二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

1月のお便り

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■1月31日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

■1月30日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

土用といえば「土用の丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべます。

110730_13.jpg蒲焼が普及したのは江戸時代のことです。江戸時代後期に、あの平賀源内が鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けせず夏バテしない」と江戸中に宣伝したところ大変流行しました。

また、万葉集にも鰻が登場しますが、この頃は蒲焼きではなく単にに焼いて食べていたようです。

今回の「土用の丑の日」は1月26日(日)で、「二の丑」はありません。

「鰻:うなぎ」の語源は「胸黄:むなぎ」から。鰻の調理方法は、東京では「切腹」をイメージするというので腹を切るのを嫌い、背剥きにします。
大阪では腹剥きで、焼き方も異なっています。

大阪では鰻のことを「う」といいます。
そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んでマブシて食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。
いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したものです。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
冬から春にかけての「土用の丑の日」です。
やはり季節は違っても滋養には鰻です。
今年は風が強く、花粉の飛散が多い季節になりました。花粉症には良い医薬品が開発されたそうです。
早めに対策しましょう。
季節の変わり目です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月28日(旧1月朔日)「旧元日」です。■
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1月28日(旧1月1日)「旧元日」です。
「元日:がんじつ」は、国民の祝日の一つで「年のはじめを祝う」のを法定の趣旨として昭和23年に制定されました。
 

正月三が日を「元三日:がんさんにち」と呼びますが、元日はその初日をさします。この日の朝を、特に「元旦:がんたん」・「歳朝:さいちょう」・「歳旦:さいたん」などと呼んで1年の始まりを寿ぎます。元日は、宮中の年中行事「元日節会:がんにちのせちえ」に由来します。元正天皇の霊亀2年(716)以来、文武百官を招いて年始を祝ったとされます。

一般の人達にとっては「年神:としがみ=歳神」が来臨するのを祝う「神迎え:かみむかえ」としての大切な行事でした。それぞれの家々には様々な祝い方があり、神社仏閣に初詣に行ったり、晴れ着をつけ屠蘇をいただき、御節料理や雑煮で祝ったりしてきました。

「旦」は「朝」の意。元日の朝の時間帯を「元旦」と呼ぶのが正しい。

「正月」は「1年の初めの月」をいいますが、新年の祝いや行事をも指します。1月を正月と呼ぶのは、「正」が年の初め、年の改まるの意に由来します。そもそも「正月」は「盂蘭盆」と対応するもので、半年ごとに先祖の魂を迎えて祀る性質の行事でした。現在でも年頭墓参の行事が残っている地域もあります。

仏教の110101_2.jpg影響が大きくなるにつれ、盂蘭盆は先祖の供養など仏教的行事の意味合いが濃くなっていきました。正月は神祭りとしての意味合いが強くなり、年神様を迎え新年の豊作を祈る月として、年神の祭りとして性格づけられるようになっていきました。

◆正月とは◆
正月1・2・3日を「三が日」、これは現代でも一般的です。
元日~7日までを「大正月」または「松の内」といいます。
1月7日は「七日正月=七草の節句」、七草粥を食します。
15日は「小正月:しょうしょうがつ=二番正月」、
20日は「二十日正月:はつかしょうがつ=骨正月」と呼ばれ、それぞれを祝う風があります。
一般に正月の終わりは20日とされています。

「新年」とは新しい年・1年のはじめをいいます。暦法によって様々ですが、太陽暦では冬至を過ぎた頃に設定され、旧暦(太陰太陽歴)では立春の頃としています。

150211_22.jpg「元日節会:がんにちのせちえ」は、朝廷の年中行事の一つ。正月1日、朝賀のあと天皇が文武百官を大極殿・豊楽院(紫宸殿)・豊明殿などに招いて、行った年始の宴会のことです。奈良時代の初めには行われ、明治維新までの1200年間も続いた行事です。天皇が豊明殿に出御されます。

はじめに諸司奏と称する諸国の豊作の吉兆を天皇に申し上げる儀式が行われ、中務省が七曜暦を奉ります。

※七曜暦:「七曜具注暦」のことで七曜(日月火水木金土)が記入された暦。

次に、宮内省が「氷様:ひのためし」と「腹赤贄:はらあかにえ」を奉ります。氷様は、氷室に納めた氷を取り出してその厚さを天皇に申し上げる儀式で、氷が厚いほど目出度いとされました。腹赤とは鱒(ます)のことで、食いかけの鱒を順に取り伝え食べる儀式です。
後に、皇族・各将・各省大臣・各国大使などが饗座につき、三献の義、奏楽などが行われます。


■1月28日「初不動」です。■
毎月28日は「不動の縁日」です。1月28日は、その年の最初の縁日で「初不動」と呼ばれ賑わいます。

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不動とは「不動明王:ふどうみょうおう」のことで、密教特有の尊格である「明王」の一つ。大日如来の化身あるいはその内証を表現したものです。

「お不動さん」の名で親しまれ、「大日大聖不動明王:だいにちだいしょうふどうみょうおう」、「無動明王」「無動尊」「不動尊」などとも呼ばれます。

堅固で不動の菩提心の威力によって、種々の煩悩や障害を焼き払い、悪魔や迷いのすべてを抑え静め、菩提を成就させ、長寿を得させるといわれ、如来の使者として真言行者の護持にあたります。

色黒き顔は忿怒の相を現し、目を怒らせ、両牙を咬み、右手に降魔の剣を、左手に縛の縄(羂索)を持ち、火炎光背を背にして、岩石の上に座る姿は、いっさいの悪魔・煩悩を降伏させんがためです。

初不動で焚く護摩を「初不動護摩供」といいます。延暦寺明王堂、成田山、目黒不動尊、深川不動尊などが有名です。

延暦寺明王堂: http://www.kinki36fudo.org/26.html
成田山、新勝寺:http://www.naritasan.or.jp/
目黒不動尊: http://park6.wakwak.com/~megurofudou/
深川不動尊: http://fukagawafudou.gr.jp/

■1月28日、「奈良若草山焼き」です。■
150118_23.jpg毎年1月の第4(土)に斎行される「若草山の山焼き」は、奈良市内を見下ろす若草山(標高342m)に火をつけ、山全体を燃やす奈良の一大行事です。若草山は3つの山が重なっていることから、三笠山とも言われています。

早春を告げる「若草山焼き行事 」
の起源は、三社寺(春日大社・興福寺・東大寺)の記録では、若草山頂にある前方後円墳の鶯塚古墳(うぐいすづかこふん:最も高所に築造された前方後円墳で、全長103m、前方部幅50m、後円部径61mの規模)の霊魂を鎮める杣人(そまびと:きこり 木を切る仕事)の祭礼のとされています。
春日大社、東大寺、興福寺の神仏が習合し、先人の鎮魂と慰霊、さらには奈良全体の防災と世界の人々との平安を祈るものです。 
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いろいろな説の中では・・・・
 ・若草山を翌年の1月頃までに焼かなければ、翌年に何か不祥事件が起こるとされていました。
 ・他には、若草山一帯をめぐる春日大社・興福寺と東大寺の領地争いといった説、
 ・春の芽生えを良くするため、古くからの野焼きの風習を伝えたもの。
などなど諸説あります。  
現在は観光イベントの他に、火災予防のための役割も果たしています。

山焼きは約200発もの大花火が、珍しい冬の打ち上げ花火として人気です。
打ち上げ花火の合図の後、33ヘクタールの全山に一斉に火がつけられます。その燃え盛る炎は、奈良の冬の澄んだ夜空を赤く染め、山全体が浮かび上がる姿は壮観です。
    
◆◆若草山焼きタイムスケジュール◆◆(奈良市観光協会HPより)
150118_25.jpg▽春日の大とんど(13時~18時)
飛火野に火炉(5m×5m、高さ3m)を設置し、正月に神社に持ち込まれた古いお札やお守り、注連縄飾りなどをお焚き上げします。
当日の会場への直接の持ち込みも可能です。

▽聖火行列出発(17時05分)

金峯山寺の山伏による法螺衆に先導され、若草山焼きに関係のあった奈良奉行所の役人を加え、総勢45名が厳粛な時代行列を行います。
聖火行列順/雅楽道楽-僧兵-奈良町奉行所役人-金峯山寺法螺衆-興福寺-東大寺-春日大社

▽水谷神社松明点火(17時15分)

松明(たいまつ)点火 水谷神社能舞台付近に設けた松明点火場で、春日の大とんどの聖火を松明に点火します。

▽野上神社 祭典(17時45分)

聖火行列が野上神社のかがり火に点火。
先ずは、春日大社の山焼き行事の無事を祈願する祭礼。続いて、その法楽として東大寺・興福寺の読経中、かがり火から松明に火を移した後、山麓中央に設けた大かがり火に点火します。

▽大花火打ち上げ(18時15分)

若草山焼きの花火は県内唯一の「尺玉」花火が打ち上げられます。
今回も迫力のある花火は、新春の奈良の夜空を彩ります。

▽山焼き一斉点火(18時30分)

若草山焼き 点火 奈良市消防団(約300人)が、山麓中央の大かがり火から松明に火を移し、若草山の正面に火を運びます。
法螺貝・ラッパ・号砲の合図で約33ヘクタール、周囲3800mの草地に一斉点火します。

若草山焼き開催場所

◇奈良公園内 若草山一帯
◇近鉄奈良駅から徒歩5分
◇近鉄奈良駅西北出口①番乗り場からバス
◇JR奈良駅から徒歩20分
◇JR奈良駅中央口①番乗り場からバス


春日大社

◇奈良県奈良市春日野町160

興福寺

◇奈良県奈良市登大路町48番地

東大寺

◇奈良県奈良市雑司町406-1

奈良市観光協会HP

◇http://narashikanko.or.jp/event/index.phpm=d&id=20 
http://narashikanko.or.jp/yamayaki/ 



■1月28日「島根、出雲大社 福神祭」です。■
120119_10.jpg八雲立つ出雲の国が神の国、神話の国として知られる出雲大社の御祭神「大国主大神:おおくにぬしのおおかみ=だいこくさま」「天の下造らしし大神」と呼ばれます。

日本の国を国づくりされた大国主大神は、その国土を皇室の御祖先神である天照大御神に「国譲り」されました。そして、目に見える世界である「現世・うつしよ」は天照大御神が、目に見えない世界である「幽世・かくりよ=神々の世界・霊魂の界」は大国主大神が治めることになりました。

大国主大神は幽世にて「幽(かく)れたる神事」を司り、目に見えない様々な「ご縁」を結ばれる大神として八百萬の神々と共にお話し合いをなさるのです。
 
160221_21.jpg大国主大神といえば「縁結びの神さま」といいますが縁結びとは単に男女の仲を結ぶことだけでなく、人間が立派に成長するよう、社会が明るく楽しいものであるよう、すべてのものが幸福であるようにと、お互いの生成のためのつながりが結ばれることです。

「むすび」の御神徳とは、子供の幸福を願って教導保護する親のように、大国主大神が私たち人間の幸福の縁を結んで下さることです。

「福神祭」とは、旧正月元旦にあたる日に参拝者が神楽殿大広間に「お籠もり」をして、旧正月を大黒様の御許で迎えるという神事です。

福神祭がお仕えされる午前1時は「子(ね)の刻」、「子」は干支の始まりです。子の意は、種子が新しい生命を宿して芽吹きはじめることから。物事のはじめであり、生きとし生けるものの生命のはじまりの子の刻に、この年の「福縁」が祈られます。

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福神祭が終わるや否や、神楽殿内では「紙垂取り」が始まり、殿内に張り巡らされた注連縄の紙垂を競ってもらい受けます。この紙垂は竹の先につけて田畑に立てたり、神棚にお祀りすると五穀豊穣・家内安全などの福縁を招くとされています。
 
その後「純金福神御像」などが当籤する福授け抽籤が行われ、殿内は興奮と熱気に包まれます。

出雲大社
◇島根県出雲市大社町杵築東195
◇一畑電鉄「出雲大社前駅」徒歩7分
◇公式HP
http://www.izumooyashiro.or.jp/

■1月28日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
暦の上では、二十四節気「大寒」です

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月27日「小田原、道了尊大祭」です。■
120119_20.jpg曹洞宗大雄山「最乗寺:さいじょうじ」は、全国に4千余の門流を持つ寺院です。本尊に「釈迦牟尼仏」、脇侍仏として「文殊菩薩・普賢菩薩」を奉安する修行道場で、6百年の歴史を持つ関東の霊場として知られます。

応永8年(1401)「了庵慧明:りょうあんえみょう」によって開山され、東国における通幻派の拠点となりました。

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「了庵慧明禅師:りょうあんえみょうぜんじ」は、相模国大住郡糟谷の庄(現在の伊勢原市)生まれ。地頭の職にあった了庵は、戦国乱世の虚しさを感じ、鎌倉の「不聞禅師」について出家。能登總持寺、永沢寺、近江總寧寺、越前龍泉寺、能登妙高庵寺など、通幻禅師の後席すべてに住持し、「大本山總持寺」に輪往。50才半ば相模国に帰り、曽我の里に竺土庵を結びます。

ある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟を掴んで足柄の山中に飛び、大松の枝に掛けるという奇端を現じました。この啓示によって山中に大寺を建立し「大雄山最乗寺」と号しました。
 
「道了尊大祭」は、正月・五月・九月の大祭の月27、28日の両日に行われます。

道了尊⇒http://www.daiyuuzan.or.jp/history/index.html
大雄山最乗寺⇒http://www.daiyuuzan.or.jp/index.html
◇神奈川県南足柄市大雄町1157
◇伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山駅」バス10分
◇東名高速道路「大井松田IC」20分

