二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

2月のお便り

■2月27日(旧2月2日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■2月27日(旧2月2日)「二日灸」です。■

110225_18.jpg「二日灸:ふつかきゅう」とは、旧暦2月2日に据える「お灸」のことです。もともとは、年が明けて初めて据える灸のことをいいました。2月と8月の年2回としているところが一般的です。旧暦8月2日には 「灸」をすえて悪病災難除けをする習慣があります。

俳句の季語に使われていることから二日灸は一般的な風習だったようです。または「春の灸」とも。もともと節句の一種だったという説と、中国の「天灸」から来ているという説があります。

「天灸:てんきゅう」は、子供のおでこに「×」や「+」の印を書いて、無病息災を願った呪い(まじない)です。灸と言えばその昔の「お仕置き」の定番でしたが、日本の二日灸もこの日に灸を据えれば「悪病災難に遭わずに元気に過ごせる」という縁起を担いだ呪いでした。

◇鍼灸治療伝来の起源◇
鍼灸治療の起源は古く、中国の殷王朝・周王朝(紀元前1500~700年)時代の黄帝とその家臣が、幾多の問答をしながら薬理の集積を編述した、といわれる医学原典が世界最古の黄帝内経書の素問と霊枢で、この原典の霊枢編には鍼灸が詳しく記されています。

日本には仏教とともに伝えられ、飛鳥時代の欽明天皇の時、中国・呉の国から薬書・明堂図などの鍼灸医書が渡来しました。以来、明治維新までは医学の中枢を担っていました。

◇貝原益軒の養生訓◇
1323_23.jpg江戸時代の儒学者「貝原益軒:かいばらえきけん」の教育書「養生訓:ようじょうくん」には「脾胃(ひい=胃腸)が弱く食が滞りやすい人は毎年2月・8月に灸をするとよい」と書かれています。

その理由は「脾胃が虚弱で食べ物が滞りやすく、またよく下痢をする人は、これは陽気が不足しているからである。こうした人は特に灸がよい。火気をもって土気を補うと、脾胃の陽気が発生して循環がよくなり、食も停滞しないで食欲も盛んになって元気が増える」と。

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また、灸を据える位置については「天枢・水分・脾兪・腰眼・三里・京門・章門・天枢」が効果的と書かれています。
 
◇芭蕉の三里、三里のツボは胃のツボ◇
松尾芭蕉が旅に出るとき「三里の経穴(ツボ)」に灸を据えたことは「奥の細道」にも書かれています。「ももひきの破れをつづり、傘の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて...」と。三里に灸の痕がない者とは旅をするな、ともいわれていました。

江戸時代には養生のためにお灸を据えるのは常識でした。足三里は胃のツボで、消化器の働きの調節や血液成分への好影響、呼吸機能の増大、免疫機能の活性化、内分泌系や自律神経系への影響など広範囲に渡る効用があります。

足三里に灸を据えることを「健康灸」というそうです。三里のツボは、膝蓋骨の下端から骨度法で三寸のところ。膝関節の皿の直下にできるくぼみに人さし指を添え、人さし指・中指・薬指・小指を揃えた指幅4本分下がったところです。

「3」という数字は「天・地・人」「上・中・下」などのように「総て」を表し、「里」とは「理」のことで「整理する」「筋道を立てて治める」の意です。三里というツボの名前は「身体全体(三)を調える(里)」からきています。

◇直接灸はプロの技「伊吹もぐさ」◇
現代でも、症状によっては「灸」を施します。しかし、灸は熱くて痕が残るのが欠点。そこで、熱さを緩和するための「間接灸」が流行しているようです。但し、灸は「直接灸」のほうが効果があるらしく、直接灸でも痕を残さずに据えるのがプロの技だとか。

灸に使う「もぐさ」は、蓬(よもぎ)の別名。灸に使う蓬の葉を乾燥して綿状にしたものを「艾」(もぐさ)と表記しています。滋賀県・伊吹山麓で採れる「伊吹もぐさ」が有名。

◇もぐさ屋・亀屋左京、番頭・福助◇
100209_15.jpg「もぐさ屋・亀屋佐京」に、江戸後期の頃、「福助」と言う名の番頭がいました。その番頭・福助は、大きな頭と背の低い身体に裃(かみしも)の礼装をして、深々とお辞儀する「伏見人形」で知られます。福助足袋の登録商標「福助」のモデル。

番頭・福助は正直一途で、感謝の心を常に忘れず、いつも顧客に真心で接したため、商は大いに繁盛しました。伏見の人形屋がこの話を聞き「福を招く縁起物」として売りだすと、これが大流行し、どの商店の店先にも飾られるようになったのです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
これから春に向かって体が緩む時期に入ります。寒い冬の間に硬くなった体をお灸で緩めましょう。体の奥から疲労が取れて新しい息吹きが湧き上がってきます。
寒暖のある日が続きます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月26日「良忍聖人忌」です。■
160221_24.jpg「良忍上人(聖應大師)」は、延久4年(1072)尾州知多郡(現愛知県東海市富木島町)に誕生、父は領主で、母は熱田神宮大宮司の息女でした。美声の持ち主だったところから幼名を音徳丸。12歳で比叡山に登り、良賀僧都のもとで得度し「光乗坊良仁」と名のります。「良忍」と改名したのは大原へ隠棲して後のことです。比叡山では堂守りとして修業する傍ら、天台の学問、密教や戒律の修法にも努めました。

21歳で学侶(学問をする修行僧)を教導する講主に任ぜられることになります。しかし学問の議論ばかりが先走り、良忍上人は、伝教大師が強調された道心(真の道)求める心が薄れていることを嘆いていました。

時代は貴族社会に変わって武家政権に移行する動乱期でした。比叡山にも時代変革に伴う世俗化の波が押し寄せていたのです。
23歳にして良忍上人は洛北大原に隠棲されることになります。「大原」は比叡山の別所として、念仏聖修行者が草庵を結んで一つの集落を形成していたところです。

大原での良忍上人は、往生を願う純心な念仏行者であったと「後拾遺往生伝」「三外往生記」から読み取れます。真摯な念仏行者であり、法華経の修行僧であったことが窺えます。

220218_41.jpg四十六歳の永久五年(1117)5月15日「午の刻」阿弥陀仏がお姿現し、速やかに「智慧」かがやき喜び溢れる幸せの世界に至る方法として「融通念仏の法門」を授与されました。御文を「弥陀の妙偈」といい、「融通念佛宗」の教えの要となるものです。

ある時、「鞍馬寺」の「多聞天王」がお姿を現して上人にいわれるには、「あなたは先に仏さまから尊い融通念仏を授かったのに、どうしてそれを人びとに勧めて苦しみの衆生を救済しないのか」このお言葉によって布教の時ようやく至ったことを知りました。

天治元年(1124)はじめて市中に出て念仏勧進を始められました。上人の名は朝廷に達し、鳥羽上皇は上人を招いて融通念仏会を修めました。さらに上皇は自ら融通念仏勧進帳(名帳)を製し、帰信者に名を記させるべくご自身もお名前を録し、かつ序文をしたためられました。

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天治二年(1125)4月4日 お礼のため鞍馬寺で通夜念仏していると、またも「多聞天王」が現れ、神々の天の世界にまで「融通念仏日課百遍」を勧めた証拠に「神名帳」を授けられました。その「神名帳」には梵天、帝釈、四天王をはじめとして、閻魔王界から地獄の役人に至り、かつ日本国内の八百万神の名が星のごとく連なっていました。神々もまた融通念仏の行者としての誓約をされているのです。融通念仏が神祇同音といわれるのはそのためです。

良忍上人は天性の美声の持ち主で、「魚山流声明(しょうみょう)」を大成されました。これが声明業中興の祖として仰がれている所以です。大原には、音無しの滝、呂川、律川など良忍上人の声明に因んだ名称が残っています。

声明(しょうみょう):日本のあらゆる音楽の原点である仏教音楽のこと。

大念仏寺
◇大阪市平野区平野上町1-7-26
◇JR大和路線 平野駅より 南へ徒歩5分
◇地下鉄谷町線 平野駅①②出口より 北へ徒歩8分
◇公式Web
http://www.dainenbutsuji.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
仏教音楽を「声明」と云うんだそうです。良忍上人忌ブログを書いていて初めて知りました。確かに通読暗記よりも発声暗唱の方が記憶に残ります。それに声明のような音階をつければ尚覚えやすくなるでしょう。眠たくなるのを我慢する長い会議も、「声明」を見習って、覚えやすい内容にしてもらいたいものです。それには修行が必要なんでしょうね。
時節柄季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月26~3月7日「十方暮れ入り」です。
110324_12.jpg十方暮れ:じっぽうぐれ・じゅっぽうぐれ」とは、干支を五行に配当したときに「上下互いに尅(こく)する」干支「甲申~癸巳」までの10日間のことをいいます。但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。
次回の十方暮れは月2日
です。 


2月26
日 甲申=金尅木 
2月27日 乙酉=金尅木
2月28日 丙戌=火生土(間日)
3月01日 丁亥=水尅火 
3月02日 戊子=土尅水 
3月03日 己丑=土和土(間日)
3月04日 庚寅=金尅木 
3月05日 辛卯=金尅木 
3月06日 壬辰=土尅水 
3月07日 癸巳=水尅火


120712_64.jpg十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。四正(しせい)方位「東西南北」と、四隅(しぐう)方位「南東・南西・北西・北東」の八方位に「天地」を合わせた十方位のことです。または「十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に存在する世界の全部のことを示します。
 
この十方が「四方八方閉ざされた状態」を「十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。または「十方暗」「十方闇」ともいいます。
 
それにしても、やはり「とほうくれ」と読みたくなるほど、うまくいかなく「途方に暮れる」期間なのでしょう。十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「十方ぐれ」は発祥は定かではありませんが、五行説では干支の組み合わせから「相性の合わない日」とされています。
この時期、雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気
が続きます。転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。
これは、十方(方位八方向に上と下を合わせて十方)の気が塞がっていて、どんな困りごと、相談ごとも解決出来ない期間とされています。

せっかちさから、業を煮やして事を起こしても逆効果です。解決どころか反対に、こじらせて損失を招く恐れがあります。このような時期には、慌てずに「過ぎるを待つ」のが最大の解決方法です。
筆者敬白

 

■2月25日「京都、北野天満宮 梅花祭」です。■
120210_21.jpg「北野天満宮」は、菅原道真公を祀る神社の宗祀で、国を鎮め守る神として平安時代中期、多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊を祀ったのが始まりとされています。


菅原道真公は、延喜3年(903)2月25日薨去されました。この祥月命日に行われる祭典が「梅花祭」です。道真公の詠んだ「東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」に由来しています。

鳥羽天皇天仁2年(1109)2月25日に、この祭典の記録が残ることから約900年の歴史を持っています。祭典では貞明皇后参拝の古例により皇后陛下の御代拝が行われます。

古くは御祭神を宥(なだめる)と音の通じる菜種の花を供えて「菜種御供:なたねのごく」と称していましたが、明治以降新暦になり、菜種のかわりに梅の花を用いたことから次第に「梅花御供:ばいかのごく」と呼ばれるようになりました。

「大飯(おおばん)・小飯(こばん)」と称すこの御供は、四斗の米を蒸し大小2個の台に盛ったもので、古くより西ノ京に住む宮の「神人」の末裔らにより、前日に参籠潔斎し調整されます。

130208_21.jpg白梅・紅梅の小枝を挿した「紙立:こうだて」を、男女の厄年に因み42本の白梅と33本の紅梅を2台にわけて御神前に供えます。授与所では「紙立」に用いた玄米「厄除玄米」が授与されます。

※「紙立」とは、仙花紙を筒状にし、底に小さなかわらけを敷いて、中に玄米を入れ梅の小枝を挿し立てた特殊神饌のこと。「香立」とも書く。

北野天満宮
◇京都府京都市上京区馬喰町
◇JR「京都駅」バス「北野天満宮前」下車すぐ
◇北野天満宮HP:http://kitanotenmangu.or.jp/
◇梅花祭Web:http://kitanotenmangu.or.jp/category/kitano_event/

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
菅原道真公の精神は「和魂漢才」に集約されるように、自国の歴史と文化にしっかりとした誇りを持ち、他国の文化も受けいれる寛容さが特徴です。また、菅原道真公が生涯一貫された「誠の心」は、今も日本人の心に生きつづけています。
2月は梅にちなんだ祭礼が続きます。北野天満宮の梅花祭は、厄除けの意味が強く、神事と解釈できます。梅花祭にお出かけの際には、まだまだ寒い日が続きます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月25日「福井、勝山左義長祭」です。■ 
110228_16.jpg福井奥越勝山市の春の奇祭「勝山左義長祭」は、春呼び祭の一つで、地元では「さぎっちょ」と呼ばれ親しまれています。

「左義長:さぎちょう」とは、小正月に行われる火祭りの行事のこと。日本全国で広く見られる習俗ですが、地方によって呼び方が異なります。東京では江戸時代、万治、寛文と、火災予防のために禁止されて以降に廃れてしまいました。

豪華な櫓の上で、赤い長襦袢で女装した男の太鼓の打ち手が、三味線、笛、鉦による軽快なリズムでお囃子に合わせて太鼓をたたく様は「勝山左義長」の特徴です。(「浮く」といいます)。

太鼓には2人の奏者がつき、1人は単調な「地」のリズムを刻み、もう1人は踊るように浮いて独特の演技を見せます。太鼓は「打つ」とは言わず「浮く」と言います。浮き手には決まった演奏方法はなく、滑稽な仕草や表情で浮かれて「地」のリズムにのりながら独自の間合いでバチを操ります。

