二十四節気は1年を24の節に分け、節気ごとに命名して気候の変化、推移を知り、社会や生活の中で季節感を役立てるものです。

12月のお便り

■12月31日「大祓え」■ 
101231_5.jpg「大払い:おおはらい」「大祓え:おおはらえ」とは、今年一年を通して日常生活で大きい小さい、または知らずのうちに犯した罪穢れや、先祖の犯した罪穢れを除去して、災厄を回避する日のことです。
 
主に、6月晦日(末日)の「夏越の大祓え」、12月晦日(31日)の「年越の大祓え」を指します。

大宝律令(701)において正式に宮中行事となりました。朱雀門前の広場に親王、大臣以下在京の百官を集め、大祓えの詞を読み上げて万民の罪穢れを祓いました。

「神祇令:しんぎりょう」には、毎年6月・12月の晦日に朝廷で天皇以下全官人・官人の家族までを対象として執り行なわれる「二季恒例大祓」と、諸国で臨時に執り行なわれる「諸国大祓」とが登載されています。現在は、宮中の内部や神社の行事として執り行なわれます。

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心身ともに清らかな状態にし、新年に歳神(としがみ)をお迎えして、歳の霊(としのたま=餅)を神さまと共に食し、良い一年にするものです。穢れ(けがれ)とは、新年には瑞々しく張りのあった「気」が、だんだん「枯れて」いく=「穢れ」としたもの。生命力を補給するものと考えられています。

戦前の数え年による年齢は、年越の大祓えを済ませ、新年を迎えた時、歳神さまからひとつ歳を頂くのです。元旦には、歳旦祭が執り行なわれます。元旦の朝には、神棚にお供えをして一年の計を祈願します。

※神祇令:「大宝律令」「養老令」の一部で、神祇信仰に基づく律令制国家の公的祭祀の大綱を定めた公的祭祀の大綱を定めたもの。それまでまとまった規則として存在していなかったものを編纂したもの。
第一条・常典総則、第二条~第九条・四時祭祀、第十条・天皇即位、第十一条・斎戒・致斎、第十二条・大中小祀、第十三条・践祚(皇位継承)、第十四条・大嘗祭、第十五条・所司申官、第十六条・供幣饌、第十七条・諸社供幣、第十八条・晦日大祓、第十九条・諸国大祓、第二十条・神戸とそれぞれ規定されている。
中国には、「祠令」、朝鮮には「祭祀志」という似た律令が存在する。

■12月31日「年越し」■ 
121214_31.jpg「年越し」とは、大晦日から元旦までの間、またはその間の行事のことをいいます。年越しの境目は「除夜:じょや」となります。

「除夜」は、年神を迎える為に心身を清め、一晩中起きているのが習いでした。昔は、年神を迎える神聖な「物忌みの夜」として、この夜、早く寝ると白髪になるとか、シワが寄るとかいわれていました

青森県の上北部では、眠らずに元旦を迎える「尻枕:けつまくら」という習わしが残っているそう。家中で炉の周りに集まり、年の順に人のお尻を枕にして寝るというもの。また、青年達が除夜の鐘を合図に裸で海に飛び込むというのも、一年中の穢れを落として、歳神を迎えるための禊です。

年越しに酒や餅などを先祖に供え、御節などで特別な食卓につく風習があります。地方によっては麦飯や鶫(つぐみ)、樫鳥(かしとり)を食べる風習も残っています。鶫は「継身を祝う」の意。樫鳥は「貸し取り」の意で、上手にお金が取れるといわれ、商家、両替商・金融業の人が食しました。
 
101231_7.jpg「年越し蕎麦」もそのひとつで、大晦日の晩に家族みんなが寄り集まって、蕎麦を食べながら年を越す習慣です。起源は定かではありませんが、もともと江戸中期には毎月末に「そば切り」を食べる習慣がありました。蕎麦を食べるのは、蕎麦がよく伸びることから、命を延ばし財産を延ばすとことに通じるという語呂で縁起を担ぐものです。蕎麦が五臓の汚れを取るというので無病息災を祈願するの意でもあります。

元来、そば粉は「そばがき」のようにして食すのが普通でした。粘着力があるので江戸の職人達は大晦日の大掃除にはそばを練って「そば団子」を作り、それで部屋の隅々の小さなゴミやホコリを取っていたそうです。

金銀細工を生業にしている人にこの方法が珍重されました。そば団子で飛び散った金粉銀粉を掻き集め、その団子を七輪や火鉢の上で焼いて灰にすると、金や銀の粉だけが残ります。ここから「蕎麦は金を集める」という諺も生まれたほどです。

「大晦日」とは、一年最後の晦日(みそか)のことで、12月31日のこと。毎月の晦日を「つごもり」ともいい、大晦日は「おおつごもり」ともいいます。

かつての江戸や明治時代の東京では、大晦日のこの日、朝早くから夜遅くまで人通りも多く活気がありました。あちこちに「歳の市」が立ち、商屋では「新しいのれん」に掛け替え、暗くなれば軒提灯や高張提灯を出して、夜遅くまで商いを続けました。そして、町中を借金取りが駆け回ったそうな。歳の市には露店が並び、南天や福寿草などの植木も売られます。宮中では、大晦日には「節折り(よおり)の式」、「大祓」「除夜祭」が執り行われ、神社では「大祓の神事」が行われます。

■12月31日「除夜の鐘」■ 
101231_6.jpg「除夜の鐘:じょやのかね」とは、12月31日の除夜の12時をはさんで諸方の寺院で鐘を撞(つ)くこと。または、その鐘の音のこと。「百八の鐘」ともいわれるように、百八つ鳴らすことになっています。
 
この「百八つ:108っつ」という数字は、人間には百八つの煩悩がある」という仏教思想に基づいたもの。百八の煩悩を払い、新年を迎えるといった意。百八つの煩悩を覚まし、仏道を成ぜさせる煩悩解脱を祈って鳴らすともいわれています。
 
この「百八つの鐘」は、大晦日だけとは限らず、寺院では朝夕108回鐘を鳴らすのを原則としています。但し、普段は略して18回にとどめます。暁に鳴らす「暁鐘:ぎょうしょう」は眠りを戒め、暮れに打つ「昏鐘:こんしょう」は目の眩んだ迷いを覚ますため。その響きを聴く者は、一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされます。
 
鐘を108回も打つとなると、数えるのも大変です。数珠を使ったり、豆を用意したりして数えます。
 
121214_32.jpg数珠は「木患子:もくげんじ」の実を貫き通して作られています。鐘をつく前に鐘に向かい、合掌礼拝してから撞木(しゅもく)を握ります。
そして107声までは旧年に、最後の1声は新年に撞きます。
 
木患子(もくげんじ)もくろじ科もくげんじ属。または栴檀葉菩提樹(せんだばぼだいじゅ)、本州日本海側の山林や崖地に分布。高さ10mになる落葉樹の高い木。7~8月に黄色の集団花を咲かせます。寺院等に植えられ、実はほおづき状になり、その中の種は黒く、数珠に使われます。
 
仏教では、そもそも人間の心身を苦悩させる煩悩は、108種類あるとされています。
 
一説には「108の煩悩」とは「眼・耳・鼻・舌・身・意の六根」が、「色・声・香・味・触・法の六塵」と関係するときに、それぞれ「苦楽・不苦・不楽の三種」があって十八種の煩悩となり、これを「染・浄」の二つに分け、この三十六種をさらに「過去・現在・未来」の三つに分けて108種となります。
 
人間の罪業消滅の意を込めて、鐘を撞くときには般若心経や観音経などのお経を唱えながら、心清らかに撞木を打ちます。

鐘の種類には「梵鐘:ぼんしょう」「喚鐘:かんしょう」があり、梵鐘は「大鐘(おおがね)・釣鐘(つりがね)・鯨鐘(げいしょう)」などとも呼ばれます。喚鐘は勤行(ごんぎょう)や法会(ほうえ)などの開始を報じる小形の梵鐘(ぼんしょう)で半鐘とも。銅・錫・亜鉛など金属で造られます。
 
梵鐘の「梵」は、梵語(サンスクリット)のBrahma(神聖・清浄)を音訳したもの。中国、殷・周時代から制作されている「編鐘:へんしょう」という青銅器が梵鐘の源流と推定されています。
 
一般的な形状は、龍の頭を模った龍頭といわれる釣り手があり、下部には蓮華状の二個の突座があって、吊るした撞木(しゅもく)でここを叩きます。上部に乳房状の小突起が巡らされています。
 
日本にはじめて鐘がもたらされたのは、欽明天皇23年(562)に大将軍・大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が高麗(朝鮮)に遠征した折、戦利品として三口の銅鋳鐘を持ち帰ったものとされています。
 
日本で鋳造の現存する最古の鐘は、文武天皇2年(698)に造られた京都の妙心寺のものと伝わります。
 
四方八方に鳴り響く荘厳な鐘の音は、それを聞く人々の心に温かい仏心を呼び起こします。除夜の鐘は人ばかりでなく、牛や馬や道具にまで仏心を及ぼして心休ませ、生き歳生ける者全ての歳取りをさせる風もみられます。

◇ ◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇ ◇
早くも平成28
年もあと1日です。今年は地球規模で暖冬です。初冠雪、初霜、初氷などの便りが遅く観測されています。日本も四季のある温帯から、竜巻などが頻発する、亜熱帯に変わりつつあるのでしょうか。

電車内など人ごみで咳をしている方を見かけます。食あたりのような風邪が流行していますから、外から帰ったら手洗い、うがい、マスクに厚着で予防です。
読者の皆様、今年一杯いっぱいお付き合いくださって有難うございます。懲りずに来年も配信して参ります。お付き合いください。
筆者敬白 合掌

■12月31日「男鹿なまはげ」です。■
121214_29.jpg秋田県西部の日本海に突き出た奇岩奇勝の景観をなす「男鹿半島:おがはんとう」は、、中国の秦時代の方士「徐福:じょふく」が目指した蓬莱山(ほうらいさん)であったと伝わります。
 
蓬莱(ほうらい)=古代中国で東の海上にある「仙人の住む山」のこと。
 
古代は神祇信仰も深く、高僧名僧の巡錫伝承もあり、男鹿三山のうち、真山(しんざん)・本山(ほんざん)は修験道の霊場としても栄えました。半島の全域といってよいほど十王堂(じゅうおうどう)の存在が確認され、その宗教的環境は豊かです。男鹿の人々は、「なまはげ」を一種の神様と考えてきました。
 
この独特な神様の姿は、実は、中国漢の時代に不老不死の薬草を求めてやって来た「武帝:ぶてい」。
武帝は白鹿に乗り、五匹の蝙蝠(こうもり)に化した眉間(みけん)・逆頬(さかうら)・眼光(がんこう)・首人(くびと)・押領(おうりょう)の鬼達を従えて渡ってきました。
 
111226_20.jpg武帝は日ごろ鬼達を酷使していました。
そこで、1年のうち1日だけ村里に出て自由な振舞いを許しました。
鬼達は、悪態を尽くし、終いには娘をさらったりする始末。困り果てた村人は鬼達と賭けをすることにしました。
それは、一晩のうちに1000の石段を積むことで、鬼が勝てば毎年娘をさし出すというもの。
 
鬼達の積み上げる石段は、夜明け前には出来上がりそうになったので、慌てた村人たちは夜明けを告げる鶏の鳴き声を真似て、あわよく999段目で鬼を騙したのだとか...。
負けた鬼達は、悔しさに傍にあった千年杉を引き抜き、逆さまに地面に突き刺して山に戻ったという。その後、騙した鬼達の崇りを恐れ、年に一度、若者たちが鬼に扮して村を訪れ、村人は充分にもてなして山に帰ってもらうのだそうです。
 
また、漂流して島の海岸に辿り着いた異国人を「なまはげ」としたのだとか。大兵肥満で紅毛碧眼の異邦人は、村人にとってまさに「なまはげ」に見えたのでしょう。
 
大晦日の晩、男鹿各地では「なまはげ」の奇声が聞こえてきます。神の遣い「なまはげ」が深く降り積もった雪を踏み締め、「ウオー!ウオー!」という雄叫びを上げながら山から降りて来るのです。
 
お面を被り、二匹一組となって家々を練り歩く「なまはげ」。事前に家の主人になまはげを家に入れても良いか否かを確認します。家に上がり、シコを7回踏み、「ナマケモノの匂いがする」「ナマケモノはいないか!」などと、荒荒しい奇声を上げて畳を強く踏みしめながら家の中を歩き回ります。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
秋田県では毎年暮れになると「なまはげ」の話題です。発祥は異説があるにせよ屈強な外国人を見たのでしょう。
言葉が通じないだけ「ウオー!ウオー!」と聞こえたのかもかもしれません。
近年では子供の成長を祝う祭礼になりつつある「なまはげ」でます。神事も時代と供に形を変えるのでしょう。

明日は新年、新しい試みにチャレンジしてみるいいタイミングです。皆様にとって今年1年遣り残しはありませんか?
来年こそはと決意を硬くしてして新年を迎えましょう。
筆者敬白

■12月31日「出羽三山 松例祭」です。■
111226_19.jpg「出羽三山:でわさんざん」とは、出羽国(でわのくに)「羽黒山:はぐろさん」・「月山:がっさん」・「湯殿山:ゆどのさん」3つの山の総称。正式には、出羽と書いて「いでは」と読みます。
 
今から4千年前、都から第32代「崇峻天皇:すしゅんてんのう」皇子「蜂子皇子:はちこのみこ」は、三本足の霊鳥に導かれて出羽山に入り、難行苦行の末に羽黒権現の御示現を拝し、羽黒山頂に羽黒山寂光寺を建立。次いで、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧進し、羽黒三所大権現と称しました。

「出羽三山神社:でわさんやまじんじゃ」は、月山頂上に「月山神社」、羽黒山頂に「出羽神社:いでわじんじゃ」、湯殿山の中腹に「湯殿山神社」が鎮座され、これを合わせて出羽三山神社と呼んでいます。
 121214_28.jpg出羽三山神社の祭神は、月読命・伊氏波神・稲倉魂命・大己貴命・少彦名命・大山祇命。摂社:五十猛神社・大年神社・厳島神社・蜂子神社・天有社。
他、広大な境内には百一末社と呼ばれる神々の社に八百万の神々が祀られています。
 