■1月27日「国旗制定記念日」です。■
日本の国旗は「日の丸」と呼ばれますが、正式な名称は「日章旗:にっしょうき」と呼びます。

120119_19.jpg国旗及び国歌に関する法律(平成11年8月13日公布・即日施行)では、
第1条「国旗は日章旗とする」
第2条「国歌は君が代とする」
とあります。規定では旗の形は縦が横の3分の2の長方形。日章の直径は、縦の5分の3で中心は旗の中心。色は、地は白色、日章は紅色とされています。


聖徳太子遣隋使に託した文書に、自国を「日出ずる国」とした記述がありました。日の丸は日の出の太陽を象徴しています。また、国名の「日本・日ノ本」からも太陽(日の出)を意識し「日が昇る」という自然現象を大切にしていたことがうかがえます。紅白は日本の伝統色で「めでたいもの」とされており、「赤」は博愛と活力、「白」は神聖と純潔を意味するとも言われています。因みに「あか(赤)」の語源は「あかし(明し・あかるい)」と同じ意です。

世界の歴史でも太陽が赤で描かれることは珍しく、太陽は黄色または金色、それに対して月は白色または銀色で現すのが一般的です。日本でも古代から赤い真円で太陽を表していたという訳でありません。様々な表現が原型となって、白地赤丸の日章旗が生まれたようです。

一説には源平合戦の結果で、布告平氏は「赤字金丸」を、源氏は「白地赤丸」を使用しました。
平氏が滅亡し、源氏によって武家政権ができると代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の「日の丸」が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったとも伝わります。

明治3年(1870)1月27日制定の太政官布告
第57号郵船商船規則(商船規則)に基づき、日本船の目印として採用されました。規格は縦横比は7対10。日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされ、以後、日章旗は国旗としても扱われるようになりましたが、法的な裏付けはありませんでした。


150125_23.jpg終戦後、連合国軍総司令部の指令により日章旗の掲揚が原則禁止されました。この間、商船旗としては国際信号旗のE旗に基づいた旗で代用。祝日に限定した特例としての日章旗掲揚許可を経て、昭和24年(1949)より日章旗の自由掲揚が認められました。

1990年代末から学校の式典等における日章旗掲揚に係わる問題が頻発し、掲揚に反発する教職員とのトラブルから高校校長に自殺者が出るまでに発展しました。これを機会に平成11年(1999)国旗国歌法が公布され、正式に国旗として定められたのです。

150125_24.jpg大多数の日本人は国旗国歌法の制定前から日章旗を国旗と、して受け入れていました。日章旗は、沖縄県では1945年から1972年までのアメリカ軍統治時代には、日本帰属を求める象徴でしたが、日本復帰後には一転して第二次世界大戦中の悲劇を象徴するものとして憎悪する傾向が現れたのも事実です。

この日、国旗掲揚して制定記念を祝います。国旗は原則として日の出から日没まで掲揚します。屋外で国旗のみを掲揚する場合は、門の内側から見て右側、門の外側から見て左側に掲揚します。国旗は常に旗竿の最上部に接して掲揚されなければなりません。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
反日感情が強い中国や韓国では日章旗を燃やすシーンが報道されました。気持ちのいい人はいないでしょう。
日の丸を誇りを持てる国旗にするためには、乱雑な扱いはやめてほしいものです。

今年に入り、強力な感染力のノロウイルスの流行が報道されています。予防はうがいに手洗い、外出にはマスクです。時節柄読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月27日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■1月26日は「文化財防火デー」です。■ 150125_20.jpg
文化財防火デーの制定は、昭和24年1月26日に現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂が炎上し、壁画が焼損したことから制定が検討されました。 

この事件は国民に強い衝撃を与え、火災など災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論が高まり、翌昭和25年(1950)に文化財保護の統括的法律として「文化財保護法」が制定されました。 

 当時のロンドン・タイムズの東京支局長フランク・ホーレーも「法隆寺は外国人にとっても非常に興味を持たれている法隆寺が焼けてしまったと聞いたらどんなに悲しむことか日本人はこうした「貴重なもの」の取扱いが全く下手でデタラメだ」と落胆して語りました。 

 同じ年2月には愛媛県の松山城の「筒井門」など3棟が、6月には北海道の「松前城の天守など2棟」が焼失してしまいました。半年の間に3件の国宝(当時)が火災に遭ったのです。

その後、消失から5年後の昭和29年11月3日に、法隆寺金堂の修理事業が竣工したことから、文化財保護に関する行政の対応も確立したのです。文化財保護思想の一層の普及、徹底を図るために普及啓発事業が行われるようになりました。 
150125_21.jpgその一環として、法隆寺金堂の焼損した日であること、1月と2月が1年のうちで最も火災が発生しやすい時期であることから、昭和30年(1955)当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)国家消防本部(現在の消防庁)1月26日を「文化財防火デー」と定めました。

文化財を火災・震災その他の災害から守るとともに、全国的に文化財防火運動を展開し国民一般の文化財愛護に関する意識の高揚を図っています。 昭和25年(1950)の「文化財保護法」施行以降に指定された日本の国宝建造物には火災で焼失した例はありません(平成20年4月までのデータ)。
平成16年(2004)の第50回文化財防火デーの際には、記念事業として、文化財防火・保護に携わってきた54団体に「文化財防火功労賞」が贈呈されました。

昭和30年の第1回文化財防火デー以
来、毎年1月26日を中心に、文化庁・消防庁・都道府県・市区町村教育委員会・消防署・文化財所有者・地域住民などが連携・協力して、全国で文化財防火運動を展開しています。

150125_22.jpg平茂27年1月の第61回文化財防火デーでは、重要文化財「丸岡城天守」(福井県坂井市)をはじめ、全国各地の文化財所在地で防火訓練等が行われます。 文化財は、我が国の長い歴史の中で生まれ、育まれ、今日まで守り伝えられてきた貴重な国民の財産です。災
害から貴重な文化財をみんなで守り、後世に伝えていくため、文化財周辺地域の住民の皆様をはじめ多くの方々の「文化財防火デー」行事への参加をお願いいたします。(文化庁HP他より)

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

退官された藤崎駐米大使によると、日本の良さは「アカセキレイ」だそうです。安全・確実・清潔・規律・礼節のことで、山手線が1分単位で遅れずに運転されているのも、日が暮れてから女性が一人コンビニエンスに買い物に行けるなど安全です。
中国人観光客の日本の第1印象は「キレイ」、第2に「親切」だそうで、リピーターも増えているそうです。 「文化財防火デー」を機会に私たちも身近にある文化財を知っておきましょう。
1月後半になってインフルエンザが大流行しています。外出の際にはマスクを忘れずに!
筆者敬白


■1月26日「道元禅師誕生会」です。■
120119_17.jpg曹洞宗の開祖「道元:どうげん」は、鎌倉時代初期の禅僧。宗内では「高祖」と尊称され、一般には「道元禅師:どうげんぜんじ」と呼ばれます。晩年に希玄という異称も用いていました。日本に歯磨き洗面、食事の作法や掃除の習慣を広めたといわれます。

俗性源氏、村上天皇九代の後胤(こういん)内大臣「久我通親:こが みちちか」公を父とし、摂政松殿(藤原基房・ふじわらもとふさ)公の娘を母として、正治2年(1200)1月2日京都に誕生。3歳で父を失い、8歳で母の亡に逢い、世の無常を感じて13歳の春に比叡山横川般若谷に出家しました。

真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと渡宋。天童山景徳寺の「如浄禅師」に入門し修行。南無釈迦牟尼仏として釈迦を本尊と仰ぎ、ひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐:しかんたざ」の修行に打ち込み、天童如浄より印可を受け、4年余の滞在を終えて帰国。

日本へ戻った道元は「建仁寺」に住し、のちに深草に「興聖寺」を建立して説法と著述に励みます。「白山信仰」に関連する「吉峰寺」(天台寺院)に移り、ひと冬を過ごしますが、翌年には里に近い土地に「傘松峰大仏寺」を建立。これが「永平寺」の開創で、寛元4年(1246)に山号寺号を「吉祥山永平寺」と改めました。
 
この日、曹洞宗では高祖道元の誕生会が行われます。
 
永平寺
◇福井県永平寺町志比5-15
◇参考Web:
http://www.mitene.or.jp/~katumin/

總持寺
◇神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
◇公式Web:
http://www.sojiji.jp/

■1月26日「天理教本部 春季大祭」です。■
120119_18.jpg「天理教:てんりきょう」は、日本の新宗教の一つで、「親神天理王命:てんりおうのみこと」を崇拝の対象とします。

教祖・中山みきは、40歳の時に親神天理王命が天降りて憑依し、中山みきが親神のやしろと定まり、その口を通して親神の意志が伝えられました。天理教はこの日を立教の元一日と定めています。

明治18年、教祖78歳の時、人類発祥の場所「ぢば」が示されました。これを「ぢば定め」と呼びます。神道本局から神道直轄六等教会設立認可。「神道天理教会」として布教が公認され、平成19年には、教祖120年祭を迎えました。

教祖が、子供である人間を助けたいという親心から定命を25年も縮めて身を隠したといわれる明治20年(1887)陰暦正月26日を偲び、春季大祭が行われます。祭典が執り行われ人類の故郷「ぢば」には、この日をめざして教祖を慕う多くの人々が集います。

天理教本部
◇奈良県天理市三島町271番地
◇公式Web
http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/

■1月25日~2月5日「八専(はっせん)」です。

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暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。同じ気が重なることを「専一」と言いい、それが8日あることから「八専」と呼びます。八専の期間には同気の重ならない日が4日あり、これを「八専期間中の間日(まび)」と呼びます。

《日にち》  《干支》 《五行》  《コメント》
月25日         壬子 =水水、 ←水の気が重なる
26日     癸丑 =水土、 間日(まび)
27日     甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
28日     乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
29日     丙辰 =火土、 間日(まび)
30日
    丁巳 火火、 ←火の気が重なる
31日     戊午 =土火、 間日(まび)
2月01日    己未=土土、 ←土の気が重なる
02
日     庚申 =金金、←土の気が重なる
03日     辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
04日     壬戌 =水土、 間日(まび)
05日       癸亥 =水水、 ←水の気が重なる

間日(まび):
このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。

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八専の期間は「天干てんかん」と「地支:ちし」が同じ気なので、気が偏って良い事はますます良く、悪いことは更に悪く傾きやすくなります。これは、振幅の激しい期間で、準備を怠らなかった人には良い結果が、場当たり的な対応をした人にはそれなりの結果が訪れます。

古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。他にはギャンブルなど、努力が伴わない行動は避けましょう。


※淮南子
=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書

「八専」はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
新年の「八専」が終ると立春です。「八専」が終るとなぜか余裕ができます。この機会に新しい計画を立てるなど、八専の作用を存分に活用すれば、物事が確実に成就していきます。いわゆる「準備」、「事始め」の期間が「八専」と言えます。
難しい問題や逆境にある方が、ここで一大決心をすると、大自然が味方になって、良い作用が発現した例を数多く聞き及びます。

昨年から新年では爆弾低気圧の影響で、北海度や日本海側では豪雪でした。報道によると千歳空港では着陸した航空機が雪の影響でオーバーランするなど、地表の寒さもひとしおです。
日が沈む朝晩は急激に冷え込み、体調を崩しやすい時期です。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月25日「初天神」です。■
毎月25日は、菅原道真の命日にちなむ「天満宮の縁日」です。その年の初めの25日を「初天神」と呼び、新春の参拝者で賑わいます。

天神は文字通り「天の神:アマツカミ」で、天変地異を支配する神が天神とされ、雷電鳴動はその神威であると考えられていました。

非業の死を遂げた人の怨霊が天に響いて雷電を起こすと考えられ、この天神と御霊神が結びつき、菅原道真の代名詞となりました。

菅原道真は学問の神様としても有名です。


■1月25日「東京、亀戸天神 うそ替え」です。■
120119_15.jpg「亀戸天神社:かめいどてんじんしゃ」は、菅原道真を祀る天満宮です。通称、亀戸天神、亀戸天満宮、東宰府天満宮。

正保年間(1646)菅原道真の末裔で九州の太宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため諸国を巡ったところ、江戸の本所亀戸村に辿り着き、村に元々あった天神の小さな祠に、道真ゆかりの飛梅で彫った「天神像」を奉祀したのが始まりです。

当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は、復興開発事業の地として本所の町を定め、四代将軍・徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進しました。寛文2年(1662)地形から社殿、楼門、回廊、心字池、太鼓橋など、九州の太宰天満宮にならい造営されました。

総本社「太宰府天満宮」に対し、東の宰府として「東宰府天満宮」、また、「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されましたが、明治6年(1873)、府社となり「亀戸神社」、昭和11年(1936)には現在の「亀戸天神社」となりました。

「鷽替神事:うそかえしんじ」は、例年1月24~25日に執り行われます。

120119_13.jpg「鷽:うそ」は「幸運を招く鳥」とされ、毎年新しいうそ鳥に替えると、これまでの悪い事が「うそ」になって一年の吉兆を招き、開運・出世・幸運を得ることができるという。江戸時代には、多くの人が集まってうそ鳥を交換する習わしがありました。現在は、神社に納めて新しいうそ鳥と取替えます。

うそ鳥は、日本海沿岸に生息するスズメ科の鳥。太宰府天満宮の祭りの時、害虫を駆除した鳥ということで天神様と縁があります。また、「鷽」の字が「學:がく」の字に似てることから、学問の神様である天神様との繋がりが深いと考えられます。

両日、縁起物「木彫りの鷽」が授与されます。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」

亀戸天神社
◇江東区亀戸3丁目6番1号
◇Web
http://www.kameidotenjin.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
天神様の鷽替え神事です。日程はまちまちですが、年に2日執り行うところや新年早々、または年の瀬に執り行い新年は清い気持ちで迎えるなどなど、さまざまです。
商売上の方便や相手を気遣ううそなど、
不動産業の方には是非神事に参加して欲しいものです。

