客のモラルのない行動がうかがえます。みなさんは非礼のないように参内ください。

来週には「春分」です。毎年この頃、雪が降ることがあります。昨年・一昨年には「名残り雪」が降りました。よかった事に積雪には至らなかったようです。
「寒の戻り」で、お風邪などひかないよう暖かくしてお出かけください。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月8~14日「小犯土(こづち)」です。
120502_60.jpg明日から小犯土です。小犯土は大犯土の7日間に8日目の間日を経たあと9~15日目の7日間を指します。この期間を犯土として前半を大犯土、後半を小犯土としました。

◇期間中慎む作業◇
「犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。
特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

◇木々の低調な時期◇
120817_30.jpg野山の木々にも活発な時期と、低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐと、せっかくの材木が早く腐ってしまいます。科学的な根拠の有無は別にして、経験的に林業の方や大工の方は犯土を尊重するそうです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
暦には科学的な根拠の薄い経験的なものも数多く残っています。根拠が薄くても暦に従って、トラブルや不慮の事故を防ぎましょう。大自然の法則には、まだまだ解明されていない自然現象も数多くあるのです。
小犯土明けの3月20日には二十四節季「春分」で、季節の変わり目です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月10日「塩竈神社 帆手祭」です。■
120222_50.jpg陸奥国一之宮塩竈神社:しおがまじんじゃ」の創建は、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記されます。

奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が神社の西南5km余の小高い丘に設けられ、その精神的支えとなって信仰されてきました。

武家社会となってからは、平泉の藤原氏伊達藩の崇敬厚く、歴代藩主は大神主として務めました。現在の社殿は宝永元年(1704)に竣工されたもの。江戸時代以降は「式年遷宮の制」が行なわれ、平成3年には第十七回の式年遷宮本殿遷座祭が斎行されました。

御祭神は、別宮(特別な宮の意)に「塩土老翁神:しおつちおぢのかみ」、左宮に「武甕槌神:たけみかづちのかみ」、右宮に「経津主神:ふつぬしのかみ」の御三神をお祀ります。

塩土老翁神は古くより航海・潮の満ち引き・海の成分を司る神、左右宮の御祭神は武運・国土平定の神として信仰されて来ました。

人の生死は「潮の満ち引き」に深い関係があり、また、海が産みに通じるところから、安産守護・延命長寿に御神徳があるとして庶民の信仰を集めます。また、海上安全・大漁満足・家内安全・交通安全・産業開発の神として信仰されます。

120222_51.jpg

帆手祭:ほてまつり」とは、江戸時代より続く火伏の祭です。荒神輿として有名な重さ約1トンの神輿を若者が担いで市内を御神幸し、町内の厄除けと繁栄とを祈願します。





塩竈神社
◇宮城県塩釜市一森山1-1
◇JR仙石線「本塩釜駅」徒歩7分
◇JR東北本線「塩釜駅」タクシー5分
◇三陸自動車道「利府中IC」車10分
◇塩竈神社公式Web:http://www.shiogamajinja.jp/index.shtml

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
東日本大震災の年、
3月10日に帆手祭が無事斎行されました。翌日の3月11日が東日本大震災で、塩竈神社が鎮座する松島湾は津波で大被害でした。今年の帆手祭は例年通りの参加船舶数だそうです。塩釜神社の帆手祭が、復興のシンボルになる祭礼として今後も続いていくことでしょう。

皆様、お風邪などお召しにならないよう、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月9日「茨城、鹿島神宮 祭頭祭」です。■
130223_21.jpg常陸国一之宮「鹿島神宮」の創建は、神武天皇即位年の皇紀元年(紀元前660)と伝わります。祭神は、武神の「武甕槌大神」(たけみかずちのおおかみ)。そのため鹿島神宮周辺は武芸が盛んとなり、剣聖・塚原卜伝を生んでいます。

神宮は皇室、公家、武士に関わらず長く尊崇され、現在に至ります。本殿は国の重要文化財。宝物殿には、国宝・直刀「フツの御魂(みたま)の剣」が納められています。
 
境内の鹿園には、奈良春日大社から譲り受けた鹿がいます。Jリーグの鹿島アントラーズのチーム名「鹿の枝角(antler)」の命名の所以です。
 
110304_12.jpg「祭頭祭」は、奈良時代の頃、九州の壱岐・筑紫・対馬を守るために旅立った防人(さきもり)たちが、無事に帰れたことを祝ったことが始まりと伝わります。

子どもが扮する甲冑姿の大総

督を先頭に、奈良時代風に唐服に似た伝来の装束に、色鮮やかな五色のタスキをまとい、6尺の樫棒を組み合わせたりしながら随所で円陣を組み、勇ましく馬簾や太鼓を打ち鳴らして神宮へ向かいます。国の選択無形民俗文化財になっています。

120222_52.jpg古事記、日本書紀によれば「武甕槌大神・たけみかづちのおおかみ」は、宇宙自然の創世に成りませる陰陽の神「イザナギ、イザナミ」の両神より生まれた火の神カグツチより誕生したとされています。即ち、原初の自然創世の頃に成りませる神ということです。

