二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

1月のお便り

■1月22日「黙阿弥忌」です。■
120112_23.jpg「河竹黙阿弥:かわたけもくあみ」は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者です。本名は吉村芳三郎。俳名・其水。別名・古河黙阿弥

14歳のときに道楽が過ぎて勘当され、狂歌・茶番・俳句などで活躍。天保6年(1835)歌舞伎・狂言作者の五代目鶴屋南北の門下に。記憶力が抜群で「勧進帳」の台詞を暗記して舞台の後見を努め、七代目市川団十郎に認められます。

黙阿弥の歌舞伎の特徴は「黙阿弥調」と称される華麗な台詞にあります。歌舞伎界では「厄払い」と呼ばれ、リズミカルな七五調に掛詞・縁語を駆使し、一人で或いは複数で語ることでオペラの「アリア」や「二重唱」のような効果を上げています。

白浪物(盗賊が主人公となる)を得意としましたが、そこに登場する悪人たちは、むしろ小心で時代や因果に翻弄される弱者です。鶴屋南北と比較されますが、ふてぶてしい悪人が登場する鶴屋南北の歌舞伎との大きな相違点です。

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明治以降は、能楽風の新しい舞踊である「松羽目物」の作詞を担当。晩年は自作脚本を全集本「狂言百種」として発売し歌舞伎の普及に努めました。

生涯に発表した作品は三百余坪内逍遙は、黙阿弥のことを「江戸演劇の大問屋」「明治の近松」「我国の沙翁(シェークスピア)」などと高く評価しました。

坪内逍遙(つぼうち しょうよう):主に明治時代に活躍した小説家、評論家、翻訳家、劇作家。代表作に「小説神髄」「当世書生気質」およびシェイクスピア全集の翻訳。

江戸・日本橋生まれ。明治26年1月22日没。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
私達一般的な庶民は、江戸や明治の歌舞伎や狂言をまったく知りません。近年では、昭和生まれの筆者でも「明治は遠くなりにけり」と感じます。
まして江戸時代後期の文化などは、昔という言葉で括れるほどです。日本の誇れる文化に「故人を偲ぶ」というものがあります。江戸末期から明治初期の狂言など、触れてみることも余裕の一つです。
筆者敬白

■1月22日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■1月21日「初大師」です。■
120112_22.jpg毎月21日は「大師の縁日」です。初大師は、その年の初めての縁日で、関東では「川崎大師」の「初大師」、関西では「東寺」の「初弘法」が有名です。この日大師参りと称して大師堂に参拝します。
 
「弘法大師」は中国から真言密教をもたらした真言宗の開祖の「空海:弘法大師」のことです。天台宗の開祖「最澄:伝教大師」と共に、日本仏教の大勢が、今日称される平城仏教(奈良仏教)から平安仏教へと転換していく流れの劈頭に位置しています。また、空海は能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に書家「三筆」のひとりに数えられます。
 
承和2年(835)3月21日、62才で入寂。高野山奥の院御廟で「空海は今も生き続けている」と信じられいます。故郷の四国において山岳修行時代に遍歴した霊跡は「四国八十八箇所」に代表されるような霊場として残り、「四国八十八箇所巡り」など霊場巡りは現代でも幅広く大衆の信仰を集めています。
 
川崎大師(平間寺=真言宗智山派の大本山)
◇神奈川県川崎市川崎区大師4-48 
◇公式Web
http://www.kawasakidaishi.com/


東寺(教王護国寺=東寺真言宗総本山)
◇京都府京都市南区九条町1
◇公式Web
http://www.toji.or.jp/

◆二十四節気◆平成30年1月20日「大寒(だいかん)」です。◆
120112_20.jpg1月20日12時09分「大寒」です。
旧暦12月、丑(うし)の月の中気で、天文学的には太陽が黄経300度の点を通過するときをいいます。
冬、最後の二十四節気です。

一年で最も寒い季節で「極寒の絶頂期」になります。
大寒を暦便覧では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説いています。

各地で一年の最低気温が記録される頃。
大寒の水は腐らないとされていて、昔は保存用として汲み置かれました。
武道では、寒稽古が行われます。この頃から酒や味噌などの仕込みの時期です。

沢は凍り付いていますが、路地では蕗の花が咲き始め、ひばりの初鳴きも聞かれる頃。
鶏が卵を孵し始めます。
寒の内も後半、すぐそこに春が感じられます。

◆「寒の入り」「寒の内」◆
大寒は小寒から数えて15日目に当ります。小寒から大寒の期間を「寒の入り」と言います。
それに、大寒から立春までの15日間を合わせた30日間を「寒の内」と言います。
昔から酒や味噌などの仕込みの時期とされています。

「蕗・ふき」 「蕗の薹:ふきのとう」キク科フキ属の多年草
冬に黄色い花をつけることから「冬黄(ふゆき)」の略。語源はギリシャ語の「つば広の帽子」。
原産は日本で、水が豊富で風の強くない土地に繁殖します。
開花時期は2月10日頃~3月末。

春の山菜の代表で、冬眠から目覚めた熊が最初に食べるのが「蕗の薹」です。
蕗の薹は、花が咲く前の柔らかいうちに食します。
旬の蕗の薹はどのように調理しても美味しいです。

花が咲いたあと、地下茎を通じている葉の部分が延びてきます。
この葉の茎の部分が「フキ」として食用になります。

「寒稽古・かんげいこ」
寒の時期、武道や芸事の修練を行うことをいいます。寒さに耐えながら稽古をすることによって、技術を磨き、精神を鍛えるのが目的です。

神道、修験道、仏教などで寒行と称して、海や川などの水に入る、滝に打たれるなどの行を指します。 

120112_21.jpg◆◆「七十二候」◆◆
◆初候「款冬華」(かんとう はなさく)
寒さ厳しい中に、蕗の薹(ふきのとう)がそっと蕾(つぼみ)を出す時候。款冬の花茎を蕗の薹といいます。厳冬に氷を破るように生える様から、大寒の頃に咲く花ですが、春の使者として俳句では春の季語に入れます。
◆次候「水沢腹堅」(すいたく ふくけん)
沢に氷が厚く張りつめる時候。
◆末候「鶏始乳」(にわとり はじめて にゅうす)
鶏が春の気を感じて卵を産み始める時候。鳥が卵を産むこと。
 
◆◆ 「大寒」の花 ◆◆
◇「福寿草」ふくじゅそう◇ キンポウゲ科の多年草 
学名:Adonis amurensis Regel et Radd.

キンポウゲ科の多年草。多数の堅い根をもつ短い根茎から数個の花茎を出します。花茎は初め短く、包葉状の葉に包まれて先端に花をつけますが、やがて伸びて細裂した3回羽状複葉を互生し、30センチメートル以上になります。

花は光沢のある黄色で、日が当たると開き花期後、金平糖のような集合果ができます。日本から朝鮮半島、シベリアに分布。日本では本州中部以北、北海道に多く見られます。

寒さに強く山の北東斜面の落葉樹林に多く自生しています。花形や花色に個体変異が多く、弁先が裂けたナデシコ咲きや、紅色花の品種もあります。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
正月も「二十日正月」「大寒」の頃になると通常の生活戻っているどころか、もうすぐ2月が訪れます。
節分で次の日が立春です。中国など旧正月の習慣が濃いところは立春の頃「立春大吉」として正月祝いを行う習慣が残っています。
季節の変わり目で、油断から体調を崩しやすい時期です。読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■1月20日~1月31日「八専(はっせん)」です。

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暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。同じ気が重なることを「専一」と言いい、それが8日あることから「八専」と呼びます。八専の期間には同気の重ならない日が4日あり、これを「八専期間中の間日(まび)」と呼びます。

《日にち》  《干支》 《五行》  《コメント》
月20日       壬子 =水水、 ←水の気が重なる
21日     癸丑 =水土、 間日(まび)
22日     甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
23日     乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
24日     丙辰 =火土、 間日(まび)
25日
    丁巳 火火、 ←火の気が重なる
26日     戊午 =土火、 間日(まび)
27日       己未=土土、 ←土の気が重なる
28日     庚申 =金金、←土の気が重なる
29日     辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
30日     壬戌 =水土、 間日(まび)
31日       癸亥 =水水、 ←水の気が重なる

間日(まび):
このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。

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八専の期間は「天干てんかん」と「地支:ちし」が同じ気なので、気が偏って良い事はますます良く、悪いことは更に悪く傾きやすくなります。これは、振幅の激しい期間で、準備を怠らなかった人には良い結果が、場当たり的な対応をした人にはそれなりの結果が訪れます。

古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。他にはギャンブルなど、努力が伴わない行動は避けましょう。


※淮南子
=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書

「八専」はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
新年の「八専」が終ると立春です。「八専」が終るとなぜか余裕ができます。この機会に新しい計画を立てるなど、八専の作用を存分に活用すれば、物事が確実に成就していきます。いわゆる「準備」、「事始め」の期間が「八専」と言えます。
難しい問題や逆境にある方が、ここで一大決心をすると、大自然が味方になって、良い作用が発現した例を数多く聞き及びます。

昨年から新年では爆弾低気圧の影響で、北海度や日本海側では豪雪でした。報道によると千歳空港では着陸した航空機が雪の影響でオーバーランするなど、地表の寒さもひとしおです。
日が沈む朝晩は急激に冷え込み、体調を崩しやすい時期です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月20日「二十日正月」です。■
120112_19.jpg「二十日正月:はつかしょうがつ」とは、正月の終わりとなる節目の日。この日をもって正月行事は終了とします。正月祝いの納めとして仕事を休む「物忌み」の日

正月にお迎えしていた山の神さま、田畑の神さまがお帰りになる日と考えられていました。神さまがお帰りになるので前夜の十九日晩には、尾頭付きのお膳や、小豆御飯をお供えする地方もあります

この日には正月の飾り物などは外して、正月行事を締めくくる日とされています。世知辛い現代では、20日まで正月の習慣はすっかり無くなっています。


京阪神地方では、正月に用いた鰤(ぶり)の骨や頭を二十日の間、酒粕の中に入れておき、この日に取り出して、牛蒡(ごぼう)や大根、大豆などと一緒に煮て食べます。このことから「骨正月」「頭正月」と呼びます。

東日本では「棚探し」、岐阜県では「フセ正月」、石川県では「乞食正月」、岩手県では「二十日ワッパカ」といって、正月のご馳走や餅などを食べ尽くす風習があります。

◆暦の上では十一日に行われることの多い「鏡開き」ですが、江戸時代の初期の頃、この日が鏡開きの日でした。

この日は武家の象徴である、鎧兜・具足に供えた餅をお雑煮にして食しました。これを「具足開き」と呼んで祝いました。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
正月七日の「七草」、十一日、十五日と「正月終い」の行事はそれぞれですが、正月終いの行事もこの二十日正月でいよいよお開きです。
既に今年の目標を立て日々精進している皆様はさて置き、いまだ正月気分の抜けていない方は1月20日に今年の目標を立てて邁進してください。
三日坊主にならないような目標が大切です。今年こそはと毎年志を立てても、挫折の連続だと嘆いている貴方、それこそ「今年こそは」と志を高く持ちましょう。
筆者敬白

■1月20日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「
万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

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但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
1月早くも後半、正月気分から通常モードです。季節は春への変わり目です。
インフルエンザが流行しています。体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月18日「初観音」です。■
120112_17.jpg毎月18日は「観音の縁日」です。1月18日は「初観音」として諸所の観音様へ人々が参詣します。

縁日の観音は、観音講に由来します。京都清水寺の清水講は特に有名です。

「観音菩薩:かんのんぼさつ」は、梵名アヴァローキテーシュヴァラ。仏教の菩薩の一尊で、特に日本において古代より広く信仰を集める尊格です。「観世音菩薩:かんぜおんぼさつ」、「観自在菩薩:かんじざいぼさつ」とも。「救世菩薩:くせぼさつ、ぐせぼさつ」「勢至菩薩:せじぼさつ」など、多数の別称もあります。

起源は、中国への仏教伝来よりも古いものと考えられます。ゾロアスター教においてアフラ・マズダーの娘とされる女神「アナーヒター」や、インド神話の「ラクシュミー」と関連があると伝わります。

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慈悲深い徳があって、世の衆生の救いの求めに応じて大慈悲を垂れ、三十三身に身を現じるといわれ、一般に「観音:かんのん」と呼ばれます。

清水寺
◇京都市バス 東山通北大路バスターミナルゆきで五条坂下車、徒歩10分
◇京都バス(土・休日のみ運行)大原ゆきで東山五条下車、徒歩10分
◇公式Web:
http://www.kiyomizudera.or.jp/

■1月17日「土用入り」です。■
120112_16.jpg1月17日13
:27「土用」です。土用は、暦の上では「雑節」の一つで、太陽が黄経27度、117度、207度、297度にある時と定義され、四季に配されています。「土用」の期間とは「二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前18日間」で、1年に4回あります。


今月は「丑の土用月」です。季節は冬から春の季節に入れ替わる期間ですが、暦の上では秋の終了の「秋の土用」で、これから
冬の旺ん」になって冬本番です。


「土用波」「土用の丑の日」「土用干し」など「土用」生活に密着していて、年中行事としての性格が強く表れています。「土用」は、陰陽五行説から発し、全ての物は「木火土金水:もく・か・ど・ごん・すい」の「五気の消長」によって生成すると説かれています。