筆者敬白

 

■1月25日「法然上人忌:大遠忌」です。■
120119_16.jpg「法然上人:ほうねんしょうにん」は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、浄土宗の開祖。円光大師ともいいます。

長承2年(1133)美作の国(岡山県)で誕生、叔父の観覚のもとへ身を寄せ、比叡山へ昇ることになります。比叡山でも奥深い黒谷青竜寺に住する叡空の門をたたいて「一切経」を学びました。叡空から18歳にして法然房という房号をもらいます。(正式名称は法然房源空)

承安5年(1175)43歳の法然上人は浄土宗を開き上人の禅房には、民衆が連日群れをなしました。そのため比叡山、京都、奈良の各宗派から、法然上人を問いただそうと「大原問答」が行われました。一昼夜に及ぶ論戦は、54歳の法然上人に軍配が上がり「智慧第一」「本願念仏の教え」は、より広がっていくことになります。

宮中では関白九条兼実、貴族関係者。源氏・平氏を問わず武士達。諸宗のお坊さんや、弟子達はいうに及ばず、下は盗賊や遊女にいたるまで、身分の上下を越えて平等に教えを説くお坊さんは歴史上でも珍しいとされています。

九条兼実は、「心得ないこともあるので、なにとぞ書物にして欲しい」との懇願にこたえて、65歳とき『選択本願念仏集』(略して選択集:せんちゃくしゅう)著しました。現在800年を経た今日にいたるまで伝えられ、浄土宗において聖典として経典同様に読まれています。

75歳で無実の罪で四国へ流され、約5年ぶりに京都に戻り大谷の禅房(現在の総本山知恩院)で高齢と疲労が重なり病床につくようになりました。亡くなる2日前、弟子の一人が形見に一筆下さいと懇願をしたところ『一枚起請文』を書き残しました。

建暦2年(1212)1月25日没(御歳80)。浄土宗では、その恩恵を偲んで法会(大遠忌)が営まれます。法然上人の法要を「御忌(ぎょき)」と呼び、報恩感謝の「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えます。

◇知恩院、1月25日、御祥当忌月(ごしょうとうきげつ)法要◇

6:50   晨朝法要(法然上人御堂)
7:40頃 晨朝法話(  〃  )
8:30    諸堂参拝(御廟周辺)
10:20  日中法話(法然上人御堂)
10:30  御祥当忌月法要(勢至堂)
10:50  日中法要(法然上人御堂)
11:30  別時念仏会(御廟 拝殿)
14:00  念仏行脚 (京都市内)

◇知恩院
京都市東山区林下町400
京都駅から市バスで「知恩院前」5分
阪急電鉄河原町駅徒歩15分
京阪電鉄祇園四条駅から徒歩10分


■1月25日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「
万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

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但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
すでに1月に入って25日経過しました。季節は冬から春への変わり目でなのす。
インフルエンザが流行しています。体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月24日「東京、巣鴨とげぬき地蔵尊大祭」です。■
120119_11.jpg萬頂山「高岩寺:ばんちょうざん こうがんじ」は曹洞宗の寺院で「とげぬき地蔵」と呼ばれ有名です。

江戸時代の頃、武士の田付又四郎の夢枕に立った「地蔵観音のお告げ」によって地蔵尊の姿を描いた紙を川に流すと、たちまち妻の病が回復したと伝わります。

これが「御影」の始まりとされ、毛利家の女中が針を誤飲し、御影を飲み込んだところ、針を吐き出すことが出来たという逸話から「とげぬき地蔵」と呼ばれるようになりました。

「御影:みかげ」とは、秘仏である延命地蔵尊をもとに書かれた「和紙の札」。(縦4㎝×横1.5㎝) 諸病の治癒改善にも利益があるとされ、現在に至るまでその利益を求めて参拝者が絶えません。

他に、洗い観音像が有名です。縁日は毎月4のつく日に行われ、1・5・9月の24日は例大祭が行われます。

巣鴨駅前商店街は、高齢の女性が多く訪れることから「おばあちゃんの原宿」と呼ばれ、買い物客や食事を楽しむ人々で賑わいます。
 
とげぬき地蔵
◇東京都豊島区巣鴨3-35-2
◇とげぬき地蔵商店街
http://sugamo.or.jp/prayer_detail01.html

 

■1月24日「初地蔵」です。■
毎月24日は「地蔵の縁日」です。縁日の地蔵は、地蔵講に由来します。地蔵講とは、地蔵菩薩の功徳を講讃する法会のことです。

「地蔵菩薩:じぞうぼさつ」は、サンスクリット語で「クシティ・ガルバ/kSiti gharbha」。仏教の信仰対象である菩薩の一尊です。

kuksi「大地」と、garbha「胎内・子宮」の合成語で、その意訳を「地蔵」と言います。また、持地・妙憧・無辺心とも訳されます。

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地蔵菩薩は釈迦仏の委託を受けて、その入滅後、弥勒菩薩の出世(56億7千万年後)までの間の無仏の期間、釈迦に代わって六道の一切衆生を救ったという。特に、地獄の衆生を化導し、代わりに苦しみを受ける菩薩とされます。

最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古来より絶大な信仰の対象となりました。また、地蔵は子供の成長を守り、その死後、賽の河原で苦難を救うと伝えられ、子供の守護仏として信仰されています。

日本では、多く顎鬚や髪を剃り落とし、袈裟を着た形相円満な像を石で刻み、左手に宝珠、右手に錫杖を持つ姿が一般的です。

地蔵に参詣すると、「地蔵の十福」といって「女人泰産・身根具足・衆病疾除・寿命長延・聡明智慧・財宝盈益・衆人愛敬・穀物成熟・神明加護・証大菩提」の10の福が得られるといわれます。
 
真言は「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」(Aum ha ha ha vismaye svaahaa)

※六道:天道(てんどう、天上道、天界道とも)、人間道(にんげんどう)、修羅道(しゅらどう)、畜生道(ちくしょうどう)、餓鬼道(がきどう)。地獄道(じごくどう)

■1月22日「黙阿弥忌」です。■
120112_23.jpg「河竹黙阿弥:かわたけもくあみ」は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者です。本名は吉村芳三郎。俳名・其水。別名・古河黙阿弥

14歳のときに道楽が過ぎて勘当され、狂歌・茶番・俳句などで活躍。天保6年(1835)歌舞伎・狂言作者の五代目鶴屋南北の門下に。記憶力が抜群で「勧進帳」の台詞を暗記して舞台の後見を努め、七代目市川団十郎に認められます。

黙阿弥の歌舞伎の特徴は「黙阿弥調」と称される華麗な台詞にあります。歌舞伎界では「厄払い」と呼ばれ、リズミカルな七五調に掛詞・縁語を駆使し、一人で或いは複数で語ることでオペラの「アリア」や「二重唱」のような効果を上げています。

白浪物(盗賊が主人公となる)を得意としましたが、そこに登場する悪人たちは、むしろ小心で時代や因果に翻弄される弱者です。鶴屋南北と比較されますが、ふてぶてしい悪人が登場する鶴屋南北の歌舞伎との大きな相違点です。

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明治以降は、能楽風の新しい舞踊である「松羽目物」の作詞を担当。晩年は自作脚本を全集本「狂言百種」として発売し歌舞伎の普及に努めました。

生涯に発表した作品は三百余坪内逍遙は、黙阿弥のことを「江戸演劇の大問屋」「明治の近松」「我国の沙翁(シェークスピア)」などと高く評価しました。

坪内逍遙(つぼうち しょうよう):主に明治時代に活躍した小説家、評論家、翻訳家、劇作家。代表作に「小説神髄」「当世書生気質」およびシェイクスピア全集の翻訳。

江戸・日本橋生まれ。明治26年1月22日没。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
私達一般的な庶民は、江戸や明治の歌舞伎や狂言をまったく知りません。近年では、昭和生まれの筆者でも「明治は遠くなりにけり」と感じます。
まして江戸時代後期の文化などは、昔という言葉で括れるほどです。日本の誇れる文化に「故人を偲ぶ」というものがあります。江戸末期から明治初期の狂言など、触れてみることも余裕の一つです。
筆者敬白

■1月21日「初大師」です。■
120112_22.jpg毎月21日は「大師の縁日」です。初大師は、その年の初めての縁日で、関東では「川崎大師」の「初大師」、関西では「東寺」の「初弘法」が有名です。この日大師参りと称して大師堂に参拝します。
 
「弘法大師」は中国から真言密教をもたらした真言宗の開祖の「空海:弘法大師」のことです。天台宗の開祖「最澄:伝教大師」と共に、日本仏教の大勢が、今日称される平城仏教(奈良仏教)から平安仏教へと転換していく流れの劈頭に位置しています。また、空海は能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に書家「三筆」のひとりに数えられます。
 
承和2年(835)3月21日、62才で入寂。高野山奥の院御廟で「空海は今も生き続けている」と信じられいます。故郷の四国において山岳修行時代に遍歴した霊跡は「四国八十八箇所」に代表されるような霊場として残り、「四国八十八箇所巡り」など霊場巡りは現代でも幅広く大衆の信仰を集めています。
 
川崎大師(平間寺=真言宗智山派の大本山)
◇神奈川県川崎市川崎区大師4-48 
◇公式Web
http://www.kawasakidaishi.com/


東寺(教王護国寺=東寺真言宗総本山)
◇京都府京都市南区九条町1
◇公式Web
http://www.toji.or.jp/

◆二十四節気◆平成29年1月20日「大寒(だいかん)」です。◆
120112_20.jpg1月20日06時24分「大寒」です。
旧暦12月、丑(うし)の月の中気で、天文学的には太陽が黄経300度の点を通過するときをいいます。
冬、最後の二十四節気です。

一年で最も寒い季節で「極寒の絶頂期」になります。
大寒を暦便覧では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説いています。

各地で一年の最低気温が記録される頃。
大寒の水は腐らないとされていて、昔は保存用として汲み置かれました。
武道では、寒稽古が行われます。この頃から酒や味噌などの仕込みの時期です。

沢は凍り付いていますが、路地では蕗の花が咲き始め、ひばりの初鳴きも聞かれる頃。
鶏が卵を孵し始めます。
寒の内も後半、すぐそこに春が感じられます。

◆「寒の入り」「寒の内」◆
大寒は小寒から数えて15日目に当ります。小寒から大寒の期間を「寒の入り」と言います。
それに、大寒から立春までの15日間を合わせた30日間を「寒の内」と言います。
昔から酒や味噌などの仕込みの時期とされています。

「蕗・ふき」 「蕗の薹:ふきのとう」キク科フキ属の多年草
冬に黄色い花をつけることから「冬黄(ふゆき)」の略。語源はギリシャ語の「つば広の帽子」。
原産は日本で、水が豊富で風の強くない土地に繁殖します。
開花時期は2月10日頃~3月末。

春の山菜の代表で、冬眠から目覚めた熊が最初に食べるのが「蕗の薹」です。
蕗の薹は、花が咲く前の柔らかいうちに食します。
旬の蕗の薹はどのように調理しても美味しいです。

花が咲いたあと、地下茎を通じている葉の部分が延びてきます。
この葉の茎の部分が「フキ」として食用になります。

「寒稽古・かんげいこ」
寒の時期、武道や芸事の修練を行うことをいいます。寒さに耐えながら稽古をすることによって、技術を磨き、精神を鍛えるのが目的です。

神道、修験道、仏教などで寒行と称して、海や川などの水に入る、滝に打たれるなどの行を指します。 

120112_21.jpg◆◆「七十二候」◆◆
◆初候「款冬華」(かんとう はなさく)
寒さ厳しい中に、蕗の薹(ふきのとう)がそっと蕾(つぼみ)を出す時候。款冬の花茎を蕗の薹といいます。厳冬に氷を破るように生える様から、大寒の頃に咲く花ですが、春の使者として俳句では春の季語に入れます。
◆次候「水沢腹堅」(すいたく ふくけん)
沢に氷が厚く張りつめる時候。
◆末候「鶏始乳」(にわとり はじめて にゅうす)
鶏が春の気を感じて卵を産み始める時候。鳥が卵を産むこと。
 
◆◆ 「大寒」の花 ◆◆
◇「福寿草」ふくじゅそう◇ キンポウゲ科の多年草 
学名:Adonis amurensis Regel et Radd.