鹿島神宮
◇茨城県鹿嶋市宮中2306-1
◇JR東日本鹿島線「鹿島神宮駅」徒歩10分
◇高速バスかしま号(東京駅発)「鹿島バスターミナル」下車
◇東関東自動車道「潮来IC」20分
◇公式HP:
http://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
啓蟄も過ぎ、暖かい日差しの小春日和が続きます。まだまだ朝夕寒い日が続きます。鹿島神宮の祭頭祭にお出かけの際には、お風邪などお召しにならないよう一枚余分にお召しになって出かけましょう。皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

◆二十四節気◆平成26年3月6日「啓蟄(けいちつ )」です。◆
130218_21.jpg3月6日01時02分「啓蟄」です。旧暦2月、卯(う)の月の正節で、新暦では3月5日か6日頃。天文学的には、太陽が黄経345度の点を通過するときをいいます。

この頃になると、冬の間、土中で冬籠もりをしていた虫たちが穴を「啓いて:ひらいて」地上へ這い出してくることから「啓蟄:けいちつ」と呼ばれます。

暦便覧には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されています。柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲く頃です。

◇虫出しの雷◇
またこの頃の雷を春雷といいます。春雷がひときわ大きくなりやすい時期です。そこで人は「冬籠もりの虫が雷の音に驚いて這い出してくるのだろう」と考え、春雷を「虫出しの雷」と名付けたりもしました。 日足も目に見えるように長くなり、日の光の中に春を強く感じるようになります。

「蟄:ちつ」は「ちゅう」の慣用読みで、土の中に虫などがかくれているの意。中国では「驚蟄」と書き、日本でも使われることがあります。

◇雷は前進の意◇
130218_22.jpg「八卦:はっか」「震:しん」は、六十四卦「震為雷:しんいらい」「震下震上:しんかしんしょう」で構成され、一陽が生じて前進する様をあらわします。「始動の時」を卦象とし、象意は雷・龍・足・長男・若い男性などをあらわします。

◇雷の発生とは◇
地表で大気が暖められて発生した上昇気流は、湿度が多いと水蒸気が発生して雲になります。この水蒸気は、高い空に達すると氷結して摩擦が起こり、静電気が生じます。

この時、雲の上層には「正(+)の電荷」、下層には「負(-)の電荷」が蓄積され、上層と下層の電位差が大きくなり、ある一定を超えた時、空気の絶縁を越えて両者間で放電が起こります。

◇稲 妻◇
下層の「負の電荷」が増大すると、地上では「正の電荷」が誘起され、この場合も電位差がある一定を超えると放電が起こります。 これが「稲妻」ですが、稲の頃に起こるので稲妻という名付けられました。電子は上から下に流れ、電流は下から上に流れます。

◇雷と神◇
古来より、雷は神と結びつけて考えられていました。ギリシャ神話のゼウス、ローマ神話のユピテル、バラモン教のインドラなどは、天空の雷神です。日本神話では、雷を「神鳴り」といい神々の為せる業と見なしていました。 「雷電神社」「いかづち神社」などがあり、「火雷大神:ほのいかづちのおおかみ」「大雷大神:おおいかづちのおおかみ」を祀っています。

◇くわばらくわばら◇
方言では「かんだち」とも言い、「神立ち」即ち神が示し現れるの意。ちなみに雷除けに人々が唱える「くわばらくわばら」とは、菅原道真の屋敷(京都の桑原)が、落雷の被害を一度も受けなかったことに由来するといわれています。桑の木には神聖な力を持つという言伝えもあります。

雷神を表現した美術絵の代表に、京都建仁寺の障壁画、彫刻では京都三十三間堂や日光東照宮などが有名です。

130218_23.jpg◆◆「七十二侯」◆◆
初候「蟄虫啓戸」(ちっちゅう こをひらく・すごもりむし とをひらく):冬籠もりの虫が出て来る。
土の中に穴を掘って隠れていた虫たちが、土の扉を開け広げて出てくる時節。
次候「桃始笑」(もも はじめて わらう・もも はじめて さく):桃の花が咲き始める。
ようやく春らしくなって桃の花が咲き始める時節。
末候「菜虫化蝶」(なむし ちょうと けす・なむし ちょうとなる):青虫が羽化して紋白蝶になる。
成長した菜虫(青虫)が羽化して紋白蝶になる時節。菜虫=大根・かぶらなどのアブラナ科の野菜類を食べる昆虫の総称。特に紋白蝶の幼虫をいいます。
 
◆◆「3月の花」◆◆
「沈丁花:じんちょうげ」(Winter daphne) 学名:ダネフ ジンチョウゲ属 沈丁花科
 
110301_19.jpgギリシャ神話の女神の名で、「月桂樹:げっけいじゅ」のギリシャ名でもあります。葉の形が似ていることからジンチョウゲ属の属名にも使われています。

開花時期は3/1~3/末頃で、3月の開花ラッシュの始まりを告げる花として知られます。花びらに見える部分はガクで、外側はピンク色、内側は白色です。両側とも白色の種もあります。原産は中国。日本には室町時代に渡来しました。漢名は「瑞香:ずいこう」。