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正月の松飾りやしめ縄を御神体(松飾り)に結び付け、一箇所に集めて狼煙を合図に一斉に点火します。これを「ドンド焼」といい、火の神を送って五穀豊穣と鎮火を祈願します。ドンド焼は、火の神を祀り幸福を祈願し、災難除けを目的としたもので、この火で体を暖めたり餅を焼いて食べると、その年は無病息災であるといいます。

開催地
◇福井県勝山市内各地(本町通り・後町通り他)
問い合わせ
◇勝山市観光協会:http://www.net-katsuyama.jp/docs/member/detail.php?cd=5
◇参考Web:http://www.city.katsuyama.fukui.jp/kankou/sagityo/top.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
春を迎える左義長祭りなど火祭りは、江戸の度重なる大火、明治時代に旧暦から新暦に変わって、徐々に廃れてしまいました。
勝山左義長は旧暦の正月飾りを御炊き上げする火祭りの伝統を色濃く残しています。
学級閉鎖などインフルエンザが
流行しています。うがい、手洗いを励行して感染を防ぎましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■2月24日「大田原、大田山地蔵尊 春大祭」です。■
130208_20.jpg大田原城藩主の大田原氏菩提寺である「光真寺」は、天文14年(1545)大田原備前守資清公の創建。資清の兄、麟道和尚が開山第一世です。

春の大祭では、歴代の大田原氏歴代藩主供養の墓前祭がしめやかに営まれまれます。

法要の後、13代資清公が大田原城築城の祝いの席上にて舞ったとされる、栃木県指定無形文化財「城鍬舞」が奉納されます。

120209_19.jpg大祭二日目、境内では「福原餅つき唄」が披露され、大臼でつきあがった餅は春大祭の参拝者に配られます。

真光寺
◇栃木県大田原市山の手2-11-14
◇真光寺HP
http://koshinji.jp/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
近年では隣家・地域ぐるみのお付き合いも希薄な時代になってきました。便利さと引き換えに、郷土の文化がだんだんと忘れられていく中で、大田山地蔵尊は古くからの伝統が息づいている祭礼です。
境内の大黒天堂には大黒天が祀られていて、全国から甲子大黒天参拝者が訪れます。
時節柄、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月24日「二の午(にのうま)」です。■
120221_42.jpg天界より宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ:稲荷大神)が伊奈利山(稲荷山)に天降りて、三ヶ峰に初めて鎮座した「和銅4年(711)午の日」の祭りは、2月の最初の午の日を「初午」といい、次の午の日を「二の午」といって稲荷の縁日が行われます。

稲荷神は日本の神さまで、稲荷大明神ともいい「お稲荷さん」「お稲荷様」と呼ばれ親しまれています。

「稲荷信仰:いなりしんこう」は江戸時代に最も盛んでした。江戸に多いものとして「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」と数えられたように、江戸にはいたるところにお稲荷さんがありました。

有名な稲荷神社の他に旗本、大名などの武家屋敷には必ず稲荷祠があり、町家の裏庭や長屋にも守り神として祠がありました。

もともと、午の日は子供の祭りで、武家屋敷では近隣の町家の子供たちを招いて遊ぶことを許したり、団子や甘酒、鮨、菓子など振舞っていたようです。現在は産業全般の神として信仰されています。

120221_43.jpg稲荷神社の総本社は、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」です。また、神仏習合思想においては仏法における荼吉尼天(だきにてん)が本地仏とされ、その総本社は豊川稲荷(とよかわいなり)です。

「荼枳尼天:だきにてん・荼吉尼天」は仏教の神。荼吉尼は梵語のダーキニー(Dakini)を音訳したもので、もとはインドの女神でした。もともと農業の神でしたが、のちに「性や愛欲を司る神」とされ、さらには「人肉もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神」とされるようになりました。

ヒンドゥー教では、カーリーの眷属とされます。この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとしています。
自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べるといわれています。

眷属仏に対する様々な菩薩などを指す語として用いられ、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆などを指す。

伏見稲荷大社
◇京都市伏見区深草藪之内町68
◇公式Web
http://inari.jp/

豊川稲荷(圓福山豊川閣妙厳寺)
◇愛知県豊川市豊川町1
◇公式Web
http://toyokawainari.jp/

■2月24日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
2月下旬ですもうすぐ3月で、暦の上では本格的な春です。暖かい日が続きます。
3月はになると年度替わり最終月で、何かと慌ただしい月です。気候が安定していることから、気も安定していて諸事に取り組み易いものです。

皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月23日「皇太子徳仁親王 誕生日」です。■
130204_24.jpg「皇太子」(Crown Prince)は、皇位(帝位)継承の第一順位にある皇子を指します。
現在の皇太子の御称号は「浩宮(ひろのみや)」。お印は梓(あずさ)。身位は「皇太子、親王」。敬称には「殿下」が用いられます。

治時代以前、皇太子は「東宮」「春宮」、または「太子」と表記され、「とうぐう」「ひつぎのみこ」「はるのみや」などと読まれました。「ひつぎのみこ」は、太陽神である天照大神を始祖とする天皇家を継嗣する皇子であることからです。

「徳仁親王:なるひとしんのう」は、昭和35年2月23日、天皇(今上天皇)明仁と皇后美智子の第一親王として誕生。平成3年「立太子の礼」が執り行われて「皇太子徳仁親王」となりました。「徳仁」は四書五経の「中庸」を典拠として、祖父・昭和天皇が命名なさいました。皇室典範で皇位継承順位第1位。

100210_20.jpg「中庸:ちゅうよう」とは、儒教の「四書」の一つです。中庸は、「常に時々の物事を判断する上で、偏らず平凡な感覚でも理解できるもの」と説かれています。論語の中で「中庸の徳たるや、それ至れるかな」とは中庸を極めた孔子の言です。

皇太子さまは、平成5年大和田雅子と結婚の儀を挙げ、平成13年長女・敬宮愛子内親王をもうけました。報道に際しての宮家の敬称は「さま」付けが多く「皇太子さま」と親しみ深く呼ばれています。

↑↑↑(皇太子旗)皇太子殿下は平成29年2月23日で満57歳です。

130204_25.jpg◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
祝日ではありませんが、これを機会に皇太子殿下「徳仁親王」の誕生日を載せます。いつかは天皇誕生日になる予定の日です。2月23日を
記憶に留めておきましょう。
朝夕寒い日が続きます。時節柄、お風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月23日「京都、醍醐寺 五大力尊仁王会」です。■
120209_17.jpg「五大力尊仁王会:ごだいりきそん にんのう え」は、千百余年の歴史を持つ、醍醐寺開山より続く「醍醐寺の五大力さん」として親しまれている法要のこと。150キロ近い巨大な鏡餅を持ち上げる「力比べ」が行われることで有名です。
 
上醍醐の五大堂に祀られる「五大明王」の功徳をたたえ、国家の安泰と万民の豊楽を祀ることから「五大力さん」として親しまれ、毎年3万人を越える参拝者があります。また、この日一日だけ授与される「五大力尊御影」は災難・盗難除けのお守りとして古くより広く信仰されています。

「醍醐寺」は、真言宗醍醐派総本山の寺院で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称します。本尊は薬師如来、開基は貞観16年(874)空海の孫弟子にあたる理源大師・聖宝(しょうぼう)が、准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山。山頂付近を「醍醐山」と名付けました。

120210_22.jpg醍醐寺は多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展しました。

古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されています。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に二百万坪以上の広大な境内をもつ寺院で、豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地として知られます。

醍醐寺
◇京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
◇京都市営地下鉄東西線「醍醐駅」すぐ
◇公式HP:
http://www.daigoji.or.jp/
◇五大力尊HP:http://www.daigoji.or.jp/godairiki/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
世界遺産の醍醐寺のHPは完成度が高く、見ているだけでも興味をそそられるWebです。特に「2月23日、五大力さん」のページは迫力があり、一見の価値があります。
今年は選挙の年と言われています。今の政権が経済優先を唱えているのは、国家の安泰と万民の豊楽を祀る五大力尊のご利益からかもしれません。

2月下旬になってインフルエンザの影響が出ています。風邪などひかないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月23(旧1月27日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■

110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■2月20日~2月26日「小犯土(こづち)」です。
120502_60.jpg明日から小犯土です。小犯土は大犯土の7日間に8日目の間日を経たあと9~15日目の7日間を指します。この期間を犯土として前半を大犯土、後半を小犯土としました。

◇期間中慎む作業◇
「犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。
特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

◇木々の低調な時期◇
120817_30.jpg野山の木々にも活発な時期と、低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐと、せっかくの材木が早く腐ってしまいます。科学的な根拠の有無は別にして、経験的に林業の方や大工の方は犯土を尊重するそうです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
暦には科学的な根拠の薄い経験的なものも数多く残っています。根拠が薄くても暦に従って、トラブルや不慮の事故を防ぎましょう。大自然の法則には、まだまだ解明されていない自然現象も数多くあるのです。
小犯土明けの3月20日には二十四節季「春分」で、季節の変わり目です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月20日「天赦日(てんしゃび)」です。
天赦日:てんしゃにち・てんしゃび」とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「最高の恩赦日」「極上の大吉日」です。

歴に「万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜と祝日と祭日と大安が重なった最良の日と言えます。この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。

130223_23.jpg◆天赦日は1年に5~6日有ります。◆
立春から立夏の前日までの「戊寅の日」
立夏から立秋の前日までの「甲午の日」
立秋から立冬の前日までの「戊申の日」
立冬から立春の前日までの「甲子の日」

天赦日はとにかく「何事にもよい日」とされています。
特に
創業、設立、開店、購入、結婚、婚約、建前、出産、転居、入学、和解、面接、採用、人事、新規企画、契約、約束、出発、男女の営み、などには良い日です。 
今回の天赦日は立春から立夏の前日までの「戊寅の日」にあたり、次の天赦日は平成29年4月21日です。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本年最初の「天赦日」です。今回の天赦日では、春の息吹を感じた事始めに最適な「天赦日」です。
新規開店転居転職など何をとっても良い日です。
これを機会に志を立てることで、大願成就する事でしょう。
筆者敬白

■2月20日~「水戸、梅まつり」です。■
130204_22.jpg水戸偕楽園「梅まつり」は、明治29年(1896)、水戸~上野間に鉄道開通を機に「観梅列車」が運行されたことに始まりました。

昔は観光客が梅林を散策したり、好文亭(偕楽園)で辺りの風景を賞しながら歌を作ったりしました。上野から水戸に現在の常磐線が開通すると、一躍水戸の梅が有名になって訪れる人々が多くなり、訪れる観光客へのもてなしとして梅まつりの始まりとなりました。

「偕楽園」は、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園の一つ。江戸時代天保13年(1842)7月、水戸藩第9代藩主「徳川斉昭公:なりあきこう」により造られました。

130204_23.jpg

園内には百種3千本と、田鶴鳴梅林には百種1千本の梅が植えられ、香しい早春を告げます。2月下旬から3月下旬にかけての「梅まつり」を皮切りに、

桜・躑躅(つつじ)、秋には萩、初冬には二季桜と、花々が季節を届けます。

徳川斉昭公は、偕楽園内で最も深山幽谷を思わせる湧水泉である「吐玉泉:とぎょくせん」の水を使って、好文亭「何陋庵:かろうあん」で民とともに茶道を楽しみました。井筒には常陸太田市産出の真弓石(大理石)が使われています。

期間中は各種行事が行われます。野外琴の会・野点茶会・水戸のひな流し、撮影会や写真コンテストなど。好文亭では期間中の入場時間を延長し、ライトアップなども行われます。 

問い合わせ/水戸観光協会
◇偕楽園速報:http://www.kairakuen.u-888.com/

◇120回梅まつり:http://www.mitokoumon.com/maturi/ume/ume.html

偕楽園
◇茨城県水戸市常盤町
◇JR「水戸駅」バス15分
◇常磐自動車道・水戸インターから約20分
◇偕楽園公式HP:
http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kairakuen01.html  

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
日本三大名園の偕楽園で開催される梅まつりです。
梅の名所といえば水戸偕楽園以外では、湯島天神の白梅紅梅が有名です。今年は寒気団の影響で、未だつぼみの状態だと報道がありました。寒い日が続くと紅梅が美しいそうです。

日なたでは暖かさを感じますが、朝夕の冷え込みは体にさわります。梅祭りには、寒さ対策をしてお出かけください。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月19日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
2月下旬ですもうすぐ3月で、暦の上では本格的な春です。暖かい日が続きます。
3月は年度替わり前で慌ただしい月で、天気が安定していることが何かと準備がし易いものです。

皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年2月18日「雨水:うすい」です。◆
平成29年2月18日20時31分「雨水」です。旧暦正月、寅(とら)の月の中気で、新暦2月18日か19日頃。立春後15日目にあたります。天文学的には、太陽が黄経330度の点を通過するときをいいます。

140214_20.jpg天からの雪が雨に変わり、積った雪が溶け始めるころ。「雪散じて水と為る也」暦林問答集にあるように、今まで降った雪や氷が解けて水となり、雪が雨に変わって降るの意が「雨水」です。
また、暦便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と説かれています。

この頃から寒さも峠を越え、春の息吹が感じられます。昔から「雨水」の日を目安にして農耕など畑仕事の準備を始めます。

暖かい日和が続き春一番が吹き、鶯(うぐいす)の声が聞かれるようになります。

※春一番=気象庁では立春から春分までで、日本海で低気圧が発達し、南寄りの風(東南東から西南西で風速8メートル以上)が吹いて、暖かい風の影響で気温があがる現象のことと定義されています。
※鶯(うぐいす)=スズメ目ウグイス科ウグイス属の野鳥。日本三鳴鳥のひとつ。「ホーホケキョ」とさえずります。