キンポウゲ科の多年草。多数の堅い根をもつ短い根茎から数個の花茎を出します。花茎は初め短く、包葉状の葉に包まれて先端に花をつけますが、やがて伸びて細裂した3回羽状複葉を互生し、30センチメートル以上になります。

花は光沢のある黄色で、日が当たると開き花期後、金平糖のような集合果ができます。日本から朝鮮半島、シベリアに分布。日本では本州中部以北、北海道に多く見られます。

寒さに強く山の北東斜面の落葉樹林に多く自生しています。花形や花色に個体変異が多く、弁先が裂けたナデシコ咲きや、紅色花の品種もあります。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
正月も「二十日正月」「大寒」の頃になると通常の生活戻っているどころか、もうすぐ2月が訪れます。
節分で次の日が立春です。中国など旧正月の習慣が濃いところは立春の頃「立春大吉」として正月祝いを行う習慣が残っています。
季節の変わり目で、油断から体調を崩しやすい時期です。読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■1月20日「二十日正月」です。■
120112_19.jpg「二十日正月:はつかしょうがつ」とは、正月の終わりとなる節目の日。この日をもって正月行事は終了とします。正月祝いの納めとして仕事を休む「物忌み」の日

正月にお迎えしていた山の神さま、田畑の神さまがお帰りになる日と考えられていました。神さまがお帰りになるので前夜の十九日晩には、尾頭付きのお膳や、小豆御飯をお供えする地方もあります

この日には正月の飾り物などは外して、正月行事を締めくくる日とされています。世知辛い現代では、20日まで正月の習慣はすっかり無くなっています。


京阪神地方では、正月に用いた鰤(ぶり)の骨や頭を二十日の間、酒粕の中に入れておき、この日に取り出して、牛蒡(ごぼう)や大根、大豆などと一緒に煮て食べます。このことから「骨正月」「頭正月」と呼びます。

東日本では「棚探し」、岐阜県では「フセ正月」、石川県では「乞食正月」、岩手県では「二十日ワッパカ」といって、正月のご馳走や餅などを食べ尽くす風習があります。

◆暦の上では十一日に行われることの多い「鏡開き」ですが、江戸時代の初期の頃、この日が鏡開きの日でした。

この日は武家の象徴である、鎧兜・具足に供えた餅をお雑煮にして食しました。これを「具足開き」と呼んで祝いました。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
正月七日の「七草」、十一日、十五日と「正月終い」の行事はそれぞれですが、正月終いの行事もこの二十日正月でいよいよお開きです。
既に今年の目標を立て日々精進している皆様はさて置き、いまだ正月気分の抜けていない方は1月20日に今年の目標を立てて邁進してください。
三日坊主にならないような目標が大切です。今年こそはと毎年志を立てても、挫折の連続だと嘆いている貴方、それこそ「今年こそは」と志を高く持ちましょう。
筆者敬白

■1月19日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

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■1月19日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

■1月18日「初観音」です。■
120112_17.jpg毎月18日は「観音の縁日」です。1月18日は「初観音」として諸所の観音様へ人々が参詣します。

縁日の観音は、観音講に由来します。京都清水寺の清水講は特に有名です。

「観音菩薩:かんのんぼさつ」は、梵名アヴァローキテーシュヴァラ。仏教の菩薩の一尊で、特に日本において古代より広く信仰を集める尊格です。「観世音菩薩:かんぜおんぼさつ」、「観自在菩薩:かんじざいぼさつ」とも。「救世菩薩:くせぼさつ、ぐせぼさつ」「勢至菩薩:せじぼさつ」など、多数の別称もあります。

起源は、中国への仏教伝来よりも古いものと考えられます。ゾロアスター教においてアフラ・マズダーの娘とされる女神「アナーヒター」や、インド神話の「ラクシュミー」と関連があると伝わります。

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慈悲深い徳があって、世の衆生の救いの求めに応じて大慈悲を垂れ、三十三身に身を現じるといわれ、一般に「観音:かんのん」と呼ばれます。

清水寺
◇京都市バス 東山通北大路バスターミナルゆきで五条坂下車、徒歩10分
◇京都バス(土・休日のみ運行)大原ゆきで東山五条下車、徒歩10分
◇公式Web:
http://www.kiyomizudera.or.jp/

■1月17日「土用入り」です。■
120112_16.jpg1月17日07:40「土用」です。土用は、暦の上では「雑節」の一つで、太陽が黄経27度、117度、207度、297度にある時と定義され、四季に配されています。
「土用」の期間とは「二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前18日間」で、1年に4回あります。


今月は「丑の土用月」です。季節は冬から春の季節に入れ替わる期間ですが、暦の上では秋の終了の「秋の土用」で、これから
冬の旺ん」になって冬本番です。


「土用波」「土用の丑の日」「土用干し」など「土用」生活に密着していて、年中行事としての性格が強く表れています。「土用」は、陰陽五行説から発し、全ての物は「木火土金水:もく・か・ど・ごん・すい」の「五気の消長」によって生成すると説かれています。

季節ごとに五行を合わせてると、春=木/夏=火/秋=金/冬=水が当てはまり「土」が余ってしまいます。そこで、季節の変わり目の前18日間に「土」を当てはめ、この期間を「土用」としました。

土用の字義は「
土旺用事」といい「土の気が旺んになり事を用うる」の意。「用」は「はたらき」ということで、土気の最も活発になる期間ということになります。土は物を腐敗させ、姿形を変え滅する作用を司ります。

土用に入る初めの日を「
土用入り」、土用が終わる日を「土用明け」といいます。土用入りに水浴したり、期間中に「土用干し」といって衣類の虫干しをしたりします。


130114_20.jpg土用の期間中は「土公神:どくじん」なる神様が支配し、この期間は土を犯してはいけないとされました。
土を動かすこと、造作、かまどの修理、柱立、礎を置くこと、特に井戸掘り、壁塗りなど一切してはいけないとされました。
葬儀などがあっても、延期されていた程です。
ところが、土用の期間中は、一切土を動かすことが出来ないとなれば、とても不便です。

そこで、土用にも「間日:まび」を設けました。
この日は文殊菩薩のはからいで、土公神一族すべてが清涼山に集められるので、土を動かしても祟りがないということにしたのです。

◆土用に入ると、抱えている
諸問題の解決は難しいといわれています。
土用に入る前に方向性を決める、または解決する事が得策!そして、土用に入ってしまったら...決着は先送りして正解です。
また、土用の期間中は部屋の模様変えや押入れの整理も見送りましょう。


◇「土用の丑」◇
土用といえば「丑の日」、鰻の蒲焼を思い浮かべますが、この蒲焼が普及したのは江戸時代のこと。江戸時代後期に医者の「平賀源内:ひらがげんない」が知人の鰻屋に頼まれて「土用の丑の日に鰻を食べると暑さ負けしない」と宣伝。
これが大いに流行しました。古く、万葉集にも鰻が登場しますが、この頃はただ単に焼いて食べていました。

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鰻:うなぎ」の語源は「胸黄:むなぎ」から由来します。江戸では切腹をイメージするというので腹を切るのを嫌い背剥きに。大阪では腹剥きです。また、焼き方も異なっています。

大阪では鰻のことをといいます。そして鰻丼のことを「まむし」といいます。これは、ご飯とご飯の間に鰻を挟んで「マブシ」て食すからで、蛇のマムシに似ているからという理由ではありません。いつしか「マブシ」が「マムシ」に変化したのです。

◆この時期でも土用の丑の日には何といっても鰻です。
今回の「土用の丑の日」は1月26日(木)、「二の丑」はありません。

◆時節柄、体調を崩しやすいので、健康管理には十分注意しましょう。

土用が明けるのは2月4日「立春」です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
土用の期間に入ると、抱えている問題は解決しないといわれています。土用に入る前に方向性を決め、解決しておく事が得策です。
とは言っても、もの事が解決せず土用の期間に入ってしまったら、解決を焦らずに先送りして現状を維持しましょう。
正月の土用期間中、暮れからの寒気団がに日本列島を覆っています。体調を崩しやすい時期です。
ノロウイルスにインフルエンザ、
予防はマスクに帰宅したら手洗いにウガイです。くれぐれもお風邪などお召しにならないようにお気をつけ下さい。


読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月17日「臘日(ろうにち)」です。■
120112_18.jpg「臘日:ろうにち・ろうじつ」とは、二十四節気「大寒」に近い辰の日のことを指します。
日本最古の暦「具注暦」にも記載されていた暦注のひとつです。

臘日は、一年の最後の日(旧暦12月)で、大晦日・大晦・大年・大歳とも呼ばれていました。
この日には神事、嫁取りなどは避けるとされています。

「臘」の文字は「繋げる」の意と、「猟」のことです。もともと中国では「臘祭」という祭礼が行われていました。
これは、今年と来年を繋ぎ、先祖の霊に狩をして貢ぎ捧げる祭りでした。

循環暦の記述には~
「夏には嘉平と曰ひ、殷には清祀と曰ひ、周には大錯と曰ひ、秦には初て臘と曰ふ、皆祭の名也、主る者の各其行之盛日を以て祖と為し、終の日を以て臘と為す。
乃至今の臘は辰日を以て臘日に取る。
夫れ季冬は水之終る時也。辰日は土之位也。
乃ち水土を以て本と為る故に大寒に近き辰日を臘として獣を取って先祖を祭り、鬼神に報する也、是の故に季冬を臘月と曰ひ大寒に近き辰日を臘日と云ふ」
とあります。

つまり、「辰:たつ」は、陰陽五行説では「土気」で、冬は同じく「水気」なので「土剋水」となり、水気を土気で剋する(コントロールする)ために狩をして貢物を奉じて「辰の日を臘日とする」と説いています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
臘日とは古くからの習慣で現代では忘れ去られた暦です。現代に置き換えれば「肉」を供える日ということになるのでしょう。肉が手に入らない貴重な食料だった時代の名残りです。
便利な社会の中で忘れ去られた暦を振り返ることも余裕のひとつです。
暦の謂れを知ることで、古くからの習慣や生活様式を紐解くなど、私たちの生活にもゆとりを持ちましょう。
筆者敬白

■1月17日「秋田、太平山三吉神社 梵天祭」です。■
120112_13.jpg霊峰「太平山」頂上鎮座「三吉神社:みよしじんじゃ」は、天武天皇白鳳2年(674年※異説あり)創建と伝わります。

古くより薬師の峰・修験の山としての「太平山信仰」と、力の神・勝負の神を崇める「三吉信仰」がひとつになって、古来より勝利成功・事業繁栄の守護神として広く全国より崇敬を集めています。
秋田藩主・佐竹公累代の崇敬が篤く、また「戊辰の役」では、奥羽鎮撫総督九條道孝卿里宮に祈願されるなど霊験あらたかです。

三吉神社は日本全国各地、ブラジルサンパウロに祀られる三吉神社・太平山講・三吉講の総本宮として「みよしさん」「さんきちさん」と呼ばれ親しまれています。

御祭神は「大己貴大神:おおなむちのおおかみ、別称:大国主命・大黒さま」=国作りの神・縁結びの神・家庭円満の神。
少彦名大神:すくなひこなのおおかみ」=病気平癒の神・医薬の神。「三吉霊神:みよしのおおかみ」=秋田で生まれた守護神で、力の神・勝負の神・勝利成功・事業繁栄の神。を祀ります。

「梵天:ぼんてん」とは、神の降臨される象徴で、依代(よりしろ)・神籬(ひもろぎ)・幣束(へいそく)・御幣(ごへい)であり、祭場の徴章です。

120114_11.jpg梵天は、ホウズキ、鉢巻、本体、中心の棒で構成され、御幣・お守りが付けられています。
一般的な梵天は「竹で編んだカゴを、色彩豊かな布・錦で飾り付けたもの」が多く、その他、古式に則った稲穂で作られたものや、銭をさげたもの、御幣で作られたもの等さまざまな形態のものが奉納されます。

三吉信仰について(三吉神社HPより)
三吉霊神は力の神、勝負の神、破邪顕正の神である。曲がった事が大嫌いで、力持ち。弱きを助け、邪悪のものをくじく神様である。
霊験談は数多いが、明治元年戊辰役の際の霊験はあらたかであり、神さまの御神徳に感謝した秋田藩主佐竹公より太平山を遥拝する雪見御殿、すなわち現在の里宮の地を奉賽されたのである。

三吉神社
◇秋田県秋田市広面字赤沼3の2
◇JR「秋田駅」バス10分、タクシー6分
◇秋田自動車道「秋田中央I・C」~約8分
◇公式HP
http://www.miyoshi.or.jp/

■1月17日「防災とボランティアの日」です。■
150118_20.jpg防災とボランティアの日(ぼうさいとボランティアのひ)とは、平成7年(1995)12月の閣議で、同じ年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災に因んで制定された記念日です。
政府や行政の対応が遅れた一方、学生を中心とした各種のボランティア活動及び、住民の自発的な防災活動の重要性が広く認識されました。

1月15日~21日「防災とボランティア週間」

150118_21.jpg阪神・淡路大震災では、「日本のボランティア元年」と言われました。
これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、「防災とボランティアの日」の制定が決定されました。 翌、平成8年(1996)から、この日を中心に前後3日を含む計7日(1月15日~21日)が「防災とボランティア週間」と定められ実施されます。

この機会をきっかけとして、各家庭の防災対策は十分なのか、改めて確認してみることをお勧めします。

災害発生によって家族が離れ離れになったら、どうやって連絡を取り合うのか、どんな経路で避難し どこで落ち合うのかを、あらかじめ家庭内で取り決めておくことも重要です。
電話やメールが使えなくなる事態を想定しながら、確認してみましょう。

大地震発生後は、数日~数十日にわたり電気・ガス・水道・電話など各種ライフラインの供給がストップまたは大幅に制限される可能性があります。
復旧までの間は自足できるよう、食料や飲料水、非常持出品の備蓄をしておくと安心です。
また、年に数回は、備蓄品のチェック(保存状態や賞味期限の確認など)を行いましょう。

※主な非常用品です。ぜひ準備してください。

150118_22.jpg飲料水
食料
燃料(カセットコンロ、予備のコンロ用ボンベ、固形燃料、マッチ、ライターなど)
懐中電灯など明かり(懐中電灯(1人につき1個)、予備電池、ろうそくなど)
情報通信機器(停電時のために携帯ラジオ、携帯テレビ、携帯電話用充電器、予備電池など)
救急用品(傷薬、絆創膏、包帯、三角巾、常備薬など)
避難用具(ヘルメット、防災頭巾、軍手、ロープ、厚底の靴、工具類)
貴重品(現金、通帳、身分証明書等)
生活用品

※あると役立つものです。用意しておきましょう。

笛(周囲に自分の存在を知らせたい際に役立ちます)
マスク(伝染病の予防や、埃の中で作業する際に役立ちます)
使い捨てカイロ(寒冷時に役立ちます)
ビニール袋、ビニールシート、ウェットティッシュ、ラップ、新聞紙(何かと役立ちます)

※水/災害復旧までの数日間(最低3日間)必要です。

飲料水(煮炊き用を含む)は最低大人1人あたり9リットル(1日3リットル×3日分)が目安です。
このほかに洗濯、風呂、洗面用など多量の生活用水が必要となりますので、日頃から災害時に備え、より多くの水を確保しておくことが大切です。
生活用水確保のためには、浴槽に水を貼っておくと良いでしょう。