常緑低木で剪定はあまり必要ありません。移植を嫌うので、挿し木で増やしたり移動させたりすることがあります。日陰気味の場所を好みます。

香りは「沈香:じんこう」という香りに似ていて、葉の形が「丁子:ちょうじ」という植物に似ていることから「沈丁花」と呼ばれます。その香りは、夏の梔子(くちなし)、秋の金木犀(きんもくせい)に並び、遠くまでいい香りを届けます。

花の煎じ汁は、歯痛・口内炎などの民間薬として使われ、枝の繊維は紙の原料にもなります。
花言葉は「栄光」「不死」「不滅」「優しさ」など。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
啓蟄の頃には突然雷が鳴ることがあります。この頃、大気が不安定になりやすく「春の訪れ」を告げるような気候になります。川べりの土手にタンポポの蕾が大きくなってきます。近々黄色い花を咲かせるでしょう。

社会では受験、就職、入学、進学の報道が目立ってきます。年度始まりの4月が近づき何かと準備や、整理、処理で気忙しい日が続きます。

例年より寒波が強く雪の予報も続いています。この頃各地で梅祭りが開催され、春を予感させます。さあやっと春だと気持ちが高ぶると、これからは「花粉」が飛散し始めます。今年は多いそうですから、早めに花粉症対策をしましょう。飲み薬も開発され、効果的だそうです。花粉対策を怠ると、くしゃみとかゆみで集中力を欠き、勉強も仕事もはかどりませんよ。
ともあれ、皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月8日「天赦日(てんしゃび)」です。
天赦日:てんしゃにち・てんしゃび」とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「最高の恩赦日」「極上の大吉日」です。

歴に「万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜と祝日と祭日と大安が重なった最良の日と言えます。この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。
130223_23.jpg◆天赦日は1年に5~6日有ります。◆
立春から立夏の前日までの「戊寅の日」
立夏から立秋の前日までの「甲午の日」
立秋から立冬の前日までの「戊申の日」
立冬から立春の前日までの「甲子の日」

天赦日はとにかく「何事にもよい日」とされています。特に
創業、設立、開店、購入、結婚、婚約、建前、出産、転居、入学、和解、面接、採用、人事、新規企画、契約、約束、出発、男女のいとなみ、などには良い日です。 今回の天赦日は立春から立夏の前日までの「戊寅の日」にあたり、次の天赦日は平成26年5月23日
です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本年最初の「天赦日」です。今回の天赦日では、春の息吹を感じた事始めに最適な「天赦日」です。新規開店転居転職など何をとっても良い日です。これを機会に志を立てることで、大願成就する事でしょう。
筆者敬白

■3月8日旧「針供養」「こと始め」です。■
「こと始め」とは、その年の事の始まり行事のことで、2月8日に行わるものです。旧暦の2月8日が現代の2月29日に当たる事から2月29日が旧「こと始め」です。

こと納め12月8日(1月1日が旧暦12月8日)
こと始め 2月8日(2月29日が旧暦2月8日)


120203_11.jpg「針供養」とは、折れた針を供養し、裁縫の上達を願う行事です。関東では一般に2月8日に行われますが、12月8日に行われる地方もあります。両日とも「事八日(ことようか)」(こと始め・こと納め)にあたっており、昔から様々な行事が行われてきましたが、それが江戸など都市では針供養に変わったものと考えられます。
 
この日は、針の使用を謹んで針仕事を休み、古針(折れた縫い針や曲がった縫い針)を、豆腐やこんにゃく、あるいは餅に刺して、神社で供養したり、川へ流したりするのが一般的でした。豆腐やこんにゃくなどに針を刺す理由は、柔らかいもので針に楽をしてもらい、今までの針の労に感謝するのです。
 
もともと中国で行われていた針供養に似た行事が、日本に伝わったもので、事始め・事納め・女の守護神である淡島信仰などと混合して出来上がったものが針供養であるといわれます。この日、芋、大根、焼豆腐、あずき、にんじんなどの煮物料理を食べる、俗にいう「いとこ煮」や「六質汁」は、こうした縁起からきたものだそうです。
 
また、豆腐のように色白の美人になるようにとか、柔らかい気持ちになれるようにとか、まめに働くことが大事(だいず)としたのだとか。豆腐は刺されても痛いと言わないから、女性が我慢強いことを願ったからなどともいわれます。
 
和歌山の淡島神社では、その年に使って折れた針を集めておき、淡島堂(あわしまどう)へ納め、縫裁の上達を祈ります。祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)を祀ります。少彦名命は、医薬の神様です。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
 
針供養は関東では2月8日、関西では12月8日に行うところが多く、2月の事始めと12月の事納めを一緒にして「事八日:ことようか」と呼ばれていました。
 
東京浅草寺境内の淡島堂の祭神は女神で、技芸裁縫の神です。
浅草寺HP/諸堂案内(淡島道)
http://www.senso-ji.jp/guide/awashimado.html

淡島信仰、淡島神:
淡島神は、女性特有の婦人病治癒や安産・子授け、裁縫の上達、人形供養をはじめ、良縁・健康維持など女性に関する効験ありとされる信仰。江戸時代には淡島願人と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった。関東地方では3月3日淡島講を催す地域がある。発祥は住吉明神の妃が婦人病のため淡島の地に流され治癒したとされる。