加賀白山を開いた「泰澄大師」や、修験道の祖と云われる「役の行者」、また真言宗開祖「弘法大師」、天台宗開祖「伝教大師」とその弟子「慈覚大師」なども来山して修行したと伝わります。
そうして皇子の修行の道は、後に羽黒派古修験道として発展し、「出羽三山信仰」の根本になっています。
太古より今なお神々の息吹に深く包まれる三山は、山岳信仰・修験の霊場として名高く、人々の篤い信仰を集めます。
 
「松例祭」は、二つの大松明を引き出して燃やす神事で別名、歳夜祭とも。2人の松聖が百日間の勤行の後、12月31日結願。
神社本殿や庭上で行われます。新年の豊作豊漁、除災招福を祈願するもので、新年には火の打替え神事が行なわれます。新しい火を迎えて祭りは終了します。
 
出羽三山神社
◇山形県東田川郡羽黒町大字手向字手向7
◇JR羽越本線「鶴岡駅」バス
◇山形道「庄内あさひIC」40分
◇公式HP
http://www.dewasanzan.jp/

■12月31日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
12月の「一粒万倍日」です。暦の上では大晦日、明日は来年です。体調管理の難しい季節です。

時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

12月28日~1月6日「十方暮れ入り」です。
110324_12.jpg十方暮れ:じっぽうぐれ・じゅっぽうぐれ」とは、干支を五行に配当したときに「上下互いに尅(こく)する」干支「甲申~癸巳」までの10日間のことをいいます。
但し、丙戌と己丑の日は間日(まび)になります。
今回の十方暮れは
12月28日~1月6日までです。

12月28
日 甲申=金尅木 
12月29日 乙酉=金尅木
12月30日 丙戌=火生土(間日)
12月31日 丁亥=水尅火 
01月01日 戊子=土尅水 
01月02日 己丑=土和土(間日)
01月03日 庚寅=金尅木 
01月04日 辛卯=金尅木 
01月05日 壬辰=土尅水 
01月06日 癸巳=水尅火


120712_64.jpg十方暮れの「十方」とは、「天地八方」を指します。四正(しせい)方位「東西南北」と、四隅(しぐう)方位「南東・南西・北西・北東」の八方位に「天地」を合わせた十方位のことです。または「十方世界」ともいい私たちが右往左往する現実の世界、すべての方角に無限に存在する世界の全部のことを示します。
 
この十方が「四方八方閉ざされた状態」を「十方暮れ」といい、旧暦の解説書には「途方に暮れるの語呂合わせ」と書かれています。または「十方暗」「十方闇」ともいいます。
 
それにしても、やはり「とほうくれ」と読みたくなるほど、うまくいかなく「途方に暮れる」期間なのでしょう。十方が暗い(暮)ので、天気が良くない日が続きます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
「十方ぐれ」は発祥は定かではありませんが、五行説では干支の組み合わせから「相性の合わない日」とされています。この時期、雨が降っても大したことなく、降りそうで降らない曇りがちの(すっきりしない)天気
が続きます。転じて暗雲(問題)が立ち込めているが雨(解決)が降らないという中途半端な状態です。
これは、十方(方位八方向に上と下を合わせて十方)の気が塞がっていて、何の相談ごとも解決出来ない期間とされています。

せっかちさから、業を煮やして事を起こしても逆効果です。解決どころか反対に、こじらせて損失を招く恐れがあります。このような時期には、慌てずに「過ぎるを待つ」のが最大の解決方法です。
筆者敬白

 

■12月28日「官庁御用納め」です。■
121214_25.jpg「御用納め」とは、官公庁などにおいて、その年の執務最終日を指します。
一般的には12月28日で、「御用仕舞い」とも。
12月28日が土曜日、日曜日の場合はその前の日の金曜日が御用納めとなります。
 
日本の官公庁では、明治6年の行政機関の休日に関する法律により、12月29日から1月3日までを「休日」として定めています。
 
年明け執務開始日を「御用始め」と呼び1月4日です。1月4日が土曜日、日曜日に当たるときは、それぞれ1月6日、1月5日が御用始めとなります。平成29年は1月4日水曜日が御用始めになります。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
御用納めになると、歳末の雰囲気が増してきます。それまでのクリスマス雰囲気から、年の瀬といったイメージの上野のアメ横や築地市場の様子が報道されます。
全国的にノロウイルスは感染力が強いものだと報道です。外から帰ったらうがい手洗いを忘れずに!
油断からお風邪などお召しにならないようにお体ご自愛専一のほど
筆者敬白

■12月28日「納めの不動」です。■
111226_17.jpg毎月28日は「お不動さま」の縁日です。年の最後の縁日を「納めの不動」といい、1年のご利益お礼と感謝の気持ちを込めて参拝します。
 
「不動明王」は、密教特有の尊格である明王のひとつで、密教の根本尊「大日如来の化身」、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであるとされ、「お不動さん」と呼ばれ親しまれています。他には大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)・無動明王・無動尊・不動尊。
 
「明王:みょうおう」は、密教における仏の称号のひとつ。密教における最高尊大日如来の命を受け、宗教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担った仏を指します。また、全ての明王は大日如来が仏教に帰依しない民衆を、力づくでも帰依させるため、自ら変化した仏であるとも伝わります。
 
明王は人間界と仏の世界の間にある天界の「火生三昧:かしょうざんまい」と呼ばれる炎の世界に住み、民衆を教えに導きながら、人間界の煩悩や欲望が仏界に波及しないよう炎で焼き尽くすと言われます。
 
憤怒の相で火炎を背負い、髪は怒りによって逆立ち、法具や装飾品は極力身に付けず、法衣は片袖を破って動き易くし、武器類を手に持った姿で表現されます。
 
憤怒の相は単なる怒りを表現したものではなく、仏法に従わない者を教化し、仏敵を退散させる働きを持ちます。煩悩をかかえ、もっとも救いがたい衆生をも、力ずくで救うため憤怒の姿をしているのです。
 
一般に炎の神力を以て祈願を行う「護摩法要」の本尊には明王が据えられます。
 
121214_26.jpg千葉県成田市の「成田山新勝寺」の本尊は不動明王。関東三大不動のひとつで「成田不動」または「成田山」と呼ばれ親しまれています。
 
成田山では、納め札のお焚き上げ「柴灯大護摩供:さいとうおおごまく」が行われます。1年間の守護をいただいた御護摩札や御守りを、不動明王の智恵の炎の中にお返しし、感謝の祈りを捧げます。
 
御真言「ノウマク サンマンダ バサラダン センダン マカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」
 
七請願(私たちの誓い)に、奴僕の行、羂索のおさとし、磐石の決意、燃えさかる火炎、ゆるぎなきみ心、利剣の智慧、加持力、を掲げます。
 
成田山新勝寺
◇千葉県成田市成田1番地
◇JR成田線・京成電鉄「成田駅」徒歩10分
◇公式HP
http://www.naritasan.or.jp/

■12月27日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■12月25日「終い天神」です。■
111221_17.jpg祭神・菅原道真公の誕生日6月25日にちなんで、天満宮の縁日は毎月25日に行われます。1年の最後の縁日を「終い天神」といい、一年を締めくくる行事としてゆかりの天神様には多くの参拝者で賑わいます。
 
京都・北野天満宮では、正月の箸やお屠蘇等が授与されます。参道には露店が並び、植木・骨董・衣料品や〆飾り・荒巻き鮭などの正月用品が商われます。
 
また、大学・高校・中学校等の入学試験を直前に控えた受験生などが合格祈祷を受けたり、絵馬に願い事を託す姿もみられます。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
天神様は学業成就、受験生の合格祈願が有名です。近年は仕事に関係する資格取得の中高年や、パソコン資格合格祈願に参拝する女性の方も多くなったとか。
お守りを購入した壮年の方は、面接の緊張や、実技の試験の折、いつも緊張するそうです。聞くところによると、クレーン資格取得目指していて、いくつになっても実技本番では、手に汗をかく程、緊張するのだです。
筆者敬白

■12月25日「蕪村忌」です。■
111221_18.jpg「与謝蕪村:よさぶそん」は、江戸時代中期の日本の俳人・画家で、松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸俳諧の巨匠のひとり。江戸俳諧中興の祖といわれます。蕪村以外の俳号は、宰鳥・夜半亭(二世)、画号は春星・謝寅など。
 
享保元年(1716)摂津国東成郡毛馬村(大阪市)に生まれ、20歳の頃に江戸に下り、早野巴人(はやのはじん・夜半亭宋阿)に師事し俳諧を学びます。
 
寛保2年(1742)27歳の時、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおかがんとう)の元に寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊します。
 
寛保4年(1744)その手記を雁宕の娘婿の佐藤露鳩(さとうろきゅう)宅に居寓した際に編集し「歳旦帳(宇都宮歳旦帳)」はじめて蕪村を号します。
 
121214_24.jpgその後、丹後・讃岐などを歴遊し、42歳頃に京都に居を構え、与謝を名乗るようになり、45歳頃に結婚、一人娘・くのをもうけます。島原角屋で句を教えるなど、以後は京都で生涯を過ごしました。
 
天明3年(1783)12月25日未明、居宅(京都市下京区仏光寺通烏丸西入ル)にて、68歳の生涯を閉じました。辞世句「しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」。墓所は京都市左京区の金福寺です。
 
洛北の「金福寺」は俳句の聖地といわます。元禄年間に和尚を芭蕉が訪ね親交を深めました。和尚は庵に「芭蕉庵」と名付け、いつまでもその高風を偲んだとか。
 
和尚の死後80年経ったある日、荒廃した芭蕉庵を訪れた蕪村が再興したのだそう。芭蕉の碑、芭蕉像、蕪村の遺愛品などが残されています。また、小説「花の生涯」のヒロイン・村山たか女が波乱の生涯を終えた寺でもあります。
 
金福寺
◇京都市左京区一乗寺才形町20
◇叡山電鉄叡山本線「一乗寺駅」徒歩15分
◇京都観光ナビ
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000076

■12月24日「クリスマス・イヴ」です。■
「Christmas Eve」の「Eve・イヴ」は「Evening・夜・晩」の略です。クリスマスの前夜を指しています。

121214_23.jpgところが、ユダヤ歴など教会暦では、日没をもって日付の変り目でした。クリスマスイヴの日没からクリスマスで「クリスマス・イブは既にクリスマス」なのに「イブ」を誤って「前日」と訳し、12月24日を「クリスマスイブイブ」と呼ぶなどは、本来は誤用といえます。

カトリックでは、夜半・早朝・日中の三回のミサを行います。日本では、夜半ミサを24日の夜に行うことがあります。プロテスタントでは25日にミサを行います。

近年のクリスマスイブ、クリスマスが商業主義に偏っていることに、ローマ法王ベネディクト16世は懸念を示しています。クリスマスは内面的な喜びを感じる日だとのことです。

■12月25日「クリスマス」です。■
「クリスマス」「Christmas」「Χmas」とは、イエス・キリストの降誕祭のことです。または聖誕祭

Christmas」の語源は「Christmas」=キリストのミサのことで「Χ」は、ギリジャ文字の「Χ=カイ」のことで、エックスではありません。

イエス・キリストは、今から約2千年前、ベツレヘムの馬小屋の中で誕生したといわれていますが、正確な誕生日は不明。太陽の新生を祝う「冬至祭」と結び付いたものともいわれています。

ロシア正教会などの正教会とコプト正教会では、1月7日(ユリウス暦の12月25日にあたる)に降誕祭を祝いますが、日本ハリストス正教会やブルガリア正教会などでは、グレゴリウス暦の12月25日に祝います。

正教会では、降誕祭と神現祭とは奉神礼として一連のものとし、それらの間にはキリストの幼児期に関する祭日が設けられています。降誕祭の祭前期には、聖列祖の主日で原祖アダム以来のキリストの肉に縁る先祖を祀り、聖世祖の主日では神の祖父母イオアキムと、アンナら歴代の義者を祀ります。

121217_20.jpgクリスマスの習慣は、もともと「太陽神崇拝」など、キリスト教以前の宗教に由来しています。サンタクロース(Father Christmas)は、キリスト教の聖師父である奇蹟者「聖ニコライ」(ニコラウス)の伝説が起源です。

日本でクリスマスを祝うようになったのは明治以降。クリスマス用品が輸入されたのは明治10年代で、クリスマス・カードは明治20年代でした。大正時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の12月号には、クリスマスにまつわる話や挿絵が多く導入されました。

昭和初期の頃は、銀座・渋谷道玄坂・浅草などの多くのカフェや喫茶店では、クリスマス料理を用意し、店員は仮装をして客を迎えました。

現在の日本では、クリスマスは年中行事として定着し、キリスト教徒は勿論、そうでない一般家庭でも、この日に贈り物をしたりパーティーを開いたり、クリスマス・ケーキを食べたりして祝っています。

クリスマス・ツリー(ホリデーツリー)が飾られ、クリスマス・セールが行われ、クリスマス・ソングが流れて、クリスマス・ケーキが売られます。街中では街路樹に豆電球が飾り付けられ、煌びやかなイルミネーションが人々を楽しませます。クリスマスの挨拶に、クリスマスにちなんだ絵はがきやカードを送る習慣もあります。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
近年のイルミネーションはLEDの普及で、きらびやかな飾り付けを目にします。この時期どこのイルミネーションが綺麗かが話題になり冬の楽しみなってきました。
風邪やインフルエンザが流行していて「ノロウイルス」が蔓延していると警報が発せられています。季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月24日「納めの地蔵」です。■
121214_21.jpg「納めの地蔵」とは、年の最後の地蔵尊縁日のこと。地蔵縁日は「4」の付く日に行われています。12月24日はその年最後の縁日として「納めの地蔵」と呼ばれています。ちなみに、年明け1月24日は1年で最初の地蔵の縁日で「初地蔵」呼ばれ「納め地蔵」と共に親しまれています。

地蔵菩薩は、サンスクリット語で「クシティ・ガルバ」で、「クシティ」は「大地」を、「ガルバ」は「胎蔵」を意味することから「地蔵」とされています。地蔵菩薩を遡るとインド神話、バラモン教を通して仏教に取り入れられた大地の天すなわち「地天」です。

この「地天」に対して「梵天」があり、こちらは天を司るとされる「虚空蔵菩薩」です。本来は、地天が地蔵菩薩と梵天が虚空蔵菩薩は一対として存在しています。日本ではそれまで「民間信仰」の田の神地蔵信仰が一般的に広まっていたので、地蔵菩薩と、民間信仰と深く結びついたと考えられています。