季節ごとに五行を合わせてると、春=木/夏=火/秋=金/冬=水が当てはまり「土」が余ってしまいます。そこで、季節の変わり目の前18日間に「土」を当てはめ、この期間を「土用」としました。

土用の字義は「
土旺用事」といい「土の気が旺んになり事を用うる」の意。「用」は「はたらき」ということで、土気の最も活発になる期間ということになります。土は物を腐敗させ、姿形を変え滅する作用を司ります。

土用に入る初めの日を「
土用入り」、土用が終わる日を「土用明け」といいます。土用入りに水浴したり、期間中に「土用干し」といって衣類の虫干しをしたりします。


130114_20.jpg土用の期間中は「土公神:どくじん」なる神様が支配し、この期間は土を犯してはいけないとされました。
土を動かすこと、造作、かまどの修理、柱立、礎を置くこと、特に井戸掘り、壁塗りなど一切してはいけないとされました。
葬儀などがあっても、延期されていた程です。
ところが、土用の期間中は、一切土を動かすことが出来ないとなれば、とても不便です。

そこで、土用にも「間日:まび」を設けました。
この日は文殊菩薩のはからいで、土公神一族すべてが清涼山に集められるので、土を動かしても祟りがないということにしたのです。

◆土用に入ると、抱えている
諸問題の解決は難しいといわれています。
土用に入る前に方向性を決める、または解決する事が得策!そして、土用に入ってしまったら...決着は先送りして正解です。
また、土用の期間中は部屋の模様変えや押入れの整理も見送りましょう。


◇「土用の丑」◇
土用といえば「丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべますが、この蒲焼が普及したのは江戸時代のこと。江戸時代後期に医者の「平賀源内:ひらがげんない」が知人の鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けしない」と宣伝。
これが大いに流行しました。古く、万葉集にも鰻が登場しますが、この頃はただ単に焼いて食べていました。

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鰻:うなぎ」の語源は「胸黄:むなぎ」から由来します。江戸では切腹をイメージするというので腹を切るのを嫌い背剥きに。大阪では腹剥きです。また、焼き方も異なっています。

大阪では鰻のことをといいます。そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んで「マブシ」て食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したのです。

◆この時期でも土用の丑の日には何といっても鰻です。
今回の「土用の丑の日」は1月21日(日)、「二の丑」は
2月2日(金)です。
◆時節柄、体調を崩しやすいので、健康管理には十分注意しましょう。
土用が明けるのは2月4日「立春」です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆ 

土用の期間に入ると、抱えている問題は解決しないといわれています。土用に入る前に方向性を決め、解決しておく事が得策です。
とは言っても、もの事が解決せず土用の期間に入ってしまったら、解決を焦らずに先送りして現状を維持しましょう。
正月の土用期間中、寒気団がに日本列島を覆っています。日本海側では豪雪で高速道路でトラックが動けなくなったり、JRの普通電車が行きの吹き溜まりで動けなくなるなど、豪雪による被害が報道されています。
体調を崩しやすい時期です。
インフルエンザ、
予防はマスクに帰宅したら手洗いにウガイです。くれぐれもお風邪などお召しにならないようにお気をつけ下さい。


読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月17日「秋田、太平山三吉神社 梵天祭」です。■
120112_13.jpg霊峰「太平山」頂上鎮座「三吉神社:みよしじんじゃ」は、天武天皇白鳳2年(674年※異説あり)創建と伝わります。

古くより薬師の峰・修験の山としての「太平山信仰」と、力の神・勝負の神を崇める「三吉信仰」がひとつになって、古来より勝利成功・事業繁栄の守護神として広く全国より崇敬を集めています。
秋田藩主・佐竹公累代の崇敬が篤く、また「戊辰の役」では、奥羽鎮撫総督九條道孝卿里宮に祈願されるなど霊験あらたかです。

三吉神社は日本全国各地、ブラジルサンパウロに祀られる三吉神社・太平山講・三吉講の総本宮として「みよしさん」「さんきちさん」と呼ばれ親しまれています。

御祭神は「大己貴大神:おおなむちのおおかみ、別称:大国主命・大黒さま」=国作りの神・縁結びの神・家庭円満の神。
少彦名大神:すくなひこなのおおかみ」=病気平癒の神・医薬の神。「三吉霊神:みよしのおおかみ」=秋田で生まれた守護神で、力の神・勝負の神・勝利成功・事業繁栄の神。を祀ります。

「梵天:ぼんてん」とは、神の降臨される象徴で、依代(よりしろ)・神籬(ひもろぎ)・幣束(へいそく)・御幣(ごへい)であり、祭場の徴章です。

120114_11.jpg梵天は、ホウズキ、鉢巻、本体、中心の棒で構成され、御幣・お守りが付けられています。
一般的な梵天は「竹で編んだカゴを、色彩豊かな布・錦で飾り付けたもの」が多く、その他、古式に則った稲穂で作られたものや、銭をさげたもの、御幣で作られたもの等さまざまな形態のものが奉納されます。

三吉信仰について(三吉神社HPより)
三吉霊神は力の神、勝負の神、破邪顕正の神である。曲がった事が大嫌いで、力持ち。弱きを助け、邪悪のものをくじく神様である。
霊験談は数多いが、明治元年戊辰役の際の霊験はあらたかであり、神さまの御神徳に感謝した秋田藩主佐竹公より太平山を遥拝する雪見御殿、すなわち現在の里宮の地を奉賽されたのである。

三吉神社
◇秋田県秋田市広面字赤沼3の2
◇JR「秋田駅」バス10分、タクシー6分
◇秋田自動車道「秋田中央I・C」~約8分
◇公式HP
http://www.miyoshi.or.jp/

■1月17日「防災とボランティアの日」です。■
150118_20.jpg防災とボランティアの日(ぼうさいとボランティアのひ)とは、平成7年(1995)12月の閣議で、同じ年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災に因んで制定された記念日です。
政府や行政の対応が遅れた一方、学生を中心とした各種のボランティア活動及び、住民の自発的な防災活動の重要性が広く認識されました。

1月15日~21日「防災とボランティア週間」

150118_21.jpg阪神・淡路大震災では、「日本のボランティア元年」と言われました。
これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、「防災とボランティアの日」の制定が決定されました。 翌、平成8年(1996)から、この日を中心に前後3日を含む計7日(1月15日~21日)が「防災とボランティア週間」と定められ実施されます。

この機会をきっかけとして、各家庭の防災対策は十分なのか、改めて確認してみることをお勧めします。

災害発生によって家族が離れ離れになったら、どうやって連絡を取り合うのか、どんな経路で避難し どこで落ち合うのかを、あらかじめ家庭内で取り決めておくことも重要です。
電話やメールが使えなくなる事態を想定しながら、確認してみましょう。

大地震発生後は、数日~数十日にわたり電気・ガス・水道・電話など各種ライフラインの供給がストップまたは大幅に制限される可能性があります。
復旧までの間は自足できるよう、食料や飲料水、非常持出品の備蓄をしておくと安心です。
また、年に数回は、備蓄品のチェック(保存状態や賞味期限の確認など)を行いましょう。

※主な非常用品です。ぜひ準備してください。

150118_22.jpg飲料水
食料
燃料(カセットコンロ、予備のコンロ用ボンベ、固形燃料、マッチ、ライターなど)
懐中電灯など明かり(懐中電灯(1人につき1個)、予備電池、ろうそくなど)
情報通信機器(停電時のために携帯ラジオ、携帯テレビ、携帯電話用充電器、予備電池など)
救急用品(傷薬、絆創膏、包帯、三角巾、常備薬など)
避難用具(ヘルメット、防災頭巾、軍手、ロープ、厚底の靴、工具類)
貴重品(現金、通帳、身分証明書等)
生活用品

※あると役立つものです。用意しておきましょう。

笛(周囲に自分の存在を知らせたい際に役立ちます)
マスク(伝染病の予防や、埃の中で作業する際に役立ちます)
使い捨てカイロ(寒冷時に役立ちます)
ビニール袋、ビニールシート、ウェットティッシュ、ラップ、新聞紙(何かと役立ちます)

※水/災害復旧までの数日間(最低3日間)必要です。

飲料水(煮炊き用を含む)は最低大人1人あたり9リットル(1日3リットル×3日分)が目安です。
このほかに洗濯、風呂、洗面用など多量の生活用水が必要となりますので、日頃から災害時に備え、より多くの水を確保しておくことが大切です。
生活用水確保のためには、浴槽に水を貼っておくと良いでしょう。

※食料/災害復旧までの数日間(最低3日間)必要です。
保存性の高いもの(フリーズドライ食品、アルファ化米、缶詰、インスタント食品など)やそのまま食べられるもの(クラッカーなど)を、最低でも3日間分、可能な限り1週間分は家庭に確保しておきましょう。
どんな食品にも賞味期限がありますので、定期的に期限を確認し、必要に応じて取り替えることを忘れずに。

※災害用伝言ダイヤル(171)・災害用伝言板(web171)

NTTグループ3社では「防災とボランティア週間」に、災害発生時の安否確認手段として運用しる「災害用伝言ダイヤル(171)」と「災害用伝言板(web171)」の体験利用を実施しています。
詳しくはHPにて

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇

いつまでもあると思うな親と金、無いと思うな運と災難
古くからの古事ことわざです。
防災とボランティアの日をきっかけとして、各家庭の防災対策は十分なのか、改めて確認してみましょう。
筆者敬白

■1月16日「賽日(さいにち)」「やぶ入り」「えんま詣り」です。■

◇賽日・えんま詣り◇
120112_11.jpg「賽日:さいにち」とは、「藪入り:やぶいり」にあたり、閻魔(えんま)に参詣する日のことです。「閻魔詣り」「十王詣」とも言います。

閻魔王の賽日は「地獄の獄卒も仕事を休み、地獄の釜の蓋もゆるむ日」とされる日。地獄に落ちた亡者達も責苦を逃れ骨休みになるとされました。奉公人の「薮入り」の日にもあたるので、人々が多く閻魔詣でに行きました。この日、寺院では参詣者に閻魔堂を開帳し「十王図」「地獄相変図」を拝観できます。

◇十 王◇
「十王」とは、人が死後に亡者となって行く冥土で、亡者の罪を裁く十人の王の総称。秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王。閻魔はその中の一王です。

エンマは梵語で「手綱」「制御」「禁止」などの意。閻魔は、人類最初の死者で、その為、大変苦労して天国(極楽)を発見し、そこの王となりました。のちに、そこへ多くの死者がやって来ます。しかし、中には悪い人もいました。そこで冥界に来た死者を裁き、悪い人を地獄へ収容するようになったとあります。

◇六 道◇
人の死後、初七日から七日ごとに上の最初の王から順に裁かれ、三十五日目には、最も重要な「六道」(=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の何処に生まれ変わるかを閻魔王が決定します。

◇やぶ入り◇
「薮入り:やぶいり」とは、正月(15日の小正月を済ませた後)と、7月16日の年2回、奉公人が休暇をもらって実家に帰ることをいいます。

120112_12.jpg

昔は、農家の息子達は口減らしも兼ねて、また商売の修行のために奉公に出ました。家内の工業としては、くず繭の糸紡ぎぐらいで、勤め人になるのは官員になるぐらいでしたので、小学校卒業や高等小学校卒で丁稚(でっち)に出たものです。

正月元日には奉公人も新年を祝いますが、2日から初荷や初売りなどで仕事をする慣わしであるため、奉公人は休みがありません。
15日の小正月を済ますと、少々の給金や小遣いを貰い、真新しい着物を身に着けて、主人からの土産を持って実家に帰ります。

両親は、普段の奉公先の苦労を労い、出来るだけのご馳走を作り、休養を取らせます。
兄弟姉妹が多い家では「薮入り」に家族が集まって、男も女も子供に帰ったものです。
現代で言う実家に帰るでしょうか。奉公人だけでなく、嫁に出た娘が夫とともに里帰りし、畑仕事の手伝いをするところもあります。

薮入りの語義については定説はありません。
「藪」というのは「草深い」の意で、都会から草深い村落に帰る意味とか。
ひとりぼっちで行き所のない奉公人や、里の遠いところのものが「藪林:そうりん」に入って遊んだのが始まりなどとも伝わります。
帰るあてのない者は、藪に入っているほか無かったのかもしれません。

正月と盆の16日は、山の神があたりを歩くので、それに会わぬよう、山仕事も休んで家に籠もっているもの、とされているところもあります。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
平成の現代では丁稚・奉公の習慣がありません。
丁稚・奉公などは死語といっていいでしょう。いつの時代でも恵まれた職場とよい同僚・上司に出会うことが大切ですね。
時代は変わっても職場の雰囲気や仕事に対する情熱は、次の世代にしっかりと伝えて行きたいものです。
思いのほか冷え込む冬です。
もうすぐ二十四節気の大寒です。大寒を過ぎたころから、寒さも峠を越します。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月16日「真宗本派親鸞聖人忌」です。■
120112_10.jpg鎌倉時代初期の僧「親鸞:しんらん」は、浄土真宗の開祖で「親鸞聖人:
しんらんしょうにん」と尊称されます。
浄土宗の開祖「法然:ほうねん」を師と仰ぎ、生涯「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、高めていく事に力を注ぎました。