■3月7日「消防記念日」です。
120222_53.jpg「消防記念日」とは、昭和23年(1948)3月7日に「消防組織法」が施行されたのを記念して、同法施行2周年を迎えた昭和25年(1950)に設定された記念日です。消防に関する理解と認識を深めるのが制定の趣旨です。

昭和念25年2月9日、当時の国家消防庁長官は、各都道府県知事に対して、「消防が完全に市町村の責任において運営、管理されることを規定した、他に類例を見ない程地方自治に徹した消防組織法の精神を、消防関係職員及び住民に会得せしめて、各々の責任と権利と義務において、その市町村を水火災その他の災害から保護しようとする声が起こった」と、消防に寄せられた期待の大きさを、3月7日消防記念日を定めることで意義あらしめたいとしています。

消防は、単に消火作業のみが任務ではなく、あらゆる災害の予防や救急業務などの広範囲にわたって活動しています。

消防組織法第一条には「消防は、その施設及び人員を活用して、国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、水火災又は地震等の災害を防除し、及びこれらの災害に因る被害を軽減することを以て、その任務とする」とあります。

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この日、消防庁に於いて式典が行われます。式典では、消防殉職者の御霊に対して1分間の黙祷を捧げ、続いて長年にわたり消防行政の発展に多大な協力をされた方々に対して、感謝状の贈呈などが行われます。また、功労のあった職員に対しては、特別功労賞等を授与しています。

東京消防庁は、「消防組織法」施行によって「東京消防本部」が警視庁から分離独立して誕生しました。約2箇月後の5月1日に、警察組織の警視庁に合わせて「東京消防庁」と名称を変更しました。

なお、「東京消防庁」は東京都の行政機関であり、国の行政機関である「消防庁」とは別のものです。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
130223_20.jpg東日本大震災では、防波堤に併設されている水門を閉じたり、住民の避難を優先して、自らの危険を省みず落命された地元消防団員が数多くいると報道されました。最後まで責務を全うした消防団員には、深く哀悼の念を感じずにはいられません。
今年の2月に神田の老舗「藪そば」(写真左)が火災に合いました。大正時代の木造建造物で、老朽化から漏電かもしれないと報道されていました。130年続いていると伝わる秘伝の「かえし」の入った樽が、焼けてしまったかもしれないと、火災よりも樽の焼失を残念がるそば好きの声も聞かれます。
筆者敬白

■3月4日「鹿児島、霧島神宮 お田植祭」です。■
130223_24.jpg「霧島神宮」は、延喜式に「日向国諸県郡霧島神社」と記され「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」(古事記・日本書紀)の霊峯を背後に鎮座します。

本宮はもと峯の御鉢(噴火口)近くにありましたが、幾度の噴火で炎上し、後土御門天皇の文明16年に現在の地に再建され、現在の社殿は、正徳5年(1751)時の藩主・君津吉貴公の寄進によるものです。(国の重要文化財指定)

明治の神仏分離令が発令されるまでは「西御在所霧島権現」と称し、本地堂は十一面観音。霧島山を中心とした修験僧による「霧島六所権現信仰」の中心的役割を果たしていました。

御祭神「天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」で、相殿に「嫡后:木花開耶姫尊」「御子:彦火火出見尊」「嫡后:豊玉姫尊」「御孫:鵜萱草葺不合尊」「嫡后:玉依姫尊」「御曽孫:神武天皇」を祀ります。

天照大神は、孫のニニギノミコトに「高天原から降りてこの国を治めよ」と命令。ニニギノミコトは「三種の神器」を譲り受け、7人のお供の神と1人の道案内(猿田彦命)の神と共に高千穂の峰に降り立ちました。これが天孫降臨の神話の由来。この「ニニギノミコト」を祀ったのが霧島神宮です。

130223_25.jpg海抜500mのこの地からは、遥か錦江湾、桜島、開聞岳の眺望が実に雄大。高千穂峯頂上には、神代の旧物「天の逆鉾」があり、中岳、新燃岳、韓国岳一帯はつつじ「みやま霧島」で有名です。

「お田植祭」は特殊神事のひとつで、旧暦2月4日に行われます。本殿の前の四方に忌竹を立て、注連縄を引き回して御祭殿を作ります。境内を田に見立てて耕し、縁肥になる刈敷を入れ、種まきや田植えまでを模擬的に行います。(県の無形民族文化財指定)

霧島神宮
◇鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
◇宮崎自動車道「高原IC」から国道223号
◇九州自動車道「溝辺鹿児島IC」から県道60号
◇霧島神宮Web
http://www.kirishimajingu.or.jp/ 
◇御田植祭Web:http://www.kirishimajingu.or.jp/contents/gosaigi_file/0313otauesai.html

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
日本での春の祭礼は田植え祭や稲田祭です。
以下HPから抜粋:「無形文化財に指定されている御田植祭が斎行されます。翁・媼やあばれ牛さらには田の神さまが登場して五穀の豊穣を祈念する祭典です。祭典は午前10時より斎行され、御田植神事は11時から中庭にて行われます。どなたでも参列できます。」
国内では政権が安倍政権変わって、農産物輸入自由化の協定(TPP)が結ばれようとしています。今こそ神事としての食文化を伝承していきたいものです。
お出かけの際には、暖かくしてお風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月3日「上巳」「ひな祭」「桃の節句」です。■
120216_31.jpg「上巳:じょうし」五節句の一つで、旧暦3月3日の称。上巳とは、旧暦3月の「上旬の巳(み)の日」のこと。元巳(げんし)ともいいます。

