二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

2月10日「加賀、菅生石部祭り」です。

■2月10日「加賀、菅生石部祭」です。■

190204_13.jpg加賀國二ノ宮「菅生石部神社:すごういそべじんじゃ」は、通称・敷地天神・菅生天神と呼ばれる式内社です。御祭神は「菅生石部神」として、天津日高日子穗穗出見命、豐玉毘賣命、鵜葺草葺不合命の三柱を祀り、境内には春日杜(大兒屋根命・径津主命・武甕槌神・姫大神)、八幡社(応神天皇)、白山社(菊理姫命)、稲荷社(宇迦御魂命)、事比羅社(大物主命)、菅原社(菅原道眞公)、藤森社(大國主命)があり、病気平癒・身体健康・安産・学業成就・武運守護のご利益があると崇敬されます。
190204_14.jpg用明天皇元年(585)この地で疾病が流行した際、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まります。中世には、越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の北野天満宮領として天神信仰が盛で、明治期には國弊小社に列せられました。
 
古来より正親町夫皇の頃まで、一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど朝廷の崇敬篤く、木曾義伸、富樫昌家、足利義持、豊臣秀吉、山口玄蕃等部門武将らが深く尊崇され、天慶3年には正四位下の神階が授けられました。
 
「平家物語」巻七には、木曽義仲が当社へ「のみ(野美)の庄」を寄進したという記述が残ります。中世頃のこの一帯は北野天満宮の社領で、「天神」の通称はそこからきたものです。境内には「牛の像」が残っています。京都の「敷地神社(わら天神)」は、ここからの勧請。
190204_15.jpg毎年2月10日に行われる祭礼は「竹割り祭り」と呼ばれる御願神事(ごがんしんじ)です。
治世にも乱を忘れないようにと、山幸彦の炎出見尊(ほほでみのみこと)と、兄で海幸彦の酢芹尊(すせりみこと)の神軍にならい、尚武の道を忘れぬための行事とされています。
 
伝承によれば、この地に住む大蛇を退治するためと伝わります。白装束の青年たちが青竹を手に、大蛇になぞらえた長さ約20mの大縄を拝殿から引き出し、橋の上から大聖寺川へと投げ込みます。2m余の青竹を激しく地面に打ち叩く姿は壮絶を極めます。割られた青竹は、見物人が自由に持ち帰り、これで凧を作れば凧はよく上がり、箸にすれば歯の痛みも止まると伝わります。
 
菅生石部神社
◇石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
公式HP
http://www.tenjin.or.tv/index.htm

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八木雲水プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
八木雲水
開運占卦気学祐気方位鑑定

「淮南子」(紀元前170年ごろ編纂)を信奉、陰陽家五行説、古神道、納音、暦を観ながら時の政権の為政者、経営者、リーダーの悩みや向かうべき方向を示唆している。 平成6年、畿内にて陰陽道、道教、妙見信仰を教学、「空」の存在を認識し先人の英知を得る。為政者、経営者へ経世在民を指導、信条の「ともに歩む」を基本に、激変する社会環境でこれからの進むべき道しるべを標榜している。

平成21年首相直轄諮問会議「経済政策諮問会議」メンバー、政策立案にも携わり「中小企業金融円滑化法」立案にコメントする。経済書籍、小説など著書15冊以上を出版、42歳で透析患者、55歳で腎臓移手術以来リハビリの成果で健康的な生活が出来るまでに回復した。 令和2年武漢肺炎(新型コロナウイルス)の慢性既往症ある知人が家族にも看取られないまま悲惨な最期を迎えたと知り、一刻も早いコロナ禍の終焉を願っている。

≪宗旨、所属≫臨済宗雲水、町田宗鳳禅師に師事、天河弁財天社たたら講構成員、祐気採りの会斎主

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