承安3年(1173)4月1日京都生まれ。現在の「法界寺」(真言宗醍醐派別格本山)、「日野誕生院」(浄土真宗本願寺派)付近(京都市伏見区日野)にて、皇太后宮の大進・日野有範の長男として誕生。
母は清和源氏の八幡太郎義家の孫娘・吉光女とされます。幼名は「松若磨」「松若丸」

出家後「比叡山延暦寺」に登り、天台宗の僧として20年にわたり修行を積みますが、自力修行の限界を感じるようになり下山。
聖徳太子」の建立とされる「六角堂」(京都市中京区)へ百日参籠し、95日目の暁、夢中に聖徳太子が示現され偈句を得ます。

夢の告げに従い、夜明け東山吉水の「法然の草庵」を訪ね、岡崎の地(左京区岡崎東天王町)に草庵を結び、百日間にわたって法然の元へ通い聴聞し「専修念仏」の教えに触れ、入門を決意します
「綽空:しゃっくう」
の名を与えられ、親鸞は研鑽を積み次第に法然から高く評価されるようになります。

建永2年(1207)2月、興福寺の訴えにより「専修念仏の停止」と、4名を死罪法然、親鸞ら8名が流罪となります(承元の法難)
この時、法然、親鸞は僧籍を剥奪され、法然には「藤井元彦」の俗名を、親鸞は「藤井善信:ふじいよしざね」を与えられます。

法然は、土佐国へ、親鸞は越後国府に流されました。
親鸞は俗名に「善信」を使われた事から「愚禿釋親鸞:ぐとくしゃくしんらん」と名乗り、非僧非俗の生活を開始。以降も僧を名乗ることはありませんでした。

苦難に満ちた生涯を通して、ひたすら生まれた意義と生きる喜びを尋ね当てた親鸞は、法然上人に出遇って念仏の教えに帰し、如来の本願に生き、自らの生涯を賭けて、帰すべき生の大地を「浄土真宗」として顕揚されました。

「三帰依文:さんきえもん」「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」と教えています。
自らの生のもつ「真の意義」を明らかにできないのが人間といい、自己の生の真実に目覚め立つことが、真の誕生と説き、如来の本願に帰して生きる「新しい生の誕生」を語り伝えます。

親鸞聖人の入滅は、弘長2年(1262)11月28日(グレゴリオ暦=1263年1月16日)。
宗派によって旧暦の日付のまま新暦の日付で行われる場合と、新暦に換算した1月16日に営まれる場合があります。

浄土真宗本願寺派「西本願寺」では、親鸞聖人の祥月命日を縁に「ご正忌報恩講」(ごしょうきほうおんこう)が営まれます。
期間中、全国から僧侶、門信徒が多数参拝し、聖人のご遺徳を偲ぶとともに浄土真宗の信者としての自覚を新たにします。

浄土真宗本願寺派「西本願寺」
◇京都市下京区堀川通花屋町下ル
◇JR・近鉄「京都駅」バス
◇西本願寺HP
http://www.hongwanji.or.jp/
◇大遠忌法要http://daionki.hongwanji.or.jp/


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
15日・16日に「宗祖聖人月忌法要」があります。
以下は西本願寺からです。
「50年毎の節目にあたる、親鸞聖人の年忌法要を「大遠忌」と称して、特に大切にお勤めいたしております。
2012(平成24) 年には750回忌の「大遠忌」を迎えました。
私たち一人ひとりが共々に、聖人のご苦労をしのび、お徳を讃えるとともに、浄土真宗のみ教えを深く味わうことのできる新たな機縁とするところに、 「大遠忌」をお迎えする意義があると言えましょう。 」
とあります。

京都は底冷えで有名です。お出掛けの際には寒さ対策一枚余分にお持ち下さい。読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月14~15日「十四日年越し」「小正月」「小豆がゆ」です。■
120104_19.jpg14日年越しとは「小正月」の前日にあたり、年越しの日として祝います。

明けると「小正月:しょうしょうがつ」です。旧暦の正月15日(あるいは14~16日)をいいます。

元日を「大正月」と呼ぶのに対する呼び名で、近畿では「女正月」ともいいます。

月の満ち欠けを日付の基準にした「旧暦」では、1年の最初の満月の日「旧暦1月15日」が正月でした。

しかし、新暦が採用されてからは、1月1日を1年の初日としました。そこから「元日を大正月」「15日を小正月」と呼ぶようになりました。

大正月の「門松」に対して、小正月には「餅花や削り花」などを飾ります。餅花とは、餅を薄くのばして丸く平たく切って彩色したもの。削り花とは、神仏などに供える飾り棒のことです。「花正月」とも呼びます。

120105_13.jpg◇小豆がゆ◇
小正月の朝、五穀豊穣を願う農耕儀礼のひとつとして「小豆がゆ」を食す習わしがあります。

古く「土佐日記」「枕草子」などにも、小豆粥を食べたことが記されています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
旧暦から新暦を採用してからの慣習で、明治以降の暦に載りました。皆様、15日に小豆がゆを食して枕草子の時代に思いをはせましょう。
一日でも歴史を感じることも余裕のひとつです。
筆者敬白

■1月15日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■1月14日「大阪、四天王寺どやどや」です。■
120107_17.jpg「四天王寺:してんのうじ」は、聖徳太子建立七大寺の一つ
山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は「救世観音:ぐぜかんのん」
「金光明四天王大護国寺:こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら」とも。
 
建立は、推古天皇元年(593)。日本書紀では、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開する為、自ら四天王像を彫って「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と誓願。
勝利の後、その誓いを果すために建立したと伝えます。
 
宗派はもともと天台宗に属していましたが、日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺で、「日本仏教の最初の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、昭和21年(1946)和宗総本山として独立宣言を出しています。
 
130104_25.jpg四天王寺では、元旦から始まる修正会(しゅしょうえ)の結願日に、六時堂の堂内にて僧侶による天下泰平・五穀豊饒祈願の「修正会結願法要:
しゅしょうえけちがんほうよう」が厳粛に執り行われます。
 
堂前には、褌(ふんどし)・鉢巻き姿の若者たちが集まり、法要中に祈祷された「牛王宝印:ごおうほういん」という魔除けの護符を奪い合うという勇壮なお祭りが行われます。この祭りを「どやどや」といいます。参詣者には牛王宝印楊枝が授与されます。
 
札所◇聖徳太子霊跡1番、新西国三十三箇所1番、近畿三十六不動尊1番、法然上人二十五霊跡6番(六時堂)、西国薬師四十九霊場16番、摂津国八十八箇所25番、西国三十三箇所番外、神仏霊場巡拝の道第43番
 
四天王寺
◇大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
◇サイト
http://www.shitennoji.or.jp/event1.html

■1月14日「仙台どんと祭」です。■
130104_26.jpg「どんと祭:どんとさい」は、宮城県を中心に行なわれる祭りの呼称。「仙台どんと祭」は全国でも最大規模で行なわれる正月送りの行事です。
 
例年1月14日に、神社の境内で正月に飾りつけた松飾りや注連縄、近在より持ち寄られた古神札や達磨等を焚き上げます。
 
この焚き上げの火は、正月の間に各家庭に訪れていた神々を送る「御神火」です。その火にあたることで、心身が清められ、一年の無病息災、家内安全、商売繁盛の加護を祈願します。他の地域では、左義長、ドント焼き、婿投げ、墨塗りなどと呼ばれます。
 
どんと祭「松焚祭:まつたきまつり」は、三百年の歴史があるとされ、仙台市の無形民俗文化財に指定されています。市内各地から神社を目指して歩く「裸参り」で有名です。
 
120107_20.jpg仙台総鎮守「大崎八幡宮」の主祭神は、「応神天皇」「仲哀天皇」「神功皇后」で、社格は村社。江戸時代に仙台で盛んとなった「卦体神」(けたいがみ:十二支の守り本尊)信仰に伴い、「乾」(北西)の守り本尊である「阿弥陀如来」とされたことから、現在でも戌亥歳生まれの人からの崇敬を集めます。
 
平安の昔、東夷征伐の際に「坂上田村麻呂」が武運長久の祈念の為に、武門の守護神「宇佐八幡宮」を勧請。鎮守府八幡宮を創祀しました。室町時代には奥州管領「大崎氏」がこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀。守護神として篤く崇敬したので「大崎八幡宮」と呼ばれました。
 
大崎氏滅後、伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷祀し、仙台開府後「仙台城の乾(北西)の方角」にあたる現在の地に祀り、その際、旧領の羽前国米沢にて崇敬していた「成島八幡宮」を共に祀りました。
 
130104_27.jpg権現造りの社殿は、桃山建築の粋を凝らした絢爛たる様式を今に伝える建造物で、その華やかさは見る者を圧倒します。現存最古の桃山建築物として、安土桃山時代の唯一の遺構として、国宝建造物に指定されています。
 
「裸参り」は、白鉢巻、白さらしを巻き、私語を慎むために「含み紙」と呼ばれる紙をくわえ、白足袋にわらじを履いて、右手には鐘を、左手に提灯を持って徒歩で参拝します。そして、御神火を渡り、火にあたるのです。
 
例年、100団体前後の約2500人が参加します。14日の午後は、一番町や中央通りなどの中心部商店街を歩いている裸参りの列が多数見られます。
 
大崎八幡宮
◇仙台市青葉区八幡4-6-1
◇JR「仙台駅」~仙台市営バス「大崎八幡宮前」下車
◇JR東日本仙山線「国見駅」徒歩15分
◇公式HP
http://www.okos.co.jp/oosaki/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
大崎八幡宮の「どんと祭」は裸参りとお焚き上げの火祭りです。全国に残る火祭りに、正月飾りのお焚き上げすることで、正月気分から通常モードにする節目の神事でした。
現代では正月2日から開店している商業施設もあり、世知辛い時代になったものです。
筆者敬白

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■1月14日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

■1月11日「初卯(はつう)」です。■
120104_13.jpg「初卯:はつう」とは、その年の初めての「卯:う」の日のことです。

京都・上賀茂神社では、「卯杖:うづえ」を神前に奉る神事が執り行われます。

卯杖とは、中が空洞になった空木を二本あわせて、山立花(やぶこうじ)と石菖蒲(せきしょうぶ)、紙垂(しで)を挟んで、日蔭蔓(ひかげのかずら)を飾ったものです。

平安時代には、特に邪気を祓うものとして用いられました。現在では上賀茂神社のみで行われる神事で、元旦より節分までの間、同様のものが授与されます。
 
上賀茂神社
◇京都市北区上賀茂本山339
◇JR「京都駅」地下鉄烏丸線「北大路駅」よりバス
◇名神高速道路「京都南IC」約40分
◇公式サイト
http://www.kamigamojinja.jp/

■1月11日「鏡開き」「蔵開き」です。■
130104_23.jpg「鏡開き」とは、正月に年神(歳神)に供えた鏡餅を下げて食べるお祝いの儀式です。鏡は円満、開くは末広がりの意とされています。家庭では一家の円満を願う行事になっています。

鏡餅は手や木槌で食べやすい大きさに砕きます。切腹を連想つながるので刃物を使いません。砕いたものを分け与えるところから「開く」という、お目出度い言葉を使っています。

また、鏡餅を食すことを「歯固め」といい、硬くなった鏡餅を食べて歯を丈夫にし、年神様に長寿を祈ると伝わります。江戸から明治以後、開いた餅を御汁粉に入れて食べるようになりました。

商家では、鏡開きの日に蔵を開き、仕事始めとして祝いました。これを「蔵開き」といいます。また、蔵を開いて蔵に供えた餅を開いて(砕いて)食べる神事を行い、今年の商売繁盛を祈願します。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
鏡餅を下げると、正月気分も終わり、通常モードに切り替わります。

小寒から大寒の頃、寒い日が続きますが、社会は新年会の時期です。年末からの暴飲暴食で体調を崩さないようになさってください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月11日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
暦の上では、二十四節気「小寒」に入りました。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月10日「初寅(はつとら)」です。■
130107_20.jpg「初寅:は
つとら」とは、その年の初めての「寅」(とら)の日のことです。初寅の日は1年の福徳を祈願して毘沙門天(びしゃもんてん)に参拝します。

毘沙門天の守護方位は『北』=子(ね)の方位です。『子(ね)』が十二支の初め(第一番目)であることと、毘沙門天が財宝を施す神=『施財天』ともいわれることに由来します。

この日、各地の「毘沙門天」を祀る社寺で縁日が行われます。「初寅祭:はつとらさい」といって、初詣の人々で賑わいます。

130104_24.jpg京都山科 毘沙門堂
◆京都市山科区安朱稲荷山町18
◆JR山科駅 地下鉄山科駅 京阪山科駅徒歩20分
◆名神高速京都東ICから山科駅前方面
◆毘沙門堂Web:http://bishamon.or.jp/index.html

■1月10日は「110番の日」です。■
151231_21.jpg1月10日は「110番の日」です。この記念日は、110番の適切な使用を推進し理解と認識を深め、社会意識の高揚を図ることを目的として設けられています。

昭和60年(1985)12月に警察庁が定めました。 1月10日という日付自体には緊急通報制度などとは全く関係なく、110番を1月10日に語呂合わせをした記念日の一例です。
ちなみに110番をはじめとする緊急通報制度が出来たのは昭和23年(1948)10月1日です。
また119番は1月19日ではなく11月9日が記念日です。