仏典の「地蔵十王経」によれば、地蔵菩薩は、閻魔大王の化身と言われ、釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまでの間、六道(地獄道・餓鬼道・阿修羅道・畜生道・人間道・天道)の一切衆生を、救う菩薩とされています。もともと地獄信仰と地蔵菩薩とは別個のものでした。

ここで「地蔵菩薩」がもともと「地」を司ることから、農耕民族である日本人にとって民間信仰の「地霊・田の神」とほどなく融合して、地蔵信仰と地蔵菩薩が「お地蔵様」として伝えられている。

121214_22.jpg右手に錫杖、左手に宝珠をといった地蔵の姿から、僧侶をモチーフにした地蔵に、童子の姿の地蔵など多岐にわたります。呼称も時代と共に「地蔵菩薩」から「お地蔵さま」に変化親しみを込めて変化しています。
 
東京巣鴨の「とげぬき地蔵尊」では、この日、1年間のお礼と来年への祈願を兼ねてお参りが行われ、地蔵菩薩を祀るお堂は多くの参詣者で切れ目がなく、とても賑わいます。参道の地蔵通り商店街では、正月飾りなどを売る露店が立ち並びます。

とげぬき地蔵尊(萬頂山高岩寺)
◆東京都豊島区巣鴨3-35-2
◆JR東日本、山手線「巣鴨」徒歩6分
◆都営地下鉄三田線「巣鴨」徒歩6分

■12月22日~12月28日「小犯土(こづち)」です。
120502_60.jpg明日から小犯土です。小犯土は大犯土の7日間に8日目の間日を経たあと9~15日目の7日間を指します。この期間を犯土として前半を大犯土、後半を小犯土としました。

◇期間中慎む作業◇
「犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。
特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

110311_15.jpg◇木々の低調な時期◇
野山の木々にも活発な時期と低調な時期があります。大犯土・小犯土期間中は、木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。 除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐとせっかくの材木が早く腐ってしまいます。科学的な根拠の有無は別にして、経験的に林業の方や大工の方は犯土を尊重するそうです。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
暦には科学的な根拠の少ないものも数多く残っています。迷信とは別に経験的なデータとしての暦に従って、トラブルや不慮の事故を防ぎましょう。大自然の法則はまだまだ解明されていない自然現象も数多くあるのです。
昨日が立冬、季節は冬に入ります。この頃の良い気候から秋の長雨の時期に入って、体調を崩す方をお見受けします。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月23日「天皇誕生日」「旧天長節」です。■
121214_20.jpg「天皇誕生日」は、国民の祝日のひとつで、今上天皇(きんじょうてんのう=その時点において天皇として在位している天皇のこと)の誕生日を祝う日です。平成28年12月23日で83歳の誕生日を迎えられました。
 
大東亜戦争終結までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれました。現在は、皇居において一般参賀が行われています。一般参賀とは天皇が皇族と御一緒に国民から祝賀をお受けになる行事です。
現在の元号は「平成」、今上天皇は、昭和天皇の第一皇子「明仁」第125代天皇です。


◆一般参賀◆
午前中3回の予定されています。
宮内庁Web参照:http://www.kunaicho.go.jp/event/sanga/sanga02.html
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今上天皇のご年齢から生前退位発言や、秋篠宮殿下から天皇定年制の発言があるなど、物議を醸しだしています。皇室典範の改正で生前退位が実現すれば、お年を召された今上天皇のご負担も減ることでしょう。
記憶に新しい「ブータン国王夫妻」など、国賓の来日の際、天皇主催晩さん会に陛下ご自身が心臓バイパス手術のため出席できないなど、公務に差支えているといった背景にあるようです。
大統領制の隣国では大統領の弾劾で一大騒動に発展しています。君主をいただく日本の伝統文化、歴史を絶やさないようにしたいものです。
筆者敬白

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■12月22日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

■12月21日「ゆず湯」です。■
121210_33.jpg冬至の日に湯を沸かし、沐浴(髪を洗い、からだを洗うこと)する風習がありました。これが「ゆず湯」の始まりと言われています。
 
現在でも、この日に「冬至粥」「冬至南瓜」「冬至蒟蒻」を食べ、「ゆず湯」に入る習慣が受け継がれています。
 
南瓜(かぼちゃ)
の色素「カロチン」は、体内でビタミンAの働きをし、ゆずなど柑橘類の皮に含まれている「芳香油」の作用は、肌荒れを防止し、湯冷めを防ぎます。
 
入浴は、血液の循環を良くし、新陳代謝を促し、疲労回復に大変効果があります。ゆずの皮の芳香油が、湯冷めを防ぐことは科学的に証明されています。入浴は健康のもと。ゆず湯は、冬の美容と健康を考えた生活の知恵です。

121214_34.jpg冬至の「ゆず湯」は有名ですが、11月みかん湯、10月生姜湯、9月菊湯、8月薄荷(ハッカ)湯、7月桃湯、6月どくだみ湯、5月菖蒲湯、4月さくら湯、3月ヨモギ湯、2月大根湯、正月松(まつ)湯、とあります。

東京都内の銭湯ではこの日「ゆず湯」を実施しています。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
季節の植物を感じる沐浴は、風呂好きの日本人の風流なのかもしれません。季節柄、秋から冬にかけのみかん湯、生姜湯は天然由来薬用効能も確認されていて、温浴施設で体験することもできます。
一部の植物は香りを楽しむもので、薬用効果よりもアロマの効果もあるようです。
いつの時代も、リラックスできる温浴施設や湯治文化は日本独特のものと言えます。
季節の変わり目です。風呂上がりの湯冷めで、風邪などお召しにならないように、お体ご自愛専一の程。
筆者敬白

◆二十四節気◆平成28年12月21日「冬至(とうじ)」です。◆
101220_5.jpg12月21日19時44分「冬至」です。旧暦11月、子(ね)の月の中気で、天文学的には太陽が黄経270度の点を通過するときをいいます。
 
冬至の日、太陽が南半球の最も遠い点ににあるため、日本のある北半球では、太陽の高さ(南中高度:太陽が南中した瞬間の高度)が一年で最も低くなります。そのため昼が一年中で最も短く、夜が一番長くなります。

冬至線「南回帰線」ともいい、南緯23度27分を走る線、太陽は冬至の日に、南回帰線の真上を通過し、以降ふたたび北上します。


冬至の日は冬の中間で、太陰太陽暦(旧暦)では冬至が暦の起源とされていて、とても重要な節でした。現在の太陽暦(グレゴリオ歴)では、春分点が起源とされています。冬至を暦便覧でも「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説いています。 

この頃から次第に寒さが増します。年末近くに日本列島を通る低気圧は特に「年末低気圧」と呼び、本格的な冬将軍が訪れます。

131218_20.jpg◆小豆粥・柚子湯◆
昔からこの日を祝う風習があり、宮中では祝宴が催されます。庶民は冷酒に「小豆粥」や南瓜で祝い、「ゆず湯」に入ります。「冬至」を「湯治」にかけて無病息災を願います。柚子は皮膚を強くする効能があります。また「柚子」から「融通が利く」という語呂を合せで願いが込められています。
※季節のお便りブログ中の冬至と同じ日「ゆず湯」参照

◆魔除け・金運のかぼちゃ◆
「南瓜:かぼちゃ」
には魔除けの意があり、冬至の日に食すると病い除けになるとされています。近年では魔除けよりも金運を祈願する意に変化しています。他には人参・金柑・銀杏など、呼び方に「ん」のつく食べ物を食すると「運気」が上がり幸運になるのだとか。中国では、餃子湯圓(たんゆえん:あんの入った団子をゆでたもの)を食します。
 
南中高度:太陽の南中高度は季節によってかわり、北半球では夏至に最も大きく冬至に最も小さい。

◆天文学的にみる「昼」とは◆
地球は、地軸を軌道面と垂直な方向から約23.4度傾けて太陽のまわりを自転しながら公転しています。
 
111219_15.gif太陽は、天の赤道から約23.4度傾いた黄道上を、1年かけて一周するように見え、太陽の赤緯が変化します。夏至の頃北半球では昼が最も長くなり、南半球では最も昼が短くなります。反対の冬至の頃には、この逆になるのです。日本が冬至の日は、南半球は夏至にあたるということです。
 
昼と夜の長さの変化は、高緯度地域になるほど大きくなり、太陽がまったく沈まず一日中昼になる「白夜」と、太陽がまったく昇らない一日中夜となる「極夜」が生じます。冬至の日は、北極圏全域で極夜となり、南極圏全域で白夜となります。ちなみに、赤道付近では、昼と夜の長さはほとんど変化しません。
 
日の出、日の入り「太陽の上端が地平線または水平線に重なった瞬間」と定義されていることから、地平線や水平線付近では、大気の影響で「太陽が実際よりも上」に見えるので、春分・秋分の日でも、昼と夜の長さは等しくならず、昼が少しだけ長くなります。
 
◆冬至の南中高度の計算◆
東京の緯度は「北緯35.5度」です。これに地球の傾き23.5度をプラスして、90度を引く。南中高度は31度になります。ちなみに、札幌は23度、沖縄は40度です。
 
実際の日照時間は、夏至の頃より冬至の頃のほうがやや多いのですが、南中高度による太陽の照射角度の影響で寒いのです。


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◆◆「七十二候」◆◆
初候「乃東生」(ないとう しょうず)
草木いずれも枯れている中で、夏枯草のみが緑の芽を出し始める時節。
  乃東=夏枯草(かこそう)の古名。冬に緑の芽を生じ、夏に枯れるのでこの名が付いています。
次候「麋角解」(びかく げす)
大鹿が角を落とす。
末候「雪下出麦」(せつか むぎを いだす)
いちめん雪に覆われていても、その下では、麦が芽を出し始める時節。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
毎年年末は「クリスマス」を過ぎると、一斉に正月飾りに切り替わります。
カレンダーの上では12月の次には1月が来るのは、当たり前ですが、年末には大掃除をして新しい年を迎える準備をします。
一家総出で掃除することよって年の終わりを演出します。これは日本人の生活習慣の一つで、清掃こそが新しい年を迎える心の準備とされています。
私たちは、日本の文化を習慣的に実践しています。日本の良い習慣は次の世代につないでいきたいものです。
例年21~22日「冬至」から雪や寒さが本格化します。
今年の冬は久々ぶりに寒い冬、厳冬との長期予報です。季節の変化が極端になったように感じます。
大自然の中では、人間はちっぽけな存在なのかも知れません。地球規模で共存したいものです。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月21日「納めの大師」です。■
111222_19.jpg空海を信仰する大師信仰は、高野山四国八十八か所札所巡り、各地にある厄除け大師など、現代でも社会に広まっています。

「納めの大師」とは、その年の最後の弘法大師空海の縁日を指します。終い弘法・果の大師などともいいます。
 
弘法大師は、承和2年(835)3月21日に入寂したので、真言宗の各寺院では3月21日に御影供養を行い、毎月21日を縁日としています。その年の最後の縁日が12月21日であるところから「終い大師」「納めの大師」と呼ばれて参拝者で賑わいます。

京都「東寺」の終い弘法は、北野天満宮の終い天神(12月25日)と並び称され、大変賑わいます。関東では「西新井大師」「厄除け川崎大師」が有名で、前夜からたくさんの参拝者で賑わいます。

東寺
◆京都市九条町1番地
◆公式Web:http://www.toji.or.jp/

 

■12月20日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「
万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

120125_15.jpg

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
季節は本格的な冬への変わり目です。インフルエンザや風邪がが流行していて体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月19日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
12月の「一粒万倍日」です。暦の上では、二十四節気「大雪」師走の中旬です。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月19日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■12月18日「納めの観音」です。■
121206_26.jpg「観音菩薩:かんのんぼさつ」は、仏教の菩薩の一尊で、「観世音菩薩:かんぜのんぼさつ」または、「観自在菩薩:かんじざいぼさつ」とも。別称「救世菩薩:くせぼさつ、ぐせぼさつ」など。
 
中国六朝時代の訳経僧「鳩摩羅什:くまらじゅう」の旧訳では「観世音菩薩」といい、当時の中国大陸での呼称も観世音菩薩でした。これには「観音経:かんのんきょう=妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」の趣意を取って意訳したとの説があります。
 
般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり「般若の智慧の象徴」ともなっています。浄土教では、観無量寿経の説くところにより「阿弥陀如来の脇侍」として「勢至菩薩」とともに安置されることも多い。観音菩薩は「大慈大悲」を本誓とします。
 
観世音菩薩は身を三十三に変化し、衆生を利益し、済度すると伝わります。「観音三十三身」に因んで、西国・坂東・秩父などの代表的観音霊場三十三所を巡礼する「観音信仰」が中世以降に盛んになりました。観音の縁日は毎月18日とされ、その日に参拝すると特にご利益があるとされました。
 
111212_24.jpg「納めの観音」とは、一年を締めくくる観音様の縁日のことです。東京浅草寺、京都清水寺などが有名で、参道には年の市が立ち、正月の縁起物を売る露店が軒を連ねます。


現在浅草寺の「羽子板市」では、羽子板でつく「おい羽根」が害虫を食べる「トンボ」に似ているところから、女の子に「悪い虫がつかない」とゴロを合わせて縁起を担いでいます。

更に、羽根の「豆:むくろじ」の部分から「魔滅:まめ」に見立てて魔除けになる。あるいは「マメに暮らせる」などとも縁起を担いでいます。このように江戸時代、女の子が生まれた夫婦に羽子板を贈る風習があり、羽子板を正月の縁起物として「歳の市」で扱う店が増えたと伝わります。

■12月17日「伊勢神宮 月次祭」です。■
121206_24.jpg広い神域の中に千古の杉に囲まれた「伊勢神宮」は、神社本庁の本宗で、正式名称は「神宮:じんぐう」ですが、他の神宮と区別するために「伊勢神宮」と呼ばれます。
 
神道の神社では別格とされており、格付けはされません。明治政府により国家神道の頂点の神社として位置付けられました。
 
「皇大神宮:こうたいじんぐう」と呼ばれる「内宮:ないぐう」、「豊受大神宮:とようけだいじんぐう」と呼ばれる「外宮:げぐう」からなり、別宮・摂社・末社・所管社をあわせた125社を「神宮125社」と呼びます。
 
御祭神は「内宮・皇大神宮=天照大御神:あまてらすおおみかみ」を祀ります。皇室の御祖先の神で日本人の総氏神とも言われています。 御神体「八咫鏡:やたのかがみ=三種の神器の一つである鏡」。相殿神に天手力男神、万幡豊秋津姫命。
 