鶯は早春、梅の咲く頃にさえずり始めることから「春告鳥(はるつげどり)」とも呼ばれます。日本全国に分布し、冬季は暖かい土地へ移動して冬を越します。

野辺見れば 若葉つみけりむべしこそ 垣根の草も春めきにけれ(紀貫之:拾遺集)
次の二十四節気は3月5日「啓蟄(けいちつ)」で、3月20日「春分」前の二十四節気です。

130204_21.jpg

■七十二候■
◆初候「土脉潤起」(どみゃくうるおいおこる・つちのしょううるおいおこる)
雨が降って土中に湿り気を含み出す時節。脉(みゃく)=脈の俗字。潤い=降雨があること。

◆次候「霞始靆」(かすみはじめてたなびく)
霞がたなびき始める時節。来る春への期待がふくらむ頃。
靆(雲へんに逮)・たい=たなびく。古訓で、霞や雲が薄く層をなして横に長く引く意。
◆末候「草木萠動」(そうもくきざしうごく・そうもくめばえいずる)
草木が芽吹き始める。

◆◆「2月雨水の花」◆◆ 
「桃:もも」(桃、学名 Amygdalus persica)はバラ科 モモ属
の落葉小高木
または、その果実のことを指します。

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春には五弁または多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせます。原産地は中国。食用・観賞用として世界各地で栽培されている。

花は淡い紅色であるものが多いく、白色から濃紅色まで様々な色のものがあります。五弁または多重弁で、多くの雄しべを持ています。花の柄は非常に短く、枝に直接着生しているように見えます。

観賞用の品種(花桃)は源平桃(げんぺいもも)枝垂れ桃(しだれもも)などがあり、庭木や華道での切り花としてこの季節に用いられています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年の2月14日には春一番が吹きました。春の嵐で航空機をはじめ鉄道網も混乱するほどでした。
春はすぐそこまで来ています。
立春から暦の上では春ですが、今年は寒い日が続いていて、いまだ寒気が日本列島に居座る中、雨水の頃になると水戸偕楽園をはじめ、各地の梅の名所で「梅祭り」が開催されます。
近年梅の開花時期が早まってしまいましたが、今年は梅祭りの時期には、紅梅・白梅が開花することでしょう。
読者の皆様、季節の変わり目です。体調を崩さないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月18日「岡山、西大寺 会陽裸祭」です。■
120210_25.jpg高野山真言宗別格本山「西大寺:さいだいじ」は通称、観音院で本尊は「千手観世音菩薩」。山号は金陵山、観音院と普門坊円満院が現存します。普門坊円満院は真言律宗の寺院で、本尊は「虚空蔵菩薩」。通称は普門院
中国観音霊場第1番札所として知られます。

今から約千二百年昔、天平勝宝3年(751)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が、観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に「千手観音」を安置したのが始まりです。

その後、宝亀8年(777)「安隆上人:あんりゅうしょうにん」が、大和の長谷寺で修行三昧の時「備前金岡庄の観音堂を修築せよ」との夢告から西国に下向し、海路を金岡の庄に向かう途中、児島の槌戸ノ浦に差し掛かったとき、犀角(さいかく=サイの角)を持った「仙人」(龍神)が現れ「この角を持って観音大師影向の聖地に御堂を移し給え」と霊告されました。
 
多々の奇縁に上人は「犀角を鎮めた聖地」に堂宇を建立、法地開山されたのが起源。このとき、寺号を「犀戴寺:さいだいじ」と称しましたが、後年、後鳥羽上皇の祈願文から「西大寺」と改称しました。

「西大寺会陽裸祭り」は、毎年2月第3土曜日の夜、西大寺観音院の境内で行われます。真夜中に御福窓から住職によって投下される2本の「宝木:しんぎ」をめぐり、数千の裸の群れが争奪戦を繰り広げます。

120209_13.jpg「西大寺会陽:えよう」「裸祭り」のことです。岩手県黒石寺の「黒石裸祭」(蘇民祭)、大阪市四天王寺「どやどや」と並び日本三大奇祭の一つとして有名です。

西大寺創設の時に、奈良東大寺の良弁僧正の弟子実忠上人「修正会:しゅしょうえ」を伝えました。正月に修する法会(新年の大祈祷)は、14日の間、10数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に「牛玉:ごおう」を供え、観世音菩薩の秘法を修し、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷を行います。
「牛玉:ごおう」、杉原や日笠という「丈夫な紙」に、右から左へ「牛玉・西大寺・宝印」と順に並べて刷ったもの。14日間の祈祷を経て満願になると、今年一年の五福「寿・富・康寧・好徳・終年」を授ける意味で、牛玉を信徒の年長者や講頭に授けました。
 
牛玉とは、仏教世界の「宝珠:ほうじゅ」を意味し、世の中の万物を生みだす物とされます。牛玉の語源や字体には諸説あるものの、一般には牛の胆のう中に生じた結石を牛黄(ごおう)と呼び、これを溶いて墨書するところから牛王(ごおう)といいいます。

「牛玉西大寺寶印」と書かれたお札を授かった人は、農家は豊作となり、厄年の人は厄を免れることが出来たというので、年々希望者が増え、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いになったのだとか。奪い合ってちぎれてしまう為、室町時代の永正7年、時の住職・忠阿上人が牛玉の紙を「宝木:しんぎ」に替えました。

境内に集った裸群は、宝木の争奪戦前に必ず冷水に入り身体を清め、斉戒沐浴して福が授かるように祈願します。激しい争奪戦は「渦」と言われ、本堂から境内へ数組に分かれて揉み合います。
宝木は取主により会陽奉賛会へ仮納めの後、寺より検分に行きあらためられ、祝主へ納められます。宝木の取主は「福男」と呼ばれます。

金陵山西大寺(観音院)
◇JR赤穂線「西大寺駅」徒歩10分
◇両備バス「西大寺バスセンター」徒歩10分
◇岡山ブルーライン「西大寺IC」より
◇西大寺公式HP:http://www.saidaiji.jp/
◇会陽裸祭奉賛会:http://www.optic.or.jp/saidaijicci/eyo.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
※西大寺会陽裸祭りは日本三大奇祭の一つです。/
西大寺会陽「はだか祭り」(岡山)、黒石寺蘇民祭(岩手)、 四天王寺「どやどや」(大阪)

競い争って宝木を確保する神事は迫力があり、見物している観客も争奪戦に参加しているような感覚になります。競っていても最後には福で終わる神事で、豊作・厄落し・招福を祈念して終わります。
岡山の会陽裸祭りが斎行されるとはいても、まだまだ寒い日が続きます。
春への季節の変わり目です。読者の皆様、体調を崩さないようご注意下さい。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月17~20日「八戸えんぶり」です。■
130130_23.jpg「えんぶり」は八戸に鎮座する長者山新羅神社で、五穀豊穣を祈願する祭礼で、境内での奉納舞いが発祥だとあります。※異説あり

今ではすっかり観光の目玉になった「えんぶり」です。青森県の八戸地方を代表する民俗芸能で、青森県南地方に春を呼ぶとされる伝統行事です。祭祀は豊作祈願する祭りで、「太夫」と呼ばれる舞い手が馬の頭をかたどった華やかな烏帽子を被り、頭を大きく振る独特の舞いが特徴です。

舞いの意味は、稲作を模していて、種まきや田植えなどを独特の舞で表現したものです。また、舞いの合間毎にの子供たちによる可愛らしい祝福芸も、観光客など見物に来た人を楽しませてくれます。

近年では「みちのく五大雪祭り」に数えられるようになり、八戸市内でのえんぶり行列や、市庁舎前広場での「かがり火えんぶり」は、かがり火の炎と衣装のマッチングが、見る人を楽しませてくれます。

130204_20.jpg・奉納摺り=長者山新羅神社
・えんぶり行列、一斉摺り=八戸市中心街
・えんぶり公演=八戸市公会堂(一見の価値あり、筆者)
・御前えんぶり、かがり火えんぶり、えんぶり一般公開=
八戸市庁前市民広場(一見の価値あり、筆者)
・お庭えんぶり=更上閣(有料)
・えんぶり撮影会=
史跡根城の広場
※時間は主催者にお問合せください(筆者)

開催場所:八戸市内
◆JR東日本東北新幹線八戸駅(駅名変更の可能性あり!)
◆八戸観光コンベンション協会 TEL.0178-41-1661
八戸市まちづくり文化観光部観光課 TEL.0178-46-4040
◆参考Web:http://www.michinokugodai.com/hachinohe01.html

■2月17日「伊勢神宮、祈年祭」です。■
141206_20.jpg広い神域の中に千古の杉に囲まれた「伊勢神宮」は、神社本庁の本宗とされ、正式名称は「神宮」ですが、他の神宮と区別するために「伊勢神宮」と呼ばれます。「お伊勢」「お伊勢さん」などと親しまれています。

神道の神社では別格とされており、格付けはされません。明治政府により「国家神道の頂点の神社」として位置付けられました。

「皇大神宮:こうたいじんぐう」と呼ばれる「内宮:ないぐう」、「豊受大神宮:とようけたいじんぐう」と呼ばれる「外宮:げぐう」からなり、別宮・摂社・末社・所管社をあわせた125社を「神宮125社」と呼びます。

御祭神は、内宮・皇大神宮に「天照大神」。御神体は「八咫鏡」(三種の神器の一つ)。相殿神に「天手力男神」「万幡豊秋津姫命」。外宮・豊受大神宮には「豊受大神」。相殿神に御伴神3座です。

141206_21.jpg

「祈年祭」は「としごいの祭り」といって、毎年2月17日に全国の神社で行われるお祭りのことです。祈年祭では、五穀の豊穣と国の繁栄、皇室の安泰や国民の幸福などが祈願され、この日、宮中の賢所では祭具が行われ、天皇が御親拝にされます。

伊勢神宮では外宮と内宮それぞれで行われます。神饌をお供えし、豊作と平和をお祈りする「大御饌の儀:おおみけのぎ」と、皇室から勅使が参向して奉仕される「奉幣の儀:ほうへいのぎ」が執り行われます。2月23日までの1週間、別宮・摂社・末社125社で祈年祭のお祭りが執り行われます。
 
外宮「奉幣の儀」 2月17日 7:00
内宮「大御饌の儀」2月17日 11:00
内宮「奉幣の儀」 2月17日 14:00

 
伊勢神宮
◇三重県伊勢市
◇内宮=近鉄「宇治山田駅」バス15分
◇内宮=<伊勢自動車道>伊勢インターまたは伊勢西インターより5分
◇外宮=JR・近鉄「伊勢市駅」徒歩5分
◇外宮=<伊勢自動車道>伊勢西インターより5分
伊勢神宮祈年祭HP
http://www.isejingu.or.jp/whatsnew/detail.php?uid=76
公式HPhttp://www.isejingu.or.jp/


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■2月17日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

■2月16日「日蓮聖人誕生会」です。■
120204_16.jpg鎌倉時代の仏教の僧「日蓮:にちれん」は、貞応元年2月16日(1222年3月20日)安房国長狭郡東条郷片海(安房郡天津小湊町/現在の千葉県鴨川市)の小湊で誕生しました。幼名は「善日麿:ぜんにちまろ」。

誕生の地、小湊には降誕の時に、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」、季節外れに浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」、海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」という不思議な「三奇端」が今日に伝わります。

天福元年(1233)清澄寺の「道善」を師として入門。暦仁元年(1238)に出家。「是生房蓮長」の名を与えられました。また是聖房とも伝わります。
 
修行の道に入った是生房蓮長は、諸宗の中でいずれかが真の仏教かを求め、鎌倉・叡山・園城寺(三井寺)・南都(奈良)・高野山など各地を歴訪し、諸宗・諸経を学びました。
 
全ての仏経典を読破し、研鑽した結果「妙法蓮華経」(法華経)こそが釈迦の本懐であり、法華経をないがしろにする当時の仏教界の矛盾を悟るに至ります。
 
そこで「法華経勧持品」に予証される末法出現の法華経の行者「上行菩薩の再誕」との立場から「南無妙法蓮華経」と唱えることを第一として教えを弘めはじめます。

120204_17.jpg建長5年(1253)「清澄寺」に帰山し、内々に両親および「浄顕房」「義浄房」に対して折伏(しゃぶく)を行い、内証の上の宣言を行いました。4月28日朝、昇ってくる太陽をはじめ宇宙法界に向かって「南無妙法蓮華経」の題目を唱え始め立宗宣言。この日の正午、清澄寺の持仏堂で初転法輪(仏の教法を説くこと。仏法が誤った考えや煩悩を破砕することを、転輪聖王が輪宝という武器によって敵を降伏させた例え)を行いました。

2月16日、法華経の題目「南無妙法蓮華経:なむみょうほうれんげきょう」を重んじる諸宗派は、宗祖とする日蓮大聖人御誕生の日にあたり、御誕生会の法要が奉修されます。

※折伏(しゃくぶく):破折屈伏(はしゃくくっぷく)の略。相手の間違った思想に迎合することなく、正しいものは正しいと言い切り、相手と対話を通じて日蓮の仏法を伝えること。

誕生寺
◇千葉県鴨川市小湊183
◇JR東日本:東京-蘇我-大網-安房小湊(外房線・1時間50分)
◇公式HP:
http://www.tanjoh-ji.jp/nichiren/

■2月16日(旧1月20日)「旧二十日正月」です■
160221_23.jpg二十日正月:はつかしょうがつ」とは、正月の終わりとなる節目の日。
この日をもって正月行事は終了とします。
正月祝いの納めとして仕事を休む「物忌み」の日

正月にお迎えしていた山の神さま、田畑の神さまがお帰りになる日と考えられていました。
神さまがお帰りになるので前夜の十九日晩には、尾頭付きのお膳や、小豆御飯をお供えする地方もあります