古来中国の三国時代「魏(ぎ):220~265」以来3月3日を上巳とし、この日、川で身を清め不浄を祓う習慣がありました。

日本には平安時代に取り入れられ、宮中では「曲水の宴」を張り、祓えを行うようになりました。やがて宴はすたれましたが、上巳は「巳の日の祓(はらえ)」として貴族の間に定着していきました。これを「上巳の祓」といいます。

「形代・かたしろ」(人の形をした紙の人形)を作って、これに穢れ(けがれ)を移し、川や海に流して不浄を祓います。日本各地に残る「流し雛」の風習の原型です。

上巳の祓は、江戸時代以降に「雛祭り」として急速に庶民の間にも広まり、後に上巳は3月3日の雛節句をさす言葉として使われるようになりました。

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「雛祭り・ひなまつり」は、女の子のいる家庭で、雛人形やその調度品を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花などを供えて祭る行事です。「雛節句」「桃

の節句」とも呼ばれ、女子の健やかな成長を願います。

雛まつりの起源は、京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んだ平安時代の「雛あそび」がその始まりとされています。やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代になると上巳は五節句の一つに定められ、庶民の人形遊びと節句が結び付いて行事となって発展しました。

雛人形もだんだんと華美になり、徳川幕府は「雛や調度品に金銀箔を用いないよう」御触書を出して戒めたほど。明治以降は次第に華やかになり、賑やかに行われるようになりました。

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女の子が生まれて初めて迎える節句を「初節句」といって特に祝います。母親の実家から雛人形や調度品が贈られます。

雛の膳」とは、雛祭りに際し、雛壇などに供えられる祝い膳のこと。欠かせないのが「桃の酒」と「白酒」です。桃の酒は桃の花を浸した酒で、3月3日に飲めば百病を除くといわれます。

桃は、古代中国では邪気を祓う「仙木」と考えられていましたので、桃の酒を飲む習慣が出来ていました。日本でも魔除けとして桃の木を用いることが多く、神符なども「桃符」と呼ばれることがあります。

桃の葉は、汗疹(あせも)やタダレに効き目があり、よく浴湯に入れてこれを「桃湯」といいました。葉の汁を飲むと魚の中毒を緩和するとして、古来より用いられていました。

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桃の酒に「白酒」がそえられたのは、やはり紅白が目出度いとされたからとか。白酒は、みりんに蒸した米や麹を混ぜ合わせ熟成糖化させたもので、甘味が強く白く濁った酒です。または山川酒とも。

菱餅」は、伸し餅を菱形に切ったもので、普通は紅白緑の三層です。赤の梔子(くちなし)は解毒剤、白は血圧低下剤、緑の蓬(よもぎ)は増血剤になっています。また、菱餅の形は心臓の形を表したとの説も。何気ない供え物の中にも、娘の長命を願う心が生きています。

五節句※
五節句は、中国の暦で定められた季節の変わり目のことです。3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽のように奇数の重なる日が選ばれていますが、但し1月だけは1日(元旦)を別格とし、1月7日(人日)を五節句にしています。
五節句は明治6年に廃止されましたが、暦の上では年中行事のとして定着しています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
早くもカレンダーの上では3月です。上巳は子供の健康と成長を願う親の気持ちがにじみ出ています。古今、地域が違っても子供の成長を願う親の気持ちには変わりがないようです。
3月5日には節変わりで啓蟄です。日に日に春を感じられるようになります。
筆者敬白

■3月3日「新潟、浦佐押合祭」です。■
120216_33.jpg「浦佐毘沙門堂:うらさびしゃもんどう」(普光寺・ふこうじ)境内で行われる「裸押合大祭:はだかおしあいたいさい」日本三大奇祭の一つとされる裸祭り、夜祭りとして古くから知られます。

今から千二百年前、将軍坂上田村麻呂がこの地に御堂を建て守護の毘沙門天を祀って、その将士や村長、村人と共に国家安泰、五穀豊穣、家内安全身体健康を祈り、祝宴の中で歌い踊って士気を鼓舞したことにに始まります。

その昔は、毎年正月3日に行われていましたが、明治6年から3月3日に行われるようになりました。

毘沙門堂に安置された毘沙門天御本尊の御開帳に、我先に参拝しようと押し合いになったことが始まりとされます。遠くから峠を越え、三日三晩かけて参拝する信者で賑わい、信者は水行(みずごり)をして身を清め、その年の「除災招福」を祈願しようと押合いもみ合い本尊に参前します。

これが現在の押合祭となり盛大に厳粛に行われ、当日は深雪の中で冷水を浴びた男衆が、普光寺毘沙門堂内において、五穀豊穣・家内安全・身体健康を願い、ご利益の御札を我先に奪い合います。

130214_22.jpg昼間の境内では、お堂の屋根の上や雪で作られたステージ上から丸い紅白の餅がまかれる「福餅撒与」が行なわれます。福餅まきには沢山の参拝者が詰め掛けます。夕刻になると、護摩修行が行なわれていた本堂内も全ての物が片付けられ、床の上一面に藁が敷き詰められ、境内は勇壮な夜祭りの会場へと姿を変えます。