 警察庁の統計によると、平成25年中の110番通報の受理件数は約941万件と、前年より約6万件増加しています。
これは約3.3秒に1回、1年を通して国民約4人に1人の割合で通報したことになります。
 最近では、携帯電話からの通報が増えており、3件に2軒以上(67.7%)が携帯電話からの通報です。
近年、この割合は一貫して上昇の傾向にあります。
ちなみに、25年中に警察本部の通信指令室が直接受けつけた110番通報では、パトカー等に指令してから平均6分57秒で警察官が現場に到着しています。

◆110番痛報の8割が「くだらない内容」
 通報する側の理屈に迫る(日刊SPAより)
150107_21.jpg道を聞く、目が合う、自転車で追い抜く......ごく普通の行動が通報され、警察の安全情報に掲載されてしまう事態が昨今、多発している。
なぜそんなことで通報するのか。 片っ端から通報する人々の異常な論理とは・・・
主婦の片山洋子さん(仮名)は、こう話す。 「娘が帰宅途中、ゲーセンの前でたむろしていたガラの悪い男たちが、娘を見ながらコソコソと笑いあっていたそうです。目をつけられて、後日襲われでもしたら......と思って通報しました」 イメージ 凶悪事件が多発している昨今、子供が被害に遭う前に犯罪の芽を潰しておきたい親心は理解できる。
だが、「毎日似たような服を着て同じ時間にきっかり帰ってくる30代後半ぐらいの隣の男性。しかし、ある日いつもの時間を大幅に過ぎて帰ってきたので通報しました」(大橋信吾さん・仮名・44歳)という言い分は謎である。
「だって、いつもと違うのは怪しいに決まってる。星島(※'08年、マンションの隣人女性を自宅に引きずり込み殺害、遺体を解体し遺棄)みたいなことがなきにしもあらずでしょ」

特に事件や事故への緊急性がなく、本来は110番にかけるものではない苦情や問合せ、要望が増え続けています。
そこで、緊急な対応を必要としない相談などで110番通報をすると、対応が遅れる原因にもなるので、警察庁は相談専用ダイヤル「♯9110」番を更に活用するよう呼びかけています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

110番の日に当たり緊急通報制度の正しい利用を心がけたいものです。
皆様、小寒をすぎ寒さ本番の今日この頃です。マスクをした方々を見受けます。
お風邪などお召しにならないよう、お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■1月10日「初金毘羅」です。■
120107_15.jpg金毘羅の縁日は毎月10日に行われます。1月10日は「初金毘羅」といって特に信者の信仰が篤いものです。

「金毘羅:こんぴら」は、天竺霊鷲山(てんじくりょうじゅせん)の鬼神で、薬師十二神将の一つである宮毘羅(くびら)大将ともいわれます。

仏法の守護神「夜叉神王」の上首で、その像は武装し憤怒の姿ですが、魚神で蛇の形をし、尾に宝玉を蔵するといわれます。日本では、海上の守護神として祀られ、船人が最も崇敬する神となりました。

香川県琴平の「金刀比羅宮・ことひらぐう」は、「こんぴらさん」と呼ばれ親しまれています。全国金毘羅神社の総本社です。江戸時代後期には伊勢参りとともに金毘羅参りが盛んに行われました。

金刀比羅宮
◇香川県仲多度郡琴平町892番地1
◇JR土讃本線「琴平駅」徒歩20分
◇琴平電鉄琴電「琴平駅」徒歩15分
◇「高松空港」車50分
◇Web
http://www.konpira.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
※香川県の民謡「金毘羅船々」
「金毘羅船々 追風(おいて)に帆かけてシュラシュシュシュ まわれば四国は讃州(さんしゅう)那珂の郡(なかのごおり)象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(だいごんげん)一度まわれば...」
「金毘羅 み山の青葉のかげからキララララ 金の御幣(ごへい)の 光がチョイさしゃ海山雲霧(うみやまくもきり) 晴れわたる一度まわれば...」
一度聞くと耳に残る節回しです。今だからこそ「金毘羅船々・・・」です。
筆者敬白 

■1月9~16日「京都、西本願寺報恩講」です。■
120104_16.jpg宗祖「親鸞聖人」の命日にあたり、毎月15・16日に法要を営みます。

1月16日の祥月命日には、毎年1月9日~16日までの8日間「御正忌報恩講」を修行します。

「報恩講」とは、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の法要のことです。聖人の徳を偲ぶ法会の集まりのことを「講」といいます。

浄土真宗の僧侶や門徒にとっては、年中行事の中で最も重要な法要として執り行われます。
 
121228_24.jpg西本願寺
◇京都市下京区堀川通花屋町下ル
◇公式サイト
http://www.hongwanji.or.jp/guide/hoyo/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
公式Webには「親鸞聖人のご祥月(しょうつき)命日を縁に1週間営まれる本願寺最大の年中行事です。
期間中、全国から僧侶・門信徒が多数参拝し、聖人のご遺徳を偲ぶとともに浄土真宗の信者としての自覚を新たにします。」とあります。
小寒を過ぎ、寒さ厳しい頃になります。外出の祭には一枚多くお召しになってください。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月9日~10日「宵えびす」「十日えびす」■
120104_18.jpg「宵えびす」とは、「十日えびす」の宵宮祭のことです。「えびす」は「恵比寿」「戎」「夷」などと称され、「えべっさん」と呼ばれ親しまれています。その姿は左脇に鯛を、右手に釣竿をもっています。
 
もともと漁業の守り神で、海からの幸をもたらす神を象徴しています。いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神として、厚く信仰されるようになりました。

大阪では古く江戸時代の昔から、毎年1月9日は「宵戎」雑喉場(ざこば)魚市場が、戎様にゆかり深い「大鯛(雌雄一対)」「今宮戎神社」に奉献し、大漁と商売繁盛を祈願するのが吉例になっていました。
 
121228_25.jpg明治から昭和前期にかけては、もっとも盛大に美しく飾った「献鯛行列」が厳粛に繰り広げられました。現在では、雑喉場の流れを継承する大阪木津市場の人々によって「十日戎献鯛神事」が奉納されています。300年来の由緒ある古式作法にのっとり、縁起の良い鯛の初セリも境内で賑々しく行われます。
 
また、10日午前から行われる「宝恵籠:ほえかご」の行列は見どころです。芸妓衆を乗せた15挺の籠が、囃子山車、歌鳴物入りで繰り込みます。笹にいろいろな宝物を付けたものが縁起物となっています。

今宮戎神社
◇大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6番10号
◇JR「新今宮駅」徒歩10分
◇南海高野線「今宮戎駅」~バス「戎神社前」
◇十日えびす:
http://www.imamiya-ebisu.net/htm/top.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

関西では一般的な「えべっさん」です。七福神の「えびす様」のご利益拝受の神事です。境内、付近路上で流される「商売繁盛、笹持ってこい」のお囃子は耳に残ります。
活気はあっても、小寒から大寒の最中です。お出掛けになってお風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月8日「初子」です。■
「初子:はつね」とは、その年の初めての「子:ね」の日のことを指します。この日、大黒天を祀る社寺で行われる縁日のことを「初子祭:はつねさい」といい、初詣の人々で賑わいます。
 
111231_15.jpg「大黒天」は、天部と言われる仏教の守護神の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神または厨房・食堂の神ともされます。
 
「大黒」の「だいこく」が「大国」に通じるため、古くから神道の神である「大国主命」と混同され、習合して、破壊と豊穣の神として信仰されました。時代とともに豊穣の面が強く残り、「七福神の一柱」である大黒様として知られる食物・財福を司る神となりました。

大国主の神話では、スサノオの策略によって焼き殺されそうになった折り、鼠(ねずみ)が助けたということから、鼠が大黒天の使いであるとされます。

天部=(てんぶ)は、特に密教における神々を意味する。ほとんどは、古代インドの神々が密教に取り入れられ、仏の守護神である護法善神となったもの。
代表するものに、梵天、帝釈天、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)の四天王、弁才天(弁財天)、大黒天、吉祥天、韋駄天、摩利支天、歓喜天、金剛力士、鬼子母神(訶梨帝母)、十二神将、十二天、八部衆、二十八部衆、他がある。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「子:ね」といえば大黒天です。大黒天は俵の上で「うちでの小づち」を持っていて、ネズミを従えているといったイメージです。七福神に数えられていて豊穣の神として知られています。古代では軍神・戦闘神、富貴爵禄だったとは驚きです。
ともあれ、本年初めての「子」の日です。大黒様に出かけましょう。
冬から立春の頃、体調を崩しやすい時期です。インフルエンザスの影響も広がっています。体調管理には気を付けてお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月8日「初薬師」です。■
120104_14.jpg毎月8日は「薬師」の縁日です。正月8日を特に「初薬師」と呼んで賑わいます。

縁日の薬師は薬師講に由来。薬師講は、薬師如来の徳を講讃する法会で、薬師経を百座に分けて講説・讃歎します。

「薬師如来」は、東方浄瑠璃世界の教主で、十二の大誓願を発して衆生の様々な病苦を救い、無明の持病を治す法薬を与えるという。医薬の仏として広く信仰を集めます。

121228_22.jpg

薬師如来像は大蓮華の上に座し、左手に薬壷(または宝珠)右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。大医王仏、瑠璃光如来とも。日光・月光の二菩薩を脇侍とします。
 
無明=生老病死などの一切の苦をもたらす根源。/人間が根本的に持っている無知のこと。人間の苦しみ一切は「無明」から始まる。
 
薬師寺
◇奈良県奈良市西ノ京町457
◇近鉄西ノ京駅下車すぐ。
◇公式HPhttp://www.nara-yakushiji.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
奈良の薬師寺では初大師縁日には大般若経転読法要があります。
新年初大師の法要にお出掛けの際には、底冷えでお風邪などお召しにならないよう、
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月8日「東京 鳥越神社 とんど焼」です。■
140105_20.jpg「とんど焼き」とは、お焚き上げ神事のことです。地域によっては「どんと」、「左義長」、「どんどん焼き」などと呼ばれています。

年の暮れからお正月を迎える準備を進め、門松を立て〆飾りや輪飾りなどで家中を清め、神棚を清めて正月をお待ちして、正月の種々の行事を七種粥のお祝いとともに滞りなくすませます。8日に家々では、お正月飾りを取り払う習わしになっています。

121228_23.jpg

とんど焼きは、宮中においても平安の昔から行われていました。神さまに関する尊いものを焼くという意味で「トホド焼き」といわれていました。

焼く時の囃子言葉「トンドヤ」、火の燃え上がる音が「ドンド」ということに因んで「ドンド焼き」ともいわれます。

七草明けの8日に、〆飾りや古いお札等を焼き、正月様をお送りするとともに1年の無病息災を祈ります。


鳥越神社
◇東京都台東区鳥越2-4-1
◇鳥越神社とんど焼き参考
http://hix05.com/nenju/tondo/tondo.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
鳥越神社とんど焼きは、正月のお飾りなどを外して炊き上げる神事です。
1月中旬には各地で同じような祭礼が斎行され、どんと焼きを境に、日常生活に戻るといった節目の神事です。
平成に入ってから、正月2日には営業している量販店などもあり、すでに正月気分もそう長くは感じられない時代です。
「小寒」が過ぎ、2月には「立春」で暦の上では春です。冬から春への季節の変わり目です。
時節柄お体ご自愛専一程
筆者敬白

■1月8日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。
暦の上では、小寒後のもっと寒い時期とされている時期で手習い、開店、事始めには最適の日です。

体調管理の難しい季節です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月8日「成人の日」です。■
「成人の日」は、国民の祝日のひとつ。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを法定の趣旨としています。昭和23年に制定されました。

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本来は小正月にあたる1月15日でしたが、ハッピーマンデー制度により1月の第2月曜日に改正されています。

成人を祝うしきたりは古くからありました。
加冠(戴冠)の儀として男子の元服を表したものが代表的です。
男子は
元服・褌(ふんどし)祝い、女子は裳着・結髪などの祝いがそれです。社会の一構成員になったことを承認する通過礼儀であるといえます。満20歳になった人は選挙権を持つことになります。

満20歳に達する人々を招待して成人式を催し、講演会を開いたり記念品を贈ったりする市町村もあります

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年は暖冬で数年前の成人式のような豪雪にはならなようです。以前は成人式典での馬鹿騒ぎや式典妨害などが、これも風物詩になっています。
被災地など整然と厳粛に式典が挙行され、地域の復興を誓っている成人も数多くいました。成人式は日本の旧来からの伝統文化です。成り立ちを紐解き、今後も絶やさないで継続してもらいたいものです。

筆者敬白

■1月7日「初亥」です。■
毎月「亥の日」は「摩利支天:まりしてん」の縁日です。正月初めの亥の日を「初亥:はつい」といって賑わいます。
 
121225_33.jpg摩利支天は「日光」(陽炎:かげろう)を神格化したもので、日天に属し、国家と国民を守るという女神です。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かないといいます。
 
あるいは「威光」と訳され、インド神話の風神のひとつで、常に太陽に付き従って自在の通力を持つといわれる女神とされています。摩里支、末利支とも表し、摩利支菩薩、摩利支提婆とも称します。
 
「仏説摩利支天菩薩陀羅尼経」によれば、常に日の前に居て、日に仕えるが、その姿は日から見えず、また人からも見ることは出来ません。故に、人に捉えられたり欺誑されることもなく、害されたり、また怨まれる者に自分のことを知られることがありません。
 