この日には正月の飾り物などは外して、正月行事を締めくくる日とされています。世知辛い現代では、20日まで正月の習慣はすっかり無くなっています。


120112_19.jpg京阪神地方では、正月に用いた鰤(ぶり)の骨や頭を二十日の間、酒粕の中に入れておき、この日に取り出して、牛蒡(ごぼう)や大根、大豆などと一緒に煮て食べます。このことから「骨正月」「頭正月」と呼びます。

東日本では「棚探し」、岐阜県では「フセ正月」、石川県では「乞食正月」、岩手県では「二十日ワッパカ」といって、正月のご馳走や餅などを食べ尽くす風習があります。

◆暦の上では十一日に行われることの多い「鏡開き」ですが、江戸時代の初期の頃、この日が鏡開きの日でした。

この日は武家の象徴である、鎧兜・具足に供えた餅をお雑煮にして食しました。これを「具足開き」と呼んで祝いました。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
正月七日の「七草」、十一日、十五日と「正月終い」の行事はそれぞれですが、正月終いの行事もこの二十日正月でいよいよお開きです。
既に現在の暦では2月です。今年の目標を立て日々精進している方々には、旧二十日正月を機会に更に邁進してください。
三日坊主にならないような目標が大切です。今年こそはと毎年志を立てても、挫折の連続だと嘆いている貴方、それこそ「今年こそは」と志を高く持ちましょう。
筆者敬白

■2月15日「涅槃会(ねはんえ)」です。■
120204_13.jpg「涅槃会:ねはんえ」は、釈迦入滅の2月15日に行われる法会で、涅槃講や涅槃忌とも称します。涅槃図を掲げ、遺教経を読誦して釈尊の遺徳を追慕奉賛します。推古天皇のとき、奈良の元興寺で行われたのが最初といわれています。

「涅槃:ねはん」とは「ニルヴァーナ」の訳語で、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉でしたが、この場合には「釈迦が亡くなったの意」で用いられています。実際に釈尊が入滅された月日は不明ですが、南伝仏教(上座部仏教)では「ヴァイシャーカ月の満月の日」(ウェーサーカ祭)と定められています。

「ヴァイシャーカ月」が「インドの暦」では「第2の月」であることから、2月15日と定められたものです。

「涅槃図:ねはんず」とは、釈迦が娑羅双樹の下で涅槃に入った際の「頭を北にして西を向き右脇を下にした姿」で臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部獣畜虫類などまでが嘆き悲しむさまを描いたもの。仏涅槃図(ぶつねはんず)ともいいます。これが後に、一般の人が亡くなった時に「北枕」とされる由縁です。

「娑羅双樹:さらそうじゅ・しゃらそうじゅ」は、インド原産の常緑高木。「菩提樹」「無憂樹」と並ぶ仏教聖木の一つ。「沙羅双樹」とも記し、他に「サラノキ」「シャラノキ」とも呼ばれます。

120204_14.jpg二葉柿科。学名・Shorea robustarobusta=大形の、頑丈な、の意。幹高は30mにも達し、春に白い花を咲かせ、ジャスミンティーにも似た香りを放ちます。北インドからネパールに分布する植物で、高地などに生える高木。

釈迦入滅のとき、臥床の四辺にあったという「4双8本の沙羅樹」は、時じくの花を咲かせたのち、たちまちに枯れて白色に変じ、さながら鶴の羽根のごとくであったという。

日本の気候には適していないので、温室以外ではまず見かけません。温暖な地域の仏教寺院には植えられているようです。日本では「夏椿:なつつばき」のことを沙羅双樹として扱うことがあるそうです。

「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理(ことわり)をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし」平家物語の冒頭ですが、ここでの沙羅双樹は、おそらく夏椿でしょう。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「祇園精舎の鐘の音・・・・」平家物語の冒頭を暗唱したのは中学時代だっただろうかと、つい昨日のような錯覚を楽しみながら春の足音を感じています。まだまだ寒い日が続きます。毎年涅槃会の時期から月が変わって3月になると、もうすぐ春のお彼岸だなと感じます。寒さの中に路地の雑草に春らしさが感じられるようになってきました。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月15日「横手かまくら」です。■
「かまくら」とは、かまどの形をした雪室。みちのく5大雪祭りの筆頭です。雪を固めて作った雪洞の中に祭壇を設け、祭幣を立てて「水神さま」を祀ります。 

120204_15.jpg

発祥は定かではありませんが、雪国の小正月行事でした。水神を祀る「かまくら」に子供達が入って「入ってたんせ(かまくらに入ってください。)」そして「おがんでたんせ(水神様を拝んでください)」と囃子ます。

祭りの日、子供達が水神にお供え物をして、かまくらの中で火鉢を囲み、餅を焼いたり甘酒を飲んだりして楽しい夜を過します。道行く人にも甘酒を振る舞ったりします。雪の中で、飲料水が乏しくなるので水神を祀っているといわれますが、本来は左義長の火祭りと鳥追い行事が変形したものと考えられています。

かまくら開催地
◇秋田県横手市大水戸町、横手公園
◇参考Web
http://www.michinokugodai.com/yokote01.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
みちのく五大雪祭り/八戸えんぶり/弘前城雪灯篭まつり/いわて雪まつり/なまはげ柴灯まつり/横手かまくらの5つです。
今年は1月から西日本で大雪でした。気温が零下になって水道管の破裂が報道されました。暦の上では春ですが、まだまだ寒さは続きます。

皆様、お風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月15日(旧1月19日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。
ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■2月14日「聖バレンタインデー」■
「St. Valentine's Day」(Saint Valentine's Day)
、「愛の告白日」です。特に女性から男性にチョコレートをなどを贈り、愛を告白する日とされています。

120204_10.jpg西暦270年頃の2月14日、アイルランドのカトリック教徒であった「ヴァレンタイン(ヴァレンティヌス)」が、ローマ皇帝クラウジウスのために殉教したのに由来する祭日です。
このことにローマ神話の女神「ジュノー」(ジュピターの妃)が結びついて、いつの日かカトリックの祝祭日になったものといわれています。

伝説では、バレンタイン・デーになると、小鳥たちが自らの配偶者を求めて飛び回り、和合の日々を送るといわれています。中世になって、キリスト教ではこの日を「愛を与える日」「人類愛を讃える日」として、盛んにもてはやされ、相手にささやかなプレゼントをする習慣がはじまりです。

15021_20.jpgこの日、女性が男性に恋を打ち明けてもいい日とされ、日本でもチョコレートが飛び交うようになりました。これは某菓子メーカーの仕掛けによる販売戦略です。チョコレートの年間消費の4分の1がこの日に販売されると言われるほどで、近年では一種のイベントの感があります。

現在は女性が男性にチョコレートを贈るだけでなく、職場や友人などの恋愛感情を伴わない相手にもチョコレートを贈る「義理チョコ」、女性が女性へチョコレートを贈る「友チョコ」、また、逆に男性が女性にチョコレートを贈る「逆チョコ」などアラカルトも様々。最近では自身へのご褒美として気に入ったチョコレートを食べる「マイチョコ」も人気だそうです。

■2月14日「奈良長谷寺だだ押し」です。■
120204_11.jpg「長谷寺:はせでら」は、山号を豊山( ぶさん )と称し、正式には「豊山神楽院長谷寺:ぶさんかぐらいんはせじ」といいます。

万葉集に「こもりくの泊瀬山」とうたわれたように、昔はこの地を「豊初瀬:とよはつせ」、「泊瀬:はつせ」などと呼んでいたので「初瀬寺」「泊瀬寺」「豊山寺」とも呼ばれます。

現在は、真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三観音霊場第八番札所として、全国に末寺三千余ヶ寺、檀信徒はおよそ三百万人といわれ、四季を通じ「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめています。

150211_21.jpgだだ押し」は、人間の罪や穢れを仏前に懺悔し、身心も清浄にして新年を迎えるため、悪魔退散、無病息災、万民豊楽を祈る法要で、毎年2月8日に始まる修二会の最終日2月14日に行われます。

これは追儺会(ついなえ=鬼やらい)の一つですが、「だだ押し」と呼ぶのは僧呂が堂の床を踏み鳴らす足音が「ダダ」から。閻魔大王の宝印である「檀拏:だんだ」を額に押し当てて加持することに由来。また、疫病神を駆逐する「儺押し:だおし」から来たとの説もあります。

長谷寺のだだ押しは「大和路に春をよぶ火祭り」として知られています。

長谷寺
◇奈良県桜井市初瀬731-1
◇長谷寺公式HP
http://www.hasedera.or.jp/index.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
1月の左義長どんど祭などは火祭りとして有名です。2月の菅生石部神社祭り、神倉神社御燈祭りなどの火祭りがあります。
バレンタインデーにもらったチョコレートから火遊び・・・などと言っている人は、一度妬かれるまでになってください。恨みを買って業火の炎の的にならないように!
だだ押しから京都は春の息吹です。まだまだ寒い日が続きます。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月12日「初午(はつうま)」です。■
130124_26.jpg天界より宇迦御霊神(ウカノミタマノカミ:稲荷大神)が伊奈利山(稲荷山)に天降りて、三ヶ峰に初めて鎮座した「和銅4年(711)午の日」の祭りは、2月の最初のを午の日を「初午(はつうま)」といい、次の午の日を「二の午(にのうま)」といって稲荷の縁日が行われます。

稲荷神は日本の神さまで、稲荷大明神ともいい「お稲荷さん」「お稲荷様」と呼ばれ親しまれています。

「稲荷信仰:いなりしんこう」は江戸時代に最も盛んでした。江戸に多いものとして「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」と数えられたように、江戸にはいたるところにお稲荷さんがありました。

有名な稲荷神社の他に旗本、大名などの武家屋敷には必ず稲荷祠があり、町家の裏庭や長屋にも守り神として祠がありました。

もともと、午の日は子供の祭りで、武家屋敷では近隣の町家の子供たちを招いて遊ぶことを許したり、団子や甘酒、鮨、菓子など振舞っていたようです。現在は産業全般の神として信仰されています。

120221_43.jpg稲荷神社の総本社は、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」です。また、神仏習合思想においては仏法における荼吉尼天(だきにてん)が本地仏とされ、その総本社は豊川稲荷(とよかわいなり)です。

「荼枳尼天:だきにてん・荼吉尼天」は仏教の神。荼吉尼は梵語のダーキニー(Dakini)を音訳したもので、もとはインドの女神でした。もともと農業の神でしたが、のちに「性や愛欲を司る神」とされ、さらには「人肉もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神」とされるようになりました。

ヒンドゥー教では、カーリーの眷属とされます。この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとしています。自由自在の通力を有し、六月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べるといわれています。

眷属仏に対する様々な菩薩などを指す語として用いられ、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆などを指す。

■2月12日「笠間稲荷 初午祭」です。■
「笠間稲荷神社」は、別称:胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)、紋三郎稲荷と呼ばれる神社本庁の別表神社。本殿は江戸末期の建築で、周囲の彫刻は国の重要文化財指定。「三頭八方睨み龍」「牡丹唐獅子」は特に有名。

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御祭神は「宇迦之御魂命:うかのみたまのみこと=正一位の最高位の神」。第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651)創建、1350余年の歴史を有する由緒ある神社で、日本三大稲荷のひとつです。

この日「初午祭」が行われます。一陽来復と全てのものの蘇り、そして作物の豊饒を願う神事です。「午」は動物の馬に通じ、馬は神の最も愛寵されたものとして、人々は馬を通じて神の霊威を感じ、午の日を神聖な日と考えるようになりました。方角では南、時間では昼の12時(正午)を表し、陽気の旺んなことを示しています。

稲荷大神にとって「キツネ」は、熊野神社の「カラス」、八幡神社の「ハト」、氏神さまの「狛犬」などと同じように「神使:かみのつかい」「眷属:けんぞく」などと呼ばれ、神さまのお使いをする霊獣です。

中世の時代、人間が持っている様々な欲望を、直接神さまに祈願するのは畏れ多いとして、特別に選ばれた動物を通してお願いすることが行われたことによるものです。キツネがお使いとして選ばれたのは、稲荷大神が農業神であることと深く結びついています。

日本人には古くから神道の原形「山の神、田の神」が信仰されていました。春になると山の神が山から里へ降り、田の神となって稲の生育を守護し、収穫が終えた秋に山へ帰って山の神となるというもの。キツネ「農事の始まる初午の頃から収穫の終わる秋まで」人里に姿を見せます。

130124_24.jpgキツネが稲荷大神のご祭神と混同されるようになったのは、平安時代以降の神仏習合によります。稲荷大神が仏教の守護神「茶枳尼天:だきにてん」の垂迹(すいじゃく)とされたからです。茶枳尼天は、またの名を「白晨狐菩薩:びゃくしんこぼさつ」といい、キツネの精とされました。このことから、いつの間にか一般民衆の間で、稲荷大神のご祭神とキツネが混同して理解されてしまったわけです。

また、稲荷大神のまたの名である「御饌津神:みけつがみ」の「ミケツ」が混同されて「三狐神:みけつがみ」と記されたこともその一因。御饌津神とは、「御=尊称・饌=食物・津=の・神」で、食物を司る神を意味しており、キツネとは全く関係はありません。

神社神道本来の心である「明き心」「清き心」「正しき心」「直き心」をもって御祭神、宇伽之御魂神の御神慮と御神徳を正しく理解することが大切です。

笠間稲荷神社
◇茨城県笠間市笠間1番地
◇JR常磐線「笠間駅」バス5分
公式HP:
http://www.kasama.or.jp/

■2月12日「京都、伏見稲荷 初午祭」です。■
120125_20.jpg「初午祭」とは、稲荷大神が天界より天降りて、稲荷山の三ヶ峰に初めて鎮座した和銅4年(711)の最初の午の日を偲ぶ祭りです。2月の初の午の日を「初午祭」として、伏見稲荷大社をはじめ全国的に祭礼が行われます。