奉納された大きな蝋燭(約40キロ)を持った若者を先頭に30人程の裸に晒しをまいた姿の男達が走り込んで来ます。

本堂横で列を整え並び直し「さんせさんよ」の掛け声と共に威勢を上げたあと、本堂前にある池の近くに移動します。提灯を合図に男達は次々と池に飛び込んで身体を清めます。

その後、掛け声と共に本堂内になだれ込み、本堂は熱気に包まれます。この押合いと、福餅まきが夜遅くまで続き、年男がささらをすって豊穣を祈願する「ささらすり」の神事が行なわれる夜10時半過ぎまで、雪で覆われた境内では、その熱気に寒さを忘れて歓喜する人々で賑わいます


浦佐毘沙門堂(普光寺)
◇新潟県南魚沼市浦佐2459甲
◇JR「浦佐駅」徒歩5分
◇関越自動車道「小出IC」~、「六日町IC」~20分
普光寺HP:
http://www.bisyamonnosato.com/top.html


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
3月3日は「上巳の節句」が全国的に有名ですが、新潟では「押し合い祭」で、日本三大奇祭のひとつです。
3月に入ってもまだまだ寒い日が続きます。観光で裸祭りを見に南魚沼にお出かけに際には、暖かくしてお出かけください。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月2日「二日灸」です。■
110225_18.jpg「二日灸:ふつかきゅう」とは、旧暦2月2日に据える「お灸」のことです。もともとは、年が明けて初めて据える灸のことをいいました。2月と8月の年2回としているところが一般的です。旧暦8月2日には 「灸」をすえて悪病災難除けをする習慣があります。

俳句の季語に使われていることから二日灸は一般的な風習だったようです。または「春の灸」とも。もともと節句の一種だったという説と、中国の「天灸」から来ているという説があります。

「天灸:てんきゅう」は、子供のおでこに「×」や「+」の印を書いて、無病息災を願った呪い(まじない)です。灸と言えばその昔の「お仕置き」の定番でしたが、日本の二日灸もこの日に灸を据えれば「悪病災難に遭わずに元気に過ごせる」という縁起を担いだ呪いでした。

◇鍼灸治療伝来の起源◇
鍼灸治療の起源は古く、中国の殷王朝・周王朝(紀元前1500~700年)時代の黄帝とその家臣が、幾多の問答をしながら薬理の集積を編述した、といわれる医学原典が世界最古の黄帝内経書の素問と霊枢で、この原典の霊枢編には鍼灸が詳しく記されています。

日本には仏教とともに伝えられ、飛鳥時代の欽明天皇の時、中国・呉の国から薬書・明堂図などの鍼灸医書が渡来しました。以来、明治維新までは医学の中枢を担っていました。

◇貝原益軒の養生訓◇
1323_23.jpg江戸時代の儒学者「貝原益軒:かいばらえきけん」の教育書「養生訓:ようじょうくん」には「脾胃(ひい=胃腸)が弱く食が滞りやすい人は毎年2月・8月に灸をするとよい」と書かれています。

その理由は「脾胃が虚弱で食べ物が滞りやすく、またよく下痢をする人は、これは陽気が不足しているからである。こうした人は特に灸がよい。火気をもって土気を補うと、脾胃の陽気が発生して循環がよくなり、食も停滞しないで食欲も盛んになって元気が増える」と。

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また、灸を据える位置については「天枢・水分・脾兪・腰眼・三里・京門・章門・天枢」が効果的と書かれています。
 
◇芭蕉の三里、三里のツボは胃のツボ◇
松尾芭蕉が旅に出るとき「三里の経穴(ツボ)」に灸を据えたことは「奥の細道」にも書かれています。「ももひきの破れをつづり、傘の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて...」と。三里に灸の痕がない者とは旅をするな、ともいわれていました。

江戸時代には養生のためにお灸を据えるのは常識でした。足三里は胃のツボで、消化器の働きの調節や血液成分への好影響、呼吸機能の増大、免疫機能の活性化、内分泌系や自律神経系への影響など広範囲に渡る効用があります。

足三里に灸を据えることを「健康灸」というそうです。三里のツボは、膝蓋骨の下端から骨度法で三寸のところ。膝関節の皿の直下にできるくぼみに人さし指を添え、人さし指・中指・薬指・小指を揃えた指幅4本分下がったところです。

「3」という数字は「天・地・人」「上・中・下」などのように「総て」を表し、「里」とは「理」のことで「整理する」「筋道を立てて治める」の意です。三里というツボの名前は「身体全体(三)を調える(里)」からきています。

◇直接灸はプロの技「伊吹もぐさ」◇
現代でも、症状によっては「灸」を施します。しかし、灸は熱くて痕が残るのが欠点。そこで、熱さを緩和するための「間接灸」が流行しているようです。但し、灸は「直接灸」のほうが効果があるらしく、直接灸でも痕を残さずに据えるのがプロの技だとか。

灸に使う「もぐさ」は、蓬(よもぎ)の別名。灸に使う蓬の葉を乾燥して綿状にしたものを「艾」(もぐさ)と表記しています。滋賀県・伊吹山麓で採れる「伊吹もぐさ」が有名。