※食料/災害復旧までの数日間(最低3日間)必要です。
保存性の高いもの(フリーズドライ食品、アルファ化米、缶詰、インスタント食品など)やそのまま食べられるもの(クラッカーなど)を、最低でも3日間分、可能な限り1週間分は家庭に確保しておきましょう。
どんな食品にも賞味期限がありますので、定期的に期限を確認し、必要に応じて取り替えることを忘れずに。

※災害用伝言ダイヤル(171)・災害用伝言板(web171)

NTTグループ3社では「防災とボランティア週間」に、災害発生時の安否確認手段として運用しる「災害用伝言ダイヤル(171)」と「災害用伝言板(web171)」の体験利用を実施しています。
詳しくはHPにて

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇

いつまでもあると思うな親と金、無いと思うな運と災難
古くからの古事ことわざです。
防災とボランティアの日をきっかけとして、各家庭の防災対策は十分なのか、改めて確認してみましょう。
筆者敬白

■1月16日「賽日(さいにち)」「やぶ入り」「えんま詣り」です。■

◇賽日・えんま詣り◇
120112_11.jpg「賽日:さいにち」とは、「藪入り:やぶいり」にあたり、閻魔(えんま)に参詣する日のことです。「閻魔詣り」「十王詣」とも言います。

閻魔王の賽日は「地獄の獄卒も仕事を休み、地獄の釜の蓋もゆるむ日」とされる日。地獄に落ちた亡者達も責苦を逃れ骨休みになるとされました。奉公人の「薮入り」の日にもあたるので、人々が多く閻魔詣でに行きました。この日、寺院では参詣者に閻魔堂を開帳し「十王図」「地獄相変図」を拝観できます。

◇十 王◇
「十王」とは、人が死後に亡者となって行く冥土で、亡者の罪を裁く十人の王の総称。秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王。閻魔はその中の一王です。

エンマは梵語で「手綱」「制御」「禁止」などの意。閻魔は、人類最初の死者で、その為、大変苦労して天国(極楽)を発見し、そこの王となりました。のちに、そこへ多くの死者がやって来ます。しかし、中には悪い人もいました。そこで冥界に来た死者を裁き、悪い人を地獄へ収容するようになったとあります。

◇六 道◇
人の死後、初七日から七日ごとに上の最初の王から順に裁かれ、三十五日目には、最も重要な「六道」(=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の何処に生まれ変わるかを閻魔王が決定します。

◇やぶ入り◇
「薮入り:やぶいり」とは、正月(15日の小正月を済ませた後)と、7月16日の年2回、奉公人が休暇をもらって実家に帰ることをいいます。

120112_12.jpg

昔は、農家の息子達は口減らしも兼ねて、また商売の修行のために奉公に出ました。家内の工業としては、くず繭の糸紡ぎぐらいで、勤め人になるのは官員になるぐらいでしたので、小学校卒業や高等小学校卒で丁稚(でっち)に出たものです。

正月元日には奉公人も新年を祝いますが、2日から初荷や初売りなどで仕事をする慣わしであるため、奉公人は休みがありません。
15日の小正月を済ますと、少々の給金や小遣いを貰い、真新しい着物を身に着けて、主人からの土産を持って実家に帰ります。

両親は、普段の奉公先の苦労を労い、出来るだけのご馳走を作り、休養を取らせます。
兄弟姉妹が多い家では「薮入り」に家族が集まって、男も女も子供に帰ったものです。
現代で言う実家に帰るでしょうか。奉公人だけでなく、嫁に出た娘が夫とともに里帰りし、畑仕事の手伝いをするところもあります。

薮入りの語義については定説はありません。
「藪」というのは「草深い」の意で、都会から草深い村落に帰る意味とか。
ひとりぼっちで行き所のない奉公人や、里の遠いところのものが「藪林:そうりん」に入って遊んだのが始まりなどとも伝わります。
帰るあてのない者は、藪に入っているほか無かったのかもしれません。

正月と盆の16日は、山の神があたりを歩くので、それに会わぬよう、山仕事も休んで家に籠もっているもの、とされているところもあります。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
平成の現代では丁稚・奉公の習慣がありません。
丁稚・奉公などは死語といっていいでしょう。いつの時代でも恵まれた職場とよい同僚・上司に出会うことが大切ですね。
時代は変わっても職場の雰囲気や仕事に対する情熱は、次の世代にしっかりと伝えて行きたいものです。
思いのほか冷え込む冬です。
もうすぐ二十四節気の大寒です。大寒を過ぎたころから、寒さも峠を越します。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月16日「真宗本派親鸞聖人忌」です。■
120112_10.jpg鎌倉時代初期の僧「親鸞:しんらん」は、浄土真宗の開祖で「親鸞聖人:
しんらんしょうにん」と尊称されます。
浄土宗の開祖「法然:ほうねん」を師と仰ぎ、生涯「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、高めていく事に力を注ぎました。

承安3年(1173)4月1日京都生まれ。現在の「法界寺」(真言宗醍醐派別格本山)、「日野誕生院」(浄土真宗本願寺派)付近(京都市伏見区日野)にて、皇太后宮の大進・日野有範の長男として誕生。
母は清和源氏の八幡太郎義家の孫娘・吉光女とされます。幼名は「松若磨」「松若丸」

出家後「比叡山延暦寺」に登り、天台宗の僧として20年にわたり修行を積みますが、自力修行の限界を感じるようになり下山。
聖徳太子」の建立とされる「六角堂」(京都市中京区)へ百日参籠し、95日目の暁、夢中に聖徳太子が示現され偈句を得ます。

夢の告げに従い、夜明け東山吉水の「法然の草庵」を訪ね、岡崎の地(左京区岡崎東天王町)に草庵を結び、百日間にわたって法然の元へ通い聴聞し「専修念仏」の教えに触れ、入門を決意します
「綽空:しゃっくう」
の名を与えられ、親鸞は研鑽を積み次第に法然から高く評価されるようになります。

建永2年(1207)2月、興福寺の訴えにより「専修念仏の停止」と、4名を死罪法然、親鸞ら8名が流罪となります(承元の法難)
この時、法然、親鸞は僧籍を剥奪され、法然には「藤井元彦」の俗名を、親鸞は「藤井善信:ふじいよしざね」を与えられます。

法然は、土佐国へ、親鸞は越後国府に流されました。
親鸞は俗名に「善信」を使われた事から「愚禿釋親鸞:ぐとくしゃくしんらん」と名乗り、非僧非俗の生活を開始。以降も僧を名乗ることはありませんでした。

苦難に満ちた生涯を通して、ひたすら生まれた意義と生きる喜びを尋ね当てた親鸞は、法然上人に出遇って念仏の教えに帰し、如来の本願に生き、自らの生涯を賭けて、帰すべき生の大地を「浄土真宗」として顕揚されました。

「三帰依文:さんきえもん」「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」と教えています。
自らの生のもつ「真の意義」を明らかにできないのが人間といい、自己の生の真実に目覚め立つことが、真の誕生と説き、如来の本願に帰して生きる「新しい生の誕生」を語り伝えます。

親鸞聖人の入滅は、弘長2年(1262)11月28日(グレゴリオ暦=1263年1月16日)。
宗派によって旧暦の日付のまま新暦の日付で行われる場合と、新暦に換算した1月16日に営まれる場合があります。

浄土真宗本願寺派「西本願寺」では、親鸞聖人の祥月命日を縁に「ご正忌報恩講」(ごしょうきほうおんこう)が営まれます。
期間中、全国から僧侶、門信徒が多数参拝し、聖人のご遺徳を偲ぶとともに浄土真宗の信者としての自覚を新たにします。

浄土真宗本願寺派「西本願寺」
◇京都市下京区堀川通花屋町下ル
◇JR・近鉄「京都駅」バス
◇西本願寺HP
http://www.hongwanji.or.jp/
◇大遠忌法要http://daionki.hongwanji.or.jp/


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
15日・16日に「宗祖聖人月忌法要」があります。
以下は西本願寺からです。
「50年毎の節目にあたる、親鸞聖人の年忌法要を「大遠忌」と称して、特に大切にお勤めいたしております。
2012(平成24) 年には750回忌の「大遠忌」を迎えました。
私たち一人ひとりが共々に、聖人のご苦労をしのび、お徳を讃えるとともに、浄土真宗のみ教えを深く味わうことのできる新たな機縁とするところに、 「大遠忌」をお迎えする意義があると言えましょう。 」
とあります。

京都は底冷えで有名です。お出掛けの際には寒さ対策一枚余分にお持ち下さい。読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月16日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「
万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

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但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
1月早くも後半、正月気分から通常モードです。季節は春への変わり目です。
インフルエンザが流行しています。体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月14~15日「十四日年越し」「小正月」「小豆がゆ」です。■
120104_19.jpg14日年越しとは「小正月」の前日にあたり、年越しの日として祝います。

明けると「小正月:しょうしょうがつ」です。旧暦の正月15日(あるいは14~16日)をいいます。

元日を「大正月」と呼ぶのに対する呼び名で、近畿では「女正月」ともいいます。

月の満ち欠けを日付の基準にした「旧暦」では、1年の最初の満月の日「旧暦1月15日」が正月でした。

しかし、新暦が採用されてからは、1月1日を1年の初日としました。そこから「元日を大正月」「15日を小正月」と呼ぶようになりました。

大正月の「門松」に対して、小正月には「餅花や削り花」などを飾ります。餅花とは、餅を薄くのばして丸く平たく切って彩色したもの。削り花とは、神仏などに供える飾り棒のことです。「花正月」とも呼びます。

120105_13.jpg◇小豆がゆ◇
小正月の朝、五穀豊穣を願う農耕儀礼のひとつとして「小豆がゆ」を食す習わしがあります。

古く「土佐日記」「枕草子」などにも、小豆粥を食べたことが記されています。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
旧暦から新暦を採用してからの慣習で、明治以降の暦に載りました。皆様、15日に小豆がゆを食して枕草子の時代に思いをはせましょう。
一日でも歴史を感じることも余裕のひとつです。
筆者敬白

■1月14日「大阪、四天王寺どやどや」です。■
120107_17.jpg「四天王寺:してんのうじ」は、聖徳太子建立七大寺の一つ
山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は「救世観音:ぐぜかんのん」
「金光明四天王大護国寺:こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら」とも。
 
建立は、推古天皇元年(593)。日本書紀では、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開する為、自ら四天王像を彫って「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と誓願。
勝利の後、その誓いを果すために建立したと伝えます。
 
宗派はもともと天台宗に属していましたが、日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺で、「日本仏教の最初の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、昭和21年(1946)和宗総本山として独立宣言を出しています。
 
130104_25.jpg四天王寺では、元旦から始まる修正会(しゅしょうえ)の結願日に、六時堂の堂内にて僧侶による天下泰平・五穀豊饒祈願の「修正会結願法要:
しゅしょうえけちがんほうよう」が厳粛に執り行われます。
 
堂前には、褌(ふんどし)・鉢巻き姿の若者たちが集まり、法要中に祈祷された「牛王宝印:ごおうほういん」という魔除けの護符を奪い合うという勇壮なお祭りが行われます。この祭りを「どやどや」といいます。参詣者には牛王宝印楊枝が授与されます。
 
札所◇聖徳太子霊跡1番、新西国三十三箇所1番、近畿三十六不動尊1番、法然上人二十五霊跡6番(六時堂)、西国薬師四十九霊場16番、摂津国八十八箇所25番、西国三十三箇所番外、神仏霊場巡拝の道第43番
 
四天王寺
◇大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
◇サイト
http://www.shitennoji.or.jp/event1.html

■1月14日「仙台どんと祭」です。■
130104_26.jpg「どんと祭:どんとさい」は、宮城県を中心に行なわれる祭りの呼称。「仙台どんと祭」は全国でも最大規模で行なわれる正月送りの行事です。
 
例年1月14日に、神社の境内で正月に飾りつけた松飾りや注連縄、近在より持ち寄られた古神札や達磨等を焚き上げます。
 
この焚き上げの火は、正月の間に各家庭に訪れていた神々を送る「御神火」です。その火にあたることで、心身が清められ、一年の無病息災、家内安全、商売繁盛の加護を祈願します。他の地域では、左義長、ドント焼き、婿投げ、墨塗りなどと呼ばれます。
 
どんと祭「松焚祭:まつたきまつり」は、三百年の歴史があるとされ、仙台市の無形民俗文化財に指定されています。市内各地から神社を目指して歩く「裸参り」で有名です。
 
120107_20.jpg仙台総鎮守「大崎八幡宮」の主祭神は、「応神天皇」「仲哀天皇」「神功皇后」で、社格は村社。江戸時代に仙台で盛んとなった「卦体神」(けたいがみ:十二支の守り本尊)信仰に伴い、「乾」(北西)の守り本尊である「阿弥陀如来」とされたことから、現在でも戌亥歳生まれの人からの崇敬を集めます。
 
平安の昔、東夷征伐の際に「坂上田村麻呂」が武運長久の祈念の為に、武門の守護神「宇佐八幡宮」を勧請。鎮守府八幡宮を創祀しました。室町時代には奥州管領「大崎氏」がこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀。守護神として篤く崇敬したので「大崎八幡宮」と呼ばれました。
 
大崎氏滅後、伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷祀し、仙台開府後「仙台城の乾(北西)の方角」にあたる現在の地に祀り、その際、旧領の羽前国米沢にて崇敬していた「成島八幡宮」を共に祀りました。
 
130104_27.jpg権現造りの社殿は、桃山建築の粋を凝らした絢爛たる様式を今に伝える建造物で、その華やかさは見る者を圧倒します。現存最古の桃山建築物として、安土桃山時代の唯一の遺構として、国宝建造物に指定されています。
 