初午詣は、福詣とも呼ばれ、前日の巳の日から参詣者が訪れます。京洛初春第一の祭事とされています。授与される「しるしの杉」は商売繁盛・家内安全の御符として、古くから拝受する風習が盛んです。

今日「初午」といえば、年中で最も寒い時季に当り、時として節分の前にめぐり来ることすらありますが、古くは旧暦を用いていたので、節分前に「初午」が来ることはありませんでした。もう少し春めいた頃にめぐり、四季の移ろいを敏感にとらえ、その中に「もののあわれ」を見出した当時の人々は、「初午」にはこぞって稲荷社に詣でたものでした。今昔物語や枕草子から、平安時代の初期「初午詣」は老若男女がうち連れて郡参した様子が伺えます。

130124_25.jpg伏見稲荷大社は、全国の稲荷社の総本宮です。御祭神は、宇迦之御魂大神(下社=中央座)・佐田彦大神(中社=北座)・大宮能売大神(上社=南座)・田中大神(田中社=最北座)・四大神(四大神=最南座)

御神徳は「衣食住ノ大祖ニシテ万民豊楽ノ神霊ナリ」(稲荷谷響記)、また「上ハ天子ヨリ下ハ万民ニイタル幸福豊楽ノ神明ナリ」(神号伝併後附十五箇條口授伝之和解)とあります。

御神号は「イナリ」を「伊奈利」と記。イナリとは、イネナリ・イネニナルのつづまったもので、人間生活の根源であった「稲」によって、天地の霊徳を象徴した古語とされています。因みに「伏見」は「伏水」だったそうで、伏見の山にはたくさんの滝があります。

伏見稲荷大社
◇京都市伏見区深草薮之内町68番地
◇京阪電車「伏見稲荷駅」徒歩5分
公式HP:
http://inari.jp/

■2月12日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。


120125_15.jpg一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
頻繁にある割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。ひと月に数回あります。
早くも「立春」を過ぎ、寒さの中にも春の足音が聞こえてきます。
季節は春への変わり目です。風邪などお召しにならないように、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月12日~2月18日「大犯土(おおつち)」です。■
◇犯土の期間◇
120502_60.jpg大犯土:おおつち」は選日の一つで庚午(かのえ うま)の日~丙子(ひのえ ね)の日までの7日間(2月12日~2月18日)をいいます。
8日目の丁丑(ひのと うし:2月19日)の日を差し障り無い「犯土間日:つちまび」を置きます。
9日目の戊寅(つちのえ とら)の日から甲申(きのえ さる)の7日間(2月20日~2月26日)を「小犯土:こづち」としています。

◇犯土期間中慎む作業◇
犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

木々の活動低調期◇

110311_12.jpg野山の木々にも活発な時期と低調な時期があります
大犯土・小犯土期間中は、樹木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。
除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐとせっかくの材木が早く腐ってしまいます。

科学的な根拠の有無は別にして、林業や大工の方は暦の犯土を経験的に重要視しています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
現代では暦の「大犯土」は、単なる科学的な根拠のない迷信だと、軽んじられています。現代では暦に従って生業を営むことが、難しくなってきました。また、宮大工の方などはこの日を選んで、刻みをいれる方もいらっしゃいます。1000年を超える建築物がいまだに健在な理由は、このような現代科学では計り知れないものを利用したからかもしれません。
土に関わる仕事を生業にしている不動産業の方や、工務店、建築業・林業の方は、日程を調整して不慮の事故を未然に防ぎましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月11日「建国記念の日」「旧紀元節」です。■

平成29年は2676回目の紀元節で皇紀2677年です。
「建国記念の日」は、国民の祝日のひとつで、「建国をしのび、国を愛する心を養う」のを法定の趣旨とし、昭和41年に制定されました。


かつて、戦前この日は
「紀元節:きげんせつ」という祝日でした。日本書紀で神武天皇即位の日とする皇紀元年「辛酉年春正月庚辰朔」(紀元前660年正月1日)が、新暦(太陽暦)の2月11日にあたるとして、明治5年12月に制定されました。

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戦後「紀元節」はなくなります。日本国憲法の精神にそぐわないといった理由からでした。しかし、昭和26年頃から復活の動きが起こり、昭和41年に敬老の日と体育の日とともに、国民の祝日に追加されました。
 
150206_22.jpg「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事象そのものを記念する日という考えによるものです。
 
2月11日という日取りには、根拠が曖昧であるため、様々な主張があります。
しかし、この日は「大日本帝国憲法の発布」「金鵄勲章」の制定などが行われており、大正十五年からは「在郷軍人」などの建国祭の祝賀行事が行われるなど、日本における軍国主義の高揚に大きな役割を果たした日でもあり、重要視されていたようです。
 
150206_23.jpg世界最古にして最長の王家「天皇家」。神武天皇は初代天皇で、名前は「神日本磐余彦尊:かんやまといわれびこのみこと」。「九州日向国(現在の宮崎県)から東征し、瀬戸内海を通って難波(現在の大阪市)に上陸、熊野から吉野を経て大和を平定し、大和の橿原宮に於いて即位された」と日本書紀などに説明されています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

敗戦を経験した日本では、それまでの歴史に問題があるからと、その日の呼び方を変えたりしても内容や意味が変わるものではありません。

私達日本人は自国の伝統ある歴史を客観視することで、何が正しいか判断する豊かさをもちたいものです。
とはいっても、休日が一日増えることは嬉しいと思うのが庶民でしょう。
歴史の事実より休める休日、意味はその後といったところでしょうか、平和な証拠です。

筆者敬白 

■2月11日「奈良、橿原神宮例祭」です。■
120210_30.jpg神武天皇の出生は、庚午年1月1日。在位期間は辛酉年1月1日(紀元前660年=弥生時代にあたる)から神武天皇76年3月11日とされます。
100歳を越える年齢で、とても一人の人物が行ったとは思えないほどの業績などから見て、実在の人物ではないとするのが一般的。
日本神話の一部として理解すべきでしょう。
 
古事記では「神倭伊波礼琵古命:かんやまといわれひこのみこと」と称され、「日本書紀」では「神日本磐余彦尊:かんやまといわれひこのみこと」、「始馭天下之天皇:はつくにしらすすめらみこと」、「若御毛沼命:わかみけぬのみこと」、「狹野尊:さののみこと」、「彦火火出見:ひこほほでみ」と称されます。
 
「神武天皇」という呼称は、奈良時代後期の文人・淡海三船(おうみのみふね=天智天皇の皇子大友皇子の曽孫)が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされます。
 
◇紀元2600年奉祝式典◇
神武天皇在位中の皇居があったとされる畝傍山(うねびやま)の東南、橿原の地に「橿原神宮」があります。昭和15年(1940)には、紀元2600年奉祝式典が全国各地の神社で行われ、橿原神宮には昭和天皇も行幸しています。参拝者は年間1000万人ともいわれます。
 
150206_21.jpg畝傍山の「畝傍」(うねび)とは、「火がうねる」の意。古代人がこの山を「火山」と認識していた可能性があります。実際に頂上近くの緩い傾斜面は、黒雲母安山岩(火山岩)で形成され、ざくろ石黒雲母流紋岩の流離構造を示す貫入岩も存在します。
 
江戸時代以前は、山上に70以上の寺院が存在していました。現代でも曹洞宗慈明寺が畝傍山西麓にあります。寺の傍に「畝火山口神社」があり、付近には藤原宮跡、飛鳥宮跡など数々の古墳があります。明治に入り、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる畝傍山の麓に橿原神宮を興し、それまで多武峰(とうのみね=奈良県桜井市)で奉祭してきた神武天皇の「御霊」を移したとされます。
 
◇橿原神宮、紀元祭◇
ここで行われる2月11日「紀元祭」は、宮内庁の勅使も参向して、全国からの参拝者で賑わいます。
 
◇神武天皇崩御◇
古事記には137歳で亡くなり「御陵在畝火山之北方白檮尾上也」御陵は、畝傍山の北の方の白檮(かし)の尾の上にありと記され、日本書紀には127歳で亡くなり「葬畝傍山東北陵」畝傍山の東北陵に葬ると記されています。宮内庁の定めによれば、奈良県橿原市大久保町の山本ミサンザイ古墳が「畝傍山東北陵:うねびのやまのうしとらのすみのみささぎ」です。
 
神武天皇崩御の4月3日には、宮中や神社で神武天皇祭が毎年行われています。すべての天皇は、皇居宮中三殿のひとつ「皇霊殿」に祀られます。
 
◇「紀元」とは・・・◇
歴史上の年数を数えるときの基準となる最初の年をいいます。日本では明治15年11月15日に、神武天皇即位の年「西暦前660年」を元年と定め
これを「皇紀」と呼びます。ですので、西暦2014年は皇紀2674年ということになります。西洋ではキリスト降誕の年を元年と定め、今日では世界中でこれを用いています。これが西暦です。

橿原神宮
◇奈良県橿原市久米町934番地
◇近鉄南大阪線・吉野線 橿原神宮前駅すぐ

◇橿原神宮公式HPhttp://www.naranet.co.jp/kashiharajingu/index.html
 
◇ ◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇ ◇
旧紀元節には、に憂国、愛国者団体の方々が軍服、戦闘服、特攻服に身を包んで街宣車で集結する事でも知られています。神武天皇を心の底から崇拝しているので、とても礼儀正しく恭しく参拝して軍歌を爆音で鳴らして去って行きます。
このように大音量の街宣車で街中を走られると、楽しい思いをする方はいないでしょう。歴史認識の違いはわかるのですが、告知方法を考えて欲しいものです。
読者の皆様、寒さの中にも春の気配を感じる時期になりました。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月11日(旧1月15日)「旧小正月」です。■
160221_20.jpg旧1月14日年越しとは「旧小正月」の前日にあたり、年越しの日として祝います。

明けると「旧小正月:しょうしょうがつ」です。旧暦の正月15日(あるいは14~16日)をいいます。

元日を「大正月」と呼ぶのに対する呼び名で、近畿では「女正月」ともいいます。

月の満ち欠けを日付の基準にした「旧暦」では、1年の最初の満月の日「旧暦1月15日」が正月でした。

しかし、新暦が採用されてからは、1月1日を1年の初日としました。そこから「元日を大正月」「15日を小正月」と呼ぶようになりました。

大正月の「門松」に対して、小正月には「餅花や削り花」などを飾ります。餅花とは、餅を薄くのばして丸く平たく切って彩色したもの。削り花とは、神仏などに供える飾り棒のことです。「花正月」とも呼びます。

120105_13.jpg◇小豆がゆ◇
小正月の朝、五穀豊穣を願う農耕儀礼のひとつとして「小豆がゆ」を食す習わしがあります。

古く「土佐日記」「枕草子」などにも、小豆粥を食べたことが記されています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
旧暦の1月15日は満月です。旧1月15日に小豆がゆを食して枕草子の時代に思いをはせましょう。
一日でも歴史を感じることも余裕のひとつです。
筆者敬白

■2月11日「己巳(つちのとみ)」です。■
120417_62.jpg「己巳:つちのと・み、き・し」は、干支十干と十二支)の組み合わせ60のうちの6番目で弁財天を祭る日とされています。「巳待:みまち」ともいいます。

五行説で、十干「:つちのと、き」は「陰の土」、十二支「:み、し」は「陰の火」で、相生(火生土)でとなり相性のいい日です。

「巳」は「」をあてています。蛇は弁財天の使いであると考えられていたことから、福徳賦与の神である弁財天を祀るようになりました。


「弁財天」
は、宝冠を被り青衣をつけた美しい女神で、左手に弓・刀・斧・絹索を、右手に箭・三鈷戟・独鈷杵・輪を持つものもあり、ヴィーナ(琵琶に似た楽器)を弾じます。


121225_27.jpg安芸の宮島
大和の天川近江の竹生島相模の江ノ島陸前の金華山五弁天と称します。
鎌倉の「銭洗弁天」(正式には宇賀福神社)では、境内奥の洞窟内の湧き水で銭を洗うと、数倍になって返ってくるとされています。

日本各地に存在する「弁天島」は、弁才天信仰に由来する島名です。海難避けや豊漁を祈願する漁師たちの守り神として、日本各地の沿岸の小島に祀られてきました。

七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして信仰されている七柱の神です。
◆≪恵比寿:えびすさま≫商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、大魚守護の神様
「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。七福神の中で日本が由来の神様。
◆≪大黒天:だいこくてん、だいこくさま≫五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛の神様
ヒンドゥー教のシヴァ神と、日本古来の大国主命の習合です。その後「大黒柱」と現されるように、食物や財福を司る神となりました。
◆≪毘沙門天:びしゃもんてん≫武道成就、降魔厄除、家内安全、夫婦和合の神様
ヒンドゥー教のクベーラ神。仏教の神のヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり、日本では毘沙門天と呼ばれます。
◆≪弁才天:べんざいてん、べんてんさま≫恋愛成就、学徳成就、諸芸上達、福徳施与の神様
七福神の中の紅一点。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されます。
◆≪福禄寿:ふくろくじゅさま≫財運招福、延命長寿、立身出世、招徳人望の神様
道教の宋の道士、または、道教の神で南極星の化身の老子である「寿老人」の別名または同一神とされます。
◆≪寿老人:じゅろうじん≫幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様
道教の神で南極星の化身の老子。
◆≪布袋:ほていさま、ほていそん≫千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛の神様
唐の末期、明州に実在したと伝わる仏教の僧です。

130218_20.jpg
暦注や暦に起因する様々な行事は、中国から渡ってきたものが主ですが、「
庚申待」「甲子待」と同類でも、「己巳」は日本独自のものです。

◇◇◇ 編集後記 ◇◇◇
平成29年立春の後第1回目の己巳です。
己巳や庚申などは
現代社会では迷信扱いです。長い期間を経た統計学の背景を根拠とした暦の謂れを振り返ってみることも、せちがない現代での心の余裕といえます。 

皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月10日「加賀、菅生石部祭」です。■
120203_12.jpg加賀國二ノ宮「菅生石部神社:すごういそべじんじゃ」は、通称・敷地天神・菅生天神と呼ばれる式内社です。御祭神は「菅生石部神」として、天津日高日子穗穗出見命、豐玉毘賣命、鵜葺草葺不合命の三柱を祀り、境内には春日杜(大兒屋根命・径津主命・武甕槌神・姫大神)、八幡社(応神天皇)、白山社(菊理姫命)、稲荷社(宇迦御魂命)、事比羅社(大物主命)、菅原社(菅原道眞公)、藤森社(大國主命)があり、病気平癒・身体健康・安産・学業成就・武運守護のご利益があると崇敬されます。
 
用明天皇元年(585)この地で疾病が流行した際、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まります。中世には、越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の北野天満宮領として天神信仰が盛で、明治期には國弊小社に列せられました。
 
古来より正親町夫皇の頃まで、一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど朝廷の崇敬篤く、木曾義伸、富樫昌家、足利義持、豊臣秀吉、山口玄蕃等部門武将らが深く尊崇され、天慶3年には正四位下の神階が授けられました。
 
「平家物語」巻七には、木曽義仲が当社へ「のみ(野美)の庄」を寄進したという記述が残ります。中世頃のこの一帯は北野天満宮の社領で、「天神」の通称はそこからきたものです。境内には「牛の像」が残っています。京都の「敷地神社(わら天神)」は、ここからの勧請。
 
130124_27.jpg毎年2月10日に行われる祭礼は「竹割り祭り」と呼ばれる御願神事(ごがんしんじ)です。治世にも乱を忘れないようにと、山幸彦の炎出見尊(ほほでみのみこと)と、兄で海幸彦の酢芹尊(すせりみこと)の神軍にならい、尚武の道を忘れぬための行事とされています。
 
伝承によれば、この地に住む大蛇を退治するためと伝わります。白装束の青年たちが青竹を手に、大蛇になぞらえた長さ約20mの大縄を拝殿から引き出し、橋の上から大聖寺川へと投げ込みます。2m余の青竹を激しく地面に打ち叩く姿は壮絶を極めます。割られた青竹は、見物人が自由に持ち帰り、これで凧を作れば凧はよく上がり、箸にすれば歯の痛みも止まると伝わります。
 
菅生石部神社
◇石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
公式HP
http://www.tenjin.or.tv/index.htm

■2月10日「福島、信夫三山暁参り」です。■
120203_13.jpg例年2月10~11日に行われる「信夫三山(しのぶさんざん)暁まいり」は、月山・湯殿山・羽黒山の信仰における「羽黒神社」の例祭です。江戸時代から300余年にわたり受け継がれ「大わらじ」を奉納することで知られる伝統ある神事で、日本の奇祭のひとつです。
 
昔、羽黒神社に安置されていた仁王に合った大わらじを作って奉納したのがはじまりです。

後に、伊勢参拝などの長旅に出かける人々から健脚、旅の安全などを祈って羽黒神社境内の「足尾権現」にわらじを奉納するようになり、無病息災・家内安全を願って羽黒神社へ毎年大わらじが奉納されたと伝わります。
150206_20.jpg羽黒神社(羽黒山神社)の御祭神は、淳中倉太珠敷命(淳中太尊)・石比売命(石姫命)。古くは羽黒権現と称し、第32代嵯峨天皇の詔によって淳中太尊・石比売命の2柱を祀ったといわれます。

祭神は女性であり「正観音」と伝えられ、御神体は晴明町の真浄院に安置されています。この観世音菩薩は扉を閉ざし、見る者は目がつぶれると言われ見ることは出来ませんが、数十年に一度御開帳されます。

伊達政宗が仙台に城を築き治めた際、羽黒神社の祭神を分祀。五穀豊穣・商売繁盛・無病息災・家内安全・身体強健・縁結びなどの神として信仰されます。
 
羽黒神社
◇福島県福島市信夫山御山
◇出羽三山HP:
http://www.dewasanzan.jp/

◇羽黒山HP:
http://www.dewasanzan.jp/sairei.html


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
みちのくの修験道といえば出羽三山の里社(人里に近い)が羽黒神社です。
HPによると5月に2泊3日の修験道研修があるようです。自己を見つめなおす機会にご参加なさってみてはいかがでしょう。
立春を過ぎ寒さの中にも、暖かさを感じる日もあります。今年は歴史的な豪雪です。雪下ろしで思わぬ事故に遭いませんようご注意下さい。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月8日「針供養」「こと始め」です。■
「こと始め」とは、その年の事の始まり行事のことで、陰暦2月8日に行われていたものです。平成26年は太陽暦の3月8日が旧暦の2月8にあたります。


120203_11.jpg「針供養」
とは、折れた針を供養し、裁縫の上達を願う行事です。関東では一般に2月8日に行われますが、12月8日に行われる地方もあります。両日とも「事八日(ことようか)」(こと始め・こと納め)にあたっており、昔から様々な行事が行われてきましたが、それが江戸など都市では針供養に変わったものと考えられます。
 
この日は、針の使用を謹んで針仕事を休み、古針(折れた縫い針や曲がった縫い針)を、豆腐やこんにゃく、あるいは餅に刺して、神社で供養したり、川へ流したりするのが一般的でした。豆腐やこんにゃくなどに針を刺す理由は、柔らかいもので針に楽をしてもらい、今までの針の労に感謝するのです。
 
もともと中国で行われていた針供養に似た行事が、日本に伝わったもので、事始め・事納め・女の守護神である淡島信仰などと混合して出来上がったものが針供養であるといわれます。この日、芋、大根、焼豆腐、あずき、にんじんなどの煮物料理を食べる、俗にいう「いとこ煮」や「六質汁」は、こうした縁起からきたものだそうです。
 
また、豆腐のように色白の美人になるようにとか、柔らかい気持ちになれるようにとか、まめに働くことが大事(だいず)としたのだとか。豆腐は刺されても痛いと言わないから、女性が我慢強いことを願ったからなどともいわれます。
 
130124_23.jpg和歌山の淡島神社では、その年に使って折れた針を集めておき、淡島堂(あわしまどう)へ納め、縫裁の上達を祈ります。祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)を祀ります。少彦名命は、医薬の神様です。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
 
針供養は関東では2月8日、関西では12月8日に行うところが多く、古く、事始めと事納めを一緒にして「事八日:ことようか」と呼ばれていました。
 
東京浅草寺境内の淡島堂の祭神は女神で、技芸裁縫の神です。
浅草寺HP/諸堂案内(淡島道)
http://www.senso-ji.jp/guide/awashimado.html

淡島信仰、淡島神:
淡島神は、女性特有の婦人病治癒や安産・子授け、裁縫の上達、人形供養をはじめ、良縁・健康維持など女性に関する効験ありとされる信仰。江戸時代には淡島願人と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった。関東地方では3月3日淡島講を催す地域がある。発祥は住吉明神の妃が婦人病のため淡島の地に流され治癒したとされる。

■2月7日「北方領土の日」です。■
「北方領土:ほっぽうりょうど」とは、北海道根室半島の沖合にある島々で、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はばまいぐんとう)のことです。
 
110207_1.jpgこれら北方四島は、昭和20年(1945)にソ連に不法占拠され、ソ連が崩壊してロシアとなった現在もその状態が続いています。日本政府は日本固有の領土としてその返還を求めています。現在、日本国民の北方領土関係者および、ロシア人北方領土居住者に対して、ビザなし渡航が日露双方に一部認められています。
 
北方領土問題の解決は、日露両国間の最大の懸案事項。この問題が一日も早く解決され、平和条約が締結され、真の友好関係が確立されることが願いです。
 
北方領土問題に対する国民の関心と理解をさらに深め、北方領土返還要求運動の全国的な盛り上がりを図るために「北方領土の日」を設けるべきという声が上がり、昭和55年(1980)には、国会において全会一致で「北方領土の日」の設定を含む「北方領土問題の解決促進に関する決議」が行われました。
 
政府は、広く各界各層からの意見を踏まえて、昭和56年(1981)1月6日の閣議了解により、毎年2月7日を「北方領土の日」とすることを決めました。
 
130124_22.jpg安政元年12月21日、現在の静岡県下田市において日魯通好条約が調印されました。この日は、新暦2月7日です。この条約は、日本とロシアの間に通商を開くとともに、平和的な話し合いによって両国の国境を択捉島とウルップ島の間と定めたもので、これによって、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の北方四島は日本の領土として確定し、これ以後、両国の国境は何度も変わりましたが、北方四島は一貫して日本の領土でした。
 
この歴史的な意義と平和的な外交交渉によって、領土の返還を求める北方領土返還要求運動の趣旨から、2月7日は「北方領土の日」として最も適切な日とされました。毎年この日には、東京において「北方領土返還要求全国大会」が、内閣総理大臣、衆・参両院議長、各政党代表、地方公共団体代表、民間団体代表などの出席のもとに開催されます。また、この日を中心に全国各地で多彩な行事が行なわれています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
安倍政権になってから、尖閣諸島、竹島、北方領土などの領土問題を、日本の領土であると教科書に記載する動きがあります。領土問題では際立った動きが出てきています。また、以前、小笠原返還記念日、沖縄復帰記念日の記述をお願いしたいと、コメントをいただきました。

昨年ロシアのプーチン大統領が来日して、安倍首相の会談がありました。経済協力と北方領土が話し合われたようです。北方領土は一部でも平和裏に返還され解決されれば、新しい日露関係が構築されるでしょう。

立春を過ぎても寒さが厳しく、インフルエンザが流行しているようです。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月7日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
今回の「一粒万倍日」の前の日は「甲子」でした。甲子は十干十二支の始まりです。何かを始めるにはとても良い日です。

体調管理の難しい季節です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月7日(旧1月11日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されていません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■2月6日「甲子(きのえね)」です。■
甲子:かし・かっし・きのえね」とは、甲子待ち・甲子祭の略称。子祭ともいいます。

110906_19.jpg五行説で「甲」は陽の木、「子」は陽の水で五行相生して吉となり、よい組み合わせです。また十干十二支(じゅっかんじゅうにし)の組み合わせ60種のうちの「1番」で、目出度い日とされています。

この日、甲子待ちと称して子の刻(午後11時~午前1時)まで起きて、大豆・黒豆・二股大根を食膳に供え、大黒天を祀ります。子(ね)を、ねずみと結びつけ、ねずみを大黒天の使いであるとみなして、子の日に祀るようになりました。

甲子(きのえね)・庚申(こうしん)・己巳(つちのとみ)は、江戸時代に商家で盛んに行われました。現在でも各地に行事として残っています。

甲子は、日では60日で循環し巡り、年では60年で循環し巡ります。中国では甲子の年は政治上の変革があるとされ、甲子革命が説かれたりしました。日本でも甲子の年には、元号の改元が議論されたりしました。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
社会では始まりや一番目は、お目出度いとされています。「甲子」も干支の1番目で、決断、改革、転居、方針転換、新規チャレンジ、入学、新しい仲間などにチャンスがあります。
また、年号が甲子の年だと政変になるとされています。春分から新年に入り、初めての甲子です。
季節の変わり目で国際情勢などからも、何らかの大きな変化がある年になるかもしれません。

読者の皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月6日「新宮、神倉神社 火祭」です。■
120203_10.jpg「神倉神社:かみくらじんじゃ・かんのくらじんじゃ」は、熊野三山(速玉・那智・本宮)の一山である「熊野速玉大社の摂社」で、神倉山(かんのくらやま・かみくらさん=標高120m)に鎮座しています。

祭神に「天照大神:あまてらすおおのかみ」「高倉下命:たかくらじのみこと」を祀ります。

源頼朝が寄進したと伝わる急勾配の「鎌倉積み石段」538段を登らなければなりません。また、境内の外縁は断崖絶壁です。山頂には通称「ごとびき磐」といわれる数個の巨岩があり、御神体として崇められ、古代より熊野の祭礼場、熊野の根本として神聖視されてきました。

熊野路に春の訪れを告げる火祭「御燈祭り:おとうまつり」は、白装束に腰に荒縄を巻いた「上り子」と呼ばれる祈願者が、燃え盛る松明を手に538段の石段を駆け下り、松明の炎が帯状に連なって、まるで滝のように浮かび上がります。

130124_21.jpg

この祭事は、約千四百年前から伝わる「女人禁制の神事」で、熊野に上陸した神武天皇を松明の炎で迎えたという故事に因みます「山は火の滝、下り竜」ともいわれ、たくさんの観光客で賑わいます。
 

神倉神社
◇和歌山県新宮市神倉1-13-8
◇参考Webhttp://www.mitene.or.jp/~hayamine/file2/kamikura.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
神倉神社には神武天皇が徐福伝説の徐福だったのではないかといった説が残っています。
以下は研究資料を拝借

◇徐福と神武天皇
新宮市には徐福の墓があります。徐福について簡単に説明しますと、
中国において紀元前、最初に統一した政権にあの万里の長城を築いた秦の始皇帝があります。 この始皇帝の命により不老長寿の仙薬を求めるよう指示された一人が徐福であります。

徐福は、中国中を探したが見つからず、ついに東の海の彼方、日の出ずる国、蓬莱山(富士山)の島にあると進言し、「童男女三千(書物によっては、五百などとも)と百工、五穀とその技術を持つ人をつけ東方に船出」した。(仙薬が見つからないと死刑となるため、逃走したともいわれる)ついには帰らなかった。と、司馬遷の「史記」にある。

これは、日本の弥生時代初期と時期が合い、全国二十カ所以上に徐福伝承地の跡がある。 これらにより、徐福の伝説は事実であったと思われ、弥生時代は徐福によって開かれたという説もあります。