摩利支天を念ずると一切の災いを免れ、身を隠す術を得ることが出来るという。諸天善神の中で最も霊験あらたかな守護神といわれ、武勇の神として祀られ、中世に武士の守り本尊として信仰を集めました。護身・隠身・遠行・得財・勝利にご利益があるといわれます。
 
その像の多くは「八臂:はっぴ」あるいは「三面六臂:さんめんろっぴ」※で、金剛猪身に乗る天神像などで表されます。猪の上に立つことから「亥の日」が縁日となりました。


121225_34.jpg
臂(ひ):
手(腕)の数。八臂=八本の腕がある。
三面六臂:三つの顔と六つの腕をもつ意、転じて何人分かの働きをすることの例え。意味は、一人で多方面にわたって活躍すること。※「面」=顔。「臂」=手・腕。

八面六臂(類似語):もとは仏像などで八つの顔と六本の腕をもっていること。転じて多方面で、めざましい活躍をすること。

現在では、芸者や相場師などの信仰を集めています。特に、京都建仁寺の禅居庵裏の摩利支天、東京上野の広小路裏の徳大寺摩利支天が有名です。
 
建仁寺
◇京都市東山区大和大路通四条下る小松町
◇JR「京都駅」~バス タクシー10分 
◇HP
http://www.kenninji.jp/  

徳大寺
◇東京都台東区上野4丁目6番2号
◇JR山手線・京浜東北線「御徒町駅」徒歩2分
◇公式HP
http://www.marishiten-tokudaiji.com/

■1月7日「福岡、太宰府天満宮 うそ替え・鬼すべ」です。■
120104_12.jpg「うそ替え」とは、木製の鷽(うそ)に昨年の罪や汚れ(すなわち嘘)を託して神前に納め、天神の誠心に変えて幸運をいただくという。新しい気持ちで本年を過す為の迎春の神事です。

参詣者はそれぞれ小さな「木鷽」を手にして、注連縄で囲った斎場で「替えましょ、替えましょ」と呼び合いながら、相手かまわず木鷽を取り替え合います。
頃合いを見計らって神官が群集の中に入り込み「金製の鷽」をいくつか渡します。この金鷽に当った者には、さらなる幸運が訪れるといわれています。

鷽(うそ)は、天神の使い鳥といわれます。木製の鷽は、朴(ほう)の木で彫られた神縁品で、開運を授かるといわれます。木鷽は、神棚や床の間等にお祀りします。


130104_22.jpg「鬼すべ」は、寛和2年(986)道真公の曾孫にあたる大宰大弍菅原輔正(すがわらすけまさ)によって始められたと伝わる神事です。

祓いを終えた「すべ手」(燻手)が集まり「鬼じゃ、鬼じゃ、鬼じゃ」と掛け声を上げながら、宰府の町の男達が繰り出します。

鬼すべ堂前に積まれた生松葉や藁に「忌火:いみび」が点火されると、一瞬のうちに炎と煙が夜空を焦がし、鬼を攻める燻手と、鬼を守る鬼警固との攻防戦が始まります。

燻手は、大団扇で必死にあおぎ猛煙を堂内へ送り込み、鬼警固は煙を避けようとテン棒で堂の壁を打ち破ります。

堂内では神職が、堂外では氏子が鬼に煎豆(いりまめ)を投げ、卯杖(うづえ)でうち退治します。日本三大火祭に数えられています。


太宰府天満宮
◇福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
◇公式サイト
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/  
 

■1月7日「人日:じんじつ」です。■
120103_21.jpg中国の古い風習で「正月の1日から6日迄は獣畜を占い、7日に人を占う」ところから7日を「人日:じんじつ」といいます。

「人日」の謂れは、正月1日を「鶏(にわとり)の日」、2日を「狗(いぬ)の日」、3日を「猪(いのしし)の日」、4日を「羊(ひつじ)の日」、5日を「牛(うし)の日」、6日を「馬の日」として、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしました。

7日の日には、犯罪者に対する刑罰を行わないことになっていました。六日間は動物で、七日目には人間というわけです。

150105_21.jpg

この日「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」を食し、無病を祈る風習がありました。また、この日の天候で、その年の運勢を占いました。もし晴れなら「幸」があり、曇りなら「災い」があるとされていました。


日本では宮中を中心に「五節句」のひとつに数えられるようになりました。五節句には、3月3日(上巳、ひな祭)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)のように奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れています。

「五節句」は明治6年に廃止されましたが、今でも暦の上ではそのなごりをと留めています。


■1月7日「七草(ななくさ)」です。■150105_21.jpg
「七草」とは、1月7日の朝に7種の野菜が入った粥を食べる習わしのことをいいます。 
古代より日本では、年初に雪の間から芽を出した草を摘む習慣に「若菜摘み」があり、これが七草の原点とされていす。「七種の節句:ななしゅのせっく」の略。 これを食すると邪気を祓い万病を除くとされています。 

中国では1月7日のことを「人日:じんじつ」と呼び、古くから「七種菜羹」(ななしゅさいのかん=七種類の野菜の羹:あつもの)を食し、無病を祈る風習がありました。 

平安時代には1月15日に行われ、粥の中身は米・粟・黍(きび)・稗子(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種類の穀類でした。 

江戸時代には、人日は「五節句」の一つに数えられ、将軍以下諸公が七草粥を食する儀礼が行われるなど公式の行事でした。武家や庶民にも「七草」が定着しました。 

◇春の七草◇ 
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草 
*芹(せり)*薺(なずな) *御形(ごぎょう) *繁縷(はこべら) *仏の座(ほとけのざ)*菘(すずな) *蘿蔔(すずしろ) 春の七草 

150105_22.jpg
 薺(なずな)=ぺんぺん草、 
 御形(ごぎょう)=母子草、 
 繁縷(はこべら)=はこべ、 
 仏の座(ほとけのざ)=田平子、 
 菘(なずな)=蕪、 蘿蔔(すずしろ)=大根。 

これらの七草を6日の夜から7日の朝にかけて、まな板の上で包丁で叩き刻みます。調理中には、子供たちが「七草の囃子唄」を歌い囃します。 

歌詞は地方によってさまざまですが、代表的なものは「七草なずな、唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に トントンぱたり トンぱたり」 
元来は「七草なずな  唐土の鳥と 日本の鳥と  渡らぬ先に 七草なずな  手につみ入れて あみばし  とろき  ひつき  ちりこ げにげにさりげなきようにて 物の大事は侍りけり 」だったようです。 

南九州地方では、この日「七所祝い」が行われます。数え歳七つになる子供が正月7日の朝、お盆を持って近所七件を回ります。そこで七草粥をもらい集めて食べるのです。するとその子は、病気をせず、すくすく育ち、また運も良くなり良縁に恵まれるとされていました。 

京都の上賀茂神社では
1月7日には「白馬奏覧神事:はくばそうらんじんじ」も行われます。年の始めに「白馬(青馬)」を見ると一年の邪気が祓われるとされています。宮中の「白馬節会(あおうまのせちえ)」を神事化したもので、神前に七草粥を供え、神馬を曳いて、大豆を与えるという神事です。

◇五節句◇
 1月7日、人日(じんじつ) 七草の節句     七草粥
 3月3日、上巳(じょうし)   桃の節句・雛祭り  菱餅や白酒など
 5月5日、端午(たんご)  菖蒲の節句     菖蒲酒/柏餅、ちまき、菖蒲湯
 7月7日、七夕(しちせき) 七夕(たなばた)   裁縫の上達を願い素麺食す(織姫も参照)
 9月9日、重陽(ちょうよう) 菊の節句          菊を浮かべた酒(菊酒も参照) 

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆ 
最近では、スーパーでも「春の七草」が調理方法の手引きと一緒に生鮮食料品として販売されています。   
暦は時代とともに解釈や内容が変化していきます。 「七草」などは暦が生活に密着している証です。
古い習慣と季節感を忘れまいとした日本文化のです。 
絶やさないようにしたいものです。 
正月休みから体調を崩している方も多いことでしょう。 
季節の変わり目です。皆様お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

■1月7日(旧11月21日)「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。
特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。
また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

110411_13.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。
日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。
ひと月に3~4回です。
暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。
それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■1月6~7日「六日年越し」「七日正月」です。■ 150105_23.jpg
正月六日に行われた正月行事の一つで、六日の日を「六日年」や「六日年越」と呼び、もう一度「年をとり直す」という日でした。
翌七日は「七日正月」といい、六日年越しと七日正月は一対として使われました。 

六日年越しは、神年越し、女の年越し、馬の年越しなど呼んでいた地域もあります。 
この夜の行事は、大みそかに似たものが多く、麦飯を食べ、沢蟹をちがやの串に刺して玄関口にはさんだり「蘇民将来」と書いた札を張ったり、柊(ひいらぎ)などとげのある木の枝を飾るなど、さまざまな習慣が地域ごとに見られます。 
中には蟹年取りといって、蟹を食べその鋏(はさみ)を差したりする風習もあります。

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六日に採ってきた七草などを切りながら、六日の夜から七草囃子(ななくさばやし)を歌いながら準備した菜草は、七日の朝には七種粥に入れ、一年の無病息災を願い七日正月を祝いました。

◇「松の内」と外◇
元日から、七日までを松の内と言います。
正月飾りは新年に迎える年神の依り代です。
この正月行事の期間は、家の中に年神様を迎え入れていますから、この間は家自体が神聖な場所となります。  

家の玄関などに飾り付ける正月飾りは、この神聖な場所と俗世間を区切るもので、神社などの示す注連縄(しめなわ)の形を変えたものです。  

150105_24.jpg元日から続いた正月行事1月6日を越すと一段落となる頃で、家自体が神聖な場所であった正月も、七日をでその正月行事を解き、また日常生活をするの場へと戻ります。 
七日の朝以降は行事もなく、家は年神様の座所としての場所から日常の生活空間へと戻ります。
正月飾りを外すことから、門松など松がとれて7日には「松の内」が終わります。 

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
御用始めの後、社会では
新年会真っ盛りです。十四節季「小寒」から立春に向かって寒さの中にも春の気配が感じられる時節です。
油断から体調を崩さないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月6日「高崎 だるま市」です。■
120104_11.jpg毎年1月6日正午から7日午後1時までの両日、少林山達磨寺内で「少林山七草大祭だるま市」、通称「高崎だるま市」が開かれます。

だるま(達磨大師)は、禅宗開祖の達磨の坐禅姿を模した置物、または玩具で、縁起物として親しまれています。多くは張子(はりこ)で作られ、目の部分は書き入れずに白のままに残します。そして何らかの祈願を行った後、祈願が叶うと目を書き入れます。

「起き上がり小法師(こぼし)」は、底が丸く重心が低く作られ、倒しても起き上がります。その何度でも起き上がる様子が「達磨の面壁九年」という坐禅を続けた逸話に見立てられ、達磨の顔が描かれるようになり、「起き上がり」「七転八起」から、次第に縁起物とされるようになりました。

121225_31.jpg

だるまが赤いのは、達磨が赤い衣を着ていたとされることに由来します。だるまは魔よけの力があるとされ玩具として子供に与えられていました。

群馬県高崎市で生産されるだるまは「上州だるま」とも呼ばれます。全国生産の約80%が生産されます。

少林山達磨寺
◇群馬バス安中車庫行き、「八幡大門前」にて下車、徒歩約10分
◇関越自動車道から 前橋ICから 約20分、前橋ICから 約20分
◇上信越自動車道から 高崎ICから 約30分 松井田妙義ICから 約35分
◇公式HP
http://www.daruma.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
明日1月7日は「七日正月」の式日です。また
「七草粥」「人日」などの撰日です。明日からは日常生活も平常に戻った新しい年の始まりといった日です。
二十四節季「小寒」から立春に向かって寒さの中にも春の気配が感じられる頃です。
皆様、油断から体調を崩さないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月6日「公現祭」です。■
120103_2.jpg「公現祭:こうげんさい」とは、人としてこの世に現れたイエス・キリストが、神性を人々の前で現したことを記念するキリスト教の祭日です。

日本語では「顕現節:けんげんせつ」、「公現節:こうげんせつ」(主の公現)、「主顕節:しゅけんせつ」などとも呼ばれています。

12月25日のクリスマス~1月6日までの12日間を降誕節(こうたんせつ)としています。一般に「十二夜」といい、悪霊が暴れ回る期間。シェークスピアの戯曲「十二夜」はここから付けられたものです。

世界には公現祭に伴うさまざまな慣習があります。一例としてヨーロッパやカトリック教会の信仰が盛んな地域では、「」や「小さな人形」、「貴金属」などを入れて焼いたケーキや菓子パンを切り分け、この豆などが当たった人をその日だけ王とする習慣があります。

例えば、フランスでの行事は古代ローマの農耕神サートゥルヌスの祭りサートゥルナーリアに由来します。また、スペイン語圏やイタリアでは、子供たちがプレゼントをもらうのはクリスマスではなく公現祭の日です。この日、魔女が子供にプレゼントをするという独特な風習もあります。

■1月6日「東京消防庁出初式」です。■
「出初式:でぞめしき」とは、新年の初めに消防署員や鳶の人達が集まって、消防動作の型などを演習する行事です。模擬火炎やハシゴの曲乗りなどが披露されます。

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出初式の起源は、今から約340年ほど前の江戸時代です。当時、江戸の街は明暦3年(1657)に発生した大火により未だ焦土の中にあって、苦しい復興作業にあたる町民は絶望的な状態にありました。