「裸参り」は、白鉢巻、白さらしを巻き、私語を慎むために「含み紙」と呼ばれる紙をくわえ、白足袋にわらじを履いて、右手には鐘を、左手に提灯を持って徒歩で参拝します。そして、御神火を渡り、火にあたるのです。
 
例年、100団体前後の約2500人が参加します。14日の午後は、一番町や中央通りなどの中心部商店街を歩いている裸参りの列が多数見られます。
 
大崎八幡宮
◇仙台市青葉区八幡4-6-1
◇JR「仙台駅」~仙台市営バス「大崎八幡宮前」下車
◇JR東日本仙山線「国見駅」徒歩15分
◇公式HP
http://www.okos.co.jp/oosaki/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
大崎八幡宮の「どんと祭」は裸参りとお焚き上げの火祭りです。全国に残る火祭りに、正月飾りのお焚き上げすることで、正月気分から通常モードにする節目の神事でした。
現代では正月2日から開店している商業施設もあり、世知辛い時代になったものです。
筆者敬白

■1月13日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
暦の上では、二十四節気小寒です。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月12日「初亥」です。■
毎月「亥の日」は「摩利支天:まりしてん」の縁日です。正月初めの亥の日を「初亥:はつい」といって賑わいます。
 
121225_33.jpg摩利支天は「日光」(陽炎:かげろう)を神格化したもので、日天に属し、国家と国民を守るという女神です。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かないといいます。
 
あるいは「威光」と訳され、インド神話の風神のひとつで、常に太陽に付き従って自在の通力を持つといわれる女神とされています。摩里支、末利支とも表し、摩利支菩薩、摩利支提婆とも称します。
 
「仏説摩利支天菩薩陀羅尼経」によれば、常に日の前に居て、日に仕えるが、その姿は日から見えず、また人からも見ることは出来ません。故に、人に捉えられたり欺誑されることもなく、害されたり、また怨まれる者に自分のことを知られることがありません。
 
摩利支天を念ずると一切の災いを免れ、身を隠す術を得ることが出来るという。諸天善神の中で最も霊験あらたかな守護神といわれ、武勇の神として祀られ、中世に武士の守り本尊として信仰を集めました。護身・隠身・遠行・得財・勝利にご利益があるといわれます。
 
その像の多くは「八臂:はっぴ」あるいは「三面六臂:さんめんろっぴ」※で、金剛猪身に乗る天神像などで表されます。猪の上に立つことから「亥の日」が縁日となりました。


121225_34.jpg
臂(ひ):
手(腕)の数。八臂=八本の腕がある。
三面六臂:三つの顔と六つの腕をもつ意、転じて何人分かの働きをすることの例え。意味は、一人で多方面にわたって活躍すること。※「面」=顔。「臂」=手・腕。

八面六臂(類似語):もとは仏像などで八つの顔と六本の腕をもっていること。転じて多方面で、めざましい活躍をすること。

現在では、芸者や相場師などの信仰を集めています。特に、京都建仁寺の禅居庵裏の摩利支天、東京上野の広小路裏の徳大寺摩利支天が有名です。
 
建仁寺
◇京都市東山区大和大路通四条下る小松町
◇JR「京都駅」~バス タクシー10分 
◇HP
http://www.kenninji.jp/  

徳大寺
◇東京都台東区上野4丁目6番2号
◇JR山手線・京浜東北線「御徒町駅」徒歩2分
◇公式HP
http://www.marishiten-tokudaiji.com/

■1月11日「鏡開き」「蔵開き」です。■
130104_23.jpg「鏡開き」とは、正月に年神(歳神)に供えた鏡餅を下げて食べるお祝いの儀式です。鏡は円満、開くは末広がりの意とされています。家庭では一家の円満を願う行事になっています。

鏡餅は手や木槌で食べやすい大きさに砕きます。切腹を連想つながるので刃物を使いません。砕いたものを分け与えるところから「開く」という、お目出度い言葉を使っています。

また、鏡餅を食すことを「歯固め」といい、硬くなった鏡餅を食べて歯を丈夫にし、年神様に長寿を祈ると伝わります。江戸から明治以後、開いた餅を御汁粉に入れて食べるようになりました。

商家では、鏡開きの日に蔵を開き、仕事始めとして祝いました。これを「蔵開き」といいます。また、蔵を開いて蔵に供えた餅を開いて(砕いて)食べる神事を行い、今年の商売繁盛を祈願します。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
鏡餅を下げると、正月気分も終わり、通常モードに切り替わります。

小寒から大寒の頃、寒い日が続きますが、社会は新年会の時期です。年末からの暴飲暴食で体調を崩さないようになさってください。
皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月11日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■1月10日は「110番の日」です。■
151231_21.jpg1月10日は「110番の日」です。この記念日は、110番の適切な使用を推進し理解と認識を深め、社会意識の高揚を図ることを目的として設けられています。

昭和60年(1985)12月に警察庁が定めました。 1月10日という日付自体には緊急通報制度などとは全く関係なく、110番を1月10日に語呂合わせをした記念日の一例です。
ちなみに110番をはじめとする緊急通報制度が出来たのは昭和23年(1948)10月1日です。
また119番は1月19日ではなく11月9日が記念日です。

 警察庁の統計によると、平成25年中の110番通報の受理件数は約941万件と、前年より約6万件増加しています。
これは約3.3秒に1回、1年を通して国民約4人に1人の割合で通報したことになります。
 最近では、携帯電話からの通報が増えており、3件に2軒以上(67.7%)が携帯電話からの通報です。
近年、この割合は一貫して上昇の傾向にあります。
ちなみに、25年中に警察本部の通信指令室が直接受けつけた110番通報では、パトカー等に指令してから平均6分57秒で警察官が現場に到着しています。

◆110番痛報の8割が「くだらない内容」
 通報する側の理屈に迫る(日刊SPAより)
150107_21.jpg道を聞く、目が合う、自転車で追い抜く......ごく普通の行動が通報され、警察の安全情報に掲載されてしまう事態が昨今、多発している。
なぜそんなことで通報するのか。 片っ端から通報する人々の異常な論理とは・・・
主婦の片山洋子さん(仮名)は、こう話す。 「娘が帰宅途中、ゲーセンの前でたむろしていたガラの悪い男たちが、娘を見ながらコソコソと笑いあっていたそうです。目をつけられて、後日襲われでもしたら......と思って通報しました」 イメージ 凶悪事件が多発している昨今、子供が被害に遭う前に犯罪の芽を潰しておきたい親心は理解できる。
だが、「毎日似たような服を着て同じ時間にきっかり帰ってくる30代後半ぐらいの隣の男性。しかし、ある日いつもの時間を大幅に過ぎて帰ってきたので通報しました」(大橋信吾さん・仮名・44歳)という言い分は謎である。
「だって、いつもと違うのは怪しいに決まってる。星島(※'08年、マンションの隣人女性を自宅に引きずり込み殺害、遺体を解体し遺棄)みたいなことがなきにしもあらずでしょ」

特に事件や事故への緊急性がなく、本来は110番にかけるものではない苦情や問合せ、要望が増え続けています。
そこで、緊急な対応を必要としない相談などで110番通報をすると、対応が遅れる原因にもなるので、警察庁は相談専用ダイヤル「♯9110」番を更に活用するよう呼びかけています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

110番の日に当たり緊急通報制度の正しい利用を心がけたいものです。
皆様、小寒をすぎ寒さ本番の今日この頃です。マスクをした方々を見受けます。
お風邪などお召しにならないよう、お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■1月10日「初金毘羅」です。■
120107_15.jpg金毘羅の縁日は毎月10日に行われます。1月10日は「初金毘羅」といって特に信者の信仰が篤いものです。

「金毘羅:こんぴら」は、天竺霊鷲山(てんじくりょうじゅせん)の鬼神で、薬師十二神将の一つである宮毘羅(くびら)大将ともいわれます。

仏法の守護神「夜叉神王」の上首で、その像は武装し憤怒の姿ですが、魚神で蛇の形をし、尾に宝玉を蔵するといわれます。日本では、海上の守護神として祀られ、船人が最も崇敬する神となりました。

香川県琴平の「金刀比羅宮・ことひらぐう」は、「こんぴらさん」と呼ばれ親しまれています。全国金毘羅神社の総本社です。江戸時代後期には伊勢参りとともに金毘羅参りが盛んに行われました。

金刀比羅宮
◇香川県仲多度郡琴平町892番地1
◇JR土讃本線「琴平駅」徒歩20分
◇琴平電鉄琴電「琴平駅」徒歩15分
◇「高松空港」車50分
◇Web
http://www.konpira.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
※香川県の民謡「金毘羅船々」
「金毘羅船々 追風(おいて)に帆かけてシュラシュシュシュ まわれば四国は讃州(さんしゅう)那珂の郡(なかのごおり)象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(だいごんげん)一度まわれば...」
「金毘羅 み山の青葉のかげからキララララ 金の御幣(ごへい)の 光がチョイさしゃ海山雲霧(うみやまくもきり) 晴れわたる一度まわれば...」
一度聞くと耳に残る節回しです。今だからこそ「金毘羅船々・・・」です。
筆者敬白 

■1月9~16日「京都、西本願寺報恩講」です。■
120104_16.jpg宗祖「親鸞聖人」の命日にあたり、毎月15・16日に法要を営みます。

1月16日の祥月命日には、毎年1月9日~16日までの8日間「御正忌報恩講」を修行します。

「報恩講」とは、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の法要のことです。聖人の徳を偲ぶ法会の集まりのことを「講」といいます。

浄土真宗の僧侶や門徒にとっては、年中行事の中で最も重要な法要として執り行われます。
 
121228_24.jpg西本願寺
◇京都市下京区堀川通花屋町下ル
◇公式サイト
http://www.hongwanji.or.jp/guide/hoyo/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
公式Webには「親鸞聖人のご祥月(しょうつき)命日を縁に1週間営まれる本願寺最大の年中行事です。
期間中、全国から僧侶・門信徒が多数参拝し、聖人のご遺徳を偲ぶとともに浄土真宗の信者としての自覚を新たにします。」とあります。
小寒を過ぎ、寒さ厳しい頃になります。外出の祭には一枚多くお召しになってください。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月9日~10日「宵えびす」「十日えびす」■
120104_18.jpg「宵えびす」とは、「十日えびす」の宵宮祭のことです。「えびす」は「恵比寿」「戎」「夷」などと称され、「えべっさん」と呼ばれ親しまれています。その姿は左脇に鯛を、右手に釣竿をもっています。
 
もともと漁業の守り神で、海からの幸をもたらす神を象徴しています。いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神として、厚く信仰されるようになりました。

大阪では古く江戸時代の昔から、毎年1月9日は「宵戎」雑喉場(ざこば)魚市場が、戎様にゆかり深い「大鯛(雌雄一対)」「今宮戎神社」に奉献し、大漁と商売繁盛を祈願するのが吉例になっていました。
 
121228_25.jpg明治から昭和前期にかけては、もっとも盛大に美しく飾った「献鯛行列」が厳粛に繰り広げられました。現在では、雑喉場の流れを継承する大阪木津市場の人々によって「十日戎献鯛神事」が奉納されています。300年来の由緒ある古式作法にのっとり、縁起の良い鯛の初セリも境内で賑々しく行われます。
 
また、10日午前から行われる「宝恵籠:ほえかご」の行列は見どころです。芸妓衆を乗せた15挺の籠が、囃子山車、歌鳴物入りで繰り込みます。笹にいろいろな宝物を付けたものが縁起物となっています。

今宮戎神社
◇大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6番10号
◇JR「新今宮駅」徒歩10分
◇南海高野線「今宮戎駅」~バス「戎神社前」
◇十日えびす:
http://www.imamiya-ebisu.net/htm/top.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

関西では一般的な「えべっさん」です。七福神の「えびす様」のご利益拝受の神事です。境内、付近路上で流される「商売繁盛、笹持ってこい」のお囃子は耳に残ります。
活気はあっても、小寒から大寒の最中です。お出掛けになってお風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月9日「成人の日」です。■
「成人の日」は、国民の祝日のひとつ。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを法定の趣旨としています。昭和23年に制定されました。

151231_22.jpg

本来は小正月にあたる1月15日でしたが、ハッピーマンデー制度により1月の第2月曜日に改正されています。

成人を祝うしきたりは古くからありました。
加冠(戴冠)の儀として男子の元服を表したものが代表的です。
男子は
元服・褌(ふんどし)祝い、女子は裳着・結髪などの祝いがそれです。社会の一構成員になったことを承認する通過礼儀であるといえます。満20歳になった人は選挙権を持つことになります。

満20歳に達する人々を招待して成人式を催し、講演会を開いたり記念品を贈ったりする市町村もあります

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年は暖冬で数年前の成人式のような豪雪にはならなようです。以前は成人式典での馬鹿騒ぎや式典妨害などが、これも風物詩になっています。
被災地など整然と厳粛に式典が挙行され、地域の復興を誓っている成人も数多くいました。成人式は日本の旧来からの伝統文化です。成り立ちを紐解き、今後も絶やさないで継続してもらいたいものです。

筆者敬白

■1月8日「初薬師」です。■
120104_14.jpg毎月8日は「薬師」の縁日です。正月8日を特に「初薬師」と呼んで賑わいます。

縁日の薬師は薬師講に由来。薬師講は、薬師如来の徳を講讃する法会で、薬師経を百座に分けて講説・讃歎します。

「薬師如来」は、東方浄瑠璃世界の教主で、十二の大誓願を発して衆生の様々な病苦を救い、無明の持病を治す法薬を与えるという。医薬の仏として広く信仰を集めます。

121228_22.jpg

薬師如来像は大蓮華の上に座し、左手に薬壷(または宝珠)右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。大医王仏、瑠璃光如来とも。日光・月光の二菩薩を脇侍とします。
 