◇徐福=神武天皇説
ここに徐福は神武天皇であったという説がでてくるのです。 いわゆる神武天皇東征のことです。中国の故衛挺生教授(1890~1977)の「徐福の日本建国考」によると、
1,地理が合う/「平原広沢」。 東海各島の中で日本にだけ平原広沢がある。
2,時代が合う/「三種の神器」。 鏡、勾玉、剣は秦代のものである。
3,水軍の存在、舟師が活動している。
4,少年少女/神武東征に働いた「童男女」、後の男軍、女軍。
5,五穀百工/神武の軍は各地に一年以上住んでいる。 稲作などを指導した。
6,政治思想/秦の郡県制度のようなものを神武も作った。
7,遇民政策/文字や中国語を使わせず、使わなかった。
8,神話/八神の中の七神が合う。 天、地、兵、陰、月、四時主など。
9,年代/前203年、ヤマト橿原で即位。
10,考古遺物が合う/秦代の明刀、安陽布などの貨幣、青銅器の出土。

◇また、彭雙松氏の「徐福研究」によると
1,「史記」に実在した事実が記されている。
2,徐福について五十六の遺跡、三十二の伝説、四十六の文献に残っている。
3,神武東征と徐福東渡には三十七にわたる共通の事項がある。
4,子孫が六、七百年後、全土を統一している。(引用者注、五世紀、倭国か)
5,佐賀、金立神社由来記に「本神社は神武朝、振興時に之を創設」とある。
6,日向、延岡に徐福岩がある。 神武の出航した地域である。
7,福岡県の岡(遠賀)に三年もいた。 遠貿川式土器で知られる弥生文化発祥地。
8,金関丈夫博士による縄文人と弥生人の身長差などの研究では、華北からの渡航、移住を示す。
など、かなり符合する点があり、徐福研究は日中両国で続いています。「徐福集団渡来と古代日本」より
とありあす。

最高の歴史ロマンといえましょう。読んでいるだけでワクワクします。顕彰できないだけにイメージが膨らみます。
筆者敬白

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■2月5日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

◆二十四節気◆平成29年2月4日「立春(りっしゅん)」です。◆

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平成29年2月4日0時34分「立春」です。旧暦正月、寅(とら)の月の正節で、新暦2月4日頃にあたります。天文学的には、太陽が黄経315度の点を通過するときをいいます。

旧暦では、立春の日が「一年の始め」とされ、この日の前夜を年越しとする
風習があります。このため正月節、歳首節ともいいます。前日の「節分」までは前の年で「立春」から新年ということになります。

日ごとに日足が伸び、木々が芽吹き出し、春の気配を感じるようになります。暖かい地方では、梅の花が咲き始めます。立春以降に、初めて吹く南寄りの暖かい突風が
「春一番」です。

禅寺など寺院の入り口には、早朝に「立春大吉」と書いた紙札を貼る習慣があります。これは「厄除け」とされていますが、立春大吉の文字を縦に書くと、左右対称になります。文字が対称であるところから、話を分け隔てなく聞き公平に接することで、大きな災難に巻き込まれないという謂れです。

四季では、立春から立夏までが「春」です。また立春は、暦の上での雑節の基準になる日です。この日から数えて「八十八夜」「土用」「二百十日」などを算出します。

◆◆「七十二侯」◆◆
◆初候「東風解凍」(とうふうこおりをとく=はるかぜこおりをとく)
東風が厚い氷を解かし始める時節。
◆次候「黄鶯睍睆」(こうおうけんかんす=うぐいすなく)
うぐいすが山里で鳴き始める時節。黄鶯(こうおう)=こうらいうぐいす。黄鶯子、黄鶯児とも。睍睆(けんかん)=鳴き声のよいさま。
◆末候「魚上氷」(うおこおりにのぼる=うおこおりをのぼる)
割れた氷の間から魚が飛び出る時節。

130114_30.jpg◆◆「2月の花」◆◆ 
「福寿草:ふくじゅそう」金鳳花(きんぽうげ)科
学名:Adonis amurensis Adonis(アドニス)は、ギリシャ神話に登場する「イノシシの牙に突かれて死んだ青年」の名前に由来。傷から出た血のように赤い花の例え。(欧州産の花は赤です)

開花時期:2/1~3/15頃 正月に販売されているものはハウス栽培されたもの。花芽は晩秋にできるので、その後約1ヶ月寒さにあわせて室内に保存しておき、正月頃に咲かせます。花は黄金色。光や温度に非常に敏感で、昼間でも日が遮られると1~2分で花がしぼみ、再び日があたると花開します。

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福寿草の花と南天の実をセットにして「難を転じて福となす」という縁起物の飾り付けがされたりします。根と茎は有毒。花が終わる頃、人参の葉のような細い葉が出て一面に広がります。

別名「元日草:がんじつそう」、「朔日草:ついたちそう」など。
花言葉は、「幸福」「幸せを招く」「永久の幸福」「回想」「思い出」「悲しき思い出」など。
 
「朝日さす 老師が家や 福寿草」/与謝蕪村
「水入りの 水をやりけり 福寿草」/正岡子規

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
あけましておめでとうございます。二十四節気『立春』です。めでたく「立春大吉」を迎えました。

2017年は既に年明けをしていますが、暦における一年は「立春」に始まり翌年の「節分」で終わります。旧暦では立春からが新年、元旦ということになります。
日本では明治に入りグレゴリオ暦が採用されてから、立春を「立春正月」といい新暦・旧暦の正月と区別するようになりました。

節分(年に4回)など季節の切り替わりには、自身を取り巻く自然の流れや周囲の環境が大きく変化して、それまでの運勢の流れが入れ替わることを意味しています。また節分で土用が明けます。停滞していた問題や解決していない事柄を解決するタイミングです。

新年に入りインフルエンザが大流行していています。うがい・手洗いを励行し、室内では加湿器を使用して、インフルエンザ菌が飛散しないように心がけましょう。
それでは皆様、本当の意味で良い年を!
筆者敬白

■2月3~5日「松山、椿祭」です。■
120119_23.jpg「立春に近い上弦の月の初期」と月齢を定められている春祭「椿まつり」、「椿神社」で行わる祭りです。一般的に「椿まつり」「お椿さん」「お八日(おようか)」と呼ばれ親しまれています。

椿神社の正式名称は「伊豫豆比古命神社:いよずひこのみことじんじゃ」。御祭神は、伊豫豆比古命、伊豫豆比売命、伊予主命(いよぬしのみこと)、愛比売命(えひめのみこと)。

御鎮座は二千余年の古くより、江戸時代には松山藩主・久松氏の篤い崇敬を受けました。縁起開運・商売繁昌の神様として全国から崇敬を集めます。

立春に近い上弦の月の初期は、冬の厳しい寒さも峠を越し、物の芽が動き始める頃。農閑期も終りを告げ、椿まつりの後は「田起し・播種」を始める慣習が、愛媛県をはじめ四国各地にあることから「伊予路に春を呼ぶまつり」として大切にされてきました。

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椿まつりは、初日午前0時の大太鼓から始まり、最終日24時迄の72時間、昼夜を徹して行われます。その昔、祈りを捧げた後には、大きな椿の樹の下で山村で採れた「山の幸と海の幸」をやりとりする物々交換の市が立ち、情報交換をする場でもあったようです。

期間中は数十万人が参拝する四国一の大祭です。特殊神事として「貸銭神事」「お忍びの渡御」「合せ火」が行われます。

貸銭神事は、神社から「守り金(20円)」を借り、翌年に倍額にして返すという珍しい行事です。誰でも無条件で借りることができ、一年の間、生業に励み、少しでも多くお返しできるように頑張ることを約束する意味があるといわれます。

150211_31.jpg伊豫豆比古命神社
◇愛媛県松山市居相2丁目2-1
◇公式Web
http://tubaki.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
2月の椿祭りは松山に春を呼ぶ祭りです。暦の上では立春から春ですが、まだまだ寒い日が続いています。季節は徐々に春に向かっていきます。これから暦の上でも春の行事が増えてきます。
読者の皆様、まだまだ寒い日が続いていますが、一雨ごとに春の気配が近づいてきます。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月3日「節分」「豆まき」です。■
110131_5.jpg「節分:せつぶん・せちぶん」
は、もともと「四季の分かれ目」の意です。立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していましたが、特に「立春」が年の初めと考えられることから、立春の前の「春の節分」といえば「節分」を指します。

◇立春大吉◇
立春を新年というのは「立春正月」すなわち一陽来復して春になるという考えからきています。翌日から年の始めであることと、気候(季節)が冬から春になるということで、立春の前日である節分は大晦日にあたり、邪気を祓い幸を願う意味を込めて、豆まきなど行事がおこなわれてきました。

◇豆まき◇
この日、「豆まき」をして鬼を追い出す風習は、中国「明代」に始まり、日本へは室町時代に伝わりました。宮中では「追儺:ついな」、「鬼遣:おにやらい」といい、
悪鬼(あっき)、疫癘(えきれい)を追い払う行事でした。

110131_6.jpg平安時代になると宮中では陰陽師によって大晦日に盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになり、これが次第に庶民に伝わっていきました。

年男が「福は内、鬼は外」と言って、煎った豆を居間や庭に撒いて後、自分の年の分だけ豆を拾って食します。これは数え年の「年取り行事」の名残です。

豆まきの日の夜、家の入り口に「鰯の頭を刺した柊(ひいらぎ)の枝」を差しておく風習もあります。鬼が柊の葉に刺さって痛がり、鰯の悪臭に驚いて逃げていくと考えられています。また、大蒜(にんにく)や葱、毛髪などを刺しておくところもありますが、いずれも、邪気が家に入らないようにする習慣です。

年男とは、その年の「支:えと」を持つ生まれの人のことをいいます。平成26年は「午」、午年生まれの人が年男です。

◇丑寅方位「鬼門」◇
「鬼門」
は、冥府の神として信仰された「秦山府君」が住むと言われていた山が北東方位にあったことが、北東が鬼門といわれる謂れです。鬼門の方位は「艮」(ごん・うしとら)、十二支で「丑」(うし)と「寅」(とら)にあたります。ちなみに、浦島太郎物語に出てくる鬼の姿は「頭にうしの角、とらのパンツ」です。


130114_28.jpg旧暦の1年では「丑は12月」「寅は1月」を指します。この節目に「鬼門」があります。鬼門は鬼が出入りする方角で、この邪気を祓うことにより、春が無事に迎えられると考えられていました。

鬼の象徴「金棒:かなぼう」は、五行説では「金」の気です。この「金」の作用を尅する(悪い力を打ち消す)のは、「火」の力です。そこで「火尅金」の作用になるのです。

大豆は、とても硬いので「金」にあてはめます。この大豆を鬼に見立て、これを「火」で煎ると同時に、撒いて食べてしまうことで、鬼を退治したということにしました。

★最近流行の「恵方巻き鮨」★
恵方に向かって「巻き寿司」を食べる風習は、「福を巻き込む」からきています。また、丸ごと食べるのは「縁を切らないよう包丁を入れない」ということです。

★平成29年
(皇紀2677西暦2017)本年「恵方」は★

160202_20.jpg本年の恵方・歳徳神・あきの方「壬(みずのえ)の方」北微西(北北西からやや北より)方位角345°11時半の方角です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

関西の一部の地域での「習慣」だった恵方に向って巻きずしを食べる習わしが広まったのは、コンビニのマーケティング戦略からです。「恵方巻き」を食べる習慣がなかった地域でも、近年はすっかり根付いてきたようです。余談ですが発祥のわからない迷信は、このような形で普及したのでしょう。ちなみに12月のクリスマスにクリスマスケーキを食べるのは日本独特の習慣です。
暦の上では明日の「立春」から春です。旧暦を採用しているアジアの一部では立春が正月というところもあります。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白


■2月3日(旧1月7日)「旧七草(ななくさ)」です。■150105_21.jpg
「七草」とは、1月7日の朝に7種の野菜が入った粥を食べる習わしのことをいいます。 
古代より日本では、年初に雪の間から芽を出した草を摘む習慣に「若菜摘み」があり、これが七草の原点とされていす。「七種の節句:ななしゅのせっく」の略。 これを食すると邪気を祓い万病を除くとされています。 

中国では1月7日のことを「人日:じんじつ」と呼び、古くから「七種菜羹」(ななしゅさいのかん=七種類の野菜の羹:あつもの)を食し、無病を祈る風習がありました。 

平安時代には1月15日に行われ、粥の中身は米・粟・黍(きび)・稗子(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種類の穀類でした。 

江戸時代には、人日は「五節句」の一つに数えられ、将軍以下諸公が七草粥を食する儀礼が行われるなど公式の行事でした。武家や庶民にも「七草」が定着しました。 

◇春の七草◇ 
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草 
*芹(せり)*薺(なずな) *御形(ごぎょう) *繁縷(はこべら) *仏の座(ほとけのざ)*菘(すずな) *蘿蔔(すずしろ) 春の七草 

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 薺(なずな)=ぺんぺん草、 
 御形(ごぎょう)=母子草、 
 繁縷(はこべら)=はこべ、 
 仏の座(ほとけのざ)=田平子、 
 菘(なずな)=蕪、 蘿蔔(すずしろ)=大根。 

これらの七草を6日の夜から7日の朝にかけて、まな板の上で包丁で叩き刻みます。調理中には、子供たちが「七草の囃子唄」を歌い囃します。 

歌詞は地方によってさまざまですが、代表的なものは「七草なずな、唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に トントンぱたり トンぱたり」 
元来は「七草なずな  唐土の鳥と 日本の鳥と  渡らぬ先に 七草なずな  手につみ入れて あみばし  とろき  ひつき  ちりこ げにげにさりげなきようにて 物の大事は侍りけり 」だったようです。 