◇もぐさ屋・亀屋左京、番頭・福助◇
100209_15.jpg「もぐさ屋・亀屋佐京」に、江戸後期の頃、「福助」と言う名の番頭がいました。その番頭・福助は、大きな頭と背の低い身体に裃(かみしも)の礼装をして、深々とお辞儀する「伏見人形」で知られます。福助足袋の登録商標「福助」のモデル。

番頭・福助は正直一途で、感謝の心を常に忘れず、いつも顧客に真心で接したため、商は大いに繁盛しました。伏見の人形屋がこの話を聞き「福を招く縁起物」として売りだすと、これが大流行し、どの商店の店先にも飾られるようになったのです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
これから春に向かって体が緩む時期に入ります。寒い冬の間に硬くなった体をお灸で緩めましょう。体の奥から疲労が取れて新しい息吹きが湧き上がってきます。
寒暖のある日が続きます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月2日「岐阜、美江寺祭」です。■
120216_34.jpg「美江寺:みえじ」は、天台宗の寺院で、山号は大日山。院号は観昌院。通称「美江寺観音」と呼ばれます。本尊は十一面観音(国の重要文化財指定)。

美濃三十三観音霊場第十八番札所。岐阜観音札所第三番札所。東海白寿三十三観音第三十一番札所。

養老7年(723)元正天皇の勅願により本巣郡十六条(現在の瑞穂市美江寺)に、空海の師である「勤操」を開山として創設されたと伝わります。

江戸時代、中山道55番目の宿場として栄え、その後天文年間に、斉藤道三が稲葉山城を築いた際、現在の場所に移して城下の鎮護としました。

本尊の「十一面観世音菩薩」は、乾漆十一面観音立像で奈良時代後期作の乾漆仏。近畿地方以外には珍しい脱活乾漆造の仏像。乾漆仏脱活乾漆造は、繊細な表現が可能なため天平時代に盛んに作られました。代表的なものは興福寺の阿修羅像

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脱活乾漆造:仏像製作技法のひとつ:麻布を漆で貼り固めて造形した張り子状の仏像

千数百年の歴史がある「美江寺祭」は、五穀豊穣を祈願する祭りで猩々(しょうじょう)面の翁が持つ「ひしゃくの底の抜け具合」で、その年の作柄の吉凶を占うという。祭りの終盤には「餅まき」が行われます。

「猩々面」は岐阜市指定重要文化財。作者は「春日仏師作」。

山車の上に飾られた猩々翁の能面をつけ緋の衣をまとい桧の長柄のひしゃくを肩に日の丸の扇をかざしています。護摩法要では「大護摩祈祷」比叡山より千日回峰行行者の北嶺大行満 光永覚道大阿闍梨をお迎えして厳修すされます。

130214_24.jpg※猩々(しょうじょう):中国の想像上の動物です。体は猿に似て朱色の長毛におおわれていて、人間の顔で声は小児の泣き声に似ていて、人の言葉を解し酒を飲むといわれています。

美江寺
◇岐阜県岐阜市美江寺町2-3
◇「JR岐阜駅」~バス
公式HP:
http://www.mieji.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
美江寺祭は千数百年の歴史があり、
家内安全など、諸願成就のご祈祷をいたします。
3月に入ったとはいえ観光にお出かけの祭には風邪などお召しにならないように暖かくしてお出かけください。
筆者敬白

■3月1日「東大寺 二月堂修二会」です。■
120212_16.jpg「東大寺二月堂:とうだいじ・にがつどう」修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)東大寺開山の良弁僧正の高弟・実忠和尚によってはじめられたと伝わります。

この法会は3月1日から2週間にわたって行われます。もとは旧暦の2月1日から行われましたので、二月に修する法会の意味で「修二会」と呼ばれています。また、二月堂の名もこれに由来しています。

行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には「お水取り」といって、若狭井の井戸から観音さまにお供えする「お香水:おこうずい」を汲み上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆の道明りとして、夜毎大きな松明に火が灯されます。このため「修二会」「お水取り」「お松明」とも呼ばれるようになりました。

130214_20.jpg毎年、良弁僧正の命日(12月16日)の朝、翌年の修二会を勤める「練行衆」11名の僧侶が発表されます。明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日までの2週間、二七ヶ日夜の間、二月堂に於て修二会の本行が勤められます。

「修二会」の法要は、正しくは「十一面悔過」といい、十一面観世音菩薩を本尊とし、天下泰平・五穀豊穣・万民快楽などを祈願し、人々に代わって懺悔の行を勤めるものです。前行、本行を併せてほぼ1ヶ月、準備期間を含め3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります。

◇東大寺のWebからコメント◇
1、二月堂本堂(舞台も含む)は三脚の使用はできません。また、お百度を回っておられる信者さんにカメラを向けたり、巡礼の邪魔をしないよう、ご協力のほどよろしくお願い致します。
2、24時間参拝可能ですが、夜間は本堂正面で騒いだりしないようご注意下さい。