万治2年(1659)正月4日そこに旗本の率いる定火消(じょうひけし)総勢4隊が、上野東照宮前で1年の働きを誓ったことに始まります。「出初」を行ったことが、当時の江戸町民に大きな希望と信頼を与え、これが契機となり、お正月の恒例行事として今日まで受け継がれてきました。

東京では、昭和28年以来、正月6日に行われていますが、出初式の開催日は地方によってまちまちです。

◇東京消防庁HPhttp://www.tfd.metro.tokyo.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
近年、地震など大きな災害や、異常気象からの大型台風・竜巻など今まででは、考えられなかった大災害が起こります。出初式を機会に正月気分から脱して災害に備える気風を取り戻しましょう。
江戸の時代も平成の世も人の気持ちは変わらないようです。
筆者敬白
 

◆二十四節気◆平成30年1月5日「小寒(しょうかん)」です。◆
151231_20.jpg1月5日18時49分「小寒:しょうかんです。旧暦12月、丑(うし)の月の正節で、冬至後15日目。新暦1月5日か6日頃にあたります。天文学的には太陽が黄経285度の点を通過するときをいいます。

この日をもって「寒の入り」とし、寒中見舞いが出されます。この日から節分までを「寒・寒中・寒の内」といい、約30日間ほど厳しい寒さが続きます。
 
小寒とは寒さがまだ最大ではないといった意ですが、季節は本格的な冬です
。「小寒の氷、大寒に解」の例えのように、実際には小寒の頃のほうが、寒さが厳しいようです。

ちなみに諺の意味には「物事が必ずしも順序どおりにはいかない」という意が含まれています。

暦便覧では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」と説いています。この日をもって「寒の入り」とし、寒中見舞いが出されます。

「寒中見舞い」は、暑中見舞いに比べると出す人は少ないようです。年賀状を出すのが遅くなってしまった場合や、喪中に年賀状が届いた人への返信に利用一般的です。

小寒から4日目を「寒四郎」、9日目を「寒九郎」と呼んでいます。
「寒四郎」は麦作の撰日(予想日)とされ、この日にの天候によって、収穫に影響があるとされてました。晴れだと豊作で、雨や雪だと凶作になるという事です。
また、寒九郎は
「寒九の雨」といって、この日に雨が降ればその年の豊作の兆しとして、農家では喜ばれました。
140104_21.jpg◆◆「七十二侯」 ◆◆

初候「芹乃栄」(せり すなわち さかう)
空気が冷え、澄みきるようになり、芹がよく生育する時節。
次候「水泉動」(すいせん うごく)
地中では凍った泉が動き始める時節。水泉=わき出る泉。
末候「雉始雊」(ち はじめて なく)
雄の雉(キジ)が鳴き始める時節。

◆◆ 「1月の花」 ◆◆
◇「黄梅」おうばい◇木犀科 ソケイ(ジャスミン)属
学名:Jasminum(ジャスミン)は、アラビア語の「yasmin(マツリカ)」の名に由来。別名:迎春花

原産は中国。江戸時代初期に渡来。開花時期は1月10日から3月20日頃。鮮やかな黄色の花が咲き、昔から鉢植えや盆栽などに利用されています。枝は横に伸びて地上を這う性質で、花が咲く時には葉は出ていません。

黄色い花が梅に似ていることと、同時期に咲くことから「黄梅」という名がついていますが、本来「梅」とは関係なく、ジャスミンの仲間ですが、香りはありません。

150105_26.jpg中国では、旧正月(2月)に咲き出すことから「迎春花・げいしゅんか」と呼ばれ、吉兆の花、めでたい花とされます。
花言葉は「恩恵」「優美」「控えめな美」など。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
年が明けて平成30年の小寒の頃、例年だとこの冬で最も気温が低くなるはずですが、今年は暖冬のせいで暖かな正月です。
暮れから正月を経て「小寒」の時期には、水仙など冬の花の開花期に重なって、道端の片隅に季節を感じられます。

読者の皆様、お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■1月5日「初水天宮」です。■
121228_20.jpg毎月5日は水天の縁日です。正月始めのこの日を「初水天宮」といって、変わらぬ世を祝います。
 
水天は、十二天・八方天のひとつ。水を司る竜神で、密教では西方を守護する神。羂索(けんさく)を執り、冠の上に五竜を頂き、亀の背に乗って水中にある姿などであらわされます。
 
福岡県久留米市の水天宮は全国の総本宮で、安徳天皇と建礼門院を祀ります。祭神は水徳の神で、船人の守護神として篤い信仰があります。また、安産・水難除けのご利益があるといわれます。
 
東京日本橋の水天宮は、水難除け・安産・商売の守り神として有名です。その発生から「情け有馬の水天宮」と江戸時代からお囃子として唄われています。

121225_29.jpg羂索(けんさく)=「羂」はわなの意、もともと鳥獣をとらえるワナ。縄は5色の糸をより合わせ、一端に環、他端に独鈷杵(とっこしょ)の半形をつけたロープ状の法具。衆生救済の象徴とされ、水天の他、不動明王・千手観音・不空羂索観音などがこれを持つ。

■平成30年1月4日は「官庁御用始め」「仕事始め」です。■ 150105_27.jpg
御用始めは、諸官庁で新年初めて執務を始める日を指します。
明治6年に、官庁では12月29日から1月3日までを年末年始の休暇とすることが定められました。 
御用納めは、土、日、祝日の時には前日とし、御用始めは土、日、祝日の時には翌日として、現在まで続いています。 
御用納めの日は、平成29年は12月28日でした。残務を整理して、机上を片付けて年末の挨拶をして各自帰宅します。

今年の御用始めは平成30年の1月4日です。
大東亜戦争以前の宮中では、この日、「政始(まつりごとはじめ)」の儀が行われていました。
平安時代以前に行われていた「政始(セイシ)」とも言う行事があったのです。 
「政始」は正月に宮中で行われた行事で、本来は9日でしたが、正月の御斎会(正月の神事)が一段落したところで吉日を選び、上卿が新年初めて政事を議する儀式を行い、これを「政始」と言いました。

鎌倉幕府の「問注所」(現在の裁判所にあたる)は10日、室町幕府では7日に政治始を行いました。
年頭に当たり、伊勢神宮を奏聞する(そうぶん:天子に申し上げること。奏上)ことを神宮奏事始と言って正月11日に行いました。
4日の「政始」と合わせて、明治3年から4日に「政始の儀」を行う事になり、首相から神宮のことや、各般の政務を奏上していましたが、戦後、廃止されました。

◆◆仕事始め◆◆
 
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新年始めての仕事のし始めの式・儀礼を行うことです。

▼農事で見ると、2日または11日に鍬入れ・鍬立て・ヒト鍬・ウナイゾメ等と言って、田畑に鍬を数回入れ、餅や米を供えます。 また「コエ曳詰(こえひきずめ)」と言って堆肥を田畑に運んだり、「田打ち正月」と言って田植えのマネをしたり、藁や縄のうち始め、箭内初めも行われます。
▼山村では
「初山」「山入り」と呼んで、初めて山に入って山の神に供物を供えてから木を切ります。
この時、小正月のものつくり用の木を切ります。
▼漁村では舟祝・ノリゾメ・フナオコシなどと言って、船に集まり供え物をして、仕事始めの祝いをします。
▼商家では2日に初荷をし、11日には、蔵開き・鏡開きとして、土蔵を開き、暮れから供えてある「鏡餅」を割って食べる習慣が各地で残っています。

 「仕事始め」は、これらの予祝行事(あらかじめ祝うこと。前祝い)の意味を持っているとされています

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
 
「官庁御用納め」も「御用始め」も平安時代以前からの宮中の習慣で、暦が社会習慣の基本だったことがわかります。
宮中をはじめ、職業ごとに御用始め、仕事始めがあり、それぞれ安全祈願や感謝をする神事であることがわかります。終わりのない仕事に区切りをつけて、働けることに感謝する行事は日本独自の習慣で、日本の高い精神性の表れで文化として解釈できます。
時代は変わっても絶やさないで続けたいものです。
筆者敬白

■1月3日「福岡 箱崎宮 玉せせり」です。■
111230_18.jpg「玉取祭:たまとりさい」は俗に「玉せせり」といい、全国に知られる奇祭です。起源は定かではありませんが、古く盛大かつ厳重に行われている祭りです。
 
午後1時、玉洗式で洗い浄められた「陰陽の2つの玉」は、末社・玉取恵比須神社に運ばれます。祭典ののち、陽玉は競り子たちに手渡され「玉せせり」が始まります。
 
121225_26.jpg玉に触れると、悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれます。裸の競り子たちは「勢い水」を浴び、体から湯気を立て激しい争奪戦を繰り広げながら本宮へ向かいます。楼門下に待つ神職に手渡され、陰陽の2つの玉は再び揃って神前に納まります。
 
「筥崎宮:はこざきぐう」の祭神は、応神天皇、神功皇后、玉依姫命(たまよりひめのみこと=神武天皇の母)。筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐・岩清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
 
筥崎宮(箱崎宮)
◇福岡県福岡東区箱崎1-22-1
◇JR九州「箱崎駅」徒歩8分
◇公式HP
http://www.hakozakigu.or.jp/
◇玉せせり解説http://www.hakozakigu.or.jp/shiki.php

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
玉せせりは九州は福岡の筥崎宮で1月3日に執り行われる神事です。Webの
写真からは勇壮さがみなぎってきます。
箱崎宮は鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)の頃、俗に云う神風が吹き未曾有の国難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることでも有名です。
昨年は東日本大震災で近年最大の国難といっていいでしょう。元寇のとき同様一致して取り組んでもらいたいものです。
季節の変わり目、また不規則な生活になり易い時期です。今年はインフルエンザが大流行!体調にご注意を。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月2日「皇居一般参賀」です。■
111230_19.jpg新年一般参賀は1月2日、皇居において行われます。参入時刻は午前9時30分~午後2時10分です。
 
皇居正門(二重橋)から参入し、宮殿東庭の参賀会場を経て、坂下門・桔梗門・乾門より退出します。

◎第1回及び第2回は、天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下始め、お出ましになれる成年の皇族方
◎第3回以降は、天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下、秋篠宮同妃両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下。

 
第1回◆午前10時10分頃、
第2回◆午前11時00分頃、
第3回◆午前11時50分頃、
第4回◆午後13時30分頃、
第5回◆午後14時20分頃。
 
天皇皇后両陛下が、おおむね5回「長和殿ベランダ」にお出ましになる予定です。そのうち2回目までは皇太子同妃両殿下始め、お出ましになれる成年の皇族方が、3回目以降は皇太子同妃両殿下及び秋篠宮同妃両殿下、
眞子内親王殿下、に近年報道を賑わせている佳子内親王殿下が、ご一緒にお出ましになる予定です。

 
天候によっては、お出ましが中止される場合があります。また、皇居東御苑は休園ですので入園できません。とても混雑しますのでご注意下さい。
 
宮内庁◇東京都千代田区千代田1-1
テレホンサービス◇03-3211-1475
http://www.kunaicho.go.jp/event/sanga/sanga01.html


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
宮内庁からのお願い(HPより):一般参賀には、天皇皇后両陛下始め皇族方のお出ましを心待ちにして、全国各地から大勢の方々がお集まりになります。

お出ましになられた際に、宮殿・長和殿中央付近において、大きな旗やのぼり等を高く掲げて奉祝をされますと、後方や周囲にいる方へのご迷惑となることがあります。
また、両陛下始め皇族方のお姿を全国に伝える報道取材にも支障を来すことがあります。

一般参賀に来られる皆様には、両陛下始め皇族方のお出ましに際し、長和殿中央付近で大きな旗やのぼり等を高く掲げることがないようお願いいたします。
とあります。

来年(平成31年)には生前退位される今上天皇陛下には「象徴」としてのお勤めを滞りなく、体力にご配慮なされてお過ごしいただきたいものです。
筆者敬白

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■1月2日「初荷」です。■
121225_25.jpg「初荷」とは、新年の商い始めの荷のこと。昔は正月2日に問屋や商店から、馬・車・船などに商品を積み、紅白の布で飾り、「初荷」旗をひるがえして売り先に送り届けました。

提灯や幟で飾り立てた大八車や荷馬車は、とても目立ちました。また商家、商店では正月2日に新年初めて開店し初売りを始めました。

現在では4~5日頃、トラックで初荷を送るところが多くなっています。


■1月2日「初夢」です。■
「初夢」とは、新年になって見る夢のこと。古くは節分の夜に見る夢ともいわれていました。

元来、大晦日は寝ずに過ごすものでしたから、元日の夜の夢を初夢と呼ぶようになりました。昨今「夢」は神仏のお示しであると信じられ、夢によってこれからを占います。

善い初夢を見る為に、宝船の絵を枕の下に入れて寝るという習慣もありま

121225_23.jpgした。様々な宝物や七福神などを乗せた船の絵には「長き世のとおのねむりの皆めさめ、波のり舟の音のよきかな」という回文(上から読んでも下から読んでも同じ)が書かれていました。

この宝船伝説は、当初は「節分」または「年の暮れ」貧乏神を乗せて他に流す呪いでしたが、次第に善い初夢を見る習慣に変化したようです。
 
お目出度い夢として「一富士・二鷹・三茄子」といわれます。
一説には「富士」は曽我兄弟富士裾野の仇討ち、
「鷹」は赤穂浅野家の紋所で赤穂浪士の仇討ち、
「茄子」は伊賀上野の荒木又右衛門の仇討ち
との説です。ともかく、宝船・富士・春駒の初夢は縁起がよいとされます。