121210_31.jpg「外宮・豊受大神宮=豊受大神:とようけおおみかみ」。衣食住をはじめすべての産業の守りです。神相殿神に御伴神3座です。
 
「月次祭:つきなみさい」は、神宮で行なわれる三節祭の一つ。神嘗祭(かんなめさい)と並ぶ重要なお祭が執り行われます。
 
伊勢神宮
◇三重県伊勢市
◇内宮=近鉄「宇治山田駅」バス15分
◇外宮=JR・近鉄「伊勢市駅」徒歩5分
公式HP:
http://www.isejingu.or.jp/
恒例祭詳細:
http://www.isejingu.or.jp/maturi/maturi2.htm


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
伊勢神宮は20年に1回ごと遷宮をしています。次回「第62回式年遷宮」は平成25年です。ホームページによると平成17年から行事が斎行中との事です。
別宮・摂社・末社・所管社をあわせた125社が、パワースポットだとして、開運ツアーが企画されているようです。運は悪いより良いほうが良いものです。お伊勢さんで何かを感じ取るもの悪くはないでしょう。
季節の変わり目です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月17日「奈良、春日大社 若宮おん祭」です。■
121206_25.jpg春日大社の摂社「若宮」の御祭神は、本宮第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の御子神「天押雲根命:あめのおしくもねのみこと」で、平安時代に御出現され「水徳の神」と仰がれました。
 
長承年間に大雨洪水により飢饉が相次ぎ、疫病が蔓延し、時の関白・藤原忠通公が万民救済の為に若宮の御霊威にすがり、保延元年旧暦二月二十七日、大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。
 
翌年旧暦九月十七日、若宮の御神助を願って春日野に御神霊をお迎えし、祭礼を奉仕したのが「おん祭」の始まりです。長雨洪水も治まり晴天が続いたので、以後870年余にわたり、五穀豊穣・万民安楽を祈り、盛大に執り行われています。
 
111212_23.jpgおん祭は、奈良の年中行事で最も大規模なものとして有名。見所は神霊の渡御式です。装束姿の春日の使いを先頭に、巫女・細男(せいのお)・田楽法師・競馬騎士・大名行列などが市中を練り歩きます。御旅所にはかがり火が焚かれ、深夜まで古典芸能が奉納されます。おん祭は、国の重要無形民族文化財に指定されています。
 
春日大社
◇奈良市春日野町160
◇JR・近鉄「奈良駅」から「春日大社本殿行」バス約11分
◇公式HP
http://www.kasugataisha.or.jp/

■12月17日「東京、浅草観音 歳の市」です。■
121206_22.jpg「浅草観音:あさくさかんのん」の正式名称は「浅草寺:せんそうじ」です。本尊は聖観音(しょうかんのん)。坂東三十三箇所観音霊場の札所13番。江戸三十三箇所観音霊場の札所1番。

もともと天台宗に属していましたが、第二次世界大戦後に独立し、聖観音宗の総本山となりました。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」「浅草の観音様」と呼ばれ、広く親しまれています。

121206_23.jpg東京都内最古の寺院「浅草寺:せんそうじ」の歴史は古く、明暦3年(1657)に観音堂の北に、新吉原遊郭が出来たことで人々が集まるようになりました。浅草寺の催事には大勢の人達が押し寄ましたが、中でも「年の市」賑やかな行事の一つでした。

「年の市:としのいち」とは、12月中頃から年末にかけて、正月の贈り物や縁起物、正月飾りや正月用品、日用品などを売る市のことです。

古く、人々がお正月を迎えるために、それぞれ余った作物や不要なった物を、物々交換していたのが始まりです。「歳末大売出し」などのセールや、植木市、ぼろ市、つめ市というのもこの名残。

111212_21.jpg

東京では、浅草観音で行われる市がもっとも古い年の市です。年の市で売られるものは、しめ飾り・神棚・桶・餅・鯛・海老・昆布、羽子板・凧など正月飾り。まな板や柄杓などの台所用品も並びます。新年を迎えるにあたり、新しいものを使い始めようという、日本の区切りをつける庶民文化を形作ります。

浅草寺
◇東京都台東区浅草2-3-1
◇営団地下鉄銀座線・都営地下鉄浅草線・東武伊勢崎線「浅草駅」徒歩5分
公式HP
http://www.senso-ji.jp/

◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇
この時期、すっかり師走の雰囲気で、街ではクリスマス商戦の準備です。歳の市から、正月準備と慌ただしい日々です。相変わらずの節電でにぎやかさにもどこか暗さがあります。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月15日「東京世田谷ぼろ市」です。■
東急多摩川線「世田谷駅」から元の代官屋敷にかけての道路とその横丁などにおいて開かれる「ぼろ市」は天正6年(1578)小田原城主北条氏政がこの地に楽市を開いたのが始まりです。
 
121206_21.jpg楽市・楽座(らくいち・らくざ)=戦国時代から近世初期において、織田信長、豊臣秀吉の織豊政権や各地の戦国大名が城下町などの支配地の市場で、城下町を繁栄させる為にとった商業政策のこと。それまでの座商人の特権廃止や市場税の廃止、また、座そのものの廃止によって新興商人の自由営業を許したもので、「楽」とは規制が緩和されて自由な状態となったの意。
 
寛永10年(1633
世田谷領二十ヶ村は、彦根藩・伊井家の所領となりました。
世田谷領代官に大場盛長が任命され、以来明治維新まで大場氏が代官職を世襲。大場氏は領民が正月を越せるようにと、物々交換の市を立て、不用の物を売って年越し資金を捻出すると言う目的で開かれていました。


111208_16.jpg市に並べられた物は、古布・古下駄・古道具などでしたが、明治中期からは農民向きの市に変わり、その後に植木市となって、現在では骨董品、日用雑貨、古本や中古ゲームソフト、中古CDを売る露店も。


ボロ市は午前9時の花火の音を合図に始まります。代官屋敷のある「ボロ市通り」を中心に、約750店の露店が並びます。ボロ市名物「代官餅」は、あんこ・きなこ・からみの3種類。その場で蒸してついた餅には行列が続き、毎年多くの人々で賑います。


開催地
◇東京都世田谷区「ボロ市通り」と世田谷通りの一部。
◇東急世田谷線「上町」「世田谷駅」すぐ
◇世田谷区HP:http://kisetsunootayori.com/mt/mt.cgi

開催日時 ※雨天実行

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ぼろ市は12月1月の2回開催されます。世田谷区HPのコメントです。
430年以上にわたる歴史のある、伝統の市で、東京都指定無形民俗文化財に指定されています。
骨董類、古着、植木から玩具、日用雑貨、食料品など、多種多様な商品が販売されます。
露店数750店舗、来場者数 数十万人という、活気のある"市"の雰囲気をぜひ味わってください。

筆者敬白

■12月15日「年賀状特別扱い開始の日」です。■ 141217_20.jpg
全国の郵便局では、この日から年賀はがきの特別扱いを開始しています。 
25日までに投函された分についての年賀はがきは、翌年1月1日(元旦)に必ず配達されるという特別な制度です。 

 年賀状とは新年に送られる郵便葉書やカードを用いた挨拶状のことです。日本では、古く奈良時代より新年の年始回りという年始の挨拶をする行事があり、平安時代には貴族や公家にも風習が広まり、挨拶が行えないような遠方などへの年始回りに変わるものとして書状でも交わされるようになりました。 

江戸時代になると新年の挨拶は社会全般に広まり、飛脚が新年挨拶書状を運ぶようになって来ました。明治維新後の明治4年(1871)、郵便制度が確立しましたが、年賀状は書状で送る習慣が定着していました。

明治6年(1873)に「郵便はがき」を発行するようになると、年始の挨拶も葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まったのです。 明治20年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着したのです。 

141217_21.jpg
その結果、年末年始にかけて年賀状が集中し、郵便取扱量が何十倍にも膨れ上がり、通常郵便に加えて膨大な年賀状のため郵便物全体の処理が遅れ、年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生するようになりまた。 

これを解決する対策として明治32年(1899)12月に指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まり明治38年(1905)完全に全国の郵便局で実施されるようになりました。
なお年賀状は本来、元日に書いて投函していましたが、この特別取扱をきっかけに年末までに投函し元日に配達するようになったのです。

明治40年(1907)から葉書の表に「年賀」であることを表記すれば枚数にかかわらず郵便ポストに投函できるようになったのです。 

◆◆◆◆編集後記◇◇◇◇ 
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近年は、パソコンや携帯電話などインターネットの発達により、若い人をはじめ壮年や初老の方も年賀状を出さずメールや電話で済ませる人も多くなって来ました。
この様な習慣はこれから益々増加して、郵便はがきでの新年のご挨拶は減少する一方のように感じます。「お年玉付き年賀はがき」のこれからの変化を観察していきたいものです。 
ここ数日間は寒気が増し、日本海側では大雪の予報です。 季節の変わり目です。
皆様お体ご自愛専一の程 
筆者敬白

■12月14日~12月20日「大犯土(おおつち)」です。■
◇犯土の期間◇
120502_60.jpg大犯土:おおつち」は選日の一つで庚午(かのえ うま)の日~丙子(ひのえ ね)の日までの7日間(12月14日~12月20日)をいいます。
8日目の丁丑(ひのと うし:12月21日)の日を差し障り無い「犯土間日:つちまび」を置きます。
9日目の戊寅(つちのえ とら)の日から甲申(きのえ さる)の7日間(12月22日~12月28日)を「小犯土:こづち」としています。

◇犯土期間中慎む作業◇
犯土」の期間は大地に感謝して、五行説の地(土)の力を養う日とされています。おのずと「土を犯してはならない」とされ、穴掘り井戸掘り、築堤、築墓などの土木工事、種蒔き、下刈り、伐採など土木作業の一切を慎む日とされます。特に屋敷内の土木作業は災いを招くとされ、家主が災を被ります。

木々の活動低調期◇

110311_12.jpg野山の木々にも活発な時期と低調な時期があります
大犯土・小犯土期間中は、樹木にとって低調な時期にあたり、この時期に伐採すると材木に、虫が入りやすく早く腐りやすいとされています。
除伐、下草刈りなども避けたほうがよく、新築では竣工を急ぐとせっかくの材木が早く腐ってしまいます。

科学的な根拠の有無は別にして、林業や大工の方は暦の犯土を経験的に重要視しています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
現代では暦の「大犯土」は、単なる科学的な根拠のない迷信だと、軽んじられています。現代では暦に従って生業を営むことが、難しくなってきました。また、宮大工の方などはこの日を選んで、刻みをいれる方もいらっしゃいます。1000年を超える建築物がいまだに健在な理由は、このような現代科学では計り知れないものを利用したからかもしれません。
土に関わる仕事を生業にしている不動産業の方や、工務店、建築業・林業の方は、日程を調整して不慮の事故を未然に防ぎましょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月14日「東京高輪泉岳寺義士祭」です。■
111212_10.jpg「泉岳寺:せんがくじ」は、曹洞宗の寺院で江戸三箇寺のうちの一つ。慶長17年(1612)門庵宗関和尚(もんなんそうかんおしょう=今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田(現ホテルオークラの近辺)に創立した寺院です。
 
寛永18年(1641)寛永の大火によって焼失。時の将軍・家光が、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷・今川の六大名に命じ現在の高輪の地に再建されました。


浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のもので、赤穂義士の墓があることで有名。本所松坂町の吉良邸へ討ち入った12月14日を記念して全国各地で「義士祭」が行われ、盛大な法要が執り行われます。


泉岳寺義士祭(冬)午前11時「墓前供養」浅野長矩公之墓所。午前12時「献茶式」東阿部流献茶式(本堂)引き続き義士追善供養(本堂)※本堂の行持は一般非公開。


今から約300年前に起きた一大事件「赤穂義士たちによる討ち入り」は、主君・浅野内匠頭の無念を晴らす為に1年9ヶ月もの歳月が費やされました。見事本懐を遂げた英雄達の忠誠心は、当時から伝え語られ今もなお国民的ロマンとして受け継がれています。年末になると「忠臣蔵」がTVの時代劇の主役です。

121206_20.jpg町内では「義士パレード」が行われます。殺陣、義士娘輿道中、当時の赤穂藩主の参勤交代を偲ばせる大名行列。殿中刃傷の場や討ち入りの場など、忠臣蔵の名場面を演じる山車、四十七義士に扮し意気揚々と泉岳寺へと向かう義士行列へと続き、沿道を埋める観客を「赤穂浪士討ち入り」へと誘います。

泉岳寺
◇東京都港区高輪2-11-1
◇地下鉄都営浅草線・京浜急行電鉄「泉岳寺駅」徒歩3分
公式HP:http://www.sengakuji.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
毎年12月になると、忠臣蔵、赤穂浪士が話題になります。年配者の中には忠臣蔵といえば雪をイメージされる方もいらっしゃるでしょう。
近年は歴史ファンが増え、女性の武将マニアが泉岳寺の赤穂浪士碑や義士祭に訪れるようになりました。
当時では徳川の御政道、現代では自民党政権で機密保持法の強行採決など、満足しない輩はいつの時代もいるものです。赤穂浪士のような従順な部下を、自ら死に追いやるような社会には、なって欲しくないものです。
12月に入り木枯らしも吹き、日没後は冷え込みを感じます。風邪を引きやすい季節です。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月13日「己巳(つちのとみ)」です。■
120417_62.jpg「己巳:つちのと・み、き・し」は、干支十干と十二支)の組み合わせ60のうちの6番目で弁財天を祭る日とされています。「巳待:みまち」ともいいます。

五行説で、十干「:つちのと、き」は「陰の土」、十二支「:み、し」は「陰の火」で、相生(火生土)でとなり相性のいい日です。

「巳」は「」をあてています。蛇は弁財天の使いであると考えられていたことから、福徳賦与の神である弁財天を祀るようになりました。


「弁財天」
は、宝冠を被り青衣をつけた美しい女神で、左手に弓・刀・斧・絹索を、右手に箭・三鈷戟・独鈷杵・輪を持つものもあり、ヴィーナ(琵琶に似た楽器)を弾じます。


121225_27.jpg安芸の宮島
大和の天川近江の竹生島相模の江ノ島陸前の金華山五弁天と称します。
鎌倉の「銭洗弁天」(正式には宇賀福神社)では、境内奥の洞窟内の湧き水で銭を洗うと、数倍になって返ってくるとされています。