東大寺
◇奈良県奈良市雑司町406-1
◇JR・近鉄「奈良駅」バス約8分
東大寺公式HP:
http://www.todaiji.or.jp/
二月堂修二会:
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie1.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
有数の観光地ですが、観光客のモラルのない行動がうかがえます。みなさんは非礼のないように参内なさって下さい。
今日から3月です。春らしい日差しの日もありますが、日陰や朝夕は寒さを感じます。全国的にインフルエンザが猛威を振るっています。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■3月1~7日「春季全国火災予防運動」です。■
3月1日から恒例の「春季火災予防運動週間」です。平成26年3月1日(土)~7日(土)までの7日間、春の火災予防運動が実施されます。

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この運動を機に、日頃忘れがちな火災に対する注意を喚起し、一人ひとりが防火の重要性を自覚し、日常生活での防火を実践し、さらに住民、事業所の関係者及び消防機関が一体となり、火災予防を推進し、火災による死傷者の発生や財産の損失を防ぎましょう。

ちょっとした不注意から発生する火災!火の取り扱いには十分気を付けるとともに、万が一に備えて、バケツや浴槽に水を入れておきましょう。

消防署員や地元消防団員が建物への立入査察、住宅防火診断、防火講演会、防災訓練等を行ないます。 行事やイベントがあれば積極的に参加し、防火に対する正しい知識・技能の習得に努めましょう。

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火災予防運動迎え火災予防の意識を一層高めるとともに、火災の発生・拡大を防止し、火災から尊い生命と貴重な財産を守ることを目的としています。防火標語『消したはず 決めつけないで もう一度』(全国統一防火標語)

◇火災予防運動の起源◇
米国における火災予防運動は、1911年10月9日合衆国全土にわたってはじめて行われた「火災予防デー」が起源。我が国もこれにならって行われるようになりました。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
福井の「左義長祭り」や「東大寺二月堂修二会」など火祭りがこの時期に続きます。陰陽五行説では金気と火気、火剋金。火を使い金属を剋する(克する:コントロールする)とあります。
ともあれ皆さん、いつまでもあると思うな「親」と「金」、ないと思うな「運」と「災難」です。災難にはいろいろありますが、昔「火廻要慎」、今「火の用心」、今も昔もお出掛け前の火の始末!
筆者敬白

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このページよりも下に掲載してある3月の「暦」
平成25年3月(去年)のものです。

平成25年(今年)になってからの、祭礼や行事は
旧暦を採用しいるケースもあり、
去年とは月や日が変わることがあります。

平成25年の「暦」は、
祭礼や行事の2~4日前には
季節お便り」として掲載します。
是非そちらをご覧下さい。

お楽しみに。
筆者敬白

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■3月19日、(旧2月8日)「旧こと始め」「旧針供養」です。■
「こと始め」とは、その年の事の始まり行事のことで、陰暦2月8日に行われていたものです。平成25年は太陽暦の3月19日が旧暦の2月8にあたります。

こと納め12月8日(1月19日が旧暦12月8日)
こと始め 2月8日(3月19日が旧暦2月8日)

120203_11.jpg「針供養」
とは、折れた針を供養し、裁縫の上達を願う行事です。関東では一般に2月8日に行われますが、12月8日に行われる地方もあります。両日とも「事八日(ことようか)」(こと始め・こと納め)にあたっており、昔から様々な行事が行われてきましたが、それが江戸など都市では針供養に変わったものと考えられます。
 
この日は、針の使用を謹んで針仕事を休み、古針(折れた縫い針や曲がった縫い針)を、豆腐やこんにゃく、あるいは餅に刺して、神社で供養したり、川へ流したりするのが一般的でした。豆腐やこんにゃくなどに針を刺す理由は、柔らかいもので針に楽をしてもらい、今までの針の労に感謝するのです。
 
もともと中国で行われていた針供養に似た行事が、日本に伝わったもので、事始め・事納め・女の守護神である淡島信仰などと混合して出来上がったものが針供養であるといわれます。この日、芋、大根、焼豆腐、あずき、にんじんなどの煮物料理を食べる、俗にいう「いとこ煮」や「六質汁」は、こうした縁起からきたものだそうです。
 
また、豆腐のように色白の美人になるようにとか、柔らかい気持ちになれるようにとか、まめに働くことが大事(だいず)としたのだとか。豆腐は刺されても痛いと言わないから、女性が我慢強いことを願ったからなどともいわれます。
 
130124_23.jpg和歌山の淡島神社では、その年に使って折れた針を集めておき、淡島堂(あわしまどう)へ納め、縫裁の上達を祈ります。祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)を祀ります。少彦名命は、医薬の神様です。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
 
針供養は関東では2月8日、関西では12月8日に行うところが多く、古く、事始めと事納めを一緒にして「事八日:ことようか」と呼ばれていました。
 
東京浅草寺境内の淡島堂の祭神は女神で、技芸裁縫の神です。
浅草寺HP/諸堂案内(淡島道)
http://www.senso-ji.jp/guide/awashimado.html

淡島信仰、淡島神:
淡島神は、女性特有の婦人病治癒や安産・子授け、裁縫の上達、人形供養をはじめ、良縁・健康維持など女性に関する効験ありとされる信仰。江戸時代には淡島願人と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった。関東地方では3月3日淡島講を催す地域がある。発祥は住吉明神の妃が婦人病のため淡島の地に流され治癒したとされる。

八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
著書の紹介はこちらから。

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