■1月2日「書初め」です。■
121225_24.jpg「書初め」とは、年が明けて初めて書や絵をかく行事で、多くは1月2日に行われます。「吉書:きっしょ」・「試筆:しひつ」・「初硯:はつすずり」ともいいます。

江戸時代には、若水で墨をすり、恵方(吉方)に向かって詩歌を書く風があり、「長生殿裏春秋富、不老門前日月遅」という漢詩がもてはやされました。もともと宮中で行われていた儀式でしたが、江戸時代以降に庶民にも広まりました。

書き初めで書いたものは、左義長で燃やし、その炎が高く上がれば字が上達すると信じられていました。

左義長(さぎちょう)1月14日(小正月)の夜に正月の松飾り類を焼く火祭りの行事。地方によって「どんど」、「どんど焼き」、「とんど(歳徳)焼き」、「どんと焼き」とも呼ばれている。全国各地で同じような習慣がある。

毎年1月5日、日本武道館(千代田区)では、全日本書初め大会が行なわれます。約4千人が参加するこの行事は、新年の風物詩の一つとなっています。

因みに「姫始め」は1月2日の行事ですが、その由来については不明。「姫飯:ひめいい」を食べ始める日が適当な解釈ではないかとされています。暖かく柔らかい飯を女性に例え、男女の交合に変化したようです

「姫飯:ひめいい」は柔らかいご飯のこと。これに対し「強飯:こわいい」は蒸した固いご飯をいいます。今日でも、目出度い時は御強(おこわ)を食べますが、昔は祭りの間は強飯を食べ、祭りが終わると姫飯を食べました。
 
「飛馬(ひめ)始め」1月2日の乗馬始め。
「火水始め」火や水を使い始める日。
「女伎始め」衣服を縫い始める日。
新年に夫婦が始めてセックスをする日秘事を始める日。
「姫糊始め」女性が洗濯や張物を始める日。
 その他、多数あります。 

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■1月1日「元日」です。■

「元日:がんじつ」は、国民の祝日の一つで「年のはじめを祝う」のを法定の趣旨として昭和23年に制定されました。
 

正月三が日を「元三日:がんさんにち」と呼びますが、元日はその初日をさします。この日の朝を、特に「元旦:がんたん」・「歳朝:さいちょう」・「歳旦:さいたん」などと呼んで1年の始まりを寿ぎます。元日は、宮中の年中行事「元日節会:がんにちのせちえ」に由来します。元正天皇の霊亀2年(716)以来、文武百官を招いて年始を祝ったとされます。

一般の人達にとっては「年神:としがみ=歳神」が来臨するのを祝う「神迎え:かみむかえ」としての大切な行事でした。それぞれの家々には様々な祝い方があり、神社仏閣に初詣に行ったり、晴れ着をつけ屠蘇をいただき、御節料理や雑煮で祝ったりしてきました。

「旦」は「朝」の意。元日の朝の時間帯を「元旦」と呼ぶのが正しい。

「正月」は「1年の初めの月」をいいますが、新年の祝いや行事をも指します。1月を正月と呼ぶのは、「正」が年の初め、年の改まるの意に由来します。そもそも「正月」は「盂蘭盆」と対応するもので、半年ごとに先祖の魂を迎えて祀る性質の行事でした。現在でも年頭墓参の行事が残っている地域もあります。

仏教の110101_2.jpg影響が大きくなるにつれ、盂蘭盆は先祖の供養など仏教的行事の意味合いが濃くなっていきました。正月は神祭りとしての意味合いが強くなり、年神様を迎え新年の豊作を祈る月として、年神の祭りとして性格づけられるようになっていきました。

◆正月とは◆
正月1・2・3日を「三が日」、これは現代でも一般的です。
元日~7日までを「大正月」または「松の内」といいます。
1月7日は「七日正月=七草の節句」、七草粥を食します。
15日は「小正月:しょうしょうがつ=二番正月」、
20日は「二十日正月:はつかしょうがつ=骨正月」と呼ばれ、それぞれを祝う風があります。
一般に正月の終わりは20日とされています。

「新年」とは新しい年・1年のはじめをいいます。暦法によって様々ですが、太陽暦では冬至を過ぎた頃に設定され、旧暦(太陰太陽歴)では立春の頃としています。

「元日節会:がんにちのせちえ」は、朝廷の年中行事の一つ。正月1日、朝賀のあと天皇が文武百官を大極殿・豊楽院(紫宸殿)・豊明殿などに招いて、行った年始の宴会のことです。奈良時代の初めには行われ、明治維新までの1200年間も続いた行事です。天皇が豊明殿に出御されます。

はじめに諸司奏と称する諸国の豊作の吉兆を天皇に申し上げる儀式が行われ、中務省が七曜暦を奉ります。

※七曜暦:「七曜具注暦」のことで七曜(日月火水木金土)が記入された暦。

次に、宮内省が「氷様:ひのためし」と「腹赤贄:はらあかにえ」を奉ります。氷様は、氷室に納めた氷を取り出してその厚さを天皇に申し上げる儀式で、氷が厚いほど目出度いとされました。腹赤とは鱒(ます)のことで、食いかけの鱒を順に取り伝え食べる儀式です。
後に、皇族・各将・各省大臣・各国大使などが饗座につき、三献の義、奏楽などが行われます。

■1月1日「年賀」です。■
「年賀:ねんが」とは、1月1日から3日の間に新年の挨拶を述べるために親戚や知人、上司や近所の人々を訪れる儀礼のことです。

古く村落社会では、家族親戚など血縁関係にある者などが本家に集まってともに大晦日を明かし、新年を迎えるというしきたりがありました。祖先の霊を祀り、五穀の豊作を祈って年神を祭り、一族郎党の団結を誓い合いました。血縁関係だけでは生活していけなくなると、地縁関係へとこの風習が広がっていき、年頭の挨拶に出向くという形になっていきました。

江戸時代には、商家の主人が、供の者に扇子などのお年玉を持たせて年始回りに出歩くのが、新年のしきたりになっていました。明治時代になると、人力車の普及とともに回る件数も多くなり、その多さを競い合う風潮もあったほどです。年始客は扇子や葉書などを持ち、日頃お世話になってる家々を回り、年賀を受ける側も正式な接客でもてなしました。普通、年賀の訪問は3日までの間ですが、遅くとも7日までには済ませるのが常です。

■1月1日「初詣」です。■
「初詣:はつもうで」とは、年が明け、初めて社寺に参拝することをいいます。氏神またはその年の恵方にあたる方角の神社仏閣にお参りをして、今年一年の無事と平安を祈る行事のことです。

110101_3.jpg「歳徳神」は「恵方神:えほうじん」とも呼ばれ、年によって異なった方位に宿るといわれています。その方位を「恵方:えほう」といいますが、その方位にある神社仏閣を参拝することを恵方参りといいます。古くは「年篭り:としごもり」といって、祈願の為に大晦日の夜から朝にかけて、氏神の社に篭るのが習わしでした。「御篭り:おこもり」とも。

やがて、年篭りは除夜詣と、元日詣の二つに分かれ、初詣の原形となっていきました。現在でも、除夜に社寺に参拝したのち、一度家に帰ってから元旦になってまた参拝するというところもあります。

東京・明治神宮、鎌倉・鶴岡八幡宮、川崎・川崎大師、三重・伊勢神宮、京都・平安神宮など、全国の有名な社寺では、前日から出掛け除夜の鐘を聞き、その地で元旦を迎えるという光景が見られます。除夜詣と元日詣を一緒に済ませてしまおうというものでしょう。

■正月飾り、催事「四方拝」「元始祭」など■
110101_4.jpg◆「門松:かどまつ」とは、新年を祝って家の門口などに立てられる松竹の飾りのこと。松飾り・門の松とも。

室町時代の僧・一休の歌に「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とあります。古くは木の梢には神が宿ると考えられていて、門松に年神をお迎えして祭るという意味を持っていました。しっかりと年神をお迎えしないと、その年は不幸になると信じられ、非常に重大な儀式でした。

◆「依代:よりしろ」とは、神霊が出現するときの媒体となるもののこと。門松の他、花・樹木・岩石、形代、よりましなど。榊(さかき)・栗・楢・椿などの木が使われます。門松の飾り方は様々ですが、本飾りは孟宗竹を斜めに切って松の木を添え、注連をかけた豪華な飾り。一般家庭では、松の小枝を門口の両側につけ、輪飾りをかけた簡単なものが使われます。

孟宗竹(もうそうちく)の原産は中国。淅江省より琉球を経由して渡来したもので「毛竹」と呼ばれます。国内では鹿児島に「江南竹林」の銘で渡来原株の末裔が残っているようです。孟宗とは「親孝行な息子」の意。真冬に竹の子が食べたいという母親の為に山に入って採ってきたものだから孟宗竹と呼ばれるそう。

新年を迎える飾り物は、年末のうちに飾りつけを済ませます。29日は「苦日飾り」、31日は「一夜飾り」といって嫌います。門松は正月6日の夕方に取り払います。そのため6日までを「松の内」と呼ぶようになりました。

◆「注連飾り:しめかざり」とは、正月などに門松や玄関・床の間・神棚などを、注連縄を張って飾ることをいいます。人間に災いをもたらすという「禍神」が家内に入らないよう、呪いとして飾られます。注連縄は左捻り(ひだりひねり)を定式としていますが、これは左を神聖視する旧来のしきたりです。輪飾りや大根じめ、牛蒡じめなどの種類や、縄に餅・昆布・松葉・魚などを飾るものもあります。

◆「鏡餅:かがみもち」は、まるく平たい鏡のように作った餅のことで、正月やお祝いのとき、大小2個の餅を重ねて、神仏に供えます。

古くから神仏の祭りには餅を供えるのが習わしです。昔の鏡は青銅のものが多く使われていて、装飾用というより神事などに使われ、宗教的な意味合いが濃かったのです。鏡餅は歴代天皇が継承する三種の神器のひとつ「八咫鏡」(やたのかがみ)を形どっているものといわれています。
 
鏡餅が一般にも普及し、現代のような形になったのは室町時代以降のこと。住居の建築様式が変わり、家に「床の間」が出来るようになって、床飾りとして普及しました。武士の家では、床の間に鎧・兜などの具足を飾り、鏡餅を供え、繁栄を願いました。鏡餅には、譲葉(ゆずりは)・熨斗鮑(のしあわび)・蝦・昆布・橙などを載せて飾るのが通例で、武家餅といわれるものです。
 
◆「幸い木:さいわいぎ」とは、正月に魚などを掛けるために、庭に渡す横木のこと。庭に六尺ほどの棒を横渡しして、平年には12本、閏年には13本を結んで飾り縄を吊るします。その縄に鯛の干し物・鰯・鰹節・するめ・昆布・大根・譲葉・橙など正月用の食品を吊り下げ、これを土間などに取り付け、正月に食べていくというもの。
 
九州や四国地方に多く見られました。現在でも長崎県五島列島一帯に見られます。関東でも竹に魚・野菜・昆布・炭などを吊るして、恵方棚の前に供える風習があります。幸い木には神が宿ると信じられています。また、門松の根もとに短い木を寄せて立てて飾る、割り木(薪)のことも「幸い木」といいます。
 
◆「破魔弓:はまゆみ」「破魔矢:はまや」「破魔」とは、仏教用語で悪魔を破滅すること。煩悩を消滅させるの意。正月に神社などへ参拝に行き、お土産に破魔矢・破魔弓を買うしきたりがあります。

生まれて初めて正月を迎える男の子には破魔弓を贈り、もらった家ではこれを新年に飾って祝う習慣もあります。のちに細長い板に弓矢を飾り付け、その下に戦人形などの押絵をはり、男の子の初節句の贈り物になりました。
昔は正月に行われる「破魔打ち」という「年占競技」(としうらきょうぎ)に使われていました。その年の運勢を占うもので、わらで作った的を投げて射落としたり、木の枝を投げて遮ったりして、境界線を超えたら勝ちという遊びです。しかし、危ない遊びであるからか現在はすたれてしまいました。また、破魔弓・矢は、家を建てる際の棟上式に、屋根の上に飾られます。

◆「お年玉」とは、もともと親類や内輪の目上の人から目下の人へ贈られる性格のもの。昔は餅を贈りました。
 
年の初めに贈り物をする習慣は、すでに室町時代には盛んに行われていました。金子・筆・硯・紙・酒・餅などの品物が用いられ、これをお年玉と呼んでいました。現在は年始先に子供がいれば、お年玉を贈ることが多い。子供に限らず、社員やお年寄りに贈っても、失礼にはなりません。商店では、年賀のしるしとしてタオルやカレンダーを配る風習があります。
 
110101_5.jpg◆「正月遊び」凧揚げ・独楽回し・双六・羽根突き・福笑いなど。
 
歌加留多取りは、小倉百人一首の和歌を一首ごとに書いた読み札と、下の句のみを書いた取り札を使ってする遊び。「歌骨牌」(うたがるた)とも。
 
「三十人に余んぬる若き男女は二分に輪を作りて、今を盛りと加留多遊をするなりけり。込み合える人々の面は皆赤うなりて、白紛の薄剥げたるあり、髪の解れたるあり、衣の乱次く着崩れたるあり。皆狂して知らざる如く、寧ろ喜びて罵り喚く声...」とは、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」の加留多会のくだり。
 