日本各地に存在する「弁天島」は、弁才天信仰に由来する島名です。海難避けや豊漁を祈願する漁師たちの守り神として、日本各地の沿岸の小島に祀られてきました。

七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして信仰されている七柱の神です。
◆≪恵比寿:えびすさま≫商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、大魚守護の神様
「大漁追福」の漁業の神。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となりました。七福神の中で日本が由来の神様。
◆≪大黒天:だいこくてん、だいこくさま≫五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛の神様
ヒンドゥー教のシヴァ神と、日本古来の大国主命の習合です。その後「大黒柱」と現されるように、食物や財福を司る神となりました。
◆≪毘沙門天:びしゃもんてん≫武道成就、降魔厄除、家内安全、夫婦和合の神様
ヒンドゥー教のクベーラ神。仏教の神のヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり、日本では毘沙門天と呼ばれます。
◆≪弁才天:べんざいてん、べんてんさま≫恋愛成就、学徳成就、諸芸上達、福徳施与の神様
七福神の中の紅一点。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されます。
◆≪福禄寿:ふくろくじゅさま≫財運招福、延命長寿、立身出世、招徳人望の神様
道教の宋の道士、または、道教の神で南極星の化身の老子である「寿老人」の別名または同一神とされます。
◆≪寿老人:じゅろうじん≫幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様
道教の神で南極星の化身の老子。
◆≪布袋:ほていさま、ほていそん≫千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛の神様
唐の末期、明州に実在したと伝わる仏教の僧です。

130218_20.jpg
暦注や暦に起因する様々な行事は、中国から渡ってきたものが主ですが、「
庚申待」「甲子待」と同類でも、「己巳」は日本独自のものです。

◇◇◇ 編集後記 ◇◇◇
もうすぐ平成29年です。己巳や庚申などは
現代社会では迷信扱いです。暦の謂れを振り返ってみることも、せちがない現代での心の余裕といえます。 

皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月11日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■12月10日「大宮、氷川神社 大湯祭」です。■
121205_28.jpg武蔵一之宮「氷川神社」は、武蔵国各地にある氷川神社の総本社で、延喜式神名帳では名神大社に列し、聖武天皇の時代に「武蔵国一宮」に定められ、他の氷川神社と区別するため「大宮氷川神社・おおみやひかわじんじゃ」と呼ばれます。
 
その門前町は「大いなる宮居」から「大宮」という地名で栄えました。ちなみに、埼玉県の「大宮市」という地名は、残念なことに平成13年(2001)に地図上から消滅しました。大宮市、浦和市、与野市の3市が町村合併して政令指定都市の「さいたま市」が発足したためです。
 
氷川神社はおおよそ二千有余年前、第5代孝昭天皇(紀元前475~前393*異説あり)の御代三年四月未の日の創立と伝わります。主祭神に「須佐之男命:すさのおのみこと」、「奇稲田姫命:いなだひめのみこと」、「大己貴命:おおなむちのみこと」を祀ります。
 
明治以後、国都が武蔵国に設置された事から、四方拝などの宮中祭祀の対象に加えられるなど、皇室からも重んじられました。
 
第13代・成務天皇の時代、出雲の「兄多毛比命・えたもひのみこと」が一族を連れてこの地に移住し、武蔵国造となり氷川神社を崇敬しました。
 
この一帯は、出雲族が開拓した地で、武蔵国造出雲国造と同族とされます。社名「氷川」も、出雲の「簸川、肥河」という川の名前に由来するという説があります。
 
111205_14.jpg毎年12月10日、午前8時より神事が行われます。神前には、百味膳(ひゃくみぜん)という海川山野の種々の神饌を供え、参道には飲食物の露店、境内には熊手などの縁起物を売る露店が出店し、全国稀に見る酉の市として知られます。
 
武蔵一宮氷川神社の神事「大湯祭」にあわせて行われる伝統の酉の市は、毎年12月10日に行われるため「十日市と:おかまち」といわれます。縁起物の熊手の他、まねき猫・だるま・神棚、来る年の暦や運勢・吉凶が書かれている雑誌などを売る露店が多く並び、多くの人出で賑わいます。


※四方拝(しほうはい)※
◆宮中で行われる一年最初の儀式。戦前は「四方節」

◆形式は『江家次第』が有名。唱える呪文「 賊冦之中過度我身 毒魔之中過度我身 毒氣之中過度我身 毀厄之中過度我身 五急六害之中過度我身 五兵六舌之中過度我身 厭魅之中過度我身 萬病除癒、所欲随心、急急如律令」

◆拝する山陵:伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮

氷川神社
◇埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
◇東武野田線「大宮公園駅」「北大宮駅」徒歩10分
◇JR高崎線「大宮駅」徒歩20分
◇首都高埼玉大宮線から埼玉新都心線「新都心出入口」から北へ5分

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
氷川神社の十日市など11月から12月にかけて酉の市が各地で立ちます。関東では熊手に小判や俵を飾り福を集める熊手です。東日本大震災によって景気の低迷、失業率の高止まりと不安定な今年でした。来年こそは・・・・と酉の市に出かけてください。何かが味方してくれます。
今年の冬は、暖かさと寒さが交互にやってきます。日が沈むと、急に寒くなることもあります。
時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月10日「岡山、最上稲荷 火焚祭」です。■
111205_15.jpg日本三大稲荷の一つ「最上稲荷:さいじょういなり」の正式名称は「最上稲荷教総本山妙教寺」。明治の神仏分離令の際に、神仏習合の祭祀形態が許された寺で、神宮形式の本殿には本尊の「最上位経王大菩薩」を祀ります。
 
天平勝宝4年(752)報恩大師孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。すると白狐に乗った本尊の最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大師はその尊影を刻み祈願を続け、無事快癒されたと伝わります。その後延暦4年(785)年、桓武天皇ご病気の際にも、大師の祈願により快癒。

これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮寺:じんぐうじ」を建立、繁栄しました。五穀豊穣、商売繁盛、開運など様々な御利益をもたらす神さまとして人々の信仰を集めます。
 
121205_24.jpg「火焚祭:ひたきさい」は、一年間、家内安全など家族を守り諸願を叶えた御札を焚き上げます。この炎にあたると一年を無病息災で過ごせると伝わります。この日は特別に「火難除札」が授与されます。両日で約2万人の参拝者が訪れます。
 
最上稲荷
◇岡山市高松稲荷712
◇JR「岡山駅」バス30分
◇岡山自動車道「岡山総社IC」から約5キロ
◇公式HP
http://www.inari.ne.jp/

■12月10日「納めの金毘羅」です。■
121205_27.jpg『こんぴらさん』の名で親しまれている「金刀比羅宮:ことひらぐう」の総本宮は、四国・琴平町にある琴平山(象頭山=ぞうずさん)の中腹に鎮まります。
 
御祭神「大物主神:おおものぬしのかみ」を祀り、古くは「琴平神社:ことひらじんじゃ」と称しました。本地垂迹説の影響から「金毘羅大権現:こんぴらだいごんげん」と改称し、相殿に「崇徳天皇:すとくてんのう」を合祀しました。
 
その後、明治元年に神仏混淆が廃止され、元の神社に復り「金刀比羅宮」と改称して現在に至っています。

大物主神は「天照大御神:あまてらすおおみかみ」の弟で、「建速素盞嗚命:たけはやすさのおのみこと」の子です。大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で、農業殖産、漁業航海、医薬、技芸などの神様として、全国の人々の篤い信仰を集めています。

111205_13.jpg毎月10日に月次祭が行われています。12月10日はその年最後の月次祭で「納めの金毘羅」と呼ばれます。

和魂神※ 御魂(みたま)には「荒魂:あらみたま」と「和魂:にぎみたま」があります。荒魂とは神の荒ぶる魂で、天変地異を引き起こし、人心を荒廃させて戦争へと駆り立てるのです。和魂とは優美で穏やかな魂で、自然の恵みをふんだんに与え、人類社会を平和に導く魂のことです。

金刀比羅宮
◇香川県仲多度郡琴平町892-1
◇JR土讃本線「琴平駅」徒歩20分
◇瀬戸中央自動車道「坂出IC」から30分
◇四国横断自動車道「善通寺IC」15分
◇公式HP
http://www.konpira.or.jp/

 

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■12月10日「三隣亡」(さんりんぼう)■
もともと三隣亡は、保呂風日※(ほろぶにち)に代表される「七個の悪日」の一つ。この日に棟上げ、建築を行うと、三軒隣まで焼き滅ぼすといわれる建築に関する凶日とされます。

※保呂風日とは、宣明暦(せんみょうれき=中国暦=貞観4年(862)頃)の時代に、伊勢暦などにあった暦注のこと。

江戸時代の雑書などには「三輪宝」と記され、「屋立てよし、蔵立てよし」と書かれていて、もともと目出度い日でした。これがいつ頃からか「屋立てあし、蔵立てあし」に変わってしまいました。

このように由緒のはっきりしない暦注ではありますが、六曜とともに幕末の庶民の間で流行し、明治時代の「おばけ暦」に記載されていました。現在では、どの暦にも「三隣亡」は記載されています。

三隣亡の日取りは、節切りで決まっています。節切りとは、二十四節気を基にした選日法の一つです。

・正月...亥の日 ・2月...寅の日 ・3月...午の日
・4月...亥の日 ・5月...寅の日 ・6月...午の日
・7月...亥の日 ・8月...寅の日 ・9月...午の日
・10月...亥の日・11月...寅の日・12月...午の日

建築関係者の大凶日とされていますが「高い所へ登ると怪我をする」とか、「引越しは火事になる」とかいわれますので、迷信だと気にしないよりも、注意するに越したことはありません。また、結納や建前は避けた方がいいでしょう。
 

■11月26日~12月7日「八専(はっせん)」です。

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暦の上で「十干:じゅっかん」「十二支:じゅうにし」を、「五行説:木火土金水」に当てはめると、干支ともに同じ気が重なるものが12日あります。そのうちの8日が「壬子~癸亥」の12日間に集中していて、特別な意味を持つ期間とされました。同じ気が重なることを「専一」と言いい、それが8日あることから「八専」と呼びます。八専の期間には同気の重ならない日が4日あり、これを「八専期間中の間日(まび)」と呼びます。



《日にち》  《干支》 《五行》  《コメント》
26日    壬子 =水水、 ←水の気が重なる
27日     癸丑 =水土、 間日(まび)
28日     甲寅 =木木、 ←木の気が重なる
29日     乙卯 =木木、 ←木の気が重なる
11日30日  
丙辰 =火土、 間日(まび)
01日     丁巳 火火、 ←火の気が重なる
02日     戊午 =土火、 間日(まび)
03日     己未=土土、 ←土の気が重なる
04日     庚申 =金金、←土の気が重なる
05日     辛酉 =金金、 ←土の気が重なる
06日     壬戌 =水土、 間日(まび)
07日       癸亥 =水水、 ←水の気が重なる

 
間日(まび):
このうち、癸丑・丙辰・戊午・壬戌の4日間を、八専の間日(まび)といいます。間日は八専の影響を受けづらい日です。八専は年に6回程あります。

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八専の期間は「天干てんかん」と「地支:ちし」が同じ気なので、気が偏って良い事はますます良く、悪いことは更に悪く傾きやすくなります。これは、振幅の激しい期間で、準備を怠らなかった人には良い結果が、場当たり的な対応をした人にはそれなりの結果が訪れます。

古代中国では、むしろすべてのことに良いとされていて「淮南子:えなんじ」には「専を以て干支(えと)に従えばすなわち功あり」と記されています。八専の期間中は、天地が朦朧(てんちがもうろう)として、人間社会でもバランスが取りづらくなります。人間関係では些細なことで思わず亀裂が入ったりします。他にはギャンブルなど、努力が伴わない行動は避けましょう。


※淮南子
=中国前漢時代の皇族で、学者でもある「淮南王劉安」(えなんおうりゅうあん・紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書

「八専」はもともと、築城・軍営・出陣・出兵には適さない日(凶日)として、戦争を司る軍略家の用いるものでした。
一般には、家作・植樹・地ならしなどの建設的な事柄には良く。立ち退き・解体・廃棄など処理的な事柄や婚礼、蓄類の売買には良くない日とされ、仏事も避ける(忌む)とされます。
また、八専期間中は雨が降る日が多いといわれています。八専始め「壬子=水と水八専終わり「癸亥=水と水」と水の気が始めと終わりにあるので、雨が多い期間とされています。

今回の八専の期間は11月26日~12月7日です。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今回12月の「八専」が終ると12月節です。これを機会に新しい計画を立てるなど、八専の作用を存分に活用すれば、物事が確実に成就していきます。いわゆる「準備」、「事始め」の期間が「八専」と言えます。
今のところ逆境にある方が、ここで一大決心をすると、大自然が味方になって、良い作用が発現した例を数多く聞き及びます。

毎年インフルエンザで学級閉鎖が出るなど、体調を崩しやすい時期です。 時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月9日「漱石忌」です。■
111205_11.jpg「夏目漱石」は、慶応3年(1867)江戸牛込馬場下横町の町方名主、夏目小兵衛直克の末子として生まれました。母は子沢山の上に高齢で出産したので恥じたとか。漱石は望まれない子として生まれ、幼くして養子に出されます。

本名「金之助」と名付けられたのは、漱石の生まれた日が「庚申」に当り、庚申の日に生れた子供は大泥棒になるといわれ、それを避ける為に名前に「金」の字をつけました。

明治22年(1889)大学の同窓・正岡子規との出会いにより俳句を学びます。帝国大学英文科卒業後、松山中学校、熊本第五高等学校などの教師を務めた後、英国へ留学。帰国後、東大講師を勤めながら「吾輩は猫である」を執筆し、子規門下の会「山会」で発表し好評を博します。

121205_25.jpg翌年、雑誌「ホトトギス」に読み切りとして掲載。これが評判で「倫敦塔」「坊ちゃん」などの作品を発表。人気作家としての地位を固めます。以後、朝日新聞に「虞美人草」「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」などを連載。

大正5年(1916)12月9日胃潰瘍のため死去「明暗」の執筆中でした。享年50歳。最期の言葉は寝間着の胸をはだけながら叫んだ「ここにみずをかけてくれ!死ぬと困るから!」であったといいます。

漱石の遺体は解剖され、摘出された脳は現在もアルコールに漬けられた状態で東京大学医学部に保管されています。重さは1425g。戒名は「文献院古道漱石居士」。墓所は東京都豊島区南池袋の雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)です。