無明=生老病死などの一切の苦をもたらす根源。/人間が根本的に持っている無知のこと。人間の苦しみ一切は「無明」から始まる。
 
薬師寺
◇奈良県奈良市西ノ京町457
◇近鉄西ノ京駅下車すぐ。
◇公式HPhttp://www.nara-yakushiji.com/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
奈良の薬師寺では初大師縁日には大般若経転読法要があります。
新年初大師の法要にお出掛けの際には、底冷えでお風邪などお召しにならないよう、
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月8日「東京 鳥越神社 とんど焼」です。■
140105_20.jpg「とんど焼き」とは、お焚き上げ神事のことです。地域によっては「どんと」、「左義長」、「どんどん焼き」などと呼ばれています。

年の暮れからお正月を迎える準備を進め、門松を立て〆飾りや輪飾りなどで家中を清め、神棚を清めて正月をお待ちして、正月の種々の行事を七種粥のお祝いとともに滞りなくすませます。8日に家々では、お正月飾りを取り払う習わしになっています。

121228_23.jpg

とんど焼きは、宮中においても平安の昔から行われていました。神さまに関する尊いものを焼くという意味で「トホド焼き」といわれていました。

焼く時の囃子言葉「トンドヤ」、火の燃え上がる音が「ドンド」ということに因んで「ドンド焼き」ともいわれます。

七草明けの8日に、〆飾りや古いお札等を焼き、正月様をお送りするとともに1年の無病息災を祈ります。


鳥越神社
◇東京都台東区鳥越2-4-1
◇鳥越神社とんど焼き参考
http://hix05.com/nenju/tondo/tondo.html

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
鳥越神社とんど焼きは、正月のお飾りなどを外して炊き上げる神事です。
1月中旬には各地で同じような祭礼が斎行され、どんと焼きを境に、日常生活に戻るといった節目の神事です。
平成に入ってから、正月2日には営業している量販店などもあり、すでに正月気分もそう長くは感じられない時代です。
「小寒」が過ぎ、2月には「立春」で暦の上では春です。冬から春への季節の変わり目です。
時節柄お体ご自愛専一程
筆者敬白

■1月6~7日「六日年越し」「七日正月」です。■ 150105_23.jpg
正月六日に行われた正月行事の一つで、六日の日を「六日年」や「六日年越」と呼び、もう一度「年をとり直す」という日でした。
翌七日は「七日正月」といい、六日年越しと七日正月は一対として使われました。 

六日年越しは、神年越し、女の年越し、馬の年越しなど呼んでいた地域もあります。 
この夜の行事は、大みそかに似たものが多く、麦飯を食べ、沢蟹をちがやの串に刺して玄関口にはさんだり「蘇民将来」と書いた札を張ったり、柊(ひいらぎ)などとげのある木の枝を飾るなど、さまざまな習慣が地域ごとに見られます。 
中には蟹年取りといって、蟹を食べその鋏(はさみ)を差したりする風習もあります。

120105_10.jpg

六日に採ってきた七草などを切りながら、六日の夜から七草囃子(ななくさばやし)を歌いながら準備した菜草は、七日の朝には七種粥に入れ、一年の無病息災を願い七日正月を祝いました。

◇「松の内」と外◇
元日から、七日までを松の内と言います。
正月飾りは新年に迎える年神の依り代です。
この正月行事の期間は、家の中に年神様を迎え入れていますから、この間は家自体が神聖な場所となります。  

家の玄関などに飾り付ける正月飾りは、この神聖な場所と俗世間を区切るもので、神社などの示す注連縄(しめなわ)の形を変えたものです。  

150105_24.jpg元日から続いた正月行事1月6日を越すと一段落となる頃で、家自体が神聖な場所であった正月も、七日をでその正月行事を解き、また日常生活をするの場へと戻ります。 
七日の朝以降は行事もなく、家は年神様の座所としての場所から日常の生活空間へと戻ります。
正月飾りを外すことから、門松など松がとれて7日には「松の内」が終わります。 

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
御用始めの後、社会では
新年会真っ盛りです。十四節季「小寒」から立春に向かって寒さの中にも春の気配が感じられる時節です。
油断から体調を崩さないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月7日「福岡、太宰府天満宮 うそ替え・鬼すべ」です。■
120104_12.jpg「うそ替え」とは、木製の鷽(うそ)に昨年の罪や汚れ(すなわち嘘)を託して神前に納め、天神の誠心に変えて幸運をいただくという。新しい気持ちで本年を過す為の迎春の神事です。

参詣者はそれぞれ小さな「木鷽」を手にして、注連縄で囲った斎場で「替えましょ、替えましょ」と呼び合いながら、相手かまわず木鷽を取り替え合います。
頃合いを見計らって神官が群集の中に入り込み「金製の鷽」をいくつか渡します。この金鷽に当った者には、さらなる幸運が訪れるといわれています。

鷽(うそ)は、天神の使い鳥といわれます。木製の鷽は、朴(ほう)の木で彫られた神縁品で、開運を授かるといわれます。木鷽は、神棚や床の間等にお祀りします。


130104_22.jpg「鬼すべ」は、寛和2年(986)道真公の曾孫にあたる大宰大弍菅原輔正(すがわらすけまさ)によって始められたと伝わる神事です。

祓いを終えた「すべ手」(燻手)が集まり「鬼じゃ、鬼じゃ、鬼じゃ」と掛け声を上げながら、宰府の町の男達が繰り出します。

鬼すべ堂前に積まれた生松葉や藁に「忌火:いみび」が点火されると、一瞬のうちに炎と煙が夜空を焦がし、鬼を攻める燻手と、鬼を守る鬼警固との攻防戦が始まります。

燻手は、大団扇で必死にあおぎ猛煙を堂内へ送り込み、鬼警固は煙を避けようとテン棒で堂の壁を打ち破ります。

堂内では神職が、堂外では氏子が鬼に煎豆(いりまめ)を投げ、卯杖(うづえ)でうち退治します。日本三大火祭に数えられています。


太宰府天満宮
◇福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
◇公式サイト
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/  
 

■1月7日「人日:じんじつ」です。■
120103_21.jpg中国の古い風習で「正月の1日から6日迄は獣畜を占い、7日に人を占う」ところから7日を「人日:じんじつ」といいます。

「人日」の謂れは、正月1日を「鶏(にわとり)の日」、2日を「狗(いぬ)の日」、3日を「猪(いのしし)の日」、4日を「羊(ひつじ)の日」、5日を「牛(うし)の日」、6日を「馬の日」として、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしました。

7日の日には、犯罪者に対する刑罰を行わないことになっていました。六日間は動物で、七日目には人間というわけです。

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この日「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」を食し、無病を祈る風習がありました。また、この日の天候で、その年の運勢を占いました。もし晴れなら「幸」があり、曇りなら「災い」があるとされていました。


日本では宮中を中心に「五節句」のひとつに数えられるようになりました。五節句には、3月3日(上巳、ひな祭)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)のように奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れています。

「五節句」は明治6年に廃止されましたが、今でも暦の上ではそのなごりをと留めています。


■1月7日「七草(ななくさ)」です。■150105_21.jpg
「七草」とは、1月7日の朝に7種の野菜が入った粥を食べる習わしのことをいいます。 
古代より日本では、年初に雪の間から芽を出した草を摘む習慣に「若菜摘み」があり、これが七草の原点とされていす。「七種の節句:ななしゅのせっく」の略。 これを食すると邪気を祓い万病を除くとされています。 

中国では1月7日のことを「人日:じんじつ」と呼び、古くから「七種菜羹」(ななしゅさいのかん=七種類の野菜の羹:あつもの)を食し、無病を祈る風習がありました。 

平安時代には1月15日に行われ、粥の中身は米・粟・黍(きび)・稗子(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種類の穀類でした。 

江戸時代には、人日は「五節句」の一つに数えられ、将軍以下諸公が七草粥を食する儀礼が行われるなど公式の行事でした。武家や庶民にも「七草」が定着しました。 

◇春の七草◇ 
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草 
*芹(せり)*薺(なずな) *御形(ごぎょう) *繁縷(はこべら) *仏の座(ほとけのざ)*菘(すずな) *蘿蔔(すずしろ) 春の七草 

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 薺(なずな)=ぺんぺん草、 
 御形(ごぎょう)=母子草、 
 繁縷(はこべら)=はこべ、 
 仏の座(ほとけのざ)=田平子、 
 菘(なずな)=蕪、 蘿蔔(すずしろ)=大根。 

これらの七草を6日の夜から7日の朝にかけて、まな板の上で包丁で叩き刻みます。調理中には、子供たちが「七草の囃子唄」を歌い囃します。 

歌詞は地方によってさまざまですが、代表的なものは「七草なずな、唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に トントンぱたり トンぱたり」 
元来は「七草なずな  唐土の鳥と 日本の鳥と  渡らぬ先に 七草なずな  手につみ入れて あみばし  とろき  ひつき  ちりこ げにげにさりげなきようにて 物の大事は侍りけり 」だったようです。 

南九州地方では、この日「七所祝い」が行われます。数え歳七つになる子供が正月7日の朝、お盆を持って近所七件を回ります。そこで七草粥をもらい集めて食べるのです。するとその子は、病気をせず、すくすく育ち、また運も良くなり良縁に恵まれるとされていました。 

京都の上賀茂神社では
1月7日には「白馬奏覧神事:はくばそうらんじんじ」も行われます。年の始めに「白馬(青馬)」を見ると一年の邪気が祓われるとされています。宮中の「白馬節会(あおうまのせちえ)」を神事化したもので、神前に七草粥を供え、神馬を曳いて、大豆を与えるという神事です。

◇五節句◇
 1月7日、人日(じんじつ) 七草の節句     七草粥
 3月3日、上巳(じょうし)   桃の節句・雛祭り  菱餅や白酒など
 5月5日、端午(たんご)  菖蒲の節句     菖蒲酒/柏餅、ちまき、菖蒲湯
 7月7日、七夕(しちせき) 七夕(たなばた)   裁縫の上達を願い素麺食す(織姫も参照)
 9月9日、重陽(ちょうよう) 菊の節句          菊を浮かべた酒(菊酒も参照) 

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆ 
最近では、スーパーでも「春の七草」が調理方法の手引きと一緒に生鮮食料品として販売されています。   
暦は時代とともに解釈や内容が変化していきます。 「七草」などは暦が生活に密着している証です。
古い習慣と季節感を忘れまいとした日本文化のです。 
絶やさないようにしたいものです。 
正月休みから体調を崩している方も多いことでしょう。 
季節の変わり目です。皆様お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

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■1月7日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

■1月6日「高崎 だるま市」です。■
120104_11.jpg毎年1月6日正午から7日午後1時までの両日、少林山達磨寺内で「少林山七草大祭だるま市」、通称「高崎だるま市」が開かれます。

だるま(達磨大師)は、禅宗開祖の達磨の坐禅姿を模した置物、または玩具で、縁起物として親しまれています。多くは張子(はりこ)で作られ、目の部分は書き入れずに白のままに残します。そして何らかの祈願を行った後、祈願が叶うと目を書き入れます。

「起き上がり小法師(こぼし)」は、底が丸く重心が低く作られ、倒しても起き上がります。その何度でも起き上がる様子が「達磨の面壁九年」という坐禅を続けた逸話に見立てられ、達磨の顔が描かれるようになり、「起き上がり」「七転八起」から、次第に縁起物とされるようになりました。

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だるまが赤いのは、達磨が赤い衣を着ていたとされることに由来します。だるまは魔よけの力があるとされ玩具として子供に与えられていました。

群馬県高崎市で生産されるだるまは「上州だるま」とも呼ばれます。全国生産の約80%が生産されます。

少林山達磨寺
◇群馬バス安中車庫行き、「八幡大門前」にて下車、徒歩約10分
◇関越自動車道から 前橋ICから 約20分、前橋ICから 約20分
◇上信越自動車道から 高崎ICから 約30分 松井田妙義ICから 約35分
◇公式HP
http://www.daruma.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
明日1月7日は「七日正月」の式日です。また
「七草粥」「人日」などの撰日です。明日からは日常生活も平常に戻った新しい年の始まりといった日です。
二十四節季「小寒」から立春に向かって寒さの中にも春の気配が感じられる頃です。
皆様、油断から体調を崩さないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月6日「初巳」です。■
弁財天の縁日は「巳の日」です。特に1月最初の巳の日を「初巳」「初弁天」といって賑わいをみせます。
この日、米銭を紙に包んで封じておくと金運に恵まれるといわれています。
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「弁才天」は仏教の守護神である天部の1つです。ヒンドゥー教の女神「サラスヴァティ」(Sarasvat?)が仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名で、経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」です。日本では「才」が「財」に通じることから「財宝神」としての神格が加わり「弁財天」と表記する場合も多く見られます。

「サラスヴァティー」の漢訳は「辯才天」。後に「辨財天」とも書かれるようになりました。「辯」と「辨」とは同音ですが、意味は異なる漢字であり、「辯才」(=言語・才能)、「辨財」(=財産をおさめる)を「辯財」「辨才」で代用することは出来ません。

戦後の当用漢字の制定により「辯」と「辨」はともに「弁」に統合されたので、現在は「弁才天」または「弁財天」と書くようになりました。
 「弁天」「妙音天」「美音天」とも称され、弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は「弁天堂」「弁天社」などと称されます。

弁才天は本来インドの神で、古くから崇められた三つの聖河の一つ「サラスヴァティー河の化身」で、神話では河の中で最上のもので、女神のうちで最上のものであるとされています。

日本では神道の神とも見なされ、河の流れる音からの連想から音楽神とされ、福徳神、学芸神、弁才の神となり、その後仏教において、福智・延寿・除災・得勝を司る福徳神として「七福神」の一員となっています。