明治三十年代頃は、正月の加留多会が若い男女が一緒に楽しみ合える数少ない機会だったことは間違いありません。当時の歌加留多は「百人一首」で、草書など色々な書体で書かれていましたが、やがて「東京カルタ会」によって「標準加留多」が制定され、全国に流行していきました。
 
130104_20.jpg◆「御節:おせち」とは、正月や節句に作るご馳走やお供えのこと。「おせち」の語の由来は、年に5回、宮中で季節の節目に神前に食べ物を供えた節供(せちく)からきています。
 
◇「据わり鯛:すわりたい」=尾頭付きの焼いた鯛。二匹の鯛を腹合わせにして、頭と尾を高くかかげたもの。座鯛・坐鯛ともいいます。また、石持・鰯・鯖なども用います。真鯛(関西では本鯛ともいう)は、古くから日本で珍重されてきた「魚の王者」で、鯛は「めでたい」に通じることから縁起が良いとされています。
 
◇「開き豆:ひらきまめ」=水煮して大きくした大豆。また、皮を剥いて左右の実を離したもの。わざわざ開くという語句をつけるのは「開運」を意味し、縁起が良いとされています。
 
◇「開き牛蒡:ひらきごぼう」=生のまま細かく算木のように切った牛蒡。すりこ木で叩いた叩き牛蒡を用いることも。開き豆と同じように、開くは「開運」に通じ、縁起が良いとされています。
 
◇「数の子:かずのこ」=鰊の腹子。干し数の子と塩数の子があります。アイヌ語で「鰊の子」(カドのコ)が変化したもの。また、語呂で二親から多くの子供が生まれるからと縁起を担いだものです。多産・子孫繁栄の意。
 
◇「ごまめ」「田作り」=片口鰯の稚魚を真水で洗って干したもの。炒って飴煮にして食べます。健全を意味する「まめ」との連想からその縁起を担いだもの。また、片口鰯は田畑の肥料にされ、豊作になったことから「田作り」ともいいます。豊作祈念の意も。
 
◇「芋頭:いもがしら」=里芋の親芋のこと。魁とも書き、家の芋ともいいます。子芋をよくつけるため、子宝につながって縁起が良いとされています。頭(かしら)は、人の上に立つ「かしら」に通じ、縁起が良いとされました。
 
◇「黒豆:くろまめ」=「まめ」は丈夫の意。まめに暮らすとの願いが込められています。
 
※この他、昆布巻き・蒲鉾・なます・金団(きんとん)・蜜柑(みかん)など。
 
130104_21.jpg◆「若水:わかみず」とは、1月1日の早朝に井戸の水を汲んで神に供えること、またはその水のこと。元日の早朝、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に出合っても口をきいてはならないことになっています。
 
若水は邪気を除くと信じられ、福水・若井・初井・生華水などとも呼ばれます。年神への供え物や家族の食事を調えるのに使われます。若水を汲むのは年男の役目とされていました。汲む時は「黄金の水を汲みます」などど目出度い言葉を添えて縁起を担ぎます。
 
◆「若潮:わかしお」とは、1月1日の早朝に海水を汲んで神に供えること、またはその海水のこと。潮水のかわりに海藻を用いたり、塩で清めを行ったりすることもあります。
 
◆「四方拝:しほうはい」とは、もと祝祭日の中の四大節の一つ。元旦における宮廷行事の一つで、天皇が元日の早朝に「天地・四方」を拝する儀式です。元日の寅の刻(午前4時)、綾綺殿(りょうきでん)※で「黄櫨染※の袍:こうろぜんのほう」を着し、清涼殿の東庭に出御し、属星※、天地四方、父母の山陵を拝されます。
 
綾綺殿(りょうきでん)=更衣所。
黄櫨染(こうろぜん)=赤みがかった黄色に染めるもので、天皇の第一の正装のこと。
属星(しょくじょう)=その人の運命を左右するといわれる星。その年の天災を祓い、五穀豊穣と宝祚長久・天下泰平を祈願する朝儀でした。
 
四方拝の起源は中国。日本では平安時代に宮中で取り入れられました。宮中にならって貴族や一般庶民にも広まり、元日の朝に四方を拝して五穀豊穣と無病息災を祈りました。明治以降は、皇居内の神嘉殿の南庭で「伊勢皇大神宮(内宮)」「豊受大神宮(外宮)」の二宮に向かって拝礼されたあと、東西南北に向かって四方の諸神を拝されるように改められました。
 
◆「元始祭:げんしさい」とは、もと祝祭日の中の大祭日の一つ。毎年正月3日、天皇が宮中の賢所・皇霊殿・神殿の三殿において親祭し、皇位の元始を寿ぐ儀式のこと。明治時代に皇室の祭祀に定められました。
 
明治3年1月3日、神祇官八神殿に八神、天神地祇、歴代の皇霊を鎮祭したことに始まります。皇室祭祀の中でも重儀と位置づけられ、明治41年制定の「皇室祭祀令」において大祭に加えられ、昭和2年の公布で祭日および祝日に定められました。戦後、国民の祝日から外されましたが、宮中では従来通り現在でも行われています。
 
■1月1日「歳旦祭」です。■
「歳旦祭:さいたんさい」は、戦前の祝祭日の中の皇室祭祀令に基づく小祭日の一つで、現在は新暦1月1日(元日)に、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で行われる年始を祝う祭祀です。

元日の「神嘉殿:しんかでん」南庭において天皇が親行する「四方拝」に続き、同日、早朝午前5時30分から宮中三殿において掌典職(しょうてんしょく)が祝詞をあげ、午前5時40分ごろ黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう=重要な儀式の際に着用する束帯装束の袍のこと)姿の天皇が拝礼し、黄丹袍(おうにのほう)姿の皇太子が続いて拝礼します。神宮をはじめ、全国の神社においては、皇統の繁栄と五穀豊穣と国民の加護を祈念する中祭として行われます。
 

■1月1日「修正会」です。■
111230_15.jpg「修正会:しゅしょうえ」とは、諸寺院で行なわれる正月の法会(ほうえ)のことです。
 
奈良の東大寺では、正月七日に金堂大仏殿で悔過の法会が行なわれています。「悔過:けか」とは、礼仏して罪過を懺悔(さんげ)し、天下泰安・風雨順時・五穀成熟・万民快楽等を祈願することです。
 
8世紀中頃に行なわれていた「吉祥天悔過会」がはじまりと伝わります。諸国の国分寺にも広まりましたが、国分寺の衰退と共に廃絶し、平安時代になると「薬師悔過」などが修正会として諸寺院諸堂で盛んに行なわれるようになりました。
 
121225_20.jpg平安時代には、元日から七日間にわたって行なわれ、また、鎌倉時代になると大仏殿の主要な法会の一つにもなりました。夜は舞楽が演じられるなど、厳粛で盛大な法会が営まれていましたが、戦乱の時代を迎え伽藍の多くを焼失するとともに、修正会も途絶えてしまいました。
 
現在行なわれている修正会は、江戸時代になって再興されたものです。正月七日に大仏殿で「初夜・後夜の法要」が行なわれます。大仏の宝前には「笠餅」と呼ばれる壇供(餅)が供えられます。これは修正会特有の供物で、三本の柱状に積まれた小餅の上に傘が覆うようなに大きな餅を乗せられています。
 
東大寺
◇奈良県奈良市雑司町406-1
◇JR・近鉄「奈良駅」よりバス「大仏殿春日大社前」徒歩5分
◇東大寺公式HP
http://www.todaiji.or.jp/
◇修正会参考http://www.todaiji.or.jp/contents/function/01syusyoue.html

■1月1日「天一天上(てんいちてんじょう)」です。■
天一天上:てんいちてんじょう」とは、陰陽道の歴注で癸巳~戊申の16日間をいいます。 今回は1月1日~1月16日にあたります。
 
110404_20.jpg天一神:てんいちじん」という方角神が天上に行ってしまい、悪さをしない佳日とされ、天一天上の間は天一神の祟りがなく方角の禁忌はなくなるので、どの方角へ出掛けるにも良しとされました。このことが、縁起を担ぐ相場師に利用されたと伝わります。

そのかわり、この期間中は日遊神が地上に降りて家の中に留まります。屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、清潔にしておかなければなりません。 

天一神は方角神のひとつで、中神(なかがみ)ともいい、地星の霊荒神です。天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。
 
天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを「物忌み」といいます。その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「方違え」をします。
 
「天一神の遊行日」
■乙卯から5日間...卯(東)
■庚申から6日間...巽(南東)
■丙寅から5日間...午(南)
■辛未から6日間...坤(南西)
■丁丑から5日間...酉(西)
■壬午から6日間...乾(北西)
■戊子から5日間...子(北)
■己酉から6日間...艮(北東)
 
この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
人間が大自然を怖れて、自然と共に生きている時代に、経験的に感じ取った歴注です。今となっては迷信や神話の域だと見過ごされしまう暦です。その昔情報処理が発達していなかった頃、日遊神の祟りからのがれるために掃除にするところから転じて、株や相場にとって、天一天上は物事を再考する時期とされていました。
来月は節分、立春です。寒の内にも春の息吹が感じられます。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月1日「初巳」です。■
弁財天の縁日は「巳の日」です。特に1月最初の巳の日を「初巳」「初弁天」といって賑わいをみせます。
この日、米銭を紙に包んで封じておくと金運に恵まれるといわれています。
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「弁才天」は仏教の守護神である天部の1つです。ヒンドゥー教の女神「サラスヴァティ」(Sarasvat?)が仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名で、経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」です。日本では「才」が「財」に通じることから「財宝神」としての神格が加わり「弁財天」と表記する場合も多く見られます。

「サラスヴァティー」の漢訳は「辯才天」。後に「辨財天」とも書かれるようになりました。「辯」と「辨」とは同音ですが、意味は異なる漢字であり、「辯才」(=言語・才能)、「辨財」(=財産をおさめる)を「辯財」「辨才」で代用することは出来ません。

戦後の当用漢字の制定により「辯」と「辨」はともに「弁」に統合されたので、現在は「弁才天」または「弁財天」と書くようになりました。
 「弁天」「妙音天」「美音天」とも称され、弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は「弁天堂」「弁天社」などと称されます。

弁才天は本来インドの神で、古くから崇められた三つの聖河の一つ「サラスヴァティー河の化身」で、神話では河の中で最上のもので、女神のうちで最上のものであるとされています。

日本では神道の神とも見なされ、河の流れる音からの連想から音楽神とされ、福徳神、学芸神、弁才の神となり、その後仏教において、福智・延寿・除災・得勝を司る福徳神として「七福神」の一員となっています。

仏教においては「妙音菩薩:みょうおんぼさつ」と同一視され、「宗像三女神」と同一視されることも多く、古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、「宗像三女神」又は「市杵島姫命:いちきしまひめ」を祀ります。

日本での弁才天信仰は奈良時代に始まり、東大寺法華堂に安置される八臂の立像が日本最古とされます。「銭洗弁天」として現世利益の神、また七福神として信仰を集めてきましたが、江戸時代の頃から銭洗弁天の信仰が盛んになるにつれ「才」を「財」に変えて「弁財天」と表すことが多くなっていきました。

宝冠を被り青衣をつけた美しい女神は、左手に弓・刀・斧・絹索を、右手に箭・三鈷戟・独鈷杵・輪を持つものもあり、ヴィーナ(琵琶に似た楽器)を弾ずるという。

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安芸の宮島大和の天川近江の竹生島相模の江ノ島陸前の金華山「五弁天」と称します。

鎌倉の「銭洗弁天」(正式には宇賀福神社)では、境内奥の洞窟内の湧き水で銭を洗うと、数倍になって返ってくるとされています。

日本各地に存在する「弁天島」は、弁才天信仰に由来する島名です。海難避けや豊漁を祈願する漁師たちの守り神として、日本各地の沿岸の小島に祀られてきました。

120105_11.jpg■七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして信仰されている七柱の神です。
恵比寿◆「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。
大黒天◆ヒンドゥー教のシヴァ神と、日本古来の大国主命の習合。大黒柱と現されるように、食物や財福を司る神となりました。
毘沙門天◆ヒンドゥー教のクベーラ神。仏教の神のヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり、日本では毘沙門天と呼ばれます。
弁才天◆七福神の中の紅一点。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されます。
福禄寿◆道教の宋の道士、または、道教の神で南極星の化身の老子である「寿老人」の別名または同一神とされます。
寿老人◆道教の神で南極星の化身の老子。
布 袋◆唐の末期、明州に実在したと伝わる仏教の僧。

◇◇◇ 編集後記 ◇◇◇
己巳や庚申は現代社会では迷信の域にはいってしまった暦注です。自身の戒めにその謂れを振り返ってみることも、心の栄養で余裕の一つです。


正月が過ぎ小寒を越すと、ますます寒くなります。職場や学校でインフルエンザの流行が懸念しています。
お風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

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このページよりも下に掲載してある1月の「暦」
平成29年1月(去年)のものです。

平成30年(今年)になってからの、祭礼や行事は
旧暦を採用しいるケースもあり、
去年とは月や日が変わることがあります。

平成30年の「暦」は、
祭礼や行事の2~4日前には
季節お便り」として掲載します。
是非そちらをご覧下さい。

お楽しみに。
筆者敬白

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八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
著書の紹介はこちらから。

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