雑司ヶ谷霊園
◇豊島区南池袋4-25-1
◇JR「池袋駅」東口徒歩約20分

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
雑司ヶ谷霊園では、ジョン万次郎、小泉八雲、島村抱月、竹久夢二、泉鏡花、東條英機、永井荷風、サトウハチロー、東郷青児、大川橋蔵など著名人が眠ります。また、漱石「こゝろ」の舞台にもなっています。

■12月9日「京都、了徳寺大根焚き」です。■
121210_30.jpg法輪山了徳寺(ほうりんざんりょうとくじ)は、通称「大根焚寺:だいこんだきでら」と呼ばれ、毎年12月9・10日に行われる「大根焚き」の行事で有名です。
 
建長4年(1252)親鸞上人が法然上人の遺跡を訪ねてこの地に来て説教したところ、里人が喜んで大根を煮てもてなしました。親鸞はこれに深く感じ、庭のすすきを束ねて筆にして「帰命尽十万無碍光如来」の十文字を記して、里人に与えました。
前庭には「すすき塚」があって、親鸞聖人が筆の代わりにしたススキ筆が今も残されています。
 
この故事から、大根を煮て皆で分け合って食べる習わしになりました。三つの大鍋に大根と油揚げを入れ、醤油で煮込みます。約3千本の大根は、早朝より大鍋に入れられ薪で焚かれ、二日間で約2トンも焚き上げます。

了徳寺で焚かれる大根はまぼろしの「篠大根」です。「保津川下り」でもう少しで、保津峡にかかろうとする右岸一帯に広がる肥沃な堆積土で、育てられた大根です。めったに口に出来ない貴重なものです。


121205_26.jpgこの大根を食べると中風のおまじないになると伝わり、多くの参拝者で賑わいます。
毎年11~12月にかけて、大根焚きは京都各地で執り行われます。法輪山了徳寺千本釈迦堂(12月8日)、三宝寺(12月3~4日頃)、別格本山覚勝院(11月22~23日)、比叡山延暦寺(11月20日頃)他、それぞれに謂れがありますが、大根の収穫時期に重なります。


どちらでも「お斎」の用意がされています。一部では数量限定で無料配布されています。大根は塩味、醤油で焚きこみ、油揚げなどでを加えて素材の風味を引き出してあります。


了徳寺
◇京都府京都市右京区鳴滝本町83
◇阪急「四条大宮」バス
◇京福電車「高雄口」「鳴滝」徒歩5分
◇JR「京都駅」バス「鳴滝本町」所要45分
◇公式HP
http://www.ryoutokuji.or.jp/

■12月8日「天赦日(てんしゃび)」です。■
「天赦日:てんしゃにち・てんしゃび」とは、選日や雑注にも入れられる歴注のひとつで、天が万物の罪を赦す(ゆるす)日とされる「最高の恩赦日」「極上の大吉日」です。
 暦中第一の吉日。すべてを赦してもらえる。年に5~6回の良き日です。


歴に「
万よし」と書かれるのは天赦日に限ります。現代風に考えれば、日曜と祝日と祭日と大安が重なった最良の日と言えます。この日「百神が天に昇る日」とされ、天が地上の万物を生養し、その罪を許します。 

130223_23.jpg◆天赦日は1年に5~6日有ります。◆
立春から立夏の前日までの「戊寅の日」
立夏から立秋の前日までの「甲午の日」
立秋から立冬の前日までの「戊申の日」
立冬から立春の前日までの「甲子の日」

天赦日はとにかく「何事にもよい日」とされています。
特に
創業、設立、開店、購入、結婚、婚約、建前、出産、転居、入学、和解、面接、採用、人事、新規企画、契約、約束、出発、男女のいとなみ、などには良い日です。 
今回の天赦日は立冬から立春の前日までの「甲子の日」にあたり、次の天赦日は平成27年3月3日
です。

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
本年5回目で今年最後の「天赦日」です。
今回の天赦日は、「甲子」十干十二支の第1番目と重なり、「
天赦」に「甲子:最初」が重なる極上の佳日で、立冬から立春までの「天赦日」です。す
べてを許してもらえる良き日に最初がつき、「事始め」にも良く、新規開店、転居転職など何をとっても良い日です。
今までを改めて、これを機会に志を立てることで、新しい事にチャレンジすることもいいでしょう。

筆者敬白

■12月8日「甲子」です。■
甲子:かし・かっし・きのえね」とは、甲子待ち・甲子祭の略称。子祭ともいいます。

110906_19.jpg五行説で「甲」は陽の木、「子」は陽の水で五行相生して吉となり、よい組み合わせです。また十干十二支(じゅっかんじゅうにし)の組み合わせ60種のうちの「1番」で、目出度い日とされています。

この日、甲子待ちと称して子の刻(午後11時~午前1時)まで起きて、大豆・黒豆・二股大根を食膳に供え、 を祀ります。子(ね)を、ねずみと結びつけ、ねずみを大黒天の使いであるとみなして、子の日に祀るようになりました。

甲子(きのえね)・庚申(こうしん)・己巳(つちのとみ)は、江戸時代に商家で盛んに行われました。現在でも各地に行事として残っています。

甲子は、日では60日で循環し巡り、年では60年で循環し巡ります。中国では甲子の年は政治上の変革があるとされ、甲子革命が説かれたりしました。日本でも甲子の年には、元号の改元が議論されたりしました。
 
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
社会では始まりや一番目は、お目出度いとされています。
「甲子」も干支の1番目で、決断、改革、転居、方針転換、新規チャレンジ、入学、新しい仲間などにチャンスがあります。
また、年号が甲子だと政変になるとされています。

今日は「天赦日」と同じ日の「甲子」です。新しいことを始める時で、個人でも、決断、改革、転居、方針転換、新規チャレンジ、入学、新しい仲間などにチャンスがあります。
12月の中旬、季節の変わり目です。
読者の皆様お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月8日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
12月の「一粒万倍日」です。
暦の上では、二十四節気「大雪」、師走の中旬で、しかも天赦日・甲子・一粒万倍日ととても良い日が重なります。

体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月8日「納めの薬師」です。■
「納めの薬師」とは、その年の最後の薬師の縁日のことで、この1年間のご加護を感謝するとともに、新しい1年に向けての祈願をする行事です。
 
111130_18.jpg「薬師如来」は「東方浄瑠璃世界」の教主で、正式名は「薬師瑠璃光如来」で、大医王仏とも呼ばれます。広く人々の病気を治し延命するだけでなく、精神的な苦痛までも取り除くといわれます。
 
薬師如来を本尊として建立された寺院は、病気平癒を祈願したものが多く、法隆寺の本堂の薬師如来像は、聖徳太子の父君・用明天皇の病気平癒祈願のために安置されたもの。薬師寺の本尊薬師如来像は、後の持統天皇の病気平癒のために安置され、新薬師寺の薬師如来像も、聖武天皇の眼病平癒を祈願して安置されたものです。
 
人間の死を招く病気。身の不幸や心の病も病気とし、「欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これ皆病気です」とは薬師寺ご住職のお言葉です。
 
奈良大本山薬師寺
◇奈良県奈良市西ノ京町457
◇公式HP:
http://www.nara-yakushiji.com/
東京別院
◇東京都品川区東五反田5-15-17
◇公式HP:
http://www.yakushiji.or.jp/

■12月8日「針供養」「こと納め」です。■
111130_17.jpg「こと納め」とは、その年の事の終わりの行事のことで、陰暦12月8日に行われていたものです。 

「針供養」とは、折れた針を供養し、裁縫の上達を願う行事です。関東では一般に2月8日に行われますが、12月8日に行われる地方もあります。両日とも「事八日(ことようか)」(こと始め・こと納め)にあたっており、昔から様々な行事が行われてきましたが、それが江戸など都市では針供養に変わったものと考えられます。
 
この日は、針の使用を謹んで針仕事を休み、古針(折れた縫い針や曲がった縫い針)を、豆腐やこんにゃく、あるいは餅に刺して、神社で供養したり、川へ流したりするのが一般的でした。豆腐やこんにゃくなどに針を刺す理由は、柔らかいもので針に楽をさせ、今までの針の労に感謝するの意。
 
もともと中国で行われていた針供養に似た行事が、日本に伝わったもので、事始め・事納め・女の守護神である淡島信仰などと混合して出来上がったものが針供養であるといわれます。この日、芋、大根、焼豆腐、あずき、にんじんなどの煮物料理を食べる、俗にいう「いとこ煮」や「六質汁」は、こうした縁起からきたものだそうです。
 
また、豆腐のように色白の美人になるようにとか、柔らかい気持ちになれるようにとか、まめに働くことが大事(だいず)としたのだとか。豆腐は刺されても痛いと言わないから、女性が我慢強いことを願ったからなどともいわれます。
 
121205_23.jpg和歌山の淡島神社では、その年に使って折れた針を集めておき、淡島堂(あわしまどう)へ納め、縫裁の上達を祈ります。祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)を祀ります。少彦名命は、医薬の神様です。特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかといわれています。
 
針供養は関東では2月8日、関西では12月8日に行うところが多く、古く、事始めと事納めを一緒にして「事八日:ことようか」と呼ばれていました。
 
東京浅草寺境内の淡島堂の祭神は女神で、技芸裁縫の神です。
浅草寺HP/諸堂案内(淡島道)
http://www.senso-ji.jp/guide/awashimado.html

◆二十四節気◆平成28年12月7日「大雪」(たいせつ)です。◆
12月7日1時41分「大雪」です。旧暦11月、「子(ね)の月の正節」で、天文学的には太陽が黄経255度の点を通過するときをいいます。

131205_20.jpg山の峰は積雪に覆われ、雪が激しく降り始める頃「大雪」です。平地に木枯らしが吹き、雪が降り始める頃の意です
。暦便覧には「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説いています。
 
これからの時期、日本海側と太平洋側では対照的な気候です。日本海側で大雪になれば、太平洋側では晴天になり、関東・中部・関西の平野部では乾いた風が吹きます。これは冬型の気圧配置のしわざです。日本海側で大雪を降らせる雲は入道雲で、大雪になる前には雷が鳴り響き、これから雪の兆しです。

冬になってから初めての雷を「雪起こし」と呼びます。富山地方では「鰤(ブリ)起こし」と呼び鰤の豊漁の知らせとされてきました。

雪国では雪の便り、南では冬の花「椿」が開花し、いよいよ冬将軍の到来が報じられます。冬の魚、ブリやハタハタの漁が盛んになり、山では熊や動物が冬眠します。南国では南天のが赤く色づく頃です。

◆◆「七十二侯」◆◆
◆初候「閉塞成冬」(へいそくして ふゆとなる)
天地の気が塞がって真冬となる時節。閉塞す=ふさがる
 
◆次候「熊蟄穴」(くま あなに ちっす)
熊が冬眠のため自分の穴に隠れる時節。蟄れる(かくれる)=「こもる」は古訓で、動物が土中に隠れるの意。
 
◆末候「ケツ(魚へんに厥)魚群」(けつぎょ むらがる)
鮭が群がり、河川をさかのぼって行く時節。ケツ=さけ、または淡水魚の「追河・おいかわ」(やまべなど)とも。

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◆◆「12月の花」◆◆
「ポインセチア」 灯台草科 ユーフォルビア属 学名・ Euphorbia pulcherrima
 
アメリカ駐在のメキシコ大使「ポインセット氏」が、メキシコからアメリカに持ち込んで広まったことからこの名前が付きました。ポインセチアは観賞用ではなく、茎を切ったときに出る白い乳液を解熱剤として使うなど、医療用に栽培していました。
 
131205_21.jpgアメリカから渡った欧州では、クリスマスにキリストの血の色(赤)を飾る習慣があります。この時期に苞葉の赤色が最高に美しく、下葉の緑と調和し、花の中にある蜜腺の黄色が鈴の金色の役割りを果たしていることから、クリスマスに用いられるようになりました。欧米では「クリスマスフラワー」と呼ばれます。
 
日本には明治時代に渡りました。真っ赤な花は、大酒飲みの赤い顔に似ていることから、猩猩木※(しょうじょうぼく)とも呼ばれました。
猩猩は中国の想像上の動物で、猿のような顔で毛は紅色。
 
花言葉「聖なる願い」「私の心は燃えている」など。深みのある赤い苞葉は「愛情」をあらわします。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆

12月7日から12月の師走節に入り、街角ではクリスマスイルミネーションオンパレードです。LEDの普及によりイルミネーションの点灯時間も長引き、きらびやかで節電のクリスマスを迎えています。
厳しい冬の予感の中「大雪」を迎えます。どうやら今年は「インフルエンザ」の大流行も報道されています。
皆様、早めに予防摂取をお勧めします。予防には手洗い、うがいが一番です。外出の際にはマスクをお忘れなく。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月7日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「
万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

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但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
二十四節気「大雪」で季節は本格的な冬への変わり目です。

通勤電車の中でマスクをしている方や咳をしている方をお見受けします。体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月6日「小田原、秋葉権現 火防祭」です。■
121205_22.jpg「秋葉権現:あきはごんげん」は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神です。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は「遠州大登山秋葉寺:しゅうようじ」から勧請された「秋葉社」が全国に広まりました。
 
観音菩薩の化身とされた信州出身の秀修験者・三尺坊の歿後、「秋葉三尺坊大権現」としてお前立ちとして祀ったことが起源。観音菩薩を本地仏とし、75の眷属(狐や龍神など)を従えます。
 
「秋葉」の由来は、嵯峨天皇から寺に賜った和歌の中に「秋葉の山に色つくて見え」とあったことからとか。また、「行基が秋に開山したことによる」「焼畑に由来する」などの異説も。
 
秋葉三尺坊権現は「火難除けの神」として知られ、全国各地に「秋葉講」が結成され、遠州秋葉参りが盛んになりました。また、遠州秋葉参りできない人々の為に、地元に「秋葉権現」を勧請。秋葉講の講社の数は、盛時には全国3万余を数えました。
 
111130_16.jpg慶応4年(1868)神仏分離・廃仏毀釈により、修験道の神である秋葉権現は廃されました。明治6年(1873)遠州大登山秋葉寺は廃寺に追い込まれ、当時の国家神道の「秋葉神社」に強制的に改組されました。
 
「小田原、秋葉権現 火防祭」、「秋葉山量覚院」で行われる火防(ひぶせ)祭です。秋葉山量覚院は江戸時代の小田原城主・大久保忠世が信仰していた遠州秋葉大権現の分社として設けられました。
 
「火之迦具土大神:ひのかぐつちのおおかみ=火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給う神」を祭神として祀ります。火防の神様として全国各地から、消防や火力発電など「火を取り扱う仕事」の関係者が、お参りとお札を求めに訪れます。
 