南九州地方では、この日「七所祝い」が行われます。数え歳七つになる子供が正月7日の朝、お盆を持って近所七件を回ります。そこで七草粥をもらい集めて食べるのです。するとその子は、病気をせず、すくすく育ち、また運も良くなり良縁に恵まれるとされていました。 

京都の上賀茂神社では
1月7日には「白馬奏覧神事:はくばそうらんじんじ」も行われます。年の始めに「白馬(青馬)」を見ると一年の邪気が祓われるとされています。宮中の「白馬節会(あおうまのせちえ)」を神事化したもので、神前に七草粥を供え、神馬を曳いて、大豆を与えるという神事です。

◇五節句◇
 1月7日、人日(じんじつ) 七草の節句     七草粥
 3月3日、上巳(じょうし)   桃の節句・雛祭り  菱餅や白酒など
 5月5日、端午(たんご)  菖蒲の節句     菖蒲酒/柏餅、ちまき、菖蒲湯
 7月7日、七夕(しちせき) 七夕(たなばた)   裁縫の上達を願い素麺食す(織姫も参照)
 9月9日、重陽(ちょうよう) 菊の節句          菊を浮かべた酒(菊酒も参照) 

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆ 
最近では、スーパーでも「春の七草」が調理方法の手引きと一緒に生鮮食料品として販売されています。   
暦は時代とともに解釈や内容が変化していきます。 「七草」などは暦が生活に密着している証です。
古い習慣と季節感を忘れまいとした日本文化のです。 
絶やさないようにしたいものです。 
旧正月の七草で、実社会では既に通常の日常です。ついこないだの正月を思い出してみましょう。
季節の変わり目です。皆様お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

■2月3日「奈良、春日大社 万灯籠」です。■

「春日大社」は、奈良公園内にある神社で、名神大社式内社、二十二社の一社、旧社格は官幣大社。全国の春日大社の総本社です。

120125_19.jpg春日大社は「平城京の守護」の為に創建されました。

本殿向って右から、

第一殿・茨城県の鹿島神宮から迎えた「武甕槌命:たけみかづちのみこと」

第二殿・千葉県の香取神宮から迎えた「経津主命:ふつぬしのみこと」

第三殿「天児屋根命:あめのこやねのみこと」と、

第四殿「比売神:ひめがみ」大阪府枚岡神社から、

それぞれ春日の地に迎えて祀られています。

四神をもって藤原氏の氏神とされ、「春日神」と総称されます。また、武甕槌命が白鹿に乗ってやって来たとされることから、鹿が神使とされています。

万灯籠は約800年も昔から行われて来た行事です。境内3千基の灯籠は、藤原氏をはじめ広く一般から奉納されたものです。灯籠には崇敬者が願いを書いた和紙が貼ってあり、万灯籠の日の参列者が浄火を入れます。

昔は毎晩すべての灯籠に火が入っていましたが、明治時代頃は人手と油料が途絶えて点灯が不可能になったこともあります。油料の寄付を集め、必死に伝統を守ろうとした形跡を残す資料が残っています。

130114_29.jpg年2回、2月の「節分万灯籠」と、8月の「中元万灯籠」が行われます。
この日、境内の全ての灯籠に火が入れられます。石燈籠が整然と並ぶ二ノ鳥居から神苑付近、そして釣燈籠が並ぶ朱塗の回廊などは王朝絵巻を見るようで、しばし幽玄の世界へ導かれます。

◆献灯をしたい方:事前に献灯紙を求め、住所氏名を書いて神社に送ります。石燈籠に貼られた名前が灯明で浮かびあがります。

春日大社
◇奈良県奈良市春日野町160
JR・近鉄「奈良駅」から「春日大社本殿行」バス約11分
公式HPhttp://www.kasugataisha.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

節分万灯籠の頃は、空気も澄んでいて、さながら王朝絵巻のようだと謳われています。
明日は立春とはいっても、夜半には寒さが残ります。
お風邪などお召しにならないようにご注意なさってください。
時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■2月3日日本三大奇祭「水沢、黒石寺 蘇民祭」です。■

150211_30.jpg妙見山「黒石寺:こくせきじ」は、聖武天皇天平元年(729)、奈良法相宗「薬師寺」五代行基和尚が東奥に行化してこの地に至り、渓山の幽秀を喜び、一堂宇を造り、薬師如来像を一刀三礼のもとに手刻安置し、次年に寺を建立し「東光山薬師寺」と号して開山されました。

「裸祭り」は、災厄を払い五穀豊穣を願う裸参りのことです。梵鐘の合図で、祈願者、厄年の善男善女が、手に角燈や割竹にはさんだ「浄飯米:おはんねり」を持ち、身を切る清烈な「瑠璃壺川」(山内川)に入り、水垢離(みずごり)をしたあと「ジャッソー、ジョヤサ」の掛け声とともに本堂、妙見堂を三巡します。

みどころは、旧暦8日の午前5時に始まる「蘇民袋争奪戦」。下帯姿の男たちが、厄除けの護符・蘇民将来を入れた蘇民袋を奪い合います。

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蘇民袋の中には「小間木」と呼ばれる疫病の護符が入っています。将軍木(かつのき)を削った六方形には「蘇民将来子孫門戸☆」の九文字が書かれ、寸角に切ったもの。やがて小刀で袋が裂かれ、中の小間木がこぼれ落ち、集った善男善女はその小間木を拾ってお守りとします。

裸の男たちはさらに空になった袋の争奪戦をくり広げ、境内の外になだれ出て明け方まで激しい取り合いを続けます。最後に袋の首の部分を握っていたものが「取主:とりぬし」となって争奪戦は終了。境内を出た集団が東に向かうか、西に向かうか、どちらの集団が凱歌を上げるかによって、その年どちらの土地が豊作になるかが決まるという占いの要素も持っています。

◆黒石寺蘇民祭は「日本三大奇祭の一つ」に数えられています。/西大寺会陽「はだか祭り」(岡山)、黒石寺蘇民祭(岩手)、 四天王寺「どやどや」(大阪)


黒石寺
◇岩手県奥州市水沢区黒石町字山内17
◇東北新幹線「水沢江刺駅」車15分
◇東北道「平泉前沢IC」20分
公式Web:
http://kokusekiji.e-tera.jp/

■2月2日「庚申(こうしん)」です。■
110225_17.jpg「庚申:かのえさる・こうしん」は、「庚申待ち:こうしんまち」、「宵庚申:よいごうしん」、「庚申祭:こうしんさい」などを総称していう言葉。干支の組み合わせ57番目。八専の9番目。年に6~7回あります。

五行説では「庚:かのえ・こう」は「陽の金」、「申:さる・しん」も「陽の金」性であることから、この日は「金気」が重なって天地に充満して冷ややかになり、人心が冷酷になり易いとされます。

昔は「天地万物の気、庚申の日に変革される」と思われていて、最も重要な忌日でした。
また、庚申に続く「辛酉:かのととり・しんゆう」も金が重なる日で、さらに陰の金が重なるので冷ややかさを一層増すというのです。

このことから「庚申」「辛酉」の年はおおいに忌(い)まわれ、政治的変革が起こることを防ぐために2年続けて改元が行われることもありました。<例>万延元年(1860)文久元年(1861)など。

120811_30.jpg「庚申」はもともと中国の道教の伝説からきた禁忌(きんき)です。人間の体内には「三尸(さんし)の虫」が、頭と腹と足にいて、いつもその人の悪行を監視しています。60日ごとに巡る庚申の夜、人間の睡眠中を伺って体外に抜け出し、天に昇って天帝にその悪事を報告するという。そして、人間の命を短くするのです。

これをさせないために、庚申の晩は神々を祀り、酒盛りなどをして夜を徹しました。村の中心をなす家に集まり、祭祀をしたあとに会食を行いました。

禁忌(きんき):習慣的に禁止したり避けたりしていることそのものを指す。またはタブー

日本に伝わったのは、古く朱雀天皇の天慶2年(939)、または、文徳天皇のときに、智証大師が持ってきたものと伝わります。「枕草子」にも庚申待ちの話が登場します。江戸時代に入って民間で盛んに行われるようになり現在でも各地に「庚申塔」が残されています。

120212_15.jpg仏教では、庚申の本尊を「青面金剛:しょうめんこんごう」および「帝釈天:たいしゃくてん」に、神道では「猿田彦神:さるたひこのかみ=天狗さま」に結び付けています。

旧暦の月で選日を行うため、庚申の日は1年に5~7回あることになります。7回あるのを「七庚申」といって非常に喜びました。このことから庚申待ちの夜は「七色の菓子」を供えたり、七度線香をあげ、七回真言のお題目を唱えたりするようになりました。

また、申と猿が結び付いたことから、猿を庚申様の使いに見立て「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿信仰山王信仰」にもなっていきました。

さらに、申と「去る」が結び付いて、この日は結婚を忌む風習もありました。この夜に出来た子供は泥棒になるとか。この夜は男女の和合をしてはいけないなどとも言い伝えられています。

庚申の日は「帝釈天の縁日」になっています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
商品相場や株の世界では「庚申の逆張り」「庚申の曲がり角」などと縁起を担いでいます。
庚申の日まで良くても、その後はわからないとし、干支の上で金気と申が重なって予想の出来ない動きになるということです。
残念ながら、庚申は現代社会では迷信の域にはいってしまった暦日です。日々の戒めに謂われを振り返ってみることも日々の余裕の一つです。

今年の夏はいつの間にか秋になってしまったといった印象です。季節の魚など例年の一か月遅れだそうです。
2月に入って「立春」を過ぎました。日没後は急に寒さを感じる時節柄になりました。
ちょっとした油断から体調を崩さないよう、時節柄お体ご自愛専一の程 

筆者敬白

■2月1~5日「尾鷲まつり」です。■
「尾鷲まつり」は、毎年2月1~5日に行なわれる尾鷲神社の例祭です。

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「尾鷲:おわせ」は、平安時代から熊野信仰の盛んな土地でした。鎌倉時代には伊勢神宮の荘園がこの地方に広がり、伊勢神宮系の神社が創設されるようになりました。尾鷲神社はその代表的な神社で、光林寺(現:金剛寺)の鎮守として「大宝天王」と呼ばれていましたが、寛文3年(1663)以後は光林寺から分離して現在に至っています。祭神は「建速須佐之男命」。
 
例祭5日の晩、お獅子出御の儀式が執り行なわれます。「山方向け、浜方向け」と祭りの際、この獅子頭の向く方向で豊凶を占います。この獅子頭は、文禄年間(1592~96)のもので、本殿内の獅子殿に安置され、神の依代として崇敬されます。(県有形民俗文化財指定)
 
130114_27.jpg尾鷲神社の左隣「金剛寺:こんごうじ」は、曹洞宗の寺院で、正徳4年(1714)寺号の「光林」が、紀州藩主3代綱教の院号と同じであるということから金剛寺に改められました。後に、この地方有数の寺格を持つ「熊野五ヵ寺」の一つに数えられるようになりました。
 

尾鷲神社
◇三重県尾鷲市北浦町12-5
◇尾鷲の大楠
http://homepage2.nifty.com/Hiro-Akashi/htm-mie's3/owasekusu.htm

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
大きな楠の木が有名で、見事な写真がありました。楠の木は大木になることが珍しいらしく、これほど木はなかなかお目にかかれないとのコメントがありました。
寒い時期です。尾鷲まつりにお出掛けの方はくれぐれもお風邪などお召しにならないよう。
お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■2月1日「福井、永平寺 涅槃会摂心」です。■
120125_18.jpg曹洞宗大本山「永平寺」は、今から約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開山された出家参禅の道場です。本尊に「釈迦如来」「弥勒仏」「阿弥陀如来」三世仏(現在・未来・過去を表わす)他、禅宗初祖の達磨像、道元の師である如浄禅師像などが安置されます。

室町時代には、後円融天皇から「曹洞宗第一道場」の勅額を贈られ、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの修行の中心となる「七堂伽藍」他、70余棟の建物が、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれながら静かに佇んでいます。

150名の雲水たちによって、荘厳な雰囲気の中、現在も750年前に道元によって定められた厳しい作法に従って禅修行が営まれています。

中国にはじめて仏法が伝来した後漢明帝の時の元号は「永平」。「永久の和平」の意でこれが寺号の由来です。

120125_17.jpg2月1日~7日まで「涅槃会報恩大摂心会:ねはんえ ほうおん だいせっしんえ」が行われます。これは、1週間の間ほとんど眠らずに昼夜にわたる坐禅を行うもの。釈迦が菩提樹の下で1週間坐禅をして悟りを開いたことに因みます。
 
一般には釈迦が悟りを開いた12月8日に合わせて行いますが、それ以外に永平寺では2月の摂心会、同じく大本山の総持寺では6月中旬・下旬・7月下旬の各5日間夏の摂心会が行われます。

永平寺
◇福井県吉田郡永平寺町志比5-15

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
一年で最も雪の多く寒い時期に、永平寺では涅槃会です。忙しない現代社会の中で、1週間も涅槃会に参加できることは贅沢かもしれません。筆者は現世の塵を涅槃でおとしたいと切に願うものです。
読者の皆様、インフルエンザが流行っています。帰宅したらうがい・手洗いで予防しましょう。

時節柄、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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このページよりも下に掲載してある2月の「暦」
平成28年2月(去年)のものです。

平成29年(今年)になってからの、祭礼や行事は
旧暦を採用しいるケースもあり、
去年とは月や日が変わることがあります。

平成29年の「暦」は、
祭礼や行事の2~4日前には
季節お便り」として掲載します。
是非そちらをご覧下さい。

お楽しみに。
筆者敬白

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■2月3日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「
万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

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但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
今月1回目の一粒万倍日です。本日は節分、明日は「立春」で、これから春になっていきます。

通勤電車の中でマスクをしている方や咳をしている方をお見受けします。体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

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■2月28日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
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