仏教においては「妙音菩薩:みょうおんぼさつ」と同一視され、「宗像三女神」と同一視されることも多く、古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、「宗像三女神」又は「市杵島姫命:いちきしまひめ」を祀ります。

日本での弁才天信仰は奈良時代に始まり、東大寺法華堂に安置される八臂の立像が日本最古とされます。「銭洗弁天」として現世利益の神、また七福神として信仰を集めてきましたが、江戸時代の頃から銭洗弁天の信仰が盛んになるにつれ「才」を「財」に変えて「弁財天」と表すことが多くなっていきました。

宝冠を被り青衣をつけた美しい女神は、左手に弓・刀・斧・絹索を、右手に箭・三鈷戟・独鈷杵・輪を持つものもあり、ヴィーナ(琵琶に似た楽器)を弾ずるという。

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安芸の宮島大和の天川近江の竹生島相模の江ノ島陸前の金華山「五弁天」と称します。

鎌倉の「銭洗弁天」(正式には宇賀福神社)では、境内奥の洞窟内の湧き水で銭を洗うと、数倍になって返ってくるとされています。

日本各地に存在する「弁天島」は、弁才天信仰に由来する島名です。海難避けや豊漁を祈願する漁師たちの守り神として、日本各地の沿岸の小島に祀られてきました。

120105_11.jpg■七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして信仰されている七柱の神です。
恵比寿◆「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。
大黒天◆ヒンドゥー教のシヴァ神と、日本古来の大国主命の習合。大黒柱と現されるように、食物や財福を司る神となりました。
毘沙門天◆ヒンドゥー教のクベーラ神。仏教の神のヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり、日本では毘沙門天と呼ばれます。
弁才天◆七福神の中の紅一点。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されます。
福禄寿◆道教の宋の道士、または、道教の神で南極星の化身の老子である「寿老人」の別名または同一神とされます。
寿老人◆道教の神で南極星の化身の老子。
布 袋◆唐の末期、明州に実在したと伝わる仏教の僧。

◇◇◇ 編集後記 ◇◇◇
己巳や庚申は現代社会では迷信の域にはいってしまった暦注です。自身の戒めにその謂れを振り返ってみることも心の栄養で余裕の一つです。
ロシアに対する経済制裁で国際情勢は緊張状態です。国内では3年前の円安から小売り業は不振!昨年の12月の選挙で本年4月の増税は先送りになりましたが、増税になることには変わりありません。

正月が過ぎ小寒を越すと、ますます寒くなります。職場や学校でインフルエンザの流行が懸念しています。
お風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■1月6日「公現祭」です。■
120103_2.jpg「公現祭:こうげんさい」とは、人としてこの世に現れたイエス・キリストが、神性を人々の前で現したことを記念するキリスト教の祭日です。

日本語では「顕現節:けんげんせつ」、「公現節:こうげんせつ」(主の公現)、「主顕節:しゅけんせつ」などとも呼ばれています。

12月25日のクリスマス~1月6日までの12日間を降誕節(こうたんせつ)としています。一般に「十二夜」といい、悪霊が暴れ回る期間。シェークスピアの戯曲「十二夜」はここから付けられたものです。

世界には公現祭に伴うさまざまな慣習があります。一例としてヨーロッパやカトリック教会の信仰が盛んな地域では、「」や「小さな人形」、「貴金属」などを入れて焼いたケーキや菓子パンを切り分け、この豆などが当たった人をその日だけ王とする習慣があります。

例えば、フランスでの行事は古代ローマの農耕神サートゥルヌスの祭りサートゥルナーリアに由来します。また、スペイン語圏やイタリアでは、子供たちがプレゼントをもらうのはクリスマスではなく公現祭の日です。この日、魔女が子供にプレゼントをするという独特な風習もあります。

■1月6日「東京消防庁出初式」です。■
「出初式:でぞめしき」とは、新年の初めに消防署員や鳶の人達が集まって、消防動作の型などを演習する行事です。模擬火炎やハシゴの曲乗りなどが披露されます。

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出初式の起源は、今から約340年ほど前の江戸時代です。当時、江戸の街は明暦3年(1657)に発生した大火により未だ焦土の中にあって、苦しい復興作業にあたる町民は絶望的な状態にありました。

万治2年(1659)正月4日そこに旗本の率いる定火消(じょうひけし)総勢4隊が、上野東照宮前で1年の働きを誓ったことに始まります。「出初」を行ったことが、当時の江戸町民に大きな希望と信頼を与え、これが契機となり、お正月の恒例行事として今日まで受け継がれてきました。

東京では、昭和28年以来、正月6日に行われていますが、出初式の開催日は地方によってまちまちです。

◇東京消防庁HPhttp://www.tfd.metro.tokyo.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
近年、地震など大きな災害や、異常気象からの大型台風・竜巻など今まででは、考えられなかった大災害が起こります。出初式を機会に正月気分から脱して災害に備える気風を取り戻しましょう。
江戸の時代も平成の世も人の気持ちは変わらないようです。
筆者敬白
 

■1月6日~「天一天上(てんいちてんじょう)」です。■
天一天上:てんいちてんじょう」とは、陰陽道の歴注で癸巳~戊申の16日間をいいます。 
 
110404_20.jpg天一神:てんいちじん」という方角神が天上界に出かけてしまい、期間中は佳日とされています。
天一天上の間は天一神の祟りがなく方角の禁忌(悪い方位)はなくなるので、どこに出掛けるにも良しとされました。このことが、縁起を担ぐ相場師に利用されたと伝わります。

かわりに期間中は日遊神が地上に降りて家の中に留まります。
屋内の汚れた人家には祟りをするといわれていますから、自宅は清潔にしておかなければなりません。 

130306_25.jpg天一神は方角神のひとつで、中神(なかがみ)ともいい、地星の霊荒神です。
天と地の間を規則正しく往復し、四方八方を巡り、人の吉凶禍福を司ります。
 
天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされ、神の滞在する方角を「塞がり」といってこの方角を犯すことを忌み、このことを「物忌み」といいます。
その方角に真っ直ぐ向かうことは禁物で、どうしてもその方角に行かなければならない時は「方違え」をします。
 
「天一神の遊行日」
■乙卯から5日間...卯(東)
■庚申から6日間...巽(南東)
■丙寅から5日間...午(南)
■辛未から6日間...坤(南西)
■丁丑から5日間...酉(西)
■壬午から6日間...乾(北西)
■戊子から5日間...子(北)
■己酉から6日間...艮(北東)
 
この期間この方角に、天一神が天上から降りてきて下界八方を巡って過ごしますから、この方角を忌み、この方角に向かっての出産、争い事、殺生、弓を射ることなどを忌み嫌うのです。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
天一天上は大自然を怖れ敬って、自然と共に生きている時代に、経験的に感じ取った歴注です。
今となっては迷信や神話の域だと見過ごされしまう暦です。
その昔、
情報処理が発達していなかった頃、日遊神の祟りからのがれるために部屋を掃除するところから転じて、株や相場師にとって、天一天上は相場を見直す頃とされていました。
正月を過ぎ新年の息吹を感じるころです。小寒の最中ですが、春の便りが待たれる頃です。
今年はノロウイルスがあちこちで集団発生!読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

◆二十四節気◆平成29年1月5日「小寒(しょうかん)」です。◆
151231_20.jpg1月5日12時56分「小寒:しょうかんです。旧暦12月、丑(うし)の月の正節で、冬至後15日目。新暦1月5日か6日頃にあたります。天文学的には太陽が黄経285度の点を通過するときをいいます。

この日をもって「寒の入り」とし、寒中見舞いが出されます。この日から節分までを「寒・寒中・寒の内」といい、約30日間ほど厳しい寒さが続きます。
 
小寒とは寒さがまだ最大ではないといった意ですが、季節は本格的な冬です
。「小寒の氷、大寒に解」の例えのように、実際には小寒の頃のほうが、寒さが厳しいようです。

ちなみに諺の意味には「物事が必ずしも順序どおりにはいかない」という意が含まれています。

暦便覧では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」と説いています。この日をもって「寒の入り」とし、寒中見舞いが出されます。

「寒中見舞い」は、暑中見舞いに比べると出す人は少ないようです。年賀状を出すのが遅くなってしまった場合や、喪中に年賀状が届いた人への返信に利用一般的です。

小寒から4日目を「寒四郎」、9日目を「寒九郎」と呼んでいます。
「寒四郎」は麦作の撰日(予想日)とされ、この日にの天候によって、収穫に影響があるとされてました。晴れだと豊作で、雨や雪だと凶作になるという事です。
また、寒九郎は
「寒九の雨」といって、この日に雨が降ればその年の豊作の兆しとして、農家では喜ばれました。
140104_21.jpg◆◆「七十二侯」 ◆◆

初候「芹乃栄」(せり すなわち さかう)
空気が冷え、澄みきるようになり、芹がよく生育する時節。
次候「水泉動」(すいせん うごく)
地中では凍った泉が動き始める時節。水泉=わき出る泉。
末候「雉始雊」(ち はじめて なく)
雄の雉(キジ)が鳴き始める時節。

◆◆ 「1月の花」 ◆◆
◇「黄梅」おうばい◇木犀科 ソケイ(ジャスミン)属
学名:Jasminum(ジャスミン)は、アラビア語の「yasmin(マツリカ)」の名に由来。別名:迎春花

原産は中国。江戸時代初期に渡来。開花時期は1月10日から3月20日頃。鮮やかな黄色の花が咲き、昔から鉢植えや盆栽などに利用されています。枝は横に伸びて地上を這う性質で、花が咲く時には葉は出ていません。

黄色い花が梅に似ていることと、同時期に咲くことから「黄梅」という名がついていますが、本来「梅」とは関係なく、ジャスミンの仲間ですが、香りはありません。

150105_26.jpg中国では、旧正月(2月)に咲き出すことから「迎春花・げいしゅんか」と呼ばれ、吉兆の花、めでたい花とされます。
花言葉は「恩恵」「優美」「控えめな美」など。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
年が明けて平成29年の小寒の頃、例年だとこの冬で最も気温が低くなるはずですが、今年は暖冬のせいで暖かな正月です。
暮れから正月を経て「小寒」の時期には、水仙など冬の花の開花期に重なって、道端の片隅に季節を感じられます。

読者の皆様、お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■1月5日「初水天宮」です。■
121228_20.jpg毎月5日は水天の縁日です。正月始めのこの日を「初水天宮」といって、変わらぬ世を祝います。
 
水天は、十二天・八方天のひとつ。水を司る竜神で、密教では西方を守護する神。羂索(けんさく)を執り、冠の上に五竜を頂き、亀の背に乗って水中にある姿などであらわされます。
 
福岡県久留米市の水天宮は全国の総本宮で、安徳天皇と建礼門院を祀ります。祭神は水徳の神で、船人の守護神として篤い信仰があります。また、安産・水難除けのご利益があるといわれます。
 
東京日本橋の水天宮は、水難除け・安産・商売の守り神として有名です。その発生から「情け有馬の水天宮」と江戸時代からお囃子として唄われています。

121225_29.jpg羂索(けんさく)=「羂」はわなの意、もともと鳥獣をとらえるワナ。縄は5色の糸をより合わせ、一端に環、他端に独鈷杵(とっこしょ)の半形をつけたロープ状の法具。衆生救済の象徴とされ、水天の他、不動明王・千手観音・不空羂索観音などがこれを持つ。

■1月5日旧「針供養」旧「こと納め」です。■
111130_17.jpg「こと納め」とは、その年の事の終わりの行事のことで、陰暦12月8日に行われていたものです。太陽暦では1月1日が旧暦の12月8にあたります。

「針供養」とは、折れた針を供養し、裁縫の上達を願う行事です。関東では一般に2月8日に行われますが、12月8日に行われる地方もあります。両日とも事八日(ことようか)」(こと始め・こと納め)にあたっており、昔から様々な行事が行われてきましたが、それが江戸など都市では針供養に変わったものと考えられます。
 
この日は、針の使用を謹んで針仕事を休み、古針(折れた縫い針や曲がった縫い針)を、豆腐やこんにゃく、あるいは餅に刺して、神社で供養したり、川へ流したりするのが一般的でした。豆腐やこんにゃくなどに針を刺す理由は、柔らかいもので針に楽をしてもらい、今までの針の労に感謝するのです。
 
121225_35.jpgもともと中国で行われていた針供養に似た行事が、日本に伝わったもので、事始め・事納め・女の守護神である淡島信仰などと混合して出来上がったものが針供養であるといわれます。この日、芋、大根、焼豆腐、あずき、にんじんなどの煮物料理を食べる、俗にいう「いとこ煮」や「六質汁」は、こうした縁起からきたものだそうです。
 
また、豆腐のように色白の美人になるようにとか、柔らかい気持ちになれるようにとか、まめに働くことが大事(だいず)としたのだとか。豆腐は刺されても痛いと言わないから、女性が我慢強いことを願ったからなどともいわれます。
 
和歌山の淡島神社では、その年に使って折れた針を集めておき、淡島堂(あわしまどう)へ納め、縫裁の上達を祈ります。祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)を祀ります。少彦名命は、医薬の神様です。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
 
針供養は関東では2月8日、関西では12月8日に行うところが多く、古く、事始めと事納めを一緒にして「事八日:ことようか」と呼ばれていました。
 
東京浅草寺境内の淡島堂の祭神は女神で、技芸裁縫の神です。
浅草寺HP/諸堂案内(淡島道)
http://www.senso-ji.jp/guide/awashimado.html

淡島信仰、淡島神:
淡島神は、女性特有の婦人病治癒や安産・子授け、裁縫の上達、人形供養をはじめ、良縁・健康維持など女性に関する効験ありとされる信仰。
江戸時代には淡島願人
と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった。
関東地方では3月3日淡島講を催す地域がある。発祥は住吉明神の妃が婦人病のため淡島の地に流され治癒したとされる。

八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
著書の紹介はこちらから。

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