防火祭では、修験者装束の山伏が天下泰平の祈願を行い、山伏問答をした後、オキの火の上を渡る「火渡り」の儀式が行われ、無病息災を祈願します。
 
秋葉山量覚院
◇神奈川県小田原市板橋544
◇箱根登山鉄道「箱根板橋駅」徒歩10分
◇参考ブログ
http://odawarapr.fc2web.com/hibuse.htm

■12月6日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

130208_23.jpg宣明暦時代には「万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、見過ごされやすい歴注です。この日から手習い、開店、事始めには最適の日です。
今日は12月ですが二十四節気では11月節です。暦の上では、大雪前、師走の初旬です。
体調管理の難しい季節です。時節柄お体ご自愛専一の程

筆者敬白

■12月5日「納めの水天宮」です。■
111130_15.jpg「水天宮:すいてんぐう」は、福岡県久留米市の水天宮「久留米水天宮」を総本社として、古来、農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神として、病難、火災などの除災招福の神として信仰されてきました。
 
明治天皇御降誕の砌(みぎり:執り行われるところ、場所)、孝明天皇が御祈誓されたことで有名。霊験あらたかなるを以て、明治元年に禁裏御祈祷所(勅願所)とされた名社です。
 
「水天:すいてん」は、仏教における天の一人で須弥山の西に住んでいるとされます。十二天の一つ、水の神。竜を支配するとされます。古代のイラン・インドのヴァルナという最高神で、バラモン教の聖典「ヴェーダ」の神話にも登場。ゾロアスター教ではこの神をアフラマズダとして称えます。

◇水天起源◇
今から700年程前、平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及に京都から西へ西へと逃げていきました。しかし、壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の「二位の尼」に抱かれて母の「建礼門院」と共に波間に身を躍らせました。
 
お仕えしていた官女の「按察使局:あぜちのつぼね」も壇ノ浦で共に入水しようとしましたが、二位の尼に止められ「お前は生きて、われらの霊を慰めよ」との命を受けます。局は川のほとりに小さな祠を建て、安徳天皇とその一族の霊を慰める日々を送りました。これが水天宮の起源と伝えられています。

◇東京水天宮縁起◇
江戸時代には、大名には参勤交代が義務付けられていました。藩主は、領地を離れて江戸詰をしなくてはなりません。その間、水天宮にお参りができない為、久留米藩第九代藩主、有馬頼徳公は久留米から分霊をして、江戸屋敷内(現在の港区)に、水天宮を祀りました。文政元年(1818)これが東京水天宮のはじまりです。
 
141128_33.jpg本来、水天宮は殿様の屋敷神として祀られたもので、一般の人が参拝することは出来ませんでしたが、江戸時代の人々の信仰は次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が後を絶ちません。遂に「五の日」に限り、江戸屋敷が開放され参拝が許されました。

◇情けありまの水天宮、恐れ入りやの鬼子母神◇
人々は「情け深い」ことを感謝する際に、有馬家と水天宮を洒落て「情けありまの水天宮」と囃しました。「恐れ入りやの鬼子母神」と共に、江戸の流行語になりました。
 
明治4年(1871)水天宮は屋敷の移転と共に赤坂に移り、さらに翌年に現在の日本橋蛎殻町に移転しました。日本橋蛎殻町界隈は、人影もまばらな寂しい場所でしたが、水天宮が移ると共に商店が増え始め、大変な賑わいを見せるようになりました。
 
拝殿で神様をお呼びする「鈴」を鳴らす布地(サラシ)の鈴紐のことを「鈴乃緒」(すずのお)と呼びますが、この鈴乃緒のおさがりを妊婦が腹帯にしたところ、大変に安産だったとか。水天宮では「戌の日」に安産祈願を済ませた腹帯を「鈴乃緒」と呼んで、授与しています。戌の日には安産祈願の妊婦さんがたくさんお参りします。
 
納めの水天宮は、今年1年の無事を感謝する参拝者や、古いお札を納めに来る人で賑わいます。

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天部:別称を、「天」または「諸天部」仏教以外の神が仏教にとり入れられて守護神となったもの。天に住むという信仰がある。帝釈(たいしゃく)天・毘沙門(びしゃもん)天など四天王、十二神将、金剛力士などや、吉祥天・弁財天・伎芸天など女形の天部もある。
十二天:仏教を守護する12の天尊のこと。四方・四維の八天、上・下の二天、日・月の二天のこと。帝釈天(たいしゃくてん)(東)/火天(南東)/焔摩天(えんまてん)(南)/羅刹天(らせつてん)(南西)/水天(西)/風天(北西)/毘沙門天(びしゃもんてん)(北)/伊舎那天(いしゃなてん)(北東)に
、梵天(ぼんてん)(上)/地天(下)と、日天(日)/月天(月)の十二天。


東京水天宮
◇東京都中央区日本橋蛎殻町2ー4-1
◇地下鉄日比谷線・都営浅草線「人形町駅」徒歩5分
◇半蔵門線「水天宮駅」すぐ
◇公式HP:http://www.suitengu.or.jp/  

全国総本宮
◇福岡県久留米市瀬下町265
◇JR「久留米駅」徒歩10分
◇HP:http://www.suitengu.net/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
戌の日に安産祈願をする庶民の気持ちは、江戸時代も現代も変わりがありません。安産祈願がいつの時代も変わらないもの一つです。
季節の変わり目で、日格差が大きい日が続きます。また冬型の気圧配置で日本海側から北海道では積雪を記録しています。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月5日「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」です。■
一粒万倍日いちりゅうまんばいび」または「いちりゅうまんばいにち」と読み、単に「万倍」ともいいます。

宣明暦時代には「
万倍」と記載されていました。また、貞享改暦後は暦注から外されていましたが、新暦普及後には民間の暦に記載されるようになりました。

一粒の籾(モミ)が、万倍にも実る稲穂になる」という目出度い日で、よろず事始めには良い日とされます。特に、仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに良い日とされます。

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但し、人に借金したり、物を借りたりすると、後々苦労の種が増えるとされています。借金が万倍では、返済しきれないと考えたのでしょう。

現在の市販暦を見ると、一粒万倍日が以外に多いことがわかります。不成就日に対抗する日であると考えるとわかりやすいかもしれません。

一粒万倍日の日取りは、節切りで決められています。

・正月...丑と午の日  ・2月...酉と寅の日  ・3月...子と卯の日
・4月...卯と辰の日  ・5月...巳と午の日  ・6月...酉と午の日
・7月...子と未の日  ・8月...卯と申の日  ・9月...酉と午の日
・10月...酉と戌の日 ・11月...亥と子の日 ・12月...卯と子の日
※一粒万倍日は、他の暦注と重なる場合があります。吉日(良い日)と重なれば効果が倍増し、凶日(良くない日)と重なれば半減するといわれています。

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
ひと月に数回ある「一粒万倍日」は、多い割には見過ごされやすい歴注です。手習い、開店、事始めには最適の日です。
すでに12月に入って5日経過しました。季節は本格的な冬への変わり目でなのす。
通勤電車の中でマスクをしている方や咳をしている方をお見受けします。体調を崩しやすい時期です。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月4日~12月10日「人権週間」「世界人権デー」です。■ 141128_31.jpg
人権週間(じんけんしゅうかん)とは、第3回国連総会で採択された「世界人権宣言」の趣旨「全ての加盟国及び関係機関が、この日を祝賀する日として、人権活動を推進するための諸行事を行うよう要請する決議を採択」と「人権」の重要性を、広く日本国民に訴えかけるとともに、人権尊重思想の普及を図るための週間です。 

昭和23年(1948)12月10日の国際連合第3回総会で、世界人権宣言を採択したのを記念して、日本では昭和24年(1949)に「法務省」「全国人権擁護委員連合会」が12月10日を最終日とする1週間(12月4日~12月10日)を「人権週間」と定めました。 

▼平成28年、第68回人権週間のスローガンは
  みんなで築こう 人権の世紀 ~考えよう 相手の気持ち 未来へつなげよう 違いを認め合う心~ 

▼年間強調事項17項目(法務省HPより) 
(1) 女性の人権を守ろう 
(2) 子どもの人権を守ろう 
(3) 高齢者を大切にする心を育てよう 
(4) 障害のある人の自立と社会参加を進めよう 
(5) 同和問題に関する偏見や差別をなくそう 
(6) アイヌの人々に対する理解を深めよう 
(7) 外国人の人権を尊重しよう 
(8) HIV感染者やハンセン病患者等に対する偏見をなくそう 
(9) 刑を終えて出所した人に対する偏見をなくそう 
(10) 犯罪被害者とその家族の人権に配慮しよう 
(11) インターネットを悪用した人権侵害をなくそう 
(12) 北朝鮮当局による人権侵害問題に対する認識を深めよう 
(13) ホームレスに対する偏見をなくそう 
(14) 性的指向を理由とする差別をなくそう 
(15) 性同一性障害を理由とする差別をなくそう 
(16) 人身取引をなくそう 
(17) 東日本大震災に起因する偏見や差別をなくそう 

期間中、関係機関や関連団体の協力で、世界人権宣言の趣旨及びその重要性を広く国民に訴えかけるとともに、人権尊重思想の普及を図るため、シンポジウム、講演会、映画会などを開催するほか、マスメディアで啓発活動を行っています。 

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日本では「人権週間」12月4日~10日と同時に「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」に指定されています。 

 昭和25年(1950)第5回国連総会において12月10日を「人権デー」(Human Rights Day)としました。

昭和43年(1968)以降「世界人権デー」に、国連人権賞が功績のあった方々や団体に授与されています。 

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇ 
皆さんも人権週間に、お近くの催しに参加して「思いやりの心」や「かけがえのない命」についてもうオリンピック開催前にジックリと考えてみませんか。なかなか設けられない機会です。 
筆者敬白

■12月4日「庚申(こうしん)」です。■
110225_17.jpg「庚申:かのえさる・こうしん」は、「庚申待ち:こうしんまち」、「宵庚申:よいごうしん」、「庚申祭:こうしんさい」などを総称していう言葉。干支の組み合わせ57番目。八専の9番目。年に6~7回あります。

五行説では「庚:かのえ・こう」は「陽の金」、「申:さる・しん」も「陽の金」性であることから、この日は「金気」が重なって天地に充満して冷ややかになり、人心が冷酷になり易いとされます。

昔は「天地万物の気、庚申の日に変革される」と思われていて、最も重要な忌日でした。
また、庚申に続く「辛酉:かのととり・しんゆう」も金が重なる日で、さらに陰の金が重なるので冷ややかさを一層増すというのです。

このことから「庚申」「辛酉」の年はおおいに忌(い)まわれ、政治的変革が起こることを防ぐために2年続けて改元が行われることもありました。<例>万延元年(1860)文久元年(1861)など。

120811_30.jpg「庚申」はもともと中国の道教の伝説からきた禁忌(きんき)です。人間の体内には「三尸(さんし)の虫」が、頭と腹と足にいて、いつもその人の悪行を監視しています。60日ごとに巡る庚申の夜、人間の睡眠中を伺って体外に抜け出し、天に昇って天帝にその悪事を報告するという。そして、人間の命を短くするのです。

これをさせないために、庚申の晩は神々を祀り、酒盛りなどをして夜を徹しました。村の中心をなす家に集まり、祭祀をしたあとに会食を行いました。

禁忌(きんき):習慣的に禁止したり避けたりしていることそのものを指す。またはタブー

日本に伝わったのは、古く朱雀天皇の天慶2年(939)、または、文徳天皇のときに、智証大師が持ってきたものと伝わります。「枕草子」にも庚申待ちの話が登場します。江戸時代に入って民間で盛んに行われるようになり現在でも各地に「庚申塔」が残されています。

120212_15.jpg仏教では、庚申の本尊を「青面金剛:しょうめんこんごう」および「帝釈天:たいしゃくてん」に、神道では「猿田彦神:さるたひこのかみ=天狗さま」に結び付けています。

旧暦の月で選日を行うため、庚申の日は1年に5~7回あることになります。7回あるのを「七庚申」といって非常に喜びました。このことから庚申待ちの夜は「七色の菓子」を供えたり、七度線香をあげ、七回真言のお題目を唱えたりするようになりました。

また、申と猿が結び付いたことから、猿を庚申様の使いに見立て「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿信仰山王信仰」にもなっていきました。

さらに、申と「去る」が結び付いて、この日は結婚を忌む風習もありました。この夜に出来た子供は泥棒になるとか。この夜は男女の和合をしてはいけないなどとも言い伝えられています。

庚申の日は「帝釈天の縁日」になっています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
商品相場や株の世界では「庚申の逆張り」「庚申の曲がり角」などと縁起を担いでいます。
庚申の日まで良くても、その後はわからないとし、干支の上で金気と申が重なって予想の出来ない動きになるということです。
残念ながら、庚申は現代社会では迷信の域にはいってしまった暦日です。日々の戒めに謂われを振り返ってみることも日々の余裕の一つです。

今年の秋はとても短く一気に冬になってしまったといった印象です。季節の魚など例年の一か月遅れだそうです。
11月を過ぎて、日が差さないと寒さを感じる時節柄になりました。もうすぐ新年です。
ちょっとした油断から体調を崩さないよう、時節柄お体ご自愛専一の程 

筆者敬白

■12月3日「秩父夜祭」です。■
111125_13.jpg「秩父夜祭:ちちぶよまつり」は、300年余の歴史のある祭で、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の1つに数えられています。
 
母巣の杜(ははそのもり)に鎮座する「秩父神社」は、2千有余年の歴史を刻む秩父地方の総社です。崇神天皇10年(紀元前87年)、秩父の国造「知知夫彦命:ちちぶひこのみこと」が祖先を祭ったのが始まりと伝わり、古くから武家の信仰を集めていました。
 
旧社格は国幣小社。武州六大明神の一つとされています。社殿と参道の延長には武甲山があり、もともとは武甲山を神奈備(かむなび=神霊が鎮座する山や森のこと)として拝する聖地でした。
 
秩父夜祭は秩父神社の例大祭で、毎年12月1~6日に行なわれることから「六日市」と呼ばれました。武甲山(旧:武甲山蔵王権現社・現:武甲山御嶽神社)の「男神」(蛇もしくは竜神、神仏習合後は蔵王権現)と秩父神社母巣の森の「女神」(神仏習合後は妙見菩薩)「1年に1度の逢瀬」を楽しむ祭りといわれています。寛文年間頃から付祭として屋台、笠鉾が曳かれるようになりました。
 
121205_20.jpg現在の社殿は、徳川家康が社領五百十七石を寄進し、天正20年(1592)に再建したもの。権現造りの社殿は極彩色の彫刻に彩られ、本殿の彫刻「つなぎの龍」(鬼門を守護する青龍)は有名です。
 
豪華な彫刻が施され提灯で飾られた笠鉾は「動く陽明門」とも言われます。勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし、曳き回される笠鉾2基と屋台4基の山車は、国重要有形民俗文化財指定。屋台両袖に舞台を特設しての地芝居(秩父歌舞伎)や、地元の花柳一門と杵屋一門によるひき踊りは、秩父神社神楽と共に「秩父祭りの屋台行事と神楽」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
 
▼中近笠鉾:なかちかさかほこ
安永4年(1775)造。のちに屋型などが付設され、床周囲の勾欄には丸彫金箔押の龍が巻きつき、立隠し板には二十四孝の孟宗、唐婦人、郭巨、董水、江華、子、舜、揚香の彫刻が施されています。天井には雲龍墨絵の襖が張られ、屋根は四方に軒唐破風を配して、入母屋造りの両妻に千鳥破風をつけた八棟。総体黒漆で随所に金具が打たれ、鬼板、懸魚、妻飾りなどの極彩色の彫刻を飾った宮殿風の構えとなっています。

141128_30.jpg▼下郷笠鉾:したごうかさほこ
安永3年(1774)には笠鉾の曳物でした。表の間約3m、妻3.9mの笠鉾としては大型で、上屋根の白木造りが特徴。
正面大東破風の鬼板彫刻は、仙人が印を結び龍を寄せるという迫力のある彫技が見られ、内室立隠しの彫刻も鯉に乗る泰高、雲海から龍に乗り波上に降りようとする馬師王膝下に、鶴を見る黄鶴仙人などの中国仙人を刻んだ特色あるものとなっています。
 
秩父神社
◇埼玉県秩父市番場町1-3
◇秩父鉄道「秩父駅」
◇西武「西武秩父駅」徒歩15分
◇公式HP:
http://www.chichibu-jinja.or.jp/

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
祇園祭の色彩の強い山車の笠鉾と屋台の彫刻の荘厳さは一見の価値があります。
12月になっての夜祭です。山車に思わず見とれてお風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白

■12月3~9日「障害者週間」です。■ 141128_26.jpg
12月3日~12月9日までの1週間、平成7年(1995)6月27日に、障害者週間が定められました。 

障害者週間(しょうがいしゃしゅうかん)とは、広く障害者の福祉について国民の関心と理解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に、積極的に参加する意欲を高めることを目的とした週間です。 
障害者週間の趣旨は、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う「共生社会」を目指すべき社会だとして掲げています。 

基本的理念として、すべての障害のある方に対して、 
1、「個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する」 
2、「社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられる」 
ことを宣言するとともに、 
3、「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない
としています。 

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平成16年6月「障害者基本法改正」で「障害者週間」は、従来の12月9日「障害者の日」に代わるものとして定められ、12月3日から12月9日までの1週間になりました。 

 昭和50年(1975)12月9日に「障害者の権利宣言」が国連総会で採択された日が「障害者の日」です。 昭和56年11月28日に「国際障害者年」を記念して、12月9日を「障害者の日」と新たに定めました。 

昭和57年(1982)12月3日「障害者に関する世界行動計画」が、採択された日であり、これを記念して平成4年(1992)の第47回国連総会において、12月3日を「国際障害者デー」とすることが宣言されています。 

 この様な経緯から「国際障害者デー」である12月3日から日本の「障害者の日」である12月9日までの1週間を、平成7年6月27日に「障害者週間」とすることとしました。 

このような経緯によって12月9日の「障害者の日」は12月3日~9日「障害者週間」へと拡大されたのです。 

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◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇ 
何を隠そう筆者も身体障害者です。不自由な生活を12年程していました。 
平成28年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設に刃物を持った男が侵入し、19人が死亡する事件が起きました。日本の犯罪史上まれにみる被害の大きさです。
まだまだ障害者が国民に理解される日は遠いのかも知れません。
同じ障害者とて残念でなりません。 
筆者敬白

■12月3日「不成就日(ふじょうじゅび)」です。■
110411_13.jpg文字通り「万事に成就しない日」のことで、事を起こすには良くない日とされます。特に、結婚、開店、命名、移転、契約などによくないとされます。また、この日から諸芸始め、思い立ち、願い事もよくないとされています。

141128_29.jpg宣明暦時代には、会津暦で採用されていただけで、貞享暦(じょうきょうれき=貞享元年(1684)渋川春海により完成された暦)にも記載されていません。

文政13年(1830)に発行された「選日講訳」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知らざるが如し」と書いてあることから、幕府の許可なしで出版された略暦などに記載されて、民間でひそかに用いられていたようです。不成就日は現在の運勢暦や開運暦のほとんどに記載されています。

不成就日の日取りは、月の十二支と、日の十二支の、五行の組み合わせを基準に八日間隔で配当されます。節切りではなく、月切り(旧暦の月)です。

※旧暦起算のため、1日ずれることがあります。
正月・7月...3・11・19・27日
2月・8月...2・10・18・26日
3月・9月...朔・9・17・25日
4月・10月...4・12・20・28日
5月・11月...5・13・21・29日
6月・12月...6・14・22・晦日

◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
不成就日はあまり重要視されてい
ません。暦の上では何事も成就しない日とされていますが、統計的なデータや科学的な根拠に基づく歴注ではありません。日~土の7曜定着前には、不成就日を日曜日同様、休日にしたようです。ひと月に3~4回です。
気のせいかもしれませんが、暦の上の不成就日を休日扱いにすると、とても体調がいい感じがします。気のせいでしょうか。それとも経験的な暦の法則でしょうか?
筆者敬白

■12月1日「映画の日」です。■ 141128_20.jpg
映画の日は、元々明治29年(1896)12月1日に神戸市で日本初の映画が一般公開された日を記念し、昭和31年(1956)6月29日に当時の日本映画連合会(現・日本映画製作者連盟)総会で記念日として制定しました。 

その後、日本映画界の各団体が、多年にわたり日本映画に貢献してきた方々への記念式典や上映会、トークショーのほか、割引サービスをするなどの行事が行われます。 
旧来は毎月第1水曜日が「えいがの日」としていましたが、平成15年(2003)以降は全国的に毎月1日が「えいがの日」となりました。
特に12月1日は「映画の日」として記念日になっています。 

 
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神戸の「神戸倶楽部」で明治29年(1896)11月25日から29日にかけて映画が一般公開されました。
これを日本映画史上初公開として、11月25日では暦の上で日が良くないとの理由で12月1日を記念日としました。 
神戸倶楽部で公開された映画は、今日一般的なスクリーンに映写されるタイプではなく、エジソンの発明による、1人ずつ覗き込んで見る「キネトスコープ」と呼ばれるものでした。 

昭和31年(1956)12月1日の映画の日、日本映画連合会第1回大会は、両国国際スタジアムで開催され映画界の他、祝辞の挨拶には鳩山一郎総理大臣や日本新聞協会、NHK会長、日本文藝家協会の丹羽文雄など著名人が列席しました。
地方でもこの日、パレードやポスター展や映画館の入場料割引などの行事が盛大に行われました。 

昭和49年(1974)の映画の日には、新人脚本家を育成する目的で、映画脚本コンクールの「城戸賞」が制定されました。 
その後の「映画の日」執行委員会が主催した中央大会では、映画界に40年以上勤務した永年勤続功労章受章者と、特別功労章受章者が表彰され、脚本の「城戸賞」の授与式と「ゴールデングロス賞」の授与式も行われています。 

 その他日本映画俳優協会が主催する「映画の日」イベントとして、名作の上映会と俳優に限らずトークショーをしています。 

◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆ 
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平成26年(2014)11月に文化勲章を授与されたは友の「高倉健」氏が悪性リンパ腫で他界しました。この記事は海外からも故人の功績を惜しんでコメントが寄せられています。
同時期に安倍政権が衆議院を解散を宣言した記事よりも、俳優高倉健さん死亡の記事の方が大きく取り上げられていたことからも、近年の男らしさや仕事にかける高倉氏の生き様が、スクリーンを通して伝わっていたのとの現れでしょう。 

カレンダー上では師走12月です。
ここ数日急激に冷え込みがきつく感じます。 
読者の皆様、お体ご自愛専一の程 
筆者敬白
■12月1日「鉄の記念日」です。■ 141128_23.jpg
安政4年(1857)12月1日、南部藩(現在の岩手県)の釜石市に日本で最初の洋式高炉が造られ、12月1日に初めて火が入れられました。
鉄の記念日はこれを記念して昭和32年(1957)に制定されたものです。 
※一説には薩摩藩の方が早いという説もあります。 

釜石の高炉を造った大島高任は日本の近代製鉄の父と呼ばれています。この時の高炉の跡は今も同市橋野町に残されています。
大島の高炉は明治31年(1880)まで22年間運用されました。 

▼鉄の種類と製造工程 
鉄は鉄鉱石や砂鉄などから作ります。特殊な例として隕鉄から作る場合もあります。これは超高級品です。 鉄はみなさんもよくご存じのように、大変さびやすいものです。さびるというのはつまり酸化するということ。つまり自然界の鉄はほとんどが酸化鉄の状態です。 

製鉄の工程ではこの酸化鉄を熱して熔かすことにより還元し、金属の状態に戻します。日本の古代の製鉄法での行程はいわゆる「たたら」によって行っていました。現在でも、刀剣用など高級品は「たたら」により製造されています。

たたらは良質の鋼(はがね)を作れるのですが、量産が効かない欠点があります。そこで産業革命以降の大量の鉄を必要とした時代では、大量に鋼を作る方法が考案されました。 

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この近代製鋼の工程では最初に鉄鉱石を燃料のコークスや酸度調整のための石灰などといっしょに「高炉」に入れて加熱します。
大島高任の高炉ではコークスではなく木炭を使っています。木炭の方が良質の鋼を生産できるのですが、経費と生産効率の問題があります。 

高炉により還元された鉄は、コークスの炭素を吸収して、炭素濃度の多い鉄になっています。これを「銑鉄」(cast iron)といいます。このままではもろくて使えませんので、今度はそれを熔けたまま転炉に入れて空気を送り込み、炭素を燃やしてしまって炭素濃度を下げます。 

基本的には一定の炭素濃度のものを鋼(steel)といい、純度の高いものを練鉄(mild steel)といいます。
転炉を使う方法は、空気を送り込む時間の調整でこの炭素濃度を目的に合わせて正確に調整できることです。 

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そして実際の製鋼産業では、転炉で鋼が出来たあと、これに焼き入れ・焼き戻し・焼き鈍しといったおなじみの処理を加え、引き出し・押し出しなどの方法で、鋼板・棒材・H型鋼などを製造します。 

※焼き入れ:鉄を固くするのは、高温に熱してから急冷。 
※焼き戻し:粘り強くするには、低温で熱してからゆっくり冷やす。 
※焼き鈍(なま)し:柔らかさを加えるには、高温で熱してゆっくり冷やす。 
※押し出し、引き出し:断面の形の細い口から押し出して成型。マヨネーズの口の星形にするようなものです。 

▼ステンレス
基本的には鉄というのは純鉄の状態では使いにくいので、必ず何かの不純物を混ぜます。 つまり私たちの身の回りにある鉄は全て「鉄合金」です。最近特に多いステンレスはクロムとニッケルを混ぜて錆びにくくしています。 

▼鉄と鐵
「鉄」というのは戦後当用漢字制度のために使われるようになった俗字で、本字は「鐵」です。この字は「金の王なる哉」という意味であるとされます。金属の王様が鐵だというわけです。 

▼国鉄
「国鉄」なども「国鐵」だったら安泰だったかも知れないが「金を失う」では黒字になる訳がなかった、などという俗説もあります。今でも鉄という字を嫌って「金」に「矢」と書く企業などがあります。

■12月1日「歳末助け合い運動」です。■ 
111125_12.jpg歳末たすけあい運動は、町会、自治会、婦人会、民生委員協議会などの団体や法人、個人の方々のご協力で行われています。新たな年を迎える時期に、支援を必要とする人たちが地域で安心して暮らすことができるよう、住民の参加や理解を得て様々な福祉活動を重点的に展開するための運動です。
 
毎年12月1日から31日まで行なわれる「歳末たすけあい募金」は、各都道府県の共同募金会が主体となって実施され、共同募金の一環として行われています。
 
善意の募金は、主に国内の高齢者や障害者に対する福祉の充実、また地域福祉活動の啓発や推進の為に使われています。最近では、災害支援準備金として、あるいは子育て支援活動に使われることも多くなってきました。

但し、各都道府県内で「共同募金」に寄付したお金は、基本的に寄付した都道府県内の社会福祉に使われ、県外や国外に使うことは出来ません。
 
共同募金会に対する寄付金については、株式会社等の法人からの寄付金は「全額損金算入」、個人からの寄付金は所得税および住民税にかかる「寄付金控除の対象」となっています。


◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
12月になると救世軍の「社会鍋」、「歳末助け合い」「共同募金」とともに、郵便局などの金融機関や夜間営業の飲食店に刃物などで押し入る強盗も増えます。
戸締り用心・火の用心!ともあれ用心に越したことはありません。
筆者敬白


 

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このページよりも下に掲載してある12月の「暦」
平成27年12月(去年)のものです。

平成28年(今年)になってからの、祭礼や行事は
旧暦を採用しいるケースもあり、
去年とは月や日が変わることがあります。

平成28年の「暦」は、
祭礼や行事の2~4日前には
季節お便り」として掲載します。
是非そちらをご覧下さい。

お楽しみに。
筆者敬白

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八木宏之プロフィール
セントラル総合研究所・八木宏之
株式会社セントラル総合研究所
代表取締役社長

連帯保証人制度見直し協議会発起人。NPO法人自殺対策支援センターLIFE LINK賛同者。
平成8年、経営者への財務アドバイスなどの経験を活かし、事業再生専門コンサルティング会社を設立。以来14年間、中小企業の「事業再生と敗者復活」を掲げ、9000件近い相談に応えてきました。
事業再生に関わる著書も多く出版。平成22年5月『たかが赤字でくよくよするな!』(大和書房)など多く出版。平成14年、『借りたカネは返すな!』(アスコム)はシリーズ55万部を記録しました。
著書の紹介はこちらから。

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